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2020年11月19日(木)12時、石清水八幡宮表参道を登り切って、馬場先とも呼ばれる上院参道を御本社に向かう。参道は北の端の御本社の南総門まで約200mあるが、石段を登り切った南の端にあるのが神馬舎(じんめしゃ)。1959年に新築された建坪6坪余の瓦葺建物。相槌神社の時に書いたが、戦前までは山麓の二の鳥居の脇にあり、現在その場所には石碑が建っている。<br /><br />2004年に神馬の五代目彌櫻号が亡くなり、以後無人ならぬ無馬の舎となっている。ちなみにこの馬は1979年生まれの牡のサラブレッドで、1983年に吹田市で運送業を営む木下喜昭氏により奉納されたそうだが、先代彌櫻号も同氏の父君・故喜太郎氏により1959年の神馬舎新築に際し奉納されたものだった。<br /><br />神馬舎の前には三ノ鳥居。南北朝が統一まもない1400年に建てられた。それから約200年間、鳥居は大木を用い、朱塗りにし、金で飾られ、非常に美しかったと伝えられる。しかし、木造であったため時々作り替えが行われ、多大の費用を要し、江戸時代に入った1645年に石造りに改められた。その石柱には、松花堂昭乗の門人である法童坊孝以の筆によって、本殿に向かって右側の柱に源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文が記された。その鳥居も1774年の台風で倒壊し、木造による仮の鳥居が作られたが、1778年に再建された。<br /><br />三ノ鳥居を抜けたところに露出している自然石は一ッ石。この馬場先はかつては走馬・競馬に使われており、南総門下のゴール地点の五ッ石に対してスタート地点とされた。このことから勝負必勝・勝運の石とされ、勝負石とも呼ばれる。長いことお祈りしてた人がいたけど、競馬とか競輪に行くんやろうなあ・・・<br /><br />さらにはこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたことからお百度石とも呼ばれる。蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」を奉修したと云われる。江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあった。<br /><br />この両サイドには鳩峯寮(きょうほうりょう)の庭がある。昭和を代表する作庭家である重森三玲が1966年に築庭。1961年9月の第2室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の石材を用いている。<br /><br />南総門に向かって右側は丸石材を立てた陽の庭。陽の庭には天に剣を立てたような台杉数本が配され常緑の金木犀、椿、落葉する楓、萩が添えてある。反対側は角石材を使った陰の庭。こちらには皐月、イヌマキ、アラカシなどが添えてある。陰陽一対の庭は共に祭壇のような雰囲気に仕上げられており、戦場描写を作品に刷り込むことが好きな重森三玲だがここでは素直に石清水八幡宮の神に仕える爽やかさに合わせ一対の陰陽庭園を参道に添えた。<br /><br />西側の陰の庭の後ろ側は清峯殿と云う建物。石清水八幡宮の青少年文化・体育研修センターの本館で研修室や会議室、食堂がある。他にも宿泊棟、体育館、茶室もある。<br /><br />先に進むと右手に御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)。鳳輦が納められている建物で、そもそも鳳輦とは天皇陛下が乗られる乗物の総称だが、ここでは神様が乗る乗物=神輿の原型のことで、9月15日の石清水祭で、3基の御鳳輦が御本社の本殿から下院の頓宮に運ばれ、儀式の後、山上に還幸される。<br /><br />さらに進むと御羽車舎、書院、社務所が並ぶ。御羽車舎(おはぐるましゃ)は元は安土桃山時代から江戸時代に掛けての慶長年間(1596年から1615年)に淀君が再興した宗版一切経を納める経蔵だったが、明治の神仏分離で羽車2基を納めるところに変更された。<br /><br />書院は社務所と続く建物(下の写真)だが、ここには通常非公開の重森三玲築庭の石庭がある。1952年に造られたもので、南北約8m、東西約6mの方形のなかに白砂が敷き詰められており、八幡大神様の海神としての神格に因んだ海洋を表している。白砂の上にはもともと男山に散在していた石14個を大海原に浮かぶ島に見立てて配し、三尊石を組んだものもある。<br /><br />15個目の石として、石庭の東南の角には「永仁三年(1295年)未乙三月」の刻銘が入った鎌倉期の石燈籠が配置されており、この神社にある450基(320基との資料もあり)ほどの石燈籠の中で唯一、国の重要文化財に指定されている。元々は御本社裏参道に続く東総門下の伊勢神宮遥拝所に建っていた。参道にずらりと並ぶ石燈籠と比べてとびぬけて古い。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5720617384674905&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />次は上院参道の左手にある西谷だが、続く

石清水八幡宮 上院参道(Approach for Upper Palace, Iwashimizu Shrine, Kyoto, JP)

