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北海道・札幌の10月は、秋が深まり冬の気配がして来る時期です。<br />小樽に行くために宿をとった札幌で、徒歩でも訪れることの容易な場所として、<br />中島公園の豊平館と、北海道大学のキャンパスに行きました。<br />今回は北海道大学のキャンパスをサイクリングした話です。<br />札幌駅の西に隣接した駐輪場で「えきチャリさっぽろ」というのがあります。<br />中古の自転車を修理してレンタサイクルにしており、1回500円と手軽です。<br />これを借りて、札幌駅の北側にある北海道大学へレッツ・サイクリング!<br />北海道大学のキャンパスは、途方もなく広いので、歩いて見て回るのは断念しました。<br />クラーク像とポプラ並木だけならまだしも、<br />今回狙うのはもっと北にある「第二農場」です。<br />重要文化財に指定されている歴史ある建物を見に行きます。<br />

秋の札幌散歩 -午後- 北海道大学のキャンパス

10いいね!

2020/10/18 - 2020/10/19

5064位(同エリア8682件中)

ミズ旅撮る人

ミズ旅撮る人さん

北海道・札幌の10月は、秋が深まり冬の気配がして来る時期です。
小樽に行くために宿をとった札幌で、徒歩でも訪れることの容易な場所として、
中島公園の豊平館と、北海道大学のキャンパスに行きました。
今回は北海道大学のキャンパスをサイクリングした話です。
札幌駅の西に隣接した駐輪場で「えきチャリさっぽろ」というのがあります。
中古の自転車を修理してレンタサイクルにしており、1回500円と手軽です。
これを借りて、札幌駅の北側にある北海道大学へレッツ・サイクリング!
北海道大学のキャンパスは、途方もなく広いので、歩いて見て回るのは断念しました。
クラーク像とポプラ並木だけならまだしも、
今回狙うのはもっと北にある「第二農場」です。
重要文化財に指定されている歴史ある建物を見に行きます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 北海道大学の正門前です。<br />札幌駅で借りた自転車を、せっせと漕いでやって来ました。<br />正門を入ってすぐ左に新しくなったインフォメーションセンター<br />「エルムの森」があります。<br />残念ながら、駐輪禁止なので立ち寄れませんでした。<br />そんなインフォメーションセンターが役に立つのかしら?<br />事前にネットで調べてはありますが、<br />ここでもらおうと思っていた地図などの資料が手に入らず、がっくり。<br />

    北海道大学の正門前です。
    札幌駅で借りた自転車を、せっせと漕いでやって来ました。
    正門を入ってすぐ左に新しくなったインフォメーションセンター
    「エルムの森」があります。
    残念ながら、駐輪禁止なので立ち寄れませんでした。
    そんなインフォメーションセンターが役に立つのかしら?
    事前にネットで調べてはありますが、
    ここでもらおうと思っていた地図などの資料が手に入らず、がっくり。

  • これがキャンパスの中だなんて、嘘みたい。<br />一般の人達が、中にはテントまで張って、三々五々憩っています。<br />この辺りは「中央ローン」と言って、約12,000㎡もある緑地です。<br />元はサクシュコトニ川が流れていました。<br />札幌の西にある琴似という地名はここから来たんですね。<br />

    これがキャンパスの中だなんて、嘘みたい。
    一般の人達が、中にはテントまで張って、三々五々憩っています。
    この辺りは「中央ローン」と言って、約12,000㎡もある緑地です。
    元はサクシュコトニ川が流れていました。
    札幌の西にある琴似という地名はここから来たんですね。

    北海道大学 名所・史跡

  • 古河講堂。1909年に古河財閥によって寄贈されました。<br />2019年3月までは、文学研究科の研究室でした。<br />古河財閥は、日本の15大財閥の一つで、<br />古河電池や古河電気工業に名が残っています。<br />足尾銅山の成功で富を得て経営を多角化、富士通・横浜ゴム・ADEKA・日本軽金属・朝日生命・三菱電線工業などを傘下に持ち、<br />古河銀行を吸収した渋沢栄一の第一銀行(現:みずほ銀行)と<br />強力な互恵関係を保っています。<br />1906年に原敬の勧めで、東北帝国大学(現:北海道大学)と<br />九州帝国大学の校舎を寄贈しました。

