2021/07/06 - 2021/07/06
46位(同エリア1755件中)
ローマ人さん
松本城の観光を終えて松本から長野に移動し、善光寺にお参りしました。
善光寺にお参りするのは、7年に1度の「御開帳」があった2015年5月以来、2度目です。
新型コロナ禍中の平日だったこともあり、前回とは大きく異なり参拝者が少なくて静寂とした境内は少し寂しい感じもしましたが、その分ゆっくりとお参りすることが出来ました。
前回訪れた際に事前調査不足でパスしてしまった門前の老舗そば屋「かどの大丸」で蕎麦を食べることが出来て満足しました。
2017年6月以来、5年ぶりに「大人の休日倶楽部パス(東日本)」を利用して旅をしてきました。
以前は、2016年4月に定年退職するまで水戸に9年間単身赴任していて毎週JRを利用して東京と水戸を往復していたこともあって、毎年2~3回のペースで「大人の休日倶楽部パス」を使って主に東北を巡る旅をしていました。
定年退職後は、JR利用の機会が減ると共に、ある程度まとまった休みが取れると海外に出かけるようになり、しばらく利用していませんでした。
「大人の休日倶楽部パス(東日本)」は、JR東日本が主催する「大人の休日倶楽部」会員限定の切符で、JR東日本全線、青い森鉄道線、IGRいわて銀河鉄道線、三陸鉄道線、北越急行線、伊豆急行線及び富士急行線の全線、並びにえちごトキめき鉄道線の新井~直江津間の特急(新幹線を含む)・急行列車の普通車自由席及びJR東日本管内のBRTが4日間乗り降り自由です。
予め座席の指定を受ければ普通車指定席も6回まで利用可能です。
*「大人の休日倶楽部」とは、入会資格が50歳以上の 会員組織で、JR東
日本とJR北海道の運賃・料金が割引になるほか、会員限定のきっぷ、旅
や生活各種の特典サービスを受けることが出来ます。
年齢に応じて、50歳から入会できるのミドル会員(切符の割引率5%)と
65歳(女性は60歳)から入会できるジパング会員(切符の割引率30%)
があります。
■日程
7月3日(土)
東京(自宅)→仙台(松島・塩釜)→青森(宿泊)
7月4日(日)
青森→(リゾートしらかみ号)→秋田→盛岡→東京(自宅)
7月5日(月)
会社の定例会議に出席
7月6日(火)
新宿(自宅)→松本→長野→(高崎)→新潟→東京(自宅)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
松本城観光を終えて、松本から長野に移動します。
松本駅 駅
-
12:06発、特急しなの7号長野行に乗車します。
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6両編成の5~6号車が自由席です。
「大人の休日倶楽部パス(東日本)」で利用可能な6回分の普通車指定席は、新宿から松本までの特急あずさの指定席で使い終えたので、これからの指定席利用は追加料金が発生します。 -
特急しなの7号が入線してきました。
名古屋駅~長野駅間を平均2時間50分で走るJR東海所属の383系車両です。
この車両は、最新の制御付振子や自己操舵機構によって曲線通過時の乗り心地の向上とスピードアップを実現したのだそうです。 -
座席は、回転式のリクライニングシートで、シートピッチが広く快適です。
窓が広いワイドビュー車両になっています。 -
まもなく篠ノ井駅というところで、列車がスピードを落とし車掌から車窓の案内がありました。
これからしばらくの間、「日本三大車窓」に挙げられる「姥捨(おばすて)」からの風景が見られるとのことでした。
姥捨山伝説の里としても知られる「姨捨」は、長野県千曲市の標高500m前後の山腹に位置しています。
進行方向右側を見ると、目の前に千曲川と周囲を山で囲まれて広々とした善光寺平の雄大な風景が広がっていました。
ちなみに、「日本三大車窓」の残り2つは北海道の根室本線「旧狩勝峠」、九州の肥薩線「矢岳」付近です。 -
「姥捨」付近からの眺め。
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「姥捨」付近からの眺め。
千曲川に架かる橋が見えます。
かなり下ってきました。 -
12:54、長野駅に到着。
長野駅 (JR東日本) 駅
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反対側のホームには、長野駅~妙高高原駅間を走る第三セクターの「しなの鉄道」北しなの線の車両が停車していました。
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長野駅の在来線改札口です。
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駅の善光寺口に出てきました。
