2010/12/23 - 2010/12/27
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2010年冬の福岡旅行4日目の旅行記です。作成段階では前編・後編で作成していたのですが、思ったより記事の内容が薄く間延びしてしまったので一つにまとめました。そんなわけで少し写真多めです。
北九州に滞在するのはこの日が最後ということで見逃したくない場所を回る一日になりました。そんなわけで今から考えると行動があまり効率的じゃないです。
午前中は小倉市内にある小倉城を見た後戸畑から若戸渡船で若松へ。若松の歴史的な建物を見学後門司港レトロにある九州鉄道記念館へという流れでした。やっぱりちょっと非効率ですよね。
とは言えこの旅行で見たかったところはおおむね見れて満足でした。
その後もたびたび北九州には足を運んでいますが、何回見てもこの辺りは飽きないいい地区だと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4日目の朝、昨日同様どんよりした雰囲気の朝でした。何回も書いていますが丁度この時期寒気が入り込んでいて天気が不安定でかつ相当寒かったです。ホテルは小倉駅北口にあったブルーウェーブイン小倉というところに止まっていてそこから小倉駅に向かう途中で撮影したものだと思います。
小倉駅 (福岡県) 駅
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まずは小倉駅の南方にある小倉城近辺に向かってみます。正直なところ徒歩でも行けるのですが、せっかくなので北九州モノレールを利用して行ってみる事にします。今に至るまでこれが唯一の北九州モノレールの利用でした。
小倉駅 (福岡県) 駅
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小倉駅から2つ先の旦過駅まで北九州モノレールでやってきましたが、ホーム端から見てみると奥に小倉駅が見えました。手前に平和通駅も見えますが、市街地だけあって駅の数は多そうです。
旦過駅 駅
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旦過駅から商店街を通り小倉城の近くまでやってきました。小倉駅周辺は都市化はしているけどそんなに高層ビルなどはないのですが、この一角だけ近代的なビルが立ち並んでいました。
小倉城がビルの合間にあります。近くに行くと迫力のある天守でしたが、ここからの景色だとちょこんと座っている、という感じですね。勝山公園 公園・植物園
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小倉城の真下までやってきました。天守台は当時の物だと思いますが、小倉藩は九州の大藩であったことや長州藩と関門海峡を挟んで対峙することになるので立派な天守があったそうです。
小倉城 名所・史跡
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城内に鎮座するこの神社は1617年に当時の小倉藩主細川忠興が建立した八坂神社です。小倉の祇園祭も京都と並び有名ですが、その祇園祭はこの八坂神社の例大祭なんですよね。古くから小倉市民とつながりの深い神社です。
八坂神社 寺・神社・教会
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とても立派な拝殿を持つ神社です。調べてみると1617年以前からこの近隣に祇園社があり、現在はこの拝殿に二つの祇園社を祀っている様です。
その為か拝殿は立派なだけなく大きさも感じました。八坂神社 寺・神社・教会
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小倉城内から少し離れたところにはこんな碑が・・・。明治8年から明治10年に西南戦争の為に熊本に向かうまで乃木将軍が居住したそうです。ちなみに四境戦争の小倉口の戦いでは長州軍の乃木希典が小倉城攻略に参加していて焼け落ちた小倉城一番乗りを果たしたと言われています。
小倉城 名所・史跡
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小笠原家の居城らしく重厚感をもつ小倉城天守閣。ただ残念ながらこれは往時の姿を再現したものではありません。破風は最上階の入母屋破風だけで窓も本当は突上げ窓だったそうです。元々は細川氏が築城し移封にともない小笠原氏の居城となりました。
1837年に失火で天守閣を焼失し、四境戦争小倉口の戦いで長州藩に制圧される寸前に残りの施設も自焼させ小倉を放棄し山間部でのゲリラ戦に持ち込んだ為江戸時代の設備というのは残っていません。小倉城 名所・史跡
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そんなわけで現在の小倉城は戦後に再建されたコンクリート造りです。往時の姿と異なるというのも再建時の都合だそうです。
南側の大手門広場側から小倉城へと向かっていきます。小倉城は海ですが、それでも天守に向けてはかなりの急坂になっていますね。
現在でこそ埋め立てで埠頭などが出来上がりそれなりに内陸になっていますが、江戸時代は関門海峡に面した立派な海城だったようです。小倉城 名所・史跡
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小倉城跡には明治時代から終戦まで陸軍第12師団とその司令部が置かれました。その遺構の門柱が残っていました。他にも城内には陸軍関係の慰霊碑や記念碑などが点在していました。
