2018/05/12 - 2018/05/12
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chiaki-kさん
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キューケンホフとは ”城の台所に花を届けた敷地”という意味で、15世紀に、ここで栽培したハーブが当時の領主の居城に運ばれたことからつけられた。17世紀以降、オランダ東インド会社の提督や豪商の所有地になったりしたが、1949年に公園としてキューケンホフは開園した。今では、世界最大級の花の公園として世界中から多くの観光客をオランダへ引きつける観光名所となっている。
毎年3月下旬から5月中旬まで開園しているが、一番の見所は園外にあるチューリップ畑で、4月上旬に行くと素晴らしい光景が見れるそうだ。我々が訪れた2018年5月12日はなんと、明日一杯で閉園ということで、園外の畑はすでに整地が終わり、園内のチューリップも葉っぱだけだったり、開きすぎたものが多かったのだが、それでも池の周辺はまだ、なんとか見られるチューリップや他の花も残っており、なんとかギリで間に合った印象を受けた。
と、いうことで本日はキューケンホフ公園とアムステルダム(以後アムスとする)市内観光をお届けします。
2024/03/08 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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-
5/12
ホテルからバスで約1時間、キューケンホフ公園に到着。 -
エントランスから右(北側)へと進み、北側終点近くにあったのがこの風車。
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さっそく登ってみる。想定内だが、園外に見えたのはトラクターで綺麗に整地された元チューリップ畑。
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緑の畑と、遠くに見える教会がいいね。
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この辺のチューリップは完全に開きすぎ。
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それでも中には綺麗なものもある。
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キューケンホフ公園にはチューリップだけだ無く、さまざまな花達が咲いている。これは黄水仙。トラクターのタイヤがいいね。
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温室の中では百合の花が展示がされていた。
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こんな額縁に入った百合の花も。
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温室を出て南側へ進むとこんな池がある。
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ここのチューリップは綺麗に咲いていた。
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ハイイロガラス(別名:ズキンガラス、英名:Hooded Crow)発見。
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池にはこんな足場?がこしらえてあり、池の上を歩く気分になれる。
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池の上からツツジを撮影。
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こんどはツツジから池を撮影。
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???なオブジェなのだが、ムスカリが満開の頃は青い海に浮かんだようになるんだろうね。
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白鳥さん登場。ん、池の向こう側にカフェ発見。
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では、カフェで休憩。
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エスプレッソなので砂糖、ミルクを全部入れて飲みます。おいしかったです。
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休憩後、散策再開。こちら側のチューリップの方が時期を遅らせて植えたようで綺麗。
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いいね。
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これは開きすぎ。
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これは綺麗に咲いている。
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開園期間に合わせて、時期をずらしながら植えているのがわかります。
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それにしても、ここのチューリップは背が高い。まるでオランダ人みたい。
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最後にエントランス横にあるお土産屋さんを覗いて園外に出る。エントランス前で11:30に集合ということだったが、ここでメンバーが2人戻ってこないハプニングが発生! 30分後に戻ってきたが、ここと反対側にもうひとつある出入口の方へ行ってしまったようだ。
