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2020年11月<br />本田宗一郎が自動車業界で活躍した昭和の一時期の、私の記録をまとめた写真集を31編のブログにして公開しました。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編 Series Showa era Omnibus<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br />シリーズ昭和の記録No.19 社内行事<br />https://4travel.jp/travelogue/11645409<br />─────────────────────────────────<br />創立25周年記念の「栄光のレーサー記念走行会」(荒川)で挨拶する本田宗一郎社長(1906.11.17ー1991.8.5)(当時66歳) 1973.9<br /><br />■2023年8月5日は33回忌の命日です。■<br /><br />長年の夢であった飛行機の世界への参入が実現し、日本の空へ飛んできたホンダジェットをさぞかし喜んでいると思います。<br />ホンダジェット関係者一同の声が空の彼方まで届くと思います。<br />「やったぜ オヤジさん」<br />HondaJet World Tour in Japan 2015 成田Narita 5.1<br />http://4travel.jp/travelogue/11005797<br />動画サイト3つリンクがあります。<br /><br />淡いピンクの開襟シャツは今流行りのスーパークールビズの先駆けです。<br />Soichiro Honda to speach at &quot;The Memorial Run of Glorious Racers&quot;in Arakawa Test Course/Saitama<br /><br />これは旅行記とは趣向が異なりますが、芝白金の八芳園での本田技研創立25周年記念イベントの記録写真を掲載いたします。記憶の旅の記しとして。<br /><br />また1987年の新車発表会における本田宗一郎、河島喜好、久米是志の3代社長の珍しい3ショット写真を紹介します。(後半の4枚)<br /><br />本田技研工業の創業者である本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年11月17日- 1991年8月5日)の命日8月5日を前に、元本田技術研究所の従業員であった作者が、創立25周年記念イベントや新車発表会などで撮影した素顔の本田宗一郎を紹介します。<br /><br />内容は昭和48年9月(1973.9)の八芳園での創立25周年記念式典、芸能バラエティショー、和光市の荒川テスト・コースでの「栄光のレーサー記念走行会」,<br />及び1987年の新車発表会などにおける素顔の本田宗一郎のスナップ写真です。<br />2012.6.2に創立40周年の特集記事を掲載したドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルト誌1988.9.23号の写真を転載しました。<br /><br />2012.6.4<br />このブログをホンダ倶楽部総会・懇親会にリンクさせたところ、多くのアクセスがあるため本田宗一郎だけでない役員、社員の素顔の写真も追加掲載することにしました。<br />「あのとき俺(わたし)もいたんだよ!」と声が聞こえました。<br /><br />ご覧になった方は知ってる顔を見つけたら教えてあげてください。<br />これを機会に出会い・再会があるといいですね。<br /><br />いずれも公開のイベントでの撮影のため、同時に写っている方々の事前了解は得ておりません。<br />人権に関わる不利・不名誉な扱いはしていないつもりですが、万が一問題がありましたら掲示板にコメントいただきたいと思います。<br />また、ご覧いただいた感想など寄せていただければ嬉しいです。<br />一部敬称を略させていただきます。<br /><br />2013.11.27<br />1973年9月に撮影した画像で未掲載なものを加えて再編集しました。<br />その中には名ライダー故隅谷守男の秘蔵写真も4枚あります。<br /><br />2013.12.24<br />本田さんの夢であった航空機がまた一歩実用化に近づきました。<br /><br />ホンダジェット写真集<br />ホンダは、開発中の小型ジェット機「ホンダジェット」が、米連邦航空局から型式検査承認を受けたと発表した。これにより、量産に向けた最終的な試験飛行ができることとなり、2015年に量産の準備が整うという。<br />http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/23/hondajet-to-launch_n_4496077.html<br />http://matome.naver.jp/odai/2129299869414088701<br /><br />2015.5.1<br />ホンダジェット・ワールドツアーが4月23日(木)羽田空港での報道関係者へのお披露目、4/25仙台空港、4/26神戸空港、4/29熊本空港での一般展示に続き、この日はホンダ関係者への報告会が成田空港で行われました。<br />HondaJet World Tour in Japan 2015 成田Narita 5.1<br />https://4travel.jp/travelogue/11005797<br /><br />2015.12.10<br />アメリカ当局から型式証明を取得したとのニュースが放映・放送されました。<br />2016年から本格的に生産が開始され、2017年度の小型ジェットの出荷数(43機)はセスナ(39機)を抜いて世界一になったとの報道がありました。<br />https://www.asahi.com/articles/ASL2Q45D5L2QULFA00T.html<br /><br />2021.12.17<br />HondaJetが200機目のデリバリーを達成<br /><br />2022.02.24<br />「HondaJet」が5年連続でカテゴリートップのデリバリー数を達成<br />https://www.honda.co.jp/jet/release/<br /><br />撮影 <br />1973 CANON FT FL50mm/F1.4 <br />1987 CANON AE1-P FD50mm/F1.4<br />2013 CANON EOS 40D EF-S17/85<br /><br />編集・公開 2010.7.31<br />追加・改訂  2012.6.2<br />大幅増補  2013.11.27<br />河島喜好関連追加 2013.12.16<br /><br />相互リンク・サイト<br />2012ホンダ倶楽部総会・懇親会<br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10674678/<br />2013HGOB会総会・親睦会<br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10744487/<br />2013年1月23日のHGOB会で実施したANA機体工場見学会<br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10768620/<br /><br />☆Honda 挑戦の歴史: 第1期F1・F2活動<br />https://www.youtube.com/watch?v=ZHOG1LfrbvU<br /><br />参考サイト;本田宗一郎の名言<br />https://twitter.com/hondabot001<br />http://iyashitour.com/meigen/greatman/honda_soichiro<br />http://matome.naver.jp/odai/2137593692357634801<br />http://earth-words.org/archives/570<br />https://twitter.com/hondabot001<br /><br />■訃報■<br />故 本田宗一郎 様 ご令室 本田 さち 様が2013年12月15日(日)午後3時5分、老衰によりご逝去されました。(享年99歳)<br />故人様のご冥福を謹んでお祈り申しあげます。2013.12.18 13:10<br />   ◆      ◆      ◆      ◆<br />河島喜好氏が2013.10.31に亡くなられたとの訃報が11月6日午後4時に報じられた。<br />故河島喜好氏のお別れの会は以下の内容で行われました。<br />献花台やお清め会場に展示された歴史的な2輪車の写真を末尾に掲載しました。<br />・日時:平成25(2013)年12月16日(月)正午より午後1時まで <br />・会場:ホテルオークラ 東京 平安の間<br /> 住所:東京都港区虎ノ門2-10-4(電話:03-3582-0111)<br /> <br />2020年7月1日<br />ここ1年(2019年秋、2020年春)のホンダ倶楽部会誌「絆」の「お悔やみ」欄に掲載された方の没年齢の平均値(78.5歳)が、都道府県別の最短の青森県の平均値(平成27年 78.67歳 下記URL資料)よりも短いことに気づき愕然としました。理由はわかりませんが健康管理には万全を期したいと思います。<br />https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk15/dl/tdfk15-03.pdf<br /><br />2020.8.3  1968.10.27運動会の写真を末尾に追加しました。<br /><br />訃報 2022.9.28<br />ホンダの三代目社長久米是志氏が2022年9月11日に亡くなられたとの訃報が社内メールにて報じられました。私にとっては研究所時代に深くかかわりのあった上司であり、また一つ時代が変わってゆく思いがあります。<br />

