2007/08/14 - 2007/08/14
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MIUMIUさん
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このブログは、私たち熟年夫婦が撮りためた写真を、
旅の備忘録として整理し、アップしたものです。
コロナ禍で海外に行けない状況が続く中、
昔の旅行の写真を眺めながら過去の記憶を辿り、
その記憶を整理をしていく事は、
脳みその活性化を図る事にもなるかもしれません。(;^^
少しずつでも頑張ってアップしていければいいな、と思っていますが、
10年以上前の旅行なので記録が散逸し思い出せないことも多く、
つくづく、熟年夫婦が老年夫婦になりつつあるのか…と痛感させられます。
2007年の初夏に、偶々旅行社の前を通った時に目に留まったポスタ-。
★★直行便で行く中欧9日間★★
え!? なんやて?!
このポスターに目がくぎづけになった。
若い頃は共産圏だったチェコやハンガリ-。
鉄のカーテンの向こう側の世界、というイメージで、
到底行くことができない未知の世界だった。
しかし、もう既に鉄のカーテンが消滅して久しく、
自由に行き来できる世界となっていた。
ずっと行きたかった中欧・・・ 行きたい!
が、仕事の都合もあるし長期の休みがとれるのか…
いや、直行便なら効率よく行けるかも…
9日くらいの夏の休暇なら何とかなるか…
パンフレットをよく見ると、
機材は全盛期を過ぎて退役も見込まれていたボーイング777。
しかも、定期航路便ではなく
機材まるごとJTBがJALからチャ-タ-した独自のフライト。
加えて、お盆のベストシ-ズン出発。
その割には価格もお手頃な設定ではないか。
よっしゃ、決定!
ツア-は団体行動なので現地での行動は制約されてしまうが、
自由行動の日も結構あるし、
ヨーロッパ旅行ビギナ-にとっては、予行演習?として丁度いいか。
…というわけで、即!電話で妻と相談して申し込み完了!
(妻は兼ねてよりオーストリアに行きたいと繰り返していた)
現在、大型ジェットはA380がありますが、
もう今では乗るこのとできないジャンボジェットでの海外往復、
それも今ではあり得ない直行便。
とても貴重な体験になったと思います。
当時の写真を見ながら振り返っていると、
もっと良いカメラを持っていけば、もう少しはきれいな写真を残せたのに・・・と悔やまれますが…
記念としてパンフレットは保存していました。
店頭で配られていたものなのでアップしますが、
問題があるようでしたらお教えください。
=== 全日程 ===
2007年
◆ 8/10(金)11:30 関空発
15:25 ハンガリー ブダペスト空港着
ブダペストのホテル到着後フリータイム 旧市街散策
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11738849
◇ 8/11(土)午前=ブダペスト市内観光ツアー
午後=フリータイム ペスト地区の旧市街を散策
夜=ドナウ川ディナークルーズ
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11738863
◇ 8/12(日)ドナウベント地方の村、城塞、大聖堂を観光の後
オーストリア ウィーンへ
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11738871
◇ 8/13(月) 午前=シェーンブルン宮殿と市立公園のツアー
午後=フリータイム 旧市街を散策
夜=楽友協会ホールにてコンサート鑑賞
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11739176
◇ 8/14(火) 終日フリータイム
リング通り内側の聖堂、教会、王宮、庭園、市場など
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11741986
◇ 8/15(水) チェコ チェスキークルムロフを観光の後
プラハへ
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11741982
◇ 8/16(木) プラハ旧市街の観光ツアー
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11743721 ←今ここ
◇ 8/17(金) フリータイム 旧市街を散策
20:00 プラハ空港発
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11743727
◇ 8/18(土) 14:15 関空着
【9】 https://4travel.jp/travelogue/11743731
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
【8/14(火)】
今日は終日フリータイム。 楽しみで仕方ない!
今朝もホテルの朝食会場でビュッフェ形式の朝食。
出発前のクチコミがかなり良くなかったが、全くそのようなことはなく
一般的なメニューで種類も多かった。 -
この会場はオペレッタなどが演じられていた歌劇場だったという。
高い天井の装飾やシャンデリアなど、すべて豪華!
(このホテルは元々フランツヨーゼフの迎賓館)
このような場所で朝食をとることができたのは貴重な体験になった気がします。 -
バルコニ-から見た、私達のちっこい部屋。
-
ホテルの部屋のバルコニ-から中庭を見たところ。
右側に見える建物は、客室を増やす為に建て増した建物らしい。
この建物に泊まった同じツア-の方の話では、修学旅行の宿舎かというくらい狭かったそうです。
自分たちの部屋が最挟、最低だと思っていたので、変に諦めがついた。 -
きれいに手入れされた芝生が広がっている。
かわいいリスが木の枝を走り回っていた!
