谷根千旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回は気分を変えて、お隣りの文京区をお散歩。と言っても我が家からは数分で文京区!<br />地下鉄千駄木駅そばの団子坂交差点で不忍通りを渡って、団子坂を登り切った左手が森鴎外旧居跡。20数年前まで鴎外図書館のあった場所です。<br />すっかり変わって立派になった森鴎外旧居跡を眺めながら薮下通りを根津神社方面へと歩いてみました。<br /><br /><br /><br />                 2020.11.8 記<br /><br /><br />

薮下通りを歩く/森鴎外旧居跡から根津神社裏門まで

35いいね!

2020/09/19 - 2020/11/03

143位(同エリア609件中)

旅行記グループ 谷根千界隈

2

30

紅映

紅映さん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

今回は気分を変えて、お隣りの文京区をお散歩。と言っても我が家からは数分で文京区!
地下鉄千駄木駅そばの団子坂交差点で不忍通りを渡って、団子坂を登り切った左手が森鴎外旧居跡。20数年前まで鴎外図書館のあった場所です。
すっかり変わって立派になった森鴎外旧居跡を眺めながら薮下通りを根津神社方面へと歩いてみました。



                 2020.11.8 記


旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
  • 文京区立森鴎外記念館<br />森鴎外旧居/観潮楼跡地は記念公園(児童遊園地)となったのち、 鴎外生誕100年の年に「鴎外記念室」を併設した「文京区立鴎外記念本郷図書館」が開館。通称、鴎外図書館。更に平成24年11月、森鴎外生誕150年を記念して文京区立森鴎外記念館の開館となりました。<br />

    文京区立森鴎外記念館
    森鴎外旧居/観潮楼跡地は記念公園(児童遊園地)となったのち、 鴎外生誕100年の年に「鴎外記念室」を併設した「文京区立鴎外記念本郷図書館」が開館。通称、鴎外図書館。更に平成24年11月、森鴎外生誕150年を記念して文京区立森鴎外記念館の開館となりました。

    文京区立森鴎外記念館 美術館・博物館

  • 立派な催事の案内です。<br />

    立派な催事の案内です。

  • 9月19日。記念館がお休みだったので敷地内を薮下通りのほうへと通り抜け出来ず、ここまで。<br /><br />

    9月19日。記念館がお休みだったので敷地内を薮下通りのほうへと通り抜け出来ず、ここまで。

  • 薮下通りに面した出入り口も閉まっています。<br />

    薮下通りに面した出入り口も閉まっています。

  • 再度10月22日に訪ねました♪<br />この日は記念館が開館していたのでお庭を通り抜けることが出来ました。このご時世なので記念館には入らずです。<br />

    再度10月22日に訪ねました♪
    この日は記念館が開館していたのでお庭を通り抜けることが出来ました。このご時世なので記念館には入らずです。

  • 森鴎外旧居/観潮楼跡<br />森鴎外が大正11年(1922)に没するまで、『青年』『雁』『高瀬舟』など数々の名作を著した住居跡。鴎外は、後に夏目漱石が小説『吾輩は猫である』を書いたことで知られる「猫の家」から、明治25年(1892)にここに移ったそうです。2階の書斎から東京湾が遥かに見えたので、観潮楼と名づけたといわれます。<br />明治40年(1907)からは観潮楼歌会も催され、佐佐木信綱、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、石川啄木なども参会したといわれます。<br />

    森鴎外旧居/観潮楼跡
    森鴎外が大正11年(1922)に没するまで、『青年』『雁』『高瀬舟』など数々の名作を著した住居跡。鴎外は、後に夏目漱石が小説『吾輩は猫である』を書いたことで知られる「猫の家」から、明治25年(1892)にここに移ったそうです。2階の書斎から東京湾が遥かに見えたので、観潮楼と名づけたといわれます。
    明治40年(1907)からは観潮楼歌会も催され、佐佐木信綱、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、石川啄木なども参会したといわれます。

  • 森鴎外(1862~1922)<br />小説家・戯曲家・翻訳家・評論家・軍医<br />本名 森 林太郎<br />明治6年、11歳で東京医学校予科に入学。本郷の加賀屋敷跡の学校(現在の東京大学)の寄宿舎に入りました。東京大学卒業後、軍医となって明治17年から約4年間ドイツに留学。<br /><br />明治25年にここ駒込千駄木町21番地に移り住み、2階を増築して「観潮楼」と名づけました。ここが鴎外の文学活動の中心であり、生涯を送った土地となります。<br />

