2004/07/17 - 2004/07/24
2120位(同エリア16392件中)
mugifumiさん
- mugifumiさんTOP
- 旅行記71冊
- クチコミ11件
- Q&A回答5件
- 38,178アクセス
- フォロワー10人
ヨーロッパは、海外旅行の中でも特に楽しいものである。
歴史と伝統に彩られた街や、美し自然などを見ていると心が洗われるのである。
私たちは、今回の旅が4回目のヨーロッパ旅行であるが、世界遺産であるモンサンミッシェルを見たいという望みを実現するために、このコースを申し込んだのである。
パリは2度目であるが、1度目はルーブル美術館、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門、ノートルダム寺院以外は見ておらず、パリを知る良い機会であったように思う。
・ バルビゾン村とフォンテーヌブロー城
・ シテ島(サント・シャペル、コンシェルジュリー、ノートルダム寺院)
・ ベルサイユ宮殿とプチトリアノン
・ セーヌ川ディナークルーズ
・ モネの家
以上を見学したのであるが、どこも素晴らしく、「旅は良いものだ!」と再認識した次第である。
また、オペラ座の位置や、地下鉄の乗り方なども大変勉強になった。
もう一度パリに行く機会があれば、カールージュを使って「パリ市内を一周してみたい」し、モンマルトルの丘に行って「無名の画家たちの作品」を覗いてみたいとも思うのである。
素晴らしき感動という人生の輝きを求めて、世界中を巡りたい二人である。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
<成田からパリまでの間の飛行機から>
<出発からパリのホテルへ>
今日、出発の予定であるが、朝食は成田でいただくことにしていたので、「時間に余裕がある。」と思っていたら、わが愛妻、時間ぎりぎりまで家の中を「うろうろ、がさがさ」している。
お陰で駅まで走っていく羽目になり、ああ、またもや波瀾万丈の旅である。
それでも、予定のスカイライナーに乗ることができ、8時30分ぐらいに空港に到着することができた。
「さあ、朝食をいただくか!」と考えていたら、目の前に「そば、うどん」の店があるではないか!
でも、セルフサービスの立ち食いそば屋のようで、朝からガッカリしながら空港の建物のDカウンターで受付を済ませる。
年の頃は30代半ばから40代前半であろうか?この女性が受け付けと説明をしてくれたが、この方が添乗員のようである。
その後、指示されたAカウンターにスーツケースを預けに行くが、空港はひどい混みようである。
また、途中、5万円をユーロに両替するが、ここも長蛇の列で時間がかかってしまう。
このため、すぐに出国審査を済ませて、搭乗口に急ぐことになってしまう。
一息ついて、「さて、時間が来たので、飛行機に乗ろうか?」と思ったら、ここで、またもやハプニング発生。
何か異様な雰囲気に、ファーストクラスの搭乗口を見ていたら、どこかで見たことがある人がいるのである。
「誰だったかな?」と考えていたら、横で愛妻が耳打ちをする。「小澤征爾よ!」
前回の旅行地ウィーンで小澤征爾の話を聞いていただけに驚きである。
そうこうしているうちに、NH205便は、無事、成田を出発し、シベリアを経由して12時間弱でパリに到着したのである。
-
<パリ宿泊のホテル>
「やはり、ヨーロッパは遠いな!」と実感するが、この日は、現地時間で18時(日本時間、午前2時)頃、空港を出てホテルにチェックインするのみである。
このホテル、パリの中心地から離れた財務省近くにあるが、非常に部屋が狭く、スーツケースを置くスペースを確保するのに苦労する。
このホテルに2泊することになっているが、今後、ホテルのグレードが上がってくれることを願うばかりである。
ここでの苦労話は二つである。
一つ目は、セイフティボックスの操作を誤り、金庫のドアの鍵がかかった状態で閉まらなくなってしまったという訳が分からない話である。
とは、いっても、そう難しい話ではない。小生が暗証番号を入力し、財布など入れてクローズしたのであるが、念のため暗証番号を入れてオープンしようとしたのであるが、開かないのである。
仕方がないので、ホテルの人を呼んで開けてもらうしかないか?と考えながら何回か試しているうちに開いてくれたのである。
二つ目もドアに関係する事件?である。
翌日、といっても、暗いし、時計を現地時間に合わせていないので、何時なのか分からないが、たばこを吸いながら外の様子を見ようとホテルの周辺を散策したのである。
ところが、ここで、またもや事件が発生するのである。
素行の悪いフランス人に襲われた?違います!