と、早朝5時にこの中庭を散歩した同じツア-の若者が、
少し興奮気味に話しておられました。 -
バルコニーそばのマロニエの木。
たくさんの小鳥がさえずりながら飛び回っている。
部屋はともあれ、バルコニーからの広々した庭の景色は癒されたわけです。 -
ホテル1階のロビー。
重厚な雰囲気にあふれている。
出発前にロビーを見学。 -
館内にはあちこちに多くの肖像画が飾られているが
ロビーには有名な人物の肖像画がメイン。 -
さあ、気合を入れて今日も歩くぞ!
-
ホテル近くの地下鉄に乗って10分少しでリング内へ移動。
-
-
『市庁舎』
昨夜、この地下のレストランが夕食会場だった。 -
-
頭上の構造物(バルコニ-)を支える柱の役目を果たす女性の立像。
カリアティードというらしい。
古代ギリシャ建築からあったものだが、近世になっても取り入れられている。 -
ギリシャ風の建物『国会議事堂』
正面の銅像は、パラス・アテナ(アテネの女神)像。 -
フォルクスガーデン沿いの歩道に、なぜこんなものが…?
-
『フォルクスガーデン(国民庭園)』に入った。
後方の建物はフォルクスガーデンに隣接する『ブルク劇場』 -
殆ど人がいない。とても静か。
きちんと手入れされた美しい庭園で、気持ちがいい。 -
エリザベート像を探しながら散策。
この少し後、突然大胆な水まきに遭遇し、逃げるヒマもなく結構濡れてしまった。
夏でよかった! -
王宮が見えてきた。
花壇にはバラが多いが、特に真っ赤なバラが印象的だった。 -
ウィーンの国民的作家であり詩人である、フランツ・グリルパルツァーの像。
-
1823年に建てられた『テーセウス神殿』
本来は隣に建っていたギリシャ神話のテーセウス神像の家だったが
この像の芸術的価値が高いと判明し、美術史博物館に移されている。 -
いいかんじのポプラの並木道。
こんな公園が近くにあったら毎日でも歩きたい! -
-
円形の池の中央にある、なんかスゴイ銅像(意味不明)
-
こんな美しい庭園を歩くのは気持ちがいいものですが
なかなかエリザベート像が見つからない。 -
あれかな?! やっと見つけた。
バックのブルク劇場は、1888年完成の
フランツヨーゼフの意向を反映したバロック様式の劇場。
上部には、シェイクスピア、モリエール、ゲーテなどの胸像があり
クリムトによる天井画が人気。
フランツヨーゼフは人種を問わず、才能ある芸術家を積極的に採用したという。
現在も、ドイツ語演劇の最高峰として、古典・喜劇・現代劇など幅広く上演されている。
内部を見学できなくて残念。 -
白とグリーンのコントラストが眩しいほど美しい。
秋冬の写真を見ると、バックの生垣は落葉樹だった。 -
亡くなって2年後の1900年に造られた大理石像。グリーンに映えて美しい。
100年以上経つのに、真っ白!
ミュージカルや映画でエリザベートに興味を持ったが、関連する本など読むと
少し共感できない部分もある。結局は美貌が人生を狂わせたということかな。
ざっくりと人生を追ってみると…
バイエルン王家の次女として1837年に生まれ、シシィの愛称で可愛がられ、
自由な家風の中でのびのび育つが、姉の見合いに付き添ったのが運の尽き。
姉ヘレネの見合い相手だったフランツヨーゼフに見初められて16才で結婚。
父マクシミリアンの影響で自由奔放だったシシィは王宮の厳格な規則になじめず、姑ゾフィーとの確執も深まるばかり、育児も許されず、精神的に病んでいく。
そして、自分の体型維持に異常なほど没頭するだけでなく
療養や旅行、慰問などの口実でウィーンから逃避し続けた。
特に気に入っていたのが、ハンガリー。
(ゾフィーがマジャール人嫌いだったからではないか…という説もある)
ハンガリーに自治権を認めるようフランツに強く働きかけたというのは有名な話。
なので、今もハンガリーでエリザベートは大人気。
1889年、息子ルドルフが女性とピストル心中してからは喪服で通し
1898年、旅行先のレマン湖のほとりでイタリア人無政府主義者ルキーニに短剣(ヤスリ)で心臓を刺され、62年の生涯を閉じた。
フランツヨーゼフはシシィを愛し続けていたので、シシィ像をあちこちに建てたが
この大理石像に一番思い入れがあるのではないかと。
(フランツは功績を多く残しているが、夫としては不器用だったのかも。
女心がわからなかったとか?
