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2020年11月19日(木)11時20分過ぎ、石清水八幡宮下院にある頼朝公ゆかりの松のそばから表参道で上院に向かう。表参道はここからしばらく山裾に沿って南に向かうが、ダイレクトに山を登って行く裏参道の階段もある。 表参道は大坂、裏参道は太子坂(もしくは奉行坂)とも云われた。<br /><br />石段は表参道の396段に対し、裏参道は555段あるのだが、実は勾配がきつく、段の幅が狭いだけで裏参道の方が距離は短い。御本社までの時間は表参道経由で約20分、裏参道経由で約15分と云われている。ただ、この時は裏参道は閉鎖されていた(下の写真)。元々表参道で登る積もりやったけど。<br /><br />表参道の入口は二ノ鳥居。古くからこの位置にあり、元々は木造で朱塗りだった。江戸時代に入り1619年に造り替えられ、この時点ではまだ木造だったものが、さらに1642年に石造りに改められた。1659年に造立と一書にあり、さらに修造工事が行われたようだ。高さ約8.5m、柱間約5.7mで、一ノ鳥居より全体的に一回り小さい。頓宮の南にあることから南鳥居とも呼ばれていた。<br /><br />二ノ鳥居を潜ると神馬碑が建つ。現在三ノ鳥居前にある神馬舎は1959年に新築されたもので、それ以前はこの場所にあった。<br /><br />二ノ鳥居から100mほど進むと神幸橋と云う幅約3m、長さ約2.8mの小さな石橋を渡る。男山の岸壁を深く削ってできた祓谷に架かる。ここには元々常設の橋はなく、江戸時代には石清水放生会が催される前後の数日間のみ、木橋を架けて神が渡られるようにしていた。<br /><br />当時の参詣者は、二ノ鳥居を通らず、山裾をこの先の相槌神社まで進み、そこから表参道に進んでいたのだが、橋がないことを知らず、鳥居からここに進み、祓谷に落ち、怪我をする人が時々あった。それで、江戸中期の明和年間(1764年~72年)に石橋を掛けようと云う話が持ち上がったが、山裾の旅籠や茶店を構えていた商人たちの反対にあい実現しなかったそうだ。<br /><br />神幸橋を過ぎるといよいよ延々と続く石段が始まるが、そのスタート地点に建つのが、その相槌神社。男山山麓にあるが石清水八幡宮の摂末社ではない。千年以上前に創建されたと伝わる古社で、稲荷神とも呼ばれる宇迦之御魂(うかのみたま)をお祀いりしている。天下五剣と名高い名刀「童子切安綱」を造った平安時代の名工、伯耆安綱が刀を打っていると神が降臨し、槌を打ち合わせたことから相槌神社と呼ばれるようになった。<br /><br />安綱はこの地で宇迦之御魂と共に、境内にある山ノ井戸の水を用いて名刀「髭切」と「膝丸」を打ったとされる。今も湧き続けている山ノ井戸(表紙の写真)は八幡五水にも数えられる名水で、安綱と並ぶ平安時代の名工の三条小鍛冶宗近もこの水で刀を鍛えたそうだ。近年のアニメの刀剣ブームで、刀剣女子の長蛇の列ができることもあるとのこと。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5705328996203744&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />表参道を登って行くが、続く

京都 八幡男山 相槌神社(Aitsuchi Shrine, Yawata, Kyoto, JP)

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2020/11/19 - 2020/11/19

778位(同エリア804件中)

旅行記グループ 石清水八幡宮

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月19日(木)11時20分過ぎ、石清水八幡宮下院にある頼朝公ゆかりの松のそばから表参道で上院に向かう。表参道はここからしばらく山裾に沿って南に向かうが、ダイレクトに山を登って行く裏参道の階段もある。 表参道は大坂、裏参道は太子坂(もしくは奉行坂)とも云われた。

石段は表参道の396段に対し、裏参道は555段あるのだが、実は勾配がきつく、段の幅が狭いだけで裏参道の方が距離は短い。御本社までの時間は表参道経由で約20分、裏参道経由で約15分と云われている。ただ、この時は裏参道は閉鎖されていた(下の写真)。元々表参道で登る積もりやったけど。

表参道の入口は二ノ鳥居。古くからこの位置にあり、元々は木造で朱塗りだった。江戸時代に入り1619年に造り替えられ、この時点ではまだ木造だったものが、さらに1642年に石造りに改められた。1659年に造立と一書にあり、さらに修造工事が行われたようだ。高さ約8.5m、柱間約5.7mで、一ノ鳥居より全体的に一回り小さい。頓宮の南にあることから南鳥居とも呼ばれていた。

二ノ鳥居を潜ると神馬碑が建つ。現在三ノ鳥居前にある神馬舎は1959年に新築されたもので、それ以前はこの場所にあった。

二ノ鳥居から100mほど進むと神幸橋と云う幅約3m、長さ約2.8mの小さな石橋を渡る。男山の岸壁を深く削ってできた祓谷に架かる。ここには元々常設の橋はなく、江戸時代には石清水放生会が催される前後の数日間のみ、木橋を架けて神が渡られるようにしていた。

当時の参詣者は、二ノ鳥居を通らず、山裾をこの先の相槌神社まで進み、そこから表参道に進んでいたのだが、橋がないことを知らず、鳥居からここに進み、祓谷に落ち、怪我をする人が時々あった。それで、江戸中期の明和年間(1764年~72年)に石橋を掛けようと云う話が持ち上がったが、山裾の旅籠や茶店を構えていた商人たちの反対にあい実現しなかったそうだ。

神幸橋を過ぎるといよいよ延々と続く石段が始まるが、そのスタート地点に建つのが、その相槌神社。男山山麓にあるが石清水八幡宮の摂末社ではない。千年以上前に創建されたと伝わる古社で、稲荷神とも呼ばれる宇迦之御魂(うかのみたま)をお祀いりしている。天下五剣と名高い名刀「童子切安綱」を造った平安時代の名工、伯耆安綱が刀を打っていると神が降臨し、槌を打ち合わせたことから相槌神社と呼ばれるようになった。

安綱はこの地で宇迦之御魂と共に、境内にある山ノ井戸の水を用いて名刀「髭切」と「膝丸」を打ったとされる。今も湧き続けている山ノ井戸(表紙の写真)は八幡五水にも数えられる名水で、安綱と並ぶ平安時代の名工の三条小鍛冶宗近もこの水で刀を鍛えたそうだ。近年のアニメの刀剣ブームで、刀剣女子の長蛇の列ができることもあるとのこと。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5705328996203744&type=1&l=223fe1adec


表参道を登って行くが、続く

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  • 裏参道の登り口

    裏参道の登り口

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