2021/11/04 - 2021/11/04
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Decoさん
この旅行記のスケジュール
2021/11/04
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自宅から、有明海沿岸道路経由で温泉へ。
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筑後川の河口に位置する福岡県大川市。
家具の町として有名ですが、意外にも古代~近代~現代と、歴史を感じることができる町です。
そんな大川でちょっとだけ観光をしてきました。
(2021/11/17公開)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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観光がテーマの旅行記ですが、例によって温泉から始まります。
「大川貴肌美人緑の湯」(他の旅行記で既出のため省略)ですが、入浴後に食事処で「もつちゃんぽん」を食べて、大川プチ観光の始まりです。
*この施設の旅行記はこちら↓
https://4travel.jp/travelogue/11651358大川温泉 貴肌美人 緑の湯 温泉
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この温泉、50枚綴りの回数券を購入すると、希望者にはベッドがただでもらえるとのこと。
ただし、この掲示は二年程前からあるような気がします。自分で引き取りまたは送料負担というのがハードルを上げているように思います。
家具の町・大川製のベッドだから、モノは良いはずですが。 -
続いては、風浪宮へ。
大川を代表する神社というだけでなく、筑後地区を代表する神社の一つです。神功皇后と阿曇氏 by Decoさん風浪宮 寺・神社・教会
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神社の御由緒の石碑がありました。
神社の始まりは、いわゆる「神功皇后の三韓征伐」に由来します。
配下の阿曇氏に命じて開運と航海の安全のために神を祭ったことから始まるようです。
神功皇后…古代大和朝廷において、三韓征伐や熊襲征伐でその名を知られる人物、仲哀天皇の后でしたが、その死後、摂政となり長く国を治めたとされます。皇后自身は、近江(滋賀)に勢力を持っていたとされる息長氏の出て、息長氏自体も天皇の子孫とされています。
神宮皇后、その実在性などいろいろ取りざたされますが、北部九州において、この風浪宮だけでなく、宇美神社、宮地嶽神社、香椎宮など深いかかわりがある神社が多く、やっぱり実在したか、もしくはかなり確実なモデルがいたと思います。
一方、阿曇氏(安曇氏)は、古代の有力な海の氏族として知られ、今の福岡市東部が発祥とのことです。東区の志賀島や香椎宮のあたりでしょうか。また、筥崎宮や博多の町あたりまで含まれるかも知れませんね。
神武天皇の東征に従い、大和へ移動。朝廷の日本列島各地への進出に伴い、阿曇氏の足跡も拡がりました。遠くは信州の安曇野にも川を遡ってたどり着いたようです。 -
こちらは新しい御由緒です。
風浪宮は、福岡県大川市、筑後川が有明海に注ぐ場所にあります。
古代から、筑後川は福岡県南部や佐賀東南部の大動脈でした。流域には佐賀の吉野ケ里遺跡、また朝倉市の平塚川添遺跡などもあり、古代九州の中心地でした。
その筑後川と、有明海から外海に繋がる場所であるわけですから、古代においても大変重要な地域だったのだと思います。
神功皇后は、三韓征伐(=高句麗、新羅、百済)で知られますが、その前に熊襲征伐を行っていて、この時点で朝鮮半島への出兵の話も出てきます。この二つが同時並行のような形で進んでいきます。当時は国家や国境の概念は、現代とはかなり違っていて、朝廷としては朝鮮半島の戦力、南九州に勢力と関わり時に戦いを繰り広げながら勢力拡張や維持をはかっていたのだと思います。
熊襲は今の熊本南部(人吉のあたり)から鹿児島北部(霧島あたり)にいた人々とされます。熊本北部は多くの古墳もあり、大和朝廷の勢力下に比較的早く入っていたのかも知れません。
大和朝廷は、景行天皇(仲哀天皇の祖父)の頃から度々熊襲と戦ってきました。福岡県の東部に京都郡という場所があります。なぜに福岡に京都…と思いますが、景行天皇が熊襲との戦いの際に仮の宮を定めた場所なのだそうです。
現在の八女市には「八女津媛神社」がありますが、景行天皇が土地の女神を祀ったことに始まるそうです。朝廷に協力的な土地の勢力の女首長だった…のかも(私の勝手な妄想です)。
その景行天皇の皇子にして仲哀天皇の父にあたるのが、古事記や日本書紀で知られる日本武尊(ヤマトタケル)。彼もまた熊襲との戦いで知られます。熊襲の酒宴に女装して首長に近づき、倒したというお話は有名ですね。仲哀天皇と神功皇后にとって、熊襲は先祖以来の強敵ということになのでしょう。
