2007/08/16 - 2007/08/16
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MIUMIUさん
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このブログは、私たち熟年夫婦が撮りためた写真を、
旅の備忘録として整理し、アップしたものです。
コロナ禍で海外に行けない状況が続く中、
昔の旅行の写真を眺めながら過去の記憶を辿り、
その記憶を整理をしていく事は、
脳みその活性化を図る事にもなるかもしれません。(;^^
少しずつでも頑張ってアップしていければいいな、と思っていますが、
10年以上前の旅行なので記録が散逸し思い出せないことも多く、
つくづく、熟年夫婦が老年夫婦になりつつあるのか…と痛感させられます。
2007年の初夏に、偶々旅行社の前を通った時に目に留まったポスタ-。
★★直行便で行く中欧9日間★★
え!? なんやて?!
このポスターに目がくぎづけになった。
若い頃は共産圏だったチェコやハンガリ-。
鉄のカーテンの向こう側の世界、というイメージで、
到底行くことができない未知の世界だった。
しかし、もう既に鉄のカーテンが消滅して久しく、
自由に行き来できる世界となっていた。
ずっと行きたかった中欧・・・ 行きたい!
が、仕事の都合もあるし長期の休みがとれるのか…
いや、直行便なら効率よく行けるかも…
9日くらいの夏の休暇なら何とかなるか…
パンフレットをよく見ると、
機材は全盛期を過ぎて退役も見込まれていたボーイング777。
しかも、定期航路便ではなく
機材まるごとJTBがJALからチャ-タ-した独自のフライト。
加えて、お盆のベストシ-ズン出発。
その割には価格もお手頃な設定ではないか。
よっしゃ、決定!
ツア-は団体行動なので現地での行動は制約されてしまうが、
自由行動の日も結構あるし、
ヨーロッパ旅行ビギナ-にとっては、予行演習?として丁度いいか。
…というわけで、即!電話で妻と相談して申し込み完了!
(妻は兼ねてよりオーストリアに行きたいと繰り返していた)
現在、大型ジェットはA380がありますが、
もう今では乗るこのとできないジャンボジェットでの海外往復、
それも今ではあり得ない直行便。
とても貴重な体験になったと思います。
当時の写真を見ながら振り返っていると、
もっと良いカメラを持っていけば、もう少しはきれいな写真を残せたのに・・・と悔やまれますが…
記念としてパンフレットは保存していました。
店頭で配られていたものなのでアップしますが、
問題があるようでしたらお教えください。
=== 全日程 ===
2007年
◆ 8/10(金)11:30 関空発
15:25 ハンガリー ブダペスト空港着
ブダペストのホテル到着後フリータイム 旧市街散策
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11738849
◇ 8/11(土)午前=ブダペスト市内観光ツアー
午後=フリータイム ペスト地区の旧市街を散策
夜=ドナウ川ディナークルーズ
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11738863
◇ 8/12(日)ドナウベント地方の村、城塞、大聖堂を観光の後
オーストリア ウィーンへ
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11738871
◇ 8/13(月) 午前=シェーンブルン宮殿と市立公園のツアー
午後=フリータイム 旧市街を散策
夜=楽友協会ホールにてコンサート鑑賞
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11739176
◇ 8/14(火) 終日フリータイム
リング通り内側の聖堂、教会、王宮、庭園、市場など
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11741986
◇ 8/15(水) チェコ チェスキークルムロフを観光の後
プラハへ
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11741982
◇ 8/16(木) プラハ旧市街の観光ツアー
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11743721
◇ 8/17(金) フリータイム 旧市街を散策
20:00 プラハ空港発
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11743727 ←今ここ
◇ 8/18(土) 14:15 関空着
【9】 https://4travel.jp/travelogue/11743731
2022.06.01 Release
2022.06.04 Update
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
【8/16(木)】
昨日までとは真逆の広すぎる部屋で目覚め、何だか落ち着かなかった(^^;)
昨日、ウィーンからチェスキークルムロフを経由して、夜プラハに到着。
宿泊しているトップホテルはプラハ郊外にあるので、窓からの景色はこんな感じだ。 -
大きなホテルなので、駐車場がすっごく広いんですね(なぜにガラガラ?)