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駅前には、善光寺参道を示す石燈籠がありました。
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善光寺口の1番バス停から善光寺最寄りの「善光寺大門」行の「びんずる号」に乗車して善光寺に向かいます。
料金は150円で、5~10分間隔で発車するので便利です。 -
バスは、途中のバス停に停車しながら善光寺参道に沿って10分位走り「善光寺大門」バス停に到着しました。
-
振り返って見る参道です。
JR長野駅に向かって下り坂になっているのが良く分かります。 -
バス停から前に向かって進むと、門前のそば屋「かどの大丸」がありました。
創業は元禄16(1703)年で、300年以上続いている老舗だそうです。
外観からもその様な雰囲気が感じられます。 -
参拝する前に、ここで昼食にします。
かどの大丸 グルメ・レストラン
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店内です。
テーブル席と畳席があります。 -
店内です。
平日で既に13:00を回っていることもあり、私以外にお客はいませんでした。 -
店内の装飾も歴史を感じさせるものです。
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メニューです。
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地酒「雲山」は、常温ながら350円とお値打ち価格です。
突き出しの芹のお浸しも美味しいです。 -
注文した「とろろそば」です。
コシのある歯ごたえと蕎麦の香りが高く、美味しかったです。 -
蕎麦を食べた後は、「かどの大丸」の向かいにある「八幡屋礒五郎(やわたやいそごろう)商店」へ。
元文元(1736)年から約280年以上続く七味唐辛子の老舗です。根元 八幡屋礒五郎 本店 グルメ・レストラン
-
定番製品の「七味」の他、柚子を加えた「ゆず七味」、変わったところでは、パスタ・ピザ用の「伊太利庵七味」、辛みが強いアフリカ原産唐辛子「バードアイ」を使用した一味唐辛子「BIRDEYE」を買いました。
-
善光寺交差点です。
ここから先が善光寺の境内です。 -
参道入口の右側に「長野市道路元標」がありました。
「道路元標」とは、道路の起終点を示す標識で、平成3(1991)年に復元されたもののだそうです。
標石の前には方位盤が設置されています。 -
境内に入りました。
参道の右側には、宿坊が建ち並んでいます。
宿坊とは、仏教寺院や神社などで僧侶や氏子、参拝者などのために造られた施設で、現在では一般観光客も受け入れてています。
善光寺の境内には、宿坊が39ヶ所あるそうです。
もちろん、宿泊施設とはいってもお寺なので、それぞれに御堂がありご住職がいらっしゃいます。
写真は、宿坊の「常円坊」です。常円坊 宿・ホテル
-
「むじな地蔵尊」像が目印の宿坊「白蓮坊」です。
-
参道の左側にあるのが浄土宗大本山の「大本願」です。
「善光寺」の創建時(642年)に、皇極天皇の命によって蘇我馬子の娘「尊光上人」によって開かれた尼僧寺院だそうです。
「大本願」の住職は「善光寺」の住職を兼ねているそうです。 -
「仁王門」が見えてきました。
-
「仁王門」です。
宝暦2(1752)年に創建されましたが、弘化4(1847)年の善光寺大地震で焼失しました。
現在の門は、大正7年(1918)年に再建されたもので、高さ約14m、間口約13m、奥行き7メートル、屋根は銅瓦葺です。 -
ズームアップ。
迫力十分な仁王像です。
仁王像を始めとした、この門の像は近代彫刻の巨匠「高村光雲」と「米原雲海」の合作だそうです。 -
「扁額」には、山号の「定額山(じょうがくさん)」の文字。
伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)の御筆によるものだそうです。 -
この門の仁王像は見慣れているものとは逆で、口を開けている形相の「阿形」が左側に安置されています。
「阿形」は、左手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち右肩を上げています。 -
右側の口を閉じている形相の「吽形」は、金剛杵を持った左手を振り上げ、右手を真っ直ぐ下に伸ばしています。
-
天井です。
格式が高い「折上格子天井(おりあげごうてんじょう)」になっています。 -
「仁王門」の背後の向かって右側に安置されているのが・・・。