熊襲征伐の後に神功皇后は、山門郡(現在の柳川市や、みやま市)付近の田油津媛(タブラツヒメ)という女酋を討ちとり、九州北部を平定したとされています。この田油津媛、卑弥呼の後裔という説もありますが、邪馬台国の場所が不明ですし…どうなんでしょうか…。 -
参道から小さな石橋を渡り、門を過ぎると本殿があります。
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橋の両側は庭園風の小さな池がありました。
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こちらが本殿。
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本殿の説明です。
風浪宮自体は、神功皇后の遥かな昔に創建されましたが、本殿は、1560年、柳川地方を本拠とした蒲池氏によって再建されたものが元になっているようです。
蒲池氏は、その源には諸説がありますが、一説には松浦氏、渡辺氏などと共に嵯峨源氏とされています。嵯峨天皇の皇子数人が臣籍降下して源氏を名乗りましたが、蒲池氏の祖になる皇子は源融(「源氏物語」の光源氏のモデルの一人ともされる)だそうです。
ちなみに、歌手の松田聖子さんの本名は蒲池法子。彼女もまた蒲池氏の子孫の一人です…ということは、嵯峨天皇の子孫にして、光源氏のモデルの子孫でもあるのですね…。 -
イチオシ
本殿横には、古武士のような風格の楠の巨木があります。
この木はとても有名。風浪宮の象徴ともいえる古木です。神功皇后と阿曇氏 by Decoさん風浪宮 寺・神社・教会
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「天然記念物 白鷺の楠」
説明の石碑がありました。神宮皇后が朝鮮半島からの帰途、海で嵐にあい、神の化身の白鷺がこの楠の地に船を導いた…
ということは、神社創建前からの古木ということでしょうか。
樹齢は約二千年…ということです。
(大川市名木・古木百選でもあるそうです)
嵐にあったのは本当かも知れませんが、神功皇后が北九州でも歴史が古く多くの勢力があった筑後・肥前の抑え、さらに強敵・熊襲を念頭に、配下の阿曇氏を置いていったような…気がしないでもありません。初代宮司のお墓は首長級で日本最大級の支石墓だったそうですから。実際、後の継体天皇の時代には八女の豪族・磐井の乱(528年)も起こっています。
海人であった阿曇氏を見張りにおいておけば、何かあったら海のネットワークを通じて大和の朝廷にも連絡が入った…のかも知れません。
「あずみちゃん、筑後や肥前の連中は、昔から吉野ケ里とかいろいろ造って争って、海千山千の食わせ者ばかりだから、しっかり見張っとくのよ。でも一番の強敵は熊襲よ。もっと南の隼人も要注意よ! 何かあったら”阿曇海人快速船網”でちゃんと大和まで知らせてね。さぼったらお仕置きよ! でも任務を果たしたら、お墓は豪華にしていいからね!」くらいは神宮皇后もおっしゃった…かも。
(熊襲と隼人は同一とする説、隼人は熊襲の後裔だとする説、別々などいろいろあります。尚、上記は私の単なる妄想です) -
もう一枚、反対側から撮影。樹齢二千年、折れてしまった大きな枝も見られます。
この古木を保つのも大変な努力が必要なんだと思います。 -
五重塔…境内に塔があるのかと思ったら、石の五重塔ということで、この建物の中に収められていました。
神仏習合の名残だそうです。 -
風浪宮は「百年の杜記念事業」を計画しているそうです。
先ほどの本殿の裏手は、現在長方形の竹林に数本の巨木と空地がありますがここに大きな杜をつくるらしいです。
完成すれば、さらに緑豊かな神社になることでしょうね。 -
見学を終えて、本殿を後にします。鳥居の先には道路があり、その先が駐車場です。
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駐車場の先は緑濃い公園になっていて、表示を見ると「大川公園」とあります。風浪宮の外苑ということで、昔は神社の一部だったのかも。
桜、つつじ、紅葉の名所だそうです…今回はすべて外してしまいました。風浪宮外苑 by Decoさん大川公園 公園・植物園
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駐車場に面して、石碑のような不思議な時計がありました。
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中に進んでみると、思っていたより素敵な公園のようです。
大きな池に緑も豊かでお手入れもされています。
さすがに風浪宮の外苑ですね。
奥の方に建物が見えますが、多分、風浪宮の下宮だと思います。