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バスは西側からアムス中央駅を目指す。これはコンクリートの高層住宅なのだが、茶色い壁に白枠の窓というオランダの定番デザインが面白い。
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アムスの街は運河だらけ。
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ちょっとした橋も跳ね上げ式だ。
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なんと、鉄道橋まで跳ね上げ式。
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キューケンホフを出発して約50分後、アムス中央駅前に到着。
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この自由の女神が目印のアムス駅前のレストランで昼食。
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まずはハイネケンで乾杯! 前菜はコロッケ。
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メインはチキンカツとドッサりのフリッター(ポテトフライ)
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昼食後、バスで移動。やってきたのはRIJKS・国立ミュージアム。1885年に開館したオランダ最大の美術館で、中世・ルネッサンスから20世紀まで、絵画や工芸品などが時代ごとに展示されている。なかでも17世紀のオランダ絵画は豊富で、レンブラントの「夜警」をはじめ、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、などの他、印象派の作品も見逃せない。
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階段で一気に2Fまで登ると最初に見たものはこのステンドグラス。
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そして後ろを振り向くとはるか彼方にレンブラントの「夜警」が見える。ちなみに現地のガイドさんは、人がいなければこの距離から見る「夜警」が好きだそうだ。
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「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642
では「夜警」(縦3m63cm、横4m37cmという大きさなので周辺が歪んでいます)からいってみます。
「夜警」という名は通称で、正式な題名は「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊」(De compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem van Ruytenburgh)というジュゲムのような長い名です。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 拡大
「夜警」はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成するが、題名となった市民隊(火縄銃手組合による市民自警団)が出動する瞬間を描いている。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
画の中央にはコック隊長(のちのアムス市長)と、その右横にいるラウテンブルフ副隊長は隊を率いて動き出そうとしている。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
後ろでは旗手が隊旗を掲げている。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
銃に火薬を詰める隊員や銃を構える隊員がいたり・・・ -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
太鼓手がドラムを構え、一斉に人々が動き始めたため・・・ -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
犬が吠えたてている。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、多様な表情を見せており、隊員の動きが交錯して画面躍動感を生み出している。 -
「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642 一部拡大
隊長、副隊長以外に光りが当たり、全身が描かれているのはこの謎の少女のみ。隊のマスコット的存在として描かれているが、彼女の帯にぶら下がった鶏は火縄銃手(clauweniers)の象徴である。画が完成した年に亡くなった、妻サスキアではないかという説もある。
なお、この絵を発注した隊員たちが、支払った額と同じ様な平等さで各人を描かなかったレンブラントに不満を持ち、これが受注減や妻サスキアの死など、レンブラントの人生の転落の始まりになったという言い伝えもある。 -
模写「夜警」ヘリット・ルンデンス 1642
「夜警」の隣には17世紀、ヘリット・ルンデンスによる模写画があったが、1715年、それまで掲げられていた火縄銃手組合集会所のホールから、ダム広場のアムステルダム市役所に移された際、上下左右が切り詰められてしまった。これは市役所の部屋の二本の柱の間に絵がきちんと納まるようにはみ出す部分を切り落としたという説が有力である。このため、左側に描かれていた二人の人物、同じく左下にあった階段のふちと手すり、人物の上にあるアーチの頂上部分が失われた。
したがって模写画には「夜警」にはいない人物が左端に2人描かれている。それと、全体が明るいのがよく解る。実は「夜警」が描かれたのは昼間だったそうだが、ニスの劣化などにより暗い画になってしまった模様。 -
参考までに、これが当時の集団肖像画。ただし、料金は描かれている人物のサイズや立ち位置により異なったらしい。
次は、フェルメール行ってみま~す。 -
「青衣の女」ヨハネス・フェルメール 1663
