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築港の街若松を離れ、次に向かったのは中津である。中津と言えば唐揚げで有名であるが、鶏好きとしては、やはり気になる街ではあった。これまで訪れる機会が無かったが、一宮巡りの兼ね合いで、宇佐へ足を伸ばすことにしたので、その際に立ち寄ってみることにしたのだ。<br /><br />(2021.12.06 投稿)

秋の豊前を巡る旅【3】~歴史と唐揚げの街中津~

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2021/11/21 - 2021/11/21

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旅行記グループ 秋の豊前を巡る旅

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旅猫

旅猫さん

築港の街若松を離れ、次に向かったのは中津である。中津と言えば唐揚げで有名であるが、鶏好きとしては、やはり気になる街ではあった。これまで訪れる機会が無かったが、一宮巡りの兼ね合いで、宇佐へ足を伸ばすことにしたので、その際に立ち寄ってみることにしたのだ。

(2021.12.06 投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 若松駅から乗った列車を、途中の折尾駅で下車した。以前来た時には、まだ古い駅舎が残り、とても趣があったのだが、建て替えられ冷たい感じの駅になっていた。しかし、嬉しことに、東筑軒の駅弁の立ち売りは健在であった。ただ、風情の無い真新しい駅の構内に、その姿は寂しく映った。

    若松駅から乗った列車を、途中の折尾駅で下車した。以前来た時には、まだ古い駅舎が残り、とても趣があったのだが、建て替えられ冷たい感じの駅になっていた。しかし、嬉しことに、東筑軒の駅弁の立ち売りは健在であった。ただ、風情の無い真新しい駅の構内に、その姿は寂しく映った。

  • 寒々しささえ感じるホームで列車を待つ。中津駅へは、10時50分発の日豊本線の特急『ソニック15号』に乗り換える。やってきた列車は、長崎などへの旅で利用したことがある格好の良い車両だった。

    寒々しささえ感じるホームで列車を待つ。中津駅へは、10時50分発の日豊本線の特急『ソニック15号』に乗り換える。やってきた列車は、長崎などへの旅で利用したことがある格好の良い車両だった。

  • 乗車してすぐ、若松駅で買い込んで来た『かしわめし』を食す。味わうのは二回目だが、やはり、高崎駅のものと比べるといまひとつである。『かしわめし』と名乗りながら、鶏はそぼろだけで、しかも量が少ない。海苔と錦糸卵が多いため、三色弁当と言った感じなのだ。とは言え、味は良いので悪くは無い。

    乗車してすぐ、若松駅で買い込んで来た『かしわめし』を食す。味わうのは二回目だが、やはり、高崎駅のものと比べるといまひとつである。『かしわめし』と名乗りながら、鶏はそぼろだけで、しかも量が少ない。海苔と錦糸卵が多いため、三色弁当と言った感じなのだ。とは言え、味は良いので悪くは無い。

  • 中津駅には、11時41分に着いた。とりあえず、観光案内所で地図をもらい、それを観ながら歩き始める。まず向かったのは、駅から近い寺町である。寺町は、中津城総曲輪の東にあり、城下の防備のために造られた町である。十二の寺院が集まり、その中には、赤壁寺で知られる合元寺もある。黒田氏に反抗した宇都宮鎮房を謀殺した際、この寺に立て籠もった家臣も打ち取られ、その血で染まった壁は何度白く塗っても血が浸み出るので、赤く塗るようになったと云われている。

    中津駅には、11時41分に着いた。とりあえず、観光案内所で地図をもらい、それを観ながら歩き始める。まず向かったのは、駅から近い寺町である。寺町は、中津城総曲輪の東にあり、城下の防備のために造られた町である。十二の寺院が集まり、その中には、赤壁寺で知られる合元寺もある。黒田氏に反抗した宇都宮鎮房を謀殺した際、この寺に立て籠もった家臣も打ち取られ、その血で染まった壁は何度白く塗っても血が浸み出るので、赤く塗るようになったと云われている。