水は…あまりきれいではないようですが、花宗川という筑後川の支流と繋がっているようです(筑後川も近い)。
このあたり、昔は海のすぐ近くだったのかも知れません。 -
なかなか良い風景…
風浪宮外苑 by Decoさん大川公園 公園・植物園
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ベンチや東屋、広場の一画にはトイレもあって…観光の途中で家族連れの休憩にも良いかも知れませんね。
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「影を慕いて」の歌碑もありました。
昭和の大作曲家・古賀政男氏は、大川市の出身でしたね。 -
続いて、筑後川昇開橋へ。
筑後川を挟んで大川市と佐賀市を結ぶ橋です。
かつては国鉄佐賀線が通り、大型船が航行する際は、橋の中央部が上に移動して通していました。
風浪宮からは古代~中世の大川の歴史を伺うことができましたが、昇開橋は近世~現代の歴史がわかります。目の前での昇降に感動 by Decoさん筑後川昇開橋 名所・史跡
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橋の周辺は展望公園になっており、駐車場もあります。
目の前での昇降に感動 by Decoさん筑後川昇開橋 名所・史跡
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説明板を拡大してみました。
説明をかいつまんで書いてみると…
・筑後川昇開橋は、1935年(昭和15年)、鹿児島本線瀬高駅と長崎本線佐賀駅を結ぶ、国鉄佐賀線の開通と共に建造された。
・柳川や大川はかつて佐賀長崎方面に行くには、いったん北東方向の久留米や鳥栖まで出て迂回しなければならなかった(多分筑後川があるため)。
・昇開橋ができて佐賀線が開通したことで陸上の交通が便利で早くなり、通勤通学、米や木材の輸送に貢献した。特に木材輸送は大川の家具産業の発展に寄与した。
・しかし、1950年(昭和35年)大川大橋の開通により車による陸上輸送が発達、乗用車の普及やバス路線の拡大により、佐賀線の利用が減り、1987年(昭和62年)、線は廃止となる。
・その後は展望プロムナードとして整備されている。 -
下の駐車場付近から、橋に上がってみます。
上がったあたりにあるのは「筑後岩津駅跡地」。かつての佐賀線の駅跡です。 -
鉄道ファンの方のために、写真部分を切り取ってみました。
両方の写真を比較すると、橋の一部が昇降しているのがわかります。 -
駅跡の横には、駅舎をイメージした「幸福の鐘」の建物がありました。
説明版を読んでみると、大川の港の歴史が記されていました。
大川の港湾は、1751年に久留米藩により整備されました。江戸時代中期になると思います。その後は久留米藩の外港、また筑後川流域全体の積出港(特に米)として栄えたのだと思います。
明治初期には福岡県一の輸出入額を上げたそうで、博多や若松・門司をしのぐ港湾だったのかも知れません。
昭和初期までは大阪商船や尼ヶ崎商船も入港していたそうです。
その海運と陸上輸送を両立されたのが筑後川昇開橋だったのですね。
ただ、皮肉なことに若津港と筑後川水運の繁栄を奪ったのは、同じ筑後・石炭産業を基盤に栄えはじめた新興都市・大牟田に最新の設計で築港された三池港だったらしいのです。
*三池港についてはこちらの拙旅行記でほんの少しだけ書いています。
https://4travel.jp/travelogue/11696257
ちなみに、港湾都市として造船業も栄えたために木工も発達。それが家具製作に生かされ、大川は家具の町として知られるようになります。
この旅行記の冒頭の「大川温泉貴肌美人緑の湯」も、親会社は木材や木工を扱う会社なのです。今でも、港湾→家具→他の産業へ発展、という流れは続いていて、港湾の大元を辿れば、風浪宮が創建された頃、あるいはそれ以前の古代の水運に繋がるのだと思います。 -
大川市側の橋の入口付近から撮影。筑後川を渡るのだから、かなり長い橋です。
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昇開部分に近づいてきました。
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昇開部分です。
かつてはここに佐賀線の線路が通っていました。 -
このようにして、橋の一部が上昇します。この下を大型船が通っていたわけですね。目の前で橋が動くのを見られて感動しました。
この筑後川昇開橋、通行見学は無料、さらに橋の昇降も無料で見せてくれます。しかも、決まった時間などはなくて、「観光客の方が来たらやります。せっかく来てもらっても、昇降が見られなかったら残念ですから」とのこと。観光客の立場に立った優しい発想、それになんと太っ腹な大川市と佐賀市と管理団体(公益財団法人 筑後川昇開橋観光財団)!
