2019/01/03 - 2019/01/03
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ウェンディさん
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2018年の年末からのモロッコ旅は、20歳を迎えた娘に成人のお祝いとして母からのプレゼント旅。娘と共にモロッコでディープな10日間を過ごしてきました。
旅の前半部分は古都フェズを歩き邸宅ホテルのリアドに宿泊し、青い町シャウエンを訪れるいかにも女子旅チックな行程ですが、娘と私の二人旅がそんな甘っちょろい計画のみで満足するわけはなく、私達が旅の最後に持ってきたのは、ノマドのオンナになる旅。
サハラ砂漠の端にあたるメルズーガ砂漠で暮らす砂漠の民;ノマドのテントに居候し、短期間ですが砂漠でのワイルド・ライフを味わう行程を組み入れました。
今回の旅行記-10は、そのSahara Nomad 居候編の第2段。
サハラで暮らすノマドの民のワイルドな料理教室と、彼らが暮らす砂の畔にあるノマドの村;Hsssi Mardaniの生活の様子を、You Tubeも利用しながら紹介しようと思います。
☆★☆2018年末-2019年始 アダルト娘と旅するモロッコ☆★☆
【1】別室連行から始まるモロッコ旅:https://4travel.jp/travelogue/11441497
【2】知られざるフェズを探して:https://4travel.jp/travelogue/11445658/
【3】青の絶景に瘴気の谷を見た:https://4travel.jp/travelogue/11459763
【4】もふもふ ネコ歩き:https://4travel.jp/travelogue/11461954
【5】黄金の野獣と・・・:https://4travel.jp/travelogue/11548820
【6】砂漠の一夜はLuxury♪:https://4travel.jp/travelogue/11556861
【7】ディープなモロッコ:https://4travel.jp/travelogue/11624159
【8】星降るサハラ:https://4travel.jp/travelogue/11626421
【9】ノマドのオンナ:https://4travel.jp/travelogue/11635130
【10】砂漠の料理教室:https://4travel.jp/travelogue/11670909
【11】真夜中のTea Time:https://4travel.jp/travelogue/11675222
☆★☆ 旅程 ☆★☆
□12/27 成田空港発22時のエミレーツ航空でモロッコへ
□12/28 カサブランカ空港着13時 モロッコ国鉄でフェズへ移動
□12/29 フェズ1日観光
□12/30 シェアチャーター車でシャウエンへ シャウエン観光
□12/31 シャウエン観光 シェアチャーター車でフェズへ
□1/1 モアイワン・アトラス山脈を越えてメルズーガ砂漠へ
□1/2 朝の砂漠散歩と化石探し
地元の暮らしを体験し、駱駝で砂漠の真ん中へ
■1/3 ノマドのお宅にホームステイ
□1/4 駱駝で砂漠を縦断し、Ziz谷へ
□1/5 エルラシディア空港9時のモロッコ国営航空でカサブランカへ
カサブランカ空港15時発のエミレーツ航空で日本へ
□1/6 成田空港着17時半
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
-
前日はメルズーガ砂漠の真ん中のSilk Caraven Campで砂漠の一夜を過ごした娘と私。
朝は早起きして、サハラの大砂丘の上で朝日を眺めたら、朝食の時間。
砂漠の船である駱駝に乗り、砂漠の畔に暮らすノマドの集落へと向かう。