    古河講堂。1909年に古河財閥によって寄贈されました。
    2019年3月までは、文学研究科の研究室でした。
    古河財閥は、日本の15大財閥の一つで、
    古河電池や古河電気工業に名が残っています。
    足尾銅山の成功で富を得て経営を多角化、富士通・横浜ゴム・ADEKA・日本軽金属・朝日生命・三菱電線工業などを傘下に持ち、
    古河銀行を吸収した渋沢栄一の第一銀行(現:みずほ銀行)と
    強力な互恵関係を保っています。
    1906年に原敬の勧めで、東北帝国大学(現:北海道大学)と
    九州帝国大学の校舎を寄贈しました。

    北海道大学 名所・史跡

  • そして、必須立ち寄り地点のクラーク像。<br />札幌農学校初代教頭。<br />1926年に造られた胸像は、一旦は戦争中の金属献納で<br />溶かされてしまいましたが、1948年に再建されました。<br />「ウィリアム・スミス・クラーク<br />1876(明治9)年、北海道開拓の人材を育成するため札幌農学校が<br />開設され、教頭としてアメリカからマサチューセッツ農科大学学長<br />クラークが着任した。<br />彼は、わずか9カ月の滞在中に精力的に農学校の基礎作りに励み、<br />キリスト教に基づいた教育は学生たちに大きな影響を与えた。」

    そして、必須立ち寄り地点のクラーク像。
    札幌農学校初代教頭。
    1926年に造られた胸像は、一旦は戦争中の金属献納で
    溶かされてしまいましたが、1948年に再建されました。
    「ウィリアム・スミス・クラーク
    1876(明治9)年、北海道開拓の人材を育成するため札幌農学校が
    開設され、教頭としてアメリカからマサチューセッツ農科大学学長
    クラークが着任した。
    彼は、わずか9カ月の滞在中に精力的に農学校の基礎作りに励み、
    キリスト教に基づいた教育は学生たちに大きな影響を与えた。」

    北海道大学 名所・史跡

  • 北海道大学に来る観光客向けに、総合博物館があります。<br />ここに立ち寄るのは、もう少し後です。今は素通り。<br />日暮れが近いので、屋外の見学を早くする必要があるのです。<br />

    北海道大学に来る観光客向けに、総合博物館があります。
    ここに立ち寄るのは、もう少し後です。今は素通り。
    日暮れが近いので、屋外の見学を早くする必要があるのです。

    北海道大学総合博物館 美術館・博物館

  • もう一つの名所「ポプラ並木」です。<br />平成16年の台風18号により、<br />キャンパス内の樹木1,900本が被害を受けました。<br />ここのポプラも、51本のうち19本が根元から倒れ、<br />8本が傾きました。<br />全国からの支援により、倒れた19本のうち再生の可能性のある<br />2本(重さ30t)を立て直し、残りは若木を植林することにしました。<br />

    もう一つの名所「ポプラ並木」です。
    平成16年の台風18号により、
    キャンパス内の樹木1,900本が被害を受けました。
    ここのポプラも、51本のうち19本が根元から倒れ、
    8本が傾きました。
    全国からの支援により、倒れた19本のうち再生の可能性のある
    2本(重さ30t)を立て直し、残りは若木を植林することにしました。

    北大ポプラ並木 名所・史跡

  • この並木よりさらに北方、第一農場の北西に、<br />全長300mの「平成ポプラ並木」が作られました。<br />2000年10月に創基125周年記念事業の一環として、<br />このポプラ並木からとった挿し木で育てた苗木を植樹したのです。<br />写真のポプラは、従来の並木の物ですが、「平成ポプラ並木」の<br />場所だけ、地図に示しておきます。<br />

