2020/10/18 - 2020/10/19
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ミズ旅撮る人さん
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北海道・札幌の秋は早い。10月に入ると一気に冷え始めて紅葉が始まります。
北海道の紅葉は「黄葉」が大半だけど、
さすがに手入れをされた札幌の樹木は「紅葉」も綺麗です。
札幌の観光と言えば、あまりにも定番が決まり切っていて、
毎年のように札幌を訪れると行く所が無くなります。
今回は、たまたま一人でぶらっと訪れたので、
徒歩で行かれる北海道らしくて気持ちのいい場所ということで、
中島公園と北海道大学に行ってみました。
札幌南部にある大きな中島公園は、地図では見るけれど、
地元の憩いの場所というイメージだったので今回初めて訪れました。
素晴らしく気持ちのいい秋晴れに、巨大な樹木が都会とは思えない場所です。
日本庭園と豊平館を見学しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
中島公園の地図です。
札幌中心部の南端に大きな緑地があるので、
札幌の地図を見た人は、必ず一度は目にする名称です。
交通の便はいいので簡単に行かれます。
地下鉄南北線の中島公園駅や、市電の中島公園通駅で下車すれば、
すぐです。
今回は大通公園のそばのホテルから向かったので、市電で行きました。
この地図は左が北なので、札幌駅は左方向です。
目的地の豊平館は、現在地のすぐ左ですが、
まだ開館前なので、右手に行って天文台などを見ながら散策します。中島公園 公園・植物園
-
札幌市天文台です。
とても小さな天文台ですが、公園の中にあるだけに身近な存在で、
昼も夜も観望ができます。
昼間公開
【公開時間】10時~12時、14時~16時
【観望対象】太陽、昼間に見える星
【休台日】月曜日、火曜午後、祝翌日、年末年始
夜間公開は事前申し込みが必要です。詳細はHP参照。
http://www.ssc.slp.or.jp/planet/sapporo-obs -
公園内には巨大な樹木がたくさん生えていて、
やはり北海道なんだなと実感します。
足元に、手のひらを広げたより大きなイタヤカエデの葉が
落ちていました。
サトウカエデに比べて甘さは劣るけれど、
メープルシロップを作ることが出来ます。 -
人がいるので、木の大きさがわかると思います。
あまり大きな公園に行くことが無いので、
ちょっとこの空間に感動しています。 -
こんな小川を見ると、気分は「赤毛のアン」になってしまいます。
7月に芦別にある「カナディアン・ワールド」を訪れました。
カナダにあるものより本物に近いグリーンゲイブルズを見て来たから
尚一層アンを連想するのかな? -
イチオシ
菖蒲池に紅葉が映って、いい風景です。
こんなに大きな柳の木なんて、もうほとんど見ないので、
ふるふる嬉しいです。 -
水鏡が完璧で、ついつい長居してしまいます。
私、なんで今までこの中島公園に来たことがなかったんだろう。
この近くにはかなりホテルが建っているので、次回は検討してみよう。 -
豊平館が池越しに見えます。この辺の水は常に動いているので、
さっきのような水鏡にならないのが残念。
豊平館の白い外壁を縁どる水色はウルトラマリン・ブルーと言われ、
昔はラピスラズリ(瑠璃)から造られた色でした。
ラピスだともっと青い色になりそうですが。 -
赤い葉に、少し緑の葉が混じっているのも、いいもんです。
それにしても素晴らしい秋晴れ。
そろそろ大雪山系に雪が降り始めたから、寒くなるね。
この日の最高気温は17℃前後あって、
雨の東京よりもずっと暖かかったです。 -
豊平館に行こうとしたら、手前に日本庭園がありました。
これだけ素晴らしい日に行かないという選択肢はありません。 -
日本庭園と言えば、石庭。
「この燈籠は、アメリカ・オレゴン州のポートランド日本庭園内にある
ピースランタンと呼ばれる雪見燈籠のレプリカです。
札幌市とポートランド市による姉妹都市提携60周年を記念し、
両市の友好と平和が更に深まることを願って、
ポートランド市民の代表として、
