2020/10/18 - 2020/10/19
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ミズ旅撮る人さん
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北海道・札幌の10月は、秋が深まり冬の気配がして来る時期です。
小樽に行くために宿をとった札幌で、徒歩でも訪れることの容易な場所として、
中島公園の豊平館と、北海道大学のキャンパスに行きました。
今回は北海道大学のキャンパスをサイクリングした話です。
札幌駅の西に隣接した駐輪場で「えきチャリさっぽろ」というのがあります。
中古の自転車を修理してレンタサイクルにしており、1回500円と手軽です。
これを借りて、札幌駅の北側にある北海道大学へレッツ・サイクリング!
北海道大学のキャンパスは、途方もなく広いので、歩いて見て回るのは断念しました。
クラーク像とポプラ並木だけならまだしも、
今回狙うのはもっと北にある「第二農場」です。
重要文化財に指定されている歴史ある建物を見に行きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
北海道大学の正門前です。
札幌駅で借りた自転車を、せっせと漕いでやって来ました。
正門を入ってすぐ左に新しくなったインフォメーションセンター
「エルムの森」があります。
残念ながら、駐輪禁止なので立ち寄れませんでした。
そんなインフォメーションセンターが役に立つのかしら?
事前にネットで調べてはありますが、
ここでもらおうと思っていた地図などの資料が手に入らず、がっくり。 -
これがキャンパスの中だなんて、嘘みたい。
一般の人達が、中にはテントまで張って、三々五々憩っています。
この辺りは「中央ローン」と言って、約12,000㎡もある緑地です。
元はサクシュコトニ川が流れていました。
札幌の西にある琴似という地名はここから来たんですね。北海道大学 名所・史跡
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古河講堂。1909年に古河財閥によって寄贈されました。
2019年3月までは、文学研究科の研究室でした。
古河財閥は、日本の15大財閥の一つで、
古河電池や古河電気工業に名が残っています。
足尾銅山の成功で富を得て経営を多角化、富士通・横浜ゴム・ADEKA・日本軽金属・朝日生命・三菱電線工業などを傘下に持ち、
古河銀行を吸収した渋沢栄一の第一銀行(現:みずほ銀行)と
強力な互恵関係を保っています。
1906年に原敬の勧めで、東北帝国大学(現:北海道大学)と
九州帝国大学の校舎を寄贈しました。北海道大学 名所・史跡
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そして、必須立ち寄り地点のクラーク像。
札幌農学校初代教頭。
1926年に造られた胸像は、一旦は戦争中の金属献納で
溶かされてしまいましたが、1948年に再建されました。
「ウィリアム・スミス・クラーク
1876(明治9)年、北海道開拓の人材を育成するため札幌農学校が
開設され、教頭としてアメリカからマサチューセッツ農科大学学長
クラークが着任した。
彼は、わずか9カ月の滞在中に精力的に農学校の基礎作りに励み、
キリスト教に基づいた教育は学生たちに大きな影響を与えた。」北海道大学 名所・史跡
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北海道大学に来る観光客向けに、総合博物館があります。
ここに立ち寄るのは、もう少し後です。今は素通り。
日暮れが近いので、屋外の見学を早くする必要があるのです。北海道大学総合博物館 美術館・博物館
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もう一つの名所「ポプラ並木」です。
平成16年の台風18号により、
キャンパス内の樹木1,900本が被害を受けました。
ここのポプラも、51本のうち19本が根元から倒れ、
8本が傾きました。
全国からの支援により、倒れた19本のうち再生の可能性のある
2本(重さ30t)を立て直し、残りは若木を植林することにしました。北大ポプラ並木 名所・史跡
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この並木よりさらに北方、第一農場の北西に、
全長300mの「平成ポプラ並木」が作られました。
2000年10月に創基125周年記念事業の一環として、
このポプラ並木からとった挿し木で育てた苗木を植樹したのです。
写真のポプラは、従来の並木の物ですが、「平成ポプラ並木」の
場所だけ、地図に示しておきます。北海道大学 名所・史跡
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ポプラ並木からは、第一農場が見渡せます。
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クロッカスのような花の群生地がありました。
北海道大学 名所・史跡
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この時期に咲くならサフランかな?