    森鴎外(1862~1922)
    小説家・戯曲家・翻訳家・評論家・軍医
    本名 森 林太郎
    明治6年、11歳で東京医学校予科に入学。本郷の加賀屋敷跡の学校(現在の東京大学)の寄宿舎に入りました。東京大学卒業後、軍医となって明治17年から約4年間ドイツに留学。

    明治25年にここ駒込千駄木町21番地に移り住み、2階を増築して「観潮楼」と名づけました。ここが鴎外の文学活動の中心であり、生涯を送った土地となります。

  • カフェも営業中のようです。<br />

    カフェも営業中のようです。

  • こじんまりしたお庭ですが、きれいに手入れされています。<br />

    こじんまりしたお庭ですが、きれいに手入れされています。

  • 沙羅の木            森鴎外<br />褐色(かちいろ)の根府川石に<br />白き花はたと落ちたり<br />ありとしも青葉がくれに<br />見えざりしさらの木の花<br /><br />              永井荷風 書<br /><br />通り抜ける道筋の壁に飾られています。<br />

    沙羅の木            森鴎外
    褐色(かちいろ)の根府川石に
    白き花はたと落ちたり
    ありとしも青葉がくれに
    見えざりしさらの木の花

                  永井荷風 書

    通り抜ける道筋の壁に飾られています。

  • 「三人冗語の石」<br />鴎外が石に座り、そばに幸田露伴、斎藤緑雨が立っている写真で知られる庭石です。<br />三人冗語とは鷗外が出していた雑誌「めざまし草」内で連載していたコラムの名前だそうで、幸田露伴、斎藤緑雨と一緒に書いていたから「三人冗語」とついているようです。<br /><br />観潮楼は、昭和12年の失火と昭和20年の戦災で2度焼けましたが、表門跡の礎石や敷石、銀杏の大木、“三人冗語の石”はそのまま残っており、今に伝えられています。<br />

    「三人冗語の石」
    鴎外が石に座り、そばに幸田露伴、斎藤緑雨が立っている写真で知られる庭石です。
    三人冗語とは鷗外が出していた雑誌「めざまし草」内で連載していたコラムの名前だそうで、幸田露伴、斎藤緑雨と一緒に書いていたから「三人冗語」とついているようです。

    観潮楼は、昭和12年の失火と昭和20年の戦災で2度焼けましたが、表門跡の礎石や敷石、銀杏の大木、“三人冗語の石”はそのまま残っており、今に伝えられています。

  • 10月22日<br />庭に咲く萩の花。狭いながら四季を演出しているようです。<br /><br />

    10月22日
    庭に咲く萩の花。狭いながら四季を演出しているようです。

  • 11月3日<br />お庭の満天星が赤く色づいていました。<br />記念館のお庭に面したところはカフェになっています。<br />

    11月3日
    お庭の満天星が赤く色づいていました。
    記念館のお庭に面したところはカフェになっています。

  • 鴎外が住んでいた頃には観潮楼の2階から品川沖が見えたといいますが、現在はビルの隙間から東京スカイツリーが見えます。名付けて文京区名物「スキマツリー」だとか・・・<br />

    鴎外が住んでいた頃には観潮楼の2階から品川沖が見えたといいますが、現在はビルの隙間から東京スカイツリーが見えます。名付けて文京区名物「スキマツリー」だとか・・・

  • 9月19日<br />大銀杏はまだ青々としていました。<br />

    9月19日
    大銀杏はまだ青々としていました。

  • 観潮楼跡の向かいは児童遊園。その下は汐見小学校です。<br />

    観潮楼跡の向かいは児童遊園。その下は汐見小学校です。

  • 薮下通りは狭いうえに曲がりくねっていますが、時折り車が通ったりします。ちょうど通り抜けて行った宅配の自転車がこのご時世を物語っていました。<br />

    薮下通りは狭いうえに曲がりくねっていますが、時折り車が通ったりします。ちょうど通り抜けて行った宅配の自転車がこのご時世を物語っていました。

  • 薮下通り(やぶしたどおり)<br />本郷台地の上を通る中山道(国道17号線)と下の根津谷の通り(不忍通り)の中間にある道です。本郷台地の中腹に、古くから自然に出来たといわれる脇道で、根津神社裏門向かいから駒込方面へと通じています。この通り沿いに森鴎外の居宅があり、鴎外の散歩道として小説の中にも登場してくるそうです。多くの文人がこの道を通って鴎外の観潮楼を訪れたようです。<br /><br />今では珍しい玉石の石垣です。<br />

    薮下通り(やぶしたどおり)
    本郷台地の上を通る中山道(国道17号線)と下の根津谷の通り(不忍通り)の中間にある道です。本郷台地の中腹に、古くから自然に出来たといわれる脇道で、根津神社裏門向かいから駒込方面へと通じています。この通り沿いに森鴎外の居宅があり、鴎外の散歩道として小説の中にも登場してくるそうです。多くの文人がこの道を通って鴎外の観潮楼を訪れたようです。

