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日本CAN-AM    富士スピードウェイ  1969.11.23(昭和44年)<br />写真上 No.8 優勝  川合 稔  トヨタ7  <br />写真下 No.45 2位 J.キャノン  フォードG7A  (右)<br />            No.11 3位 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12(左)<br />            No.10 13位  C.パーソンズ シモナイズSPローラT163(中)<br />───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />  ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br /> ───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.17 富士スピードウェイ その3<br />Fuji speedway part 3<br /> <br />ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース大会(JAF) <br />略称「日本CAN-AM」   1969.5.3<br /><br />CAN-AMとは、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Canadian-American Challenge Cup)、通称カンナム(Can-Am)は、かつてカナダとアメリカで行われていたスポーツレーシングカーによるプロフェッショナルドライバーズ選手権の年間シリーズである。<br /><br />■自動車レース写真の卒業<br />1966年3月に始めた自動車レース写真は約3年半続いたが、自動車メーカーが排気ガス対策に資源を集中するために第6回日本グランプリの翌1970年の日本グランプリが取り止めとなり、レース通いも1969年いっぱいで終えることにした。<br />今回は10月10日の第6回日本グランプリの1ヶ月半後のCAN-AMカーレースの写真をまとめたもので、レース写真の卒業アルバムのようなものだ。<br /><br />写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。<br />写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。<br />したがって同じ番号の車が何度も登場する。<br /><br />■ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース大会(JAF) 略称「日本CAN-AM」<br />http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1595<br />総合順位  ゼッケン  ドライバー 車名 周回数 タイム<br />1      8    川合 稔  トヨタ7  75  1:41:57.90 <br />2     45    J.キャノン  フォードG7A  75  1:42:10.43   <br />3     11    L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12  74  1:43:42.26 <br />4     19    G.ウィルソン  ローラT163  71  1:41:59.32   <br />5     17    永松 邦臣  ポルシェ908  71  1:42:19.95   <br />6     24    浅岡 重輝  いすゞR7  63  1:43:28.15   <br />7     12    大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12  57  1:43:29.10   <br />8     9    T.ディーン  ポルシェ908  69     <br />9     22    J.オリヴァー オートコーストTi22  47     <br />10    55    R.マッケイグ マクラーレンM6B  47     <br />11     6    久木留 博之  トヨタ7   46     <br />12    14    酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12   37     <br />13    10    C.パーソンズ シモナイズSPローラT163  35    <br />14     7    細谷 四方洋  トヨタ7   35     <br />15     5    鮒子田 寛  マクラーレントヨタ  21     <br />16    31   P.レヴソン  ロビンスジェフリーズローラT163  18     <br />17    99    J.コルツ  マクラーレンM6B  16    <br />レース距離322.5km<br /><br />■マイ・ワンダフル・サーキット|鈴鹿から世界へ<br />https://f1-stinger2.com/special/mwc/chapter02/talk63/<br />――1966年に日本グランプリが鈴鹿から富士移った頃、私はレースに興味を持ち始めて、『オートスポーツ』や『カーグラフィック』などの専門誌を買うようになりました。その記事展開も、『年に一度の日本グランプリが中心』という大前提の扱いでした。さらに、インパクトが大きかったのは、1968年と1969年に行なわれた『日本カンナム』でしたが、本場カンナム(以下、CAN-AM)のオープン2座席か、もしくは、ル・マン24時間を中心とするスポーツカー耐久選手権用のクローズドボディか。いずれにても、F1ではなくスポーツカーでした。<br /><br />■トヨタ・7がついに勝利!激戦の「日本Can-Am(1969年編)」~富士スピードウェイ50年の歴史~<br />https://motorz.jp/race/26367/<br />順位 ドライバー マシン 周回 <br />優勝 川合 稔 トヨタ7 75 <br />2位 J.キャノン フォードG7A 75 <br />3位 L.モッチェンバッハ マクラーレンM12 75<br /><br />■日本CAN-AM(JAPAN CAN-AM)<br />http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/JapanCanAm.html<br /><br />■富士スピードウェイの思い出(前編)<br />https://gazoo.com/article/car_history/150724_2.html<br />自動車の歴史 第1話ー第121話までのタイトルが紹介され内容(本文)にリンクしています。とても貴重な資料です。<br /><br />撮影・編集 <br />CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5<br />フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200<br />FL200mmは1966年5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円<br />https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html<br /><br />しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。<br /><br />掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約3000×2100です。画像データの提供は可能です。<br /><br />編集後記<br />シリーズ昭和の記録第10回から8回の自動車レース写真のまとめはこれで終わります。<br />自動車会社の研究所出身の写真愛好者としては、東京モーターショーと合わせて後世への遺品の引継ぎができてほっとしています。<br /><br />第8回 東京モーターショー その1<br />https://4travel.jp/travelogue/11638720<br />第9回 東京モーターショー その2<br />https://4travel.jp/travelogue/11638925<br />第10回 第3回日本グランプリ<br />https://4travel.jp/travelogue/11640590<br />第11回 第4回日本グランプリ<br />https://4travel.jp/travelogue/11640967<br />第12回 第5回日本グランプリ<br />https://4travel.jp/travelogue/11641485<br />第13回 第6回日本グランプリ<br />https://4travel.jp/travelogue/11641993<br />第14回 船橋サーキット<br />https://4travel.jp/travelogue/11643050<br />第15回 富士スピードウェイ その1<br />https://4travel.jp/travelogue/11643202<br />第16回 富士スピードウェイ その2<br />https://4travel.jp/travelogue/11643745<br />第17回 富士スピードウェイ その3<br />https://4travel.jp/travelogue/11643902<br /><br />─────────────────────────── <br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br />素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)<br />https://4travel.jp/travelogue/10484193<br /><br />参考サイト:本田宗一郎の名言<br />http://iyashitour.com/meigen/greatman/honda_soichiro<br />http://matome.naver.jp/odai/2137593692357634801<br />http://earth-words.org/archives/570<br />https://twitter.com/hondabot001<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />yamada423<br /><br />投稿 2020.9.16   10:00<br />

