2021/04/30 - 2021/04/30
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はたさん
プロレタリア文学とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。
この文学の日本で、有名なのは、小林多喜二の蟹工船だが、そのほかに 金子洋文らの雑誌「種まく人」がある。
小林多喜二は、秋田県北秋田郡下川沿村 現大館市で生まれ、金子洋文も、秋田市土崎で生まれている。
「種まく人」は、秋田市で1巻から3巻まで発刊し、以降は、東京で出版された。
この「種まく人」の足跡を訪ねて土崎に来た。
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蒼龍寺を出て
正光寺へ
真宗大谷派寺院らしい。なにもなさそうだからバスした。 -
ここも山道ビル
いったい何軒あるんだ。 -
次も 真宗大谷派寺院の 浄円寺
なにもなさそうなので パス -
まさご食堂
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ここは、種蒔く人と 関係がある寺
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三福アショカ王獅子柱頭
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小堂
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古い仏がいっぱい
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こちらにも
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三福水子地蔵尊
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法然上人 像
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ここが、種蒔く人の 三人うちの 小牧近江の墓
創刊の中心的な役割を担った小牧近江は16歳で渡仏し、パリ大学などで学んだ。
滞在中の10年の間に、第1次世界大戦(1914~18年)に遭遇し、フランス人作家アンリ・バルビュスが唱える文学を通した反戦平和運動(クラルテ)に共鳴。帰国後、クラルテを日本でも実践しようと創刊したのが種蒔く人だったという。 -
安らかに 眠りください。
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これは、法然の幼いころの 幼名が 勢至丸 という
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5/1に 法要があるらしい。
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由来
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浄土宗のお寺だった。
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屋根の上には、龍が いたね。
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プロレタリア文学めぐり といいながら、結局 墓参りだった。
出発地の ナイス土崎店に戻った。隣に 病院があった。
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