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「青衣の女」ヨハネス・フェルメール 1663 拡大
おなかの大きくなった女性(衣服だという説もあり)が左手から光りが差し込む部屋で手紙を読んでいる。手紙の主は壁に貼った航海図から判断して、船乗りであろう。手紙には「まもなく帰る」あるいは「遅くなりそうだ」といった内容が描かれているのでは、と推測される。 -
「牛乳を注ぐ女」ヨハネス・フェルメール 1660 (原題は Milkmaid)
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「牛乳を注ぐ女」ヨハネス・フェルメール 1660 拡大
フェルメールは生涯37点の画しか描かなかったが、「デルフトの眺望」「真珠の耳飾の少女」とともに、もっとも著名な作品の一つ。
まるでマリア様のような青いエプロンを腰に巻いたメイドが牛乳を鍋に注いでいるシーンなのだが、フェルメールブルーと呼ばれるこの青はラピスラズリと呼ばれる宝石のような材料が使用され、手前のパンなどは、よく見ると点描技法まで使われている。
よーく見ると、メイドが持った壺はやや上向きになっているので、物理の法則を無視して牛乳は流れ出しているかのようだ。いずれにせよ写真という物が無かった時代はこのように精密に描くことが絵画の役割だったのだろう。 -
「恋文」ヨハネス・フェルメール 1669-1670
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「恋文」ヨハネス・フェルメール 1669-1670 拡大
フェルメールの画によく登場する黄色のガウンをまとった女主人を、ニヤリと見下すメイド。現地ガイドさんは「家政婦は見た」の画です、と説明してくれた。
よく見ると部屋は掃除の途中で、ほっぽり出され、メイドと女主人の立場は完全に逆転している。壁の画は嵐を呼ぶ積乱雲をバックに帆船が描かれており、これから一波乱ありそうな雰囲気。想像だが、この手紙は夫以外の男から来たラブレターで、メイドはその全てを知ってしまったのだろう。
なお、この作品は、ブリュッセルにおける展覧会に貸し出し中の1971年9月24日に盗難に遭い、2週間後に発見されている。 -
「小路」ヨハネス・フェルメール 1660
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「小路」ヨハネス・フェルメール 1660 拡大
フェルメールの2点しか無い風景画の一枚。生涯デルフトから出る事の無かったフェルメールなので当然デルフト市内の何処かなのだろうが、該当する場所は見つからないらしい。 -
この画には人物が4人描かれているが、画のタイトルにもなっている、一番左側の人物がいる小道は、どうも想像で描いたものらしい。青いスカートを履いているので多分彼女が主人公なのだろう。
このころの絵画は貿易により裕福になった市民の家に飾られることを考えて制作されており、サイズはいずれも小さい。また謎解きを楽しんでもらえるよう、画の中には目一杯仕掛けがちりばめられているそうだ。
では、他の作品も行ってみよう。 -
「Square Saint-Pierre at Sunset」フィンセント・ファン・ゴッホ 1887
国立美術館には3点のゴッホの作品も飾られている。これはパリ時代の作品だが印象派の影響が少し見られる。 -
「自画像」フィンセント・ファン・ゴッホ 1887
パリ時代に描かれた自画像。フェルトの帽子が特徴。 -
「モンマルトルの丘」フィンセント・ファン・ゴッホ 1886
見ての通りパリ時代の作品。この絵も印象派の影響が見られる。 -
「La Corniche near Monaco」クロード・モネ 1884
モナコの町と後ろに聳える山の絶壁が見て取れる。 -
「Beach at Ebb Tide」チャールズ・フランシス・ドゥービニー 1850
いかにもドゥービニーらしい画だ。 -
「Landscape」カミーユ・コロー 1872
銀灰色の樹木と小さく描かれた人物、これまたコローらしい画だ。 -
「ポルダー・ウォーターウェイの風車」ポール・ヨセフ。コンスタンチン 1889
風車も良いが、背景の青空と雲の描き方が秀逸。 -
国立ミュージアムには他にも沢山の作品が収蔵されているのだが、時間が無いのでオランダ黄金時代の絵画と印象派の画だけ見て終了。ミュージアムの外にはお馴染みの I amsterdam のサインあり。中にはよじ登っている観光客も。
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バスで再び中央駅前へ移動、今度は名物の運河巡りのボートに乗ることになった。
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ボートはまず、国鉄のガードをくぐってアイ湾へ。湾の向こう側に見えるビルはアダム・タワー。屋上には絶叫ブランコがあるらしい。
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ボートは扇状になったアムスの運河に突入。見えてきたのは西教会。(後で行く)
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アンネ・フランクの家の前は観光客で大渋滞中。
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ボートハウスの一隻。係留代は結構な金額らしい。
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運河巡りは情報収集が不足気味で、知らなかったが、ここは似たような橋がいくつも重なる名所だそうだ。
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大きな運河に出るとマヘレの跳ね橋発見。ちなみにアムス唯一の木製橋だとか。
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こちらは鉄製の跳ね橋らしい。
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通常はこの後、アイ湾に出て元の場所に戻っておしまいなのだが、このボートの船長さん、今日はこれで最後ということもあり、普段通らない飾り窓地区を通ってくれた。写真は旧教会。
