2004/07/17 - 2004/07/24
4180位(同エリア17017件中)
mugifumiさん
- mugifumiさんTOP
- 旅行記81冊
- クチコミ16件
- Q&A回答5件
- 50,932アクセス
- フォロワー10人
2004年7月17日から24日まで「パリから行く小さな旅」というJTBのツアーに参加しましたが、この記事は、旅行5日目に訪問したヴェルサイユ宮殿とプチ・トリアノンの模様をお伝えします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
<宮殿の中から見ると「生きている絵」のような公園の風景>
ヴェルサイユ宮殿は、その敷地が1,700万㎡を超えているといいますが、どのぐらいの面積なのか実感がわきません。
日本の市で最も面積が小さい埼玉県の蕨市が500万㎡強だったと思いますので、その3倍ぐらい、真四角の土地とすれば、その一辺が4㎞強となる広大な面積です。
その大部分に建物が建っている?残念ながら、そんなことはなく、ほとんどが公園になっております。
その公園は、宮殿に最も近いところにフランス式庭園、続いて池があり、その先に、真ん中の大きな水路(運河)を挟むように森林があるという配置のようです。
これを宮殿の西側の窓から見ると、遠近感を伴った美しさが絵画のように目に焼き付いたのです。
それを小生は、「生きている絵」と呼びたいと思ったのです。 -
<私たちが宿泊したホテル>
さて、順番が逆になってしまいましたが、宮殿見学といえば、先に建物の外観を見学するのが普通ですね。
でも、小生は、私たちが宿泊したホテルから宮殿までを歩いた様子から説明したいと思います。
従って、最初の画像「生きている絵」は、宮殿の中に入ってからのものですから先の話になります。 -
<左方向がヴェルサイユ宮殿>
-
<笑顔が印象的な清掃をする人>
朝、ホテルから歩道に出ましたら、道路の反対側に「これが宮殿では?」と思えるような立派な建物が見ましたが、そこを見たくて宮殿とは反対の方向に歩き出しました。
そして、そこに懸命に道路の清掃をしている人に出会い、カメラを向けると、ご覧のような笑顔を見せてくれました。
-
<緑が溢れる宮殿前の歩道>
話が横道にそれてしまいました。
宮殿へは左方向に向かうのですが、その先には、輝くような薄緑の葉をつけた樹木が並んでおり、その先には交差する道路と横断歩道、そして、宮殿の大きな駐車場がありました。
ここまで来ると、宮殿の入口は目のの前ですが、小生がなぜこのような光景まで細かに記述したのかといいますと、ホテル辺りから宮殿だったのではないか?と思ったからです。
どうやら、それは勘違いのようです。
小生が勘違いする原因となった立派な建物が樹木の横にあったのですが、何だと思いますか?
なんと、この建物は「厩(うまや)」だそうです。 -
<ヴェルサイユ宮殿正面の門>
観光客は、このように厩に度肝を抜かれてから宮殿の入口に立つことになりますが、この門も、宮殿を建築したルイ14世の時代に作られたようで、金色に輝いていて「さすがは王宮だけあって門にもお金が掛かっているな!」と納得してしまいました。
それにしても、門の両側が鉄格子のようになっており、折角の景観を台無しにしてしまっていると感じたのは、小生だけでしょうか?
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世という王様が自分の権威をヨーロッパに示す象徴として建てたもので、17世紀後半に完成されたとされていますが、その前の王宮は、どこにあったのかご存じでしょうか?
答えは、現在のルーブル美術館です。
そのためでしょうね!小生は、ルーブル美術館を初めて訪ねたときに、その広さと壁や天井を覆う豪華さに圧倒されてしまいました。
-
<マリー・アントワネットの肖像画>
ところで、ここでクイズです。
オーストリアのハプスブルク家からきたマリー・アントワネットは、ルイ何世と結婚したのでしょうか?