素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)Soichiro Honda and Three Tops of Honda/The memorial run of glorious racers

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1973/09/10 - 1987/09/20

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118

yamada423

yamada423さん

2020年11月
本田宗一郎が自動車業界で活躍した昭和の一時期の、私の記録をまとめた写真集を31編のブログにして公開しました。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編 Series Showa era Omnibus
https://4travel.jp/travelogue/11651747
シリーズ昭和の記録No.19 社内行事
https://4travel.jp/travelogue/11645409
─────────────────────────────────
創立25周年記念の「栄光のレーサー記念走行会」(荒川)で挨拶する本田宗一郎社長(1906.11.17ー1991.8.5)(当時66歳) 1973.9

■2023年8月5日は33回忌の命日です。■

長年の夢であった飛行機の世界への参入が実現し、日本の空へ飛んできたホンダジェットをさぞかし喜んでいると思います。
ホンダジェット関係者一同の声が空の彼方まで届くと思います。
「やったぜ オヤジさん」
HondaJet World Tour in Japan 2015 成田Narita 5.1
http://4travel.jp/travelogue/11005797
動画サイト3つリンクがあります。

淡いピンクの開襟シャツは今流行りのスーパークールビズの先駆けです。
Soichiro Honda to speach at "The Memorial Run of Glorious Racers"in Arakawa Test Course/Saitama

これは旅行記とは趣向が異なりますが、芝白金の八芳園での本田技研創立25周年記念イベントの記録写真を掲載いたします。記憶の旅の記しとして。

また1987年の新車発表会における本田宗一郎、河島喜好、久米是志の3代社長の珍しい3ショット写真を紹介します。(後半の4枚)

本田技研工業の創業者である本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年11月17日- 1991年8月5日)の命日8月5日を前に、元本田技術研究所の従業員であった作者が、創立25周年記念イベントや新車発表会などで撮影した素顔の本田宗一郎を紹介します。

内容は昭和48年9月(1973.9)の八芳園での創立25周年記念式典、芸能バラエティショー、和光市の荒川テスト・コースでの「栄光のレーサー記念走行会」,
及び1987年の新車発表会などにおける素顔の本田宗一郎のスナップ写真です。
2012.6.2に創立40周年の特集記事を掲載したドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルト誌1988.9.23号の写真を転載しました。

