1965/11/01 - 1966/11/02
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yamada423さん
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第13回東京モーターショー会場(晴海)1966.11.2(昭和41年)
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガをスキャンして電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.8 東京モーターショー その1
今回と次回は1965年(昭和40年)の第12回から1970年(昭和45年)の第17回までの東京モーターショーの記録です。(2回に分けて掲載)
今回は第12回と第13回で1965年11月22日の第7回外車ショーを含みます。
1965年は大学の工学部4年で卒業研究に多忙な時期であったが、自動車には興味を抱いていたのでモーターショーや自動車レース(多数の記録があり、別途編集予定)には時間を惜しまなかった。
1967年には修士2年の6月には就職先の自動車会社が内定していた。
実は学生国際交流プログラムでフランスへの工業視察旅行から4月末に帰国したときには大手の枠は決まっておりH社が残っていたということ。したがって就職活動の経験はなく、本社で面接を受けただけで事実上の内定状態であり、就職協定により10月には就職試験を受けた。
試験後の面接で言われたのは「君は文学青年か? 理系にしては回答の文章がしっかりしている」と。否定はしたが、内心うれしかった。このことは53年間心に秘めていたが、残りが少ないので書いておく。日本語の大切さを教えてくれた友に感謝する。
H社は二輪車(オートバイ)メーカーとしてはマン島のTTレースでの華々しい活躍で有名であったが、4輪車は軽量スポーツカーS800、軽自動車などを始めて間もない会社で、1968年(昭和43年)の大卒(高専・修士含む)入社は34名(このうち17名が研究所配属)という規模だった。子会社である研究所の技術部門は、会社が小さかったため個人の担当領域はないに等しく広く、大変ではあったが今思えば好きなことが思う存分できてよかった。
モーターショーの記録(写真)の編集に当たっては、観賞ではなく、資料として残すことが主目的のため、画像の選別は行わずに掲載する。
写真の説明資料はほとんどないため、記憶とネット検索に頼ったが、正確さの自信はない。
東京モーターショーの歴史については下記のサイトに詳しく書かれているので紹介・転載するに留める。
TOKYO MOTOR SHOW(参考資料)
https://www.tokyo-motorshow.com/history/17.html
詳細な記録
https://www.tokyo-motorshow.com/history/record.html
東京国際見本市会場
1956年(昭和31年) - 社団法人東京国際見本市協会設立。
1958年(昭和33年) - 株式会社東京国際貿易センター設立。
1959年(昭和34年) - 東京国際見本市会場完成。初の東京モーターショー開催。
1971年(昭和46年) - 新館供用開始。
1981年(昭和56年) - 初のコミックマーケットが開催。
1996年(平成8年) - 東京国際展示場(東京ビッグサイト)開場に伴い閉場。
第12回 東京モーターショー 1965
昭和40年10月29日~11月11日(晴海)
完成車の輸入自由化に対抗すべく、多数の新型車が登場。
高度経済成長が何となく感じられてきたころの開催であった第12回ショーは、10月1日から乗用車の完成車輸入が自由化された直後のショーでもあった。そのためか派手さより販売拡張への足がかりとすることへの努力が払われていたともみえる。各社の新型車も日本初のV8・4000ccを搭載した高級乗用車プレジデントをはじめ、ニューセドリック、前年も姿をみせたV8エンジンのクラウンなどは自由化対抗車種といえよう。小型車では日本初のファストバックのコルト800、ホンダのS800/N800、スバル1000、ファミリアクーペ(1000)など800~1000cc級に新型車がみられた。マイカーは時代にあわせて、タクシーには使われない純粋のファミリーカーとして注目されたものである。
第13回 東京モーターショー 1966
昭和41年10月26日~11月8日(晴海)
サニーとカローラが顔をそろえ、マイカーブームに。
第13回ショーの1966年は、のちに「マイカー元年」と呼ばれるようになる。日本の本格的なモータリゼーションの起爆剤となった、日産・サニーとトヨタ・カローラがこのショーで顔を合わせた。加えて各社の800~1000cc車が勢ぞろいして大衆乗用車時代の幕明けとなったからである。この大衆車の下支えとなった軽乗用車にもリバイバル人気が芽生えた。ホンダのN360とダイハツ・フェロー、スズキ・フロンテ360などがともに高性能を発揮、軽乗用ユーザーから見直されるようにもなる。特筆すべきもうひとつは、ニッサン・プリンス・ロイヤルと呼ばれる国産乗用車の御料車(皇室専用のリムジン)が展示されたこと。巨大なボディとエンジンに観衆は圧倒された。
第14回 から第17回までの東京モーターショーと第8回外車ショー、第2回東京レーシングカーショーはその2に記載
撮影 ASAHI PENTAX SP(1965年まで)
CANON FT FL50mm 1:1.4(1966年以降)
ネガフィルムをEPSON GT-F740でデジタル化した画像サイズ2999×2102
画像データ提供は可能です。必要な方はメールで。
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
片手撮影に便利なコンデジPowerShotを併用しています。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は年内にはまとめて投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
yamada423
シリーズ昭和の記録No.9 東京モーターショー その2
https://4travel.jp/travelogue/11638925
投稿 2020.8.14 14:30
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1965年11月2日
「日野GTプロトタイプ」
第12回 東京モーターショー 1965 (参考資料転記)
昭和40年10月29日~11月11日(晴海)
完成車の輸入自由化に対抗すべく、多数の新型車が登場。
