2021/07/24 - 2021/07/27
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羽田空港から日光東照宮へは京急で浅草まで行ったあと、スペーシアで向かった。
日光東照宮に訪れたのは28年ぶりのこと。広島に住む祖父母が東京で学生をしていた自分と最後に旅行した場所でもある。
今回は前回よりもじっくりと眺めながら歩いたが、前回訪れたときよりも印象に残った。中でも陽明門の装飾は素晴らしく、目を奪われてしまった。世界遺産であるのも納得だ。
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羽田空港から東武浅草駅にここから日光を目指す
地下鉄浅草駅出入口 名所・史跡
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改札をくぐり、特急専用ホームの横には駅弁を販売している店がある。ここでアルコール飲料や食料を調達できる
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スペーシアで日光へ。今回は時間の都合で鬼怒川温泉行きに乗り。途中で乗り換えて日光に向かう。
特急スペーシア (スペーシアX) 乗り物
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スペーシアに乗車するのは3回目だが初めて個室を利用した。ここであれば緊急事態宣言下でも、人目を気にせずアルコールを飲むことができる
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浅草駅を出発!
東武線から隅田川を眺めたとき、初めて隅田川周辺っていいもんだなーってかんじた。河川敷には遊歩道ができて緑も多いし、昔と比べると川の汚染もマシになった。随分風光明媚な皮になったなーと、たまにはこの河川敷でのんびりしてみようとも思った。隅田川 自然・景勝地
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スカイツリーを横目に1時間40分かけて日光を目指す。
今回初めて、東武線から意識してスカイツリーを見ていた。東武スカイツリーラインは最初右側の窓から見えていたが、時がたつに連れ左側の窓にも顔をだす。押上から伊勢崎線に入っていく頃には左側の座席でも見えてくるので、線路が少し左側に弧を描きながら走っている様子がよくわかる。伊勢崎線でもスカイツリーの大きさは変わらずでかい!いかにスカイツリーが大きいかよくわかる東京スカイツリー 名所・史跡
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今回購入した駅弁は深川飯
日本ばし大増 日本橋高島屋店 グルメ・レストラン
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江戸時代から漁業で栄えた深川だが、いわゆる漁師メシが、発展してこうした弁当ができた
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深川では昔穴子漁が、盛んだったのだとか。全然知らなんだ!
友人と会話を弾ませながら向かった。 -
昼前に乗換駅の下今市に到着。日光行きの電車は向かいのホームでスペーシアを待っていた
下今市駅 駅
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下今市まで達すると、日光まですぐだ
東武日光駅 駅
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東武日光駅に到着後、コインロッカーに荷物を預けてバスで日光東照宮を目指した。
路線バス (東武バス日光) 乗り物
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バス停から歩き、まず現れたのが輪王寺三仏堂。三仏堂は輪王寺の中でも代表する建築物だろう。大きさで言えば木造建築としては東日本随一を誇る。昔ながらの木造建築物が多く残る関西に住んでいてもこの建物を見るとまるで山がそびえ立つようにも感じる。
日光山輪王寺 寺・神社・教会
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三仏堂の朱色が美しい。魔除けの朱色。
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黒門と呼ばれる輪王寺の表門。明治四年に輪王寺が火災で焼失したが、この黒門は焼け落ちることなく現在まで往年の姿を残しており、国の重要文化財となっている。
後水尾天皇の皇子の守澄法親王宮が入山し住職となったことから門跡寺院であり、菊の御紋が添えられている。 -
輪王寺三仏堂の前庭にある、金剛桜と呼ばれる桜の木。樹齢は何と500年を超えると言われている。山桜の一つだとされているが、ソメイヨシノでは考えられない樹齢だ。枝が丸で脳に張り巡らされた血管のように出ており、自分の中ではMRAを思い出してしまった。春になると花をつけ美しい姿になるという。
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光樹院から緩やかな坂道を登るように作られたさんどうがあるが、これが表参道だ。表参道には菊の御紋があしらわれた輪王寺黒門や、石鳥居がある。両サイドは木々で覆われており、日光東照宮入口から隔絶された場所へのトンネルのようにも感じる場所だ。
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緩やかな坂道となった表参道を登っていくと、途中に現れる鳥居がある。これが一之鳥居だ。石鳥居とも呼ばれ、1618年に作られた。戦国武将の黒田長政により奉納され、花崗岩を加工して作られている鳥居だ。歴史ある鳥居なので国の重要文化財となっている。
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一之鳥居をくぐって先に進むと、まず現れるのがこの五重塔。1650年に譜代大名の酒井忠勝により作られた。しかし1815年に落雷により消失し1818年には再建された。この五重塔は現代においても素晴らしく、なんとスカイツリーにも活かされて言うのだから驚きだ
東照宮五重塔 名所・史跡
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五重塔にあしらわれた装飾
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五重塔
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五重塔をすぎると、いよいよ日光東照宮のメインイベントとなる。その前に表門をくぐらなければならない。表には阿吽が門の両サイドに「仁王立ち」し、悪霊の侵入を阻んでいる。阿吽は決して大きいものではないが迫力は十分だ。
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表門にはぞうが!?