ポートランド日本庭園から札幌市へ寄贈されました。
この燈籠には、ポートランド日本庭園にある雪見燈籠と同じく
CASTING THE LIGHT OF EVERLASTING PEACE
(恒久平和の灯をともす)
という文字が刻まれています。」2019年10月 -
関守石(せきもりいし)
「関守石」とは、露地の飛び石などに据えられる石で、
シュロやワラビ縄で十文字に結んである小石のことです。
茶道の作法では、「これより先に入ることはご遠慮ください」の意味で、
この石が置かれます。
関守の役を持たせたために「関守石」と呼ばれるようになりました。
止め石、留め石、踏止石とも呼ばれます。」 -
日本庭園は、この池を囲んで造られています。
-
その中に、この茶室「八窓庵」があります。
「八窓庵は、江戸初期の大名で茶人の小堀遠州(1579~1647)が
建てたと伝えられる茶室である。
八窓庵(東側部分)は、草庵式二畳台目の席で、
床柱はチシャ(サルスベリとも)・向柱は皮付の赤松、
北面の軒桁は栗のなぐり、天井には真菰が使用され、壁は聚楽土を用い、
席中に8カ所の窓を配している。(中略)
北国・札幌にあって、八窓庵は積雪荷重に耐え得る強度を有していない
ため、冬季間は建物全体に防雪用上屋を設置し、保存に努めていた。
しかし平成17年3月、防雪用上屋の梁強度不足による倒壊事故が発生し、
これに伴って八窓庵・水屋が全壊、三分庵は半壊した。」
平成20年に復旧工事は完了しています。八窓庵 名所・史跡
-
8つの窓には、それぞれ外の世界が美しく映っていて、
中が良く見えないけれどまあいいかという気になります。 -
さて、ようやく豊平(ほうへい)館です。
札幌に豊平区がありますが、こちらは「とよひら」です。
豊平館は中央区にあります。
豊平館が建てられた当時のイギリスやフランスでは
ホテル建築はレンガ造が一般的であり、
主要構造部を木材でつくるのは、木材大国であったアメリカの特徴で、
豊平館がアメリカの建築様式を基調とした建物であることがわかります。豊平館 名所・史跡
-
イチオシ
1869年、札幌に北海道開拓使が設置されました。
「北辰旗」と呼ばれた開拓使の旗には北極星をイメージした赤い星
「五稜星」が描かれ、建物を建てる時にも同じように星が使われました。
札幌市時計台・北海道庁旧本庁舎・北海道大学植物園内にある博物館本館
サッポロビール博物館などで見られます。
もちろん、サッポロビールのマークも同じです。 -
豊平館の裏手に事務所が併設されていて、
そちらから豊平館に入って行きます。 -
入った所は、正面玄関の反対側になります。
それにしても随分とガランとしているんだなと思いました。
明治14年に完成した建物なので、
まだ洋風建築に慣れていない時期なのでしょう。
旅行者の宿泊施設として建てられた豊平館(ほうへいかん)は、
明治政府が建てた唯一のホテルで、1881年に明治天皇が札幌・
北海道の視察に訪れたのが最初の宿泊客でした。
明治、大正期に三度にわたり明治天皇や皇太子が宿泊しました。 -
天井中心飾の漆喰芸術
シャンデリアの吊元にある天井中心飾は、漆喰を盛り付け、
ここで立体的に仕上げていくもので、
「こて絵」と呼ばれる伝統技術で作られています。
建設当初から残されていた15基に加え、復原された2基が存在します。
部屋ごとにモチーフを変えた我が国の伝統文様が採用され、
牡丹、菊、葡萄、椿、鳳凰、波に千鳥などが用いられています。
1階のロビーの紋様は「波に千鳥」です。 -
「波に千鳥」
他の飾りのモチーフはすべて植物ですが、これだけ鳥です。 -
ロビーには、階段が対角線上に2つ設置されています。
こういう形の階段を作る文化は日本にはなかったでしょうから、
新しい建築様式を学んで実践した職人たちの技術と工夫の粋が
詰まっています。
アメリカ様式ということなので、1860年代に「風と共に去りぬ」の
オハラ邸で、よくスカーレットが上り下りしていた階段などが
そうだったのかなと想像します。 -
1階ロビーのシャンデリアは、階段を昇りながら、
上から見ることが出来ます。
「8組あるシャンデリアのうち4組は建設当初から吊られていたもので、
残り4組は改修時に建設当初の器具を修理したものです。
当初ガス式灯具を導入し、ローソク灯として使用しましたが、