昇降させるおじさんも親切でいろいろ説明してくれて、至れり尽くせり!
考えてみれば、80年前に造られ、現在世界で唯一稼働している可動橋です。物凄い希少価値だし、それだけに維持管理も大変だと思います。
手前にあるショーケースは土産物コーナーで、募金箱もあります。これだけサービス精神旺盛なのだから、気持ちばかり募金してきました。
ここは夜もライトアップされて通れるし、付近のエリアからも角度を変えて眺められて、夕陽の頃はシャッターチャンスらしいです。
写真自慢の九州及び近郊のフォートラベラーのあなた、一度訪れてみてはいかがでしょうか(*^^*) -
昇開部を渡り、佐賀側へ。大川側を撮影。
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大川市側へ戻ります。
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昇開橋から撮影した、佐賀側の川辺。漁船が集っています。
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昇開橋の北側、筑後川の中州の島です。ここは佐賀市になります。
島にある大きな建物、ホテルでしたが、なんと現在はデイサービスの施設になっているようです… -
橋から撮影した大川昇開橋温泉の跡。残念ながらコロナで閉館してしまいました。源泉かけ流しで、昇開橋や筑後川の景色が眺められて絶景だったのですが…。
どこかの企業が再開しないかな…。
この場所には、かつては造船所があり、昇開橋のパーツもここで作られていたようです。
*大川昇開橋温泉についてはこちらの拙旅行記で取り上げております。
https://4travel.jp/travelogue/11678843
大川市、有明海沿岸道路のインターの側に道の駅を造るそうですが、それより観光客が集まり、駐車スペースも温泉もあるこの場所に複合施設でも作ったら良いのでは…などと素人考えですが、思ってしまいます。この建物と温泉ももったいないですよね。大川昇開橋温泉 食堂 グルメ・レストラン
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大川側に戻ってくると、橋のすぐ下にカフェのようなスペースが見えました。
調べてみると「大川観光協会 大川市観光・インテリア情報ステーション 大川TERRAZZA」という施設のようです。大川の家具・木工技術を紹介するスペースもあって、猫用の家具も展示されているとか…。今回は立ち寄りませんでしたが、面白そうなスペースです。屋外のカフェスペースも晴れた日は居心地よさそうだし、コーヒーも美味しいらしいです。
ただ、どんな場所なのか、外側からはよくわからないのです。もう少し、外にもアピールして多くの人が訪れるようになると良いかなと思います。レストランを併設しても良さそうだし。
筑後川昇開橋自体は、文化遺産・産業遺産としても素晴らしいもので、観光客もそこそこ来ています。良い意味でもっと利用して儲けてもらいたいものです。
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大川の家具は有名ですが、売り上げは全盛期に比べて随分落ち込んでいるようです。生活スタイルの変化(新築は備え付けの家具が多い)、婚礼の変化(古風に箪笥をしつらえて結婚する人も減っている)などもあって、厳しいらしいです。
材木や家具の会社が温泉経営など多角化しているのもその影響なのでしょう。
船造りから始まった伝統のある大川の家具。頑張ってもらいたいです。 -
大川市プチ観光、最後に訪れるのは、この方の記念館です。
この像の前に立つと、自動的にメロディーが流れてきます。曲は「影を慕いて」。古賀メロディーの故郷、大川 by Decoさん古賀政男記念館(生家) 美術館・博物館
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古賀政男記念館です。
古賀政男(1904~1978)、昭和を代表する作曲家の一人ですね。
残念ながら内部は撮影禁止でしたが、古賀政男氏の生涯、愛用品の展示、音楽関係の展示などがありました。それにリスニングルーム(アナログ盤も聴ける)などもありました。
また復元された生家も見学することができます。
近隣に住んでいると、ついつい近場の記念館などは行かないものですが、筑後出身の有名人であり、日本の音楽文化にも多大な貢献をした古賀政男氏。一度は行っておくべきだと思ったのです。
それに昨年、NHK朝ドラの「エール」で、主人公・古山裕一(古関裕而)と木枯正人(古賀政男)がライバルでありつつも生涯仲が良かったりたのが印象に残っていました。