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日光東照宮には三神庫があるが、こちらがそのうちの一つ下神庫。ド派手な装飾を見て、これが一体なんの建築物なのかと思うが、これが何と倉庫として利用されてるに過ぎないのだから驚きだ。「百物揃千人武者行列」の祭典で利用される装束などが保管されている。
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日光東照宮には三神庫があるが、こちらがそのうちの一つ中神庫。下神庫と上神庫に挟まれるように横たわる建築物だ。一見神社のようにも見えるが、こちらも「百物揃千人武者行列」の装束や道具などが保管されている。
中神庫の前にたつ灯籠にも注目してほしい。200年以上の歴史のある灯籠も見応えはある。 -
中神庫の前の灯籠は一目見ると、石灯篭がずらりと並んでいるように見えるが、端の灯籠は銅によって作られた灯籠なのだ。江戸時代に、銅を溶かしてこのような装飾をあしらわれて作る技術があったことに驚かされる
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中神庫の向かいには日光東照宮を代表する建築物のひとつ、神厩舎がある。その名のとおり、厩戸として作られたもので、 徳川家康の愛馬が神厩舎で御神馬としていた。この神厩舎といえば3猿が有名だ。
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伝説では猿は馬を、治療したり護ったりするのだとか。そのため神厩舎に猿があしらわれている。この猿は単にあしらわれているのではない。人間の人生を表している。
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競争社会に敗れるもの、勝ち残るもの、これが猿により江戸時代に表されているわけだが、古今東西変わりないってことなんだろうなーと感じた。
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一番左
猿は時間として遠い先を見ている
母親が子供の未来を望む姿であり、
ビワと朱色の雲は、実り豊かな将来を暗示
左2「三猿」: 子供は、周囲の影響を受けやすい。世の悪事は見聞きさせず、悪い言葉を使わせず、良いものだけを与えよとの戒め
左3: 孤独に耐えながら自分の将来を考える一匹の猿。いよいよ自立する時。
右2:
一匹の猿が上を見上げ、希望を胸に上を見上げる青年の猿。 雲は青年の志を表してる。
右:
猿は樹の上で前方を凝視、2匹は岩の上にいる姿を表している。
真ん中の猿は左側の猿に抑えられ、転落を免れた姿。その一方、中央の猿は挫折した猿を慰めている -
神厩舎を過ぎると二ノ鳥居でもある銅鳥居が現れた。銅鳥居は1636年に三代将軍徳川家光により奉納されたものだ。銅鳥居には黄金色で葵の御紋があしらわれており、徳川家の権威を象徴しているとも言える。
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御水舎(おみずや)。手を洗い清める場所とは御水舎とはとても思えぬ外観で装飾が豪華絢爛だ。
こちらは1618年に武将の鍋島勝茂により奉納された。鍋島勝茂といえば龍造寺隆信の智将、鍋島直茂の息子としてもよく知られている。「さすが鍋島氏!」といった見事な出来栄え -
御水舎から通路を挟んだ正面に、三神庫のうちのひとつ上神庫がある。1635年頃に創建された。2頭の象が描かれているが、狩野探幽がゾウを想像して描いた傑作中の傑作だ。ナウマンゾウのように毛が生えているのも面白い。
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三神庫で驚かされたのは校倉造になっていることだ。壁を見てわかるだろうか?壁が蛇腹のように見えるが井桁に組み合わせている。これで通気性を、考えてつくられている。1600代に作られた三神庫であるが、校倉造はそれより千年前の工法だ。こうした校倉造がこの時代にも活用されていることや、校倉造の凄さを改めて知った。
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附・鉄燈籠。三神庫のまえに建てられている灯籠だ。何と奥州の雄、戦国武将の伊達政宗がわざわざポルトガルから鉄材を運ばせてこの鉄灯籠を作らせ奉納したのだという。鉄で作られて錆びないのかとても不思議なのだが、このようなものを昔の時代につくることにおどろかされる。
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輪蔵 は1620年に寄進された建物。様々な彫刻や装飾があしらわれた建物だ。経典が奉納された建物だが、書庫とは思えない。2層部分のきめ細やかな彫刻や色使いは、まるでご隠居様のために作られた建物のようにも感じるほど立派だ
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輪蔵の近くには回転灯籠 がいちしている。
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回転灯籠は廻転灯籠とも書かれ、1643年にオランダから奉納されたものだ。恐らく銅で作られているのだろうが網状に作られた箇所がかなり細かくなっており、どうやってつくられたのかとても不思議だ。「回転」と言われるのだからくるくる回るのかもしれないが、残念ながら触ることはできない。
