2009/08/13 - 2019/08/17
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この旅行記のスケジュール
2009/08/13
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飛行機での移動
8月13日 成田空港10:45→アムステルダム15:20
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飛行機での移動
8月17日 アムステルダム9:15→キエフ13:10
この旅行記スケジュールを元に
旅の始まりはオランダでした。アムステルダム行きの飛行機の中で長男に「マーストリヒトと○○とではどっちへ行きたい?」と聞かれて「最南端の方が行くチャンスが少なそうだからマーストリヒトにしよう」と全く事前情報も調査もなく観光地を選んでいたので、まさに「猫に小判」の旅となり、その土地の価値を知らずに旅していました。フォートラベルの会員(9年後)にもなっていませんから旅行記を書く視点で観光していません。今、写真を見てもどこかで見た景色という記憶が残っている状態で、本当にあれこれと苦心して計画を立ててくれていた長男には申し訳ない旅行だったと思います。
アムステルダムはとにかく地面が少なく道路も狭く自転車が移動手段の主でした。アムステルダム中央駅は東京駅そっくりでした。駅に隣接する泊まったホテルは何とエレベーターに1,2階の表示がなく、客室もありません。3階の廊下の窓から下を見ると線路でした。これは線路の上で眠ったということになります。朝食のレストランの窓からは電車の車輪がすぐ横上に見えて驚きでした。オランダは地面が少ないということは聞いては知っていましたがまさに「百聞は一見にしかず」で行ってみないとわからない驚きの事実です。
5日間のオランダ旅行でハーグ、ユトレヒト、マーストリヒト、アムステルダムを巡りました。ハーグでは国際裁判所の中に入ることはできませんでしたが、外に黒人の女性が見学に来ていて人種差別に関する裁判に勝訴したお礼まいりでしょうか。うれしそうな表情で自慢げに見学していた様子が強く印象に残っています。ライデン大学の日本庭園ではほっと一息つけましたが、庭園を囲む壁が赤色で「中国と間違えられている」とショックでした。日本には赤い壁の庭園はありませんから。オランダ語はできませんが一言、言いたいと思いました。
ハーグ マウリッツハイス美術館 のフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」等、アムステルダム国立美術館のレンブラントの「夜警」等、アムステルダムファン・ゴッホ美術館の「ひまわり」等の絵画を時間を気にせずに十分に堪能できたことも忘れられない思い出です。
アムステルダムではアンネ・フランクの家の前の運河を通ったこと、ユトレヒトのミッフィー博物館ではお土産にミッフィーのぬいぐるみを買い現在も居間に飾ってあること等、今振り返ってみると懐かしい思いでがたくさんあります。あまり経験することができない旅をすることができて長男に感謝です。
12年を経てなかなか思い出せない建物がたくさんありました。この旅行記は語調が異なるところがところどころあります。長男にかなり助けてもらって完成しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 航空会社
- エールフランス KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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アムステルダム・スキポール空港に到着したのは午後3時20分。ホテルにチェックインをしてそれから観光が始まりました。もちろん、この日の一番のお目当ては風車です。
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川沿いにある風車。
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かなり大きくて驚きました。
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道路は川(運河)上に通っています。運河と道路とどちらが多いか?半々でしょうか?
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4階建ての建物。地面が少ないので記憶の中に平屋の家はありません。
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風車が見えるレストランで夕食を食べました。いつになっても日が沈まないので驚きでした。午後9時でも明るい!緯度が高いのです。 眠くて仕方がありません。
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少し暗くなってきました。運河とともに建物があります。
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次の日です。
日本では考えられない設計です。道路の下にある運河の脇にレストランがありました。洪水の心配がないのでしょう。 -
大雨で水かさが増さないのでしょうか?水門が守っていてくれるのかもしれません。個人的にはこのようなところで食事をするのは遠慮したいと思います。
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道は狭く建物は高くすぐ脇には運河がある。といったところがアムステルダムの風景です。
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旧ユトレヒト市庁舎?
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ユトレヒト市庁舎?