1922(大正11)年の皇太子行啓の際に、電灯に切り替えられました。
現在もコックが付いていることから、
ガス式灯具だったことが見てとれます。」 -
「豊平館のおすすめ順路」に従って歩くと、
まずは2階からの見学になります。
2階ロビーの階段とシャンデリア。 -
2階ロビーの天井中心飾は「鳳凰」です。
-
一旦は、ここで見て通過したのですが、2階奥の椿の部屋で
放送されている映像展示で、2012年から行われた修理で、
漆喰が10数回に亘って上塗りされていたことがわかりました。
それらを剥がしていくと、鳳凰には目があったこと、
そして赤の彩色が一部施されていたことが判明しました。
そう聞いて、もう一度、しっかり撮り直しました。 -
ガス灯のコックがよくわかります。
-
シャンデリアを見るとやりたくなる、真下撮り。
ここにも札幌のシンボル「五稜星」が。こじつけ? -
おすすめ順路2番目の「椿」です。
部屋の名称は、天井中心飾から付けられています。 -
赤い椿。花全体ではなく、ちょっと紅を差すように施してあるのが
奥ゆかしいです。 -
椿
「1881(明治14)年の明治天皇行幸の頃は、着替えなどされる
「次の間」と「御湯殿(おゆどの)・御厠(おかわや)」
の二部屋に分かれていましたが、現在は仕切り壁が取り払われています。
ガイダンス映像「時を刻む豊平館」などの映像をご覧いただけます。」
金屏風の左側の机上に緑のランプが点いています。
これが映像展示の装置で、ここで豊平館の修復の様子を選択すると、
先程の鳳凰の話が見られます。 -
「椿」の廊下を挟んで向かいにある「梅」です。
「明治・大正・昭和天皇(大正、昭和天皇は皇太子時代)が、
行幸啓(ぎょうこうけい)の際に滞在された部屋です。
この部屋では、木部の塗装や壁構造も建設当初に復原されています。
家具も当時の資料を基に再現したものを配置しています。」 -
曲木椅子
「これは以前から豊平館に保管されていた椅子である。
明治43年から同44年9月までの間、秋田曲木製作所
(現秋田木工株式会社)で製作されたものである。
明治43年9月、札幌区は宮内省から豊平館の貸し下げを受け、
内部を改装し明治44年8月の皇太子をお迎えする準備を進めていた。」
木でこのように優美な曲線を作る技術は相当なものです。
日本には「曲げわっぱ」などのように、木工技術が発達していたので、
素晴らしい作品が多々見られます。 -
梅寝間(ウメねま)
「寝室にあたる部屋で、寝台(ねだい)・洋服箪笥・洗面台などが
配置されています。
建設当時、ベットを備えたサービスを行えるホテルが、
国内ではまだ少ない中、豊平館はそれを備えていました。
ボーイが毎朝、部屋を回り洗顔用のお湯を届けるなどのサービスが
行われていたと言います。」 -
芍薬(シャクヤク)
「1881(明治14)年の明治天皇行幸の際に、
侍従長(じじゅうちょう)などの部屋として使われました。
この部屋の家具は、当時のホテルの雰囲気を体験していただくために
配置したものです。
椅子・テーブルはご使用いただけます。」
展示物に座っていいというのは珍しいですね。
豊平館は、閉館後の17~22時に、2階の広間をはじめ、
いくつかの部屋を借りて使用することが出来ます。
小部屋の場合、500円/1時間と破格値です。
コンサート・講演会・パーティー・楽器演奏・勉強会などに
利用できるそうです。 -
「芍薬」のシャンデリア
-
「芍薬」の天井中心飾。これを撮っていて気づいたのですが、
ちゃんとこの絵は、上座から見るようになっているのです。
1枚前の出入口から撮った写真では、シャンデリアの釣り具が
飾りを遮ってしまいますが、ちゃんとそれを計算していて、
上座からこうして撮ると、すべての絵柄を見ることが出来ます。
こうした心遣いが、素晴らしいですね。 -
芍薬寝間(シャクヤクねま)
「寝室にあたる部屋で、寝台・洗面台などが配置されています。
この部屋の家具は、当時のホテルの雰囲気を体験していただくために
配置したものです。
室内に入りご見学いただけます。」 -
「毎朝ボーイが部屋を回り、水差しに入れた洗顔用のお湯を
洗面台の洗面器に注いだと言われています。」
これらの磁器は、どこ製なんでしょう?
輸入品にしては簡素なので、国産なのかな?