-
広いレストランで定番のバイキング形式の朝食。
今日は一日じゅうプラハ市内を観光します。
バスで8時頃出発、先ずはプラハ城に向かった。 -
『プラハ城』は、「フラチャニ」という城地区の小高い山の上にあるので、
バスで行けるところまで行き、なだらかな坂を少し歩いてプラハ城に向かった。
…ような気がする。
ガイドの日本人男性がとてもユニークだったなぁ!今でも忘れられない。
面白いけど毒舌交じりで、実にわかりやすい説明をしてくれるのだ。 -
門番役の衛兵。
この時初めて衛兵さんを見たので、マジで直立不動なんだ!と驚いた。
ガイドさんによると、衛兵はチェコの若者たちの憧れの存在で、毎年試験がある。
18から22才までと決まっており、身長や容姿も審査の対象となる狭き門だとか。
アイドル的存在なので、ま、日本のジャニーズみたいなもんですねぇ
とのこと。 -
プラハ城の正門前付近。
プラハ城は一般的な城とは少し違い、
旧王宮・ヴィート大聖堂・聖ジョージ(イジー)大聖堂・宮殿
が広い敷地内に建っていて、全て込みでプラハ城ということになる。 -
2年後の2009年4月5日にバラク・オバマ大統領がこのフラチャニ広場で演説した。
あの時はイランを悪者にして、全世界に核廃絶を訴え、人々が感動した。
ケネディ以来の名演説ということで、ノーベル平和賞を手にした。
演説の原稿やCDが本屋の店頭に並び、飛ぶように売れた。
あれはいったい何だったのかと今更ながら思う。 -
『大司教の館』
フラチャニ広場でひときわ立派な建物。
この中で、映画「アマデウス」の撮影が多く行われたんだそうです。 -
プラハ城から、プラハの街を望む。
チェスキークルムロフと同じく、テラコッタ色の屋根と白い壁で埋め尽くされている。 -
14世紀、プラハは神聖ローマ帝国の首都となり、文化と芸術が発展した。
その時代の建てられた多くのゴシック建築の建物や
ハプスブルク家統治時代に建てられた、ルネッサンス、バロック、ロココ様式の
多くの貴族の館、
19世紀末から20世紀初頭に建てられたアールヌーボーの館、
そして近年のポストモダンの建物などが、プラハの街の中に凝縮されているのだ。 -
プラハ城の正門。
-
この方たちはチェコに因んだ曲を演奏していたが
私達日本人のグループが近づくと、「モルダウ」を演奏し始めた。
ガイドさん曰く「日本人がモルダウ大好きだから、曲を変更しました」
(ガイドさんの音声はイヤホンで聞いている為、他には聞こえていません) -
正門の像は「戦う巨人達」とのことだが
どう見ても、子供を殴ろうと(叩きのめそうと)している巨人にしか見えない。
こういうパターンの像はウィーンにもあったし、
この旅行以降もヨーロッパのあちこちで見かける。
正門上の像ということは、城の象徴だと思うけど・・・深い意味があるのか?? -
正門をくぐると『第一の中庭』に入る。
第一の中庭はこじんまりしていて、
正門の外からこの建物(大統領府の一角)が見えている。
国旗が揚がっているかどうかで大統領がいるかどうかがわかるようになっていると、
ガイドの説明があったが、今はセキュリティ上、そのようにはなっていないと思う。 -
そして、第一の中庭から、このマーチャーシュ門をくぐって『第二の中庭』に入る。
-
マーチャーシュ門の内側。
-
-
第二の中庭は第一の中庭の2倍以上の広さ。
-
旧マリアテレジア宮殿、現在は大統領府。
プラハ城は10世紀から、皇居、国家元首の官邸、司教の住居として使用されていて
現在は主に大統領府になっている。 -
チェコの前進であるボヘミア国王の遺物や、キリスト教の遺物、
多くの芸術品や歴史文書なども保管されていて、重要な記念館になっている。 -
コール噴水。
-
続いて『第三の中庭』に入ると、『聖ヴィート大聖堂』がそびえ立っている。
チェコの王族の戴冠式も行われていた伝統ある格式高い教会。
元々この場所には10世紀からヴァーツラフが建てた教会があったが、
1334年、カレル1世がゴシック様式の大聖堂建築に着手。
が、フス戦争や資金難により中断したり、進行が遅れたり、改築したり…で
1929年にやっとこさ完成!