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2020/11/19 - 2020/11/19

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旅行記グループ 石清水八幡宮

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月19日(木)12時、石清水八幡宮表参道を登り切って、馬場先とも呼ばれる上院参道を御本社に向かう。参道は北の端の御本社の南総門まで約200mあるが、石段を登り切った南の端にあるのが神馬舎(じんめしゃ)。1959年に新築された建坪6坪余の瓦葺建物。相槌神社の時に書いたが、戦前までは山麓の二の鳥居の脇にあり、現在その場所には石碑が建っている。

2004年に神馬の五代目彌櫻号が亡くなり、以後無人ならぬ無馬の舎となっている。ちなみにこの馬は1979年生まれの牡のサラブレッドで、1983年に吹田市で運送業を営む木下喜昭氏により奉納されたそうだが、先代彌櫻号も同氏の父君・故喜太郎氏により1959年の神馬舎新築に際し奉納されたものだった。

神馬舎の前には三ノ鳥居。南北朝が統一まもない1400年に建てられた。それから約200年間、鳥居は大木を用い、朱塗りにし、金で飾られ、非常に美しかったと伝えられる。しかし、木造であったため時々作り替えが行われ、多大の費用を要し、江戸時代に入った1645年に石造りに改められた。その石柱には、松花堂昭乗の門人である法童坊孝以の筆によって、本殿に向かって右側の柱に源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文が記された。その鳥居も1774年の台風で倒壊し、木造による仮の鳥居が作られたが、1778年に再建された。

三ノ鳥居を抜けたところに露出している自然石は一ッ石。この馬場先はかつては走馬・競馬に使われており、南総門下のゴール地点の五ッ石に対してスタート地点とされた。このことから勝負必勝・勝運の石とされ、勝負石とも呼ばれる。長いことお祈りしてた人がいたけど、競馬とか競輪に行くんやろうなあ・・・

さらにはこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたことからお百度石とも呼ばれる。蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」を奉修したと云われる。江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあった。

この両サイドには鳩峯寮(きょうほうりょう)の庭がある。昭和を代表する作庭家である重森三玲が1966年に築庭。1961年9月の第2室戸台風で倒壊した三ノ鳥居の石材を用いている。

南総門に向かって右側は丸石材を立てた陽の庭。陽の庭には天に剣を立てたような台杉数本が配され常緑の金木犀、椿、落葉する楓、萩が添えてある。反対側は角石材を使った陰の庭。こちらには皐月、イヌマキ、アラカシなどが添えてある。陰陽一対の庭は共に祭壇のような雰囲気に仕上げられており、戦場描写を作品に刷り込むことが好きな重森三玲だがここでは素直に石清水八幡宮の神に仕える爽やかさに合わせ一対の陰陽庭園を参道に添えた。

西側の陰の庭の後ろ側は清峯殿と云う建物。石清水八幡宮の青少年文化・体育研修センターの本館で研修室や会議室、食堂がある。他にも宿泊棟、体育館、茶室もある。

先に進むと右手に御鳳輦舎(ごほうれんしゃ)。鳳輦が納められている建物で、そもそも鳳輦とは天皇陛下が乗られる乗物の総称だが、ここでは神様が乗る乗物=神輿の原型のことで、9月15日の石清水祭で、3基の御鳳輦が御本社の本殿から下院の頓宮に運ばれ、儀式の後、山上に還幸される。

さらに進むと御羽車舎、書院、社務所が並ぶ。御羽車舎(おはぐるましゃ)は元は安土桃山時代から江戸時代に掛けての慶長年間(1596年から1615年)に淀君が再興した宗版一切経を納める経蔵だったが、明治の神仏分離で羽車2基を納めるところに変更された。

書院は社務所と続く建物(下の写真)だが、ここには通常非公開の重森三玲築庭の石庭がある。1952年に造られたもので、南北約8m、東西約6mの方形のなかに白砂が敷き詰められており、八幡大神様の海神としての神格に因んだ海洋を表している。白砂の上にはもともと男山に散在していた石14個を大海原に浮かぶ島に見立てて配し、三尊石を組んだものもある。

15個目の石として、石庭の東南の角には「永仁三年(1295年)未乙三月」の刻銘が入った鎌倉期の石燈籠が配置されており、この神社にある450基(320基との資料もあり)ほどの石燈籠の中で唯一、国の重要文化財に指定されている。元々は御本社裏参道に続く東総門下の伊勢神宮遥拝所に建っていた。参道にずらりと並ぶ石燈籠と比べてとびぬけて古い。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5720617384674905&type=1&l=223fe1adec


次は上院参道の左手にある西谷だが、続く

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