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1969年5月3日(昭和44年)<br />JAFグランプリ フォーミュラカーレース<br />No.24  三菱コルトF2‐C<br />フィルムの感度はASA200で高くないが、流し撮りによりぶれない写真が撮れた。<br />───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />  ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br /> ───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.15 富士スピードウェイ その1 Fuji speedway part  1<br />ツーリングカーレース/フォーミュラカーレース  1969.5.3<br /><br />■自動車レース写真の始め<br />1966年3月27日に「第4回クラブマンレース富士大会」が年初にオープンしたばかりの富士スピードウェイで開催されることをCARグラフィックで知り、買ったばかりのCANON FTを持って初めての自動車レースを見に行った。<br />このレースはツーリングカーレースで、市販の車をベースにチューンアップ(性能向上)を施した車のよるものだ。<br />レースは見ると同時に迫力あるレースの撮影に興味が湧き、次第に撮影に力を入れるようになった。<br />1966年5月3日に第3回日本グランプリが、その年の1月3日にオープンした富士スピードウェイで開催されてから、1969年の第6回日本グランプリまで4回続けて見に行ったが、<br />富士スピードウェイにはその他のレースも何回か通った。<br /><br />■今回は1969年5月3日に開催されたツーリングカーレースとフォーミュラーカーレースの写真をまとめた。<br /><br />写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。<br />写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。<br /><br />■The Frist Formula GP Race of Japan<br />http://www.mmjp.or.jp/60srace/JAFGP1969tetsu1.html<br />日本でのグランプリはというと、1963年、日本で始めて鈴鹿サーキットが誕生し、第1回日本グランプリが開催された時、まだまだ自動車レースに馴染みのない日本では、ヨーロッパ流にフォーミュラカーをメインレースとして組み込むよりも、より馴染みのあるツーリングカーでのレースを中心にスタートすることを選んだ。これをきっかけとして、1969年に終焉を迎えるまで、スポーツカータイプの車によるグランプリレースが日本でのグランプリレースとなっていく。 <br />そんな中、欧米に追いつけ追い越せという意向だったのだろうか、日本自動車連盟(JAF)は、将来のフォーミュラ・ワンレース開催を目標に、フォーミュラカーによるグランプリレース計画を発表。69年より、5月は、フォーミュラカーによるJAFグランプリ開催、10月には、これまでのスポーツカータイプをメインとした日本グランプリを開催することを正式に発表する。 <br /> その第1回目となったのが、1969年5月3日に開催された“JAFグランプリ”であった。開催場所は、富士スピードウェイの6Kmフルコースである。<br /><br />■国内初の本格的フォーミュラレース  1969年JAF GP<br /><br />JAF GP決勝結果(天候・晴/富士SW/40周=240.0km<br />1. L.ゲオゲーガン   ロータス39・レプコ740 1時間17分53秒/平均184.8km/h<br />2. L.レヴィス   ブラバムBT23C・フォードコスワースFVA<br />3. 加藤爽平   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ 39周<br />4. G.スコット  ボーウィンP3・フォード コスワースFVA 39周<br />5. 益子 治   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ36周<br />6. 矢吹 圭三  ブラバムBT16・ホンダAS800E 36周<br />7. 風戸 裕   ラバムBT16・ホンダAS800E35周<br />8. 片桐昌夫   ブラバムBT16・三菱R28 34周<br />9. M.スチュワート  ブラバムBT23ミルドン・フォード ワゴット 34周<br />10.横山 駿   JAC小関SPL・スバルEA52 31周<br />11.沢田 稔   デルMkⅢ・日産R 29周<br />12.浅岡重輝   ブラバム・いすゞG161W 27周<br />13.粕谷 勇   ロータス41・フォード ロータス 13周<br />14.生沢 徹   三菱コルトF2-C・三菱R39Ⅱ12周<br />15.G.クーパー  エルフィン600・レプコ740 9周<br />16.K.バートレット      ミルドレン/アラン・アルファロメオ 3周<br />17.米山二郎   ブラバムBT16・フォード コスワース 3周<br />18.大久保力   ロータス41・フォード ロータス スタートせず<br />※最高ラップタイム:1分52秒6<br />出典:https://f1-stinger2.com/special/mwc/chapter02/talk76/<br /><br />■JAFグランプリTSレース(ツーリングカーレース)<br />Racing GT-R HISTORY<br />その3代目スカイラインに、ツーリングカーレース参戦を前提にした“2000GT-R” が追加されたのは翌1969年2月のことだった。 ... このスカイライン2000GT-Rの実戦デビューは、1969年5月3日のJAFグランプリTSレースだった。<br />https://www.nismo.co.jp/motorsports/entertainment/GT-R_HISTORY2017/vol2.html<br />No.36 萩原 裕 (PMC・S)<br />No.37 R.L.レイガン (PMC・S)<br />No.38 藤田 皓二 (SCCN)<br />No.39 篠原 孝道 (SCCN)<br />No.40 長村 瑞臣 (SCCN) <br />午前11時、決勝レースがスタート。<br />富士スピードウェイのストレートに合わせハイクロスギアを採用したスカイライン勢はスタートダッシュで出遅れ、先行するトヨタ1600GT勢を追うレース展開となりました。<br />レース終了後、トップでチェッカーを受けたNo.26高橋選手(TMSC)のトヨタ1600GTは、「No.39篠原選手のGT-Rの走路を妨害した」として1周減算のペナルティが科せられ3位に転落。<br />結果No.39篠原選手のGT-Rが逆転優勝 2位にもNo.36萩原選手のGT-Rが入り、GT-Rの“初陣”は辛くもワンツーフィニッシュとなったのでした<br /><br />クラブマン・レース(特殊ツーリングカーの部)決勝結果<br />[順位] No.   車名       ドライバー        タイム      (周回数)<br />[1位]No.39スカイライン2000GT-R(PGC10)篠原 孝道1:08&#39;56&quot;33 (30)<br />[2位]No.36スカイライン2000GT-R(PGC10)萩原 裕  1:09&#39;15&quot;54 (30)<br />[3位]No.26トヨタ1600GT(RT55)   高橋 晴邦 1:08&#39;55&quot;14 (30-1)<br />[4位]No.38スカイライン2000GT-R(PGC10)藤田 皓二1:08&#39;57&quot;63 (29)<br />[5位]No.33スカイライン2000GT-R(PGC10)狩野 英夫1:09&#39;36&quot;98 (29)<br />[6位]No.11カローラ・スプリンター(KE15)須田 祐弘1:10&#39;03&quot;16 (29)<br />出典:http://since1957.blog130.fc2.com/blog-date-196905.html<br /><br />■富士スピードウェイの思い出(前編)<br />https://gazoo.com/article/car_history/150724_2.html<br />自動車の歴史 第1話ー第121話までのタイトルが紹介され内容(本文)にリンクしています。とても貴重な資料です。<br /><br />撮影・編集 <br />CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5<br />フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200<br />FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円<br />https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html<br /><br />しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。<br /><br />掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約2800×2000です。<br />───────────────────────────  <br /><br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br />素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)<br />https://4travel.jp/travelogue/10484193<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />yamada423<br /><br />投稿 2020.9.13   10:00

