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法華堂跡(源頼朝の墓 北条義時の墓) 施設情報・クチコミに戻る

源頼朝公墓前祭の祭祀権は篤姫が輿入れした後に島津家に移った

  • 3.0
  • 旅行時期:2020/09(約4年前)
ドクターキムルさん

by ドクターキムルさん(男性)

鎌倉 クチコミ:61件

 鎌倉市西御門の白旗神社前の石段を上ると源頼朝の墓がある。
 この多層塔(供養塔)は、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪(しまづ しげひで)が勝長壽院跡にあった多層塔(供養塔)を運んできて建てたものである。
 この時の将軍は第10代徳川家治である。第11代将軍は徳川家斉(御三卿一橋家の第2代当主徳川治済の長男)である。

 重豪は頼朝公のお墓を建てさせていただいたお礼に娘を第11代将軍徳川家斉の御台所として差し出した。

 その後、薩摩藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)は本家には良い娘がいなかったので
 分家の一(かず)を本家の養女として安政3年(1856年)11月に第13代将軍徳川家定(とくがわ いえさだ)の御台所として嫁がせた。その人が篤姫、後の天璋院である。

 家定の将軍在位は嘉永6年(1853年)~安政5年(1858年)であるが、この間に頼朝公墓前祭の祭祀権が徳川宗家(将軍家)から島津家に移された。

 若尾登美子の小説では篤姫は一橋慶喜を次期将軍(第14代)にすることが斉彬からの命として描かれているが、密命は頼朝公墓前祭の祭祀権を手に入れることであった。

 それに成功して、今では源頼朝公墓前祭から鎌倉まつりに発展している。篤姫は隠れた鎌倉への貢献者である。(https://4travel.jp/travelogue/11595621)

施設の満足度

3.0

アクセス:
2.0
人混みの少なさ:
2.0
見ごたえ:
2.0

クチコミ投稿日:2020/09/06

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