ユトレヒト条約はどこで締結されたかは知りませんが。ちなみにユトレヒト条約とは、スペイン継承戦争とアン女王戦争の後始末。基本的にスペイン王に自身の孫フェリペ5世を擁立したルイ14世率いるフランスと、その他諸国の同盟軍が衝突するという構図。いずれの陣営も莫大な金を投入し血を流したものの、決定打にかけて手詰まりとなった。最終的にフェリペ5世はスペイン王位を国際的に承認される代わりにフランス王位請求権を永久に放棄することになった。勝者はイギリスで躍進し、フランスとスペインは力を失うことになった。 -
ユトレヒトの町の風景
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ユトレヒトのドムタワーです。高い塔です。オランダで一番高い教会の塔で112.5mあります。
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だんだん近づいてついにすぐ下まで来ました。見上げるとかなり高かったです。
14世紀末に聖マルティン大聖堂の一部として建造されました。大きさに驚きました。 -
資金不足で大聖堂は完成しなかったそうで、塔だけが独立した形で残っています。
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町の中にある塔です。
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ユトレヒト大学にやってきました。ヤン・ファン・ナッソー像。
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大学の正面です。
オランダ北部七州がスペインからの独立を目指したユトレヒト同盟の中心人物。 -
ドム教会
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ユトレヒトの町の中
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?
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ユトレヒトの町の中
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中央博物館
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ユトレヒトの町の中
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電車に乗ってマーストリヒトまでやってきました。マーストリヒト駅
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駅から市内中心は少し離れています。
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マー川にかかる橋
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50分のショートクルーズ
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クルーズで見た景色
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聖母教会
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立派な橋が架かっていました。
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記念撮影
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クルーズで船から見たマーストリヒトの町
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クルーズで船から見たマーストリヒトの町
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マーストリヒトの市庁舎をバックに。
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マースリストの市庁舎です。ここでマースリスト条約がここで締結されています。マーストリヒト条約は30年ぐらい前に単一通貨ユーロの創設と3つの柱構造(欧州共同体の柱、共通外交・安全保障政策の柱、司法・内務協力の柱)の導入を規定した。まさに欧州連合の基礎。
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マーストリヒトのマルクト広場と市庁舎です。
マーストリヒトはオランダで最も古い町と言われています。 -
誰なのかはわかりませんが心に残る像です。
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フライトホフ広場、オランダで一番古い教会?の聖セルファース教会、聖ヤンス教会
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聖ヤンス教会、1218年にはあったらしい。
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聖ヤンス教会。2色は珍しい。
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マーストリヒトの景色
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マーストリヒトを囲む城壁。
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記念撮影
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城壁の外は公園
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地獄の門。現在でも城壁を貫通する門として機能しています。オランダに現存する最古の門です。
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地獄の門の前で。
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マーストリヒトは城壁で囲まれた町です。
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これは? 飾りではなさそうです。実際に使っていた物?
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マーストリヒトで見た建物
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マー川にかかる橋の上から撮っているかと思います。
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アムステルダム?
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アムステルダム?
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アムステルダム?
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アムステルダム?
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アムステルダムの王宮です。
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王宮の前をトラムが走っていました。中に入ることはできませんでした。
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戦没者慰霊塔
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アムステルダム。トラムの線路をバックに。
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トラムはかなり整備されている。
アムステルダムは地下鉄は厳しいですから。 -
アムステルダムの風景
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アムステルダム国立博物館の中庭にあったオブジェと一緒に。
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アムステルダム国立博物館の外観。
博物館中にはオランダの歴史がわかる展示がたくさんありました。 -
アムステルダムの運河です。
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西教会
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アンネフランクの隠れ住んだ家。
結末は悲惨、、、生き延びたのは父のみ。 -
夕食です。ものすごい量で出てきます。オランダ人は体格がとてもよいです。2mを超える人がたくさんいるように思いました。女性も大きいです。
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アムステルダムの運河めぐりの船に乗りました。
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一度外海に出たようです。
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長い橋。
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面白い建物です。船のような形です。船ではありません。陸の上にありました。
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水上の船で生活している方もいるようでした。船は固定されていて動きません。優雅でいいかもしれませんが大水の時はどうするのでしょう?
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アムステルダムは陸地と運河とが隣接しているので、埋め立てた土地なのだと思います。地盤が緩いと沈没してしまいそうです。
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回っていくとこういう風景がたくさん見られました。運河を渡る橋です。橋の下は船が通ることができます。
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船が来ました。自家用車ならぬ自家用船を持っているのかもしれません。ベネチアのように。
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家を見ると2階3階と家によって高さが違います。建てた時代が違うようで統一されていなかったことがわかります。
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アムステルダムらしい風景です。
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運河に留めてある船。自動車の代わりになるのでしょう。
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暗くなってきました。運河の水は流れていないように見えます。夕暮れの運河も素敵です。
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灯が水面に映ってきれいです。
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出発地点に戻ってきました。クルーズした船です。雨でも観光ができるように透明な天井が付いていました。
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運河をバックに一枚。
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アムステルダム夜景
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モダンなデン・ハーグ中央駅
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ハーグにあった像
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ハーグの風景
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来ましたハーグ マウリッツハイス美術館 。「真珠の耳飾りの少女」を見るためにここにやって来ました。フェルメールは「光の魔術師」と呼ばれるほど光を研究したそうで館内はフェルメールの作品がいっぱい!
時間を気にすることなく鑑賞し、フェルメールを満喫しました。 -
記念撮影
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ビネンホフ、国会議事堂。オランダの国会議事堂はアムステルダムでもロッテルダムでもなく、ハーグにあります。
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ハーグの風景
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中は運がいいと入れます。
国会会期中は入れません。 -
記念撮影
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ハーグの国際司法裁判所です。柵があって中に入ることはできません。しかし、見学に来る人々がいました。私たちもその一組です。
黒人の女性が再販所を見て誇らしげに何かを話していました。「ここの裁判所で勝訴したのよ!」何かそんな感じで話していました。人種差別で争っていたのでしょうか?
「どうしてもここにきて国際司法裁判所を見ておきたい」といった思いを感じました。 -
中に入ることができないので周りを一周しました。
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世界各国の石
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これは国会議事堂です。木造です。船をひっくりがえしたような天井です。釘を一本を使っていないそうです。
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現在でも使用しています。夏休み中なので入場することができました。
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高い天井です。
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記念撮影
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記念撮影
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木造の温かさを感じます。
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ここはライデン大学の中にある日本庭園
ライデン大学は1575年創立のオランダ最古の大学です。
大学の中を通ってここに来ました。 -
この建物は茶室という解説です。一休みしています。ホッとします。こんな所に日本の家があるとは思っていなかったので。
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ライデン大学とシーボルトと関わりがあり日本を追放されてから大学の近くに住んでいたということです。シーボルトはドイツ人医師ですがオランダのライデン大学で研究していました。
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奥に見えるのはシーボルトの像です。
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シーボルトはスパイでもありますが、
江戸時代に蘭学、特に西洋医学普及に貢献。 -
ここには植物園があり、薬草がたくさん栽培されているとのこと。植物園の中も見学して来ました。
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ライデンの風景
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ライデンの風景
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ライデンの風景
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ライデンの風景
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ライデン聖ピータース教会
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ライデンの町の風景
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市庁舎?
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要塞を登る途中、聖ピータース教会を見下ろす。
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小高い丘に要塞があります。
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ライデン要塞の入り口、中は特に何もない。
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ライデン市内 ここも運河が多い町。
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ライデン市内
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計量所?
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ライデン市内
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ライデンの風景 絵になる風景
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レンブラントの生家
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1743年に建てられ1964年まで現役の風車
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市立風車博物館、時間が遅く入れませんでした。
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跳ね橋、いまだ現役
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ライデン駅近くのバール、「食事は出していません。軽食なので半分量ですがいいですか?」と言われた。
それで出された軽食。
オランダ人には軽食ですが、日本人には夕飯です。 -
アムステルダム夜景
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アムステルダムで有名な飾り窓。
いくら治安が改善されたとは言えあまり近づかないように。
次はキエフに続く。
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