    この並木よりさらに北方、第一農場の北西に、
    全長300mの「平成ポプラ並木」が作られました。
    2000年10月に創基125周年記念事業の一環として、
    このポプラ並木からとった挿し木で育てた苗木を植樹したのです。
    写真のポプラは、従来の並木の物ですが、「平成ポプラ並木」の
    場所だけ、地図に示しておきます。

    北海道大学 名所・史跡

  • ポプラ並木からは、第一農場が見渡せます。<br />

    ポプラ並木からは、第一農場が見渡せます。

  • クロッカスのような花の群生地がありました。<br />

    クロッカスのような花の群生地がありました。

    北海道大学 名所・史跡

  • この時期に咲くならサフランかな?<br />

    この時期に咲くならサフランかな?

  • 黒百合の群生地もあるそうな。<br />

    黒百合の群生地もあるそうな。

  • 毎日キャンパス内を歩いても、毎日違う風景に出会えるだろうな。<br />

    毎日キャンパス内を歩いても、毎日違う風景に出会えるだろうな。

  • 札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は、<br />東京大学入学試験で「太平洋の橋になりたい」と言ったそうです。<br />昭和59年発券の5千円札の肖像となりました。<br />1891(明治24)年札幌農学校教授に就任し、<br />1894(明治27)年札幌に勤労青少年のための遠友夜学校を<br />設立しました。<br />

    札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は、
    東京大学入学試験で「太平洋の橋になりたい」と言ったそうです。
    昭和59年発券の5千円札の肖像となりました。
    1891(明治24)年札幌農学校教授に就任し、
    1894(明治27)年札幌に勤労青少年のための遠友夜学校を
    設立しました。

  • 落ち葉に埋もれた睡蓮の咲く大野池。<br />大野工学部教授の立案により、湿地帯を池に整備したもの。<br />

    落ち葉に埋もれた睡蓮の咲く大野池。
    大野工学部教授の立案により、湿地帯を池に整備したもの。

  • クラーク像があるロータリーから真っ直ぐ北に向かって伸びる道を<br />走っています。<br />自転車を漕ぐ人が多いので、ちゃんと自転車レーンがあります。<br />たまに車も通るので、注意が必要です。<br />

    クラーク像があるロータリーから真っ直ぐ北に向かって伸びる道を
    走っています。
    自転車を漕ぐ人が多いので、ちゃんと自転車レーンがあります。
    たまに車も通るので、注意が必要です。

  • こんな風に、各学部は緑の中に点在しています。<br />

    こんな風に、各学部は緑の中に点在しています。

  • さて、目的地に着きました。<br />「札幌農学校第二農場」です。<br />ここまでの道のりが遠いので、自転車が必要だったのです。<br />

    さて、目的地に着きました。
    「札幌農学校第二農場」です。
    ここまでの道のりが遠いので、自転車が必要だったのです。

  • クラーク博士の構想によって、<br />一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設を並べ、<br />北海道最初の畜産経営の実践農場として、1876年に創られました。<br />この建物は事務所です。<br />「札幌農学校第二農場」は、本来は屋内の見学も出来るのですが、<br />コロナ対策で外観の見学のみになっています。

    クラーク博士の構想によって、
    一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設を並べ、
    北海道最初の畜産経営の実践農場として、1876年に創られました。
    この建物は事務所です。
    「札幌農学校第二農場」は、本来は屋内の見学も出来るのですが、
    コロナ対策で外観の見学のみになっています。

  • 池の向こうに牝牛舎が見えます。<br />

    池の向こうに牝牛舎が見えます。

  • 敷地内には一本の道が通っていて、その両側に建物が並べられています。<br />この「第二農場」は、1876年に「農校園」として<br />クラークによって開設されました。<br />1887年に西側の札幌育種場を改称して「第一農場」が出来た<br />ことから、「農校園」は、「第二農場」となります。<br />1907年に「札幌農学校」が「東北帝国大学農科大学」となり、<br />校舎が増えたことなどから、「第二農場」は移転することになりました。<br />1912(大正元)年に現在の場所に移り、1968(昭和43)年まで<br />使用されました。翌年に国の重要文化財の指定を受けています。