ホテルに戻り、中に入ろうとしたら、自動ドアが開かないのである。
「これは参ったな!しょうがない、夜が明けるまで待つか?」と腹を固めたら、中からホテルのスタッフが駆けつけてきて開けてくれたのである。
片言の英語でドアが開かない理由を聞いたら「セキュリティ」と言ってので、不審者が入らないようにするためでしょうね。
こういう二つの事件があり、大人しくしていた方が良いと感じたので、部屋に戻り、身体がはみ出しそうな小さなベッドに再び横になり、「うつら。うつら」していたら5時近くになっていました。
「よし!これからパリを楽しむぞ!」と気合いを入れるためにシャワーを浴びることにしたのであるが、湯船から身体を起こそうとしたら、足が滑り、危うくお尻から外へ倒れたというウイーンで経験した事態になるところであった。 -
<ホテルの朝食>
ところで、翌日の朝食はひどかったですね。
なにしろ、バイキングだというのに、9人ぐらいの円テーブルに12~13人座らされ、普通、横向きに置く金属製の四角いお盆を縦に置いたのである。
それに、バイキングと言いながら食べるものは、ご覧のようにパンが2種類とハム、ゆで卵ぐらいで、野菜はなし、飲み物がジュースとコーヒー、果物が少々である。
これが豊富にあればまだ良いが、人数分ぐらいしかないのである。
「Bランクのホテルなんだ!」と思ったら、同行の方が言うには「これからどんどんグレードが良くなる。」そうです。
そう願いたいですね。 -
<金色の穀倉地帯>
<7月18日ミレーの落ち穂拾いの舞台となった村バルビゾン、そしてフォンテーヌブロー城>
この日は、ホテルからバスに8時00分に乗り込みパリを脱出するが、現地の添乗員(やせた小柄な日本人女性)がフランスを説明する際に、日本との比較をしながら、いかにフランスが素晴らしいかを強調していた。
しかし、教えてやる!という雰囲気が出ていて、不愉快でならなかった。
また、どうして自分の母国である日本の歴史がフランスに劣っているかのような説明をするのか、さらに、私たちがフランスのことを知らないことを馬鹿にするような話し方をするのか理解に苦しむばかりである。
前回、パリに来たときにも、バスの中にカメラを置いてバスを降りてしまい、取りに戻ろうとしたら、現地添乗員(フランス語のような日本語を使う言葉が軽い日本人男性)に遮られ、「バスにはない」の一点張りで誠に不愉快な思いをしたが、これならフランス人の通訳の方が良いのではないか?と思ったものである。
今回の旅でも、ルーブル美術館に行くオプショナルツアーに参加した方の話で「小泉首相の評判などの話を聞かされたが、絵を見に来たのであって、関係のない政治家の話を聞かされ、何のために高い料金を払ったのか、誠に不愉快であった。」というような話を聞いたが、どうしてフランスにいる日本人ガイドは、このような態度をとるのか、場合によっては、旅行社に投書しようかと思うほどであった。
などという不愉快な話はこのくらいにして、旅の話に戻しましょう。
まず、パリからバルビゾン村に行くまでの景色あるが、車窓から眺める景色は、右も左も一面の金世界である。
何のことか分からない?
写真をご覧ください。
このように、道路の両側には丘陵のようなようななだらかな土地が続いており、そこに金色ではなく土色の麦畑が、多少の例外はあるものの延々と続いているのである。
現地添乗員の説明によれば、フランスは小麦の生産量が世界で5番目で、1位はアメリカではなく中国だそうです。
-
<ここがバルビゾン村?>
この間、多くの人が時差ボケと疲れでおやすみであるが、小生は興奮してるのか、ビデオカメラを廻しながら首を右に左にと大忙しである。
そうこうしているうちに、バルビゾン村に到着である。
車がまったくおいていない駐車場でバスを降りて、古い時計台のような建物とその周辺を見学したのである。
-
<美しい草花が咲き乱れる街路>
人はいないし、ここでミレーは何を感じていたのか?小生のような凡人には理解できないが、落ち穂拾いにでてくる彼が愛した「フランスの田舎の雰囲気を理解しろ!」ということか?と思いながら地名を確認しようと「ここはどこか?」と例の添乗員に聞いたら、何を聞いていたのか?と言わんばかりの態度で、
彼女「シャイよ!」
小生「はー?どこですか?」
彼女「シャイ」
小生 大声で「シャイ!」
という会話になったのであるが、その後がありました。
バスに乗るや、彼女はマイクをとって「皆さん、日程表があるはずだから、事前に良く確認してください」だって!
