嵐山・嵯峨野・太秦・桂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
奥嵯峨野まできました。<br />祇王寺は平清盛の寵愛を受けながら、心変わりから都を離れ、母と妹と出家、寺に入り、尼寺となったそうです。<br />平家物語にも書かれている悲哀の物語。<br /><br />明治初期には廃寺となったそうですが、残されたお墓と仏像を管理していた大覚寺の門跡が再建を願い、元京都府知事北垣氏が明治28年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されたそうで、これが今の祇王寺の建物だそうです。<br />境内は静かでした。<br /><br />化野念仏寺は8000体を超える石仏と石塔。<br />千灯供養が有名です。学生時代に来たときよりも、より苔むしたところが多くなったように感じました。<br />

京都さんぽ  嵯峨野めぐり  悲哀を感じる祇王寺~化野念仏寺

27いいね!

2021/09/06 - 2021/09/06

1038位(同エリア4466件中)

0

46

Reise

Reiseさん

奥嵯峨野まできました。
祇王寺は平清盛の寵愛を受けながら、心変わりから都を離れ、母と妹と出家、寺に入り、尼寺となったそうです。
平家物語にも書かれている悲哀の物語。

明治初期には廃寺となったそうですが、残されたお墓と仏像を管理していた大覚寺の門跡が再建を願い、元京都府知事北垣氏が明治28年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されたそうで、これが今の祇王寺の建物だそうです。
境内は静かでした。

化野念仏寺は8000体を超える石仏と石塔。
千灯供養が有名です。学生時代に来たときよりも、より苔むしたところが多くなったように感じました。

PR

  • 祇王寺に到着しました。<br /><br />平清盛の寵愛を受けながら、清盛の心変わりで都を追われるようにして、<br />母刀自と妹祇女と出家します。<br />その後、心変わりの原因となった仏御前も加わって、4人で念仏を唱える生活を送ったといわれています。<br /><br />祇王は21歳、あまりにも若すぎる、、、<br />女性として、なんだか悲しすぎる、、とちょっと平清盛、ひどいじゃない、、、と<br />おばあの感情は高ぶる。(-_-;)<br />その当時の様々な事情があったでしょうが。。。

    祇王寺に到着しました。

    平清盛の寵愛を受けながら、清盛の心変わりで都を追われるようにして、
    母刀自と妹祇女と出家します。
    その後、心変わりの原因となった仏御前も加わって、4人で念仏を唱える生活を送ったといわれています。

    祇王は21歳、あまりにも若すぎる、、、
    女性として、なんだか悲しすぎる、、とちょっと平清盛、ひどいじゃない、、、と
    おばあの感情は高ぶる。(-_-;)
    その当時の様々な事情があったでしょうが。。。

  • 美しい石畳をのぼって、

    美しい石畳をのぼって、

  • 入口です。

    入口です。

  • 境内は苔と樹々がいっぱい。<br />尼寺らしく、細やかな庭の風景。

    境内は苔と樹々がいっぱい。
    尼寺らしく、細やかな庭の風景。

  • 幻想的な世界が広がります。

    イチオシ

    幻想的な世界が広がります。

  • 古い石塔。

    古い石塔。

  • 時が止まってしまったかのような錯覚。

    イチオシ

    時が止まってしまったかのような錯覚。

  • フタバアオイもありました。<br />三つ重ねて、徳川の御紋。

    フタバアオイもありました。
    三つ重ねて、徳川の御紋。

  • 竹林。

    竹林。

  • 苔の種類を展示してました。<br />苔って、何種類くらいあるんでしょう。。

    苔の種類を展示してました。
    苔って、何種類くらいあるんでしょう。。

  • 草花がそっと植えられてます。<br />尼寺の繊細さが伝わってきます。

    草花がそっと植えられてます。
    尼寺の繊細さが伝わってきます。

  • 仏間。<br />仏壇がありますが、写真撮影禁止です。<br /><br />本尊の大日如来、清盛、祇王、祇女(祇王の妹)、母刀自、仏御前の木造が安置。<br />祇王、祇女の像は鎌倉時代の作だそうです。

    仏間。
    仏壇がありますが、写真撮影禁止です。

    本尊の大日如来、清盛、祇王、祇女(祇王の妹)、母刀自、仏御前の木造が安置。
    祇王、祇女の像は鎌倉時代の作だそうです。

  • 美しい苔に見とれる。。。

    美しい苔に見とれる。。。

  • 宝篋印塔。<br />左に見えるのが、祇王、祇女、母刀自のお墓。<br />右の五輪塔は清盛の供養塔。<br />鎌倉時代のものだそうです。

    宝篋印塔。
    左に見えるのが、祇王、祇女、母刀自のお墓。
    右の五輪塔は清盛の供養塔。
    鎌倉時代のものだそうです。

  • 境内、本当に静かでした。<br />時間の流れが止まっているかのよう。

    境内、本当に静かでした。
    時間の流れが止まっているかのよう。

  • あちこちに小さな草花が。<br />繊細なお庭でした。

    あちこちに小さな草花が。
    繊細なお庭でした。

  • 祇王の悲しみが伝わってくるようでした。

    祇王の悲しみが伝わってくるようでした。

  • 出て、また歩き出します。<br /><br />化野念仏寺へ行きますが、私は歩きたい満々でしたが、夫が車で行こうとかなり強く勧めるので、一度駐車場(清凉寺)に戻ります。

