2009/08/17 - 2009/08/20
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記のスケジュール
2009/08/13
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飛行機での移動
8月13日 成田空港10:45→アムステルダム15:20
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飛行機での移動
8月17日 アムステルダム9:15→キエフ13:10
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飛行機での移動
8月20日 キエフ17:45 AF 2553便→シャルルドゴール空港20:00
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飛行機での移動
8月20日 シャルルドゴール空港23:35→ 8月21日 成田空港18:00
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この旅行記スケジュールを元に
2022年3月。あの美しい都キエフが再び戦火の中にあり、遠く日本にいてキエフの旅行記を見て、何かできることはないかと思います。
昨年3月に耳を患い治療のため思うような生活ができなかった5月に長男からair maltaロゴの入った機内販売で買ったUSBが送られてきました。中には長男が最初に旅に連れていってくれたオランダとウクライナの写真が入っていました。オランダ・ウクライナ・・・そこから私たち親子3人の旅は始まりました。そして私の訪れた国の合計は現在47ヶ国になりました。
旅が大好きで学生時代からいろいろな国を旅していた息子が社会人になっても時間を作り、ツアーでは行くことができない稀有の場所へTD兼カイド兼MDで案内してくれました。
この旅ではオランダで途中降機してアムステルダム、ユトレヒト、マースリヒト、ハーグ等を回り、その後ウクライナのキエフに入りました。ウクライナはヨーロッパではロシアに接するはずれのところにあり、帰路で本当にエールフランスがキエフ空港まで迎えにきてくれるのか不安になったことを記憶しています。2009年当時はフォートラベルの会員ではなかったため旅行記を書くという視点で旅行をしていません。断片的な記憶を辿って息子の送ってきた写真を眺めて「本当に行ってきたのだろか」と疑いながら旅行記にしました。
キエフは私たちが旅した2009年以降にロシアの侵略を受け、あの美しい独立広場に戦車が入り、戦死者を弔う花輪がテレビのニュースで流れた時には胸がつぶれる思いがしました。その後、また静かな都市に戻りツアーが2019年頃に出ていたのに驚きました。
そして今、再び激しいロシアの侵攻に直面しています。街がどのようになっているのかをニュースで知ることができ、無残な映像を怒りと悲しみで見ています。
6月に鎌倉の明月院でウクライナ出身の女性に偶然お会いしました。この旅行記をUPしようと書き始めていた頃だったので何か不思議な縁を感じました。
長男には本当に感謝しています。たくさんの貴重な旅ができました。また、元気になったら出かけていきたいと思います。
一日も早い停戦を祈ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- エールフランス オップ KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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アムステルダムからウクライナキエフ空港に到着。
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郵便局だったような? 残念ながら思い出せません。見た建物です。
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初日は空港から川に出てきました。ドニエプル川にかかる橋です。
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川岸まで出て、このドニエプル川を船でクルーズしました。郵便局をすぎてからちょっと歩くと乗り場あります。1時間のクルーズ。
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船から見た掛かる橋。橋の名前はわかりません。
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掛かる橋 川の反対側は森のようになっていました。
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やがて大祖国戦争博物館の塔が見えてきました。
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ペチェールスカ大修道院の金の塔が見えてきました。
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大祖国戦争歴史博物館の入り口にあるコンクリートの女性像がやがて大きく見えてきました。
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船を下りて郵便広場に出ました。
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? 郵便局?
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聖ミハエル黄金ドーム修道院に向かうケーブルカー。
丘の上まで -
丘の上にある聖ウラジミールの記念碑。
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ドニエプル川が眼下に見え、ペチェホドヌイ橋がかかっているのが見えます。
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聖ウラジミール記念碑。かなり大きいです。
ちなみにキエフルーシ国の国教をギリシャ正教にした人。 -
遠景
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郵便局? 何かとても大事な建物なのでしょう。
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初日の夕食です。 ボルシチ等のウクライナ料理を食べました。ちなみにボルシチはロシア料理ではなくウクライナ料理です。
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次の日、ぺチェールスカ大修道院に行きました。大修道院という通り鐘楼や教会などのたくさんの施設の複合体。
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ぺチェールスカ大修道院の鐘楼
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角度を変えて
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中のの様子です。黄金で輝いていました。ロシア正教なので偶像はありません。
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ぺチェールスカ大修道院入り口にある博物館?