小学生の修学旅行じゃあるまいし、ここで小生、またもカチンときた次第である。
しかも日程表を見ると「記載していないじゃないか!!」
まあまあ、興奮しなさんな、旦那さん。 -
<バルビゾン村(バスから)>
-
<静かな雰囲気が溢れる村の光景>
先ほどのシャイからバスに揺られてしばらく行くと、ミレーが愛したという「バルビゾン村」に到着したのである。
バスの中では、役場や.由緒あるレストランなどの説明がありましたが、良く分かりませんでした。
ここは、溢れるような緑の中に別荘地が並び、日本で言うと軽井沢といった感じでした。
バスから降りた道路は、フォンテーヌブローの森に続いているようであるが、ここから村の中心部に向かって散策となりました。
この散策路は、対面交通ができないような細い道路でしたが、やはり歩いて見学するのは、楽しいものです。
お陰様でミレーの館の前で記念撮影をすることができました。
でも、残念ながら、愛妻の顔が「ばっちり」写っていますので、公開するのは遠慮いたしました。
ここの見学が終わり、次はフォンテーヌブローの森に行くのかな?と思っていましたら、違いました。
バスは、森ではなく「城」に向かったのです。 -
<フォンテーヌブロー城、正面から右側>
-
<同じく左側>
フォンテーヌブロー城は、期待に違わない美しい城でした。
建物は、コの字になっており、通路を挟んだ両側の芝生が建物のピンク色っとコントラストをなして目映いばかり輝きを発していました。
それにしても、フランスの王様は、どうしてこうも豪華な建物(16世紀にフランソワ1世という王様がイタリアのルネッサンス様式の建築物に魅せられて建てた宮殿)が好きなのでしょうか?
見学のコースは、玄関から正面に向かって歩き、馬蹄形の階段を上がったところで、この城の全体を見渡した後に、建物の中を見学するという順になっています。
この宮殿は、ナポレオンも愛した王宮で、彼もここに住んで修復や改築を施したそうです。 -
<調度品が並ぶルイ13世の間>
-
<金色に輝いていた!>
-
<王妃の寝室>
-
<フランソワ1世の回廊>
宮殿は、フランソワ1世の回廊や、そこに描かれている絵画、ナポレオンの寝室などが有名ですが、あまりにも見るものが多く、「凄いな!」とため息が出るばかりで、見ているものが、どのような歴史を刻んでいるのかなどには思いが至りませんでした。 -
<城の池と東屋>
この写真の池は、宮殿の斜め後ろにありましたが、池の向こう側に見える東屋は、歴代の王が修復した有名なものだそうです。
「人間、だれでも緑と水辺が好きなんだ!」と一人納得したひとときでした。
ところで、この後、昼食となったのですが、場所が思い出せません。 -
<前菜>
-
<メインディッシュ>
しかし、不思議なことに写真を見ていますと、味だけは思い出すのですから、食い意地が張っていますよね。
前菜のトマトの味は、「まあまあ」でしたが、メインディッシュの豚肉は、色が良く柔らかそうなのですが、食感がスロバキアでいただいた「ウズラ」そっくりで、豚肉と言うより脂っ気のない鶏肉のようです。
「お客さん、ヨーロッパはこんなものよ。日本人は贅沢なんだよ!」と日本の豊かな食文化のありがたさに感謝しながら、一人、納得した小生でした。
食事後、パリ市内に戻り、シテ島に向かいました。 -
<シテ島見学に向かうところの光景>
-
<同上、コンシェルジュリー>
パリの真ん中に島がある?変ですよね。たぶん、セーヌ川の中州にできた土地ではないでしょうか?