高度経済成長が何となく感じられてきたころの開催であった第12回ショーは、10月1日から乗用車の完成車輸入が自由化された直後のショーでもあった。そのためか派手さより販売拡張への足がかりとすることへの努力が払われていたともみえる。各社の新型車も日本初のV8・4000ccを搭載した高級乗用車プレジデントをはじめ、ニューセドリック、前年も姿をみせたV8エンジンのクラウンなどは自由化対抗車種といえよう。小型車では日本初のファストバックのコルト800、ホンダのS800/N800、スバル1000、ファミリアクーペ(1000)など800~1000cc級に新型車がみられた。マイカーは時代にあわせて、タクシーには使われない純粋のファミリーカーとして注目されたものである。
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画像の白点はネガフィルムの劣化により発生した黒い染みで、撮影してから53年経てしまった汚点です。大粒のボタン雪と思ってください。(笑い)
管理が悪いわけではなく、フィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)が原因です。
この電子データは2019年にスキャナーで作成したものですが、あと10年早ければ助かったと思われます。(1970年ごろ撮影したフィルムは劣化がない) -
フィルムの劣化の種類はいろいろあり、これは不規則な凹凸です。
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車名判明 日野GTプロトタイプ
写真を拡大したら左側に表示板が立ててあります。
https://hinosamurai.org/archaives/Hino_Motorsports/Hino_Racer/Hino_Racer_GT_Proto.html
このサイトに掲載された写真が下記です。 -
東京モーターショーに展示された日野GTプロトタイプ
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日野自動車 コンテッサ・クーペ
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日野自動車 コンテッサ・クーペ
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プリンスR380 スピード記録保持車
日産とプリンスの合併が発表された1966年8月より9ヶ月前の第12回東京モーターショーに展示された。
スピード記録 時速238.15Km -
日本スピード記録保持車
時速238.15キロのスピード記録を出したプリンス自動車工業のプロトタイプレーシングカー「R380」
出典:https://www.jiji.com/jc/d4?p=itm824-12-2jpp01533364&d=d4_car -
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R380は1966年5月3日に行われた第3回日本グランプリで優勝をはじめ好成績を収めた。下記はWikipediaによる。
1位 No.11 砂子義一 60周 2:09'51.59
2位 No.10 大石秀夫 57周 2:10'01.13
4位 No.9 横山達 56周 2:10'20.74
3位は細谷四方洋のトヨタ2000GT 57周 2:11'27.90 -
プリンス・スカイライン2000GT-B
プリンス・スカイライン(当時はまだ日産との合併前)の2代目は、1963年9月に発売された。先代の大型セダンから一転、小型ファミリーセダンに生まれ変わった。
翌64年、第2回日本GPに参戦するため、グロリアスーパー6用の直6SOHCエンジンを搭載した「スカイラインGT」を開発。直6エンジンを搭載するために車体の前部は200mm延長された。
出典:https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17253794 -
プリンス・スカイライン2000GT-B
フロントフェンダーのエンブレムG/Tは羨望の的であった。 -
スカイライン2000GT-Bのエンジン
グロリアスーパー6用の直6SOHCエンジンを搭載した「スカイラインGT」
ホモロゲーション用に100台生産されたスカイラインGTは65年2月に市販されるが、3キャブレターのエンジンは扱い難く、9月に1キャブのGT-Aを追加する。 -
スカイライン2000GT-Bのコクピット(運転席)
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富士重工 スバル1000
低重心で振動が少ない水平対抗エンジンが特徴
昭和40年8月発行 スバル1000 第12回 東京モーターショー向けカタログ
http://a15ff11300g.sakura.ne.jp/catalogue/SUBARU1000/40.8%20SUBARU1000/40.8%20SUBARU1000.html -
三菱自動車 Colt 800
日本初のファストバックのコルト800 -
コルト800
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日産 セドリック 6
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ニッサン プレジデント A
日本初のV8・4000ccを搭載した高級乗用車 -
ニッサン プレジデント
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ニッサン シルヴィア
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SILVIA シルヴィア
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セドリック スペシャル6
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ホンダF1 メキシコGP優勝車 リッチー・ギンサー
1965年メキシコグランプリ (1965 Mexican Grand Prix) は、1965年のF1世界選手権第10戦として、1965年10月24日にマグダレナ・ミクスカで開催された。
1961年から続いた1.5リッター規定最後のレースは65周で行われ、リッチー・ギンサーが全周回トップを走り、自身及びホンダに初優勝をもたらした。
Wikipedia -
ホンダF1 メキシコGP優勝車
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ホンダF1のエンジン・後輪懸架装置
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HONDA S800
