2021/07/24 - 2021/07/27
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worldspanさん
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中禅寺湖の奥日光ホテル四季彩を出発したあと、大内宿までは移動の連続だった。
奥日光ホテル四季彩入口発東武バス7:53→中禅寺温泉バスターミナル8:02
バスターミナル…(徒歩)…華厳の滝…(徒歩)…船の駅中禅寺湖
船の駅中禅寺湖発9:30~(遊覧)~船の駅中禅寺湖10:25…(徒歩)…バスターミナル
バスターミナル発東武バス11:00-東武日光駅11:36
東武日光発12:30-下今市12:39発リバティ117号12:43-会津田島14:08
会津田島発14:19-湯野上温泉14:51発 猿游号14:55-大内宿入口15:15
観光をしつつ公共交通機関を目まぐるしく乗り換えながら移動の連続。worldspanは小6からこの旅のスタンスなのでタッチアンドゴーのような移動には慣れているが、あまり公共交通機関を多用した旅に慣れてないようで少し疲れが見え始めていた。
今回紹介する大内宿は江戸時代に参勤交代の街道が整備され、宿場町として栄えていた。ところが災害による街道の遮断などにより参勤交代の街道が変更され江戸時代中期から衰退し、明治時代には鉄道の発達により時代から完全に取り残されてしまった集落だ。
現在も宿場町として名残を残す宿はわずかに2軒が残されるだけだが、今回はその一つ、本家扇屋に宿泊した。
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東武日光駅を昼過ぎに出発し、まずは下今市に向かう。下今市から奥会津方面には特急リバティに乗り換える。この時特急リバティは下今市以北については座席を指定しなければ特急券なしで乗車でき、お得感がある。
東武日光駅 駅
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下今市駅に到着すると、偶然SL大樹を見ることができた。東武鉄道の下今市から鬼怒川温泉までのわずか約12キロを土休日を中心に走らせているSL大樹。SLのC11は小型の蒸気機関車でもあるが、大樹の特徴は2つ目になっていることだろう。座席車両を見ると何と国鉄時代に作られた12系車両だ。鉄道好きからすれば蒸気機関車よりもむしろ12系に目が向くと思う。
SL大樹 (DL大樹) 乗り物
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大樹を見た後、ちょうど下り線に入線していたリバティに乗車しようとしたとき仰天した。下今市から乗車する乗客が多数おり、なんと乗客がデッキまであふれかえっているのだ。我々は大樹を撮影していたので乗車が遅れてしまい、結局デッキで立つことになった。
会津田島まで1時間20分あるが、そこまで立たないといけないのかと途方に暮れていたが、幸い多くの乗客が鬼怒川温泉で下車したので、鬼怒川温泉から先は着席することができてホッ。特急リバティ 乗り物
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特急リバティは会津田島までは東武線を通りすぎると、次は野岩鉄道の線路を走り、奥会津の会津田島にまでに到着する。
会津田島駅 駅
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会津田島では会津鉄道に乗り換え湯野上温泉まで向かう。約10分の乗り継ぎ時間があったので、その間にトイレを済ませて会津鉄道の車両へ。写真の赤い車両はリレー号だが今回乗車するのは・・・、
会津鉄道 乗り物
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通常の気動車の車両だ。会津田島から下車する湯野上温泉まで約30分間コトコト揺られながら移動する。車窓はのどかな風景が広がり、ボケーっと見ているだけでも心が癒される。
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日本で唯一の茅葺の駅。鉄道が好きな人でなくても駅は見ごたえある。足湯があるので余裕をもってこの駅に行こう。
湯野上温泉観光協会 (湯野上温泉駅) 温泉
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湯野上温泉駅から大内宿まで移動をする場合、広田タクシーが運営する猿游号が走っている。往復チケットで1,100円だ。今回のように大内宿の民宿に宿泊する場合、翌日に利用することができる。湯野上温泉駅には14:51に到着したが、猿游号の出発は14:55、慌ててバス乗り場に向かった。
乗り継ぎ時間がタイトだが乗客は我々二人だけ。トイレに行く時間や翌日に利用するトロッコ列車の整理券の購入までバスを待ってくれとても助かった。
車掌のおばちゃんは話好きで、大内宿のことなどいろいろ教えてもらえ楽しい移動となった。レトロバス 猿游号 (広田タクシー) 乗り物
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猿游号のチケット。
湯野上温泉駅から大内宿まではバスで約20分、大内宿まで大内峠を進んでいく。途中バスの中でにわか雨が降り、大内宿での天候を心配したが、幸い降雨は峠だけ。二日連続で移動中のにわか雨でラッキーだった。 -
大内宿にはいまだに2軒の民宿が営われているが、今回宿泊したのは本家扇屋に宿泊。扇屋の代名詞、蔵の中が部屋割りされており宿泊できるのだ。築300年を超える古民家と蔵を改装して民宿にしている人気の宿だ。