でも、どちらかが愛し続けてはいても、最期までお互いをわかり合えることがないというのは、古今東西よくある事なんだろうなぁ) -
このシシィは、晩年に近いように見える。
悟ったような淋しげな表情が強く印象に残った。
若い頃は生まれながらの美貌と高身長のうえ、驚異的なスタイルを維持していたが
年齢とともに衰えが目立ち、常に扇で顔を隠していた。これは事実らしい。
勉強嫌いとはいえ、ハンガリー語をすぐに完璧にマスターしたり、
ハイネの詩を愛読し、専門家と言われるほどだったことから
文学的な女性だったんじゃないかと思う。
ハプスブルク家の終焉を生きた、永遠のすれ違い夫婦。
運命に翻弄されながらも自由を求め続け、衝撃的な死を遂げた美しき皇妃。
世の女性達は共感できたりできなかったり、美貌や寂しげな表情に惹かれたり…
うん、これはもう、映画やミュージカルの題材にピッタリなのもわかるなぁ!
因みに、姉ヘレネは別の男性と結婚し、平凡で幸せな生涯だったという。 -
それにしても、いつもこんなに静まり返っているのかな…
(ヨハンシュトラウス像とエライ違い!)
余計に淋しげに見えてしまいました。
真横に立つのは恐れ多い気がしたのかどうかわからんけど、遠慮気味にツーショット。 -
シシィの目線の先にはホーフブルク宮殿がある。
-
『ホーフブルク宮殿(新王宮)』の前の ヘルデン(英雄)広場。
ホーフブルク宮殿は13世紀頃に建設され、ハプスブルク家、神聖ローマ帝国のちゆ宮、そしてオーストリア・ハンガリー帝国の宮殿となり、
1278年から1918年の640年間にわたり、ハプスブルク家の居城、皇居となっていた。
旧王宮、スイス宮、新王宮とフォルクス庭園、王宮庭園を含む広大な敷地は
総面積24万平方キロ。 -
長きにわたり、増改築を繰り返して現在の姿となっている。
この写真の建物は新王宮で、19世紀以降に増築された。
因みに1938年、この英雄広場でヒトラーが大群衆に向かって演説をし、
ドイツとオーストリアが併合された。 -
『カール大公騎馬像』
カール大公はナポレオンと対決した英雄。 -
『オイゲン公騎馬像』
オイゲン公はトルコ軍を破った英雄。
カール大公騎馬像とオイゲン公騎馬像は向かい合っている。 -
てっぺんに双頭の鷲。
-
悟りを開いたライオン?
-
現在、新王宮は博物館となっている。
-
-
旧王宮内の中庭の中央にはフランツ1世像。
旧王宮は2600室あり、2階は歴代の皇帝が住居としていた。
現在、22室を皇帝の部屋として、6室をシシィミュージアムとして公開している。 -
この右手にはスペイン乗馬学校があり、
左手に、皇帝の部屋、シシィミュージアム、宮廷銀食器などのコレクション展示室。 -
ミヒャエル門の内側。
-
ミヒャエル門の中。
-
見上げるとドーム天井。
-
この中を馬車も通っているが、テンポの良い蹄の音が大きく反響する。
その音が今も耳に残っていて、思い出すと心地よい。 -
ミヒャエル門(バロック様式)を通り抜けて振り返ったところ。
ここが旧王宮の入口になる。 -
入口の右側。
-
左側。
-
アイネクライネナハトムジークを小さく口笛で吹いていた、自称モーツァルトさん。
-
旧王宮入口のミヒャエル広場を挟んだ向かい側にある、ロースハウス。
近代美術が発展しつつある19世紀末に建てられた、装飾をいっさい排した建物。
フランツヨーゼフはこれを嫌い、執務室のカーテンを開けなかったという。
因みに、真面目なフランツヨーゼフは、シェーンブルン宮殿から毎日馬車で(冬はソリ)で通勤していた。
右側の通りはコールマルクト通り。 -
ミヒャエル広場でおとなしく客待ちしているフィアカー(馬車)の馬たち。
この後、王宮内の『皇帝の部屋』『シシィミュージアム』『『宮廷銀食器コレクション』を順に見学した。
シシィチケットを買うと、この全てに入場できるのでオトク感がある。
皇帝の部屋は驚くほど質素。質実剛健な性格だったのがよくわかった。
シシィのダイエットの為の健康器具は、きっとごく一部のものだろうと思った。
執務室のデスクの真向かいに、普段着っぽい自然体でほほ笑むシシィの肖像画がかけてあったのが印象に残っている。
シシィミュージアム(皇帝が使用していた部屋のうちの6部屋)は、
シシィの生涯をわかりやすく紹介していた。
衣装や調度品、旅行に使用していた豪華な客車のレプリカ、結婚招待状なども。
心臓を刺された短剣(ヤスリ)が展示されていたのには驚いた(ちょっと引いた)
銀食器コレクションは、15世紀から使用されていた銀食器類がどっさり!