2012.6.4
このブログをホンダ倶楽部総会・懇親会にリンクさせたところ、多くのアクセスがあるため本田宗一郎だけでない役員、社員の素顔の写真も追加掲載することにしました。
「あのとき俺(わたし)もいたんだよ!」と声が聞こえました。

ご覧になった方は知ってる顔を見つけたら教えてあげてください。
これを機会に出会い・再会があるといいですね。

いずれも公開のイベントでの撮影のため、同時に写っている方々の事前了解は得ておりません。
人権に関わる不利・不名誉な扱いはしていないつもりですが、万が一問題がありましたら掲示板にコメントいただきたいと思います。
また、ご覧いただいた感想など寄せていただければ嬉しいです。
一部敬称を略させていただきます。

2013.11.27
1973年9月に撮影した画像で未掲載なものを加えて再編集しました。
その中には名ライダー故隅谷守男の秘蔵写真も4枚あります。

2013.12.24
本田さんの夢であった航空機がまた一歩実用化に近づきました。

ホンダジェット写真集
ホンダは、開発中の小型ジェット機「ホンダジェット」が、米連邦航空局から型式検査承認を受けたと発表した。これにより、量産に向けた最終的な試験飛行ができることとなり、2015年に量産の準備が整うという。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/23/hondajet-to-launch_n_4496077.html
http://matome.naver.jp/odai/2129299869414088701

2015.5.1
ホンダジェット・ワールドツアーが4月23日(木)羽田空港での報道関係者へのお披露目、4/25仙台空港、4/26神戸空港、4/29熊本空港での一般展示に続き、この日はホンダ関係者への報告会が成田空港で行われました。
HondaJet World Tour in Japan 2015 成田Narita 5.1
https://4travel.jp/travelogue/11005797

2015.12.10
アメリカ当局から型式証明を取得したとのニュースが放映・放送されました。
2016年から本格的に生産が開始され、2017年度の小型ジェットの出荷数(43機)はセスナ(39機)を抜いて世界一になったとの報道がありました。
https://www.asahi.com/articles/ASL2Q45D5L2QULFA00T.html

2021.12.17
HondaJetが200機目のデリバリーを達成

2022.02.24
「HondaJet」が5年連続でカテゴリートップのデリバリー数を達成
https://www.honda.co.jp/jet/release/

撮影 
1973 CANON FT FL50mm/F1.4
1987 CANON AE1-P FD50mm/F1.4
2013 CANON EOS 40D EF-S17/85

編集・公開 2010.7.31
追加・改訂  2012.6.2
大幅増補  2013.11.27
河島喜好関連追加 2013.12.16

相互リンク・サイト
2012ホンダ倶楽部総会・懇親会
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10674678/
2013HGOB会総会・親睦会
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10744487/
2013年1月23日のHGOB会で実施したANA機体工場見学会
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10768620/

☆Honda 挑戦の歴史: 第1期F1・F2活動
https://www.youtube.com/watch?v=ZHOG1LfrbvU

参考サイト;本田宗一郎の名言
https://twitter.com/hondabot001
http://iyashitour.com/meigen/greatman/honda_soichiro
http://matome.naver.jp/odai/2137593692357634801
http://earth-words.org/archives/570
https://twitter.com/hondabot001

■訃報■
故 本田宗一郎 様 ご令室 本田 さち 様が2013年12月15日(日)午後3時5分、老衰によりご逝去されました。(享年99歳)
故人様のご冥福を謹んでお祈り申しあげます。2013.12.18 13:10
   ◆      ◆      ◆      ◆
河島喜好氏が2013.10.31に亡くなられたとの訃報が11月6日午後4時に報じられた。
故河島喜好氏のお別れの会は以下の内容で行われました。
献花台やお清め会場に展示された歴史的な2輪車の写真を末尾に掲載しました。
・日時:平成25(2013)年12月16日(月)正午より午後1時まで 
・会場:ホテルオークラ 東京 平安の間
 住所:東京都港区虎ノ門2-10-4(電話:03-3582-0111)
 
2020年7月1日
ここ1年(2019年秋、2020年春)のホンダ倶楽部会誌「絆」の「お悔やみ」欄に掲載された方の没年齢の平均値(78.5歳)が、都道府県別の最短の青森県の平均値(平成27年 78.67歳 下記URL資料)よりも短いことに気づき愕然としました。理由はわかりませんが健康管理には万全を期したいと思います。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk15/dl/tdfk15-03.pdf

2020.8.3  1968.10.27運動会の写真を末尾に追加しました。

訃報 2022.9.28
ホンダの三代目社長久米是志氏が2022年9月11日に亡くなられたとの訃報が社内メールにて報じられました。私にとっては研究所時代に深くかかわりのあった上司であり、また一つ時代が変わってゆく思いがあります。