蔵の民宿 本家扇屋 宿・ホテル
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地階には囲炉裏があり、宿泊客はここで夕食や朝食する。民宿には7部屋しかないが、時間を2回に分けて夕食をとった。
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囲炉裏には飲み物が用意されている。
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こちらは蔵の中の二階の部屋。とても雰囲気があってよい。隣の部屋とは襖で仕切られているだけなので、神経質な人には向いていないかもしれない。
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今回宿泊した部屋は一階の囲炉裏のすぐ横の部屋。
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部屋にはお菓子が用意されている。
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こちらがお風呂。民宿に一つしかないので時間を女将に伝えて利用することになる。湯舟は大きいので二人でも利用できる。
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扇屋にチェックイン後、部屋で少し休息後に散策を開始した。
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まず最初に大内宿見晴台に向かった。
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見晴台のすぐ横にあるのが子安観音。その名の通り、安産や子育ての神様を祭っている。子安観音の創建は1575年(天正3年)頃ということだから、織田信長が天下布武のために邁進していたことだ。建物は残念ながら毎年5月の例祭の時でなければ開帳されない。屋根の茅葺には草が生え、ラピュタ化しているのが特徴だ。
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そしてこの場所が大内宿見晴台。大内宿で一番人気のスポットで多くの観光客が訪れる場所だ。幸いこの時間帯は16時過ぎだったので多くの観光客が引き始めていた時間帯だった。そのため見晴台の観光客が少なく、見ての通り宿場を歩いている人も少なかった。撮影をするなら夕方か、人が誰も歩いていない早朝が良いだろう。
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茅葺屋根がずらりと並んだ様子はまるで昔話の世界に迷い込んでしまったようにも感じる。大内宿には30件以上の茅葺の古民家が建ち並ぶ。これほど奥の茅葺屋根の民家が残されているのは日本で唯一の場所なのだそうだ。
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見晴台で写真を撮影した後は大内宿の入口方面へと散策した。
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この時間帯になると多くの観光客は入口のほうへと戻っていく。大内宿に宿泊できる民宿はわずかに二軒しかない。そのためほとんどの観光客は湯野上温泉などの周辺の宿に宿泊しているのだろう。
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大内宿にあるこめやでとち餅を食べた。こめやのとち餅は2個がセットになっている。しかも大きさもそれなりにあるので2つを食べるとかなりお腹にずしりとくる。なので二人でシェアをする感じで食べたほうが良い。
そば処こめや グルメ・レストラン
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とち餅は栃の実ともち米を混ぜて作ってるようで独特の風味があり、粘り気もあって食べてすぐに大好きになった。きな粉はひよこ豆か何かのきな粉だろうか?きなことアンコが混ぜ合わさったものを食べると、これまたうまい!広島の実家で使っている青きなこと同じような印象を持った。
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16時を過ぎると営業していた店も閉め始め、観光客も少なくなってくる。
それにしても大内峠の雨が嘘のような快晴となってよかった。大内宿 名所・史跡
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観光客が多いとまるで博物館のように感じたが、観光客が引き上げると雰囲気ががらりと変わる。
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大内宿の入口付近には南仙院分家という建物がある。ここではお土産も販売されているが、一番の特徴は大内宿の神社、高倉神社の御朱印をこちらでいただくことができることだろう。建物には火の見櫓があり、そこには「水」と書かれ両サイドにひげのようにウナギが描かれているのがマークだ。大内宿には南仙院本家もあるが、御朱印はこちらの分家になるので注意しよう。
南仙院 神官 グルメ・レストラン
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大内宿の入口付近には田園風景が広がっている。この先に有料駐車場がある。
大内宿が山々に囲まれた小さな盆地になっているのが良くわかる。盆地のせいか、思ったほど涼しくはなかった。とはいえ、民宿では扇風機だけで寝ることはできるが。
