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1969年10月10日 (昭和44年)<br />第6回日本グランプリで競うNo.21日産R382(黄)とNo.14ポルシェ・917(白)<br />No.21 黒澤元治/砂子義一(1位)<br />No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー(6位)<br /><br />日本グランプリは今回が最終回です。<br />  ───────────────────────────<br />例年、日本GPは5月3日の祝日(憲法記念日)に行われてきたが、1969年5月にフォーミュラカーレースのJAFグランプリが初開催された。これに伴い、従来の日本グランプリは10月開催に変更された。<br />自動車会社の排気ガス対応のため1970年には日本グランプリが中止さてたため、この年のレースが最後となった。<br />───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />  ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />https://4travel.jp/travelogue/10549371<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br /> ───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.13 第6回日本グランプリ 1969.10.10<br /><br />写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。<br />写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は編集せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。<br /><br />■1969年日本グランプリ (4輪) 参考サイト<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)<br /><br />概要<br />例年、日本GPは5月3日の祝日(憲法記念日)に行われてきたが、1969年5月にフォーミュラカーレースのJAFグランプリが初開催された。これに伴い、従来の日本グランプリは10月開催に変更された。<br />決勝周回数は80周 (480km) から120周 (720km) に延長され、国際的な耐久レースの格式に一歩近づいた[1]。3時間半を越える長丁場のレースとなることから、1台につき2名までドライバー登録が認められ、レース中の運転交代が可能となった。<br />この年、F1で重大事故が起きた事から、国際自動車連盟スポーツ委員会 (FIA-CSI) はウィングの装着を禁止する方針を表明した。日本GP特別規定もこれに従い、前年の優勝マシン、日産・R381のような可動式ウィングは使用できなくなった。<br /> 翌1970年の日本グランプリが取り止めとなったため、大排気量二座席レーシングカーによって競われた最後の日本グランプリとなった。<br /><br />各チームの顔ぶれ<br />この年施行された新レギュレーションでは、スポーツカーの公認要件が連続12月間25台生産に引き下げられた。公認要件のないプロトタイプ・スポーツカーはスペアホイールとラゲッジトランクの要件が撤廃され、オープンカーに限りウィンドシールドの寸度要件がなくなった。二座席レーシングカーは前年と同様である。<br /><br />大排気量のビッグマシン路線も2年目となり、国内メーカー系ワークスチームや有力プライベーターチームはより強力なマシンを準備した。メイクス国際選手権や北米のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (以下、カンナム) で活躍中のマシン・ドライバーも来日し、国際色豊かなイベントとなった。<br /> <br />トヨタ<br />前年3リットルマシンで苦杯を舐めたトヨタは、V型8気筒エンジンを5リットルに拡大し、新設計シャーシに搭載したトヨタ・7を5台投入。7月のデビュー戦富士1000キロメートル、8月の前哨戦NETスピードカップを連勝して大一番に臨んだ。ドライバーはエース格の福沢幸雄をテスト中の事故で失い、新たに川合稔、高橋晴邦、久木留博之らが加入。ポルシェ使いのヴィック・エルフォードもスポット参戦した。<br />日産<br />連覇を狙う日産は自社製V型12気筒エンジンを搭載する新型R382を投入。エントリー時点では排気量5リットルで登録していたが、登録変更が締め切られる10月8日(公式予選前夜)になって6リットルに変更申請した。また、5台エントリーしながら出場したのは3台だった。ドライバーは北野元、高橋国光の両エースと、R382の開発に貢献した黒澤元治が軸となる。<br />いすゞ<br />第2回大会以来の日本GP参戦にあたり、ミッドシップ試作車をベースとするプロトタイプを大小2種2台ずつ出場させた。クーペボディのベレット・R6は市販車いすゞ・117クーペベースの1.6リットル直列4気筒エンジンを搭載。オープンボディのいすゞ・R7はムーンチューンの5リットルシボレーV型8気筒エンジンを搭載する。<br />タキレーシング<br />メイクス国際選手権のマニュファクチャラーズタイトルを初制覇したポルシェワークスと提携し、プロトタイプ・スポーツカーの908/02 (3リットル水平対向8気筒エンジン) と、スポーツカーの917 (4.5リットル水平対向12気筒エンジン) の2台が来日した。ジョー・シフェールらワークスドライバーに加え、チーム監督とメカニックも帯同した。手駒のタキ・ローラ(ローラ・T70マークIIオープン仕様)とポルシェ・910を加えて4台体制でのエントリー。<br />黒沢レーシング<br />マクラーレンからカンナムで高実績を上げている二座席レーシングカーのM12を2台購入。元2輪王者のマイク・ヘイルウッドとロザー・モッチェンバッハーも来日した。