古賀政男記念館ですが、撮影禁止は致し方ないとして、一部で良いから撮影スポットを設けたら…と思います。リスニングルームなどは問題ないと思いますし。今はネットの時代ですから、写真などを見て興味を持って訪れる人も多いと思うのです。 -
記念館の建物です。
私は世代的に古賀メロディーとはずれがありますし、また私以降の世代は演歌とはあまり縁がないと思います。
ただ、展示室には”最後の弟子”大川栄策のレコーディングに立ち会う姿の写真があったり(このとき、大川さんはまだ二十代。写真で見ても若い!)、また小林幸子を発掘したとか、大川市で催される「古賀政男音楽祭」に十代だった頃の氷川きよしが出場して賞を取っていたということをなどを知ると、今も日本の音楽界に影響を与え続けているのだと思います。 -
復元された生家。敷地の外から撮影しました。
この建物、二つの棟から成り立っています。
一つは、この写真の明治初めに建てられた母屋(土間と和室一部屋にに小さな二階)。そして昭和初期に建てられた離れ(座敷が二部屋に広縁が巡らされている)。建物は土間で繋がっていました。
古賀政男は、現在の大川市で生まれましたが、5歳のときに父を亡くし、7歳で故郷を離れて長兄が商売を営む朝鮮へと移り住みました。
古賀政男が大川市で過ごした期間は決して長くはなかった。ただ、幼くして父を亡くし、故郷を離れて苦労した家族…その悲しみがどれほど深かったことか。
彼の「人生の並木道」という歌には、その悲しみが込められていると言われ、「誰か故郷を思わざる」という歌も残しています。哀調漂う古賀メロディーに影響を及ぼしている…大川市はやっぱり古賀メロディーの原点なのかも知れません。
決して恵まれた少年時代ではなく、いわゆる音楽教育も受けなかった。しかしその中で音楽の才能を開花させて多くの人を感動させ、昭和を代表する作曲家となったのですから、やっぱり天才だったのだと思います。
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この旅行記、このあたりで終わりにしたいと思いますが、最後にこのエリアを車で観光される方に…
「有明海沿岸道路」という自動車専用道路があり、現在、大牟田市~大川市が開通しています。眺めもよくて便利です。
ただ、インターが変則で、例えば柳川で沿岸道路から降りようとすると、大牟田方面からだと「柳川東インター」で降りることになり、大川方面からだと「柳川西インター」で降りることになります。上り下りで自動車道から降りるインターが違ってくるので、ご注意ください。
それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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旅行記グループ
筑後地方の旅
この旅行記へのコメント (6)
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- 万歩計さん 2022/01/04 23:13:55
- 昇開橋を見てきました
- Decoさん、新年おめでとうございます。
先月、老母の様子を見に帰省した際、大川市にある寺に墓参りに行き、ついでに筑後川の昇開橋を見てきました。Decoさんの旅行記がきっかけです。
夕日が沈む時が素晴らしいでしょうね。赤い夕陽が川の水面に揺れる中、すっくと立った赤い橋。船が通過していれば最高です。
鉄道、産業、土木等、長く日本の発展に寄与して、今は役目を終えて廃墟然として残る遺構は愛おしいです。これからも筑後地方の風景をどんどん発信してください。
今年もよろしくお願いします。
万歩計
- Decoさん からの返信 2022/01/05 11:29:27
- Re: 昇開橋を見てきました
- 万歩計さん、こちらこそ、新年おめでとうございます。
筑後川昇開橋に行かれたのですね。拙旅行記がきっかけとは、恐縮しつつもうれしいです。
このときは、昇開橋の半ばまで行っただけでしたが、上流の中州あたりからならまた違った姿が見られたかなと思います。
船が通過していれば…本当にそうですね。昇開橋のベストショットになりそうです。
産業に貢献して役目を終えた遺構たち。本当にありがとうと言いたいです。また、遺構にどれだけの人が関わり、思いを込めたことか。昇開橋も三池炭鉱の移行も、多くの先人たちの人生がその中に込められているような気がします。
新年に、力づけられるコメントをいただき、ありがとうございました。
今年もボチボチ、でも少し張り切って筑後の旅行記を作っていこうと思います。
こちらこそよろしくお願いいたします。
Deco
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- みみこさん 2021/11/18 21:55:27
- ここだったんですね!