小倉城 名所・史跡
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城内に入りましたが城内では博物館の様になっていて原則撮影禁止でした。ただ最上階は展望フロアになっていて撮影がOKでしたので景色を撮ってみました。小倉市街はそんなに高層建物がなく割と遠くまで見通せますが、海側だけは建物が多く見る事が出来ませんでした。
小倉城 名所・史跡
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小倉城を出て少し北へと歩いていくと木製らしき橋がありました。紫川にかかるこの橋は江戸時代に小倉と長崎を結んだ長崎街道の橋で、小倉は他の街道の起点でもあったそうです。
現在この橋は復元されていて歩行者用の橋になっていました。常盤橋 名所・史跡
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再び小倉城近辺へと戻り1998年に再現された小倉城庭園へと来ました。元々あった庭園を再現したというよりは小倉藩主小笠原家の邸宅跡に江戸時代の大名屋敷風の庭園を造ったという形の様です。
小倉城庭園 名所・史跡
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奥に見える建築物も小笠原家の邸宅の再現というわけではないようですが雰囲気がとても良い書院造の建物でした。中は撮影禁止だったのか写真が一切なく記憶もないですが、調べてみると体験型の施設にもなっているようです。
小倉城庭園 名所・史跡
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庭園を出た後なぜか少し離れている西小倉駅に向かった様です。日豊本線を一区間だけでも乗りたかったのか、当時スマホを持っておらず現在地を把握できてなく(結構な方向音痴です)西小倉駅にたどり着いたのかは覚えていません。
どちらにしてもこの後日豊本線で小倉駅に戻りそこから戸畑駅へと移動しました。西小倉駅 駅
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乗り継いで戸畑駅までやってきました。戸畑駅の北側に回ると戸畑の名物?若戸大橋が存在感を見せてくれていました。橋が大きいのでそんなに遠くなく見えますが、駅と若戸大橋はそこそこ離れていました。
ここから若松に関しては時系列的には逆転しますが、2017年に来ていてその時の旅行記と被る場所も多いですのでもしよければ見てくださいね。
2017年11月特典航空券で行った九州4泊5日の旅-1日目
https://4travel.jp/travelogue/11566176 -
橋のすぐ下にやってきましたこうやって見るととても迫力がありますし、塗装が赤色というのもすごく目立ちます。赤色になったのは威厳を示すため、ということだったそうですね。開通時は東洋一のつり橋として親しまれたそうです。
この旅行記をアップする前日に若戸大橋を重要文化財として指定することを文化審議会が答申したというニュースが出ていました。若戸大橋 名所・史跡
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若戸大橋の真下には渡船乗り場があります。洞海湾を挟んで距離は近い若松と戸畑ですが、洞海湾を迂回するとかなりの距離になってしまう事もあり江戸時代から渡船が営業していたそうです。近代では若松市、戸畑市の双方の自治体が運営することになり、両市が合併して北九州市になった後も公営の渡船として利用されています。
若戸渡船 乗り物
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2017年の旅行記でも書いていますが過去には若戸大橋は人道橋の役目も持っていたそうですが現在は車両専用になっています。そんなわけで人だけが洞海湾を渡ろうとすると若戸渡船を使うか鹿児島本線と筑豊本線で移動する形になり、普通に考えれば渡船を利用することになるようです。平日の日中だったのでガラガラでしたが、朝晩は通勤・通学の需要もあるようです。
若戸渡船 乗り物
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船で若松側へとやってきました。戸畑側は本当に目と鼻の先という雰囲気です。洞海湾は明治以降相当埋め立てられていますが、湾口が狭かったのは埋め立て前から変わらずの様で、古くからこの位置で渡船が営業していたそうです。
若戸大橋 名所・史跡
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若松側で若戸大橋を見上げると威圧感を感じるような太い橋脚です。本当にこの写真で見るよりも太く感じました。
若戸大橋 名所・史跡
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若松は明治~大正にかけて石炭の運搬で非常に栄えた街です。現在では活気は失っていますが、当時の建築物なども残っているので散策してみます。
なぜか側面からしか撮影をしていなかった上野海運のビル(左奥)。1913年建築のビルですがなぜかこのアングル・・・。ただ2017年の写真を見るとこの目の前の空き地はマンションになっているのでこの横側の道から駐車場を隔ててのアングルはもう撮れないので良かったのかな・・・。旧三菱合資会社若松支店 名所・史跡