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鼓楼
陽明門の前の東側に建つ鼓楼。参道を挟んで鐘楼があるが、この2つの建物は対になっており、姉妹のような感じだ。こちらは祭典で使用される太鼓が収められているので鼓楼と呼ばれている。とても倉庫には見えないほど亀や龍などの装飾が施されている。 -
正面の陽明門をみて左側に鼓楼があるが、その右側は鐘楼と呼ばれる楼が建つ。姉妹のような楼の一つだ。祭典のときに使用される鐘が収められている、いわゆる倉庫であるが、鼓楼よりも絢爛であると言われえいるが、訪れたときには残念ながら、修繕中でカバーがかけられその姿を見ることができなかった。
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1636年に3代将軍家光により創建された陽明門。一日中見ても飽きないために「日暮御門」とも言われる。門に施された細やかな装飾は見事としか言えない。日暮御門と言われるのもよくわかる。一体どうなっているのだろうかと目を凝らして細部を確認したくほどあしらわれた彫刻がすばらしい
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陽明門
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そして陽明門の素晴らしさはくぐるときにも味わえる。狩野探幽が陽明門の天井に描かれた「降龍」と「昇り龍」。これは誰が見ても傑作中の傑作と思うだろう。威厳に溢れた、神々しさも持つ龍の姿は畏敬すら感じる
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「降龍」よりも迫力に威圧されてしまうのがこの「昇り龍」だ。八方睨み龍とも言われるこの龍の眼力すごみと迫力は狩野探幽の傑作中の傑作だ。
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陽明門をくぐると続いて「唐門」があるが、その間にある敷地にはいつくかの造物がある。そのうちの一つが「一本燈籠」
二代将軍秀忠の娘、東福門院(後水尾天皇の中宮)から
奉納されたら特別燈籠 -
陽明門くぐると更に豪華絢爛な壁に囲まれ先に見えるのが御本社だ。
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御本社に入る前に最後にもう一つ門をくぐらなければならない。それが唐門。唐門は壁が白塗りになっているが、この白色は貝を焼いて作った胡粉で作られているからこの白色となっている。胡粉で染められた唐門は独特のカラーリングだ
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唐門を近くで見るとこちらも細部に渡り彫刻が施されているのが良くわかる。すべて人の手で作られているのだからすごい!
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唐門から見た日光東照宮の御本社。御本社は1617年に創建された建物で、日光東照宮で最も重要な建物の一つ。内部に入るには唐門からではなく祈祷殿側の横からはいることになる。神聖な場所で内部は撮影禁止となっている
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陽明門の右には神楽殿が建つ。神楽といえば広島市民からすれば広島の県北の神楽や石見神楽、出雲神楽を思い起こしヤマタノオロチとか激しい舞をイメージするが、日光東照宮の神楽殿の舞は巫女が装束を着て踊り奉納するようだ。
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御本社の横にある建物が祈祷殿は1635年に作られた建物。その名の通り普通の人も申し込めばここで祈ってもらうことができる。祈祷殿も神楽殿と同様に漆黒色の上に施された色鮮やかなカラーリングが映える。金色と漆黒色がとても相性が良いのが良くわかる。
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漆黒色と黄金色が見事にマッチした祈祷殿
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眠り猫は東回廊の潜門の上に彫刻された猫ちゃん。まるで本物な猫のように毛並みまで彫刻され、眠っていながらもまるで生きているかのようにも感じる描写は左甚五郎の腕の凄さを感じる。
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猫ちゃん
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眠り猫があしらわれている東回廊の潜門を抜けると奥社参道と呼ばれる階段を登っていかなければならないが、その手前にあるのが坂下門。創建されたのが1635年だが、この門のすごいのは、創建当初から殆ど手が加えられていない建築物であること。当時の装飾が良くわかる上では貴重な門であると言える
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潜門、そして坂下門を潜ると、「奥社参道」と呼ばれる、最後の参道が現れる。家康の墓所に通づる参道だが、けっこう急な階段となっており、207段の石段がある。この日中にひぐらしが鳴いており、少し驚いた。
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踏みしめるように石段を登った先に鳥居が見える
