2007/08/13 - 2007/08/13
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MIUMIUさん
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このブログは、私たち熟年夫婦が撮りためた写真を、
旅の備忘録として整理し、アップしたものです。
コロナ禍で海外に行けない状況が続く中、
昔の旅行の写真を眺めながら過去の記憶を辿り、
その記憶を整理をしていく事は、
脳みその活性化を図る事にもなるかもしれません。(;^^
少しずつでも頑張ってアップしていければいいな、と思っていますが、
10年以上前の旅行なので記録が散逸し思い出せないことも多く、
つくづく、熟年夫婦が老年夫婦になりつつあるのか…と痛感させられます。
2007年の初夏に、偶々旅行社の前を通った時に目に留まったポスタ-。
★★直行便で行く中欧9日間★★
え!? なんやて?!
このポスターに目がくぎづけになった。
若い頃は共産圏だったチェコやハンガリ-。
鉄のカーテンの向こう側の世界、というイメージで、
到底行くことができない未知の世界だった。
しかし、もう既に鉄のカーテンが消滅して久しく、
自由に行き来できる世界となっていた。
ずっと行きたかった中欧・・・ 行きたい!
が、仕事の都合もあるし長期の休みがとれるのか…
いや、直行便なら効率よく行けるかも…
9日くらいの夏の休暇なら何とかなるか…
パンフレットをよく見ると、
機材は全盛期を過ぎて退役も見込まれていたボーイング777。
しかも、定期航路便ではなく
機材まるごとJTBがJALからチャ-タ-した独自のフライト。
加えて、お盆のベストシ-ズン出発。
その割には価格もお手頃な設定ではないか。
よっしゃ、決定!
ツア-は団体行動なので現地での行動は制約されてしまうが、
自由行動の日も結構あるし、
ヨーロッパ旅行ビギナ-にとっては、予行演習?として丁度いいか。
…というわけで、即!電話で妻と相談して申し込み完了!
(妻は兼ねてよりオーストリアに行きたいと繰り返していた)
現在、大型ジェットはA380がありますが、
もう今では乗るこのとできないジャンボジェットでの海外往復、
それも今ではあり得ない直行便。
とても貴重な体験になったと思います。
当時の写真を見ながら振り返っていると、
もっと良いカメラを持っていけば、もう少しはきれいな写真を残せたのに・・・と悔やまれますが…
記念としてパンフレットは保存していました。
店頭で配られていたものなのでアップしますが、
問題があるようでしたらお教えください。
=== 全日程 ===
2007年
◆ 8/10(金)11:30 関空発
15:25 ハンガリー ブダペスト空港着
ブダペストのホテル到着後フリータイム 旧市街散策
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11738849
◇ 8/11(土)午前=ブダペスト市内観光ツアー
午後=フリータイム ペスト地区の旧市街を散策
夜=ドナウ川ディナークルーズ
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11738863
◇ 8/12(日)ドナウベント地方の村、城塞、大聖堂を観光の後
オーストリア ウィーンへ
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11738871
◇ 8/13(月) 午前=シェーンブルン宮殿と市立公園のツアー
午後=フリータイム 旧市街を散策
夜=楽友協会ホールにてコンサート鑑賞
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11739176 ←今ここ
◇ 8/14(火) 終日フリータイム
リング通り内側の聖堂、教会、王宮、庭園、市場など
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11741986
◇ 8/15(水) チェコ チェスキークルムロフを観光の後
プラハへ
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11741982
◇ 8/16(木) プラハ旧市街の観光ツアー
【7】 https://4travel.jp/travelogue/11743721
◇ 8/17(金) フリータイム 旧市街を散策
20:00 プラハ空港発
【8】 https://4travel.jp/travelogue/11743727
◇ 8/18(土) 14:15 関空着
【9】 https://4travel.jp/travelogue/11743731
2023.09.02 EDIT
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
-
【8/13(月)】今日は文句なしの晴天。
ホテル内レストランで朝食をとり、8:30 出発。
バスで宮殿の正門まで移動した。5分ほどで到着。
(ホテルは宮殿の敷地そばにあるので徒歩で行くとばかり思っていた)
バスにはガイドの日本人女性が同乗しており、ランチタイムまでずっと共に行動した。
このガイドの女性は私たちより年配で、シャキッとした方で言葉使いも上品だった。
日本のマスコミの取材があって、ウィ-ンを紹介する番組の話をしていたから、現地の日本人会の方かもしれない。
これは、正門を入ったところ。
本日の予定は、午前中はシェーンブルン宮殿と市立公園など。
午後はフリータイム、夜は楽友協会でコンサート。 -
宮殿内は撮影禁止なので、次の写真はもぅ庭園側から見た宮殿となっている。
見学ツアーは、約20室を廻るインペリアルツアーと
約40室を廻るグランドツアーがあるが、私達はグランドツアーだった。
1室に1グループというルールがあるので、常に部屋には私達のツアーグループだけ。
一般客もいたが、そんなに多くはなかったので静かにじっくりと見学できた。
その部屋ごとの解説を、私はいちいち感動しながらひと言も聞き洩らすまいと耳をそばだて、目を皿のようにして見学していたように思う。
特に印象的だったのは、鏡の間と呼ばれる全長43mの大ギャラリー(大広間)。
天井には、ハプスブルクの領地各地の景色が描かれ、
マリアテレジアが、来客に絶対的な権威を示そうとしていたことがわかる。
大宴会や舞踏会が夜な夜な行われていたその広間の豪華さには圧倒されるが
ズラリと並ぶ大きな黄金のシャンデリアが手彫りの木製だということに驚いた。
あと、暖房の方法とか、隠し部屋、秘密の通路などにもびっくり!