Silk Caraven Campのあたりはツーリストキャンプが散在し、砂漠の砂の上にも人の踏み跡が多く、きれいな砂紋を見ることの出来るのは大砂丘の上に限られてしまうが、この日に歩くルートは一般観光客が足を踏み入れないエリアの砂漠。
目の前は、見渡す限り美しい砂紋を描く砂丘となる。メルズーガ大砂丘 (サハラ砂漠) 砂漠・荒野
-
駱駝に揺られて3時間(メルズーガ砂漠を1時間半、礫漠を1時間半)で、ノマドの集落のHsssi Mardani村に到着。
娘と私の居室である、リビングと寝室が隣り合ったお部屋(写真)が、到着時には出来上がっていた。
気温が高くなる昼間は幌を上げ風を通す、まるで避暑地のテラスのような設計。
ノマドの一般的な生活基準からみたら、娘と私の二人でこんな広いスペースを使わせていただけるなんて、ものすごい贅沢。
普通のホテルのレベルでいうならば、スイート・ルームに相当するのだろう。 -
モロッコのメルズーガ砂漠があるのはサハラの端。
サハラを構成する砂漠の中では、メルズーガ砂漠のそのサイズはけっして大きくはない。
とはいうものの、地図で見ると昨晩私達が宿泊したSilk Caraven CampからこのHsssi Mardani村までが駱駝で3時間の距離なので、メルズーガ砂漠の大きさがかなり大きなことは理解できる。
Hsssi Mardani村があるのはアルジェリア国境まで10kmのモロッコの国境地帯の端。
この村より東方向には人の暮らす集落はなく、あるのは小石が散らばる荒涼とした礫漠だけ。
アルジェリアとの国境線の辺りが目視でも分かってしまうほどの場所だ。 -
前の旅行記-9ではこのHsssi Mardani村のノマドの家庭について、ほんのさわりを紹介したが、それだけでは此処での体験は語りきれない。
確かにノマドのオンナになるためのヘナ染色などは貴重な体験だったが、ここへ来たのは、日本で味わえない異文化の日常を自分の経験を通し躰で味わうため。
だから、到着して、すぐにノマドのお母さんの後ろに、まるで金魚の糞のようについてまわった。 -
ノマドのお母さんは日常的な家族のお世話に加え、私達二人が増えた分の仕事も有り、大忙し。
まずは、ランチのベルベル・ピザ作りを開始。
ベルベル・ピザは砂漠で暮らすノマドの民が編み出したピザで、一般的なピザとは見た目が異なる。
それが、どのように異なるのかは、出来上がってのお楽しみ。
お母さんはアドベ(粘土、砂、藁、動物の糞)で作られた台所へと私達を連れて行き、ピザ生地の準備。
ガシガシと生地をこねたら、丸めて、しばらくは生地のSleeping time。 -
生地を寝かせている間にピザの具材をカットする。
人参はナイフの背で皮を薄くこそげ落とし, -
なんと、すりおろす!
ピザの具材なのに、人参を擦ってしまうの!? -
タマネギはみじん切り。
でも、まな板は使わないよ。
野菜を切るのは全てボールの上にある掌の中。 -
香草であるチャイブもサクサクと手の中から、こぼれ落ちていく。
-
鳥肉だって、ほら!
ナイフと掌を用いて、小さな片へと変わっていった。
この村へと来る前は、お料理のお手伝いが出来れば良いな・・・なんて考えていたが、これは私達には無理なレベル。
お手伝いは諦めて、静かにお母さんの作業を見せてもらうことにした。 -
イチオシ
味付けは、塩、胡椒とスパイス。
スパイスのレシピを知りたかったが、お母さんが話すのはベルベル語のみで、アラビア語もフランス語も通じない。
せめて、フランス語の片言でも通じれば・・・と期待していたが、やはりソレは無理な話で、言語での意思疎通は出来ずに、ジェスチャーと行動からお互いの意志をくみ取るしかない。 -
オリーブオイルとビネガーを加えて、混ぜて味付け完了。
あれ?
ピザって切った野菜とかお肉をピザ生地の上に載せて焼くのでは?
なんで具材をグルグルミックスにしてしまうのだろ?