旅行の満足度
4.5
同行者
社員・団体旅行
交通手段
JRローカル 私鉄 自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 本田技研工業創立25周年記念の昭和48年9月(1973.9)栄光のレーサー記念走行会役員席の部分(荒川河川敷コース)<br />右から本田宗一郎、河島喜好各氏<br />Soichiro Honda(right),Kiyoshi Kawashima<br />この年に河島喜好氏が45歳で本田技研の二代目社長に就任しました。<br /><br />参考サイト<br />http://blogs.yahoo.co.jp/akifukuda/22627903.html<br /><br />

    本田技研工業創立25周年記念の昭和48年9月(1973.9)栄光のレーサー記念走行会役員席の部分(荒川河川敷コース)
    右から本田宗一郎、河島喜好各氏
    Soichiro Honda(right),Kiyoshi Kawashima
    この年に河島喜好氏が45歳で本田技研の二代目社長に就任しました。

    参考サイト
    http://blogs.yahoo.co.jp/akifukuda/22627903.html

  • 1973年9月<br />八芳園で行われた創立25周年記念式典会場(控室入口)で研究所役員の出迎えを受ける本田さん、藤沢さん(白い靴)、河島さん<br /><br /><br /><br />

    1973年9月
    八芳園で行われた創立25周年記念式典会場(控室入口)で研究所役員の出迎えを受ける本田さん、藤沢さん(白い靴)、河島さん



  • 八芳園で行われた創立25周年記念式典であいさつする本田宗一郎社長<br />この時の年齢は66歳。(1906年11月17日- 1991年8月5日)<br /><br />昔からこのような(場合によってもっとラフな)服装でした。<br />近頃のクール・ビズcool bizなんぞ天国で聞いたら「なに言ってやんでー、俺なんかとっくの昔からやってるよ」と言われそうです。<br /><br />私は64.5歳で引退しましたが、エンジニアとして40年間の充実した歳月を振り返って適当な時期であったと思います。<br />2012.4に50年ぶりの大学入学式を迎え、社会の変化に遅れないように努めています。<br />所沢市高齢者大学 第36期講義録(前期)<br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10670647/

    八芳園で行われた創立25周年記念式典であいさつする本田宗一郎社長
    この時の年齢は66歳。(1906年11月17日- 1991年8月5日)

    昔からこのような(場合によってもっとラフな)服装でした。
    近頃のクール・ビズcool bizなんぞ天国で聞いたら「なに言ってやんでー、俺なんかとっくの昔からやってるよ」と言われそうです。

    私は64.5歳で引退しましたが、エンジニアとして40年間の充実した歳月を振り返って適当な時期であったと思います。
    2012.4に50年ぶりの大学入学式を迎え、社会の変化に遅れないように努めています。
    所沢市高齢者大学 第36期講義録(前期)
    http://4travel.jp/traveler/810766/album/10670647/

  • 服装はラフではありましたが、なかなかのおしゃれでした。<br /><br />このようにピンクのズボンと靴下をコーディネートしたファッション感覚は凡人の私には真似できません。<br /><br />後掲のドイツの自動車専門誌の評でも、<br />「ファッション感覚は新鮮だった。日本のサラリーマンの典型であるドブネズミ色のスーツではなく、明るい色の、シニア用というよりヤッピー用にデザインされたスーツと時代精神を発揮したデザイナーズ・タイという服装だった。無理して着飾っているとは映らず、若さを失わない人間の感性が息づいていた。」<br /><br /><秘話><br />このようなラフな恰好でよく出勤(笑)する和光研究所の職場へ、ふらっとやってきたのを見かけた若い体格の良い従業員が小柄な本田さんをたしなめるように声をかけた。<br />「オジさん、勝手に入ってきちゃダメだよ」<br />「アッ いけねー わるかったな」<br /><br />本田宗一郎を見たことのない従業員も増えていたし、役員専用のフロア、トイレなどなかったのです。今も変わらないでしょう。<br /><br />このエピソードは私が好きな黒田あゆみ(渡辺あゆみ)さんが案内役のNHK「歴史秘話」には登場しませんね。

    服装はラフではありましたが、なかなかのおしゃれでした。

    このようにピンクのズボンと靴下をコーディネートしたファッション感覚は凡人の私には真似できません。

    後掲のドイツの自動車専門誌の評でも、
    「ファッション感覚は新鮮だった。日本のサラリーマンの典型であるドブネズミ色のスーツではなく、明るい色の、シニア用というよりヤッピー用にデザインされたスーツと時代精神を発揮したデザイナーズ・タイという服装だった。無理して着飾っているとは映らず、若さを失わない人間の感性が息づいていた。」