答えは、ルイ16世です。
マリー・アントワネットは、贅沢三昧の生活で国家財政を逼迫させた悪女のようにいわれ、そのためフランス革命で処刑されたことは、あまりにも有名です。
このように、小生が彼女のことを申し上げている理由は、彼女が愛した「プチ・トリアノン」という離宮と農家住宅などの小集落が、ヴェルサイユ宮殿の敷地にあるからです。 -
<宮殿正面のルイ14聖像>
-
<宮殿の正面>
さて、宮殿の中ですが、ヴェルサイユ宮殿は、正面から見るとコの字形
になっており、観光客は右側の本館から2階にあがるようになっています。
-
<階段を上り始める>
宮殿の建物は、王と王妃の居住空間ですが、ブルボン王朝の栄華を示す部屋が次々と並んでおり、金箔の家具・寝具などの調度品が並ぶ部屋や、王や王女などの肖像画がおいてある部屋、さらには絢爛豪華な天井画などが所狭しと並んでおり、説明を聞いても、「すごい!」を連発するだけで、どんな部屋だったのかなどを、とても覚えきれるものではありません。 -
<天井などの絵画>
私たちが階段を上がり、まず見学する間は、「豊穣の間」、「マルスの間」、「アポロンの間」、‘センスの間」などですが、観光客が覚えるべきとされている部屋は、西側全体が一つの部屋になっている「鏡の間」だそうです。 -
<戦争の間、ローマ皇帝に扮したルイ14世>
さらに、建物の東側には、マリー・アントワネットも使用したという「王妃の間」や「控え間」などが並んでいます。
などといってますが、宮殿を訪れる前に「もっと勉強しておくべきだった。」と後悔している小生です。 -
<マルスの間>
-
<大きな絵画>
宮殿の見学が終了すると、自由行動となり、西側に広がっている広大な庭園を散策しました。 -
<建物の裏側の広大な庭園>
-
<これぞエスカルゴであるぞ!>
さて、散策が終了しますと、昼食となりました。
場所は、宮殿の正面から見て右側を走っている道路沿いにあるレストランです。
さあ!本日の昼食は「エスカルゴ」ということで期待が高まります。 -
<メインデッシュの鶏肉>
「どんなに美味しいのか!」と期待に胸を膨らませながら、いただいたのですが、残念でありました。
何が残念?
カタツムリの穴をほじくり、その肉をいただくのですが、形が小さく、真っ黒、肝心な味は日本のサザエに遠く及ばない貧弱なものでした。
カタツムリなんていただいたことがなかったので、抵抗があったから味の評価が低い? -
<マリー・アントワネットが愛した農家住宅>
食事の後は解散かな?と思ったのですが、バスでマリー・アントワネットゆかりの「プチ・トリアノン」に向かいました。
「プチ」というのは、日本で「プチトマト」というように「小さい」という意味であると思いますが、「トリアノン」は、この地の名前ということのようです。
ところで、マリー・アントワネットが愛したところは、プチ・トリアノンではなく、ここの近くに彼女がつくらせた「小住宅(農家住宅)」だったようです。
順番が逆になってしまいましたが、プチ・トリアノン見学後の庭園の散策の時に、遠方に見えた小住宅の話が先になってしまいました。 -
<グラン・トリアノンの鉄柵門>
ところで、トリアノンは二つありますが、プチ・トリアノン以外に「グラン・トリアノン」があります。
二つのトリアノンは、ヴェルサイユ宮殿の北西にありますが、私たちは、バスでトリアノンの駐車場まで行って、トリアノンを見学しました。
トリアノンに通じる道路を走っていますと、正面に鉄柵がある空間が見えてきましたが、これがグラン・トリアノンのようです。 -
<プチ・トリアノン>
私たちが見学するプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンの手前を右に曲がったところにありましたが、入口の両側には樹木が一直線に並んで植えられており、その突き当たりに建物がありました。
小生の感想としては、「トリアノンの周辺は、よく手入れが行き届いた緑の樹木が配置され、静寂の世界に包まれている!」というものです。
プチ・トリアノンは、ルイ15世が奥さん(ポーランドの王女)ではなく、愛妾(ポンパドゥール公爵夫人)のために建てたもので、ルイ16世がマリー・アントワネットのために建てたものではないそうです。
ということで、ここでちょっとしたクイズを差し上げます。
問1 ルイ16世は、ルイ15世の子供である?
答えは、「NO」のようです。(ポーランド王女が生んだ男子の子の子、つまり孫が正解)
問2 ルイ15世の子供は、なぜ即位しなかったのか?