    出て、また歩き出します。

    化野念仏寺へ行きますが、私は歩きたい満々でしたが、夫が車で行こうとかなり強く勧めるので、一度駐車場(清凉寺)に戻ります。

  • 紫式部がきれい。

    紫式部がきれい。

  • 綺麗な紫でした。

    綺麗な紫でした。

  • 民家の間の道を通って、

    民家の間の道を通って、

  • 懐かしい、野ブドウ。<br />子供のころ、野ブドウで遊び、服につけて、母に良く叱られました。

    懐かしい、野ブドウ。
    子供のころ、野ブドウで遊び、服につけて、母に良く叱られました。

  • 歩く途中、あちこち、旧跡などがあります。<br /><br />こちらは、和歌の名手僧蓮生の中院山荘があったところ。<br />鎌倉幕府の御家人の一人だったのに、政争に巻き込まれるのを避けて、<br />出家、この地に山荘を営みました。<br /><br />藤原定家とも関わりがあり、娘は定家の子の為家に嫁いでいます。

    歩く途中、あちこち、旧跡などがあります。

    こちらは、和歌の名手僧蓮生の中院山荘があったところ。
    鎌倉幕府の御家人の一人だったのに、政争に巻き込まれるのを避けて、
    出家、この地に山荘を営みました。

    藤原定家とも関わりがあり、娘は定家の子の為家に嫁いでいます。

  • 化野念仏寺に来ました。<br />こちらはもう紅葉がちらちら。

    化野念仏寺に来ました。
    こちらはもう紅葉がちらちら。

  • 説明看板。<br />浄土宗のお寺、<br />このあたりはもともと風葬のあったところ。<br /><br />811年、空海が供養をはじめ、その後法然が念仏道場を始め、念仏寺となったとのこと。<br />

    説明看板。
    浄土宗のお寺、
    このあたりはもともと風葬のあったところ。

    811年、空海が供養をはじめ、その後法然が念仏道場を始め、念仏寺となったとのこと。

  • 石畳を上っていくと、

    石畳を上っていくと、

  • 入口があります。

    入口があります。

  • 明治後、福田海が埋没していた無縁仏を掘り出し、集めます。

    明治後、福田海が埋没していた無縁仏を掘り出し、集めます。

  • 静かな境内。

    静かな境内。

  • こちらの苔も美しかったです。

    こちらの苔も美しかったです。

  • 参拝順路に沿って歩きます。

    参拝順路に沿って歩きます。

  • 仏舎利塔。<br />インドの世界遺産サーンチーの塔を模して1969年に建立。

    仏舎利塔。
    インドの世界遺産サーンチーの塔を模して1969年に建立。

  • そばに碑がありました。

    そばに碑がありました。

  • もう秋がきているのかな、、、。

    もう秋がきているのかな、、、。

  • 西院の河原。<br />十三重石塔が真ん中に、約8000体の石仏と石塔。

    イチオシ

    西院の河原。
    十三重石塔が真ん中に、約8000体の石仏と石塔。

  • 本堂。<br />江戸時代に建立。<br /><br />本尊は阿弥陀如来像。<br />自伝では作者は湛慶。<br />

    本堂。
    江戸時代に建立。

    本尊は阿弥陀如来像。
    自伝では作者は湛慶。

  • 美しい竹の小径がありました。

    イチオシ

    美しい竹の小径がありました。

  • こんな案内板が立ってました。<br /><br />角倉素庵、、角倉了以の子、この竹林の中にお墓があるようです。<br /><br />父と貿易や土木業にも携わる一方、儒学、書、能楽、活版、茶の湯などにも堪能な人であったそうです。<br /><br />遺言で、不治の病にあったため、二尊院にある角倉家の墓ではなく、こちらに墓所を置かれたとのこと。<br />

    こんな案内板が立ってました。

    角倉素庵、、角倉了以の子、この竹林の中にお墓があるようです。

    父と貿易や土木業にも携わる一方、儒学、書、能楽、活版、茶の湯などにも堪能な人であったそうです。

    遺言で、不治の病にあったため、二尊院にある角倉家の墓ではなく、こちらに墓所を置かれたとのこと。

  • 六面地蔵。

    六面地蔵。

  • 説明がありました。

    説明がありました。

  • 静かに祈りたくなります。

    静かに祈りたくなります。

  • 学生時代は中に入ることができたような記憶が、、、。<br />保存していくことも大変でしょう。。<br />以前よりも苔むした気がしました。

    学生時代は中に入ることができたような記憶が、、、。
    保存していくことも大変でしょう。。
    以前よりも苔むした気がしました。

  • 1000年以上前からの時間が流れています。<br />

    イチオシ

    1000年以上前からの時間が流れています。

  • 二尊仏。<br />

    二尊仏。

  • この道は歩いた記憶があります。<br />だけど、今はひっそり。<br />お土産物屋さんも沢山あったけれど、閉まっているのかな、、、。

    この道は歩いた記憶があります。
    だけど、今はひっそり。
    お土産物屋さんも沢山あったけれど、閉まっているのかな、、、。

  • 秋を少し感じながら、大覚寺へ向かいます。<br />

    秋を少し感じながら、大覚寺へ向かいます。

27いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP