2010/12/23 - 2010/12/27
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福岡旅行二日目の旅行記です。この日から大寒波が入り記録的な寒さになってしまいました。天気予報で寒波が入る事は把握していましたがここまでとは思わず吉野ヶ里遺跡では寒さで体調を崩しそうになるほどでしたね。
この日は博多駅前のホテルをチェックアウトして最初は少し北に向かい香椎宮を見学してその後は佐賀県にある吉野ヶ里遺跡を見ました。吉野ヶ里遺跡は広い事は知っていましたがここまで広いとは思わず時間が予定よりすごくかかってしまったので佐賀市は見ただけで終わってしまいました。これ以降佐賀県には行ってないんですが、また佐賀市も行ってみたいですね。
最終的にこの日は小倉駅にホテルを取っていたので佐賀から小倉まで移動し宿泊です。翌日の3日目以降は小倉を拠点に見学をしていきましたので、博多編はここでひとまず終了、翌日以降は北九州・下関観光編になります。
懐かしの2010年12月福岡旅-1日目
https://4travel.jp/travelogue/11702607
懐かしの2010年12月福岡旅-2日目
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の旅行は最初の宿泊だけ博多都ホテルに宿泊し2日目以降は小倉泊で予約を入れていました。なのでここでは1泊2日だけ。
12月23日チェックインで1223号室でした。都ホテル 博多 宿・ホテル
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朝食会場は最上階で外も見られましたが、福岡の朝なので日の出はとても遅いです。冬至が12月22日だったようなので冬至の2日後という形ですが、冬至後もしばらくは日の出は遅くなっていくので本当に一番遅い時期よりちょっと前・・・。とは言え7時でまだ真っ暗です。
博多都ホテル 宿・ホテル
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はい、12月24日の朝です。クリスマスイブですね(´・ω・`)。
ホテルの一階にはクリスマスツリーが設置されていました。まあ関係ないので観光をしていきますよ(´・ω・`)。博多都ホテル 宿・ホテル
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博多駅までやってきました。と言っても歩いてすぐですが・・・。そして宿泊していたホテルは反対側の新幹線口の駅前なのですが・・・。
たぶん九州新幹線開通に伴い駅の工事が進んでいたのでそれを撮影しに来たのだと思います。博多駅 駅
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2011年3月の九州新幹線全線開通に向け準備が進んでいました。数年後来たときは完成し立派な駅前広場になっていました。
博多駅 駅
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博多駅から鹿児島方面へ北に向かいます。まあ北に向かうというほど北ではないですけど・・・。ちなみに本日の宿は小倉市内に取ってあるので最終的には小倉が目的地です。
JR九州ではメジャーな813系。ただ増備が続いたので細かい仕様の差は大きい系列です。博多駅 駅
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鹿児島本線の香椎駅で降ります。香椎駅は香椎宮の最寄り駅というわけではないですが、香椎宮に近い雰囲気を出している駅でした。
香椎駅 駅
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香椎駅からは香椎線で一駅、香椎神宮駅に向かいます。徒歩でも行けるけどちょっと距離があるので乗ってみます。この当時はキハ47系が運行されていてまだ国鉄時代の面影を残していました。現在はBEC819系「DENCHA」が利用されているようです。
香椎駅 駅
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香椎神宮駅から歩いて5分のはずですがデータに記録された時間見ると15分くらいかけて香椎宮に来ていますね。何してたんだろ・・・。
現在では神社になっている、と言っても平安時代には既に神社として扱われていたそうですがそもそもの謂れは熊襲平定の為に征西の途中で崩御された仲哀天皇のお墓として建立された廟だったそうです。香椎宮 寺・神社・教会
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境内にある亀池と呼ばれる池です。実際に亀が住んでいるそうです。ものすごく大きな神社というわけではないですが、見どころが多い神社でした。
香椎宮 寺・神社・教会
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拝殿だと思うんですが写真を見てみるとこんな画角で撮影したものしかありませんでした。距離が近くて引いて撮れなかったのかな・・・。拝殿は明治時代、奥の本殿は1801年の建築のようです。
香椎宮 寺・神社・教会
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仲哀天皇が設置した仮宮の跡地と云われるこの地に仲哀天皇の廟跡と伝えられる古宮があります。1915年まではここに祠があったそうですが、同年本殿に合祀されたそうです。近くまで入れるようなので行ってみます。
香椎宮 寺・神社・教会
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この奥にある木が香椎と呼ばれ香椎宮の名称の由来になったそうです。この地は古宮と呼ばれ仲哀天皇が建設した橿日宮の跡地と伝えられています。中に入る事はできませんでしたが、神聖な雰囲気を感じる事が出来ました。
香椎宮 寺・神社・教会
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貞明皇后が1911年に香椎宮を訪れた際にお召し艦として利用された戦艦摂津の砲が置かれていました。日本初のド級戦艦河内型の二番艦で戦艦としてよりも標的艦としての方が有名な艦です。
まさかここに砲身が置かれているとは知りませんでした。香椎宮 寺・神社・教会