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「三面大黒天像(さんめんだいこくてん)」です。
俵に立つ大黒天に、毘沙門天、弁財天の合体像としてあらわされた三面大黒天は、伝教大師叡山開基にあたり出現した姿と伝えられ、飲食の神福財の神としての信仰が、近世七福神の中心的存在として展開するに至りました。
*説明文より -
右側に安置されているのが・・・。
-
「三宝荒神像(さんぽうこうじん)」です。
三面六臂忿怒(さんめんろっぴふんぬ)形の三宝荒神は、不浄を嫌い、火を使う神(かまどの神)としてとして信仰を集めています。三宝とは、仏法における「仏・法・僧」と呼ばれる三つの宝物を指します。
*説明文より -
「仲見世」です。
平日とはいえ、参拝客が少なくて寂しいです。
新型コロナ禍の状況下では仕方がありませんが・・・。 -
前回訪れた時は、「御開帳」の期間だったのでかなり混雑していました。
*2015年5月撮影 -
「仲見世」が終わり、「山門」が見えてきました。
石燈籠の手前にある橋が「駒返り橋」です。
建久8(1197)年、源頼朝が善光寺を参詣した際に、馬の蹄が穴に挟まってしまったために馬首を返したという言い伝えからこの名で呼ばれているそうです。 -
進行方向右側にあるお地蔵様は「六地蔵」です。
-
「六地蔵」の左隣には、一回り大きい「濡れ仏」があります。
この「濡れ仏」は、享保7(1722)年に完成した、高さ約2.7mの延命地蔵菩薩坐像です。
六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)供養のため建立されたものだそうです。 -
進行方向左側にあるのが天台宗大本山の「大勧進」です。
現在の「善光寺」は、前記の「大本願」と「大勧進」の2つの組織によって運営されており、「大勧進」の住職は貫主(かんす)と呼ばれて「大本願」の住職と同じく善光寺の住職を兼ねているそうです。
元々「勧進(かんじん)」というのは、「仏法を解き作善をなすように勧誘策進することであり、転じて神仏のための寄付を勧める」という意味で、「大勧進」というのはその元締め的存在を指すのだそうです。 -
「山門」の手前にある手水舎です。
-
「山門(三門)」です。
「山門」は、江戸時代の延享2(1745)年に建立が始まり、寛延3(1750)年に完成しました。
善光寺本堂が建立されてから43年後のことだそうです。
高さ約20m、間口約20m、奥行き7.8mの入母屋造(いりもやづくり)の楼門で、樫の丸柱が18本使われているそうです。
楼上には、文殊菩薩騎獅像と四天王立像が安置されています。 -
「山門」の正面に掲げられた「扁額」です。
「善光寺」の文字は、享和元(1801)年、輪王寺宮公澄法親王(りんのうじのみやこうちょうはふしんのう)の御筆によるもので、通称「鳩字の額」と呼ばれています。
文字の中に鳩が5羽隠されていますが、分かりますか? -
前回に訪れた時の「山門」です。
激混みでした。
*2015年5月撮影 -
「山門」前に列をなす参拝者です。
*2015年5月撮影 -
「山門」を潜ると正面に「本堂」があります。
-
「本堂」です。
「善光寺縁起」によれば、ご本尊の「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)像」(善光寺如来)はインドから朝鮮半島の「百済国」へと伝えられ、欽明天皇13(552)年、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれているそうです。
この仏像は、崇仏・廃仏論争の中で打ち捨てられていましたが、信濃国司の従者として都に上っていた本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りしていましたが、後に皇極天皇元(642)年に現在の地に遷座されました。
皇極天皇3(644)年には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
創建以来10数回の火災に遭いましたが、現存する本堂は、宝永4(1707)年に建立されたもので国宝です。
間口23.89m、高さ25.82m、奥行き53.6mの規模を持つ江戸時代中期の仏教建築を代表する大伽藍だそうです。善光寺(長野県長野市) 寺・神社・教会
-
前回に訪れた時は、すごく混んでいました。
*2015年5月撮影
「御開帳」の際に本堂の前に立てられる大きな柱「回向柱(えこうばしら)」が見えます。
回向柱は、秘仏の「一光三尊阿弥陀如来像」の御身代わりとして造られ御宝庫に安置されている「前立本尊(まえだちほんぞん)」と「善の綱」によって繋がっています。