- Decoさん、こんばんは。
筑後川流域、どこかと思っていたら、全く思い浮かばない場所でした。
温泉もあるんですね。
全く大川のことは私のアンテナになかったので、新鮮でした。
神功皇后大好きなので、新発見です。
とにかく福岡には神功皇后の足跡があちこちにありますからね。
まっ私の一番は香椎宮ですけどね♪
渋い旅行記、楽しませて頂きました。
みみこ
- Decoさん からの返信 2021/11/19 16:35:33
- Re: ここだったんですね!
- みみこさん、コメントありがとうございます!
大川、想定外でしたか? (^^;
私もみみこさんの浮羽、思い浮かびませんでした。漠然と久留米市中心街あたりかな…と思ってましたから。
私が住むのは筑後でも南の方なので、浮羽方面は遠くてあまり知らかったんです(^^;
大川は有明海沿岸道路ができて、行きやすくなりました。大川温泉は、原鶴から続く筑後川沿いの温泉というより、船小屋や柳川の泉質に近いように感じます。
香椎宮、良いですね。広くて境内も見所が多くて、清々しい印象があります。
神功皇后、その足跡の殆どは博多近郊ですね。朝廷は玄界灘付近との関りが深かったのかも知れませんし、もしかしたら、大和朝廷の故地はあのあたりなのかも…。それに比べて筑後は敵対したり反乱があったり、微妙な関係だったように思います。
マニアックというのかオタッキーな旅行記になってしまいましたが、読んでいあだいて、ありがとうございました。
Deco
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- チーママ散歩さん 2021/11/18 12:29:16
- こんにちは
- こんにちはDecoさん
大川栄作さんとはあの・・
曇りガラスを手で拭いて明日を見る方。
しっとり歌っているけれど、今歌詞を見てびっくり
不倫の歌。
父がカラオケで歌って本人登場でお目にかかります(笑)
確かに家具で有名な所のご出身とは聞いていましたが。
そうでしたか。
しかもすごいですね。 回数券でベッドプレゼントとは。
私はあの赤い消防車でお願いします。
橋からの夕日とライトアップ。
姐さんがみたら走りますね~。
うっとり写真とってくれないかしら。
でも対岸が佐賀とは かなり遠いのでしょうね。
九州勢の観光アピールすごか~。
行ってみたいなと思いました。
- Decoさん からの返信 2021/11/18 18:44:09
- Re: こんにちは
- チーママ散歩さん、いつもコメントありがとう!
大川さん、昔ザ・ベストテンに出演したとき、”箪笥担ぎ”をやって話題となりました。芸名も出身地そのままだから、師匠の古賀政男以上に大川市の名を全国に知らしめてるのかも。
あのベッド、回数券50枚だから…結構な金額にはなります。その分温泉には入れますが。やっぱり送料が負担になるのかも。ちなみに売れているのは、多分二段ベッドだったと思います。子どもが喜びそうですね。
昇開橋、いわゆるインスタ映えするスポットですね。姐さんなら、既に佐賀に遠征されていますから、十分行動範囲内ですね。遠駆け、いや長距離ドライブの達人ですから。
チーママ散歩さんも次回西九州、如何でしょうか。
九州勢の観光アピール、私も遅まきながら皆さんに刺激されてレベルアップを目指しております(^^;
Deco
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