    敷地内には一本の道が通っていて、その両側に建物が並べられています。
    この「第二農場」は、1876年に「農校園」として
    クラークによって開設されました。
    1887年に西側の札幌育種場を改称して「第一農場」が出来た
    ことから、「農校園」は、「第二農場」となります。
    1907年に「札幌農学校」が「東北帝国大学農科大学」となり、
    校舎が増えたことなどから、「第二農場」は移転することになりました。
    1912(大正元)年に現在の場所に移り、1968(昭和43)年まで
    使用されました。翌年に国の重要文化財の指定を受けています。

  • 見取り図を掲載しておきます。<br />「札幌農学校第二農場」内は、すべて徒歩での見学になります。<br />自転車は事務所の前に駐輪場があります。

    見取り図を掲載しておきます。
    「札幌農学校第二農場」内は、すべて徒歩での見学になります。
    自転車は事務所の前に駐輪場があります。

  • 種牛舎。1878年建築、1910年移転改築。<br />下層を豚・牛・馬・羊の飼養および竈と屠殺場、<br />上層を穀物庫および貯水槽として建てられました。<br />1910年の移築の際に種牛舎となり、基礎部分の石を高く積んで<br />下層を上げ、1階にあった柱をすべて撤去しています。<br />

    種牛舎。1878年建築、1910年移転改築。
    下層を豚・牛・馬・羊の飼養および竈と屠殺場、
    上層を穀物庫および貯水槽として建てられました。
    1910年の移築の際に種牛舎となり、基礎部分の石を高く積んで
    下層を上げ、1階にあった柱をすべて撤去しています。

  • 種牛舎の見取り図。<br />内部が見られないので、あまり実感が湧きません。<br />

    種牛舎の見取り図。
    内部が見られないので、あまり実感が湧きません。

  • 種牛舎の隣の大きな建物が牝牛舎です。<br />とても大きな畜舎なので、気になりますが、<br />先ずは道の左側の建物を見学して行きます。<br />

    種牛舎の隣の大きな建物が牝牛舎です。
    とても大きな畜舎なので、気になりますが、
    先ずは道の左側の建物を見学して行きます。

  • 赤レンガ造りの製乳所です。<br />バターやチーズを製造する施設です。<br />1階を冷蔵室・製造室とし、冷媒の氷室は2階に設置しました。<br />床も煉瓦敷のため、雑菌の混入を防ぐため、<br />屋内の洗浄が容易な造りとなっています。<br />

    赤レンガ造りの製乳所です。
    バターやチーズを製造する施設です。
    1階を冷蔵室・製造室とし、冷媒の氷室は2階に設置しました。
    床も煉瓦敷のため、雑菌の混入を防ぐため、
    屋内の洗浄が容易な造りとなっています。

  • 製乳所の見取り図。<br />正面に見える白い鉄扉は氷室の扉で、<br />外から氷を入れられるようになっていて、<br />その下の牛酪冷蔵室にパイプを通して冷気を送ります。<br />図面の右端に2つの扉が記されています。<br />

    製乳所の見取り図。
    正面に見える白い鉄扉は氷室の扉で、
    外から氷を入れられるようになっていて、
    その下の牛酪冷蔵室にパイプを通して冷気を送ります。
    図面の右端に2つの扉が記されています。

  • 竈場。札幌軟石を使った石造りです。1911年建築。<br />内部には竈が2つ据えられ、豚などの飼料を煮込んでいました。<br />

    竈場。札幌軟石を使った石造りです。1911年建築。
    内部には竈が2つ据えられ、豚などの飼料を煮込んでいました。

  • 右上の休憩室は、板張りの詰め所になっていて、<br />農夫たちの溜まり場となっていました。<br />

    右上の休憩室は、板張りの詰め所になっていて、
    農夫たちの溜まり場となっていました。

  • ここから振り返ると、「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」が<br />巨大な樹木の向こうに見えます。<br />モデルバーンがかなり大きな建物なのに、それに覆いかぶさるくらい<br />大きな木に圧倒されます。<br />