<br /><br />■第6回日本グランプリ決勝結果<br />順位 No. クラス  ドライバー 車名 エントラント 周回数 タイム/リタイア<br />1 21 GP-V 黒澤元治/砂子義一 日産・R382 日産自動車 120  3:42&#39;21.47 2  <br />2 20 GP-V 北野元/横山達   日産・R382  日産自動車 120  3:42&#39;22.94 1  <br />3 3  GP-V 川合稔     トヨタ・7 トヨタ自動車工業 119 <br />4 7  GP-V 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7 トヨタ自動車工業 117<br />5 2  GP-V 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7 トヨタ自動車工業 1174  <br />6 14 GP-V ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917 滝レーシングオーガニゼーション 116   <br />7 17 GP-IV ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908 滝レーシングオーガニゼーション 116<br />8 16 GP-III 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910  滝レーシングオーガニゼーション 102 <br />9 46 GP-II 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT 積水化学 100<br />10 23 GP-V 高橋国光/都平健二 日産・R382 日産自動車 100<br />11 50 GP-III 大塚光博 フェアレディ2000  ニッサンスポーツカークラブ 95<br />12 18 GP-I 黒須隆一 DAY &amp; NITE SP  TEAM D&amp;N  黒須隆一 95 <br />13 6 GP-V 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7 トヨタ自動車工業 94<br />14 33 GP-I 戸坂六三 RQコニーリオ レーシングクォータリー 92 <br />15 26 GP-V 津々見友彦 いすゞ・R7 いすゞスポーツカークラブ 92<br />16 27 GP-V 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7 いすゞスポーツカークラブ 89<br />17 36 GP-I 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M. 棚村公一 86  <br />18 40 GP-II 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM リキレーシングディベロップメント 79 <br />19 28 GP-II 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6 いすゞスポーツカークラブ 71   <br />Ret(リタイヤ)およびns(Did not start 出走せず)は省略。(参考サイト参照)<br />第6回日本グランプリ Youtube<br />https://www.youtube.com/watch?v=C_KwcjrWqNs<br /><br />■ツーリングカーレース決勝結果<br />[順位] No.   車名          ドライバー    タイム )周回数<br />[1位]No.39スカイライン2000GT-R(PGC10)寺西 孝利 45&#39;26&quot;01 (20)<br />[2位]No.38スカイライン2000GT-R(PGC10)歳森 康師 45&#39;26&quot;01 (20)<br />[3位 No.40スカイライン2000GT-R(PGC10)鈴木 誠一 45&#39;26&quot;19 (20)<br />[4位]No.45スカイライン2000GT-R(PGC10)R.L.レイガン 5&#39;27&quot;74 (20)<br />[5位]No.36スカイライン2000GT-R(PGC10)長村 瑞臣 45&#39;33&quot;79 (20)<br />[6位]No.41スカイライン2000GT-R(PGC10)田村 三夫 45&#39;36&quot;53 (20)<br />[7位]No.46スカイライン2000GT-R(PGC10)千代間由親  45&#39;44&quot;76 (20)<br />[8位]No.48スカイライン2000GT-R(PGC10)久保田洋史 45&#39;57&quot;40 (20)<br />[9位]No.25トヨタ1600GT(RT55)    藤田 直広 46&#39;44&quot;85 (20)<br />[10位]No.20トヨタ1600GT(RT55)   下山 平治 47&#39;09&quot;49 (20)<br />出典http://since1957.blog130.fc2.com/blog-date-19691010.html<br /><br />撮影・編集 <br />CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5<br />フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200<br />               SAKURA COLOR ASA-100<br />1台のカメラに白黒フィルムとカラーフィルムを時々入れ替えて撮りました。フィルムカウンターの番号を記録しておき、1コマ空けて画像の重なりを避けるという高度な技術(笑い)です。現代人にはできないだろうね。<br /><br />FL200mmは前年5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円<br />https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html<br /><br />しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。<br /><br />掲載画像にはアルバム写真をスキャンしたものと、ネガフィルムをスキャンしたものがあり、画像データの大きさは前者が約2800×1800、後者が約3000×2100です。<br />いずれも提供可能で、希望があればメール等で連絡してください。<br />───────────────────────────  <br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br />素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)<br />https://4travel.jp/travelogue/10484193<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />yamada423<br /><br />投稿2020.9.1  10:00