    <秘話>
    このようなラフな恰好でよく出勤(笑)する和光研究所の職場へ、ふらっとやってきたのを見かけた若い体格の良い従業員が小柄な本田さんをたしなめるように声をかけた。
    「オジさん、勝手に入ってきちゃダメだよ」
    「アッ いけねー わるかったな」

    本田宗一郎を見たことのない従業員も増えていたし、役員専用のフロア、トイレなどなかったのです。今も変わらないでしょう。

    このエピソードは私が好きな黒田あゆみ(渡辺あゆみ)さんが案内役のNHK「歴史秘話」には登場しませんね。

  • 25周年記念式典の挨拶に立つ本田技研の共同創業者とも言える藤沢武夫副社長<br />Vice President Takeo Fujisawa<br />本田宗一郎社長が技術分野を、藤沢武夫副社長が経営を担って会社を成長させました。<br /><br />藤沢 武夫(ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は実業家。東京市 出身(本籍は茨城県結城市)。本田宗一郎の参謀として本田神話のシナリオを書き、本田 宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げたことで知られる。 ...(Wikipedia)<br />

    25周年記念式典の挨拶に立つ本田技研の共同創業者とも言える藤沢武夫副社長
    Vice President Takeo Fujisawa
    本田宗一郎社長が技術分野を、藤沢武夫副社長が経営を担って会社を成長させました。

    藤沢 武夫(ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は実業家。東京市 出身(本籍は茨城県結城市)。本田宗一郎の参謀として本田神話のシナリオを書き、本田 宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げたことで知られる。 ...(Wikipedia)

  • 挨拶に立つ河島喜好(2代目)社長<br />2nd President Kiyoshi Kawashima<br /><br />正面中央に本田さんが見えます。<br />

    挨拶に立つ河島喜好(2代目)社長
    2nd President Kiyoshi Kawashima

    正面中央に本田さんが見えます。

  • 挨拶にたつ研友会理事長Y.S.さん<br /><br />研友会:本田技術研究所のクラブ活動や福利厚生行事などを運営する組織で、役員は社員から選出されるが専従ではない。<br />創立25周年記念式典なども研友会が運営した。<br /><br />研友会と名の付く研究機関・研修所などのOB組織は全国にたくさんありますが上記は現役社員の組織です。

    挨拶にたつ研友会理事長Y.S.さん

    研友会:本田技術研究所のクラブ活動や福利厚生行事などを運営する組織で、役員は社員から選出されるが専従ではない。
    創立25周年記念式典なども研友会が運営した。

    研友会と名の付く研究機関・研修所などのOB組織は全国にたくさんありますが上記は現役社員の組織です。

  • 記念の花束を受け取り、喜んで掲げる本田社長<br /><br />本田宗一郎・藤沢武夫に関する書籍は多数出版されていますが、資料を含めて総合的に良くまとめられていると思われるのは、没直後に発行された下記です。<br /><br />池田政太郎編著 終わりなき走路(レース)本田宗一郎の人生<br />東洋経済新報社 1991年11月21日 第1刷発行  A5 381頁 \2800

    記念の花束を受け取り、喜んで掲げる本田社長

    本田宗一郎・藤沢武夫に関する書籍は多数出版されていますが、資料を含めて総合的に良くまとめられていると思われるのは、没直後に発行された下記です。

    池田政太郎編著 終わりなき走路(レース)本田宗一郎の人生
    東洋経済新報社 1991年11月21日 第1刷発行  A5 381頁 \2800

  • 記念式典を終えて研友会S理事長の先導で退場する本田社長、藤沢副社長

    記念式典を終えて研友会S理事長の先導で退場する本田社長、藤沢副社長

  • 八芳園で開かれた創立25周年の各種イベントの一つの芸能バラエティーショーで歌う本田社長<br />Variety show at Happoen Tokyo Meguro<br /><br />この夜は本田宗一郎のリサイタルのようでした。ライブ盤はおそらく存在しないでしょう。<br />

    八芳園で開かれた創立25周年の各種イベントの一つの芸能バラエティーショーで歌う本田社長
    Variety show at Happoen Tokyo Meguro

    この夜は本田宗一郎のリサイタルのようでした。ライブ盤はおそらく存在しないでしょう。

  • 従業員と談笑する本田社長。外(ソト)ではあまり見られないリラックスした表情です。<br /><br />もっとも浜松伝説などによれば、もっとはめを外した出来事は数えきれないほどあったようですが、私は知る由もなしです。<br />

    従業員と談笑する本田社長。外(ソト)ではあまり見られないリラックスした表情です。

    もっとも浜松伝説などによれば、もっとはめを外した出来事は数えきれないほどあったようですが、私は知る由もなしです。

  • 二代目社長河島喜好を囲んで

    二代目社長河島喜好を囲んで

  • 本田さんの顔を隠しているのは誰ですか。<br />河島さんは社員に埋もれています。<br />綺麗なお姉さんが・・・。

    本田さんの顔を隠しているのは誰ですか。
    河島さんは社員に埋もれています。
    綺麗なお姉さんが・・・。

  • この面々も定年退職してOBです。<br /><br />ゴロエさんとは昨年の衆議院選挙中に朝霞台で他の面々と4人で飲みました。<br />○○党の若手△△が演説に来るとかで駅前は大混雑でした。