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帰りは香椎駅まで歩いてそこから鹿児島本線に乗りました。たぶんだけど香椎線の本数が少ないので香椎駅まで歩いちゃった方が早いと思ったんだと思います。
写真は香椎線をくぐったところですが線路の高さがとても低いです。一応道路も少し掘り下げられていて車が通れるようになっていますが、それでも擦ってしまいそうな高さですね。この区間は1904年に博多湾鉄道が開通させていますが、当時の規格ではこれで十分だったんでしょうね。 -
次の目的地に向かうためには鳥栖駅で乗り換えですが、なぜか途中原田駅で電車を降りている様です。当時のダイヤは不明ですが原田駅止まりはないはずですし、原田駅を通る列車は長崎本線との分岐の鳥栖駅まで行く列車だけですからなぜここで降りたのかは不明。
筑豊本線との分岐駅ですが筑豊本線は一日数本の閑散路線でほとんど鹿児島本線の列車が通ります。
ちなみに九州全般で「原」は「はる」と発音するため、この駅名は「はるだ」駅です。原田駅 (福岡県) 駅
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原田駅前には江戸時代の旅人らしき銅像が・・・。
詳細不明です。原田近辺に由来している人なのだろうか・・・。原田駅 (福岡県) 駅
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原田駅から再び鹿児島本線に乗り、鳥栖駅で長崎本線へ乗り換えます。ただこれは長崎本線に行く列車ではなく鹿児島本線の熊本方面の列車だったと思います。
JR九州の車輛は本当に独特の車内なので撮影したのかな・・・。鳥栖駅 駅
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こちらが長崎本線の列車の817系。やはり内装は他のJRとずいぶん雰囲気が異なりました2両編成でしたので出発間際には結構混んでいました。
たしか肥前山口行きだったと思います。鳥栖駅 駅
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吉野ヶ里公園駅に到着しました。駅名標のピクトグラムも吉野ヶ里遺跡の建物をイメージしているようです。
元々は当時の町名の三田川駅を名乗っていたそうですが、吉野ヶ里遺跡が有名になり1993年に現在の駅名に代わっています。吉野ケ里公園駅 駅
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吉野ヶ里公園駅から歩いて15分くらいかかって吉野ヶ里公園の入口にやってきました。広大な面積をもつ公園の入口としてとても立派なんですが誰もいないのでちょっと寂しさはぬぐえないですね。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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昼の時間も結構過ぎていましたし、広い吉野ヶ里遺跡を見学しているとここを出るのは夕方になってしまいそうなので、入り口にあるレストランで昼食を取ることにしました。
吉野ヶ里歴史公園 レストラン グルメ・レストラン
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定食です。ごはんが白米じゃなかったり弥生時代らしさを出しているのですかね。
とても寒かったので暖かい室内ともに身体も温まり美味しかったのを覚えています。吉野ヶ里歴史公園 レストラン グルメ・レストラン
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弥生時代の人をモチーフにしたマスコットが出迎えてくれました。「ひみか」というキャラだそうです。公園開設当時は東脊振村、三田川町、神崎町の頭文字からとった名前だそうです。てっきり卑弥呼から取ったものかと・・・。現在は市町村合併で吉野ヶ里町となっています。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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古代弥生時代の濠と門を再現した門をくぐり公園内へと進んでいきます。
吉野ヶ里遺跡公園は結構広かったです。調べてみると117ヘクタールあるようでディズニーランド+シーより大きいみたいです。実際に歩いてみるとそれはよくわかる大きさでした。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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日本史で習った環濠集落という言葉がよくわかる様に濠が掘られていました。弥生時代は戦国の世だったので高台に集落を造りその周りを濠で多い外敵の侵入を防いでいたそうです。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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濠の内側には大量に杭を植えて侵入防止を図っていたようです。ただこれって濠の中にあるのなら効果ありそうだけど、これだけだったら柵と濠を越えたら簡単に侵入できてしまう気がしますけど・・・。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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広い公園の中には展示室がいくつかあって出土品などの展示をしています。とにかく風が強くて寒いのでこういうところで少し休憩できるのは助かりました。夏は逆の意味で助かるでしょうね。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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中には発掘された土器などが展示されていました。これだけの広さの遺跡ですので発掘された土器の数も相当な様で展示数はかなりのものでした。
年代も幅広いようで雰囲気もいろいろなものが置かれていました。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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人気の?顔出しパネル。ここにもありました。