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洞海湾沿いの道路はデッキが整備され海沿いを歩くことが出来る様になっていました。高度経済成長期には洞海湾は水質汚染がものすごい事になっていましたが、歩いて目で見る限り汚いという感じはなかったですね。
存在感の大きな若戸大橋もうまく町に調和しているように思えます。 -
石炭商業組合の建物として1905年に建てられた建物です。石炭の運搬で栄えた当時は公会堂の役割も果たしていた様で若松の社交場としても活躍したそうです。
建築当初と今は建物の姿形が変わっているみたいですね。石炭会館 名所・史跡
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こちらは1919年に建築された旧古河鉱業ビルです。現在は貸室としても利用できるようですね。
今まで見てきた建物と違い意匠も立派です。上記の建物より数年~10年建築が遅いためですかね。建築当初の若松の活気ある姿が想像できるビルです。旧古河鉱業若松ビル 名所・史跡
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計画では若松駅まで行ってそこから筑豊本線で折尾乗り換えをし、鹿児島本線で門司港に向かう予定でしたがかなり時間が押していて門司港に向かう時間が無くなってしまう為に渡船で戻ることにしました。日中は一隻で運航しているので対岸から第18わかと丸が来るのを待ちます。
これにより解体工事が直前に迫っていた折尾駅旧駅舎を見れなくなってしまったのが残念です・・・。2021年には旧駅舎の雰囲気を残した新しい駅舎が完成している様なので、いつかまた行ってみたいなと思ってます。若戸渡船 乗り物
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戸畑側にはもう一隻の船「第17わかと丸」が待機していました。当時老朽化で朝夕のラッシュ時にだけ利用されていました。1987年に就航したこの船はこの翌年の2011年に役目を終え引退しています。
引退直前に撮影が出来て良かったです。この船までは二階客室はなかったそうです。若戸渡船 乗り物
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戸畑駅まで歩きで戻りそこから昨日同様門司港駅にやってきました。昨日見れなかった九州鉄道記念館の見学です。
門司港駅には明治時代の雰囲気を出すものが展示されています。人力車が中央にあって両サイドには自転車型の人力車がありました。人力車は観光地でも良く見ますが、こんな自転車型のもあったんですね。門司港駅 駅
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関門連絡船への通路跡がまだ残っていました。とは言え通路はすぐにふさがれていて奥には在りし日の連絡船の写真が張られ通路の奥に船がある様子を見せてくれていました。
門司港駅 駅
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関門連絡船が運航されたのは戦前から戦中にかけて。船以外で本州に渡る手はないので本州に渡る人がここを通ることになりました。その為こののぞき窓から連絡船に乗る人に不審者がいないかチェックをしていたそうです。
門司港駅 駅
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門司港駅の二階は展示室の様になっていて開業当初から現在に至る門司港駅の写真が展示されていました。また室内も歴史を感じさせる雰囲気があり、室内だけでも十分展示として成り立つ雰囲気でした。
門司港駅 駅
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昇降する階段も立派なもので門司港駅が建築された当時のこの駅の重要さ、当時の技術などを知ることが出来ます。
門司港駅 駅
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3時近くなっていて相当お腹も空いていたので昨日同様門司港名物、焼きカレーを食べる事にしてお店に入ります。駅から数分離れているのでガイドブックみてこのお店に行ったのかなあ。昔ながらの雰囲気が残るレストランでした。
こがねむし グルメ・レストラン
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前日とは違うお店でしたがどちらも美味しかったです。焼きカレー、いうなればカレードリアみたいなものですがとても美味しく、この後自分でも作ったりするようになりました(笑
こがねむし グルメ・レストラン
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南方から輸入されたバナナをここから日本全国へと輸送していたそうです。そんな中でうれたバナナをこの地でもたたき売りをしていたそうです。
まあ実態はうれて販売地に着く前に食べごろを過ぎて売れなくなってしまうものをこの地で売っていた様ですが・・・(´・ω・`)。バナナの叩き売り発祥の地 名所・史跡