    ここから振り返ると、「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」が
    巨大な樹木の向こうに見えます。
    モデルバーンがかなり大きな建物なのに、それに覆いかぶさるくらい
    大きな木に圧倒されます。

  • 秤量所。1910年建築。<br />1920年頃に現在地に移転した際、秤を更新し、<br />独立家屋として新築されました。<br />

    秤量所。1910年建築。
    1920年頃に現在地に移転した際、秤を更新し、
    独立家屋として新築されました。

  • 前後の扉が開くので、乾草を積んだ荷馬車が通過できるように<br />なっています。<br />建物内には荷馬車ごと軽量できるトラックスケールが設置されています。<br />

    前後の扉が開くので、乾草を積んだ荷馬車が通過できるように
    なっています。
    建物内には荷馬車ごと軽量できるトラックスケールが設置されています。

  • 秤量所の前から見るのが、牝牛舎を撮るベストポイントです。<br />あまりに大きいので近くによると、収まらないからね。<br />今回の表紙です。<br />

    秤量所の前から見るのが、牝牛舎を撮るベストポイントです。
    あまりに大きいので近くによると、収まらないからね。
    今回の表紙です。

  • 収穫室および脱桴室。1880年代作業室として建築。<br />1911年移築・改装。左の小屋が、原動機室。1912年建築。<br />こちらだけが札幌軟石造の建物です。<br />2004年の台風で倒木が直撃・倒壊したため、<br />現在は鉄筋コンクリート造の壁体に薄く切った軟石を<br />張り付けてあります。<br />

    収穫室および脱桴室。1880年代作業室として建築。
    1911年移築・改装。左の小屋が、原動機室。1912年建築。
    こちらだけが札幌軟石造の建物です。
    2004年の台風で倒木が直撃・倒壊したため、
    現在は鉄筋コンクリート造の壁体に薄く切った軟石を
    張り付けてあります。

  • 左側が脱桴室、右の2階建てが収穫室。<br />1階部分で選別・秤量・袋詰を行い、<br />2階に上げて、ベルトコンベアで隣の穀物庫に搬出しました。<br />外壁の目打ち板装飾がモデルバーンのものを踏襲しています。<br />

    左側が脱桴室、右の2階建てが収穫室。
    1階部分で選別・秤量・袋詰を行い、
    2階に上げて、ベルトコンベアで隣の穀物庫に搬出しました。
    外壁の目打ち板装飾がモデルバーンのものを踏襲しています。

  • 収穫室および脱桴室、原動機室の見取り図。<br />原動機は、当初は蒸気エンジン、後に石油エンジンに変わりました。<br />ここで発生した動力をベルトとシャフトを用いて、<br />脱桴室の器械に伝達しました。<br />

    収穫室および脱桴室、原動機室の見取り図。
    原動機は、当初は蒸気エンジン、後に石油エンジンに変わりました。
    ここで発生した動力をベルトとシャフトを用いて、
    脱桴室の器械に伝達しました。

  • 穀物庫(玉蜀黍庫:コーンバーン)。<br />1877年建築、1911年移転改築。<br />鼠対策として高床式になっています。<br />モデルバーンと同じ年に建てられた建物で、1911年の移築の際にも<br />部材はそのまま使われているので、原形を留めた貴重な建物です。<br />

    穀物庫(玉蜀黍庫:コーンバーン)。
    1877年建築、1911年移転改築。
    鼠対策として高床式になっています。
    モデルバーンと同じ年に建てられた建物で、1911年の移築の際にも
    部材はそのまま使われているので、原形を留めた貴重な建物です。