ヘレンド磁器のセットがズラリ!
エリザベート皇后専用のセットもあった。
予想を上回る豪華さとはいえ、堅苦しい食事風景が想像できるものだった。
全て撮影禁止でした。 -
ホーフブルク宮殿を出て、コールマルクト通りへ。
-
『デメル』に入った。(本場のザッハトルテなるものを食べてみないと!)
コールマルクト通りにあり、王宮からすぐ近く。
ホテルザッハーのカフェには長蛇の列ができてたのに、ここはすんなり入れた。
皇室御用達の伝統ある老舗カフェとして知られている。 -
2階への階段から見下ろしたところ。
-
ザッハトルテとコーヒーを注文。
デメルのザッハトルテとホテルザッハーのザッハトルテの違いは
アプリコットジャムの塗り方が違うのと、
デメルは三角形のチョコプレート、ホテルザッハーは円形のチョコプレートがon。
別添えの生クリームがあまりにもたっぷりで驚いたが、全く甘くない生クリーム。 -
夫はいつものアイスカフェ。
-
噂どおり、凄く甘い。チョコレートの風味は良い感じ。
なるほど、甘くない生クリームがケーキの甘さを中和してくれるわけなんですね。 -
厨房はガラス張りになっていて自由に見学できる。
-
ザッハトルテとは・・・
1832年にフランツ・ザッハーという料理人が貴族(飽食気味の)の為に考案し、
大好評となった濃厚なチョコレートケーキ。
その後、息子がホテル・ザッハーを開業し、カフェでザッハトルテを提供。
そのまた息子、つまり三代目の時に財政難となり、デメルが資金援助をして救済。
代償としてザッハトルテの販売権を得た。
しかしその後、レシピの流出があったり商標使用問題などで争いが起き、
7年間も裁判が続いたが、結局、双方ともに販売できる事になり、今に至る。 -
老舗らしさの溢れる広い厨房。
-
シェフ達はニコリともせず真剣な表情。
それにしても、ザッハトルテonly! -
ザッハトルテは日本での呼び方で、
ウィーンではサハトルテ、又はサッハートルテと呼ばれているんだとか。 -
ザッハトルテ、何とか完食した(ような…)
甘さを緩和してくれる生クリームが足りない…思ったのは覚えているが…
私達は甘党ですが、それでも甘すぎると感じた。
でもこればかりは人それぞれ、好みの問題ですね! -
入口を入って右側にある店舗スペースは、センスあふれる空間!
色んなお菓子が並んでいて見るだけでも楽しい。
シシィが好きだったと言われているスミレの花びらの砂糖漬けを購入した。
まるい小さな箱にはスミレの絵がアンティーク調で描かれていた。
本当に素敵な箱だった。 -
デメルでお腹いっぱいとなり、これがランチとなった。
再びコールマルクト通りから右に曲がってグラーベン通りへ。 -
カラフルなサーカス小屋出現。
-
『セント・ペーター教会』
9世紀初頭のカール大帝の時代に創設された、ウィーンでは2番目に古い教会。
この建物はバロック様式で、1708年に建て替えられたもの。
入場はせず。 -
グラーベン通りを更に進むと、通りの中央に『ペスト柱』が見えてきた。
-
近づくと、そのおどろおどろしい彫刻に圧倒される。
バロック時代の代表的彫刻のひとつだそうだ。
ペストはヨーロッパでは14世紀頃から100年に一度程度は流行していたという。
このペスト柱は、1679年に10万人の犠牲者を出したペストの終息を神に感謝し、
マリアテレジアの父レオポルド1世が建てた記念塔。
最初は木製の簡素なものだったらしいが、1693年に現在の姿に建て直された。 -
アップで撮れていないのでよくわからないが、
天使が老婆を突き落とそうとしている彫刻が残酷に見えたのは覚えている。
後でわかったのは、老婆がペストの象徴とのこと。(なんで老婆やねん…)
神に感謝して跪くレオポルド1世の姿もある。 -
ペスト柱の下にはベートーベンの大道芸人。
こういうの、どこでやってもいいんだ…と思った。
この時は、恐ろしい感染症の大流行は過去の話だと思っていたような…
まさか、15年後に世界じゅうが感染症の脅威にさらされるとは知る由もなかった。
完璧に収束した暁には「コロナ柱」なるものが建立されるのかな? -
そして、旧市街の中心に堂々とそびえ立つウィーンのシンボル
『シュテファン大寺院』
12世紀にここにロマネスク様式の教会が建てられたのが始まりで
ハプスブルク家の統治時代に何度も建て替えられ、
現在の大聖堂は14世紀にゴシック様式に改築されたもの。
1359年に65年かけて完成した南塔は137mあり、世界で3番目の高さ。
北塔は60m、財政難で未完成のまま。 -
昨日はスルーしたけど、今日は入場。
-
ここで歴代皇帝の葬儀が行われていたという。
-
高い天井に絵画は描かれていない。
-
-
改装を繰り返した為、内部は様々な様式が混在。
-
後方のパイプオルガン。 巨大すぎ! 音聴きたい!
-
-
主祭壇には、聖シュテファンを題材にした絵が飾られている。
-
地下には2000人近いペストによる犠牲者のお骨と
ハプスブルク家一族の心臓以外の内臓が入った壺が安置されている。 -
シュテファン大寺院から南に伸びるケルントナー通りは歩行者専用なので
大道芸人のメッカ! -
殆ど微動だにしないが、前に置いてある缶や箱にコインを入れると少し芸をしたり
挨拶をしたりする。 -
真夏の太陽が容赦なく降り注いでおります・・・
-
この大道芸人さんの缶にコインを入れると
自分の帽子と同じ帽子を素早くカパッと被せられた。
もの凄く軽くて手作り感ハンパない帽子だったっけ(^0^;) -
おまえも来い、と手招きされ、ポーズまで強要された夫。
後方の男性たちに笑われてる?
ま、いーか! -
ノイアーマルクト通りに入った。
右側に少し写ってるのがカプティナー教会。
カップルがここを通り過ぎながら、カプティナー…とか話していたので気づいた。 -
-
-
『カプティナー教会』は意外と小さく目立たないのでうっかり見過ごしてしまうところだった。
カプティン派修道会の教会として1632年に建設され、
翌年からハプスブルク家の歴代皇帝一家の納骨堂となったという。
1936年に改装され、シンプルな外観となっている。
☆入口に掲げられている赤と白のW型の旗は、「観光物件マーク」といい
観光局が定めた歴史的意義のある物件の目印。 -
内部はこじんまりしているが、厳かな空気が流れている。
-
壁にはキリストを描いた絵がズラリ。
-
観光客はいないような?
祈りを捧げている人が多いが、とても静かだ。 -
-
後方のパイプオルガン。
-
墓所は地下にあるので、階段で降りて行った。
-
おお・・・・ 本当に棺が並んでいる。
このような場所が一般公開されているとは!と驚いてしまった。撮影もOK。
皇帝 10人、皇妃 15人を含め、
140人以上のハプスブルク家の人達と、親密だった関係者の遺体が安置されている。 -
ひんやりしていて、静か。
なんとも言えない空気感。
そして、予想よりも遥かに広い!(教会は小さいのに) -
趣向を凝らした装飾の棺が多い。
-
恭しい鉄の門扉をくぐるとひときわ豪華で大きな棺がある。
1780年没のマリアテレジアと、1765年没の夫フランツ1世の合同棺だ。 -
バロック式のレリーフがすばらしく豪華!