シリーズ昭和の記録No.16 富士スピードウェイ その2 Fuji speedway part 2

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1969/05/03 - 1969/05/03

885位(同エリア1103件中)

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76

yamada423

yamada423さん

1969年5月3日(昭和44年)
JAFグランプリ フォーミュラカーレース
No.24 三菱コルトF2‐C
フィルムの感度はASA200で高くないが、流し撮りによりぶれない写真が撮れた。
───────────────────────────
はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
  ───────────────────────────
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
 ───────────────────────────
シリーズ昭和の記録No.15 富士スピードウェイ その1 Fuji speedway part 1
ツーリングカーレース/フォーミュラカーレース  1969.5.3

■自動車レース写真の始め
1966年3月27日に「第4回クラブマンレース富士大会」が年初にオープンしたばかりの富士スピードウェイで開催されることをCARグラフィックで知り、買ったばかりのCANON FTを持って初めての自動車レースを見に行った。
このレースはツーリングカーレースで、市販の車をベースにチューンアップ(性能向上)を施した車のよるものだ。
レースは見ると同時に迫力あるレースの撮影に興味が湧き、次第に撮影に力を入れるようになった。
1966年5月3日に第3回日本グランプリが、その年の1月3日にオープンした富士スピードウェイで開催されてから、1969年の第6回日本グランプリまで4回続けて見に行ったが、
富士スピードウェイにはその他のレースも何回か通った。

■今回は1969年5月3日に開催されたツーリングカーレースとフォーミュラーカーレースの写真をまとめた。

写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。
写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は削除(廃棄)せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。

■The Frist Formula GP Race of Japan
http://www.mmjp.or.jp/60srace/JAFGP1969tetsu1.html
日本でのグランプリはというと、1963年、日本で始めて鈴鹿サーキットが誕生し、第1回日本グランプリが開催された時、まだまだ自動車レースに馴染みのない日本では、ヨーロッパ流にフォーミュラカーをメインレースとして組み込むよりも、より馴染みのあるツーリングカーでのレースを中心にスタートすることを選んだ。これをきっかけとして、1969年に終焉を迎えるまで、スポーツカータイプの車によるグランプリレースが日本でのグランプリレースとなっていく。
そんな中、欧米に追いつけ追い越せという意向だったのだろうか、日本自動車連盟(JAF)は、将来のフォーミュラ・ワンレース開催を目標に、フォーミュラカーによるグランプリレース計画を発表。69年より、5月は、フォーミュラカーによるJAFグランプリ開催、10月には、これまでのスポーツカータイプをメインとした日本グランプリを開催することを正式に発表する。
 その第1回目となったのが、1969年5月3日に開催された“JAFグランプリ”であった。開催場所は、富士スピードウェイの6Kmフルコースである。

