2021/04/30 - 2021/04/30
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はたさん
プロレタリア文学とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。
この文学の日本で、有名なのは、小林多喜二の蟹工船だが、そのほかに 金子洋文らの雑誌「種まく人」がある。
小林多喜二は、秋田県北秋田郡下川沿村 現大館市で生まれ、金子洋文も、秋田市土崎で生まれている。
「種まく人」は、秋田市で1巻から3巻まで発刊し、以降は、東京で出版された。
この「種まく人」の足跡を訪ねて土崎に来た。
- 旅行の満足度
- 3.5
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さがわふとん店の看板を見て
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中華料理店の間を行くと
太華味 グルメ・レストラン
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正善院に来た。
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ここは、真言宗のお寺
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弘法大師の像がある。
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四国八十八所霊場の砂が参道の下にあるから、ここを参ると 88ケ所行ったご利益があるとされているんだな。
では -
お詣り
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弘法大師 様・・・・・ように。
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ちゃんと 88ケ所 お参りしました。
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いろいろな色だ 同じ木なのに
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細かい彫刻
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獅子
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桜か・・・
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お寺を出て 右に行くと
地魚料理 寿司処 菊寿し グルメ・レストラン
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ふぐが安く食べられるというお店
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休宝寺
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西船寺 浄土真宗本願寺派の寺院
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鐘楼があった。
このお寺は、秋田が生んだ大スター?らしい
東海林太郎の菩提寺だそうだ。 -
鐘楼の前に 大きな東海林家の墓がある。
これだろう。きっと。 -
東海林太郎は、1898年(明治31年)12月11日 - 1972年(昭和47年)10月4日)は、日本の歌手。
ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う歌手だった。そうだ。 -
NHK紅白歌合戦に計4回出場して、大ヒット曲 赤城の子守唄を歌ったそうだ。
そういえば、だいぶ前 ブラジルに行った時、東海林太郎も サンパウロに慰問に来たと日本人会館に写真で紹介されていた。 -
東海林太郎も 早稲田大学で マルクス経済学を学び、左翼的な思想を持っていたということだが、土崎とは 関係ないらしい。
生まれは、秋田市台所町 今の 千秋矢留か千秋中島町らしい。
秋田市大町には、東海林太郎記念館がある。 -
多田 等観は、仏教学者で、明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍したらしい。西船寺の住職の三男だったらしい。
逸話に、こんなことがある。
ダライ・ラマ13世が派遣したチベットの高僧ら留学生3人の世話役と日本語教師を任されたが等観はその過程でチベット語を習得してしまうが、逆に3人には完璧な秋田弁を仕込んでしまったため日本語教師の役を外されたそうだ。
土崎には、変わった人がいたな。
↓「ゲシェーになった男」
http://www.akihaku.jp/kikakuten/2014/senkaku/TadaToukan.pdf
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