入口まで下がった後に、再び大内宿の中心部に戻ることに。 -
大内宿の下の付近から撮影。17時近くなると全く人がいなくなった。今までの騒がしさが嘘のようだ。
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大内宿の真ん中あたりに大きの鳥居が建つが、これは高倉神社の一の鳥居。高倉神社はここから5分ほど歩いた場所にある。
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高倉神社への道すがら、右手には数年前に廃校になった学校。現在小学生はバスで隣の町まで通学しているのだとか
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あぜ道のような道をまっすぐ歩くと田舎らしい田園風景が広がる。右手の奥に高倉神社の二の鳥居がみえる。神社はあの木が生い茂る場所にあるのだろう。
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大内宿方面を見るとこのような風景が広がっている。
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高倉神社の三の鳥居。周辺には蛍が現れるが、7月末まで楽しむことができる。
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高倉神社の本殿。高倉とはあの後白河法皇の親王「以仁王」のことだ。以仁王は高倉宮以仁親王という。以仁王と言えば平治の乱以後の1180年に平清盛が率いる平家討伐の令旨を発布し、源頼朝などが立ち上がったが、その一方で以仁王は討ち取られた。
しかし遺体が見つかっていないことから落ち延びたという伝説が各地に残されており、こうした以仁王伝説が何と遠く離れたこの地にも残されている。高倉神社では以仁王が祭られている。高倉神社 寺・神社・教会
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高倉神社を参拝後、民宿の扇屋に戻ってきた。白い蔵が民宿だ。
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夕食前に戻ると、囲炉裏でイワナが焼かれていた。これはおいしそうだ!
蔵の民宿 本家扇屋 宿・ホテル
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ビールはもちろん会津の美味しい地酒も用意されている。そして夕食も朝食もボリュームが半端ない。ビールや会津のお酒によく合う。
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。食べきれないほど出てくるのに驚きだ。特に美味しかったのはイワナの塩焼きと馬刺し。イワナの塩焼きは囲炉裏でじっくり焼かれたイワナは尻尾から頭までそのまま食べることができる。
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会津と言えば馬刺し。馬刺しも臭みもなく、刺し身そのまま!これは食べる価値がある。ご飯も米が良いのか、炊き方が良いのか、両方良いのかとても美味しかった。
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食べきれないほどの量!
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食後、宿泊客は女将にホタル観賞を連れて行ってもらえる。このエリアは7月下旬まで蛍を見ることができるのだ。
この日は満月で蛍が見えにくかったが、とはいえ明かりのない場所での満月の明るさを改めて知ることができた。 -
蛍鑑賞を終えた後は、自由に歩くことができる。カップルで訪れているのであれば、夜風に当たりながら夜の大内宿を歩いてデートを楽しめたりできる。
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翌朝、5時過ぎから少し散策してみた。
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この時間帯に歩く人は皆無だ
大内宿は会津と関東を結ぶ下野街道に面している。下野街道は鎌倉時代にはすでに存在していたが、大内宿が歴史的舞台に現れるのは江戸時代に入ってから。参勤交代などのために街道沿いが整備されたことによる。 -
見晴台のほうに歩いていて、大きな建物が左手にポツンと見えた。それは大内宿街並み展示館だ。大内宿の本陣呼ばれる建物だ。大内宿が江戸時代に参勤交代の宿場町として整備されたころに建てられた。初代会津藩主保科正之はこの地で昼食をとるなどした場所だともいわれている。現在の建物の場所は戊辰戦争の被害を受け、昭和59年に再建されたのだという。大内宿は戊辰戦争ではそれ以外に大きな被害を受けることはなかったようだ。
大内宿町並み展示館 美術館・博物館
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大内宿が形成されたのは1643年頃、会津藩の参勤交代のために形成された。あいつから江戸へ上る場合は大内峠前の宿場町として、江戸から下る場合は大内峠を登った後の宿場町として非常に重要視されていた。
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ところが1740年代に参勤交代のルートが変わったうえ、街道が災害の被害を受けてしまい、大内宿は宿場町としての重要度が低下してし衰退の一途をたどることになった。