■国内初の本格的フォーミュラレース  1969年JAF GP

JAF GP決勝結果(天候・晴/富士SW/40周=240.0km
1. L.ゲオゲーガン   ロータス39・レプコ740 1時間17分53秒/平均184.8km/h
2. L.レヴィス   ブラバムBT23C・フォードコスワースFVA
3. 加藤爽平   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ 39周
4. G.スコット  ボーウィンP3・フォード コスワースFVA 39周
5. 益子 治   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ36周
6. 矢吹 圭三  ブラバムBT16・ホンダAS800E 36周
7. 風戸 裕   ラバムBT16・ホンダAS800E35周
8. 片桐昌夫   ブラバムBT16・三菱R28 34周
9. M.スチュワート  ブラバムBT23ミルドン・フォード ワゴット 34周
10.横山 駿   JAC小関SPL・スバルEA52 31周
11.沢田 稔   デルMkⅢ・日産R 29周
12.浅岡重輝   ブラバム・いすゞG161W 27周
13.粕谷 勇   ロータス41・フォード ロータス 13周
14.生沢 徹   三菱コルトF2-C・三菱R39Ⅱ12周
15.G.クーパー  エルフィン600・レプコ740 9周
16.K.バートレット ミルドレン/アラン・アルファロメオ 3周
17.米山二郎   ブラバムBT16・フォード コスワース 3周
18.大久保力   ロータス41・フォード ロータス スタートせず
※最高ラップタイム:1分52秒6
出典:https://f1-stinger2.com/special/mwc/chapter02/talk76/

■JAFグランプリTSレース(ツーリングカーレース)
Racing GT-R HISTORY
その3代目スカイラインに、ツーリングカーレース参戦を前提にした“2000GT-R” が追加されたのは翌1969年2月のことだった。 ... このスカイライン2000GT-Rの実戦デビューは、1969年5月3日のJAFグランプリTSレースだった。
https://www.nismo.co.jp/motorsports/entertainment/GT-R_HISTORY2017/vol2.html
No.36 萩原 裕 (PMC・S)
No.37 R.L.レイガン (PMC・S)
No.38 藤田 皓二 (SCCN)
No.39 篠原 孝道 (SCCN)
No.40 長村 瑞臣 (SCCN) 
午前11時、決勝レースがスタート。
富士スピードウェイのストレートに合わせハイクロスギアを採用したスカイライン勢はスタートダッシュで出遅れ、先行するトヨタ1600GT勢を追うレース展開となりました。
レース終了後、トップでチェッカーを受けたNo.26高橋選手(TMSC)のトヨタ1600GTは、「No.39篠原選手のGT-Rの走路を妨害した」として1周減算のペナルティが科せられ3位に転落。
結果No.39篠原選手のGT-Rが逆転優勝 2位にもNo.36萩原選手のGT-Rが入り、GT-Rの“初陣”は辛くもワンツーフィニッシュとなったのでした

クラブマン・レース(特殊ツーリングカーの部)決勝結果
[順位] No.   車名       ドライバー  タイム    (周回数)
[1位]No.39スカイライン2000GT-R(PGC10)篠原 孝道1:08'56"33 (30)
[2位]No.36スカイライン2000GT-R(PGC10)萩原 裕  1:09'15"54 (30)
[3位]No.26トヨタ1600GT(RT55)  高橋 晴邦 1:08'55"14 (30-1)
[4位]No.38スカイライン2000GT-R(PGC10)藤田 皓二1:08'57"63 (29)
[5位]No.33スカイライン2000GT-R(PGC10)狩野 英夫1:09'36"98 (29)
[6位]No.11カローラ・スプリンター(KE15)須田 祐弘1:10'03"16 (29)
出典:http://since1957.blog130.fc2.com/blog-date-196905.html

■富士スピードウェイの思い出(前編)
https://gazoo.com/article/car_history/150724_2.html
自動車の歴史 第1話ー第121話までのタイトルが紹介され内容(本文)にリンクしています。とても貴重な資料です。

撮影・編集 
CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5
フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200
FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円
https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html

しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。

掲載画像はネガフィルムをスキャンしたもので、画像データの大きさは約2800×2000です。
───────────────────────────  

編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

yamada423

投稿 2020.9.13   10:00

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • No.24 三菱コルトF2‐C  表紙写真<br /><br />フィルムの感度はASA200で高くないが、流し撮りによりぶれない写真が撮れました。<br />デジカメではないので詳しい撮影データはありません。<br />CANON FT FL200mm F3.5 ,フィルム NEOPAN SSS ASA 200<br />

    No.24 三菱コルトF2‐C  表紙写真

    フィルムの感度はASA200で高くないが、流し撮りによりぶれない写真が撮れました。
    デジカメではないので詳しい撮影データはありません。
    CANON FT FL200mm F3.5 ,フィルム NEOPAN SSS ASA 200

  • 撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4<br /><br />ボディ本体重量750g<br />価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

    撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4

    ボディ本体重量750g
    価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

  • レースの撮影に使用した望遠レンズ<br /><br />CANON FL 200mm F3.5<br />口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。<br />価格 1966年5月発売時 29,500円

    レースの撮影に使用した望遠レンズ

    CANON FL 200mm F3.5
    口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。
    価格 1966年5月発売時 29,500円

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