なんと、600年もかかったことになる。
この2本の塔は、高さ82mと97m。
全長124m、幅60mという巨大さ! -
西側の入口から入場する。
予約しておかないと入れない。 -
入場までに約10分、このように並んで待ったが
ガイドさんのユニークな話で全く退屈しなかった。
東洋からの観光客に対しての皮肉交じりの話は、ツボを押さえて面白かった。
この市内観光でガイドさんは、現地の日本人(サラリ-マン風の中年男性)で、
休みを利用してガイドのアルバイトしているとしか考えられない。 -
並んでいる時に見上げると、ガーゴイルが口を開けている。
この時が、ガーゴイルとの記念すべき!?初対面だった。 -
この旅行以降、ヨーロッパのあちこちの教会で必ず会えるガーゴイル達、
とても表情豊かなので、作り手の遊び心が感じられて楽しめる。
この時ガイドさんから、これは雨水排出用であり、口から弧を描いて排水される、との説明があり、
怖いというか、不気味な顔が多いのは魔除けの意味もあるのかなぁと思った。 -
よく見たら、たくさんの見事なガーゴイルが突き出ている。
勢いよく口から排水しているところを見てみたいものだ。
以後の旅行先で建物外観を観察する時、ガーゴイルが外せないアイテムになった。
日本語では樋嘴(ひはし)と言うらしいけど、ガーゴイルがしっくりくる。 -
ヴィート大聖堂に入場。
-
先ず、巨大なステンドグラスにビックリ!
どのステンドグラスにもキリストや守護聖人などのストーリィが表現されている。 -
それぞれの礼拝堂にあるステンドグラスは、どれも大きく美しい。
-
高ーい天井!
装飾はなくシンプル。 -
聖堂は、空から見ると十字架の形になっているというのを
この時に初めて知った。 -
ミュシャ作の美しいステンドグラス。
ミュシャがこんな歴史的大聖堂のステンドグラスを作っていたなんて!
と驚いた。
ミュシャはプラハの誇りなんですね。 -
デザインも色彩もミュシャらしさがあって見とれる美しさ。
キリストがスラブ諸国を祝福している様子が描かれているそうです。 -
-
-
入口の上部にあるバラ窓。
バラ窓はゴシック様式の教会特有のステンドグラスだ。 -
-
重厚感のあるパイプオルガン。
上部のパイプ先端の装飾が特に豪華だ。 -
身廊や通路などは、ネオゴシック様式。
-
守護聖人、王族、貴族、大司教が多く埋葬されていて
いくつもの礼拝堂がある。 -
-
ヤン・ネポムツキーの墓。
2トンの銀で造られている。ということで、たくさんの人が集まっている。 -
ヤン・ネポムツキーはボヘミアを代表する聖人だが、
国王ヴァーツラフ4世に王妃の懺悔内容を明かさなかった為、
捕らえられて拷問を受け、死去。
遺体がカレル橋からモルダウ川に投げ込まれた、と伝えられている。
あくまで伝説なので真実かどうかは謎のようだ。 -
これは一番の見どころという「聖ヴァーツラフの礼拝堂」を外から見ているところ。
中には入れないので、こうやって入口から見るしかない。
(足元にロープが写っている) -
入口から撮った写真。
壁画には聖人たちの人生が描かれていて、壁は金と宝石で埋め尽くされている。
赤色っぽいのは、ガーネットとゴールドが輝いているから。 -
ボヘミア技術の大傑作と言われている礼拝堂だったが、
じっくりとは見れなかったのであまり印象がない。
この後、外に出た。
とにかくもの凄い人だった。 -
大聖堂が完成するまでは、この南側の「黄金の扉」が入口だった。
-
完成するまでに膨大な年月を費やす大聖堂は、
未完成の状態からでも教会として使用されるんですね。 -
-
第三の中庭から、旧王宮のある『聖イジー広場』に入った。
これは「聖イジーの泉」と呼ばれる小さな噴水と聖イジー像。 -
聖イジー(子供?)が竜を退治している場面だとか。
ガイドさん曰く「竜がなんでこんなに小さいのか、いつも不思議に思っている。
トカゲをいじめてるようにしか見えないでしょ」
ほんとほんと! その通り!
