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2020年11月19日(木)12時半、石清水八幡宮の中心とも云える上院の御本社の周りを歩く。楼門から向かって左手に進むと西南のコーナーの土塀の外に楠木正成公の楠がある。この楠も御文庫のクスノキ同様に1334年に楠木正成が必勝祈願参拝の折に奉納した25本の楠のうちの1本で樹齢700年に迫る。かつて主幹が折れたため樹高は20mに留まるが、胸高幹周は6.15mあり、御文庫のクスノキより少しだけだが太い(下の写真1)。<br /><br />御本社西側の中央にはこれも国宝の西門。四脚門の西面に庇を設けた形式を持つ、切妻造、本瓦葺の門(下の写真2)。その向かいは本瓦葺の四脚門の西総門で、御本社の各棟と同時期の江戸前期の築。国の重文。<br /><br />西総門の北側に進むと末社の廣田社・生田社・長田社。平安後期の1055年に鎮座されたもので、それぞれ神戸、西宮に本社があり、いずれも神功皇后が朝鮮遠征から凱旋された時のご神託をうけて創建されたもので、その関係で当地に勧請された。<br /><br />築地内北西隅に位置する校倉(宝蔵)は、建築年代は明確でないが、文書や絵図などには江戸時代中期から存在し、類例の少ない校倉建築として、京都府の指定文化財となっている。<br /><br />校倉の隣の摂社、住吉社は国の重文。檜皮葺の一間社流造で、江戸前期1624年から43年頃の建立。祭神は住吉三神。その隣の末社、一童社は海の神・航行安全の神である磯良(いそら)神を祀っているが、なぜ一童社と呼ばれるのかは不明。かつては東側鳥居の外にあったそうだが、江戸期にいったんなくなり、その後ここに再建されたが、詳細は不明。<br /><br />北側の築地の真ん中にある北総門も西総門同様本瓦葺の四脚門、江戸前期の築で国の重文。その東隣りにある末社の貴船社・龍田社は平安末期の1191年の鎮座。考古録によれば、八幡宮別当・慶清が私願により勧請したというが詳細不明。貴船社の祭神・高霎(タカオカミ)は水の神で、龍田社の祭神・志那都比古(シナツヒコ)と志那都比売(シナツヒメ)は風の神。<br /><br />築地内北東には共に摂社の若宮社と若宮殿社が並んで建つ。若宮社は桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属で、若宮殿社は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属。共に国の重文。<br /><br />この2社は摂社の中で最も大きな社殿を持ち、社殿そのものも古く、本殿や総門と同時期の江戸前期1624年から43年頃の建築。本殿改修時には仮本殿とされるほどの重要な摂社。御祭神は若宮社が本殿に祀られる応神天皇の御子の仁徳天皇、若宮殿社が応神天皇の皇女2柱だがその名前ははっきりしてない。<br /><br />若宮社は祈願成就、学業成就の御神徳があり男性の守護神とされ、若宮殿社は祈願成就、心身健康の御神徳で女性の守護神とされている。また本殿にて「清め衣」の名前、年齢、願い事を書いた黄色の清衣を羽織り、厄除開運祈祷を受けた人は、男性は若宮社に、女性は若宮殿社に納めるようになっている。<br /><br />御本社の北東の角、石垣を切り取られている。これは鬼門封じで、牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑寅(北東)の方角=鬼門を封じるため。京都御所の北東の築地塀も同じようになっていたなあ・・・<br /><br />東側に回り込むと末社の氣比社と摂社の水若宮社が並ぶ。氣比社は室町時代の1505年に鎮座された小祠で、朱塗りの一間社流見世棚造り、檜皮葺き。祭神は、福井県の敦賀にある気比神宮の主祭神で、北陸地方における海上交通の要衝であった敦賀に、古くから坐す気比大神。<br /><br />水若宮社は檜皮葺の一間社流造。江戸前期1624年から43年頃の建立で、国の重文。御祭神は応神天皇の御子の宇治稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。応神天皇の命により一旦は皇太子となるが、応神の死後皇位は兄である仁徳が継ぐのが正統として皇位につかず、互いに3年間譲り合った末、宇治にあった離宮で自ら命を断った。<br /><br />御本社東側の中央には国宝の東門。四脚門の東面に庇を設けた形式を持つ、切妻造、本瓦葺の門(下の写真3)。その向かいは本瓦葺の四脚門の東総門で、御本社の各棟と同時期の江戸前期の築。国の重文。<br /><br />東門脇に立つおがたま(招霊)の木は、神社とは所縁の深い木で、常緑すなわち常に青々とした生命力の象徴として、多くの神社で御神木として植えられている。1円玉に描かれているのはこの木の葉(下の写真4)。<br /><br />御本社を囲む築地塀は信長塀と呼ばれる。瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていた。信長が好んで採用した様式で、この塀は信長が1580年に寄進したとも伝わる(下の写真5)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5736396653096978&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上で御本社参拝は終了。次は裏参道に向かうが、続く

石清水八幡宮摂末社(Auxiliary and subsidiary shrines, Iwashimizu Shrine, Yawata)