外はとにかく寒波と強風で寒いのでここで少しゆっくりとして体力を回復してから次へと向かいます。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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展示室を出て近くの復元住居に入ってみると縄文時代の人々の生活が再現されていました。実際のところこれは当時としては結構いい生活の人々なんでしょうね。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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物見やぐら的な存在の建物がありました。現代で考えるとたいした高さではないですが、吉野ヶ里公園の中にある建物と比較するととても高さがあります。ここで外敵が来ないか見張りをしていたのでしょうね。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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登ってみました。登ってみてわかることはまず吉野ヶ里公園が広いという事。そして濠などを巡らせた要塞の様に造られているということです。弥生時代は戦乱の時代でもあったので防御にかなりの力を入れていたようです。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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佐賀市内方面かな、有明海方面には都市が広がっていました。佐賀は県ではありますがこの付近は完全に福岡のベッドタウン化しているようで福岡と一体化している様子です。
そして吉野ヶ里公園は少し高台にあるのもわかります。弥生時代の環濠集落は外敵から守るために高台に集落をつくることが多かったそうです。弥生時代から古墳時代へと時代が移り平和な世の中になってくると次第に人々は平地に移動したそうですね。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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吉野ヶ里遺跡の内部をみてみます。結構広い範囲の公園ですが、向こうには二層式の建物も見えます。当時としては高層の建物だったのだと思います。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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入口のところで見た濠より深く狭い濠がありました。これくらいだと飛び越える事も不可能ではなさそうですが、その手前に強固な柵があるので大丈夫なのかもしれません。これだと柵を越えた敵が転落することも想定しているのかな・・・とか思ってしまいました。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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こちらは再現された家屋なんですが、他の家屋と違い休憩室となっています。弥生時代の家屋で休憩しても疲れ取れなさそう・・・とか思いますが室内に入ってみます。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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こんな感じで中は自販機やベンチがあり休憩できるようになっていました。暖房はありませんがそれでも風をしのげるだけでもだいぶ楽です。正直寒さにはかなり強いのですが、強風と寒気でかなり体力を奪われていたのでこういう場所は助かります。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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吉野ヶ里遺跡の中には古墳もあります。吉野ヶ里遺跡が栄えたあとにこの地に造られたそうです。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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再び建屋の中ですね。ここは北墳丘墓と呼ばれている場所で吉野ヶ里遺跡の歴代の王の墓と推定されている場所です。建屋で保存され遺構として発掘された状態のまま見る事が出来る様になっていました。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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もう10年前なので記憶もあいまいで写真と公式HPからの推測ですが恐らく北内郭と呼ばれる区域だと思います。吉野ヶ里のクニの中心地で宗教的な儀式が行われた場所でもあるそうです。昔は農耕なども宗教的な導きによって時期などを決めていたそうで、クニの運営も宗教色が強くなったようです。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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高床住居だそうです。前に見た住居よりもしっかり建物らしくなっているのはやはり身分の違いでしょうか。クニの中心なので相当に身分の高い人が住んでいたのかな、と思います。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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この建物は高床倉庫で上の建物とは違い倉庫として利用されていたと推測されている様です。ただ収穫したものなどではなく、この地区に住んでいる居住者の宝物などが仕舞われていた様で、この北内郭の重要性と宗教性を感じる場所でした。
吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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寒い寒い吉野ヶ里公園を出て入場した時と反対側の門から出場します。歴史は好きですがあまり古代の遺跡を見学した事はなく、登呂遺跡以来5年ぶりくらいの訪問でした。ただ登呂遺跡と比べとにかく広かったですね。