    今では珍しい玉石の石垣です。

  • だんだん坂<br />薮下通りから西方向へ登る階段で勾配はゆるいですが40段あります。<br />つい1年前までは両脇が玉石の石垣になっていましたが、向かって左側は目下工事中。石垣はなくなっている模様です。<br /><br />

    だんだん坂
    薮下通りから西方向へ登る階段で勾配はゆるいですが40段あります。
    つい1年前までは両脇が玉石の石垣になっていましたが、向かって左側は目下工事中。石垣はなくなっている模様です。

  • 沿道の柿の木<br />実の生る木は、眺めていても楽しいですね♪<br />

    沿道の柿の木
    実の生る木は、眺めていても楽しいですね♪

  • 薮下通りをほぼ下りきったところでちょっと寄り道。右手へ曲がった突き当りがこんもりと森になっているところは「千駄木ふれあいの杜」です。<br />

    薮下通りをほぼ下りきったところでちょっと寄り道。右手へ曲がった突き当りがこんもりと森になっているところは「千駄木ふれあいの杜」です。

  • この杜の入口横の階段は崖地らしく、勾配がきつく、さらに上の方で左へと曲がっています。<br />追記:この階段は「おばけだんだん」と呼ばれているようです。<br />上り詰めると、ふれあいの杜の上に出るらしい・・・<br /><br /><br />

    この杜の入口横の階段は崖地らしく、勾配がきつく、さらに上の方で左へと曲がっています。
    追記:この階段は「おばけだんだん」と呼ばれているようです。
    上り詰めると、ふれあいの杜の上に出るらしい・・・


  • 千駄木ふれあいの杜<br />自然環境や自然生態保全を図り、なおかつ区民が身近に自然と直接触れられることを可能にするためとありますが、それにしても一見すると荒れ放題!!っていう感じです。<br />

    千駄木ふれあいの杜
    自然環境や自然生態保全を図り、なおかつ区民が身近に自然と直接触れられることを可能にするためとありますが、それにしても一見すると荒れ放題!!っていう感じです。

    千駄木ふれあいの杜 公園・植物園

  • 10月22日に再度訪れた時は、保存会のメンバーと言う方にお会いしました。<br />ここは貴重な常緑樹の森で、草や木自体が望む形でこの杜を形成していて、人は手を貸さず、手を加えずに見守っているだけとおっしゃっていました。<br />

    10月22日に再度訪れた時は、保存会のメンバーと言う方にお会いしました。
    ここは貴重な常緑樹の森で、草や木自体が望む形でこの杜を形成していて、人は手を貸さず、手を加えずに見守っているだけとおっしゃっていました。

  • 9月19日に訪ねた時の藪茗荷<br />花と実を見ることが出来ました。<br />

    9月19日に訪ねた時の藪茗荷
    花と実を見ることが出来ました。

  • 10月22日<br />藪茗荷はすべて実になっていました。<br />

    10月22日
    藪茗荷はすべて実になっていました。

  • 「千駄木ふれあいの杜」の由来(文京区による説明板から)<br />江戸時代、ここは太田道灌 の子孫である太田摂津守 の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。<br />明治に入ると、屋敷は縮小して、かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこには太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外 らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。<br />大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進み、太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。<br />時代の変遷とともに、かつて屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。<br />

    「千駄木ふれあいの杜」の由来(文京区による説明板から)
    江戸時代、ここは太田道灌 の子孫である太田摂津守 の下屋敷で、その当時は、現在の日本医科大学から世尊院あたりまでの広大な敷地でした。
    明治に入ると、屋敷は縮小して、かつての屋敷跡は「太田の原」と呼ばれ、そこには太田ヶ池がありました。周囲は田園地帯が広がる、大変に風光明媚な場所だったようです。屋敷の近くには森鴎外 らの文化人が住まいをかまえ、小説の中にも周囲の風景についての文章が残されています。
    大正から昭和にかけて、現在の不忍通りに市電が開通し、市街化が進み、太田ヶ池もなくなり、住宅地となり、周囲の田畑はほとんど見られなくなりました。
    時代の変遷とともに、かつて屋敷内に連なっていた崖地の緑もここを残すのみとなりましたが、文京区の中でその貴重な姿を現在に伝えています。

  • 狭い杜とはいえ、通りかかる人もなく、独りで入るのがためらわれるような感じです。<br />5年ほど前に初めて訪ねた時は連れがいたので、20分ほど中を歩いて写真を撮ったりしましたが、ほかに誰ひとりとして来る人もいませんでした。<br />