調度品も、手探りで西洋を真似ている様子が伺われます。 -
薄と女郎花(ススキとオミナエシ)
取り立てて特徴のある部屋ではありません。 -
シャンデリアは割愛して、「薄と女郎花」の天井中心飾です。
他は美しい花がモチーフなのに、
何故「薄と女郎花」だったんでしょうね。 -
紫(ムラサキ)
「紫」とは「紫草」の意味で、
古来、紫色の染料が採れる貴重な植物でした。
万葉集の和歌が有名です。
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子 -
「紫」は、1881(明治14)年の明治天皇行幸の際は、
侍従(じじゅう)が天皇への供進(きょうしん)を行う部屋として
使われました。
現在は行幸・行啓関連資料等の3代の天皇がご使用になられたとされる品々などを展示しています。」 -
「紫」に展示されている資料です。
「豊平館の計画 -洋風ホテルの建設-
豊平館が建てられた明治初期の日本は文明開化の時代です。
この時期、北海道開拓を指揮していたのは開拓長官黒田清隆であり、
顧問を任されていたのがケプロンら御雇外国人でした。
御雇外国人の建言によって、同使の建築は原則としてすべて洋風にすると
1872(明治5)年に定めていたため、
豊平館の計画にも採用されました。
日本の洋風建築における草創期でもあったこの頃は、
外国人による設計が主流でしたが、豊平館の設計は、
安達喜幸を中心とした開拓使工業局営繕課があたり、
施工は大岡助右衛門が手掛けました。
豊平館は明治政府機関が建てた唯一のホテルであると共に、
我が国の明治初期のホテル建築における貴重な遺構です。」 -
広間
「前室を含めると、約172㎡あり、豊平館では最も大きな部屋です。
天井中心飾も二つあり、モチーフには、「紅葉」と「大菊」が
用いられています。
1881(明治14)年の明治天皇行幸の際は、
謁見所として使われました。」 -
広間では、ダンスなども行われたため、その床はたいへん堅牢な造りになっていました。
厚い床板の下に角材を隙間なく並べ、それを横から長い鉄ボルトで
締め付けたもので、全体の厚さが14cmもありました。
(この床構造は昭和32年移築の際に変更されて現存していません) -
広間のシャンデリア。
さすがに電燈の数が多いです。 -
こちらは朱を差した「大菊」。
-
こちらが「紅葉」。赤くないのね。
-
「館内にある6基の暖炉は、1982(昭和57)から
1986(昭和61)年の工事で復原されたものです。
特にマントルピースは、天板のみが大理石で、
その他は大理石風にしつらえた漆喰塗で作られています。 -
大理石なのは天板だけだとは、見てわからないですね。
その部材がこれです。
この部材は昭和32年の解体移築時に撤去された際に取り外されて
残されたマントルピースの部品です。
枠廻りの両端と背後の煙道との取り合いを塞いで飾る漆喰彫刻です。
洋風建築の代表である暖炉の飾りですが、
寺社建築の飾りの影響を受けたデザインです。 -
「カーテンの柄には、日本伝統のデザインである「牡丹唐草」が
用いられています。
使用された洋織りの生地は、当時ようやく国産化に成功した、
京都西陣において織られたとされています。
現在使われているカーテンは、これを再現して織られたものです。」 -
カーテンの垂らし方にも気を遣っていますね。
豊平館は、建設当初は大通公園のそばに建てられたホテルでしたが、
管理者が転々とする間にその役割も変わり、
1899(明治32)年に札幌区の所管になると公民館としての
機能を持つようになりました。
しかし、徐々に収容量が不足するようになり、
昭和2年には豊平館の北側に新公会堂が併設されました。
昭和31年には、豊平館が建っている場所に
新しい市民会館を建設することになり、
歴史ある豊平館は、中島公園に移築されることになりました。
移築後の豊平館は、結婚式場として運営され、
多くの札幌市民がここで式を挙げました。
その様子を1階の「芙蓉」で紹介しています。 -
「建物の構造や室の使われ方のイメージなどを
タブレット端末で紹介しています。」 -
バーチャルリアリティーで、タブレットを広間の中央に向けると、
画面の中にダンスをしている人達が現れます。
ちゃんとタブレットを向けた方向に画面が合うので、おもしろいです。 -
1階に降りて来ました。「百合」です。
「寝間(右側奥の扉)では、展示映像「豊平館と多様な文化」で
北の文化発祥の地、豊平館にまつわる映像をご覧いただけます。」
2階の「芍薬」と同じ内装ですね。 -
「芍薬」のシャンデリアは、周りの4つの小灯がありませんでした。
-
「百合」の天井中心飾です。
-
芙蓉
「寝間に設置した展示映像「幸せの記憶」では、
実際に行われた挙式の様子をスライドショーでご覧いただけます。」
現在でも、結婚式の映像や写真を随時募集しています。
2階の広間を見学していた時に、老夫婦がここで結婚式を挙げたねと
話していました。
今でもこうしたご夫婦が札幌周辺には多いのでしょうね。
そういうところが、豊平館の特別な存在意義になっているのでしょう。 -
「芙蓉」のシャンデリア。
現代から見ると、随分暗かっただろうなと思います。
でも、ヨーロッパは今でも日本に比べて、暗さを好みますから、
こんなもので良かったのかもしれません。
ヨーロッパに慣れると、なぜ日本はこんなに無駄に明るいのかと
思います。
原発事故直後はあんなに節電していたのに、
すっかり「復興」してしまった・・・ -
「芙蓉」の天井中心飾。
-
「葡萄」。各部屋の入り口にはこのように
部屋の名前が掲示されています。 -
「葡萄」
この椅子にも座ることが出来るのですが、
1脚おきに「ソーシャルディスタンス」のカードが置かれていました。 -
「葡萄」 のシャンデリア
-
「葡萄」の天井中心飾。
葡萄の実が垂れ下がっているのがわかりますか?