寒さには強い方ですがこの日の寒さは堪えたのでもし機会があればもう少し過ごしやすい時期に行ってみたいですね。といいながらこれ以降行けてないですしそもそも佐賀県に通過以外で入ってないです・・・。吉野ヶ里歴史公園 (吉野ヶ里遺跡) 名所・史跡
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吉野ヶ里公園からも神埼駅は見えていたんですが、歩くとやっぱり遠さはあります。
平原が広がっていますが古代はどんな様相だったんだろうなあと想像しながら歩くと楽しいものです。 -
歩いて神埼駅までやってきました。周りが田んぼなので見えているけどなかなか近づかない、という感じで寒い中相当辛かったです。
吉野ヶ里遺跡の見張塔からも見えていたのですがなかなか近未来的なデザインの駅でした。神埼駅 駅
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神埼駅から長崎本線で佐賀駅までやってきました。吉野ヶ里遺跡で結構時間使ってしまいそんな観光する時間もなかったのですが、ちょっとだけ佐賀市を見てみる事に・・・。
佐賀駅には1987年まで佐賀線という列車が乗り入れていて、鹿児島本線の瀬高駅まで線路が繋がっていました。廃線後もホームはそのまま残っているようです。佐賀駅 駅
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佐賀駅は高架駅になっていています。1976年の高架化とのことでその後11年ほど佐賀線も利用されていたようです。佐賀駅は佐賀市の中心駅で、佐賀市は佐賀県の県庁所在地ですが福岡からのアクセスが良いこともあり経済的には福岡と一体化しているようです。横断幕にも博多へのアクセスが書かれていました。
佐賀駅 駅
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クリスマスイブですが佐賀駅前には既に門松が準備されていました・・・。あまり意識していないですが、この時期位から出ているんですね。写真を見返すと博多駅にも写っていました。
佐賀駅 駅
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佐賀駅北口には反射炉の模型の像がありました。佐賀藩は1850年に反射炉を導入、1851年には日本で初めて鉄製大砲製造しました。その後黒船来航などもあり幕府からも製造を依頼され反射炉を追加し増産に努めた様です。佐賀藩は藩主の開明さもあり幕末に様々な技術を取り入れ産業革命を進めていった藩でした。
佐賀駅 駅
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いろいろ調べてみると佐賀城の様です。地図で見ると佐賀駅からはそこそこ距離があるのですが歩いて見学に行ったみたいですね。既に閉門時間を過ぎていたようで外から見ただけで終わった様ですが、立派な復元御殿を見れていました。
ちなみに佐賀城天守閣は江戸時代初期に焼失してそれ以降は御殿のみだったそうです。
佐賀城まで歩いて行ったのは記憶から抜けていましたね・・・(´・ω・`)。佐賀城跡 名所・史跡
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博多駅まで戻った手段は記録していなくて不明ですが、鳥栖駅構内の写真を撮っているので鳥栖乗り換えで博多まで普通列車で来たようです。博多からはソニックの佐伯行きで小倉へと向かいます。883系は当然初乗車でした。
博多駅 駅
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最後部はグリーン車になっていてグリーン車の窓側の独立席に座った様です。荷棚が飛行機の様に蓋が閉まるようになっていてすっきりとしたデザインでした。
そして椅子のデザインもJR九州らしく一風変わっていました。博多駅 駅
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夕食は小倉駅の駅ビルの中にあったらうめん横丁というコーナーにあったこのお店に入ってみました。やはり福岡と言えば豚骨ラーメン、ということで・・・。というかラーメン大好きなだけですけどね。
家系もちゃんぽんも博多ラーメンも好きです。
余談ですがこういうラーメン店が集まったコーナーいいですよね。10年くらい前、つまりこの旅行をしている頃は小田原にもあったんですが・・・。桜吹雪が風に舞う 小倉らうめん横丁店 グルメ・レストラン
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メニューとかは撮影していなかったのでうろ覚えですが、上の写真に出ているメニューを見ると赤玉を注文したんだと思います。
さすがに味は覚えていないですが、こうやって写真を見ているだけでも食べたくなってきますね。桜吹雪が風に舞う 小倉らうめん横丁店 グルメ・レストラン
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食事後にそのまま小倉駅に向かってみました。博多-小倉間の新幹線列車もあり、鹿児島本線特急より大幅に時間を短縮できるのでそこそこの利用もあった様です。
0系に比べれば地味で保存車も少ない100系ですが個人的にはこのデザインは好きでした。1年ちょっと後の2012年に運用終了し現在では博物館に少数が残っています。
クリスマスイブに新幹線、ということでJR東海のコマーシャルを思い出しますね。もっともCMが流れたのは1988~1991年、私は子供過ぎて覚えていませんが・・・。小倉駅 (福岡県) 駅
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夜もとても寒い日でした。元々北九州は冬季は割と冷え込む都市ですが、それでも相当な寒さだったようです。全国的に24~26日まで寒波が続きクリスマス寒波と当時天気予報で言われていましたが、このまま年末年始まで寒波は続き豪雪・大規模交通障害へとなっていた時期でした。
この旅行中も26日まで寒さとの戦いの毎日でした。それでもこの日の吉野ヶ里遺跡が一番つらかったのは覚えています。小倉駅 (福岡県) 駅
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懐かしの2010年12月福岡旅
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