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石段の上ある鳥居は1680年に5代将軍、徳川綱吉が奉納した奥社銅鳥居。こんな石段を上がったところまでどうやって持って上がったのだろうか??鳥居を下でパーツごとに鋳造し、石段を、登った場所で組み立てたのだろうか?いずれにせよ当時の技術でこんな場所にどうやって作ったのか不思議だ。
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奥社銅鳥居をくぐった先にあるのが奥宮拝殿。歴代の将軍しか入ることが許されなかった神聖な建物。歴代の将軍が、神格化された徳川家康公をこの場所で祈っていたのだという。漆黒色と黄金色、そして銅があしらわれているのだろうか、青銅色がのカラーリングで調和が取られている。
日光東照宮 奥宮拝殿 寺・神社・教会
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奥社拝殿の背後にはいよいよ最後の門、鋳抜門がある。鋳抜門は1650年に作られた青銅鋳物製の門で、徳川の葵の御紋が門の至るところにあしらわれている。観光客はこの門を遠くから眺めることしかできないが、この先に徳川家康の墓所がある。
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鋳抜門を過ぎるとようやく徳川家康の墓所、奥社宝塔に達する。昭和40年まで一般に公開されることもなかったが、現在ではこうして一般公開され見学することができる。なんかよく見ると骨壷のようにも見えてくるのは私だけだろうか
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奥社宝塔
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奥社宝塔の横には樹齢600年を超える叶杉という樹木がある。樹木は傷みも目立ち老木だと言うことがよく伝わってくる。叶杉には割かれたように洞ができており、洞の中に願い事をすると願いが叶うと言われている
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奥社宝塔を見学したあと、再び唐門まで戻ってきた。まだ見学していない神輿舎へ。
神輿舎は「しんよしゃ」と読むが、真中が徳川家康、向かって右側が豊臣秀吉、左側が源頼朝の神霊として百物揃千人武者行列で担がれる神輿が納められている。なぜここに源氏と無関係の豊臣秀吉の御霊が宿るとされる神輿があるのだろうか?豊友美秀吉からすれば良い迷惑かもしれない -
マッチョな狛犬
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この鳴龍には非常に驚かされた。天井に活き活きとした龍がえがかれているが、その龍の顔の真下で拍子を叩いて鳴らすと、何と鈴を鳴らしたように反響するのだ。他のところでは反響はにない。まるで龍が鳴いているように作られたこの構造を江戸時代に考えられたのだか衝撃だ
日光山輪王寺 薬師堂 寺・神社・教会
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日光東照宮から二荒山神社へ向かったが、上新道と呼ばれる参道を進む。
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二荒山神社の楼門が現れた。楼門は歴史的建築物であるとおもいきや、昭和53年に建設されたようで比較的新しい。門脚細く上側部分がゴツいのでアンバランスな建物のように感じてしまう。
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楼門をくぐったあとに現れるのが二ノ鳥居だ。1769年に作られた当初は木造の鳥居だったが1799年に現在の銅の鳥居に作りかえられた。二荒山神社の鳥居の特徴は日光東照宮の鳥居のように葵の御紋があしらわれておらず、巴紋があしらわれている。これは二荒山神社が徳川家と縁がないことを象徴しているからだろうか
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二荒山神社の拝殿。約1200年の歴史を誇る神社。周囲を木々に囲まれ厳かな雰囲気ながら、隣接する日光東照宮は金を分取んに使い徳川の威光を放っているが、こちらは「ザ・神社」。良く日光東照宮に取り込まれなかったなーと感じる。
日光二荒山神社 寺・神社・教会
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二荒神社。
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二荒山神社といえば夫婦杉が有名だが親子杉もある。
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輪王寺常行堂。東日本随一の木造建築、輪王寺の三仏堂とは全く異なる場所にあることに驚かされる。常行堂は848年に慈覚大師円仁によって延暦寺を模して作られたのだとか。現在のお堂が昔から続く伝統的な建築様式を継続しているのか定かではないが、あまり観光客が訪れていないのが不思議だ
常行堂の前にはバス停があり、そこから東武日光駅などに戻ることができる。我々は東武日光駅へ。
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