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2020/11/19 - 2020/11/19

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月19日(木)12時半、石清水八幡宮の中心とも云える上院の御本社の周りを歩く。楼門から向かって左手に進むと西南のコーナーの土塀の外に楠木正成公の楠がある。この楠も御文庫のクスノキ同様に1334年に楠木正成が必勝祈願参拝の折に奉納した25本の楠のうちの1本で樹齢700年に迫る。かつて主幹が折れたため樹高は20mに留まるが、胸高幹周は6.15mあり、御文庫のクスノキより少しだけだが太い(下の写真1)。

御本社西側の中央にはこれも国宝の西門。四脚門の西面に庇を設けた形式を持つ、切妻造、本瓦葺の門(下の写真2)。その向かいは本瓦葺の四脚門の西総門で、御本社の各棟と同時期の江戸前期の築。国の重文。

西総門の北側に進むと末社の廣田社・生田社・長田社。平安後期の1055年に鎮座されたもので、それぞれ神戸、西宮に本社があり、いずれも神功皇后が朝鮮遠征から凱旋された時のご神託をうけて創建されたもので、その関係で当地に勧請された。

築地内北西隅に位置する校倉(宝蔵)は、建築年代は明確でないが、文書や絵図などには江戸時代中期から存在し、類例の少ない校倉建築として、京都府の指定文化財となっている。

校倉の隣の摂社、住吉社は国の重文。檜皮葺の一間社流造で、江戸前期1624年から43年頃の建立。祭神は住吉三神。その隣の末社、一童社は海の神・航行安全の神である磯良(いそら)神を祀っているが、なぜ一童社と呼ばれるのかは不明。かつては東側鳥居の外にあったそうだが、江戸期にいったんなくなり、その後ここに再建されたが、詳細は不明。

北側の築地の真ん中にある北総門も西総門同様本瓦葺の四脚門、江戸前期の築で国の重文。その東隣りにある末社の貴船社・龍田社は平安末期の1191年の鎮座。考古録によれば、八幡宮別当・慶清が私願により勧請したというが詳細不明。貴船社の祭神・高霎(タカオカミ)は水の神で、龍田社の祭神・志那都比古(シナツヒコ)と志那都比売(シナツヒメ)は風の神。

築地内北東には共に摂社の若宮社と若宮殿社が並んで建つ。若宮社は桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属で、若宮殿社は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属。共に国の重文。

この2社は摂社の中で最も大きな社殿を持ち、社殿そのものも古く、本殿や総門と同時期の江戸前期1624年から43年頃の建築。本殿改修時には仮本殿とされるほどの重要な摂社。御祭神は若宮社が本殿に祀られる応神天皇の御子の仁徳天皇、若宮殿社が応神天皇の皇女2柱だがその名前ははっきりしてない。

若宮社は祈願成就、学業成就の御神徳があり男性の守護神とされ、若宮殿社は祈願成就、心身健康の御神徳で女性の守護神とされている。また本殿にて「清め衣」の名前、年齢、願い事を書いた黄色の清衣を羽織り、厄除開運祈祷を受けた人は、男性は若宮社に、女性は若宮殿社に納めるようになっている。

御本社の北東の角、石垣を切り取られている。これは鬼門封じで、牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑寅(北東)の方角=鬼門を封じるため。京都御所の北東の築地塀も同じようになっていたなあ・・・

東側に回り込むと末社の氣比社と摂社の水若宮社が並ぶ。氣比社は室町時代の1505年に鎮座された小祠で、朱塗りの一間社流見世棚造り、檜皮葺き。祭神は、福井県の敦賀にある気比神宮の主祭神で、北陸地方における海上交通の要衝であった敦賀に、古くから坐す気比大神。

水若宮社は檜皮葺の一間社流造。江戸前期1624年から43年頃の建立で、国の重文。御祭神は応神天皇の御子の宇治稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。応神天皇の命により一旦は皇太子となるが、応神の死後皇位は兄である仁徳が継ぐのが正統として皇位につかず、互いに3年間譲り合った末、宇治にあった離宮で自ら命を断った。

御本社東側の中央には国宝の東門。四脚門の東面に庇を設けた形式を持つ、切妻造、本瓦葺の門(下の写真3)。その向かいは本瓦葺の四脚門の東総門で、御本社の各棟と同時期の江戸前期の築。国の重文。

東門脇に立つおがたま(招霊)の木は、神社とは所縁の深い木で、常緑すなわち常に青々とした生命力の象徴として、多くの神社で御神木として植えられている。1円玉に描かれているのはこの木の葉(下の写真4)。

御本社を囲む築地塀は信長塀と呼ばれる。瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていた。信長が好んで採用した様式で、この塀は信長が1580年に寄進したとも伝わる(下の写真5)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5736396653096978&type=1&l=223fe1adec


以上で御本社参拝は終了。次は裏参道に向かうが、続く

  • 写真1 楠木正成公の楠

    写真1 楠木正成公の楠

  • 写真2 国宝の西門

    写真2 国宝の西門

  • 写真3 国宝の東門

    写真3 国宝の東門

  • 写真4 おがたまの木

    写真4 おがたまの木

  • 写真5 外からの信長塀

    写真5 外からの信長塀

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