「善の綱」によって「前立本尊」と繋がった回向柱は如来様の命を宿すとされ、 回向ばしらの一面でも触れると「前立本尊」に直接触れるのと同じ功徳が得られるといわれているそうです。 -
本堂をズームアップ。
-
本堂をズームアップ。
屋根が二重に見えるので、一瞬、二階建てかと思ってしまいますが、下のものは裳階(もこし)といって、一種の庇(ひさし)なのだそうです。
実際に本堂内に入ってみると、天井の高い平屋であることが分かります。 -
「本堂」の前にある「大香炉」です。
香炉を3組の獅子が支え、中央には善光寺の定紋「立葵」が入っています。
現在のものは、昭和31(1956)年製作のものだそうです。 -
本堂正面入口を支える柱です。
飾金具に細かく彫られた獅子の姿が美しいです。 -
本堂正面の階段を上って中に入ります。
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賽銭箱の上に香炉が載っているのを見るのは初めてです。
-
本堂の外陣です。
中央やや左に祀られているのが「びんずる尊者」です。
病人がこの像の自分の患部と同じ場所に触れると、その神通力で病が治るといわれています。
奥の内陣の欄間には、見事な「来迎二十五菩薩」の「金箔押し」のレリーフが飾られています。
内陣の参拝(料金:500円)が出来ますが、前回に参拝したので今回はパスします。 -
ここは授与品所です。
ここで御朱印をいただくことが出来ます。 -
御朱印をいただきました。
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「本堂」の向かって左側にある、重要文化財の「経蔵」です。
宝暦9(1759)年に完成した、経本の収蔵庫です。間口・奥行きは約11.5m、高さは約13.5mです。中央には八角形の回転式「輪蔵」があります。 -
「輪蔵」です。
元禄7(1694)年に寄進された鉄眼黄檗版一切経(てつげんおうばくばんいっさいきょう)の教本が納められているそうです。
輪蔵の腕木を押して1回転させると中の経本をすべて読んだのと同じ功徳を得られるといわれています。 -
これは「むじな燈籠」です。
昔、下総国(現在の千葉県)の「むじな」(主にアナグマやタヌキを指す言葉で、人を化かす妖怪とされている)が殺生をしなければ生きていけない自らの罪を恥じ、人の姿に化けて参詣しました。「むじな」は、善光寺に燈籠を寄進したいと願っていましたが、宿坊でうっかり「むじな」の姿のまま入浴していたところを人に見つかり、何処かへ逃げ去りました。「むじな」を不憫に思った宿坊の住職が、その願いを叶えるため、この燈籠を建てたといわれています。
*案内板より -
向かって右斜め前から見た「本堂」です。
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余計回りに「本堂」を1周します。
「本堂」の裏側です。 -
これは、「本堂」の裏側にある「高尾燈籠」です。
江戸吉原の三浦屋四郎左衛門が奉納した燈籠だそうです。
三浦屋は吉原にあった遊郭で、遊女「高尾太夫」の供養塔として建立されたと伝わっているそうです。 -
「本堂」は、奥行きが長い長方形の建物だということが良く分かります。
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これは「鐘楼」です。
嘉永6(1853)年の再建で、「南無阿弥陀仏」の六字名号にちなんだ6本の柱を持っているのは珍しい形式だそうです。
梵鐘は、寛文7(1667)年 鋳造の名鐘だそうです。 -
「本堂」の向かって右側です。
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本堂側から見た「山門」です。
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拝観で「山門」に上ることもできます。
拝観料は、大人500円、高校生200円、小・中学生50円です。
前回拝観したことがあり、時間の制約もあるので今回はパスします。 -
「山門」からの眺め。
*2015年5月撮影 -
「善光寺」の参拝を終えて、JR松本駅に向かいます。
「仲見世」とその向こうに「仁王門」が見えています。 -
「仲見世」の進行方向左側路地の奥にある「世尊院釈迦堂」です。
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「世尊院釈迦堂」には、日本唯一の等身大(1.66m)の銅造「釈迦涅槃(しゃかねはん)像」(国重要文化財)が安置されています。
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進行方向右側にお地蔵様があります。
これは「旧如来堂跡地蔵尊」です。