棺の上には見つめ合う二人の彫刻があり、馬車に乗っているようにも見える。
周囲には王冠が飾られている。
マリアテレジアが夫と同じ棺に入る事を望み、このような棺が造られたという。
政略結婚でもここまで仲睦まじくなれるなんて…
これは仲良し夫婦の究極の墓ですね。 -
位が高いほど、豪華な装飾なんだと思う。
-
小さな棺も結構あった。
世が世なら長生きできたであろう幼い命たち。。。
でも、手厚く葬られることなく消えていった小さな名もなき命の方が
どれほど多かったことか… と切なくなったり… -
マリアテレジアの息子ヨーゼフ2世の棺かも。
-
プレートには名前が刻んであるが、解読しにくい…
-
天井が低く、薄暗い場所もある。
-
ヨーロッパにはこのような地下墓所が多いのだろうか?
-
花が手向けられている棺も多い。
献花も自由なんでしょうね。 -
最後、突き当りに、ガラス張りのスペシャルルームが出現。
これが、エリザベート家族の墓だ。
中央の花輪のある棺がフランツヨーゼフ、左がエリザベート、右が息子ルドルフ。 -
31才の時、下級貴族の令嬢マリー・ベッツェラと心中したルドルフも、
両親と共に永遠の眠りについているわけですね。
1889年に起きたこの心中事件は、世界中に知れ渡ったほどの大事件だったらしく
この事件を題材にした1936年の映画「うたかたの恋」は大ヒット。
タカラヅカでも定番の人気作品となっている。
映画も舞台作品でも、家柄の違いでの悲劇的な純愛物語…として描かれているが、真実はそうでもないようですね…
因みに、ルドルフは24才でベルギーの王女ステファニーと結婚し、一人娘もいた。
妻への愛が冷め、公娼だけでなく多数の女性との関係が増え、体調も精神もひどく悪化していくのと同時に、幼い頃からの父との確執も限界になりつつあったという。
死を決意したルドルフは、先ず公娼ミッツィを心中に誘うが断られたので、17才のマリーを誘ったというのは事実らしい。
両親に対する複雑な思いが諦めとなり、投げやりになっての心中という可能性は高いような… つまり、相手は誰でもよかったかも?
でも、両親に認められたい、愛されたいというのが本心だったのかも?
何が何でも心中しようとしたのは一人で死ぬ勇気がなかったから?
・・・などと、あれこれ妄想したりするのも結構好きな私です。
カトリックでは自殺は罪とされるので、本来ならここに遺体を納棺できないが、
フランツ・ヨーゼフは強行に納棺させたという。
それに対し、マリーは皇太子を誘惑した罪で葬儀もできず
ひそかにマイヤーリンク(心中した場所)近くに埋葬されたそうだ。 -
こちらはエリザベート皇后の棺。
この棺の中にほんとにシシィが眠っているんですねぇ…
しばらく沈黙。 -
3人家族に祈りを捧げ、思い残すことなく、さようなら。
-
地上に出ると、眩しく賑やかな日常。
この小さな教会の広い地下空間に、ハプスブルク家で生きて死んでいった人達が眠っているとは、とても思えない。
ハプスブルク帝国の栄枯盛衰を実感して、カプティナー教会をあとにした。 -
公園などのそばに馬車(フィアカー)がよく待機している。
どの馬たちも信じられないほどおとなしく、行儀がいい。
いったいどうやって躾けるのかなぁ! -
ホーフブルク王宮の旧王宮敷地内にある『ヨーゼフ広場』にやってきた。
中央にはマリアテレジアの息子、ヨーゼフ1世の騎馬像。
背後の建物は『国立図書館』
内部は豪華絢爛で「世界一美しい図書館」と呼ばれているとか(行けばよかった)
それだけでなく稀有な蔵書も多く、とても充実しているんだそうです。 -
左側のこの建物は、『アウグスティーナ教会』
アウグスティン派の修道院教会として、14世紀半ばに建てられた。
(写真はないが、この向かい側にはスペイン乗馬学校がある) -
ヨーゼフ広場を取り囲む建物の一部なので、外観は教会らしくない。
1634年から1918年まで宮廷の為の教会だったので
ハプスブルク家の儀式を行う為の、極めて重要な教会だった。 -
入場すると、真っ白! 天井も壁も白一色で上品なイメージだ。
高い天井からシャンデリアがたくさんぶら下がっていて圧倒されるが
すっきりとした雰囲気。
身廊の奥行は43m、高さ20m、内陣は40m、幅10m。
そんなに広くはない。 -
結婚式も多く行われており、例えば
マリア・テレジアとフランツ1世、エリザベートとフランツヨーゼフ、
ナポレオンとマリールイーズも。 -
側廊。
-
-
後方にはパイプオルガン。
-
ロココ調の美しいパイプオルガンだ。
-
マリアテレジアの次女、クリスティーナの墓碑。
イタリアの彫刻家アントニアカノーヴァによる大理石の傑作。 -
-
長椅子のサイド。
-
馬車が数台通過していくと、蹄の音が反響して響き渡る。
ウィーンらしい光景。
後ろの壁はアウグスティナー教会。 -
モーツァルトグッズ店のウィンドー。
-
『カフェ・モーツァルト』
モーツァルトがよく通ったと言われているカフェ。
ホテルザッハーの隣、オペラ座の裏側に位置する。
「第3の男」の舞台にもなったとか。 -
カフェモーツァルトから見たオペラ座の裏側。
-
その近くのアルベルティーナ広場の下にある泉と彫像。
台座を必死で支えている男達がいかにも重そう・・・(何かの罰か!?)