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赤いカーテンが降ろされている建物が飾り窓の家だそうだ。ちなみにオランダは大麻も合法なら、売春も合法化されている。
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UPしてみます。
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無事、戻って来ました。
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17:50 ここで他の皆さんと別れてフリー行動をとる。最初に行ったのはトラム、バス、メトロのチケットを扱っている営業所で、中央駅の向かいにある。
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18:13 24時間券(GVB OV-tiket 7.5E)をゲット。トラムに3回乗れば元がとれる。
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駅前の停留所から17番のトラムに乗車して向かった先は・・・
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西教会です。
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18:30 アンネ・フランクの像とご対面。
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アンネ・フランクハウスはドアの前で撮影だけ。
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18:51 続いて14番のトラムで向かったダム広場。写真は王宮。
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街角にあった公衆トイレ。手前の手洗いのようなものは小便器。見ていたら本当に用を足した男がいた。(掲載は遠慮しておきます)
なお、以前見たTV番組を思い出したが、このトイレは昼間は歩道と同化しており、夕方になるとせり上がってくる構造のようだ。 -
19:04 14番のトラムに飛び乗って次ぎにやってきたのはレンブラント広場。
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ここにはレンブラントの像と・・・
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「夜警」に登場する17人の像があります。
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コック隊長
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ラウテンブルフ副隊長
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火縄銃の射手達
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隊員を鼓舞する太鼓手
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そして謎の少女
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この像の面白いところは画の中に入れること。まるで夜警団の一員になったような気分が味わえます。
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ね、隊長!
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19:20 この後、マヘレの跳ね橋をもう一度見て、レンブラント広場からダム広場へ戻り、2番のトラムに乗り換えてミュージアム広場で下車する。ゴッホ美術館が今日は21:00まで開いているとの情報を手に入れたので、ダメ元で行ってみたのだが、見事に撃沈。館内にあるミュージアムショップだけでもと思って聞いてみたが、館内のショップは入館者専用で、広場の方にあるミュージアムショップを使えとのことで、行って見たがとっくにクローズ。
カミさんと娘の機嫌が悪くなってきたので、この辺で夕飯にしないとまずいと思い、Googleに載っていた海鮮屋へ赴くが、ここも1時間待ちということで再撃沈。思い切って繁華街へ戻ればメシ屋くらい、いくらでもあるだろうと思い、中央駅行きのトラムに飛び乗り、賑やかそうな場所で下車する。 -
トラムを降りた場所はライツェ広場、もう並ぶのはイヤなので空いていたピザ屋に飛び込む。名前は忘れたが野菜をふんだんに使ったピザと・・・
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チーズときのこを使ったピザを食らう。お味の方は・・・成田で食べたカプリチョーザの勝ち(^^;;
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21:29 残念なアムスの夕食を終えて、2番のトラムに乗ってニュースローン方面を目指す。暗くなりかけた橋の向こうにはマリオットホテル、そして左側に並んでいるのはTAXI達。
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22:00 TAXIの誘惑にもめげず、トラムに30分ほど乗って、カステルパーク駅で下車。2分ほど歩いて Hagerand (訳せません)という名のバス停へ。10分ほどバスを待つと、ほんとうに頭の毛が寂しいお兄さんが1人やってきた。そして、20分後にやってきた69番のバスに乗って1本だけ移動するとメルキュール・ホテル。アムステルダム・ウェスト近くのバス停に到着。アムスの大冒険はかくして幕となりました。
これで「2018年 オランダ・ベルギー旅行記4:キューケンホフ& アムステルダム」は終了です。本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございます。
2024/03/08 一部修正
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