そこが、ベルベル・ピザのミソでもあるところで、その説明は又後ほど。
此処までのCookingの様子を娘が2分弱の動画で撮影していたので、よろしければ、どうぞ♪
ベルベル・ピザを作ろう♪/モロッコで花嫁修業 その1
https://youtu.be/gXJtC58Hp2g -
ピザの具材が出来上がったら、寝かせておいた生地を目覚めさせ掌を使って伸ばしていく。
-
生地の中央部へとピザの具材をおいたら、
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外側の生地を折りたたむようにして、具材を包み込む。
雰囲気としては、大きな中華まんのような雰囲気。 -
更に、その表面に空気抜きの穴を開けたら、ピザの準備はOK♪
-
お母さんがピザ生地の準備をしている間に集落から少し離れた場所では、おばあちゃんが予めピザ用の砂竈(かまど)を準備しておいてくれた。
砂竈とは、その名の通り、砂を利用した竈だ。 -
砂竈の上に、枯れ枝をセットする。
-
まずは枯れ枝を燃やして、
-
砂竈の砂を強く熱し、
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熱い砂の上に、直接準備の出来たピザ生地をセット。
アルミホイルなんていう文明の産物は、此処にはない。 -
イチオシ
更に、火をつけた藁で表面からピザを焼いたら、
-
砂竈のまわりの藁に火を放ち、
藁が燃え尽きて灰となったら、 -
なんと、熱くなった灰をそのままピザの上にたっぷりと乗せ、
-
そのまま10分程度、ピザを蒸し焼きにする。
ピザに具材をセットし、砂漠の砂釜にピザをセットするまでの様子は、動画として記録してみた。
ちょっと長い動画なのだが、ベルベル・ピザCookingはなかなか見られない光景なので、旅行記で紹介しておきたい。
動画の途中で画角が横から縦に変わってしまって見づらいことは、最初に謝っておく。
ベルベル・ピザを作ろう♪/モロッコで花嫁修業 その2
https://youtu.be/rZSH5QIOT-w
砂漠のピザの作り方をまとめると、こんな感じ♪
・ピザの具を切り刻んだら、寝かせておいたピザ生地の登場。
・生地をこね、平らにのばしたら、その中に具を投入。
・ベルベル・ピザのユニークなのは、ピザの上に具があるのではなく、ピザの中に具を封じ込めて蒸し焼きにするところで、お野菜や肉のおいしさがギュッと生地に染みこむNice Idea
・ピザを焼くのは土の中の砂竈。
・地面に穴を掘りたき火を興し、熱した砂の熱を利用して焼き上げ、20分後には、いただきます♪
・砂漠のピザが焼き上がるのはあっという間。 -
ピザが焼き上がったら待望のランチタイムなのだが、実は私達はピザの生地を寝かしている1時間の間に、ノマドの村の中を案内してもらっていた。
案内人は、私達の旅のプランナーでもあるHamid(ハミド)(手配会社であるサハラ砂漠の風の主催者、砂漠での旅アレンジを一手に引き受けてくれた人物)の弟のムスタファで、せっかくこの村に来たのだから見せたい場所があると言う。
ムスタファは、この日の朝に砂漠の畔の町のメルズーガで食材を調達し、娘と私が一晩を過ごすこの村までバイクで届けに来ていて、彼のバイクの村への到着と私たちラクダのキャラバンが到着する時間がちょうど同じくらいだった。
ムスタファは英語が流ちょうなので、村をガイドしてもらうには最適な人物であるので、私達も喜んで彼について行った。 -
ムスタファが私達をつれていったのは村はずれ。
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そこには、廃墟のような、崩れかけたアドベの建物があった。
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ムスタファによると、この建物はその昔のChurchだそうだ。
Churchとは英語ではキリスト教の教会をさすが、さすがにこの辺境の地、それもイスラムが多数派を占める地域でキリスト教教会とは思えないので、多分、ムスタファが言いたかったChurchは、イスラムの集会場的なモスクのことだと思う。 -
モスクには今から30年位前までは僧(ムスタファはmonkと表現していた)が居たそうだが、今は引き上げてしまい、誰も此処では礼拝をするものはないとのこと。
管理をする人が居ないモスクは、風化するまま。 -