私たちは、その島にあるノートルダム大聖堂や、断頭台の露と消えたマリー・アントワネットが入っていたというコンシェルジュリー(刑務所)、ステンドグラスがパリで最も古い(13世紀)というサント・シャペルなどを散策するのです。 -
<ノートルダム大聖堂>
-
<ノートルダム大聖堂>
このうち、ノートルダム大聖堂は、中世フランスの最高傑作といわれており、その大きさに圧倒されてしまいました。
ゴシック建築の大聖堂の見どころは、死者がキリストの裁きを受ける「最後の審判の門」、「聖人サンドニ」の彫刻、そして、精巧な技法と暖かみの色合いのステンドグラス「バラ窓」だそうです。
ところで、シテ島の見学の順は、「サント・シャペル」、「コンシェルジュリー」、「ノートルダム大聖堂」の順であったが、先に大聖堂を紹介してしまいました。 -
<サント・シャペルのステンドグラス>
まず、サント・シャペルですが、この教会は、1239年にルイ9世が「キリストの聖遺物(茨の冠)や、十字架のかけら、聖皿など多くのコレクションを収めるために建てたとされています。
その見どころは、2階の礼拝堂にある精巧で色鮮やかなステンドグラスです。
ステンドグラスには、聖書の世界が表現されていて、光の差し込みに輝きを増し、礼拝堂をさらに聖なる場所に変えてくれるそうです。 -
<礼拝堂の精巧なステンドグラス>
などといってますが、後から見学したステンドグラスは、天井が高く(15m)、明るい空間で皆さんが頭を上に向けて、熱心に見学していました。
-
<囚人の礼拝堂>
さて、続いてコンシェルジュリーですが、牢獄であるためか室内が暗く、あまり気乗りがしない建物ですが、14世紀にフィリップという王様が建てた王宮だと言うのですから驚きです。
その外観は、セーヌ川沿いに建っていて、先にご覧いただきました。
ボンベックの塔、銀の塔、シーザーの塔という尖り棒のような3つの塔が特徴です、
でも、この建物がフランス革命時には、牢獄として使われ、多くの貴族などがここで最後の時を過ごして処刑台に送られたという話です。
特に、マリー・アントワネットのことは、あまりにも有名です。 -
<コンシュエルジュリーの中庭>
中庭は、女性の囚人が散歩を許された唯一の庭だそうで、ここで散策や休憩を楽しんでいたそうです。
マリー・アントワネットは、1793年10月16日に38才の若さでこの広場から馬車に乗って処刑場のコンコルド広場に向かったそうです。
この後、ノートルダム大聖堂を見学して、この日の観光は終了となり、バスでホテルに戻りました。
しかし、この日の夕食は「お好きにどうぞ!」となっていたものですから、大変、勉強になりました。 -
<鉄のようなサンドイッチ>
その顛末をお話ししましょう!
二人ともパリの右も左も分からないので、ホテルの近くで見えたレストランで食事をすることにしたのですが、ここでパリのサンドイッチの恐ろしさを体験したのです。
地下鉄の駅近くにシャンゼリゼ通りのように店先に机と椅子を並べているレストランが2軒あったのですが、雰囲気が良い方に入りました。
客はまばらでしたが、マスターが笑顔で応対してくれ、ビールとソーセージ入りのサンドイッチを注文したのです。
ビールを飲みながら問題のサンドイッチを待っていますと、キュウリの酢漬けとともに出てきました。
何が問題なのか?写真をご覧ください。
堅い!堅い!フランスパンを縦長に割いて、マヨネーズかマーガリンを下地に塗って、その上に薄く堅いサラミが挟まっています。
いやー、驚きました。
その堅いこと、かぶりついて必死に歯で千切ろうとしますが、まさに歯が立ちません。
イギリスの元首相サッチャーさんのようです(鉄の女)。
ようやくの思いで、その半分をのどに押し込んで、雨も降ってきましたので、帰ろうとしましたが、、マスターが何か言っているのです。
どうやら、残りの半分を紙に包んで持って帰るか?と聞いているようで、その親切な行為に「ノー」が言えず、大きな紙袋を抱えて、どう処分するのか悩む始末でした。
ひとり1000円ぐらい払って捨て場所に悩むとは何事か!と思いますが、シャンゼリゼのような雰囲気を十分、堪能したのですから、良し!としましょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
パリから行く小さな旅
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ パリから行く小さな旅
0
26