  • 合元寺から北へ少し歩くと、円応寺がある。境内には、河童の墓なるものがあるというので立ち寄ってみた。墓地には、石の祠に収まった小さな五輪塔があった。説明板によれば、その墓は、宇都宮鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝のものだそうだ。祐勝は、黒田二十四騎の一人である。近くには、水の無い河童の池と言う場所もあったが、河童との繋がりはわからなかった。

    合元寺から北へ少し歩くと、円応寺がある。境内には、河童の墓なるものがあるというので立ち寄ってみた。墓地には、石の祠に収まった小さな五輪塔があった。説明板によれば、その墓は、宇都宮鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝のものだそうだ。祐勝は、黒田二十四騎の一人である。近くには、水の無い河童の池と言う場所もあったが、河童との繋がりはわからなかった。

  • 円応寺の斜向かいにあった円龍寺には、織部燈籠があった。武士であり、茶人でもあった古田織部が考案したとされる石灯篭である。柱の部分の形状から、隠れキリシタンに纏わるものとも云われているそうだ。確かに、その姿を見ると、和洋折衷と言う印象を受ける。

    円応寺の斜向かいにあった円龍寺には、織部燈籠があった。武士であり、茶人でもあった古田織部が考案したとされる石灯篭である。柱の部分の形状から、隠れキリシタンに纏わるものとも云われているそうだ。確かに、その姿を見ると、和洋折衷と言う印象を受ける。

  • 寺町を歩いていると、中津のマンホールを見つけた。図柄は、やはり中津城であった。寺町の東側は、下級藩士が住んでいた『下辺』と呼ばれる町があった場所である。町名には、その職業を付けた町が多いそうだ。

    寺町を歩いていると、中津のマンホールを見つけた。図柄は、やはり中津城であった。寺町の東側は、下級藩士が住んでいた『下辺』と呼ばれる町があった場所である。町名には、その職業を付けた町が多いそうだ。

  • その一つである『鷹匠町』に、大江医家資料館と言うものがあった。そこは、代々中津藩の御典医を勤めた大江医家の旧宅であった。当時の医療関係の資料などが展示され、庭には薬草園もあった。

    その一つである『鷹匠町』に、大江医家資料館と言うものがあった。そこは、代々中津藩の御典医を勤めた大江医家の旧宅であった。当時の医療関係の資料などが展示され、庭には薬草園もあった。

    大江医家史料館 美術館・博物館

  • そこから少し歩いたところにあった『おかこい山』と言う中津城の遺構を観た後、寺町へと戻った。さらに北へと向かうと、西蓮寺がある。その寺を開創した光心師は、黒田官兵衛の末弟である黒田市兵衛だそうだ。本堂はなかなか立派で、天保14年(1844)に再建されたものであった。

    そこから少し歩いたところにあった『おかこい山』と言う中津城の遺構を観た後、寺町へと戻った。さらに北へと向かうと、西蓮寺がある。その寺を開創した光心師は、黒田官兵衛の末弟である黒田市兵衛だそうだ。本堂はなかなか立派で、天保14年(1844)に再建されたものであった。

    西蓮寺 寺・神社・教会

  • 寺町を抜けると、豊後の大友吉統が配流された豊後町を通り新堀川町へと出る。その北側には、福沢諭吉旧居があった。茅葺の母屋と土蔵が残る。隣接する記念館には、『学問のすすめ』の初版本が展示されていた。

    寺町を抜けると、豊後の大友吉統が配流された豊後町を通り新堀川町へと出る。その北側には、福沢諭吉旧居があった。茅葺の母屋と土蔵が残る。隣接する記念館には、『学問のすすめ』の初版本が展示されていた。

  • 福沢諭吉旧居から、中津城跡へと向かう。城跡の北側に出ると、そこには神社があり、黄葉が美しい大きな銀杏の木があった。その銀杏は樹齢約600年と云われている。銀杏の立つ日霊神社は、中津城の鬼門除けとして勧請されたものだそうで、例大祭には、多くの人が訪れたそうである。

    福沢諭吉旧居から、中津城跡へと向かう。城跡の北側に出ると、そこには神社があり、黄葉が美しい大きな銀杏の木があった。その銀杏は樹齢約600年と云われている。銀杏の立つ日霊神社は、中津城の鬼門除けとして勧請されたものだそうで、例大祭には、多くの人が訪れたそうである。