シリーズ昭和の記録No.17 富士スピードウェイ その3 Fuji speedway part 3

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1969/11/23 - 1969/11/23

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yamada423

yamada423さん

日本CAN-AM 富士スピードウェイ  1969.11.23(昭和44年)
写真上 No.8 優勝  川合 稔  トヨタ7
写真下 No.45 2位 J.キャノン  フォードG7A (右)
No.11 3位 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12(左)
No.10 13位  C.パーソンズ シモナイズSPローラT163(中)
───────────────────────────
はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
  ───────────────────────────
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
 ───────────────────────────
シリーズ昭和の記録No.17 富士スピードウェイ その3
Fuji speedway part 3
 
ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース大会(JAF) 
略称「日本CAN-AM」   1969.5.3

CAN-AMとは、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Canadian-American Challenge Cup)、通称カンナム(Can-Am)は、かつてカナダとアメリカで行われていたスポーツレーシングカーによるプロフェッショナルドライバーズ選手権の年間シリーズである。

■自動車レース写真の卒業
1966年3月に始めた自動車レース写真は約3年半続いたが、自動車メーカーが排気ガス対策に資源を集中するために第6回日本グランプリの翌1970年の日本グランプリが取り止めとなり、レース通いも1969年いっぱいで終えることにした。
今回は10月10日の第6回日本グランプリの1ヶ月半後のCAN-AMカーレースの写真をまとめたもので、レース写真の卒業アルバムのようなものだ。

写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。
写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。
したがって同じ番号の車が何度も登場する。

■ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース大会(JAF) 略称「日本CAN-AM」
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1595
総合順位  ゼッケン  ドライバー 車名 周回数 タイム
1   8   川合 稔  トヨタ7 75 1:41:57.90
2   45   J.キャノン  フォードG7A 75 1:42:10.43
3   11   L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12 74 1:43:42.26
4   19   G.ウィルソン  ローラT163 71 1:41:59.32
5   17   永松 邦臣  ポルシェ908 71 1:42:19.95
6   24   浅岡 重輝  いすゞR7 63 1:43:28.15
7   12   大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12 57 1:43:29.10
8    9   T.ディーン  ポルシェ908 69
9   22   J.オリヴァー オートコーストTi22 47
10   55   R.マッケイグ マクラーレンM6B 47
11   6   久木留 博之  トヨタ7   46
12   14   酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12  37
13   10   C.パーソンズ シモナイズSPローラT163 35
14   7   細谷 四方洋  トヨタ7   35
15   5   鮒子田 寛  マクラーレントヨタ 21
16   31  P.レヴソン  ロビンスジェフリーズローラT163 18
17   99   J.コルツ  マクラーレンM6B 16
レース距離322.5km