シリーズ昭和の記録No.13 第6回日本グランプリ 6th JAPAN GRAND PRIX 1969

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1969/10/10 - 1969/10/10

322位(同エリア1035件中)

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yamada423

yamada423さん

1969年10月10日 (昭和44年)
第6回日本グランプリで競うNo.21日産R382(黄)とNo.14ポルシェ・917(白)
No.21 黒澤元治/砂子義一(1位)
No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー(6位)

日本グランプリは今回が最終回です。
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例年、日本GPは5月3日の祝日(憲法記念日)に行われてきたが、1969年5月にフォーミュラカーレースのJAFグランプリが初開催された。これに伴い、従来の日本グランプリは10月開催に変更された。
自動車会社の排気ガス対応のため1970年には日本グランプリが中止さてたため、この年のレースが最後となった。
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
https://4travel.jp/travelogue/10549371
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.13 第6回日本グランプリ 1969.10.10

写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。
写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は編集せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。

■1969年日本グランプリ (4輪) 参考サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)

概要
例年、日本GPは5月3日の祝日(憲法記念日)に行われてきたが、1969年5月にフォーミュラカーレースのJAFグランプリが初開催された。これに伴い、従来の日本グランプリは10月開催に変更された。
決勝周回数は80周 (480km) から120周 (720km) に延長され、国際的な耐久レースの格式に一歩近づいた[1]。3時間半を越える長丁場のレースとなることから、1台につき2名までドライバー登録が認められ、レース中の運転交代が可能となった。
この年、F1で重大事故が起きた事から、国際自動車連盟スポーツ委員会 (FIA-CSI) はウィングの装着を禁止する方針を表明した。日本GP特別規定もこれに従い、前年の優勝マシン、日産・R381のような可動式ウィングは使用できなくなった。
翌1970年の日本グランプリが取り止めとなったため、大排気量二座席レーシングカーによって競われた最後の日本グランプリとなった。

各チームの顔ぶれ
この年施行された新レギュレーションでは、スポーツカーの公認要件が連続12月間25台生産に引き下げられた。公認要件のないプロトタイプ・スポーツカーはスペアホイールとラゲッジトランクの要件が撤廃され、オープンカーに限りウィンドシールドの寸度要件がなくなった。二座席レーシングカーは前年と同様である。

大排気量のビッグマシン路線も2年目となり、国内メーカー系ワークスチームや有力プライベーターチームはより強力なマシンを準備した。メイクス国際選手権や北米のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (以下、カンナム) で活躍中のマシン・ドライバーも来日し、国際色豊かなイベントとなった。

トヨタ
前年3リットルマシンで苦杯を舐めたトヨタは、V型8気筒エンジンを5リットルに拡大し、新設計シャーシに搭載したトヨタ・7を5台投入。7月のデビュー戦富士1000キロメートル、8月の前哨戦NETスピードカップを連勝して大一番に臨んだ。ドライバーはエース格の福沢幸雄をテスト中の事故で失い、新たに川合稔、高橋晴邦、久木留博之らが加入。ポルシェ使いのヴィック・エルフォードもスポット参戦した。
日産
連覇を狙う日産は自社製V型12気筒エンジンを搭載する新型R382を投入。エントリー時点では排気量5リットルで登録していたが、登録変更が締め切られる10月8日(公式予選前夜)になって6リットルに変更申請した。また、5台エントリーしながら出場したのは3台だった。ドライバーは北野元、高橋国光の両エースと、R382の開発に貢献した黒澤元治が軸となる。
いすゞ
第2回大会以来の日本GP参戦にあたり、ミッドシップ試作車をベースとするプロトタイプを大小2種2台ずつ出場させた。クーペボディのベレット・R6は市販車いすゞ・117クーペベースの1.6リットル直列4気筒エンジンを搭載。オープンボディのいすゞ・R7はムーンチューンの5リットルシボレーV型8気筒エンジンを搭載する。
タキレーシング
メイクス国際選手権のマニュファクチャラーズタイトルを初制覇したポルシェワークスと提携し、プロトタイプ・スポーツカーの908/02 (3リットル水平対向8気筒エンジン) と、スポーツカーの917 (4.5リットル水平対向12気筒エンジン) の2台が来日した。ジョー・シフェールらワークスドライバーに加え、チーム監督とメカニックも帯同した。手駒のタキ・ローラ(ローラ・T70マークIIオープン仕様)とポルシェ・910を加えて4台体制でのエントリー。
黒沢レーシング
マクラーレンからカンナムで高実績を上げている二座席レーシングカーのM12を2台購入。元2輪王者のマイク・ヘイルウッドとロザー・モッチェンバッハーも来日した。