これまでの飾りは平面だけでしたが、葡萄だけは、立体なんです。
豊平館の設計を行った安達善幸が、
この飾りの絵柄まで考えたのかは不明ですが、
きっと、西洋の様式ではありながらも、
日本を感じる絵柄を取り入れたかったのでしょうね。
そして滅多に見ることのない立体的な「こて絵」までも駆使しました。
当時の人々が、あらん限りの創意工夫を随所に施して建てたことが
感じられます。 -
「姫百合」
この部屋は、2階の「芍薬」と同じ造りで、
奥の左手に寝間がありますが、ここには何も置かれていませんでした。 -
「姫百合」の天井中心飾。
何故、「百合」があるのに、「姫百合」だったのでしょう?
沖縄戦で有名な「ひめゆり学徒隊」があるように、当時の人々にとって「姫百合」は「百合」とは異なる特別な存在だったのかな?
こて絵にするには、「百合」との違いを表現しなければならないから、
難しかったでしょうね。 -
帳場
「ホテルとして利用されていた頃は、帳場として使われていた部屋です。
明治天皇行幸の行在所にあてられた際には、
道具置場として使われました。」
豊平館には、無料のボランティアガイドがあります。
①9:45
②10:45
③11:45
④12:45
⑤13:45
⑥14:45
約45分間の案内です。このガイドさんたちの詰め所となっています。
(2020年はコロナ対策で休止中です) -
1階の広間です。
2階の半分ですが、なんだか丁度いい広さです。
1階の大部分はフリースペースとなっていて、
現在の豊平館の目指す姿である「集客交流施設」として
活用されているのでしょう。 -
広間のシャンデリアは、2階のものと比べると小振りです。
-
資料等には記述が無かったのですが、2階の広間が「大菊」だったので、
こちらは「小菊」かな? -
「牡丹唐草」の西陣織のカーテンに、バラかな?のハイカラな絨毯。
華やかな明治の雰囲気が伝わります。 -
広間と背中合わせに「会食所」があります。
-
現在は喫茶室「ハルニレ」として利用されています。
ただ、この表示はあっても、誰もいなくて、休業中なのかな?
ちょっとわかりづらいHPの中を探してみると、
11時~15時の営業とありました。
観覧料とドリンク一杯がセットになった「喫茶セット観覧券」
550円があるそうです。
観覧券は300円なので、これはお得!
豊平館を訪れる時は、この時間にしましょう。 -
「会食所」のシャンデリア。
-
そして天井中心飾。さてこれは?どこにも説明がないんです。
これがウリなんだから、しっかりして欲しい。 -
1階のロビーに戻って来ました。ホールクロックです。
館内を歩いていると、時折この時計がボーンボーンと鳴るのが
聞こえます。
「この時計は昭和2年、公会堂のオープン時に市民の方から寄付された
ドイツ製の時計で別名グランドファーザークロックともいいます。
15分おきにチャイムが鳴り、毎正時に、その時刻を時打します。」 -
気分は「大きなのっぽの古時計」だね。
正午になると、窓から見えている顔が真っ直ぐになるのかな? -
豊平館から出て来ました。目の前の紅葉が一際眩しいです。
10/26に豊平館前のロータリーの木々の冬囲い作業が
始まったそうです。
いよいよ冬支度なんですね。11月の札幌は雪は積もらないけど、
とても寒いと聞きました。この景色もあと少しです。
次回は北海道大学のキャンパスをサイクリングします。
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