■マイ・ワンダフル・サーキット|鈴鹿から世界へ
https://f1-stinger2.com/special/mwc/chapter02/talk63/
――1966年に日本グランプリが鈴鹿から富士移った頃、私はレースに興味を持ち始めて、『オートスポーツ』や『カーグラフィック』などの専門誌を買うようになりました。その記事展開も、『年に一度の日本グランプリが中心』という大前提の扱いでした。さらに、インパクトが大きかったのは、1968年と1969年に行なわれた『日本カンナム』でしたが、本場カンナム(以下、CAN-AM)のオープン2座席か、もしくは、ル・マン24時間を中心とするスポーツカー耐久選手権用のクローズドボディか。いずれにても、F1ではなくスポーツカーでした。

■トヨタ・7がついに勝利!激戦の「日本Can-Am(1969年編)」~富士スピードウェイ50年の歴史~
https://motorz.jp/race/26367/
順位 ドライバー マシン 周回
優勝 川合 稔 トヨタ7 75
2位 J.キャノン フォードG7A 75
3位 L.モッチェンバッハ マクラーレンM12 75

■日本CAN-AM(JAPAN CAN-AM)
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/JapanCanAm.html

■富士スピードウェイの思い出(前編)
https://gazoo.com/article/car_history/150724_2.html
自動車の歴史 第1話ー第121話までのタイトルが紹介され内容(本文)にリンクしています。とても貴重な資料です。

撮影・編集 
CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5
フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200
FL200mmは1966年5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円
https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html

しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。

掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約3000×2100です。画像データの提供は可能です。

編集後記
シリーズ昭和の記録第10回から8回の自動車レース写真のまとめはこれで終わります。
自動車会社の研究所出身の写真愛好者としては、東京モーターショーと合わせて後世への遺品の引継ぎができてほっとしています。

第8回 東京モーターショー その1
https://4travel.jp/travelogue/11638720
第9回 東京モーターショー その2
https://4travel.jp/travelogue/11638925
第10回 第3回日本グランプリ
https://4travel.jp/travelogue/11640590
第11回 第4回日本グランプリ
https://4travel.jp/travelogue/11640967
第12回 第5回日本グランプリ
https://4travel.jp/travelogue/11641485
第13回 第6回日本グランプリ
https://4travel.jp/travelogue/11641993
第14回 船橋サーキット
https://4travel.jp/travelogue/11643050
第15回 富士スピードウェイ その1
https://4travel.jp/travelogue/11643202
第16回 富士スピードウェイ その2
https://4travel.jp/travelogue/11643745
第17回 富士スピードウェイ その3
https://4travel.jp/travelogue/11643902

─────────────────────────── 
編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193

参考サイト:本田宗一郎の名言
http://iyashitour.com/meigen/greatman/honda_soichiro
http://matome.naver.jp/odai/2137593692357634801
http://earth-words.org/archives/570
https://twitter.com/hondabot001

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

yamada423

投稿 2020.9.16   10:00

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 1969年11月23日   富士スピードウェイ<br /><br />日本CAN-AM 決勝   表紙写真(下)<br /><br />No.45 2位 J.キャノン  フォードG7A  (右)<br /><br />No.11 3位 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12(左)<br /><br />No.10 13位  C.パーソンズ シモナイズSPローラT163(中)<br /><br />車の接触とドライバーのコロナ感染予防のため、行間を1行空けます。

    1969年11月23日   富士スピードウェイ

    日本CAN-AM 決勝   表紙写真(下)

    No.45 2位 J.キャノン  フォードG7A (右)

    No.11 3位 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12(左)

    No.10 13位  C.パーソンズ シモナイズSPローラT163(中)

    車の接触とドライバーのコロナ感染予防のため、行間を1行空けます。

  • No.6 久木留 博之  トヨタ7

    No.6 久木留 博之  トヨタ7

  • ピントが合わなかったり、スピードが速くてボケてしまい、車体番号がわからない画像が多数ありますが、それだけ速いことを感じ取れたらよいと思います。

    ピントが合わなかったり、スピードが速くてボケてしまい、車体番号がわからない画像が多数ありますが、それだけ速いことを感じ取れたらよいと思います。

  • No.6 久木留 博之  トヨタ7<br /><br />No.55  R.マッケイグ マクラーレンM6B

    No.6 久木留 博之  トヨタ7

    No.55  R.マッケイグ マクラーレンM6B

  • No.45  J.キャノン  フォードG7A

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

  • No.8 川合 稔  トヨタ7<br /><br />No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.14 酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12<br /><br />No.19 G.ウィルソン  ローラT163