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HONDA S800 クーペ
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HONDA S600 ニュルブルグリンク耐久レース出場車
ドライバーHenri Quernette(ベルギー)と Nobuo Koga (日本)
An der Langstreckenfahrt Marathon de la Route (Nürburgring Route) 1965[6] fuhren wieder der Belgier Henri Quernette und der Japaner Nobuo Koga in einem weißen S600 Cabrio/Hardtop (Nr. 43) mit. Auf dem Nürburgringkurs[7] mit 22,81 km fuhren sie im 84-Stunden-Rennen 289 Runden und wurden damit Klassensieger. Auf diesem Kurs mussten die Fahrzeuge am Tag mit einer Durchschnittsgeschwindigkeit von 102,6 km/h und in der Nacht von 67 km/h erreichen.
出典:https://de.wikipedia.org/wiki/Honda_S600 -
本田N800
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ホンダ N800
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ホンダ フォーミュラ1 エンジン
HONDA F1 ENGINE -
ホンダ S600エンジン
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何のエンジンかわかりません。
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MAZDA COSMO
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いすゞの展示コーナー
べレットとベレル2000(中央) -
ベレット1500
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ベレット1600GT
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TOYOTA SPORT 800
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TOYOTA 2000GT ¥2,380,000
概要
トヨタ自動車のイメージリーダーとして、国際的に通用するスポーツカーとして開発された。DOHCエンジン、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・アンド・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトは、トヨタ自動車ではこの車から本格採用された。これらは1980年代以降、量産自動車において珍しくない装備となっているが、1960年代中期においてこれらを全て装備した自動車は、当時としては最上の高性能車といえた。
Wikipedia -
TOYOTA 2000GT
参考サイト(モーターファン)
https://motor-fan.jp/article/10015712
あのトヨタ2000GTが発売2年前にお披露目! / 1965年 第12回・東京モーターショー 【東京モーターショーに見るカーデザインの軌跡】 -
TOYOTA 2000GT
当時のカメラは固定焦点(50mm)のため視野角(画角)が水平方向40度しかなかった。
最前列で撮ると全体は入らず、いくつかに分割することになる。 -
TOYOTA 2000GT
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ダイハツ ベルリーナ1000
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スズキフロンテ800
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CORONA HARDTOP Toyoglide
1964年9月に生まれ変わって3世代目となっていたコロナ・シリーズに、7月の2ドアハードトップに引き続き、1965年11月(発表は10月)から加わった新ボディバリエーションだった。
中略
搭載エンジンは直列4気筒OHVの2R型1490cc・70psで、2速ATのトヨグライドも選べた。
出典:https://gazoo.com/catalog/maker/TOYOPET/CORONA/196501/
車名にコメントするのはやめます。 -
ファミリア クーペ
FAMILIA COUPE -
MAZDA COSMO
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マツダ ルーチェ MAZDA LUCE
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ホンダの二輪車
手前よりスーパーカブ、ベンリイ、ドリーム -
ホンダ CB450(右側)
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ホンダ CB450(左側)
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プリンス グランド・グロリア
1966年8月、日産自動車に吸収合併されたプリンス自動車だが、それまでのフラッグシップはこのグランド・グロリアだった。1962年8月に登場したフラットデッキスタイルの2代目グロリア・シリーズに、初のSOHC6気筒搭載中型乗用車として1963年6月に加わったスーパー6に次いで、1964年5月(発表は4月)に追加発売された。2000ccを超える2500ccエンジンを搭載し、装備・艤装を豪華にした138.5万円の最高級普通乗用車(つまり3ナンバー車)というのが売り。1964年4月誕生のトヨタ・クラウン・エイト、および1965年10月誕生のニッサン・プレジデントを直接のライバルとするVIPカーがその役割である。ベースとなったスーパー6と比べると、直列6気筒SOHCエンジンはG7型1988cc・105psから9mmボアアップしたG11型2494cc・130psに拡大強化、4バレルキャブレターと2分割排気マニフォールドでチューンされていた。足回りでは、特徴的な後輪ド・ディオン・アクスルなどは踏襲したが、「オートアジャスター付」とタンデム・マスターシリンダー付のブレーキで差別化。外観上はダイキャスト製グリル、金メッキのバッジ類、追加したモールディング類などでより豪華に。室内は高級クロスとマホガニー化粧板で仕立てられ、パワーウィンドーなどが標準装備であり、6ウェイパワーシートはオーダーメイド、本格エアコンや自動ライトコントロール、ティンテッドガラス、ノンスリップデフなどは「選定部品」だった。当初は4速MTのみの変速機は、自社製スペースフローは用いずに、1965年12月からBW35型の3速AT仕様を追加した。