    この面々も定年退職してOBです。

    ゴロエさんとは昨年の衆議院選挙中に朝霞台で他の面々と4人で飲みました。
    ○○党の若手△△が演説に来るとかで駅前は大混雑でした。

  • 私も左奥に写っています。(オレンジ●)<br /><br />八芳園での大夜会では故三遊亭円楽のトークショーから入浴ショー!まで盛りだくさんの出し物で25周年を祝い、楽しみました。

    私も左奥に写っています。(オレンジ●)

    八芳園での大夜会では故三遊亭円楽のトークショーから入浴ショー!まで盛りだくさんの出し物で25周年を祝い、楽しみました。

  • 中は私と同じ所沢に住む、私のスキーの先生です。<br />今でも指導員の資格を堅持するためのトレーニングは欠かさないそうです。<br /><br />2009年に誘われて石打へ行ったときの旅行記ですが、彼は講習を受ける側ではないので一緒には写っていません。<br />「石打スキー場のスキー・パーティー」 <br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10548070/

    中は私と同じ所沢に住む、私のスキーの先生です。
    今でも指導員の資格を堅持するためのトレーニングは欠かさないそうです。

    2009年に誘われて石打へ行ったときの旅行記ですが、彼は講習を受ける側ではないので一緒には写っていません。
    「石打スキー場のスキー・パーティー」
    http://4travel.jp/traveler/810766/album/10548070/

  • 1973年当時エンジン・ミッション設計部門の女性社員の皆さんも今は孫の世話で大変かもしれませんね。

    1973年当時エンジン・ミッション設計部門の女性社員の皆さんも今は孫の世話で大変かもしれませんね。

  • こんなに楽しげに歌うのは社内イベントだからでしょう。<br />そのほかに、引退を決意したことによる心の安寧が影響しているのかもしれません。<br />この年の夏、本田宗一郎が中国出張中に「本田社長、藤沢副社長引退」との予期しない報道が流れた。<br />帰国時の羽田での記者会見では笑顔で「前々からやめるつもりで藤沢副社長と相談していた。<br />それがたまたま外遊中にバレてしまっただけだ」と語った。<br /><br /><br />

    こんなに楽しげに歌うのは社内イベントだからでしょう。
    そのほかに、引退を決意したことによる心の安寧が影響しているのかもしれません。
    この年の夏、本田宗一郎が中国出張中に「本田社長、藤沢副社長引退」との予期しない報道が流れた。
    帰国時の羽田での記者会見では笑顔で「前々からやめるつもりで藤沢副社長と相談していた。
    それがたまたま外遊中にバレてしまっただけだ」と語った。


  • なにやらしんみりした詩のようです<br /><br />己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき)同じお前も かれ芒<br />どうせ二人は この世では花の咲かない 枯れ芒 ♪<br /><br />船頭小唄<br />http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sendoukouta.html

    なにやらしんみりした詩のようです

    己(おれ)は河原の 枯れ芒(すすき)同じお前も かれ芒
    どうせ二人は この世では花の咲かない 枯れ芒 ♪

    船頭小唄
    http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sendoukouta.html

  • 歌い終わって笑顔が戻ったようです。<br /><br />まだまだ「枯れすすき」ではありません。<br /><br />私はオヤジさんのこの時の年齢(66歳)を既に超えていますが、欧州一人旅http://4travel.jp/traveler/810766/album/10617323/(2011年)を楽しめるので枯れた感じはしていません。<br /><br />追記<br />76歳を超えてもヨーロッパ鉄道の一人旅15日間に行ってきました。2019年<br />https://4travel.jp/travelogue/11592184

    歌い終わって笑顔が戻ったようです。

    まだまだ「枯れすすき」ではありません。

    私はオヤジさんのこの時の年齢(66歳)を既に超えていますが、欧州一人旅http://4travel.jp/traveler/810766/album/10617323/(2011年)を楽しめるので枯れた感じはしていません。

    追記
    76歳を超えてもヨーロッパ鉄道の一人旅15日間に行ってきました。2019年
    https://4travel.jp/travelogue/11592184

  • フラガール元祖?<br /><br />ホップ・ステップ・25・ジャンプ

    フラガール元祖?