このように、台座やテラスなどを支える逞しそうな男たちの彫刻がよく目につくが
こういうデザインがお好きな国民性なのでしょうか。
(私は見てるとしんどくなるんですけど…) -
王宮庭園の入口(のひとつ)
-
『王宮庭園(ブルグガーデン)』
ここは、ナポレオン軍が破壊した城壁跡を庭園に造り変えた場所で
ハプスブルク家の人々がよく散策していた庭園。
今は、広大な芝生では、たくさんの人が寛いでいて
カモや魚のいる大きな池もあり、市民の憩いの場となっている。 -
ガラス張りの建物は、「熱帯蝶類博物館」
室内には滝があり、たくさんの美しい蝶が飛び交っているという。
行って見たかったな。 -
南に降りていくと『モーツァルト像』
ウィーンのシンボルとも言える、世界一有名なモーツァルトさん。
通りに面した目立つ場所にある。
(目立たない場所にあるフランツヨーゼフ像は見落としてしまった) -
台座にはバイオリンなどの楽器のオブジェ。
この像は、一番いい時代のモーツァルトを表現しているような?
小学校時代の音楽のノートや教科書でこの写真を見たことを思い出し
ホンモノは写真よりも大きく、美しいなぁ!と感動した私達でした。 -
四季折々の花で表現されている「ト音記号」もちゃんとありました。
これはベゴニアかな。
ここだけ独立したミニ庭園のようになっていて何となく落ち着くスペース。
この真向かいの木蔭にベンチがあり、そこでひと休みすることにした。
ゆっくりとモーツァルトさんを眺めながら水分補給。
未だに忘れられない贅沢な休憩タイムでした。 -
王宮庭園の南側にある『マリアテレジア広場』
中央には、19世紀に建てられた『マリアテレジア像』(逆光でザンネン!)
この堂々たるポーズ! まさに
「皆の者よ、私こそハプスブルク家の女帝、マリアテレジア―――」
というお声が聞こえてきそう。 -
マリアテレジア像を挟んで西側に『自然史博物館』
1871年から10年かけて建てられた。
フランツ1世の鉱物・化石などの膨大なコレクションがメイン。 -
東側には『美術史博物館』1857年の新都市計画の一環として建てられた。
ハプスブルク家が収集した美術品がメイン。
ルーベンス、レンブラント、フェルメールなどが他に類を見ないほど豊富。
内部にはクリムトの壁画もあり、とても豪華なつくりとなっているとか。
(この約10年後、我が家の近くでウィーン美術史博物館展があり、鑑賞した。
素晴らしかったが、やはりこの建物の中での鑑賞の方が感動的だろうな) -
自然史博物館の正面入口。
そっくりな美術史博物館との見分け方は、入口両サイドの旗の色。
イエローが自然史博物館。 -
旗の色がグリーンなのが、美術史博物館。
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ルネッサンス様式のどっしりとした建物だ。
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ウィーンで最も高く大きな座像ということで、
これでもか!というほど大きくて迫力がある。
やはり、マリアテレジアは永遠にオーストリアの誇りなんですね。
テレジアはハプスブルク家繁栄の為に子供達を政略結婚させる事に熱心で
15番目の子供マリーアントワネットをフランスのルイ16世と結婚させたが、
アントワネットの醜聞に悩みつつ、1780年に永眠。
その9年後に起こったフランス革命で、アントワネットをはじめ、
王族貴族は次々処刑され、その後、市民階級の台頭によって時代の流れが急変。
ナポレオンの侵略により、神聖ローマ帝国は消滅し、
ハプスブルク帝国はオーストリア帝国と改名。
そして、各地で民族独立の動きが活発化していった。
娘の処刑を知ることなく、時代の急変を目にすることもなかったマリアテレジアは
ある意味幸せだったのかも? -
幼少のモーツァルトやリヒテンシュタイン公など
マリアテレジアお気に入りだった面々が座像の下を取り巻いている。 -
後ろ側。
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マリアテレジアさんの人生に思いを馳せた後、ナッシュマルクトへ向かった。
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かなり歩いて『ナッシュマルクト』というウィーン最古の生鮮食品市場に着いた。
これは入口のかわいい花屋さん。 -
1㎞以上に渡り、色んな店が並んでいる。
食料品だけでなく、衣料品店もある。 -
フルーツや野菜は日本では見られないものや、色や形が不ぞろいなものも多く
見ていると楽しい!