この時から何度か色々な宮殿を見学したけれど
今思い返してみても、このシェーンブルン宮殿ほど感動した宮殿は他にはない。
初めてだったから余計に印象が強いというのもあるだろうけど。。。
多民族の文化を尊重したマリアテレジアらしく、多種多様な部屋があるが
中国風、南国風の部屋もあったのには驚いた。
そして、ただ絢爛豪華というだけではなく、
この宮殿内で生きて死んでいった王族や使用人たちの生き様まで理解できる解説もとてもわかりやすかったのが、印象を深くしたのだと思う。 -
シェーンブルン宮殿はウィーンの郊外にあり、
ハプスブルク家の夏の離宮として長らく使用されていた。
1996年にユネスコ世界遺産に指定された。
シェーンブルンとは「美しい泉」を意味し、
17世紀にはこのあたりに王族の狩猟館があり、
ここに美しい泉が発見されたことが、その語源になっているという。 -
シェーンブルン宮殿の歴史をざっくりと・・・
元々、オスマン帝国の脅威が去った後、
1696年にローマ皇帝レオポルド1世がここに宮殿を建てることを計画。
下降気味の神聖ローマ帝国の権威を再度広く知らしめるのが第一の目的で、
ベルサイユ宮殿を参考にしつつ、更にそれを凌ぐ規模を計画したという。
しかし、ハプスブルクの財政難で大幅に縮小され、
1730年、バロック様式で建てられたが、
1750年、マリア・テレジアが17年かけてルネッサンス風に改修。
4階建てで部屋数は1441室、使用人1000人以上。
外壁は金を塗装する予定だったが財政的に無理だった為、黄金色に近い黄色にしたという。
(マリア・テレジアがこの黄色が好みだったから、
マリア・テレジアイエロー、というのは違うんですね)
第二次世界大戦でアメリカの爆撃でかなり破壊されたが、その後修復.
現在は、観光用に保護管理されており
4階の一部(元使用人の部屋)は250世帯の住居となっている。
公務員や著名人限定ということで、家賃は驚くほど安い。
代々住み続ける家族が殆どなので常に空きはなく、新規での入居など無理だとか。
テレビでも詳しく紹介されていたが、規則が多くて暮らしやすくはなさそう。
でも、窓からはこの庭園が望めるし、誇りを持って生活されているんですね。
ハンガリーの作曲家シルベスター・リーヴァイも住んでいるそうです。 -
在位1740年から1780年のマリアテレジアについて、ザックリと・・・
1736年、フランツ・シュテファンと恋愛結婚。
フランツは自然科学に大変な興味を持ち、政治的な事には興味がなかった。
でも、とってもいい人だったので(多分)終生夫婦仲は良かった。
1740年、父親のカール6世が突然崩御すると、周辺国がハプスブルクの領地を奪うべく攻め込んできた(オーストリア継承戦争)。
当時23才のマリアテレジアは政治関連の教育は全く受けておらず
周辺国のみならず、領地各地からも無能だとバカにされてしまう。
しかし、その後努力と苦労を重ね、語学も堪能になり、
次第に政治的才能が発揮されていき、広く認められる存在となった。
父から贈られたシェーンブルン宮殿を大改造したのも
内外に自らの権力を誇示するのが目的だった。
また、言葉も習慣も違う多民族間をまとめる為、公平に徹していた。
多民族の文化を尊重した結果、ウィーンの人口は20万人を超え、
芸術家も多く集まった。(テレジアは特に音楽好き)
現在ウィーンが「芸術の都」「音楽の都」と呼ばれるようになったのは
マリア・テレジアの芸術愛がルーツだったのではないかと思う。
また、継承問題に有利になることを一番の目的とし、16人の子供をなしたが、
障害を持つ子供には冷酷だったり…と偏愛が酷かったのは有名な話…
因みに、可愛いマリーアントワネットは二番目に愛していたとか。
(とかく天才的な人は多面性を持つと言うけど、まさにそれ)
1765年 愛する夫のフランツ1世没。以後、喪服で通し
1780年、63歳で没。フランツと同じ棺に納められた。(永遠の愛は尊し…) -
庭園の望むバルコニーに上がった。
マリアテレジアが崩御して74年後、
ハンガリーバイエルン王女エリザベートがフランツヨーゼフ2世と結婚。
しかし、宮廷生活に馴染めず、義母ゾフィーとの確執も悪化。
マリアテレジアが目指した家庭的で開放的な居城シェーンブルン宮殿は
エリザベートにとっては牢獄のようだったということですね。
きっと、時代を超えてハプスブルク家の様々な王族達が色んな思いを抱えて
このバルコニーに立っていたんだろうなぁ と勝手に妄想してしまいました。 -
そのバルコニーからの景色。
幾何学模様の花壇と芝生のグリーンが美しい!