出典:https://gazoo.com/catalog/maker/PRINCE/GURANDO_GURORIA/196401/ -
グランドグロリアのモデル(説明員ではない)
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プリンス グロリア スーパー6
初のSOHC6気筒搭載中型乗用車として1963年6月に加わったスーパー6 -
スカイライン1500 デラックス
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晴海のモーターショー会場入口(会場内より)
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最も大きい8号館は乗用車
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1号館
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会場案内
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晴海のモーターショー会場入口(会場外より)
12は第12回を表す。 -
1965年11月22日
第7回外車ショー TOKYO AUTO SHOW
FIAT ¥3,700,000
記憶によればフィアット2300です。
淡い色の本皮のシートの手触りと臭いが高級車の雰囲気を醸していました。 -
Fiat 2300参考サイト
https://en.wikipedia.org/wiki/Fiat_2300 -
Fiat 2300 S Coupe
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FIAT
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シボレー コルベット
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ポンティアック ¥3,950,000
PONTIAC GTO -
ジャガー JAGUAR
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ジャガー
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ジャガー
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アストンマーチン
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ASTON MARTIN
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DAIMLER ¥3,425,000
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ROVER
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車名はわかりません。
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VOLVO ¥2,280,000
ボルボにはこんな思い出があります。
1994年6月末に技術交流のためにスウェーデンのイエーテボリの技術部門を訪ね、プレゼンテーションのあとの交流で質問しました。
Q:スウェーデンの人はとても英語が上手に感じますが、なぜですか。
A:スウェーデン人が接する文化は、映画、音楽、小説、美術など80%以上はイギリスやアメリカなど英語圏から入ってきます。
したがってテレビも映画も書籍も、子供は小さいときから英語に慣れて、自然と身についてしまうのです。吹き替えはほとんどありません。
テレビも映画も吹き替えが普通の日本との違いが分かり、英語教育もガラパゴスだと思いました。 -
MERCEDES-BENZ ¥4,800,000
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VOLKSWAGEN フォルクスワーゲン ¥1,270,000
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PORSCHE ポルシェ
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ポルシェのエンジンルーム
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PORSCHE ポルシェ ¥4,350,000
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PORSCHE ポルシェ
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ASA ¥2,950,000
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LANCIA ¥2,000,000
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アルファロメオ GIULIA SS
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ALFA ROMEO GIULIA SS
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ALFA ROMEO ¥2,340,000
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フォード MUSTANG ¥3,530,000
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SAAB ¥1,500,000