そしてこの旅行以降、ヨーロッパのあちこちで、このような像に遭遇したのでした。 -
イジー広場から見上げる聖ヴィート大聖堂。
-
『新司教座聖堂参事会』の建物。
-
赤い教会はロマネスク様式の『聖イジー教会』
10世紀前半に建てられたプラハ最古の教会。
現在は、中世ボヘミア絵画のギャラリーとなっている。 -
『聖イジー修道院』
-
聖ヴィート大聖堂の後部。
-
『白塔』
-
聖イジー広場から緩やかな坂道のイジー通りをおりていく。
右側の建物は、『旧貴婦人学校』貴族の娘の為の学校だった。
先に見えているのは『黒塔』
城内から出口に向かって歩いています。 -
黒塔の横にある門では、ちょうど衛兵の交代が始まっていた。
30分毎に交代するそうで、その様子は名物?になっている。 -
まるで人形のようなキビキビした直線的な動き!
-
一種のショー?
とても楽しめました! -
交代したばかりの衛兵さんとツーショット。
これから30分間、虫が止まっても痒くても、ジッと耐えて下さい! -
城門を出て、更に長い石段を下りていき、今度は市内を歩いていった。
-
プラハの起源は6世紀後半にスラブ人が造った集落であり、
中世から近世にかけて発展を続けたが、その間、何度も大きな戦争に巻き込まれた。
第二次世界大戦ではナチスドイツに占領され、
約40年間、旧ソ連の影響で社会主義国となったが
1989年に社会主義政権が崩壊した。 -
プラハは千年の都のひとつであり、世界で唯一、市全体が世界遺産に指定されている。
あらゆる時代の建築物が遺されており、
ロマネスク・ゴシック・ルネッサンス・アールヌーボー・アールデコなど、
様々な建築様式を見ることができるので、「建物の博物館」とも言われている。 -
『カレル橋』は、モルダウ川に架かる、砂岩でできたアーチ橋。
1357年から1402年にかけて、神聖ローマ皇帝カール4世の時代に建設された。
全長516m、幅9.5m、15のアーチがあり、カンパという中州を跨いでいる。
プラハ城の麓のマラー・ストラナ地区と旧市街を繋いでいる。
年じゅう観光客でごったがえしているという人気の橋。 -
早速カレル橋に上がってすぐに振り返ると、マラー・ストラナ地区の景色が広がり
2つの橋塔の間に聖ミクラーシュ教会の屋根が見える。 -
マラーストラナ地区側の川沿い。
-
上流側を望む。
モルダウ(ヴァルタヴァ)川は、エルベ川の支流であり、
ボヘミア盆地からプラハを通過し、北ドイツから北海に流れ込む
チェコ最長の河川。 -
橋の中ほどにある、ひと際大きく立派な聖ネポムツキーの像。
さっきの聖ヴィート教会に銀の墓があった、ヴァーツラフ4世に疑いをかけられて殺害され、カレル橋から投げ込まれたという、あの聖ネポムツキーだ。
台座には殺害の様子が描かれている。 -
逆さに吊るされたネポムツキーを触ると幸運が訪れる、
ということで、みんながこうやって触るので順番待ちの列ができている。
一応やっとかないとね!
もう、聖ネポムツキーさんは金ピカのツルツルです。
(左にある犬の部分を触ってる人もいますが、
あの犬は無関係!触っても意味なし! とガイドさんからのアドバイスあり) -
旧市街側の景色。
これは、国民劇場。チェコ国民の寄付によって建てられた劇場。
気軽なコンサートやチェコ語によるオペレッタなどが行われているという。 -
カレル橋の旧市街側のたもとに近くにある、スメタナ博物館。
-
カレル橋には欄干の両側に15体ずつ、計30体の聖人像が並んでいるが、
これは一番古いものでも17世紀、あとは18世紀から19世紀に付け加えられたもの。
なので、殆どレプリカみたいなものですから…とガイドさん。(^-^; -
遠くに、プラハ城の聖ヴィート大聖堂が見える。
-
旧市街側に近づいてきた。
旧市街は1232年にヴァーツラフ2世によって造られた。