    No.14 酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12

    No.19 G.ウィルソン  ローラT163

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.19 G.ウィルソン  ローラT163

    No.19 G.ウィルソン  ローラT163

  • No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

    No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

  • No.24 浅岡 重輝  いすゞR7

    No.24 浅岡 重輝  いすゞR7

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22 

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22 

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.14 酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12

    No.14 酒井 正  キーストンプレイトSPマクラーレンM12

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7  

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7  

  • No.17 永松 邦臣  ポルシェ908

    No.17 永松 邦臣  ポルシェ908

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • トヨタ7のタイヤ交換作業中

    トヨタ7のタイヤ交換作業中

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

    No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

  • No.19 G.ウィルソン  ローラT163<br /><br />No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

    No.19 G.ウィルソン  ローラT163

    No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

  • No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

    No.22  J.オリヴァー オートコーストTi22

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

    No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

  • No.19 G.ウィルソン  ローラT163

    No.19 G.ウィルソン  ローラT163

  • No.55  R.マッケイグ マクラーレンM6B

    No.55  R.マッケイグ マクラーレンM6B

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.17 永松 邦臣  ポルシェ908

    No.17 永松 邦臣  ポルシェ908

  • No.24 浅岡 重輝  いすゞR7

    No.24 浅岡 重輝  いすゞR7

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

  • No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

    No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A  <br /><br />No.9 T.ディーン  ポルシェ908<br /><br />No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.9 T.ディーン  ポルシェ908

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.8 川合 稔  トヨタ7 

    No.8 川合 稔  トヨタ7 

  • No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

    No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A  <br /><br />No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

    No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A  <br /><br />No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.19 G.ウィルソン  ローラT163

    No.19 G.ウィルソン  ローラT163

  • No.8 川合 稔  トヨタ7

    No.8 川合 稔  トヨタ7

  • No.45 J.キャノン  フォードG7A

    No.45 J.キャノン  フォードG7A

  • No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

    No.7  細谷 四方洋  トヨタ7

  • No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

    No.12 大石 秀夫  デッキプレイトSPマクラーレンM12

  • No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

    No.11 L.モッチェンバッハー  マクラーレンM12

  • 撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4<br /><br />ボディ本体重量750g<br />価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

    撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4

    ボディ本体重量750g
    価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

  • レースの撮影に使用した望遠レンズ<br /><br />CANON FL 200mm F3.5<br />口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。<br />価格 1966年5月発売時 29,500円

    レースの撮影に使用した望遠レンズ

    CANON FL 200mm F3.5
    口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。
    価格 1966年5月発売時 29,500円

  • ネガフィルムの電子データ化に使用したスキャナーGT-F740<br /><br />製品仕様<br />https://www.epson.jp/products/scanner/gtf740/spec.htm<br /><br />仕様/タイプ	A4フラットベッド<br /><br />光学解像度(注1)<br />4,800dpi <br /><br />読み取り解像度(注2)<br />50~6,400dpi(1dpi刻み)、9,600dpi、12,800dpi(注3) <br /><br />最大原稿サイズ<br />A4、USレターサイズ <br /><br />最大有効領域<br />216×297mm(8.5×11.7インチ) <br /><br />読み取り速度<br />(速度優先モード時の理論値)<br />(転送時間含まず)<br />[エプソン自社基準測定値<br />(使用環境・方法により異なります)]<br /><br />モノクロ<br />2.9msec/line(600dpi)<br />21.8msec/line(4,800dpi) <br /><br />カラー<br />3.6msec/line(600dpi)<br />21.8msec/line(4,800dpi) <br />

    ネガフィルムの電子データ化に使用したスキャナーGT-F740

    製品仕様
    https://www.epson.jp/products/scanner/gtf740/spec.htm

    仕様/タイプ A4フラットベッド

    光学解像度(注1)
    4,800dpi

    読み取り解像度(注2)
    50~6,400dpi(1dpi刻み)、9,600dpi、12,800dpi(注3)

    最大原稿サイズ
    A4、USレターサイズ

    最大有効領域
    216×297mm(8.5×11.7インチ)

    読み取り速度
    (速度優先モード時の理論値)
    (転送時間含まず)
    [エプソン自社基準測定値
    (使用環境・方法により異なります)]

    モノクロ
    2.9msec/line(600dpi)
    21.8msec/line(4,800dpi)

    カラー
    3.6msec/line(600dpi)
    21.8msec/line(4,800dpi)

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