廃墟だが、その扉を開け、モスクの中へと入ることも出来る。
-
イチオシ
中へと足を踏み入れると、外観から感じたほどは内装は痛んでいなく、かつては美しい装飾が施されていたであろうイスラムアーチも未だ残っていた。
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上階へと登る階段もあり、二階からは絶景が見えるというので、行ってみることに。
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二階にはかつての飾り窓があり、その窓越しに見えるのはサハラの砂丘だ。
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窓の外の危なくないところまで行き、ノマドの村とサハラの絶景を眺める。
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私が二階のテラス部分を慎重に散策していたら、後ろで娘が「見てみて!」というので、振り返ると彼女は、ノマドを象徴するポージング。
顔は笑っているが、やっていることは、けっこう真剣。 -
娘が躰を使って表現しているポーズは、ベルベル・フリーダム(写真参照)と呼ばれるもの。
サハラに居を構えるベルベルの民は、自分たちはモロッコ人ではあるが、それ以上にベルベル人であることに誇りを持っていて、自分たちのアイデンティティを非常に重要視している。
この紋章はベルベル文字でもあり、その意味はFreedom。
先住民族ということで、過去には欧州人から、そして他の民族からの迫害を経験している彼らには“自由”という言葉は、何よりも大切なものとなる。
娘なりにノマドの村で何かを感じたのだろう。
モロッコを旅していると、ちょっと親しくなるとすぐに「結婚しよう♪」なんて言葉が男性の口から出てくるが、このポージングだけ見たらみんな引いちゃうよ、多分。
モロッコで娘の花嫁修業をするのは、なかなか難しそうだ。 -
さて、話は先ほど焼き始めたベルベル・ピザへと戻り、砂の中で蒸し焼きにしたピザの取り出しの時間。
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焼いた砂の上にピザを載せ、更にその上から熱い灰をかけているので、ピザは砂まみれの灰まみれ。
灰や砂を手で払い、キレイにしていく。 -
礫漠の上で焼いているので、小石がいくつもピザにめり込んでいて、小枝を使って小石も丁寧に取り除いて・・・
小石があったら、歯を痛めてしまうからね。 -
イチオシ
そして、生地の作り始めから2時間をかけて出来上がったのが、一般的なピザとは真反対の形状のコチラのベルベル・ピザ。
ピザの具がある場所は、ピザの上ではなく、ピザの真ん中だ。
大きなピザを切り分ける。
厚い生地の中に、砂の熱で蒸された野菜と肉がたっぷり。
そのジューシーなスープがピザ生地にも染みこんで、美味しい!
サラダは、私達がムスタファと村散歩に行っている間に、駱駝挽きのハッサンとユーセフが作ってくれていた。 -
14時過ぎに遅めの昼食を終えたら、娘と二人で再びノマドの村の中へと散歩に出かける。
先ほど村の中で歩き回っても大丈夫な範囲は聞いていたので、私達の歩けるエリアはそれほど広くはないが、見渡す限りの礫漠の中、何処までも歩いて行けそうだ。 -
ここ、Hsssi Mardani村は、この名前は正式名称ではない。
この地区の名前がHsssi Mardaniで、そこにある村だから、Hsssi Mardani村と呼ばれているだけだ。
元々、ノマドは砂漠を旅し、暮らす遊牧民族。
季節に応じて、一番過ごしやすい土地を選んでテントで移動し、放牧をしながら自給自足の生活をしていた民族だ。
しかし、近年、そのようなスタイルで生活を送るノマドはメルズーガ砂漠の周辺ではほとんど見られなくなってしまったとのこと。
その理由は、夏の暑さ。
地球の温暖化の影響なのか、夏場の砂漠の高い気温は毎年の様に記録を更新し、以前は沢山あった砂丘の谷間のオアシスはその水が枯れ、ノマドの人たちは先祖代々続いてきた砂漠でのノマド・ライフを継続することが不可能となり、現在は砂漠の畔の礫漠に居を構える家族が殆どとなってしまった。 -
砂漠の砂の海での生活を離れ、小石がゴロゴロする礫漠での定住生活をせざるを得なくなったノマドの民。