(食肉関連の店はグロテスクで見るにたえない) -
元多民族国家らしく、様々な国の人が店を出していて国際色豊か。
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ビーンズや香辛料の店。
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軽食のスタンドもあり、賑わっていた。
ナッシュとは、つまみ食いという意味だそうで
好きなものをあれこれつまんで買ったり食べたりできる市場、ということらしい。 -
ナッシュマルクトは、この地下鉄の駅「ケッテンブリュッケンガッセ駅」が終点。
何も買わなかったが、楽しい市場歩きだった。 -
左が『マヨリカハウス』赤いバラが描かれたマジョリカ陶板が外壁に貼られている。
右が『メダイヨンハウス』
19世紀に建てられたオットーヴァーグナーの傑作。
今も一般住宅に使用されている。 -
『マヨリカハウス』の左の建物。
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再び、オペラ座の北側にある『カフェ・モーツァルト』にきた。
さっきは素通りしたが、気になっていたので入ってみた。
手前は夫が注文したビーフサンド。
サンドイッチかと思ってたら、大間違い!
平たいパンの上にすごく分厚いビーフと目玉焼きがデン!と乗っている。 -
私はチキンサラダを注文。
予想以上にチキンが多くて一瞬たじろいだが、
温野菜とクルトンとソースのバランスがよく、おいしかった。 -
初めて頼んでみたホットレモンティー。
ウィーンでは、飲み物を注文すると必ずこのように
水やミルク(これはレモン果汁)、シュガーなどと共に
シルバーのトレーに一人分ずつセットされて出される。
日本のように水を出す習慣は、ウィーンのお水がおいしいことのアピールだとも言われている。
ウィーンの水道水はアルプスの天然水を引いており、ヨ-ロッパでは珍しい水が飲める街でした。
初めてのヨーロッパ旅行なので、初めて知る事だらけだったなぁ! -
デメルでのザッハトルテ以来の食事だったが、
軽めに…と思っていたのに結構なボリュームだったので、これが夕食となった。
美味しかったけどパンは固かった… これが普通なんでしょうか。
モーツァルトさんもこんな固いパンを食べていたのかな? -
カフェモーツァルトの前にある『アルベルティーナ広場』
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アルベルティーナ広場から見たオペラ座裏あたり。
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この奥行のある大きさ!
舞台と客席や楽屋以外にも稽古場や色んな部屋がいくつもあるんだろうな。 -
白いモニュメントは「暴力の門」という、戦争とファシズムへの戒めの記念碑。
ナチスの支配と戦争の悲劇を忘れないために、1989年に創設された。 -
アルベルティーナ国立図書館。
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地下鉄駅近くにあるこの有料トイレは「オペラ トイレット」と書かれていて
オペラの曲が流れている。(それだけ) -
ホテル・シェーンブルンに戻ってきた。
ただいま、シシィさん。
あなたにゆかりのある場所もあちこち巡ってきましたよー
本当にドラマのような人生でしたね…
色々とお疲れ様でした。 -
フランツヨーゼフさん、奥様とすれ違いながらも質素倹約の精神を貫き
多くの素晴らしい功績を残されましたね! 尊敬します!
でも、ハプスブルクの終焉を生きるのは、さぞしんどかった事でしょう…
本当にお疲れ様でした。
この後、部屋でしばらく休憩し、夜8時頃からホテル近くを散策した。
ホテルそばにはヒッツィリング門(シェーンブルン宮殿の門のひとつ)がある。
カジュアルな感じのカフェで軽くスィーツかなんかを食べながら、
しみじみと今日の余韻に浸った。
時間に限りがあって行きたくても行けなかった場所も多いけれど
充実した一日を過ごすことができたので、ヨシとしましょうか!
明日は、3ヶ国目のチェコに向かいます。
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