    狭い杜とはいえ、通りかかる人もなく、独りで入るのがためらわれるような感じです。
    5年ほど前に初めて訪ねた時は連れがいたので、20分ほど中を歩いて写真を撮ったりしましたが、ほかに誰ひとりとして来る人もいませんでした。

  • 薮下通りへと戻って先へ進むと、ややもして日本医大付属病院の脇を通って根津裏門坂へ出ます。斜向かいにあるのは根津神社の西口の鳥居<br />

    薮下通りへと戻って先へ進むと、ややもして日本医大付属病院の脇を通って根津裏門坂へ出ます。斜向かいにあるのは根津神社の西口の鳥居

  • そして裏門坂を少し下ったところにあるのは同じく根津神社の北口の鳥居<br /><br />久し振りに団子坂を上がって、森鴎外旧居跡から根津神社裏門まで歩いてみると、両脇の住宅がかなり建て替わっていたり、現在まさに建て替え中だったりでしたが、現在でも、自然に開かれた道のおもかげを感じることが出来ました。団子坂上から上富士への区間は、今は「本郷保健所通り」の呼び方が通り名となっているそうです。<br /><br />今回も我が家から歩いて行けるところの旅行記で恐縮ですが、最後までお読みくださいまして誠にありがとうございました。<br />いつもご訪問頂きありがとうございます。<br /><br />                    ・・・☆紅映☆・・・<br /><br />

    そして裏門坂を少し下ったところにあるのは同じく根津神社の北口の鳥居

    久し振りに団子坂を上がって、森鴎外旧居跡から根津神社裏門まで歩いてみると、両脇の住宅がかなり建て替わっていたり、現在まさに建て替え中だったりでしたが、現在でも、自然に開かれた道のおもかげを感じることが出来ました。団子坂上から上富士への区間は、今は「本郷保健所通り」の呼び方が通り名となっているそうです。

    今回も我が家から歩いて行けるところの旅行記で恐縮ですが、最後までお読みくださいまして誠にありがとうございました。
    いつもご訪問頂きありがとうございます。

                        ・・・☆紅映☆・・・

    根津神社 寺・神社・教会

35いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • nimameさん 2020/11/16 11:41:32
    東京の中にも自然の草木がいっぱい!
    紅映さん・ご無沙汰しています。
    お元気でしょうか?
    それこそコロナが秋になれば少しは収まると思ったら!とんでもない!
    札幌~全道に広がりつつあります!
    本当に嫌になりますね!
    紅映さん如何しているかしら?・とお邪魔したら、自宅近くの景色を紹介していて・
    nimameはまるで田舎育ち・東京の事は余り解りませんが!
    東京はビルばかりと思っていたら・こんもりと千駄木すれあいの杜・・
    凄い山の中かしら~と一瞬思いますね!
    人は手を貸さず・自然に樹木が大きくなるの見ている感じかしらね~
    森鴎外も有名ですが・正直本を読んだ事が無くて・名前のみと軍医しか頭にありませんでした!
    立派な旧居跡近ければ見て見たい気持ちあります(笑)
    スキマツリーも東京ならではですね・
    来年こそはコロナがおさまりますように・お元気でお過ごしくださいね。
    nimame

    紅映

    紅映さん からの返信 2020/11/16 13:31:51
    RE: 東京の中にも自然の草木がいっぱい!
    nimameさん

    ご訪問ありがとうございます。
    こちらこそ、ご無沙汰しております。

    当方は、コロナ発生以来ずっとおこもり自粛をしておりますが、コロナは下火になるどころか、全国的に再燃していますね!!

    nimameさんのところは、もうそろそろ根雪になるのでしょうか、いよいよ真冬ですね。雪の北海道へも行きたいのですが、この調子では行かれそうもありません。
    北海道が遠くなりました。

    この杜は、持ち主の意向もあって、わざと自然のなすままにしているのだそうです。
    その昔、太田道灌の子孫が住んでいた屋敷の一部だそうです。

    森鴎外は、近くにゆかりの家などがあるので、なんとなく身近な気がしていますけど、文学少女じゃなかったもので・・・(;^_^A
    この界隈は、東京大学があったこともあって、かつては有名な作家さんなどが大勢住んでいらしたようです。

    スカイツリーは我が家の屋上からも見えますが、この辺一帯の高いところからなら見ることが出来るんですよ♪

    コロナが治まるか、良いワクチンが出来るかしたら、真っ先に北海道へ飛んでいきたいものです。

    これから厳しい冬がやってくることと思いますが、くれぐれもお元気で乗り切って下さい。
    ご丁寧なメッセージありがとうございました。


                    ・・・☆紅映☆・・・

紅映さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP