鎌倉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 今日は9月13日で、源頼朝の月命日であるというので、10人近くで源頼朝墓の草刈りなどの清掃が行われている。勿論、清掃者たちは源頼朝墓は島津のお殿さまが江戸時代に建てたことは知っているが、墓前祭については何も知らない。今年の源頼朝公墓前祭は新型コロナウィルス感染症拡大防止のために、鶴岡八幡宮の宮司たちと島津家当主が参加してつつましやかに行われたという。しかし、墓前祭が徳川宗家(将軍家)から何故島津家に移った(https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/14136649)かを知らないと、何故、如何なる困難があっても墓前祭を行い、島津家当主が参加しなければならないのかは理解できないことである。旧家のご当主はご先祖さまの業績を蔑ろにすることは許されないものなのだ。<br /> 源頼朝墓の下の平地には白旗神社が鎮座している。宝治合戦(宝治元年(1247年))で三浦一族が頼朝法華堂で自害して滅び、その後は今の白旗神社(https://4travel.jp/travelogue/10480866)の建つ場所に建てられたという。明治維新に白旗神社となった。現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。しかし、社紋は足利氏家紋の「丸に二つ引」であり、源氏家紋の笹リンドウではない。鎌倉には足利氏に関係する寺院は何寺かあるが、神社はここ白旗神社だけであろう。昇進を祈願するのであれば笹リンドウがある鶴岡八幡宮境内にある白旗神社(https://4travel.jp/travelogue/11645718)の方が良さそうな…。しかし、そこにも足利氏家紋の「丸に二つ引」が…。<br />(表紙写真は源頼朝墓)

白旗神社と源頼朝墓-2020年初秋

0いいね!

2020/09/13 - 2020/09/13

6858位(同エリア7090件中)

0

12

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 今日は9月13日で、源頼朝の月命日であるというので、10人近くで源頼朝墓の草刈りなどの清掃が行われている。勿論、清掃者たちは源頼朝墓は島津のお殿さまが江戸時代に建てたことは知っているが、墓前祭については何も知らない。今年の源頼朝公墓前祭は新型コロナウィルス感染症拡大防止のために、鶴岡八幡宮の宮司たちと島津家当主が参加してつつましやかに行われたという。しかし、墓前祭が徳川宗家(将軍家)から何故島津家に移った(https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/14136649)かを知らないと、何故、如何なる困難があっても墓前祭を行い、島津家当主が参加しなければならないのかは理解できないことである。旧家のご当主はご先祖さまの業績を蔑ろにすることは許されないものなのだ。
 源頼朝墓の下の平地には白旗神社が鎮座している。宝治合戦(宝治元年(1247年))で三浦一族が頼朝法華堂で自害して滅び、その後は今の白旗神社(https://4travel.jp/travelogue/10480866)の建つ場所に建てられたという。明治維新に白旗神社となった。現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。しかし、社紋は足利氏家紋の「丸に二つ引」であり、源氏家紋の笹リンドウではない。鎌倉には足利氏に関係する寺院は何寺かあるが、神社はここ白旗神社だけであろう。昇進を祈願するのであれば笹リンドウがある鶴岡八幡宮境内にある白旗神社(https://4travel.jp/travelogue/11645718)の方が良さそうな…。しかし、そこにも足利氏家紋の「丸に二つ引」が…。
(表紙写真は源頼朝墓)

PR

  • 「法華堂跡」。

    「法華堂跡」。

  • 「白旗神社 由緒記」。

    「白旗神社 由緒記」。

  • 白旗神社。

    白旗神社。

  • 「源頼朝の墓」。

    「源頼朝の墓」。

  • 石段踊り場の笹リンドウの源氏家紋。

    石段踊り場の笹リンドウの源氏家紋。

  • 源頼朝墓石段脇の石垣。少し狂いがあるのは昭和30年代のものであるからだろう。

    源頼朝墓石段脇の石垣。少し狂いがあるのは昭和30年代のものであるからだろう。

  • 源頼朝墓。

    源頼朝墓。

  • 花立てには笹リンドウ。市の管理を示しているようだ。

    花立てには笹リンドウ。市の管理を示しているようだ。

  • 「希義公の土と石」。<br />平治の乱(1159年)で頼朝の同母弟の希義が平家方に捕縛されて亡くなった。兄弟の再開はなく、平成になってお互いの墓所の土と石を交換し、835年の時を経て再開が実現した。

    「希義公の土と石」。
    平治の乱(1159年)で頼朝の同母弟の希義が平家方に捕縛されて亡くなった。兄弟の再開はなく、平成になってお互いの墓所の土と石を交換し、835年の時を経て再開が実現した。

  • 「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」。

    「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」。

  • 「国指定史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」。

    「国指定史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」。

  • 「元祖島津豊後守忠久石塔道」、「薩摩中将源重豪建」。

    「元祖島津豊後守忠久石塔道」、「薩摩中将源重豪建」。

この旅行記のタグ

関連タグ

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP