2022/05/08 - 2022/05/08
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あまちゃんさん
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奈良盆地の東の山裾に続く山の辺の道(南コース)、JR天理駅~JR三輪駅間を三分割して歩いた散策の、今回はラストコース。地図上での歩く距離は3回のうちの最長で、約7.2キロ。
春とはいえ、かなり暑かった。また、いかにも山の辺の道って感じの上りの険しい道があったりしたが充分山の辺の道の散策を楽しむことができた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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-
今回もJR奈良駅で、奈良線から万葉まほろば線に乗り換え。
奈良駅 駅
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もうなじみになった2両編成のワンマンカー。
JR 奈良駅 名所・史跡
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発車までは30分近くあったので先客は一人だけ。
長柄駅は先頭車両の一番前のドアしか開かないので、先頭の座席に座って発車までの時間待ち。JR 奈良駅 名所・史跡
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午前9時24分、長柄駅着。もちろん、無人改札。
長柄駅 駅
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駅前は結構きれいに整備されていた。
長柄駅 駅
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長柄駅から最初の立ち寄りポイント「竹之内環濠集落」までの約1.5キロはひたすら歩く。
線路に沿って200m余りは平坦な道だが、そこからは緩やかな上り坂が続く。 -
竹之内環濠集落に到着。
環濠集落とは、外敵の侵入を防ぐために周囲に濠を巡らせた集落で、中世の奈良盆地に多く作られた。
この竹之内環濠集落は、標高100mで奈良盆地で最も高いところに作られた環濠集落。
現在は、集落の西側に環濠の一部が残っている程度。竹之内環濠集落 名所・史跡
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環濠集落内には入らず、のどかな景色を楽しみつつ、次の目的地「夜都伎(やとぎ)神社」に向かう。
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20分弱歩くと「夜都伎(やとぎ)神社」に到着。
社殿や鳥居は、伝統的に下賜されたものを使用している。夜都伎神社 寺・神社・教会
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春日大社と縁が深く、本殿は四社あり春日の四神を祀っている。
本殿は、写真の拝殿の奥に四つ並んでいるのだが、訪問時は改修中でだった。
社殿や鳥居は、伝統的に春日大社から下賜されたものを使用している。 -
1.5キロほど先の内山永久寺跡を目指す。
夜都伎神社から内山永久寺跡までの間が、上り下りがやや厳しいところがある。
最初はこのような長閑な道が続くと思われた。 -
柿の木畑が所々にあったりもして。
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峠の茶屋 わわ。
天理観光農園に併設されていて、栗餅が名物らしい。わわ グルメ・レストラン
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峠の茶屋を過ぎると、いきなり出ました!
写真では分からないけれど、かなりの急な上り坂。
足腰が弱い自分は、こけないように気を付けつつ汗をかきかき登る。
健脚な人や若い人にとっては大したことのない上り坂で、距離も知れているのかもしれないが。。 -
夜都伎神社を出て30数分、ようやく内山永久寺跡に到着。
といっても、この道しるべ以外特に何もない。内山永久寺跡 名所・史跡
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階段を上ると休憩所か展望台みたいな感じなので登ってみる。
内山永久寺跡 名所・史跡
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階段を上ってみると、小さな休憩をとれるところと…
内山永久寺跡 名所・史跡
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内山永久寺の案内板があった。
それによると、この辺りに12世紀初頭鳥羽天皇の勅願により亮恵上人により内山永久寺が創建された。この寺は、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ壮大な寺領を有する大寺であったらしいが、何故か明治初期の廃仏毀釈等により、ことごとく破壊・略奪の難に合い、今は本堂池が残るのみとなり、往時の栄華をしのばせるものは何もなかった。
しばし、ここで水分補給のための休憩をとる。内山永久寺跡 名所・史跡
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本堂池の名残。
内山永久寺跡 名所・史跡
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本堂池のそばに、内山永久寺を詠んだ芭蕉の句碑があった。
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句碑の解説板。
石上神宮に向け歩を進める。 -
山つつじがこじんまりと、きれいに咲いていた。
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内山永久寺跡から歩くこと二十数分。
多数のニワトリの競い合っているようなとにかく喧しい鳴き声がまず聞こえ出した。少し進んでいくとそこは石上神宮の境内の中だった。