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山口銀行門司支店の建物です。1934年に横浜正金銀行の門司支店として建築され戦後GHQにより横浜正金銀行が解体された後は山口銀行が利用していました。日本の外貨獲得の重要機関だったこともあり現在神奈川県立歴史博物館となっている本店も含め立派な建築物が多かった銀行です。
なお山口銀行はこの後九州店舗を北九州銀行として分離させていて2021年現在は北九州銀行門司支店になっています。現在の看板は黄色の様ですね。 -
山口銀行門司支店から歩いて少し門司港駅側に進むと九州鉄道記念館があります。九州鉄道発祥の地にある2003年に開館した鉄道博物館です。面積はそんなに広くありませんが、収蔵されている車両はなかなかのものでした。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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九州鉄道時代の駅名標を模したものがありました。門司駅は今の門司港駅で、大里駅は現在の門司駅です。小森江駅は昔から関門連絡船の貨物船の受け入れ設備がありましたが、駅としての開業は1988年の為当然記されていません。このとなりには九州鉄道の0マイル碑がありました。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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九州鉄道記念館に入ってまず出迎えてくれるのは9600形蒸気機関車です。貨物機関車として大正時代に開発された機関車ですが、蒸気機関車再末期の1976年まで活躍した機関車でもあります。この59634号は引退間際に九州に転属してきたことから九州で保存されているそうです。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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花形の特急牽引機関車として製造されたC59のトップナンバーも展示されています。C59は1941年から1947年まで製造されましたが、トップナンバーなので1941年に製造された戦前型でC59の戦前型はこの機が唯一の保管です。
蒸気機関車としては後期の製造なのでスタイルも良いですし、力強さも感じます。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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蒸気機関車の後ろには二両電気機関車が保存されています。これは関門海峡を渡る際に活躍した機関車、EF10 35です。元々は貨物牽引車として開発されていますが、関門トンネルが直流電化されたためにこの区間を牽引する機関車が必要になり増備された車両です。現在では唯一保存された車両になっています。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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もう一両の電気機関車は鹿児島本線電化の際に投入されたED72の初号機が展示されています。こちらもED72では唯一の現存車輛になっています。この写真だと少しわかりにくいですが、全面は切妻ではなく少し「く」の字に曲がっています。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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原型を保つキハ07形はここに展示されている一両のみだそうです。1937年製造で当初はガソリンエンジン車でしたが後にディーゼル機関へと換装され、宮原線で1969年まで使用された後は大切に保管されていたそうです。
同系列の車輛は岡山県美咲町の柵原鉱山公園と茨城県鉾田市のほっとパーク鉾田に展示されていてちょうどこの旅行記を作成している2021年に見学してきました。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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車内も自由に見る事が出来る様になっていました。1969年まで運行されていたとあって機器は当時のものもありそうなかんじですが、その当時の車輛と比べると機器の数は少ないですね。運転台も狭さを感じます。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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1969年まで利用されたという事もあり中はなんとなく旧型国電という雰囲気でしょうか(現役の旧型国電に乗った事はないですが・・・。)
古いと言ってはそれまでですが、レトロで風格もあるように感じます。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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こちらは九州地区で活躍したクハ481-603です。とは言え元々は東北地区に投入された特急列車で1975年以降に九州地区に転属した車両です。600番台を名乗っていますが元はクロ481としてグリーン車用の車輛として製造され九州転属の際に形式変更されたそうです。