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黒百合の群生地もあるそうな。
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毎日キャンパス内を歩いても、毎日違う風景に出会えるだろうな。
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札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は、
東京大学入学試験で「太平洋の橋になりたい」と言ったそうです。
昭和59年発券の5千円札の肖像となりました。
1891(明治24)年札幌農学校教授に就任し、
1894(明治27)年札幌に勤労青少年のための遠友夜学校を
設立しました。 -
落ち葉に埋もれた睡蓮の咲く大野池。
大野工学部教授の立案により、湿地帯を池に整備したもの。 -
クラーク像があるロータリーから真っ直ぐ北に向かって伸びる道を
走っています。
自転車を漕ぐ人が多いので、ちゃんと自転車レーンがあります。
たまに車も通るので、注意が必要です。 -
こんな風に、各学部は緑の中に点在しています。
-
さて、目的地に着きました。
「札幌農学校第二農場」です。
ここまでの道のりが遠いので、自転車が必要だったのです。 -
クラーク博士の構想によって、
一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設を並べ、
北海道最初の畜産経営の実践農場として、1876年に創られました。
この建物は事務所です。
「札幌農学校第二農場」は、本来は屋内の見学も出来るのですが、
コロナ対策で外観の見学のみになっています。 -
池の向こうに牝牛舎が見えます。
-
敷地内には一本の道が通っていて、その両側に建物が並べられています。
この「第二農場」は、1876年に「農校園」として
クラークによって開設されました。
1887年に西側の札幌育種場を改称して「第一農場」が出来た
ことから、「農校園」は、「第二農場」となります。
1907年に「札幌農学校」が「東北帝国大学農科大学」となり、
校舎が増えたことなどから、「第二農場」は移転することになりました。
1912(大正元)年に現在の場所に移り、1968(昭和43)年まで
使用されました。翌年に国の重要文化財の指定を受けています。 -
見取り図を掲載しておきます。
「札幌農学校第二農場」内は、すべて徒歩での見学になります。
自転車は事務所の前に駐輪場があります。 -
種牛舎。1878年建築、1910年移転改築。
下層を豚・牛・馬・羊の飼養および竈と屠殺場、
上層を穀物庫および貯水槽として建てられました。
1910年の移築の際に種牛舎となり、基礎部分の石を高く積んで
下層を上げ、1階にあった柱をすべて撤去しています。 -
種牛舎の見取り図。
内部が見られないので、あまり実感が湧きません。 -
種牛舎の隣の大きな建物が牝牛舎です。
とても大きな畜舎なので、気になりますが、
先ずは道の左側の建物を見学して行きます。 -
赤レンガ造りの製乳所です。
バターやチーズを製造する施設です。
1階を冷蔵室・製造室とし、冷媒の氷室は2階に設置しました。
床も煉瓦敷のため、雑菌の混入を防ぐため、
屋内の洗浄が容易な造りとなっています。 -
製乳所の見取り図。
正面に見える白い鉄扉は氷室の扉で、
外から氷を入れられるようになっていて、
その下の牛酪冷蔵室にパイプを通して冷気を送ります。
図面の右端に2つの扉が記されています。 -
竈場。札幌軟石を使った石造りです。1911年建築。
内部には竈が2つ据えられ、豚などの飼料を煮込んでいました。 -
右上の休憩室は、板張りの詰め所になっていて、
農夫たちの溜まり場となっていました。 -
ここから振り返ると、「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」が
巨大な樹木の向こうに見えます。
モデルバーンがかなり大きな建物なのに、それに覆いかぶさるくらい
大きな木に圧倒されます。 -
秤量所。1910年建築。
1920年頃に現在地に移転した際、秤を更新し、
独立家屋として新築されました。 -
前後の扉が開くので、乾草を積んだ荷馬車が通過できるように
なっています。
建物内には荷馬車ごと軽量できるトラックスケールが設置されています。 -
秤量所の前から見るのが、牝牛舎を撮るベストポイントです。
あまりに大きいので近くによると、収まらないからね。
今回の表紙です。 -
収穫室および脱桴室。1880年代作業室として建築。
1911年移築・改装。左の小屋が、原動機室。1912年建築。
こちらだけが札幌軟石造の建物です。
2004年の台風で倒木が直撃・倒壊したため、
現在は鉄筋コンクリート造の壁体に薄く切った軟石を
張り付けてあります。 -
左側が脱桴室、右の2階建てが収穫室。
1階部分で選別・秤量・袋詰を行い、
2階に上げて、ベルトコンベアで隣の穀物庫に搬出しました。
外壁の目打ち板装飾がモデルバーンのものを踏襲しています。 -
収穫室および脱桴室、原動機室の見取り図。
原動機は、当初は蒸気エンジン、後に石油エンジンに変わりました。
ここで発生した動力をベルトとシャフトを用いて、
脱桴室の器械に伝達しました。 -
穀物庫(玉蜀黍庫:コーンバーン)。
1877年建築、1911年移転改築。
鼠対策として高床式になっています。
モデルバーンと同じ年に建てられた建物で、1911年の移築の際にも
部材はそのまま使われているので、原形を留めた貴重な建物です。 -
穀物庫の見取り図。
「後に、穀物の搬入労力を省力化する目的で、隣接する収穫室及び脱桴室
を結ぶベルトコンベア通路を新設したため、新築時に意図した独立家屋・高床式という鼠害防止構造と矛盾した構造になった。」
隣と繋げちゃったから、それを伝って鼠が来るように
なってしまったわけだ。 -
「第二農場」で一番重要な「耕馬・産室・雑牛追込所(モデルバーン)」です。
1877年建築、1910年移転改築。
建設当初は、2階建てに地下を付けて3層構造をしていて、
上層へは馬車で乾草を運び込めるよう
土盛りのスロープが設けてありました。
しかし、この土盛りが建物の壁を圧迫していたため、
壁に接する土を取り除き、木製の橋を架けました。
1910年の移転にあたり、スロープと地下を取り払い、
外壁には目打ち板の装飾を加えました。
また、3階に床を設けて乾草の収蔵容積を増やし、
4本の換気塔を新設しました。 -
文章で読んでもよくわかりませんが、絵なら一目瞭然。
こういう構造だったんですね。 -
この牛の飾りは、当初から付いていたのかしら?