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ルノー RENAULT-16
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プジョー PEUGEOT ¥1,400,000
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ロータス LOTUS
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ロータス LOTUS ¥2,980,000
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MGB ¥1,780,000
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MGBの運転席
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1966年11月2日(昭和41年)
第13回東京モーターショー会場(晴海)表紙写真
第13回東京モーターショー(参考資料転記)
昭和41年10月26日~11月8日(晴海)
サニーとカローラが顔をそろえ、マイカーブームに。
第13回ショーの1966年は、のちに「マイカー元年」と呼ばれるようになる。日本の本格的なモータリゼーションの起爆剤となった、日産・サニーとトヨタ・カローラがこのショーで顔を合わせた。加えて各社の800~1000cc車が勢ぞろいして大衆乗用車時代の幕明けとなったからである。この大衆車の下支えとなった軽乗用車にもリバイバル人気が芽生えた。ホンダのN360とダイハツ・フェロー、スズキ・フロンテ360などがともに高性能を発揮、軽乗用ユーザーから見直されるようにもなる。特筆すべきもうひとつは、ニッサン・プリンス・ロイヤルと呼ばれる国産乗用車の御料車(皇室専用のリムジン)が展示されたこと。巨大なボディとエンジンに観衆は圧倒された。 -
ホンダF1 RA273
これ以降の画像で白点などの劣化がないものはアルバムの写真(115×75mm)をスキャンしたものです。
データサイズは約2700×1780ですが縁取り(トリミング)で多少ばらつきがあります。 -
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ホンダF1 RA273のエンジンRA273E
90度V型12気筒 3.0L(2,993cc) -
ホンダF1エンジン RA273E
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ホンダ・ブラバムF2
1965年よりブラバムレーシングチームに新開発のF-2エンジンを供給。1966年にはヨーロッパのレースで11連勝を達成。
<驚異の11連勝”F2 ブラバムホンダ”>
昭和39年(1964)にF1初参戦を果たしたホンダは、翌昭和40年(1965)から排気量1リッターのレーシングマシンで戦うF2にも参戦。車体は製作せず、エンジン供給メーカーとして挑戦を始めた。供給チームはブラバム。供給するエンジンは、当時エンジニア兼メカニックだった久米是志(3代目社長)川本信彦(4代目社長)らによって開発された。
昭和40年(1965)の途中からデビューしたブラバムホンダのマシンは、最終戦では2位の好成績を残すものの、多発するエンジントラブルに悩まされ苦しい戦いを強いられた。そして昭和41年(1966)、ホンダは新型マシンBT18に、前年度を大きく上回る高回転・高出力の新エンジンを投入し参戦2年目に挑んだ。
BT18はデビュー戦で早くも待望の初勝利を挙げると、その後も勢いは止まらず、最終戦は勝利を逃すものの破竹の11連勝を記録。その内6度にわたって1-2フィニッシュを達成するという驚異的な強さでタイトルを獲得した。濃いグリーンにゴールドのストライブ、ノーズにHマークを飾ったブラバムホンダBT18は、ホンダの名を欧州に轟かせた。
出典:http://www.uchiyama.info/oriori/sangyou/car/f1/f2/brabam -
軽乗用車ホンダN360
発売当初のグレードは1種類のみで、価格は埼玉製作所狭山工場(現・埼玉製作所狭山完成車工場)渡しで313,000円、東京・神奈川店頭渡しで315,000円と、他社の同クラス車が設定した350,000円~450,000円程度より大幅に安価な水準とされた。
Wikipedia -
N360エンジン
オートバイメーカーのホンダが開発したエンジンだけあり、基本構造は空冷2気筒のクランクケースとトランスミッションケースが一体化した構造。
シリンダーの後ろにシュラウド付き冷却ファンがあり、クランクシャフトプーリーからアイドルプーリーで90度方向変更してファンプーリーを駆動するという特殊な構造。 -
ホンダS800
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いすゞ ベレット1600 ファストバック
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ISUZU 117 SPORT その1
この当時はCANON FT を使用していたが標準レンズ(FL 50mm)しか持っていなかったために最前列で全体像を撮ることはできなかった。
現在はズームレンズがあるのでその苦労は少ない。 -
ISUZU 117 SPORT その2
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ISUZU 117 SPORT その3
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セドリック スペシャル6
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ニッサン・プリンス・ロイヤル
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ニッサン・プリンス・ロイヤル
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ニッサン・プリンス・ロイヤル
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MAZDA LUCE マツダ ルーチェ
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MAZDA COSMO SPORTS
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MAZDA COSMO SPORTS