1253年に、街全体を取り囲む城壁が造られ、城下町として発展。
そして、独自の文化が生まれ、芸術家、作家、作曲家、研究者などが多い。
(スメタナ、ドボルザーク、カフカ、ミュシャ、アインシュタイン etc) -
カレル橋から見る、旧市街側の橋塔。
中に入れるらしく、グループの若い男性が上の方まで行ったとか。
降りてきてから「窓からみんなに手を振ったのに、誰も気づいてくれなかった」と
ぼやいていた。(笑)
ということは、カレル橋は自由に歩き、ここで集合だったんだと思い出した。 -
旧市街側から、マラーストラナ地区側を望む。
-
プラハを象徴する素晴らしい景色。
-
カレル橋から旧市街広場に向かった。
正面は『クレメンティヌム』のカレル大学の図書館。
17世紀にはイエズス会の拠点(修道院)だった建物。
クレメンティヌムとは、ハプスブルク家から保護されていた地区で
2ヘクタールの敷地に3つの教会、礼拝堂、図書館、天文台などがあった。 -
『旧市街広場』は常に多くの観光客で賑わっている。
11世紀頃にここが街の中心となり、次第に形成された広場。
この時は、旧市庁舎の一角にある『時計塔』を囲むように人がたくさん集まっていた。
時計塔は、天文(カラクリ)時計として有名で、
12時に開始なので、それを待っているわけです。 -
ガイドさん曰く
「この仕掛け時計は、そんなに驚くほどの仕掛けはないが、
15世紀に造られた世界最古の天文時計。ということに大きな価値がある」との事。
確かに、上部の窓から順に聖人の人形が出てくる、というシンプルな仕掛けだった。 -
サイドから見た時計塔。
-
『聖ミクラーシュ教会』 旧市庁舎のそばにある。
12世紀に建設されたフス派信徒の礼拝所。
マラーストラナ地区に同じ名前の教会があるが、
同じ建築家によって18世紀前半にバロック様式に建て替えられている。
定期的に小規模のコンサートが開かれているそうです。 -
広場に面して建つ『ゴルツキンスキー宮殿』
2階3階は、国立美術館。 -
広場の周囲のカラフルな建物は、18世紀から19世紀の貴族の館。
今は、殆どが飲食店やホテルや店舗になっている。 -
スワロフスキーの店。
午後はフリータイムとなったので
先ず、広場から伸びるこの路地を進み、できる限りの街歩きスタート! -
世界遺産になっている『プラハ歴史地区』について…
歴史地区とは、モルダウ川東側の旧市街から南の新市街にかけてと
モルダウ川西側のフラチャニ地区(城のある地区)、マラー・ストラナ地区である。 -
オペラ「ドンジョバンニ」を公演中の歌劇場。
-
ユニークなショーウィンドーを見るのも楽しい。
-
『ヴァーツラフ広場』に着いた。
全長750m、幅60mの広大な通りが広場となっている。
プラハ最大の繁華街で、市民に愛され続けている広場。 -
ヴァーツラフ広場の突き当たりの建物は『国立博物館』
-
不動産会社のショ-ウインドウ。どんな建物が新築されているのか興味がある。
-
ヴァーツラフ広場にあるレストランでランチ。
これはクリームパスタのような?
思ってたよりパスタがごっつい! -
ピザ、マルゲリータ。
思ってたよりでっかい!
でも美味しかったと思う。 -
鍛冶屋のような事をしている屋台があった。
モノ珍しそうに見入っております(笑) -
あの「プラハの春」の舞台となったヴァーツラフ広場。
-
ヴァーツラフ広場の両側には、
レストラン・デパート・ホテル・レストラン・カフェなどが建ち並んでいる。 -
デパートに入ってみたら、こんな雰囲気。
天井は明り取りのガラス窓になっている。 -
ヤマハのオフロ-ダ-テレネ。単気筒だけれど力強く乗りやすいバイクだ。
-
BMWの水平対向エンジンと直列4気筒エンジンのバイクが並んでいる。
どちらもその当時の新型バイクだ。 -
マンマ・ミーア!
劇団四季の舞台は何度か観たけど、ここでも公演しているんだなぁ!