その昔は、砂漠を旅するキャラバンの宿としても収益を上げていたが、交通網が発達した現代、駱駝で砂漠を歩くのはツーリストくらいだ。
そこで、Hsssi Mardani村に居を構えたノマドの中には、この地で、メルズーガ砂漠を訪れる観光客を相手にランチを提供したり、お茶を振る舞ったりするレストランの営業をする家族も現れた。
その商売が上手くいき、観光手配会社と太いパイプを手に入れた家族は、こんな大きなツーリスト用のテントを持っている。 -
イチオシ
しかし、村の大部分の家族は、そんなに豊かな生活は出来ていない。
こちらは、村を散歩しているときにお茶に招かれたお宅で、私達にミントティーを入れてくれたお宅(お宅といっても、テント)。
娘と二人での村歩きなので、村の人とは言葉は一切通じない。
お互いにジェスチャーのみの会話だったが、彼女が私達に伝えてくるのは、如何に自分たちが貧しい生活をしているのかと言うこと。
足の指の部分に大きく穴の開いた靴下、甲が裂けてしまったサンダルを見せ、しきりにチップが欲しいと言う仕草をする。
村の散歩に出かけるときに、ムスタファから「お茶に招かれたら、ご馳走になるといい。彼らは村のゲストに喜んで貰えることに幸せを感じているのだから」と言われたが、なかなかそうとも言い切れないらしい。
お金は渡したくはなかったので、彼女の手作りのベルベルスカーフでも買おうかと思ったが、出来が良くなく、とてもお金の対価となるような物ではなかった。
仕方なく、去り際に知っているアラビア語を駆使して、ミントティーが美味しかったと伝え、1US$を渡したのだが、コレが良いことなのかどうかは、旅から丸2年が経過した今でも、私には分からない。 -
村の中の各家庭のテントの脇を通り過ぎる度に、テントの中の女性達からティーポットをふられ「お茶はいかが?」と誘われるのだが、先ほどの体験で懲りた娘が、「また、面倒に巻き込まれるから、絶対にダメ」と言って聞かないので、笑顔で、今はいらないわというそぶりで、彼女たちに返事を返す。
-
私的には、あちこちでお茶を飲んで、いろんな家族の生活風景をもっと間近で見てみたかったのだけどね。
-
村の中では、かつて使われていたアドベレンガの家が風化し、ゆっくりと砂に戻っていく姿をあちこちで目にした。
-
こちらのお宅は、少し裕福なノマドのお宅かな。
家の造りもしっかりしていて、屋根にはソーラーパネル。
多分、家の中は夜になると電気も付くし、スマホだって持っているのだろう。 -
こちらは、かつては比較的裕福なノマドの方が暮らしていて、彼らはある程度お金を貯めて、メルズーガの町へと移り住み、もう主が居なくなった家。
砂と土壁のみの骨組のない家なのであっと今に砂漠の砂へと還りそうだが、雨が少ないこの地では風化を促進するのは風のみ。
あと10年の月日が経過してもこのアドベの土壁は元の主の思い出を残したまま、ここにあるのかもしれない。 -
村の水場である唯一の井戸へも、足を伸ばしてみた。
ここは、村人が共同で炊事、洗濯に利用する井戸だ。 -
川が近くにはないこの辺りでは、井戸の水は命の水。
その水を使い洗濯をするのだが、洗剤でゴシゴシ洗いその排水を捨てるのも井戸のすぐそば。
ちょっとだけ、生活排水による井戸の汚染が気になった。 -
洗った洗濯物は何処で乾かす?
それば、井戸のあるオアシスに生える木々の枝の先。
オアシスの傍らに生える木々は、その枝も大きく、幹も立派。
天然の物干し竿となっていた。 -
イチオシ
ノマドの家族と暮らす砂漠ライフ。
夕方が近づくにつれ紅く焼け始めた砂丘の光景は絶景で、彼らはこんな素敵な光景を眺めながら生活している。
日本ではノマド・ワーカーなんていう造語が有り、なんとなくスタイリッシュにも聞こえるが(実際はそうでもない筈だが)、実際はサハラ砂漠の畔でのノマド・ライフは決して楽ではなく、観光客がどのくらいこの村まで来てくれるかに依存する日々。
しかし、コロナ禍の今、砂漠への旅人はそう多くはないだろう。
彼らがあの場所で、今も元気に生活をしている・・・そう信じたい。
前の旅行記:【9】ノマドのオンナ
https://4travel.jp/travelogue/11635130
続きの旅行記:【11】真夜中のTea Time
https://4travel.jp/travelogue/11675222
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