モデルバーン(模範家畜舎)の裏手を通ったので、
見取り図を撮り損ねました。 -
牝牛舎。1909年建築。
第二農場の移転に当たり、新設されました。
背後に緑飼貯蔵室(サイロ)があります。1912年建築。
石造円筒形サイロとして、現存最古のものです。 -
中央に玄関があり、向かって右が「甲舎」、左が「乙舎」です。
北海道における適応性を評価するため、
給餌床高さ・床腰壁材料・換気塔形式を南北で変えて、
畜舎構造を比較検討出来るように設計されています。 -
「甲舎」は、欧米で新しく開発された牛舎の形式で、堅牢である反面、
冬季に床の温度が上がらないという難点があったため、
牛房の床だけは、木を張っています。 -
最初に見た種牛舎です。
「農校園」当時の建物で、1878年建築、1910年移転改築。 -
反対側から見たサイロと根菜貯蔵室です。1909年建築。
移転時に、モデルバーンの地下にあった根菜貯蔵室が取り払われたので、
新設されました。凍結防止のため、煉瓦造りとなっています。
一周回ったので、元来た道を戻ります。 -
一本道を自転車で走っていると、やたらと人が歩いています。
なんだろうと止まってみると「イチョウ並木」でした。
まだ黄葉していないので、気づきませんでした。
全長380mの道路の両脇に70本の銀杏が植えられています。
もう少ししたら、真っ黄色になるでしょう。 -
セイコーマート 北海道大学店です。
看板がないので、そこにあると知っていないと気づきません。
店内では北海道大学グッズも売られています。
2階はテラス席になっています。
キャンパス内には大学生協もあるのですが、
この日は日曜日なのでお休みです。 -
さて、総合博物館に戻って来ました。
こちらは月曜休館なので、日曜は開館しています。 -
「総合博物館」は、博物館という名称ですが、
学部の研究内容の紹介といった性格が強く、
あまり興味を引く展示はありませんでした。
その中で、古い大学ノートが目を引きました。
1944年のもので、東北帝国大学と書かれています。 -
植物のスケッチです。現在は写真を撮って終わりなのかな?
スケッチをするということは、対象をじっくり観察するということです。
研究者の原点じゃないでしょうか。 -
「北海道大学のすごい標本」
以前、テレビの番組で見たことがある気がします。 -
こちらは2020年5月14日にキャンパス内で採集されたもの。
オオバナノエンレイソウです。 -
1984年現在の新ひだか町で採集。
-
1939年新冠(にいかっぷ)町で採集。
タイプライターで打刻した文字が時代を感じさせます。 -
クラーク教授植物学ノート。文字は読めなくても、すごい綺麗。
-
各学部がどんな研究をしているかには興味のない人も、
こちらには興味を引かれるでしょう。
ノーベル賞授与式の招待状、晩餐会・受賞コンサートなどの招待状です。 -
カール16世グスタフ・スウェーデン国王から化学賞のメダルと賞状を
受け取る鈴木章北海道大学名誉教授 -
ノーベル財団が公式に作成したレプリカ3個のうち
一般公開されている唯一のメダル。 -
ノーベル財団より展示用に許可された写真を原寸大で印刷したもの。
中央のAKIRA SUZUKIとストックホルムくらいしか読めません。 -
2010年、ノーベル化学賞を受賞した、
北海道大学名誉教授の鈴木章氏。
なんと実物大で立っていました。 -
先程見て来た「第二農場」のサイロの設計図が展示されていました。
-
こちらはモデルバーンの設計図。当初は煙突は一つでした。
この煙突は、アメリカで考案されたキング式換気方式で、
寒地向け畜舎の自然換気システムです。
しかし、この方式では上手くいかず、移転時に煙突が増やされました。 -
穀物庫の設計図。
高床式で、まだ収穫室とは繋がっていません。
先に第二農場を見て来たので、これらの図面を見て、
理解することが出来ます。 -
総合博物館の中央階段を昇ると吹き抜けになっており、
「アインシュタイン・ドーム」と呼ばれているんだそうです。
ここがそうなのかな?
朝からずっと歩き回ったので、総合博物館は辛かったです。
そろそろ日が暮れます。札幌駅に戻ります。 -
イチオシ
最後のおまけです。
羽田から新千歳空港に向かう機内から、丸い虹が見えました。
随分長く飛行機には乗っているけど、これは初めて見ました。
これのお陰で、この2日間、素晴らしい天気に恵まれたのかな?
今回はここで終わりです。
次回は、今回の旅の目的地「小樽芸術村」に行きます。
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