車内にも入ることが出来、昔懐かしい(私は乗った事ないですが)ブルーの座席に分散型クーラーが天井に埋め込まれている車両でした。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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本格的な座席-寝台転換ができる世界初の電車として登場した581系も展示されています。とは言えこの車両は余剰車を近郊型として改造した715系を復元したものだそうです。
この時点ではJR東日本に波動用に数編成残されていましたが現在ではすべて引退し国内ではここと京都でのみ保存されています。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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中に入ってみると一見普通の旅客列車にも見えます。これが変形してB寝台へと変形する形です。天井部の左右の出っ張りは上段の寝台がここに隠れているようです。
と言えドア横の優先席やその上のつり革などは改造された715系のままの形になっていました。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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座席をいじるとこの様になるようです。これで寝台車輛としても運用していました。勝手に座席-寝台を変えられないようにロックとかしていたのかな、とかそんな事も気になってしまいました。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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屋外展示は以上で室内の展示へと入っていきます。現在はさらに14系客車も置かれているみたいですね。
この建物は元々は九州鉄道本社として建築された建物だそうですが屋内ではイマイチ実感がないです。外観は後ほど写真を掲載しますが煉瓦造りの立派な建物でした。
この車両はチブ37というもので九州鉄道が導入し国有化になった後、国鉄から大分の耶馬渓鉄道に譲渡されたものを九州鉄道時代に復元されたものだそうです。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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明治時代?大正時代の客車の中はこんな感じだったようです。よく見る車両とは違い畳の座席になっていました。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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ホームで弁当を購入しようとしているのでしょうか?明治時代の一コマを再現した人形が置かれていました。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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JR九州で利用されていたヘッドマークが展示されていました。サザンクロスは昭和末期から平成初期に流行したヨーロッパ風ジョイフルトレインですね。この時点でも既にここに挙げられているヘッドマークの列車は全廃されていました。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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大隈駅の時刻表が展示されていました。大隈駅は福岡県の筑豊地方にあった上山田線の駅で既に上山田線も駅も廃止になっています。
いつ頃のものかわかりませんが飯塚駅での接続列車が原田行きも多く、まだ筑豊本線がにぎやかだったころのもののようです。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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博物館内には811系シミュレーターが置かれていて無料で体験できます。平日だったこともあってか人は誰おらずすぐに利用することが出来ました。門司港-西小倉だったかな、そんなに長くない区間のうちの一駅間を利用出来て、門司→小森江を運転した記憶があります・・・。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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こちらが運転台です。811系の物とまったく同じもの、というかこの運転台は2002年に事故廃車になった811系PM2編成のものなので(この運転台は事故にあってないです、追突された形なので後方の運転台が壊れた)過去に実際に運転士が利用していたものです。
九州鉄道記念館 美術館・博物館
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大宮の鉄道博物館にもあるようなミニ車輛の運転コーナーもありました。このミニ車輛、閉塞など割と本格的な設備で走っているので勉強にもなるようです。