この神宮では、数十羽の鶏が放し飼いにされていて、鶏は夜明けに鳴いて時を告げることから、昔の人々は神聖視したとされ、同神宮でも「神の使い」として敬われているそう。
しかし、もうすぐお昼だというのにいつまで大声で朝を告げているのだろうと思うほどの喧騒だった。石上神宮 寺・神社・教会
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本殿のある楼門の向かいの石段を上がると、いくつかの摂社が立ち並んでいる。
この写真の建物は、そのうちの一つ。元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿であった。
しかし、内山永久寺は神仏分離令により明治9年に廃絶し、鎮守社の住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、その拝殿だけが荒廃したまま残されていたので、石上神宮摂社の出雲建雄神社拝殿(いずもたけおじんじゃはいでん)として移築された。
従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として大変貴重なもので、国宝に指定されている。石上神宮 寺・神社・教会
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楼門。
鎌倉時代末期、文保2年(1318)に建立された重要文化財。
往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却された。
二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるもの。石上神宮 寺・神社・教会
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「萬古猶新(ばんこゆうしん)」と書かれた木額の拡大写真。
石上神宮 寺・神社・教会
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拝殿。
建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられ、拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されている。
古代豪族、物部氏の総氏神を祀る、日本最古の神社の一つ。
古来から、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきた。石上神宮 寺・神社・教会
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参道の入口に建つ大鳥居。
高さ7メートル、最上部の笠木の長さ10メートル、柱の直径は76センチ。
山の辺の道からこの神宮に入ったため、この大鳥居は天理駅に向かって神宮を出ていくときにくぐった。
ここからは、帰途の駅、JR万葉まほろば線天理駅までおおよそ2Km余り。
途中、天理教本部の前や、そこへの参道としての役割も果たす約1kmもある県下一長い「天理本通り商店街」を通っていく。石上神宮 寺・神社・教会
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石上神宮から歩くこと約1km。天理教教会本部の広大な敷地、建物を右手に見て、天理本通り商店街に入っていく。
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天理教教会本部を右手に見たその正面に、「天理本通り商店街」のアーケードが見えた。
天理駅から見たら出口にあたる。ここから約1キロものアーケードのある商店街が続く。 -
アーケードに入ってすぐの付近。
閑散としている。
市の中心部の商店街とはいえ、総人口約6万4千人弱の街には総延長1kmもの商店街はどう考えても規模が大きすぎる。 -
商店街のなかにあった天理市内2か所あるうちの一つの蔵元「稲田酒造」。
店員さんに聞くと、この蔵の日本酒はどちらかといえば甘口らしく、自分は端麗辛口が好きなので日本酒は購入せず、その蔵の酒粕を使った「奈良漬」をお土産に購入した。 -
奈良漬。
コリコリとした歯ごたえで美味しかった。 -
ちょうど時間はお昼を少し回ったところだったので、商店街の中で昼食をとることにした。
入ったのは、このラーメン店。麺屋PAITON (パイトン)という名の店。天理なのに天理ラーメンの店ではない。 -
5種類の豚骨系スープのラーメンと、
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醬油、塩ラーメンのほか、まぜそば、長崎ちゃんぽんと結構メニューが多彩。
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この店人気ナンバー1の鶏豚骨ラーメンのチャーシュー麺を注文した。
スープは、白く泡立ったクリーミーなスープで、濃厚ではあったが見た目ほどしつこくはなかった。
チャーシューは、レアと炙りが3枚ずつ。
総じて、まあまあ美味しかった。
この店が近所にあったなら、とにかくスープの種類がいろいろあったので、最低でも5,6回は通っただろうと思う。 -
食後、徒歩2~3分で長かった天理本通り商店街を出て、駅前の通りに出た。
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天理駅前には、駅前広場ココフンというのが整備されていた。
円墳をイメージした五つの構造物が遊び場や屋外ステージ、レストランなどになっている。 -
JR万葉まほろば線天理駅の改札を入ると「ようこそおかえり」と柱に書かれていた。
天理市は日本で唯一の宗教都市と呼ばれている。
この「ようこそおかえり」という言葉も、市内でよく見かける。
その意味が気になる人はご自身でお調べください。
12時52分発の奈良行きの電車に乗り、奈良線に乗り換え。乗り換えがスムーズに行けたので午後2時頃帰宅できた。
これで3回に分けての、山の辺の道(南コース)の散策を完歩しました。天理駅 駅
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