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船橋サーキット コントロールタワー 1967.4.2(昭和42年)<br /><br />───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />  ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br /> ───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.14 船橋サーキット クラブマン・レース <br />1967.4.2(昭和42年)<br /><br />■自動車レース写真の始め<br />1966年3月に「第4回クラブマンレース富士大会」が年初にオープンしたばかりの富士スピードウェイで開催されることをCARグラで知り、買ったばかりのCANON FTを持って初めての自動車レースを見に行った。<br />このレースはツーリングカーレースで、市販の車をベースにチューンアップ(性能向上)を施した車のよるものだ。<br />レースは見ると同時に迫力あるレースの撮影に興味が湧き、次第に撮影に力を入れるようになった。<br />1966年には5月3日の第3回日本グランプリ、10月9日にインディカーレースをいずれも富士スピードウェイへ見に行った。<br />今回はレース観戦を始めて1年あまり経った1967年4月2日に船橋サーキットで開かれたクラブマン(自動車レースクラブ)のツーリングカーレースの記録をまとめた。<br />データなどは残っていないが、ツーリングカー(市販車の限定改造車)によるレースであり、街で見かける馴染みのある車が競い合う光景はそれなりに面白かった。<br />出場した車種は多彩で、日産フェアレディ、日産ブルーバード、トヨペット・コロナ、トヨタ・パブリカ、トヨタS800、(いすゞ)ベレット1600GT、(日野)コンテッサ、ホンダS800、ロータス・エランなど。その他不明も。<br /><br />撮影結果はフィルムを現像しないと分からないので、デジカメのようにモニターで確認してすぐに撮影条件を見直す(改善)することはできなかった。<br /><br />写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。<br />写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。<br />したがって同じ番号の車が何度も登場する。<br /><br />■船橋サーキット関連サイト<br />1. 日本のサーキットの変遷その3「船橋サーキット」<br />https://car.watch.impress.co.jp/docs/series/oku_race/1263367.html<br />https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/1263/367/html/013_o.jpg.html<br /><br />2. 船橋サーキット 概要 <br />1960年代半ば、船橋ヘルスセンターを経営していた朝日土地興業株式会社が目新しいレジャー施設を模索していたが、事実上の運営者であった丹澤章浩[1]にマキノ正美らが敷地内へサーキットを建設する案を持ちかけ、ほぼ同時期に計画されていた伊豆韮山サーキット[2]建設調査のため来日していた元F1ドライバーのピエロ・タルッフィに設計を依頼したところ快諾。資本金2億円で株式会社船橋サーキットが設立され建設を開始し、多摩川スピードウェイ、鈴鹿サーキットに次ぐ日本で3場目のサーキットとして1965年7月1日に開設された。Wikipedia<br /><br />3. コースは海岸に面した幅員12-13mの特殊アスファルト舗装で、全長は3100m、ンョート・コースは2400および1800mだった。スタート台数は20台、ビットも20台分あり、最低10Rを含む小カーブの連続で、直線の終わりにある20Rのソックス・カーブは難所で有名だった。<br />出典:http://toyota-motorsports-club.jp/archive/index-page_id=274.html<br /><br />撮影・編集 <br />CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5<br />フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200<br />FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円<br />https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html<br /><br />しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。<br /><br />掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約2800×2000です。<br />───────────────────────────  <br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br />素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)<br />https://4travel.jp/travelogue/10484193<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />yamada423<br /><br />投稿2020.9.4  10:00

シリーズ昭和の記録No.14 船橋サーキット クラブマン・レース Clubman race / Funabashi circuit 1967

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1967/04/02 - 1967/04/02

14527位(同エリア29576件中)

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yamada423

yamada423さん

船橋サーキット コントロールタワー 1967.4.2(昭和42年)

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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
  ───────────────────────────
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.14 船橋サーキット クラブマン・レース 
1967.4.2(昭和42年)

■自動車レース写真の始め
1966年3月に「第4回クラブマンレース富士大会」が年初にオープンしたばかりの富士スピードウェイで開催されることをCARグラで知り、買ったばかりのCANON FTを持って初めての自動車レースを見に行った。
このレースはツーリングカーレースで、市販の車をベースにチューンアップ(性能向上)を施した車のよるものだ。
レースは見ると同時に迫力あるレースの撮影に興味が湧き、次第に撮影に力を入れるようになった。
1966年には5月3日の第3回日本グランプリ、10月9日にインディカーレースをいずれも富士スピードウェイへ見に行った。
今回はレース観戦を始めて1年あまり経った1967年4月2日に船橋サーキットで開かれたクラブマン(自動車レースクラブ)のツーリングカーレースの記録をまとめた。
データなどは残っていないが、ツーリングカー(市販車の限定改造車)によるレースであり、街で見かける馴染みのある車が競い合う光景はそれなりに面白かった。
出場した車種は多彩で、日産フェアレディ、日産ブルーバード、トヨペット・コロナ、トヨタ・パブリカ、トヨタS800、(いすゞ)ベレット1600GT、(日野)コンテッサ、ホンダS800、ロータス・エランなど。その他不明も。

撮影結果はフィルムを現像しないと分からないので、デジカメのようにモニターで確認してすぐに撮影条件を見直す(改善)することはできなかった。

写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。
写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。
したがって同じ番号の車が何度も登場する。