観てみたかったな。 -
-
ヴァーツラフ広場から横に伸びている通り。
-
花壇やベンチスペースのある広い中央分離帯を挟んで
両側が車道と歩道になっている。 -
突き当りの国立博物館の前にある、聖ヴァーツラフの銅像。
社会主義時代に起こったこのヴァーツラフ広場での歴史的な2つの出来事。
ひとつは、1968年、自由化運動の勢いを弾圧するために、
ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入を開始。
ソ連軍の戦車がここに続々とやってきて、多くの市民が抵抗。
この銅像の前に座り込んだりした。
それ以来、ヴァーツラフ広場は、自由化運動の象徴となったという。 -
もうひとつの出来事は
1989年、市民フォーラムが結成され、自由化運動が更に加速化していき
この広場では連日のように集会やデモが行われていた。
市民フォーラムの最高指揮者(元劇作家)のヴァーツラフ・ハベルが
この広場の建物バルコニーから声明を発表し、市民はゼネストに突入。
なんと20万人以上の市民がここを埋め尽くしていた。
そして、自由選挙でハベルが大統領となった。
約40年ぶりに非共産党員の大統領が誕生した。
これが、有名な「ビロード革命」
ビロード革命は無血革命とか非暴力的革命と言われているが、
長きにわたる自由化運動では多くの犠牲者が出ているわけで
映像で、命をかけて自由を求める人達を見ると胸が詰まる。
愛国心とは…と考えてしまう。 -
国立博物館は、ネオ・ルネッサンス様式の重厚な建物だ。
ヴァーツラフ広場の象徴として堂々と建っている。
階段ホールは特に見事な壮麗なつくりだそうで、
入りかったが閉館していてザンネンだった。 -
階段ホールは、ミッションインポッシブルのアメリカ大使館内のパーティーシーンのロケにも使われたそうです。
-
聖ヴァーツラフ像の後ろ側。
台座に座らせていただいて、ちょっと休憩。 -
ヴァーツラフ広場から再び街歩きスタート。
-
-
-
-
-
子供達が輪になって楽しそうに楽器を演奏している銅像。
袋を持っているのは、お土産か何か買ったんだな。 -
街中を市電が巡っている。
歩き回って疲れてきたので、ベンチで一休み。 -
-
『火薬塔』 ツェレトナー通りにある黒っぽい塔。
15世紀に建てられた。
元々旧市街を囲む城壁にあった門のひとつで、17世紀に火薬倉庫に使用されていた。 -
火薬塔の横の通りを挟んですぐ隣に、市民会館がある。
-
『市民会館』全景。1911年に建てられた。
この優美なアールヌーボー様式の建物が市民会館とは!
外壁の半円形の部分にはミュシャの絵が描かれていて、目をひく。
ここには15世紀に王宮があったとか。
有名な「プラハの春 国際音楽祭」は1階のスメタナホールで開催されている。
1階には素敵なレストラン「カヴァルナ・オベツニードゥーム」
があるというので、ここで休憩することにした。 -
入口にもミュシャの絵。
-
なるほど! いい感じ。
-
一度火事で全焼し、寄付によって再建されたとか。
地元に愛されている建物なんですね。 -
このケース内のケーキ、全て100コリント。
-
アイスカフェ、ベリーのケーキ、メランジェを注文。
-
大好きなミュシャの絵に囲まれた素敵な空間でのティータイム!
嬉しそうだなぁ私…
このケーキは甘すぎずとても美味しかったのを覚えている。 -
メニューもミュシャ。
-
メニューの表紙も。
明日、ミュシャのミュージアムに行く予定だ。 -
満足度高いティータイムの後は、再び街歩き。
ツェルトナー通りを更に進んだ。
外国の観光客の方もガイドブックを見ながら街歩き。
横の女性は何やら撮影しているが、当時はスマホではなく携帯電話。 -
バルコニーの柱を苦しそうな形相で支える男たち…
この辺にはこのような彫刻が多いのはなぜだろう。
見ているとつらくなり、自分の首が痛くなる気がするんですけど・・・
ウィーンにあったのはカリアティド(女性像柱)だけど、
こちらは兵士らしき力強い男性像。 -
ボヘミアングラスの店が多い。
買わなかったが、こんなショーウィンドーを見るのは楽しい。 -
マトリョーシカの店も多い。
マトリョーシカだけでこの広さ! -
再び旧市街広場に戻り、時計塔に上った。エレベーターがあるのでラク。
しばし、時計塔からの素晴らしい眺望を堪能!
360度の景色を見ることができるので、満足感がある。 -
「プラハは塔の街」といわれるだけあって、本当に塔が多いなぁ!
-
旧市街広場を見下ろす。
右上の建物の屋上にレストランらしきものが見えた。
建物はホテルらしい。
後ほどじっくりチェックすることに。 -
-
窓にガラスなどないので、下を覗くと少し怖い。
-
テラコッタ色の屋根と街並みの美しさは、本当に見飽きない。
-
ひと際高い二本の塔(少し高さが違う)が印象的な『ティーン教会』が見える。
元々10世紀に建造され、この姿になったのは14世紀。
15世紀前半には改革派フス派の本拠地となっていた。 -
-
ブルーのシートに囲まれているのは、ヤン・フス像。
修理中のようで、見ることはできなかった。
ヤン・フスはチェコの英雄として敬愛されている。 -
ミクラーシュ教会。
-
遠くにプラハ城。
-
アップ。
カメラの性能が低いのでこの程度。 -
-
ん? あれはなんだ?
