2022/05/24 - 2022/05/24
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ドクターキムルさん
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上総介塔は上総介広常(?~寿永2年12月20日(1184年2月3日))の墓と伝承されている。
源頼朝が挙兵して鎌倉に入り、平家を滅亡させるまでの鎌倉幕府の黎明期には、陰謀や粛清など、悲劇的な事件が思いのほか多かった。その最初の犠牲者と言える。
上総介広常は房総平氏惣領家の頭首という立場で、その支配地域はほぼ上総一国(房総半島中央部)であったと考えられている。 広常は、もともと鎌倉を本拠地としていた源義朝の郎党であった。保元の乱では義朝軍に属し、平治の乱では義朝の嫡男である義平に従って奮戦している。
治承4年(1180)9月、挙兵した頼朝は石橋山の戦いで惨敗を喫し、命からがら海路安房に落ち延びた。にもかかわらず、わずか1カ月ほどで勢力を盛り返し、石橋山の戦いで煮え湯を呑まされた大庭景親らを破り、鎌倉入りを果たせた。それは、上総介広常の軍(2万騎とされるが、1万騎や1千騎という説もある)が味方に付いたことが大きかった。
上総介広常の屋敷は十二所と六浦との間にあったとされる。それは朝夷奈切通が造られた仁治2年(1241年)よりも半世紀以上(57年)も前のことであり、金沢街道は十二所の奥の尾根道から六浦に向かうものであった。その鎌倉側の入り口に上総介広常の屋敷があった。おそらくは、三郎の滝から少し上った広い平地となっている辺りであっただろう。もしも、十二所果樹園辺りであれば広い平地はなく、飲水にも不便する。十二所果樹園から下りてくると、三郎の滝が100mくらいに近づくと道がなだらかになり、平地が広くなっている場所が見当たる。そうしたところに上総介の館があったはずだ。
上総介塔は環状4号線の朝比奈バス停からやや六浦寄りの旧家の向いにある。旧家の前の道から山に入る道が切通が出来る前の街道であるからであろう。
(表紙写真は上総介塔)
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