大江医家史料館
美術館・博物館
3.30
大江医家史料館 クチコミ・アクセス・周辺情報
耶馬溪・中津・玖珠 観光 満足度ランキング 44位
中津藩は学問が非常に盛んな地域でした。(中津奥平藩3代目藩主昌鹿や、自身も蘭学者であった5代目藩主昌高など、蘭学の推進に力を入れていたこともその大きな要因の1つです。)江戸の中津藩で翻訳書「解体新書」を刊行した前野良沢や、その100年後同じ地で慶応義塾を創設した福沢諭吉など多くの偉人を輩出しています。(日本初の歯科医である小幡英之助も中津の出身です。 ) また、医学面では先進的な取り組みを数々行っていました。大江家5代目雲澤は、華岡医塾大阪分塾で麻酔術を学び、藩医の傍ら医塾を開き、多くの門人を育てました。大江医家史料館には、「解体新書」などの蘭学関係の史料の他、これらの歴史にまつわるたくさんの興味深い史料が大切に保管されています。その史料に触れると、医学にかけた先人たちの熱意や情熱がありありと伝わってきます。 また職員の方が丁寧に説明してくれるので解りやすく歴史を学ぶことができます。村上医家史料館との共通券を利用して、同時に観覧するとさらに深く歴史を知ることができます。
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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医は仁ならざるの術 務めて仁をなさんと欲す
- 5.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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中津の町が日本医学の先駆者的存在だったことを示す史料館
- 4.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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福沢諭吉先生の銅像が聳立する中津駅北口から伸びる広い道路を北進し、細い水路を超えて左折したところにあります。
代々中津藩... 続きを読むの御典医を務めた大江家の屋敷を史料館にしたもので、現在の建屋が出来たのは幕末の1860年。
明治時代に待合室や診察室を設ける改築が施されていますが、御典医屋敷の面影を残す貴重な建物です。
1985(昭和60)年に市文化財に指定され、半解体工事を経て平成16(2004)年7月に村上医家史料館に次ぐ第2の医家史料館としてオープンしました。
ここの特徴は主に中津と医学・蘭学との関わり、前野良沢をはじめ中津出身の医学・蘭学の先人の偉業などが展示されていること。
国東市出身で心臓ペースメーカーの生みの親とも言われている田原淳の業績を見ていると、上品な老婦人に挨拶されました。
大江家ご当主の御母堂でしょうか?
慎ましさの中に優雅さが漂う立ち振る舞いは、大江家の家訓「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」(医療は無条件に善なのではなく、医者次第で善にも悪にもなるから、医師は常に謙虚に患者のために尽くすべきである)を体現されているかのよう。
裏庭には多種多様な薬草が植栽された畑が広がります。
まだ早春で緑より耕土の目立つ薬草園を眺めながら、そんなことを想いました。 閉じる投稿日:2016/06/09
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諭吉旧居に近い
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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寺町を過ぎてすぐの場所にある医家資料館
- 4.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 1
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中津家の藩の医者を務めました。
- 3.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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医は 仁術ならざるの術、務めて仁をさんと欲す
- 4.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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医学の史料が満載
- 4.0
- 旅行時期:2011/02(約15年前)
- 0
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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