答えは、ルイ15世が王位にある間に没してしまったようです。
-
<豪華ではなく質素なプチ・トリアノン>
-
<調度品の数々>
クイズという息抜きは、このぐらいにして、この建物は大きなものではなく、「端正で瀟洒なつくり」とされていますが、ヴェルサイユ宮殿の豪華な造りを先に見てからここに来ますと、洒落ているというより「静かな寂しさ」が伝わってきました。
ところで、建物の周りや部屋の様子が気になるところですが、例のガイドが訳知り顔に説明しており、人間が小さい小生は反発して説明を聞き逃してしまいました。
とはいいましても、調度品や肖像画などは、ご覧のように撮影していましたので一安心です。 -
<建物の裏側>
-
<同じく公園>
中の見学が終了しますと、建物周辺の公園や先ほど申し上げたマリー・アントワネットが愛したという農家住宅などを見ることができました。
以上がプチ・トリアノン見学の内容ですが、小生は、これで「本日の日程は、すべて終了しました。」となり、ホテルに戻るものとばかり思っていました。
ところが、バスはホテルに直行せずにJTBと提携している「免税店」に行くということでしたので「ああー、またか!」と思いました。
「またか!」の意味?ご想像ください。
しかし、行きたくない「免税店」が役にたったのですから面白いものです。 -
<免税店付近、道路の突き当たりの建物がオペラ座>
免税店に行く途中に「コンコルド広場」、「オルセー美術館」、「ルーブル美術館」などを見ることができたことから、その位置を実感として確認できたからです。
さらに、免税店がある通りの正面には、「オペラ座(免税店から歩いて10分ぐらい)」が見えており、もっと良いことには、オプショナルツアーの集合場所である「マイバス社」が目と鼻の先にあったことです。
また、この周辺には、日本人が経営していると思われる中華料理店、うどん・そば店などが集まっていました。
パリの街並みを散策するため免税店でバスを降りた方々もいましたが、私たちは、ホテルに帰ることにしました。
「ホテルは、ここから近いのではないか?」と考えていたのですが、これが大間違いでした。
しかし、これがまたまた幸いし、12年前のパリ見学の苦い失敗を思い出したのですから面白いものです。
どんな失敗か?
夜のパリを楽しもうと、歩いてホテルに向かったのですが、方向が分からなくなり、もう少しで二人の大きな迷い子になるところであった、というものです。
何が幸いしたのか?といいますと、バスが向かっている方向がセーヌ川沿いで、「エッヘェル塔」の姿や、12年前に宿泊したホテルの場所が確認できたことから、今回は、自由にパリを散策しても迷い子になる心配がなくなったからです。
私たちが今回、宿泊したホテルは、12年前に宿泊したホテルよりさらに郊外に行ったところにあり、ソフィテル・パリ・ド・セーブルという近代的な高いビルにあるホテルでした。 -
<パリの象徴エッフェル塔>
さて、この日は、添乗員のKさんがオプショナルツアーに参加する方々を「マイバス社」まで案内することになっていましたので、私たちもこれに便乗して、地下鉄の位置(乗車駅名バラード)や、乗り方、さらに、「オペラ駅」からマイバス社までの歩き方を実際に経験することができました。
パリの地下鉄は、日本のの地下鉄より分かりやすくなっていました。
パリも東京のように多くの地下鉄が走っていますが、「銀座線」のような名前ではなく、「7」、「8」、「C」というように数字や記号を使っていて、上下線の区分も終点の駅の頭文字(バラードならB)となっており、これを覚えておけば、「8番のB方面のホームに降りる。」のように自分が行きたい駅に向かうことができるのです。
ところで、今日の夕食は、「ご自由にどうぞ」となっていたものですから、オペラ座通りの横道にある中華料理店でいただくことにしました。
店の名前は忘れてしまいましたが、久しぶりに味わう日本食(経営者が日本人)に期待が高まりました。
二人が頼んだメニューは、愛妻が「五目ラーメン」、小生が「醤油ラーメン」でした。
そして、二人で「餃子」を一皿注文したのですが、残念ながら撮影するのを忘れてしまいました。
問題は味です。お汁は、日本のものと変わらないのですが、麺が違いすぎました。
見た目は良いのですが、味は、なんと表現したら良いのか「水分が足りない粉の麺?」、「腰がないうどん?」のような感じで適当な言葉が見つかりません。
「餃子」の方は、日本のものと同じようでした。
それでも、十分満足しながら久しぶりに味を堪能した二人でした。
その後、オペラ通りなどを散策しながら「オペラ駅」や、駅近くの日本のデパートが入っているビルの位置を確かめるなど、パリの雰囲気を十分楽しむことができました。
そして、乗り方を覚えたばかりの地下鉄でホテルに帰ったのです。
<この続きは、翌日の7月22日、パリ自由散策で訪れたオルセー美術館やディナークルーズなどの様子を「パリから行く小さな旅4」とし公開したいと思います。
よろしかったら、是非、ご覧ください。>
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
パリ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ パリから行く小さな旅
0
26