  • 穀物庫の見取り図。<br />「後に、穀物の搬入労力を省力化する目的で、隣接する収穫室及び脱桴室<br />を結ぶベルトコンベア通路を新設したため、新築時に意図した独立家屋・高床式という鼠害防止構造と矛盾した構造になった。」<br />隣と繋げちゃったから、それを伝って鼠が来るように<br />なってしまったわけだ。<br />

    穀物庫の見取り図。
    「後に、穀物の搬入労力を省力化する目的で、隣接する収穫室及び脱桴室
    を結ぶベルトコンベア通路を新設したため、新築時に意図した独立家屋・高床式という鼠害防止構造と矛盾した構造になった。」
    隣と繋げちゃったから、それを伝って鼠が来るように
    なってしまったわけだ。

  • 「第二農場」で一番重要な「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」です。<br />1877年建築、1910年移転改築。<br />建設当初は、2階建てに地下を付けて3層構造をしていて、<br />上層へは馬車で乾草を運び込めるよう<br />土盛りのスロープが設けてありました。<br />しかし、この土盛りが建物の壁を圧迫していたため、<br />壁に接する土を取り除き、木製の橋を架けました。<br />1910年の移転にあたり、スロープと地下を取り払い、<br />外壁には目打ち板の装飾を加えました。<br />また、3階に床を設けて乾草の収蔵容積を増やし、<br />4本の換気塔を新設しました。<br />

    「第二農場」で一番重要な「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」です。
    1877年建築、1910年移転改築。
    建設当初は、2階建てに地下を付けて3層構造をしていて、
    上層へは馬車で乾草を運び込めるよう
    土盛りのスロープが設けてありました。
    しかし、この土盛りが建物の壁を圧迫していたため、
    壁に接する土を取り除き、木製の橋を架けました。
    1910年の移転にあたり、スロープと地下を取り払い、
    外壁には目打ち板の装飾を加えました。
    また、3階に床を設けて乾草の収蔵容積を増やし、
    4本の換気塔を新設しました。

  • 文章で読んでもよくわかりませんが、絵なら一目瞭然。<br />こういう構造だったんですね。<br />

    文章で読んでもよくわかりませんが、絵なら一目瞭然。
    こういう構造だったんですね。

  • この牛の飾りは、当初から付いていたのかしら?<br />モデルバーン(模範家畜舎)の裏手を通ったので、<br />見取り図を撮り損ねました。<br />

    この牛の飾りは、当初から付いていたのかしら?
    モデルバーン(模範家畜舎)の裏手を通ったので、
    見取り図を撮り損ねました。

  • 牝牛舎。1909年建築。<br />第二農場の移転に当たり、新設されました。<br />背後に緑飼貯蔵室(サイロ)があります。1912年建築。<br />石造円筒形サイロとして、現存最古のものです。<br />

    牝牛舎。1909年建築。
    第二農場の移転に当たり、新設されました。
    背後に緑飼貯蔵室(サイロ)があります。1912年建築。
    石造円筒形サイロとして、現存最古のものです。

  • 中央に玄関があり、向かって右が「甲舎」、左が「乙舎」です。<br />北海道における適応性を評価するため、<br />給餌床高さ・床腰壁材料・換気塔形式を南北で変えて、<br />畜舎構造を比較検討出来るように設計されています。<br />

    中央に玄関があり、向かって右が「甲舎」、左が「乙舎」です。
    北海道における適応性を評価するため、
    給餌床高さ・床腰壁材料・換気塔形式を南北で変えて、
    畜舎構造を比較検討出来るように設計されています。

  • 「甲舎」は、欧米で新しく開発された牛舎の形式で、堅牢である反面、<br />冬季に床の温度が上がらないという難点があったため、<br />牛房の床だけは、木を張っています。<br />

    「甲舎」は、欧米で新しく開発された牛舎の形式で、堅牢である反面、
    冬季に床の温度が上がらないという難点があったため、
    牛房の床だけは、木を張っています。