■第6回日本グランプリ決勝結果
順位 No. クラス  ドライバー 車名 エントラント 周回数 タイム/リタイア
1 21 GP-V 黒澤元治/砂子義一 日産・R382 日産自動車 120  3:42'21.47 2
2 20 GP-V 北野元/横山達   日産・R382  日産自動車 120  3:42'22.94 1
3 3  GP-V 川合稔     トヨタ・7 トヨタ自動車工業 119
4 7  GP-V 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7 トヨタ自動車工業 117
5 2  GP-V 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7 トヨタ自動車工業 1174
6 14 GP-V ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917 滝レーシングオーガニゼーション 116
7 17 GP-IV ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908 滝レーシングオーガニゼーション 116
8 16 GP-III 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910  滝レーシングオーガニゼーション 102
9 46 GP-II 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT 積水化学 100
10 23 GP-V 高橋国光/都平健二 日産・R382 日産自動車 100
11 50 GP-III 大塚光博 フェアレディ2000  ニッサンスポーツカークラブ 95
12 18 GP-I 黒須隆一 DAY & NITE SP  TEAM D&N  黒須隆一 95
13 6 GP-V 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7 トヨタ自動車工業 94
14 33 GP-I 戸坂六三 RQコニーリオ レーシングクォータリー 92
15 26 GP-V 津々見友彦 いすゞ・R7 いすゞスポーツカークラブ 92
16 27 GP-V 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7 いすゞスポーツカークラブ 89
17 36 GP-I 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M. 棚村公一 86
18 40 GP-II 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM リキレーシングディベロップメント 79
19 28 GP-II 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6 いすゞスポーツカークラブ 71
Ret(リタイヤ)およびns(Did not start 出走せず)は省略。(参考サイト参照)
第6回日本グランプリ Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=C_KwcjrWqNs

■ツーリングカーレース決勝結果
[順位] No.   車名          ドライバー    タイム )周回数
[1位]No.39スカイライン2000GT-R(PGC10)寺西 孝利 45'26"01 (20)
[2位]No.38スカイライン2000GT-R(PGC10)歳森 康師 45'26"01 (20)
[3位 No.40スカイライン2000GT-R(PGC10)鈴木 誠一 45'26"19 (20)
[4位]No.45スカイライン2000GT-R(PGC10)R.L.レイガン 5'27"74 (20)
[5位]No.36スカイライン2000GT-R(PGC10)長村 瑞臣 45'33"79 (20)
[6位]No.41スカイライン2000GT-R(PGC10)田村 三夫 45'36"53 (20)
[7位]No.46スカイライン2000GT-R(PGC10)千代間由親  45'44"76 (20)
[8位]No.48スカイライン2000GT-R(PGC10)久保田洋史 45'57"40 (20)
[9位]No.25トヨタ1600GT(RT55)    藤田 直広 46'44"85 (20)
[10位]No.20トヨタ1600GT(RT55)   下山 平治 47'09"49 (20)
出典http://since1957.blog130.fc2.com/blog-date-19691010.html

撮影・編集 
CANON FT FL50mm F1.4、FL200mm F3.5
フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200
SAKURA COLOR ASA-100
1台のカメラに白黒フィルムとカラーフィルムを時々入れ替えて撮りました。フィルムカウンターの番号を記録しておき、1コマ空けて画像の重なりを避けるという高度な技術(笑い)です。現代人にはできないだろうね。

FL200mmは前年5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円
https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html

しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。

掲載画像にはアルバム写真をスキャンしたものと、ネガフィルムをスキャンしたものがあり、画像データの大きさは前者が約2800×1800、後者が約3000×2100です。
いずれも提供可能で、希望があればメール等で連絡してください。
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

yamada423

投稿2020.9.1  10:00

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 1969年10月10日<br />第6回日本グランプリ 富士スピードウェイ<br /><br />ヘアピンカーブにさしかかる日産R382、ポルシェ、ロータス<br /><br />カラー画像および前半のモノクロ画像はアルバムの写真をスキャンしたものです。