後方の丘に見えるギリシャ神殿のような建物が、大規模なグロリエッテ。
(グロリエッテとは、宮殿の庭園の一番高い位置に作られる建造物だそう)
このグロリエッテは、
1740年から1748年のオーストリア継承戦争と
1756年から1763年の7年戦争での膨大な戦没者を慰霊し、また和平を記念し
1775年、マリア・テレジアが建設。
庭園でのフリータイムは多分30分ほどだったかな。
ガイドさんが、
「あのグロリエッテには絶対に行こうと思わないでください。
行くだけで30分程かかります」
と言われたのをハッキリと覚えている。 -
でも… 行くなと言われたら、行きたくなるもので…
翌年、めでたくリベンジしたのでした!
マリアテレジアは、ウィーン全景を見下ろせるグロリエッテに様々な要人を招待し、ウィーンの素晴らしさと自分の権力を誇示していたという。 -
敷地は200㌶、庭園の広さは、1,7平方キロメートル。
庭園はフランス様式とイギリス様式のミックス。
宮殿と同時進行で作られたという。 -
庭園でのフリータイムが短すぎて消化不良でしたが、
こればかりは仕方ないですね。
翌年、じっくりと庭園を巡ることができたので、それはまた別の旅行記で。 -
宮殿の表側の左手にある観光客の出入口。
ここに集合だったような。 -
シェーンブルン宮殿の歴史の後半です・・・
マリア・テレジア以降のハプスブルク家は、シェーンブルン宮殿を夏の離宮として
よく利用しており、特にマリア・テレジア夫婦のお気に入りだった。
あらゆる芸術に関心を持っていたマリア・テレジアが
1762年に幼いモーツァルトの演奏会を開いたことは有名ですね。
後のオーストリア皇帝フランツヨーゼフ1世もよく滞在しており
晩年はここに住み、1916年にこの宮殿で亡くなった。
1961年、青磁の間にてオーストリア皇帝カール1世が退去を宣言、
ハプスブルク時代は終わり、オーストリア政府の所有となった。 -
マリアテレジアについて、興味深い逸話を少し。。。
領地内各地の城なども自分好みに改造するのに熱心で
例えば、プラハ城の一部に「スペインの間」を作ったり
インスブルック王宮の大広間を好みに改装したり、
各地にウィーンに似せた街並みを作った。(セルビアのマリアテレジアポリスが有名)
とにかく、ハプスブルク帝国の隅々にまで自分の権威を浸透させる対策には
努力を惜しまなかった。
また、多民族の集まる軍人教育や、教会と貴族との平和な関係の工夫に努め、
義務教育の徹底にも努力した。
(一貫した信念は終生揺るがず!) -
正門を出たところ。
期待以上に感動したシェーンブルン宮殿でした。 -
正門の外側。
-
ウィーンの「リング通り」にやってきた。
1857年、
フランツヨーゼフはウィーンの発展の妨げとなっている城壁と堀を取り壊し、
旧市街をぐるりと取り囲む道路を発案し、新聞に発表。
1865年に完成した。これがリング通りだ。
完成後、リング通り沿いには大きな建物が次々と建てられ
人口50万の中都市から200万以上の大都市となった。
(フランツヨーゼフすごい!!鉄道建設も頑張ったし、偉大で真面目な皇帝陛下!