  • 最初に見た種牛舎です。<br />「農校園」当時の建物で、1878年建築、1910年移転改築。<br />

    最初に見た種牛舎です。
    「農校園」当時の建物で、1878年建築、1910年移転改築。

  • 反対側から見たサイロと根菜貯蔵室です。1909年建築。<br />移転時に、モデルバーンの地下にあった根菜貯蔵室が取り払われたので、<br />新設されました。凍結防止のため、煉瓦造りとなっています。<br />一周回ったので、元来た道を戻ります。<br />

    反対側から見たサイロと根菜貯蔵室です。1909年建築。
    移転時に、モデルバーンの地下にあった根菜貯蔵室が取り払われたので、
    新設されました。凍結防止のため、煉瓦造りとなっています。
    一周回ったので、元来た道を戻ります。

  • 一本道を自転車で走っていると、やたらと人が歩いています。<br />なんだろうと止まってみると「イチョウ並木」でした。<br />まだ黄葉していないので、気づきませんでした。<br />全長380mの道路の両脇に70本の銀杏が植えられています。<br />もう少ししたら、真っ黄色になるでしょう。<br />

    一本道を自転車で走っていると、やたらと人が歩いています。
    なんだろうと止まってみると「イチョウ並木」でした。
    まだ黄葉していないので、気づきませんでした。
    全長380mの道路の両脇に70本の銀杏が植えられています。
    もう少ししたら、真っ黄色になるでしょう。

  • セイコーマート 北海道大学店です。<br />看板がないので、そこにあると知っていないと気づきません。<br />店内では北海道大学グッズも売られています。<br />2階はテラス席になっています。<br />キャンパス内には大学生協もあるのですが、<br />この日は日曜日なのでお休みです。<br />

    セイコーマート 北海道大学店です。
    看板がないので、そこにあると知っていないと気づきません。
    店内では北海道大学グッズも売られています。
    2階はテラス席になっています。
    キャンパス内には大学生協もあるのですが、
    この日は日曜日なのでお休みです。

  • さて、総合博物館に戻って来ました。<br />こちらは月曜休館なので、日曜は開館しています。<br />

    さて、総合博物館に戻って来ました。
    こちらは月曜休館なので、日曜は開館しています。

  • 「総合博物館」は、博物館という名称ですが、<br />学部の研究内容の紹介といった性格が強く、<br />あまり興味を引く展示はありませんでした。<br />その中で、古い大学ノートが目を引きました。<br />1944年のもので、東北帝国大学と書かれています。<br />

    「総合博物館」は、博物館という名称ですが、
    学部の研究内容の紹介といった性格が強く、
    あまり興味を引く展示はありませんでした。
    その中で、古い大学ノートが目を引きました。
    1944年のもので、東北帝国大学と書かれています。

  • 植物のスケッチです。現在は写真を撮って終わりなのかな?<br />スケッチをするということは、対象をじっくり観察するということです。<br />研究者の原点じゃないでしょうか。<br />

    植物のスケッチです。現在は写真を撮って終わりなのかな?
    スケッチをするということは、対象をじっくり観察するということです。
    研究者の原点じゃないでしょうか。

  • 「北海道大学のすごい標本」<br />以前、テレビの番組で見たことがある気がします。<br />

    「北海道大学のすごい標本」
    以前、テレビの番組で見たことがある気がします。

  • こちらは2020年5月14日にキャンパス内で採集されたもの。<br />オオバナノエンレイソウです。<br />

    こちらは2020年5月14日にキャンパス内で採集されたもの。
    オオバナノエンレイソウです。

  • 1984年現在の新ひだか町で採集。<br />

    1984年現在の新ひだか町で採集。

  • 1939年新冠(にいかっぷ)町で採集。<br />タイプライターで打刻した文字が時代を感じさせます。<br />

    1939年新冠(にいかっぷ)町で採集。
    タイプライターで打刻した文字が時代を感じさせます。

  • クラーク教授植物学ノート。文字は読めなくても、すごい綺麗。<br />

    クラーク教授植物学ノート。文字は読めなくても、すごい綺麗。

  • 各学部がどんな研究をしているかには興味のない人も、<br />こちらには興味を引かれるでしょう。<br />ノーベル賞授与式の招待状、晩餐会・受賞コンサートなどの招待状です。<br />