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MAZDA COSMO SPORTS
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1966 HINO Ptototype
参考サイト(日野自動車)
https://hinosamurai.org/archaives/Hino_Motorsports/Hino_Racer/Hino_Racer_GT_Proto.html
https://ameblo.jp/hbk0225/entry-12197191423.html
https://motorz.jp/race/great-car/92887/ -
ダイハツ P-3 GP-I クラスレーシングカー
ダイハツ 最初のレーシングカー P3 1966 Japan GP-1 クラス優勝車
総合7位 No.5 GP-I 吉田隆郎 ダイハツ・P-3 ダイハツ工業(株)
52周 2:10'04.97
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/1966%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA) -
ダイハツ DAIHATSU SPORT ハードトップ
-
ダイハツ DAIHATSU SPORT ハードトップ
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TOYOTA 2000GT
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トヨタ カローラ1100 スペシャル
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COLT F-3A
-
屋外展示大型車
クレーン車 -
各地のロードレースで活躍した2輪レーサー
1966年のロードレース世界選手権
https://ja.wikipedia.org/wiki/1966%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9#グランプリ -
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ジム・レッドマンのレーサー
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第12回モーターショーの撮影に用いたペンタックスSPの同型機
ASAHI PENTAX SPOTMATICは1964年に旭光学(ペンタックス)が発売した35mm一眼レフカメラ。
全世界で400万台以上を売り上げたというベストセラー機です。
大きな特徴は、カメラの内部に「TTL露出計」を内蔵していること。
TTL(スルー・ザ・レンズ)露出計とは、撮影に用いるレンズを通った光の量を計測する露出計を指します。
それまでの内蔵露出計は、レンズとは別に専用の測光部を持っていました。
ところが、その方式ではマクロ撮影時などに正確な露出値を得ることができず、マクロや望遠に強い一眼レフのメリットを完全に活かすことができなかったのです。
1960年のPENTAX SP試作機では、画面中央部の狭い範囲を測光する「スポット測光」を採用。
SPというネーミングも、スポット測光に由来したものでした。
出典:https://sunrise-camera.net/user_data/blog/detail?p=24919
参考ブログ
https://ameblo.jp/nico-came/entry-12051803443.html
・機種名 : アサヒ ペンタックスSP
・型式 : 35mm判フォーカルプレーン一眼レフカメラ
・マウント : M42マウント
・露出モード : マニュアル
・測光方式/受光素子 : TTL平均測光 cds
・フィルム巻上げ : レバー1回式、分割巻上げ可能
・フィルム巻き戻し : クランク式
・電源 : HD・1個
・大きさ : 143x92x88mm(50mmF1.4付き)
・重量 : 621グラム(ボディのみ)
・発売価格 : 51,000円(ボディのみ)
・発売 : 1964年 -
撮影に使用したカメラ
第13回モーターショーの撮影に使ったキャノン FT FL50mm 1:1.4
調べてみたところ1966年発売当時の価格は54,800円(レンズ付)だそうです。
現在の価値では30万円、...或いはもっとするのかもしれません。
1968年に修士で入社した自動車会社の初任給が3万2千円でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ichiroさん 2020/08/14 18:49:16
- こんにちは、yamada423さん
- 「シリーズ昭和の記録」なつかしく、また、感慨深く
拝見させていただきました、有難うございます。
残念ながら、車・バイクの造詣はありませんが、昔の写真から
当時の世相を思い浮かべる事を、楽しんでいます。(笑)
アップされている写真の「人物スナップ、施設の様子」は、
本当に時代を感じることができます、また、キャプション・紹介文の
丁寧・細やかな記述に、失礼ながら、技術系の片りんがうかがえます。(笑)
私も昔の写真を4トラにアップしていますが、スキャナを使用せず
デジカメで写真を直接撮影しているため、画像は今一つです、
でも、なんとか雰囲気が判るので良しとしています。
私の昔の写真(旅行記)は、人物写真が中心になっていますが、
備忘録のアルバムの位置づけとして活用(個人的に)しています。
余談ですが、カルマンギアに似ていた、VOLKSWAGENのtype3に
乗っていました、久しぶりに思い出しました。
今後とも宜しくお願いいたします。
ichiro
- yamada423さん からの返信 2020/08/15 10:07:20
- RE:お便りありがとうございます
- ichiroさん こんにちは はじめまして
メッセージありがとうございます。
「昭和の記録」はコロナ余暇対策でとりあえず始めてみましたが、たくさんの方に見ていただき望外の喜びです。旅行記についてのコメントもありがたく、続けていく力添えになります。
ichiroさんは中南米への駐在経験がおありだそうで、旅行記を拝見しました。私にとっては未体験地域で興味深いところです。
VOLKSWAGENのtype3については知識がありませんでしたが、調べてみるとずいぶん長い間(1961年から1973年まで製造販売)造られ、豊富なヴァリエーションがあることがわかりました。
しばらく猛暑が続く予報ですので、どうぞご自愛ください。
yamada423
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