    1969年10月10日
    第6回日本グランプリ 富士スピードウェイ

    ヘアピンカーブにさしかかる日産R382、ポルシェ、ロータス

    カラー画像および前半のモノクロ画像はアルバムの写真をスキャンしたものです。

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7<br /><br />No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.43 林将一/笠野輝次  カーマン・アパッチ

    No.43 林将一/笠野輝次  カーマン・アパッチ

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382(優勝車)<br /><br />No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917<br /><br />表紙の写真

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382(優勝車)

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    表紙の写真

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.33 戸坂六三 RQコニーリオ<br /><br />No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

    No.33 戸坂六三 RQコニーリオ

    No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM<br /><br />No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ <br /><br />No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7<br /><br />No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382<br /><br />ここまではカラー撮影です。<br />1台のカメラに白黒フィルムとカラーフィルムを時々入れ替えて撮りました。フィルムカウンターの番号を記録しておき、1コマ空けて画像の重なりを避けるという高度な技術(笑い)です。現代人にはできないだろうね。

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    ここまではカラー撮影です。
    1台のカメラに白黒フィルムとカラーフィルムを時々入れ替えて撮りました。フィルムカウンターの番号を記録しておき、1コマ空けて画像の重なりを避けるという高度な技術(笑い)です。現代人にはできないだろうね。

  • ここからはモノクロ撮影です。<br /><br />No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382<br /><br />実際の車体色はイエローです。

    ここからはモノクロ撮影です。

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    実際の車体色はイエローです。

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382<br /><br />実際の車体色はブルーです。

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    実際の車体色はブルーです。

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

  • No.20 北野元/横山達   日産・R382<br /><br />実際の車体色はオレンジです。

    No.20 北野元/横山達   日産・R382

    実際の車体色はオレンジです。

  • No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

    No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

  • No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

    No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

  • No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

    No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7<br /><br />実際の車体色はブルーです。

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    実際の車体色はブルーです。

  • No.33 戸坂六三 RQコニーリオ<br /><br />No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.33 戸坂六三 RQコニーリオ

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

  • No.29 大森祥吾/浅岡重輝 ベレット・R6

    No.29 大森祥吾/浅岡重輝 ベレット・R6

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

    No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

    No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM<br />   実際の車体色はオレンジです。<br /><br />No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM
       実際の車体色はオレンジです。

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

  • No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ

    No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ

  • No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M

    No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7<br /><br />No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.3 川合稔  トヨタ・7<br /><br />No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • ツーリングカーレース<br /><br />No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

    ツーリングカーレース

    No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

  • No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

    No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

  • No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

    No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

  • No.35 トヨタ1600GT

    No.35 トヨタ1600GT

  • これ以降(後半)はネガフィルムをスキャンした画像で、アルバムの写真と重複するものが少なからずあります。<br />スキャンしたときの枠のズレ以外のトリミングはしていません。<br /><br />駿河小山駅から富士スピードウェイに向かう道路で、バスを途中で降りて会場まで歩いたのかもしれないが、はっきりした記憶はありません。<br />

    これ以降(後半)はネガフィルムをスキャンした画像で、アルバムの写真と重複するものが少なからずあります。
    スキャンしたときの枠のズレ以外のトリミングはしていません。

    駿河小山駅から富士スピードウェイに向かう道路で、バスを途中で降りて会場まで歩いたのかもしれないが、はっきりした記憶はありません。

  • ツーリングカーレース<br /><br />No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

    ツーリングカーレース

    No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

  • No.36 スカイライン2000GT-R(PGC10) 長村 瑞臣

    No.36 スカイライン2000GT-R(PGC10) 長村 瑞臣

  • No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

    No.41 スカイライン2000GT-R(PGC10) 田村 三夫

  • No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

    No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

  • No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

    No.39 スカイライン2000GT-R(PGC10) 寺西 孝利

  • 日本グランプリレース<br /><br />120周 720Kmのレースの始まりです。

    日本グランプリレース

    120周 720Kmのレースの始まりです。

  • ヘアピンカーブに差し掛かるところで、コース中でもっともスピードを落とす地点です。<br />

    ヘアピンカーブに差し掛かるところで、コース中でもっともスピードを落とす地点です。

  • No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7<br /><br />時々撮影場所を変えて移動しますが、平地ではないので結構な運動量になります。<br />当時は26歳になったばかりだったので苦にはならなかったです。