善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、皇極天皇元(642)年の創建から元禄13(1700)年までの間はこの場所にありました。この地蔵尊は、旧本堂内の瑠璃壇(ご本尊の善光寺如来さまをご安置した壇)の位置に建てられています。
*説明文より -
史跡「善光寺参道(敷石)」です。
善光寺参道(敷石)は、宝永4(1707)年、本堂が仲見世堂跡地蔵付近から現在地に移転竣工の後、七年目にあたる正徳4(1714)年に完成した。
本堂普請の後、参道の路面状態が悪く、参詣人に難儀をきたしていたために正徳3(1713)年、本堂前の敷石が腰村の西光寺住職「単求」の寄進により敷設、続いて境内入口の二天門跡から山門下までの218間(397m)が江戸中橋上槙町(現:日本橋3丁目)の石屋香庄(大竹屋平兵衛)の寄進により敷設された。(中略)
敷石は、山門上が幅4間(約7.2m)、山門下から二天門跡までが幅3間(約5.4m)で、長方形の石が規則正しく敷かれている。西長野郷路山産の安山岩製で7,777枚といいならわされているが、現在約7,000枚が敷かれている。
*説明文より -
「善光寺」境内の外に出ました。
時間の余裕があるので、帰りは参道を散策しながらJR長野駅まで向かいます。
参道の左側にあるこのアールデコ調の建物は、「THE FUJIYA GOHONJIN」(旧 御本陣 藤屋旅館)です。
藤屋旅館は、善光寺の門前町において、江戸時代には加賀藩主らが江戸に参勤する際の常宿「御本陣」として栄えたそうです。
現在は、レストラン、ラウンジ及びウエディング会場として営業しています。THE FUJIYA GOHONJIN グルメ・レストラン
-
現在の建物は、大正14(1925)年に善光寺仁王門も手掛けた宮大工の手によって建てられました。
当時としては斬新な3階建てで、大正時代に花開いた疑洋風建築と明治時代の数寄屋造りが混在する建物は、長野市で初めて国の登録有形文化財に指定されたのだそうです。 -
入口の右脇に、善光寺七福神の「布袋」が祀られていました。
太平洋戦争で沈没した戦艦大和の最後の艦長、有賀幸作中将の生家(長野県辰野町)伝わったものだそうです。 -
参道右側の目を引くレトロな建物は「善光寺郵便局」です。
元旅館だった昭和初期の木造建築の建物のフロント部分を改修して使っているのだそうです。
小さくて見ずらいですが、入口の前に昔懐かしい丸型ポストが設置されています。善光寺郵便局 名所・史跡
-
塔が設けられた大正モダニズムの建物は「八十二銀行大門支店」です。
現在の建物は、平成9(1997)年に建設されたものですが、八十二銀行の前身にあたる第十九国立銀行の大正13(1924)年竣工の長野支店の建物を再現したのだそうです。
善光寺門前の街並みと調和していて良い感じです。 -
参道の途中に、「表参道長野オリンピックメモリアルパーク」がありました。
1998年長野冬季オリンピックの表彰式会場だった場所を、表彰台やミニ聖火台を設置してミニパークとして整備したのだそうです。
スキージャンプ・ラージヒル団体で金メダルを獲得した時の感動を思い起こしました。表参道 長野オリンピック メモリアルパーク 名所・史跡
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参道向かって左側にある「西光寺」です。
通称を「かるかや山」といい、「絵解きの寺」として有名です。
「絵解き」とは、説教・唱導(仏の道に導くため、教えを説くこと)を目的とする、宗教者による絵画を用いた文芸・芸能で、そのルーツはインドにあるとされ、中国、朝鮮半島を経由して日本に伝わってきたのだそうです。かるかや山 西光寺 寺・神社・教会
-
これは「十四丁の石」です。
JR長野駅から「善光寺」までの参道の1丁(約109m)毎に置かれている道しるべで、善光寺が一丁でJR長野駅が十八丁だそうです。
十四丁ということは、まもなく長野駅ですね。
私はこれだけしか気が付きませんでした。 -
JR長野駅に到着しました。
来た時は気が付きませんでしたが、長野駅ビルの東西自由通路の一角に、大きな1998年長野冬季オリンピックのシンボルマークが掲げられていました。
シンボルマークの愛称は「スノーフラワー」で、「花」、「人の輪」、「雪の結晶」という3つのキーワードから生まれたデザインで、全体は6弁の花のように見え、花弁の1枚1枚は競技者の躍動する姿をイメージしたのだそうです。
これから、北陸・上越新幹線を乗り継いで、今日最後の訪問場所の新潟市に向かいます。
最後までご覧いただきありがとうございました。長野駅 (JR東日本) 駅
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