  • 神社の向いには、武家屋敷の跡もあった。平成20年ごろまでは土塀に囲まれた茅葺の屋敷が建っていたそうだが、老朽化により解体されてしまったそうである。現在は、礎石などが残るだけであった。

    神社の向いには、武家屋敷の跡もあった。平成20年ごろまでは土塀に囲まれた茅葺の屋敷が建っていたそうだが、老朽化により解体されてしまったそうである。現在は、礎石などが残るだけであった。

  • そこから南側が中津城の二の丸跡となる。現在は公園となっていた。園内には、色付いた樹々があり、なかなか綺麗である。

    そこから南側が中津城の二の丸跡となる。現在は公園となっていた。園内には、色付いた樹々があり、なかなか綺麗である。

  • 公園を抜けると、中津城の本丸跡が見えて来た。濠があり、黒田氏が築いた石垣と、細川氏が後に築いた石垣との境がはっきりと残っていた。とりあえず、中津川が流れる西側に回り込み、黒田時代の石垣を見学した。豪壮な積み方の石垣は、なかなか見応えがある。この辺りは、往時は中津川に面していたため、道が出来たおかげで観ることが出来る。天守の役割を担っていたと思われる三重櫓もこちら側にあった。

    公園を抜けると、中津城の本丸跡が見えて来た。濠があり、黒田氏が築いた石垣と、細川氏が後に築いた石垣との境がはっきりと残っていた。とりあえず、中津川が流れる西側に回り込み、黒田時代の石垣を見学した。豪壮な積み方の石垣は、なかなか見応えがある。この辺りは、往時は中津川に面していたため、道が出来たおかげで観ることが出来る。天守の役割を担っていたと思われる三重櫓もこちら側にあった。

  • 石垣を観た後、本丸跡へと入ると、すぐの場所に中津神社が建っていた。江戸時代には、藩主の家族が暮らした松の御殿があった場所だそうだが、西南戦争の際に焼失したそうだ。

    石垣を観た後、本丸跡へと入ると、すぐの場所に中津神社が建っていた。江戸時代には、藩主の家族が暮らした松の御殿があった場所だそうだが、西南戦争の際に焼失したそうだ。

  • 中津神社の脇には、水門跡がある。この門の外側に、海水を汲み上げて沸かした銭湯『汐湯』があった。明治時代にに『海水湯』として始まった老舗の銭湯だそうだ。その隣には、木造三階建ての風情のある建物もあった。明治期に創業した割烹『汐湯』のもので、大正時代に建てられたものらしい。

    中津神社の脇には、水門跡がある。この門の外側に、海水を汲み上げて沸かした銭湯『汐湯』があった。明治時代にに『海水湯』として始まった老舗の銭湯だそうだ。その隣には、木造三階建ての風情のある建物もあった。明治期に創業した割烹『汐湯』のもので、大正時代に建てられたものらしい。

  • 水門跡から復元された濠沿いに進むと、歴史博物館がある。共通券を持っていたので入ってみたが、館内には絵画しか展示されていない。訊けば、特別展のため、常設展示はやっていないとのことだった。仕方が無いので、城内へ戻る。扇形の石垣が特徴であった椎木門跡から入ると、細川忠興所縁の三斎池で見事な紅葉に出会った。

    水門跡から復元された濠沿いに進むと、歴史博物館がある。共通券を持っていたので入ってみたが、館内には絵画しか展示されていない。訊けば、特別展のため、常設展示はやっていないとのことだった。仕方が無いので、城内へ戻る。扇形の石垣が特徴であった椎木門跡から入ると、細川忠興所縁の三斎池で見事な紅葉に出会った。

  • そして、中津城跡の模擬天守に立ち寄る。本丸北東隅櫓跡に観光用に建てられたもので、史実には無いものである。コンクリート造りのもので、内部は資料館と展望台と言うよくある施設となっていた。