    ホップ・ステップ・25・ジャンプ

  • 2台のドリームとスクーターのジュノー<br /><br />私の叔母がH社に勤めていたので家族工場見学で大和工場(後の和光工場)でジュノーのFRP部品(フェンダー?)の製造現場を見た覚えがあります。小学生でした。このとき機械工場で見たエアー・マイクロメータは私のエンジニア人生の種蒔きであったかもしれません。<br />現在のホンダの機械工場(エンジン・ミッションなど)では自動化が進んで小学生の工場見学はできないので、同じ経験は味わえませんね。<br /><br />このドリームの年式は分かりませんが初期のモデルは先日見学したBMWの1931年モデルにそっくりの感じがしました。<br />1951 / ホンダ ドリーム E型<br />http://app.mobilityland.co.jp/hch/search/?action_detail=1&amp;productid=379&amp;type=age<br /><br />BMW1931年モデルの写真が掲載してあります。<br />BMWミュージアム2011⑫<br />http://4travel.jp/traveler/810766/album/10636518/<br />ここには黄金期のホンダF1に関するWikipedia記事も転載しています。<br /><br />2013.8.1<br />ホンダ倶楽部のサイトを通じてKEYさんからお便りをいただきました。<br />「山田さん!オヤジさんや藤沢さんのお写真も懐かしかったですが、私が若かった頃和光工場で作っていたジュノーにも再会できました。私はあの頃はジュノーのエンジンと、バタリーニというトランスミッション組み立の係長でした。ジュノーのスワッシュプレーとや自動油圧タペットでは苦労しました。いずれも私たちの青春の想い出です。」<br /><br />ありがとうございます。<br />何十年も撮り続けてきた写真をネット公開して、皆さんに披露できてよかったです。アマチュア写真家冥利に尽きます。<br />yamada423<br /> <br />

    2台のドリームとスクーターのジュノー

    私の叔母がH社に勤めていたので家族工場見学で大和工場(後の和光工場)でジュノーのFRP部品(フェンダー?)の製造現場を見た覚えがあります。小学生でした。このとき機械工場で見たエアー・マイクロメータは私のエンジニア人生の種蒔きであったかもしれません。
    現在のホンダの機械工場(エンジン・ミッションなど)では自動化が進んで小学生の工場見学はできないので、同じ経験は味わえませんね。

    このドリームの年式は分かりませんが初期のモデルは先日見学したBMWの1931年モデルにそっくりの感じがしました。
    1951 / ホンダ ドリーム E型
    http://app.mobilityland.co.jp/hch/search/?action_detail=1&productid=379&type=age

    BMW1931年モデルの写真が掲載してあります。
    BMWミュージアム2011⑫
    http://4travel.jp/traveler/810766/album/10636518/
    ここには黄金期のホンダF1に関するWikipedia記事も転載しています。

    2013.8.1
    ホンダ倶楽部のサイトを通じてKEYさんからお便りをいただきました。
    「山田さん!オヤジさんや藤沢さんのお写真も懐かしかったですが、私が若かった頃和光工場で作っていたジュノーにも再会できました。私はあの頃はジュノーのエンジンと、バタリーニというトランスミッション組み立の係長でした。ジュノーのスワッシュプレーとや自動油圧タペットでは苦労しました。いずれも私たちの青春の想い出です。」

    ありがとうございます。
    何十年も撮り続けてきた写真をネット公開して、皆さんに披露できてよかったです。アマチュア写真家冥利に尽きます。
    yamada423

  • 初期のホンダ号(正式名は?)<br /><br />詳しく知りたい場合はホンダコレクションホールhttp://www.twinring.jp/collection-hall/へ行けばわかると思います。

    初期のホンダ号(正式名は?)

    詳しく知りたい場合はホンダコレクションホールhttp://www.twinring.jp/collection-hall/へ行けばわかると思います。

  • 本田社長の到着です。

    本田社長の到着です。

  • 本田さんを迎える研究所役員<br /><br /><br />この時河島喜好氏は研究所社長でした。

    本田さんを迎える研究所役員


    この時河島喜好氏は研究所社長でした。

  • 栄光のレーサー記念走行会役員席(荒川河川敷コース)<br />右から本田宗一郎、河島喜好、杉浦英男、鈴木正巳各氏<br /><br />

    栄光のレーサー記念走行会役員席(荒川河川敷コース)
    右から本田宗一郎、河島喜好、杉浦英男、鈴木正巳各氏

  • 研友会理事長の挨拶

    研友会理事長の挨拶

  • 本田宗一郎(1906年11月17日- 1991年8月5日)<br />Soichiro Honda speaching<br />表紙写真の元画像.<br />いわゆる「モノづくり」で鍛えられた腕と指の筋肉をこれほど鮮明に写した写真は珍しく貴重であると思います。私の記録写真の中でも十指に入ります。<br /><br />本田宗一郎の名言・語録を紹介したサイトです。<br />http://www.earth-words.net/human/honda-souitirou.html<br />http://homepage3.nifty.com/katsukun/sou/books/goroku.htm<br />http://sekihi.net/writers/1793

    本田宗一郎(1906年11月17日- 1991年8月5日)
    Soichiro Honda speaching
    表紙写真の元画像.
    いわゆる「モノづくり」で鍛えられた腕と指の筋肉をこれほど鮮明に写した写真は珍しく貴重であると思います。私の記録写真の中でも十指に入ります。

    本田宗一郎の名言・語録を紹介したサイトです。
    http://www.earth-words.net/human/honda-souitirou.html
    http://homepage3.nifty.com/katsukun/sou/books/goroku.htm
    http://sekihi.net/writers/1793

  • 本田さんが一等賞でーす(笑い)<br /><br />プロのカメラマンを差し置いて、社員の私は遠慮もなく正面から撮りました。<br />私の写真も一等賞?