■船橋サーキット関連サイト
1. 日本のサーキットの変遷その3「船橋サーキット」
https://car.watch.impress.co.jp/docs/series/oku_race/1263367.html
https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/1263/367/html/013_o.jpg.html

2. 船橋サーキット 概要 
1960年代半ば、船橋ヘルスセンターを経営していた朝日土地興業株式会社が目新しいレジャー施設を模索していたが、事実上の運営者であった丹澤章浩[1]にマキノ正美らが敷地内へサーキットを建設する案を持ちかけ、ほぼ同時期に計画されていた伊豆韮山サーキット[2]建設調査のため来日していた元F1ドライバーのピエロ・タルッフィに設計を依頼したところ快諾。資本金2億円で株式会社船橋サーキットが設立され建設を開始し、多摩川スピードウェイ、鈴鹿サーキットに次ぐ日本で3場目のサーキットとして1965年7月1日に開設された。Wikipedia

3. コースは海岸に面した幅員12-13mの特殊アスファルト舗装で、全長は3100m、ンョート・コースは2400および1800mだった。スタート台数は20台、ビットも20台分あり、最低10Rを含む小カーブの連続で、直線の終わりにある20Rのソックス・カーブは難所で有名だった。
出典:http://toyota-motorsports-club.jp/archive/index-page_id=274.html

撮影・編集 
CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5
フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200
FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円
https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html

しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。

掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約2800×2000です。
───────────────────────────  
編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

yamada423

投稿2020.9.4  10:00

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 1967年4月2日(日)船橋サーキット<br /><br />第3回クラブマン・レース<br />ツーリングカーレース<br /><br />No.17 日産フェアレディ<br /><br />

    1967年4月2日(日)船橋サーキット

    第3回クラブマン・レース
    ツーリングカーレース

    No.17 日産フェアレディ

  • No.12 ロータス・エラン

    No.12 ロータス・エラン

  • ロータス・エラン

    ロータス・エラン

  • No.12 ロータス・エラン

    No.12 ロータス・エラン

  • No.10 日産フェアレディ

    No.10 日産フェアレディ

  • No.9 日産フェアレディ

    No.9 日産フェアレディ

  • No.8 日産フェアレディ

    No.8 日産フェアレディ

  • No.12 ロータス・エラン

    No.12 ロータス・エラン

  • No.17 日産フェアレディ

    No.17 日産フェアレディ

  • No.18 日産フェアレディ<br />

    No.18 日産フェアレディ

  • セスナ<br /><br />船橋サーキットに隣接する船橋飛行場は小型機やヘリコプターの遊覧飛行を中心に運用されていた。

    セスナ

    船橋サーキットに隣接する船橋飛行場は小型機やヘリコプターの遊覧飛行を中心に運用されていた。

  • No.6 トヨタS800

    No.6 トヨタS800

  • No.9 コンテッサ

    No.9 コンテッサ

  • No.7 ホンダS600(S800?)

    No.7 ホンダS600(S800?)

  • No.5 ホンダS800(S600)

    No.5 ホンダS800(S600)

  • No.10 パブリカ

    No.10 パブリカ

  • No.2  ブルーバード

    No.2 ブルーバード

  • No.7 ホンダS600(800?)

    No.7 ホンダS600(800?)

  • トヨペット・コロナ

    トヨペット・コロナ

  • ブルーバードとコロナの接戦<br /><br />この時代は市販車の販売でも接戦であった。

    ブルーバードとコロナの接戦

    この時代は市販車の販売でも接戦であった。

  • ブルーバード<br /><br />白い点はフィルムにできたシミ(黒点)でボタン雪ではありません。

    ブルーバード

    白い点はフィルムにできたシミ(黒点)でボタン雪ではありません。

  • 船橋サーキットのコントロールタワー   表紙写真

    船橋サーキットのコントロールタワー   表紙写真

  • No.9 ブルーバード

    No.9 ブルーバード

  • チェッカードフラッグを掲げたオフィシャルカー<br /><br />トラブル発生時に各車を先導し、解除されるまで追い越し禁止となる。

    チェッカードフラッグを掲げたオフィシャルカー

    トラブル発生時に各車を先導し、解除されるまで追い越し禁止となる。

  • トラブル現場

    トラブル現場

  • フィルムの劣化で黒点ができてしまい、スキャンした画像にはボタン雪が舞っています。

    フィルムの劣化で黒点ができてしまい、スキャンした画像にはボタン雪が舞っています。

  • ロータス・エラン

    ロータス・エラン

  • トヨタS800

    トヨタS800

  • ブルーバード

    ブルーバード

  • 駐車場での整備

    駐車場での整備

  • 撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4<br /><br />ボディ本体重量750g<br />価格(レンズ付)(1966年発売当時)54,800円

    撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4

    ボディ本体重量750g
    価格(レンズ付)(1966年発売当時)54,800円

  • レースの撮影に使用した望遠レンズ<br /><br />CANON FL 200mm F3.5<br />口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。<br />価格 1966年5月発売時 29,500円

    レースの撮影に使用した望遠レンズ

    CANON FL 200mm F3.5
    口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。
    価格 1966年5月発売時 29,500円

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