    そして、中津城跡の模擬天守に立ち寄る。本丸北東隅櫓跡に観光用に建てられたもので、史実には無いものである。コンクリート造りのもので、内部は資料館と展望台と言うよくある施設となっていた。

  • 本丸跡を後にして、大手門跡を目指す。途中に、気になる喫茶があったので、休息がてらに立ち寄ってみる。入ってみると、庭が広がり、風情がある。奥に木造の建物があり、そこが店だった。店内に客は無く、庭の見える角の席に座った。抹茶を頼むと、桜羊羹が付いて来た。池のある庭を眺めながら、のんびりと過ごす。旅の良い思い出となった。

    本丸跡を後にして、大手門跡を目指す。途中に、気になる喫茶があったので、休息がてらに立ち寄ってみる。入ってみると、庭が広がり、風情がある。奥に木造の建物があり、そこが店だった。店内に客は無く、庭の見える角の席に座った。抹茶を頼むと、桜羊羹が付いて来た。池のある庭を眺めながら、のんびりと過ごす。旅の良い思い出となった。

    蓬莱観 グルメ・レストラン

  • 思いがけず素敵な時間を過ごした後、大手門跡に向かった。市街地化された中津だが、奇跡的に大手門の石垣が残されていた。枡形門であるため、本来は真っすぐには行けないのだが、今は道路が貫通し、門自体は幼稚園の敷地となり、完全に失われている。

    思いがけず素敵な時間を過ごした後、大手門跡に向かった。市街地化された中津だが、奇跡的に大手門の石垣が残されていた。枡形門であるため、本来は真っすぐには行けないのだが、今は道路が貫通し、門自体は幼稚園の敷地となり、完全に失われている。

  • 大手門跡の近くには、奥平時代の中津藩家老生田家の門が残されていた。大手門近くのこの辺りには、藩主一族や家老などの屋敷が建ち並んでいたそうだ。明治になり、福沢諭吉の建議により中津市学校が建てられたが、現在は、南部小学校の校門として利用されているそうだ。

    大手門跡の近くには、奥平時代の中津藩家老生田家の門が残されていた。大手門近くのこの辺りには、藩主一族や家老などの屋敷が建ち並んでいたそうだ。明治になり、福沢諭吉の建議により中津市学校が建てられたが、現在は、南部小学校の校門として利用されているそうだ。

  • 西門跡にも足を運んでみる。こちらは枡形の名残りがあり、道が鉤の手になっていた。裏手に回ると、川に面していた石垣も残っている。中津城の遺構の中でも、一番風情のある場所であった。

    西門跡にも足を運んでみる。こちらは枡形の名残りがあり、道が鉤の手になっていた。裏手に回ると、川に面していた石垣も残っている。中津城の遺構の中でも、一番風情のある場所であった。

  • 西門跡から南へと向かうと、中津城の外郭土塁である『おかこい山』がある。城下町を囲う土塁は2.4kmもあったそうだ。城内に入るには、この土塁に設けられた6つの城戸口しかなかったそうで、現存するこの土塁がある場所は、その一つである廣津口に当たる。

    西門跡から南へと向かうと、中津城の外郭土塁である『おかこい山』がある。城下町を囲う土塁は2.4kmもあったそうだ。城内に入るには、この土塁に設けられた6つの城戸口しかなかったそうで、現存するこの土塁がある場所は、その一つである廣津口に当たる。

  • 廣津口跡から、東へと向かう。その途中に、自性寺と言う寺がある。その境内には、かの池大雅の書を展示する大雅堂があるというので、立ち寄ってみた。館内には、大雅の障壁書画が46点展示されていた。やはり、墨で書かれたものは素晴らしいと感じた時間だった。

    廣津口跡から、東へと向かう。その途中に、自性寺と言う寺がある。その境内には、かの池大雅の書を展示する大雅堂があるというので、立ち寄ってみた。館内には、大雅の障壁書画が46点展示されていた。やはり、墨で書かれたものは素晴らしいと感じた時間だった。

    自性寺 寺・神社・教会

  • 廣津口から続く道沿いは、諸々な職業の人たちが住んでいたことから『諸町』と呼ばれた場所で、酒造業などを営んでいた宇野家住宅などが残り、街道筋のような風情が残っている。

    廣津口から続く道沿いは、諸々な職業の人たちが住んでいたことから『諸町』と呼ばれた場所で、酒造業などを営んでいた宇野家住宅などが残り、街道筋のような風情が残っている。

  • 諸町には、大江医家と並ぶもう一つの資料館である村上医家資料館もあった。共通券で入れるので、ここにも立ち寄ってみる。館内には、昭和初期に使われていた医療器具なども展示され、なかなか見応えがあった。

    諸町には、大江医家と並ぶもう一つの資料館である村上医家資料館もあった。共通券で入れるので、ここにも立ち寄ってみる。館内には、昭和初期に使われていた医療器具なども展示され、なかなか見応えがあった。

    中津市歴史民俗資料館分館 村上医家史料館 美術館・博物館

  • 16時を過ぎ、薄暗くなって来たので、宿へと向かう。歩いていると雨が降り始めた。この日は、中津泊まりである。宿は、駅の反対側にある『グランプラザ中津ホテル』。あまり期待はしていなかったが、思いの外良い宿で、対応も良かった。

    16時を過ぎ、薄暗くなって来たので、宿へと向かう。歩いていると雨が降り始めた。この日は、中津泊まりである。宿は、駅の反対側にある『グランプラザ中津ホテル』。あまり期待はしていなかったが、思いの外良い宿で、対応も良かった。

    グランプラザ中津ホテル 宿・ホテル

  • 夕食は、宿で教えてもらった中津市公認の唐揚げを出す居酒屋に向かったのだが、日曜日は定休日であった。雨も強くなって来たので、近くの唐揚げ専門店で唐揚げを買い込み、宿近くのスーパーなどで麦酒なども調達し、部屋で晩酌となった。唐揚げは普通の味で、中津の唐揚げは、個人的には印象が薄かった。

    夕食は、宿で教えてもらった中津市公認の唐揚げを出す居酒屋に向かったのだが、日曜日は定休日であった。雨も強くなって来たので、近くの唐揚げ専門店で唐揚げを買い込み、宿近くのスーパーなどで麦酒なども調達し、部屋で晩酌となった。唐揚げは普通の味で、中津の唐揚げは、個人的には印象が薄かった。

    中津からあげテイクアウト専門店 中津 彩鶏々 グルメ・レストラン

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 前日光さん 2021/12/14 16:15:55
    合元寺の赤い壁(*_*)
    こんにちは、旅猫さん。
    豊前の旅、懐かしく拝見させていただきました。
    中津の町、散策する時間はなかったですが、中津神社や模擬天守の中津城、行きました。
    ちょうど大河ドラマ「黒田勘兵衛」をやっていた頃で、けっこう人もいましたよ。
    町中の歩道橋に「如水」という地名が書かれていました。
    勘兵衛のことですよね?
    勘兵衛は、宇都宮鎮房にとっては天敵ですね。
    家臣の恨みも尽きず、何度塗り直しても赤く染まる合元寺の壁、歴史の酷薄さに翻弄されたのですね。
    宇都宮という苗字ですが、前にもどこかに書いたかも知れませんが、大分と愛媛には残っているのに、なぜか栃木にはありません。
    栃木さん、益子さんという方はいらっしゃいますが、私栃木に住んで?十年、未だかつて宇都宮さんという方にはお目にかかったことがありません。
    ですから愛媛や大分で宇都宮さんという苗字を聞くと、不思議な気分になります。
    宇佐神宮の参道に灯籠(たぶん)だったかがあって、寄進者の名前に宇都宮某とありました。
    大分には宇都宮さんが存在するのですね!

    中津神社境内で「中津唐揚げ」の屋台がありました。
    そこで購入した唐揚げを食べましたが、確かに他の唐揚げとの違いが私には分かりませんでした。
    いずれにしても、唐揚げはおいしいですよね!(^^)!


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/18 20:27:10
    RE: 合元寺の赤い壁(*_*)
    前日光さん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    前日光さんも、中津へ行かれたことがあるのですね。
    『黒田勘兵衛』、好きで観ていました。
    如水は勘兵衛のことです。
    宇都宮鎮房、結構好きな武将です。
    ドラマでは、勘兵衛では無く、息子の方が悪者でしたね。
    合元寺は、外壁を赤く塗るのは、ちょっとやり過ぎのような気もしますが。

    宇都宮氏の嫡流は改易されてしまい、子孫は茨城の水戸にいますね。
    なので、栃木にはいないようです。
    芳賀さんはいらっしゃるのでは?
    豊前や伊予の宇都宮さんはすべて傍系ですが、同じ氏族です。

    唐揚げは、どこで食べても美味しいですね。
    結構、胸肉の唐揚げも好きです。

    旅猫
  • たらよろさん 2021/12/08 22:28:22
    中津唐揚げ
    こんばんは、旅猫さん

    宇佐から中津にいかれたんですねー。
    合元寺の赤い壁。
    私も見た時はかなり印象が残ってて、
    話を聞いて、血の色って思うと、妙に武士の姿が見え隠れしてきて…(笑)

    ところで、中津唐揚げ…イマイチでしたかー。
    最近は他の地域でも、コンビニなどで中津唐揚げのものを売ってたり、
    唐揚げ粉などがスーパーで売られていますが、
    やっぱり、中津で食べる中津唐揚げは美味しいなぁーって
    思っていたので、旅猫さんのお口に合わず、残念でした。
    ビールと唐揚げ!最高なんですけどねー(笑)

    たらよろ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/09 11:33:00
    RE: 中津唐揚げ
    たらよろさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    宇佐からではなく、若松からですね。
    この後、宇佐に行きます。
    合元寺の赤壁は、思ったよりも鮮やかで、血の色と言う感じでは無かったです。
    あまりに似せると、怖すぎるからでしょうね(^^;
    夜、歩けません(笑)

    唐揚げは大好物なので、色々な店で食べていて、中津では無くても美味しい店は多いなと。
    中津唐揚げの特徴がよく分からなくて(^^;
    麦酒と唐揚げは、もちろん最高です(^^)

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2021/12/06 21:54:40
    中津
    旅猫さん こんばんは。

    若松編、見逃していました。
    若松という場所は知りませんでした。
    北九州にあるのですね。
    小倉は昔からの城下町で、門司は港町、八幡は製鉄で、
    戸畑と若松の特徴が分かりにくいのですが、炭鉱や製鉄で
    栄えた北九州を支えた築港の街だったのですね。

    中津は歴史のある寺社が多いですね。
    天守が残っていないのは残念ですが、石垣が残っているだけでも
    風情があります。
    桜羊羹に敷いてあるのは椿の葉ですか?
    その場所の風情にピッタリのおもてなしですね。
    歴史の後を辿る旅猫さんのお写真以外の中津は市街地化されている
    ようですが、まだ当時の面影が残る風景がありますね。 

    休日で、中津の美味しい唐揚げに出会えなかったのは残念でしたが
    池大雅の障壁書画が46点も所蔵されているお寺での時間は
    充実していましたね。
    宇佐神宮は いつか行きたいと思っているので、次回の旅行記も
    楽しみにしています。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/12/09 11:23:47
    RE: 中津
    ポテさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    若松は、瀬端の積出港として栄えた港町です。
    小倉からもほど近いですが、渡船で行くのが便利です。
    戸畑は通り過ぎたくらいですが、やはり港湾関係の街ですね。

    中津は城下町なので、よくあるように寺町があります。
    それぞれの領主が崇拝した寺が建ち並んでいます。
    天守は観光用の展望だですが、石垣はなかなか見応えがありました。

    > 桜羊羹に敷いてあるのは椿の葉ですか?
    椿では無く、紫陽花の様でした。

    中津の街は地方都市と言う感じです。
    微妙に寂れている感じで、中途半端に市街地化しています。
    おかげで、微かに城下町の風情が残っていました。
    池大雅の書画に出会えたのは良かったです。
    唐揚げは、美味しい店がどこにでもあるので、中津の特徴と言うのは感じなかったですね。

    旅猫

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