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大内宿の一番上手に建つ建物がこの浅沼食堂。大きな茅葺の建物だが、その名の通り、ここでは大内宿名産のそばを食べることができる。営業時間は10時から16時までと営業時間は短いので訪れるときには時間配分を考えておこう。
浅沼食堂 グルメ・レストラン
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浅沼食堂の前に建つ「湯殿山」と書かれた石碑、いったいなんだろう?と思って後で調べるみたが、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の湯殿山の信仰をあらわす石碑なのだそうだ。
因みに月山が前世を(過去)をつかさどる阿弥陀如来を祀り、湯殿山が来世(未来)を司る大日如来を祀っている。大内宿では江戸時代に湯殿山を信仰する民が多く、湯殿山に向かって手を合わせる人のために修験者たちは大内宿に石碑を建立したのだそうだ。
広島出身の自分には出羽三山があまりなじみがなかったので、こうした石碑を初めて見て興味深く感じていたが、山形や福島などの東北ではところどころで修験者たちによりこうした石碑が建てられているのだそうだ。 -
大内宿では道路を挟むように小川が流れているが、江戸時代には道の真ん中に川が流れていたのだそうだ。明治以後に車が入りやすいように川を二分し、道の両側に移動させたのだそうだ。
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明治時代初期に作られた大内宿だが、中期には参勤交代のルート変更や街道の自然災害により重要度が低下した。そして明治時代に入るとさらに歴史から取り残されることになる。
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明治時代に入ると鉄道や道路が整備された。会津の中心地でもある会津若松から東京に出るルートは、会津若松から郡山へ鉄道が敷設され激変する。
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そしてさらに会津若松から関東方面へのルートでは川沿いに現在の会津鉄道の線路が敷設され、大内峠を通る「大内宿ルート」は完全に途絶えてしまい、大内宿は歴史から消え、取り残されてしまうことになった。
写真は見晴台から見た浅沼食堂 -
民宿の女将さんの話では、昔の大内宿は寒村だったと話していたが、こうした歴史的経緯があり、大内宿では昭和40年代までは貧しい生活を強いられていたのだとか。因みに電機の開通は昭和21年頃だそうだ。
6時前に見晴らし台に訪れると、何と一人だけ撮影していた人がいた。先客の邪魔にならないように写真撮影。 -
大内宿が再び注目を浴び始めたのは昭和45年に大河ドラマのロケで使われ全国的に知られるようになってからなのだそうだ。そして昭和50年代に入り多くの観光客が訪れるようになり、大内宿の生活も豊かになり始めた。
見晴台付近は山道のようになっているが、まっすぐ進むことができる。 -
本格的に観光客が押し寄せ始めたのは昭和55年ごろからなのだそうだ。
しかしその後東日本大震災で観光客が激減してしまったが、会津藩を舞台とした大河ドラマ「八重の桜」により三度輝きを取り戻した。
どこまで行けるのかと思いながら進んでいくと、下郷町観光公社 大内宿食の館そば道場に到達した。 -
これ以上進んでも何もなさそうだったので、元来た道を戻ってきた。
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7時前には民宿へ戻り荷物整理をした。
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そして8時前から朝食。朝食のご飯はとても美味しかった!特に美味しかったのは白米だ。こんなに甘くておいしいご飯は初めて。白米だけでも十分食べることができる。
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大内宿の本家扇屋の向かいにある田沼商店。民宿をしている本家扇屋の分家的なお店。そのため本家扇屋で出される具材も売られている。お土産のお菓子も豊富も豊富に取り揃えている。おすすめは会津名物のとち餅だろう。栃の実が入っており、とても美味しい。
扇屋分家 お土産屋・直売所・特産品
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こちらはお店で購入した会津田島のお茶屋のそば茶。とてもおいしくお勧め!
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民宿をチェックアウトし、バス乗り場へ。バス乗り場は民宿の扇屋から徒歩5分程度の場所にある。
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10:35分発の猿游号のバスで湯野上温泉駅へ向かったが、バス停は会津バスのバス停も一緒にある。湯野上温泉駅から会津バスでも行くことができるが、会津バスは土日祝は運行していないので注意が必要だ。土日祝に利用する場合は猿游号のバスのみだ。
会津バス 乗り物
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湯野上温泉駅から猿游号のバスがやってきた。この折り返しのバスで湯野上温泉駅へ
レトロバス 猿游号 (広田タクシー) 乗り物
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