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修道院入り口の門の中にある教会。
ぺチェールスカ大修道院の聖三位一体教会。
12世紀の姿を残すはこの教会のみ。 -
ウスペンスキー大聖堂
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ウスペンスキー大聖堂
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建物の中です。壁面にキリストが描かれています。
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ウスペンスキー大聖堂の中
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ぺチェールスカ大修道院の全聖者教会。17世紀建造。
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中からたくさんの人が出てきました。
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中です。
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外観
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外観
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黄金の塔がたくさんありました。
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トラペズナ教会外観、地下の墓地洞窟への入り口はまだ先
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近くには屋台が出ていました。はちみつを売っているお店がたくさんあったのを記憶しています。名産?なのかよく売っていました。トラペズナ教会から地下墓地へ行く途中にありました。
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?
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修道院を囲む高く長い塀です。
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像の前で。
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歩いて行った先にはこのような大きな像がありました。
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戦争博物館の入り口にありました。キエフの戦いはかなり犠牲者を出しましたが、ここでの一か月は重要。
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戦争博物館です。キエフの戦いは、第二次世界大戦中、キエフ近郊でソビエト赤軍がドイツ軍に包囲された戦いです。この包囲戦では歴史の中でも稀有な大包囲が行われました。最終的に一か月で降伏し60万人が捕虜となりました。
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入り口をバックに撮影。
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ちなみにナチスドイツにとってキエフでの大勝利は、戦線南方におけるソビエト赤軍の抵抗力消滅を意味し、南方軍集団は戦略的に重要なドネツ地方へ進撃することとなり、戦線南部の状況は著しく変化しました。しかし、キエフを攻略するのに消費された4週間はモスクワ攻撃の時間を遅れさせることとなり、ロシアの厳寒がドイツ軍を襲うこととなります。ソビエト赤軍は大損害を受けていましたが、この戦いでモスクワ防衛の時間を稼ぐことになったのです。
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スケールが大きいです。比べてみるとわかります。
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実際に使われていた物が展示されていました。時代は違いますが。
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日本では見ることができない車です。
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?帰りにどこかで写した写真のようです。
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この日の夕食です。
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次の日に訪れたのはキエフ大学です。構内です。赤がシンボルカラー。共産主義の色です。
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赤色に圧倒されます。
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デザインは大英博物館に似ているように見えますが。
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シェフチェンコ記念国立オペラバレー劇場
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キエフはバレーが盛んなのでしょう。
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建物は芸術です。
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周りの景色はこんな感じでした。
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近代的な建物が周りにはありました。
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町の中に出てきました。黄金の門
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全景です。かなり大きい。黄金色ではないが。
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横からの写真です。1037年にヤロスラウ賢公が町の境界線に土塁を盛り、その上に城壁を作らせました。西へ向かう入り口に大門を構築し、当時の欧州にとって文化の源であったビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスの門にちなんで、「黄金の門」と呼ばれました。
1240年に黄金の門は、モンゴル帝国の軍勢によって破壊され、それ以後再建されることがありませんでした。 -
横から取りました。茶色の部分は木造です。
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黄金の門の前の広場で民族衣装を着た人々が踊っていました。ここで初老の日本人男性に会いました。ウクライナで暮らしているということでした。「ウクライナは貧しいけどそんな風には見えないでしょう。私は一番最初はウラジオストックで日本語を教えていました。外国人なので年金がおりません。杉並区に家がありそこの家賃が入ってきます」と話していたことを覚えています。
本当にそのようには見えませんでした。 -
街並みです。その男性から家に遊びに来るように誘われましたが、お断りしました。今ならこの方は安全とわかりますが、当時は危険な目にあうと大変だと考えていました。
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独立広場にやってきました。
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広場にあった凱旋門?
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広場にあった凱旋門?
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広場にあった凱旋門?
ここが長男はかなり気に入っているようでした。 -
広場に位置しています。
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広い広場でした。たくさんの人がいました。日本のメーカーNikonの広告がビルの上に出ていて驚いたことを記憶しています。
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どこかの国の首都に似ている風景です?