…ハンガリーにもシシィにも受け入れられなかったけど…) -
『オペラ座』 正式名称は国立歌劇場。
リング沿いに先ず建てられた大きな建物。
度々この左側が集合場所になった。 -
1869年に8年かけて完成した世界屈指のオペラ座。
席数2280席、そのうち567席が立ち見席(学生達にはありがたい席だとか)
舞台面積1500平方m。
初演はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」
歴代音楽監督はマーラー、リヒャルト・シュトラウス、カラヤンなど。
7月8月を除き、年間300回以上オペラやバレエ公演が上演されている。 -
オペラ座の屋根。
完成直後はゴシック様式とルネッサンス様式をミックスした建築に批判があった。
今ではパリオペラ座と共に、大人気となっている。
内部の見学をしたかったができず、これも翌年にリベンジした。 -
リング通りは約4キロあり、赤いトラムが走っている。
-
『セセッション館(分離派会館)』 リング沿い外側にある。
ウィーン分離派(セセッション)のかつての活動拠点だった施設。
ウィーン分離派とは、
1897年に画家クリムトを中心に結成された新進芸術家、建築家、音楽家のグループ。
「自由な芸術を!」というスローガンのもと、
19世紀の歴史的芸術からの分離を目標とし、新しい芸術表現を追求し続けた。
現在は、新進アーティストの為のギャラリーとなっている。
地下のクリムトの大壁画は有名。 -
月桂樹がモチーフの金色のドームは、黄金のキャベツ、とも呼ばれている。
とてもユニークで目立つ建物だ。 -
『カールス教会』 リング外側にある。
1713年、17度目(?)のペストの脅威が去った後、
マリアテレジアの父であるカール6世の命で建設され、1739年に完成。
バロック建築の傑作と言われている。
ペスト撃退の守護聖人に捧げられているが
神聖ローマ帝国の権威を誇示するのが本来の目的とも言われている。 -
『国会議事堂』 リング内側にある。
-
古代ギリシャ神殿を模して造られたギリシャ様式の建物だ。
-
市立公園の中央を流れるウィーン川。
-
第二次大戦後のウィーンが舞台の映画「第三の男」のロケで
このウィーン川の橋の下が使用されたらしい。 -
『市立公園』
1862年にウィーン都市計画の一環として作られた初のリング内の市立公園。
入場無料の市民の為の公園は、それまではなかったんですね。
広い緑あふれる開放的な公園では、よく野外コンサートが行われるという。
ワルツ王の「ヨハン・シュトラウス記念像」は大人気!
たくさんの人が写真を撮る為に順番待ちしている。 -
その様子を眺めていたら、誰かがどうぞと言ってくれたので私達も撮影。
誰が撮ってくれたのか覚えていない。
近くでじっくりと眺める時間はなかったけど、
夏の光を浴びて眩しいほどキンキラキンのヨハンシュトラウス2世さんだった。
1921年の除幕式では、ウィーンフィルによる「美しく青きドナウ」が演奏されたそうです。
面白い裏話がある。
建立された時点で黄金色だったが、次第に墨色っぽくなっていったので
1997年頃に再び元通りの黄金色に塗り直された。
すると「キンピカ過ぎる、悪趣味だ」と当分の間は評判が悪かったという。
そして人々の目が慣れてきて、今はまた、この像の人気が復活している。 -
花時計の後方に見える建物はクーアサロンというホールで
宮廷衣装のオーケストラがモーツァルトやヨハンシュトラウスの曲を演奏している。
広い公園内は花と緑にあふれ、シューベルトやブルックナーの像もあるそうで
もっとゆっくりと歩き回ってみたかった。 -
市立公園の近くにあるこのレストランでランチ。
-
メインメニューは、ウィーンの定番肉料理、ウィンナーシュニッツェル。
牛もも肉(豚肉のことも)を薄く叩き伸ばして、きめ細かいパン粉をつけて揚げ焼きにしたカツレツ。
皿からはみ出るほどの大きさでびっくり!
こんな大きなの食べきれる?! と、みんな異口同音に盛り上がる。
でも超薄いし、レモン添えなのでしつこくなく、サクサク食べることができた。 -
付け合わせは温かいジャガイモとサラダ。
ドリンクは夫はエスプレッソ、
妻はメランジェ(ミルクを泡立てたものがたっぷり乗っているホットカフェオレ)
好みにピッタリな美味しさなので、ウィーンではずっとこのメランジェで通した。 -
地下のレストランだからか、クーラーなくても涼しかった。
大きなテーブルを囲んでの賑やかなランチタイム♪
大きなシュニッツェルの感想を言い合ったり(草履か?と笑いをとる人も)
本日の集団行動はここまで、午後からはフリ-タイム。
これからどこに行く? なんていう話題も飛び交っていた。 -
デザートは、オーストリア特有のアップルパイ「アプフェルシュトゥルーデル」
薄く伸ばした生地にリンゴを織り込んで焼いた、伝統的な焼き菓子。
これも甘めだけど美味しかった。
これでこの日のスケジュール前半が終了。
後半は次の旅ブログにて。
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