    各学部がどんな研究をしているかには興味のない人も、
    こちらには興味を引かれるでしょう。
    ノーベル賞授与式の招待状、晩餐会・受賞コンサートなどの招待状です。

  • カール16世グスタフ・スウェーデン国王から化学賞のメダルと賞状を<br />受け取る鈴木章北海道大学名誉教授<br />

    カール16世グスタフ・スウェーデン国王から化学賞のメダルと賞状を
    受け取る鈴木章北海道大学名誉教授

  • ノーベル財団が公式に作成したレプリカ3個のうち<br />一般公開されている唯一のメダル。<br />

    ノーベル財団が公式に作成したレプリカ3個のうち
    一般公開されている唯一のメダル。

  • ノーベル財団より展示用に許可された写真を原寸大で印刷したもの。<br />中央のAKIRA SUZUKIとストックホルムくらいしか読めません。 <br />

    ノーベル財団より展示用に許可された写真を原寸大で印刷したもの。
    中央のAKIRA SUZUKIとストックホルムくらいしか読めません。

  • 2010年、ノーベル化学賞を受賞した、<br />北海道大学名誉教授の鈴木章氏。<br />なんと実物大で立っていました。<br />

    2010年、ノーベル化学賞を受賞した、
    北海道大学名誉教授の鈴木章氏。
    なんと実物大で立っていました。

  • 先程見て来た「第二農場」のサイロの設計図が展示されていました。<br />

    先程見て来た「第二農場」のサイロの設計図が展示されていました。

  • こちらはモデルバーンの設計図。当初は煙突は一つでした。<br />この煙突は、アメリカで考案されたキング式換気方式で、<br />寒地向け畜舎の自然換気システムです。<br />しかし、この方式では上手くいかず、移転時に煙突が増やされました。<br />

    こちらはモデルバーンの設計図。当初は煙突は一つでした。
    この煙突は、アメリカで考案されたキング式換気方式で、
    寒地向け畜舎の自然換気システムです。
    しかし、この方式では上手くいかず、移転時に煙突が増やされました。

  • 穀物庫の設計図。<br />高床式で、まだ収穫室とは繋がっていません。<br />先に第二農場を見て来たので、これらの図面を見て、<br />理解することが出来ます。<br />

    穀物庫の設計図。
    高床式で、まだ収穫室とは繋がっていません。
    先に第二農場を見て来たので、これらの図面を見て、
    理解することが出来ます。

  • 総合博物館の中央階段を昇ると吹き抜けになっており、<br />「アインシュタイン・ドーム」と呼ばれているんだそうです。<br />ここがそうなのかな?<br />朝からずっと歩き回ったので、総合博物館は辛かったです。<br />そろそろ日が暮れます。札幌駅に戻ります。<br />

    総合博物館の中央階段を昇ると吹き抜けになっており、
    「アインシュタイン・ドーム」と呼ばれているんだそうです。
    ここがそうなのかな?
    朝からずっと歩き回ったので、総合博物館は辛かったです。
    そろそろ日が暮れます。札幌駅に戻ります。

  • 最後のおまけです。<br />羽田から新千歳空港に向かう機内から、丸い虹が見えました。<br />随分長く飛行機には乗っているけど、これは初めて見ました。<br />これのお陰で、この2日間、素晴らしい天気に恵まれたのかな?<br />今回はここで終わりです。<br />次回は、今回の旅の目的地「小樽芸術村」に行きます。<br />

    イチオシ

    最後のおまけです。
    羽田から新千歳空港に向かう機内から、丸い虹が見えました。
    随分長く飛行機には乗っているけど、これは初めて見ました。
    これのお陰で、この2日間、素晴らしい天気に恵まれたのかな?
    今回はここで終わりです。
    次回は、今回の旅の目的地「小樽芸術村」に行きます。

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