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見事! 独立広場の象徴です。
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かなりここは印象が強かったです。
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屋台店がたくさん出てお土産を売っていました。
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今宵もビールで乾杯!観光地価格ですが、大体日本の半額。
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3日目はソフィア大聖堂へ行きました。
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ソフィア大聖堂
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ソフィア大聖堂
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ソフィア大聖堂
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ソフィア大聖堂 きれいなブルーです。
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ソフィア大聖堂
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塔の裏側でしょう。
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塔の裏側でしょう。
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敷地内に入りました。
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? 見渡すことができる高いところです。
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ソフィア大聖堂を見渡せるところに出てきました。
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街並みも見えます。
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ソフィア大聖堂ももちろんよく見えます。
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降りて記念撮影
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なかなかです。ソフィア大聖堂
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? 花嫁の後ろ姿のように見えます?
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ソフィア大聖堂の鐘楼
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ソフィア大聖堂の鐘楼 かなり大きくて離れて撮りました。
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近づくとこんなになっています。
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ソフィア広場に出てきました。
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工事中の写真
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中に入り撮りました。
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中に入り撮りました。
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建物の中
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ここからも外が見えます。
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遠くにソフィア大聖堂が見えました。
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ソフィア大聖堂を見渡しています。
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街並み。
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高いビルが多いと思います。
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次はアンドレイ教会にやってきました。
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中には入れず、すぐ脇にあるアンドレイ坂を下りました。この坂がすごくデコボコで苦心して下りたのを記憶しています。車はとても無理です。
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下りて街に出ました。ホテルまで歩きます。
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途中の景色。
宿泊したホテルの写真はありませんが、ドアボーイがいてフロントの壁にフラスコ画の素敵な絵が描かれていた上質の素敵なホテルだったことを記憶しています。 -
町の中の様子。
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4日目はピロゴホ野外博物館へ行きました。
ミニバスに乗ってはるばる行った感じでした。 -
ウクライナの昔の家が野外に移築され建てられていました。
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木造の教会。北欧にもありますが、ロシアウクライナは数が多いです。
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宗教の力はすごい!と思いました。
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教会の全景。
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これも教会です。
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民家
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ここで出会ったおばあさんに「どこから来たの?」と聞かれ「JAPAN」と答えると驚いて、「Good」という感激した答えが返ってきました。本当にはるばる地球の裏側からこのように不便なところにある博物館によく来たものだと我ながら思ったものでした。
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歩いても歩いても見きれない広さです。
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石造りの民家。
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風車
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風車の力を何に使っていたのでしょう?小麦をひいていたのでしょうか?
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すごく広い! 見てみたい教会があって探して歩きました。
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私はこの頃は太っていました。今も太り始めています。
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民家
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記念撮影
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木造というか藁のようなものでできている家。
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お土産屋さんがあって花の素敵な絵が描かれていた木製のお皿があったので記念に買ってきました。今でも私の部屋に飾ってあります。
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よく写真を撮りました。
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家の中です。
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白壁の家。
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お天気がよくてよかったです。休憩で寄ったミニカフェで飲んだカプチーノがすごくおいしくてそれからカプチーノをよく飲むようになりました。
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探していた教会とは違いますがとても似ている教会がありました。
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開拓で大変だったのでしょう。教会が奥に行くにしたがってだんだん簡素なものになっていくのがわかりました。しかし、心の支えであったことはよくわかりました。
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年代ものです。
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中に描かれているキリストの絵です。
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黄金です。教会の建物は簡素であっても中は黄金です。
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記念撮影。私が撮っています。
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遠景
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記念撮影
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一日中歩いて回りました。
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この頃は体力があったのですね。今はとても無理です。
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ここは違う教会です。
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この写真が最後の一枚でした。
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この日の夕方キエフ空港に出て、シャルルドゴール空港行きのエールフランス機に乗っています。
本当にウクライナまでエールフランスが来てくれるのだろうか?と不安にこの頃は思っていました。空港で飛行機を見つけた時は感激でした。今になっては当然のことで笑い話ですが・・・。そのくらい辺鄙な所だったのです。
懐かしいウクライナの旅。すべてがここから始まりました。旅行記にやっとUPすることができ記録を残すことができて幸いに思います。
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