ロシアの子供鉄道とはまた違いますが、子供にとってはいい思い出になりそうですね。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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博物館から出て門司港の町へと再び向かっています。ただその前にちょっと寄り道して博物館の東側に来てみました。
門司港レトロ地区は明治時代~戦前の街並みを再現していますが、それ以外の地区も高度成長期の建物が残っていました。左手は門司掖済会病院、右手の建物は不明ですが現在は解体されてマンションもなっているようです。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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横断歩道を渡って振り返ったのは九州鉄道記念館の建物。とは言えここは入り口でなく右手の方に出入り口がありました。この建物は元々九州鉄道本社として1891年に造られたもので国の登録有形文化財にしていされています。
中はかなり手が入っていますが外観は明治時代の煉瓦積のままだそうです。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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そのあとちょっと門司港レトロへと向かいます。夕方でだいたいどこも閉まっているのでそんな長居の予定はないですが・・・。
イルミネーションはクリスマス過ぎても変わらず行っていました。電飾をする場所が多くて迫力あっていいイルミネーションでしたね。門司港レトロイルミネーション イルミネーション
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門司港レトロはだいたい昨日見ていたのですが、見逃していたのでこれを見に少しだけ来てみました。西鉄北九州線の車輛として活躍していた138形148号車です。北九州では2000年まで西鉄が路面電車を運行していて割と最近まで路面電車が残っていた街でした。戦後の塗装に復元されて保管されていました。
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昨日見ているしとても寒いのでそんな長居はせずに門司港駅へ戻ります。これは門司港駅前にある旧門司三井倶楽部。可愛い雰囲気の洋館でライトアップも良い感じだったんですが写真を撮るとちょっと暗い雰囲気になってしまいました。
旧門司三井倶楽部 名所・史跡
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門司港駅から小倉へと戻ってきました。思ったより早く戻ってきたのと昨日はクリスマスですがこの日はそんなに混まないだろうと思ってイルミネーションを見に行きました。
明るくて綺麗なイルミネーションですがとにかく寒かったです。 -
小倉駅周囲もイルミネーションがありましたがよりイルミネーションがあるという日中に来た勝山公園の方向へと向かっていきます。
街中にはムードのある電飾が並んでいました。 -
勝山公園内、紫川にかかる鴎外橋にはアーチ状の電飾がされていました。クリスマス翌日とは言え日曜日の夜なので見に来ている人もとても多かったです。鴎外橋は森鴎外が軍医として小倉に数年間赴任した際にこの付近に住んでいたことから名づけられたそうです。
鴎外橋 名所・史跡
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鴎外橋のアーチで上を眺めると天の川の様な綺麗な光景が・・・。この日はクリスマス翌日という事もあってゆっくり眺められて良かったです。
鴎外橋 名所・史跡
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蒸気機関車を模したこの車両も電飾されてライトアップされていました。これ自体が展示の様に見えますが、市役所周りの公園で乗降をしている様で乗客もちゃんと乗っていました。この時期のアトラクションになっているみたいですね。
鴎外橋 名所・史跡
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この日の夕食は豚骨ラーメンを食べた様です。24日夜に食べた小倉駅近くのラーメン店が集まっている場所だったと思うんですが、記憶があいまい・・・。このころは記録用にスマホで写真を撮るとかしていなかった(携帯はそんなに画質良くなかった)のでイマイチわからないです。
本場の豚骨ラーメン食べたいっていうのも旅行の目的の一つだったのは覚えています(笑 -
最後はホテルでの一枚。なんでこんな写真を撮っていたのかまったく不明ですが、昔のノートブック、USBタイプのWiMAX、そしてANAのサイト・・・。本当に十年一昔という言葉がよくわかります。
このころはB747-400DやB777-200が普通に福岡線に投入されていましたね。
明日は東京へ戻る日になります。アパホテル<小倉駅前> 宿・ホテル
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旅行記グループ
懐かしの2010年12月福岡旅
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