-
屋上レストラン?
-
何だかいい雰囲気だなぁ!行ってみたいな!と思い、
翌日ランチしに行った。 -
-
上から見ると。タイルの幾何学模様が美しい。
人型が蟻のようだ。 -
テントは全てカフェレストラン。
-
ボヘミアの宗教戦争続きの歴史上、この旧市街広場では処刑も行われていたというが
今は平和で穏やかな広場となっている。 -
馬車も上から見ると、馬たちが可愛く見える。
-
これがエレベーター。時計塔の中央にある。
写真撮りまくって満足し、下に降りた。 -
この後、多分メトロでホテルに戻った。
-
そして、ツアー仲間全員でバスに乗り、夕食会場のこのレストランに向かった。
そういえばこんな事があった。
このバスの中で、一人の年配の男性が夫の小学校、中学校の先輩だとわかったのだ。
ご夫婦で来られていて結構よく話していたが、今になってそれが発覚するとは!
えーー!とビックリしていたら、周りのみんなが「なになに!?」と聞いてきて
説明したら、一同、ヘェーー!すごぃ偶然! と大笑い。
添乗員さんも、時々こういう事あるんですよー!と盛り上がった。 -
どこのレストランだったか…(メモが残っていない)
マラーストラナ地区だったような?
団体客に向いてるような広い郷土料理店っぽいレストラン。 -
テーブルの真ん中にドーンと置かれたオードブル。
サラミ、ハム、チーズと野菜。
この夕食が最後の全員での夕食会、つまり打ち上げとなる。
すっかり打ち解けたメンバーと和やかに盛り上がり、賑やかなディナーになった。 -
最後だから… と、アルコールを飲めない夫もチェコビールを注文。
ほとんどの人が注文して、乾杯!
私も少し飲んでみたら、コクと甘味があって美味しかった。 -
いい飲みっぷり!
格好だけであまり飲んでいない。 -
メインはハムステーキ?
メニューはたいしたことなかったけど、とにかく笑いっぱなしの楽しい時間だった。
一人ずつこの旅の感想を発表していき、突っ込んだり突っ込まれたり…
添乗員さんもワィワィと一緒に食事しながら、
このグループのメンバーについて感じたことや、
今までの旅のハプニングなどを語って下さった。 -
ふんわりしたドーナツもようなケーキに生クリームが挟んであったような?
これがデザート。
盛り上がったうちあげ夕食会が終わり、またバスでホテルへ戻った。
いよいよ明日は最終日!
15時まではフリータイムなので、ギリギリまでプラハを歩き回るぞー!
(若かったなぁ・・・)
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旅行記グループ
2007 日航ジャンボで行った中欧9日間
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2007/08/15~
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中欧3ヶ国9日間の旅【9】プラハで目いっぱいのフリ-タイム⇒夜、帰国の途へ
2007/08/17~
プラハ
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中欧3ヶ国9日間の旅【1】関空からジャンボジェット直行便でハンガリ-へ
2007/08/10~
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2007/08/11~
ブダペスト
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中欧3ヶ国9日間の旅【3】ハンガリーのかわいい村センテンドレ→ヴィシェグラード城塞→エステルゴム大聖堂→ウィ...
2007/08/12~
ドナウベント
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中欧3ヶ国9日間の旅【4】ウイーン1日目(前半)感動のシェーンブルン宮殿見学の後、市立公園へ
2007/08/13~
ウィーン
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中欧3ヶ国9日間の旅【5】ウイーン1日目(後半)楽しいクンストハウス→夜は楽友協会コンサート
2007/08/13~
ウィーン
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中欧3ヶ国9日間の旅【6】ウイーン2日目 ハプスブルクの足跡を辿り、宮殿・教会・庭園などひたすら街歩き
2007/08/14~
ウィーン
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中欧3ヶ国9日間の旅【7】3ヶ国目のチェコへ!感動の古都、チェスキ-クルムロフ
2007/08/15~
チェスキー・クルムロフ
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中欧3ヶ国9日間の旅【8】驚きのプラハ城→賑やかなカレル橋→歴史ある旧市街へ
2007/08/16~
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2007/08/17~
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旅行記グループ 2007 日航ジャンボで行った中欧9日間
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