    No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

    時々撮影場所を変えて移動しますが、平地ではないので結構な運動量になります。
    当時は26歳になったばかりだったので苦にはならなかったです。

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

    No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M

    No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP 3VR.M

  • No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

    No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ

    No.43 林将一/笠野輝次 カーマン・アパッチ

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

  • No.7  高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

    No.7  高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.29 大森祥吾/浅岡重輝 ベレット・R6

    No.29 大森祥吾/浅岡重輝 ベレット・R6

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382<br /><br />再びヘアピンカーブ周辺に来ました。

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    再びヘアピンカーブ周辺に来ました。

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382 <br /><br />No.3 川合稔  トヨタ・7<br /><br />No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382 

    No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

  • No.26 津々見友彦 いすゞ・R7<br /><br />No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6

    No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

    No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908<br /><br />No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917<br /><br />No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT<br /><br />No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

  • No.3 川合稔  トヨタ・7<br />

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.20 北野元/横山達   日産・R382

    No.20 北野元/横山達   日産・R382

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

  • No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6

    No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎 ベレット・R6

  • No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

    No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382 

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382 

  • No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

    No.7 高橋利昭/ヴィック・エルフォード トヨタ・7

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917<br /><br />写真を近くで撮りたい一心で無謀なポジション取りをする人もたくさんいましたが、私はうしろから雰囲気を撮影していました。

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    写真を近くで撮りたい一心で無謀なポジション取りをする人もたくさんいましたが、私はうしろから雰囲気を撮影していました。

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

  • No.20 北野元/横山達   日産・R382

    No.20 北野元/横山達   日産・R382

  • No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

    No.16 風戸裕/長谷川弘 ポルシェ・910

  • No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT 

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT 

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7<br /><br />No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.27 米山二郎/西野政治 いすゞ・R7

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

  • No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP

    No.36 遠藤邦機/増田万三 3VワールドSP

  • No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

  • No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

    No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

  • No.3 川合稔  トヨタ・7<br /><br />No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.20 北野元/横山達   日産・R382

    No.20 北野元/横山達   日産・R382

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382<br /><br />手前の人物ではなく、車にピントを合わせたこのような写真はオートフォーカスでは撮れません。<br />車が通過する位置をあらかじめ定めて、マニュアルで焦点を合わせておき、車が通過するタイミングを見計らってシャッターを切ります。<br /><br />ブルーインパルスの撮影も同様です。<br />マニュアルで遠方の被写体に焦点を合わせてロックし、飛行機が視野(フレーム)に狙い通りに収まったらシャッターを切ります。<br />入間航空祭2017<br />https://4travel.jp/travelogue/11299271

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    手前の人物ではなく、車にピントを合わせたこのような写真はオートフォーカスでは撮れません。
    車が通過する位置をあらかじめ定めて、マニュアルで焦点を合わせておき、車が通過するタイミングを見計らってシャッターを切ります。

    ブルーインパルスの撮影も同様です。
    マニュアルで遠方の被写体に焦点を合わせてロックし、飛行機が視野(フレーム)に狙い通りに収まったらシャッターを切ります。
    入間航空祭2017
    https://4travel.jp/travelogue/11299271

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

  • No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

    No.23 高橋国光/都平健二 日産・R382

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

  • No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

    No.46 高野ルイ/吉田隆郎 SEKISUI ロータス・47GT

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

    No.40 杉山武/三富嗣充 EVA・CANAM

  • No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎  ベレット・R6

    No.28 米村太刀夫/粕谷純一郎  ベレット・R6

  • No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

    No.2 久留木博之/細谷四方洋 トヨタ・7

  • No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

    No.6 蟹江光正/見崎清志 トヨタ・7

  • No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

    No.17 ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ・908

  • No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

    No.21 黒澤元治/砂子義一 日産・R382

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • No.3 川合稔  トヨタ・7

    No.3 川合稔  トヨタ・7

  • No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

    No.26 津々見友彦 いすゞ・R7

  • No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

    No.14 ジョー・シフェール/デヴィッド・パイパー ポルシェ・917

  • 撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4<br /><br />ボディ本体重量750g<br />価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

    撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4

    ボディ本体重量750g
    価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

  • レースの撮影に使用した望遠レンズ<br /><br />CANON FL 200mm F3.5<br />口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。<br />価格 1966年5月発売時 29,500円

    レースの撮影に使用した望遠レンズ

    CANON FL 200mm F3.5
    口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。
    価格 1966年5月発売時 29,500円

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