    本田さんが一等賞でーす(笑い)

    プロのカメラマンを差し置いて、社員の私は遠慮もなく正面から撮りました。
    私の写真も一等賞?

  • 私は本田さんの撮影と、取材陣の撮影の両方が狙いでした。<br />今思えば欲張って正解でした。素人だけの発想です。<br /><br />独自のアイデアを尊ぶホンダ精神が入社5年で少し身についていたのかもしれません。<br /><br />この写真を撮ってから今年2013.9でちょうど40年です。<br />50年以上前から何百本も撮ったフィルムはきちんと保管され、いつでも活用できる状態ですが一部は劣化しています。<br /><br />フィルムの材料が分解して酢酸を発生させ、缶を開けると鼻をつく匂いがするので、時々空気に晒し、乾燥剤のシリカゲルの乾燥を行います。<br /><br />ここに掲載した画像など、2007.10以前の写真は写真ラボでフィルム1本525円でデジタル化したものです。<br />

    私は本田さんの撮影と、取材陣の撮影の両方が狙いでした。
    今思えば欲張って正解でした。素人だけの発想です。

    独自のアイデアを尊ぶホンダ精神が入社5年で少し身についていたのかもしれません。

    この写真を撮ってから今年2013.9でちょうど40年です。
    50年以上前から何百本も撮ったフィルムはきちんと保管され、いつでも活用できる状態ですが一部は劣化しています。

    フィルムの材料が分解して酢酸を発生させ、缶を開けると鼻をつく匂いがするので、時々空気に晒し、乾燥剤のシリカゲルの乾燥を行います。

    ここに掲載した画像など、2007.10以前の写真は写真ラボでフィルム1本525円でデジタル化したものです。

  • 栄光のレーサー記念走行(荒川テストコース)2輪レーサー<br /><br />人間に焦点を合わせれば、「栄光のライダー・メカニック」です。<br /><br />私の記憶が正しければ左から<br />荏原、白倉、尾熊、山中、小池、馬場、秋鹿、岸、本田社長、関口の各氏です。<br />ほぼ合っていると思いますが、違っていたら連絡ください。

    栄光のレーサー記念走行(荒川テストコース)2輪レーサー

    人間に焦点を合わせれば、「栄光のライダー・メカニック」です。

    私の記憶が正しければ左から
    荏原、白倉、尾熊、山中、小池、馬場、秋鹿、岸、本田社長、関口の各氏です。
    ほぼ合っていると思いますが、違っていたら連絡ください。

  • 前の写真に続き<br />神谷、鈴木、隅谷守男(契約ライダー)、山田の各氏です。

    前の写真に続き
    神谷、鈴木、隅谷守男(契約ライダー)、山田の各氏です。

  • 故隅谷守男氏(上の写真の部分)<br /><br />1975年, 隅谷守男, テスト, フランスのル・マン、ブガッティサーキットにおいて、ボルドール24時間耐久レースに向けた練習中、転倒して死亡。<br />出典:http://afw.fc2web.com/ziko/ziko2rin.htm<br /><br />この日の走行中の写真はこのあとに掲載しています。

    故隅谷守男氏(上の写真の部分)

    1975年, 隅谷守男, テスト, フランスのル・マン、ブガッティサーキットにおいて、ボルドール24時間耐久レースに向けた練習中、転倒して死亡。
    出典:http://afw.fc2web.com/ziko/ziko2rin.htm

    この日の走行中の写真はこのあとに掲載しています。

  • F1チームメンバーと本田社長  その1<br />

    F1チームメンバーと本田社長  その1

  • F1チームメンバーと本田社長  その2<br />

    F1チームメンバーと本田社長  その2

  • F1チームメンバーと本田社長  その3<br />

    F1チームメンバーと本田社長  その3

  • F1チームメンバーと本田社長  その4<br /><br /><br />黄緑色はネガの変色によるものです。<br />なにせ40年近くも昔のネガですから止むをえません。

    F1チームメンバーと本田社長  その4


    黄緑色はネガの変色によるものです。
    なにせ40年近くも昔のネガですから止むをえません。

  • F1チームメンバーと本田社長  その5<br />

    F1チームメンバーと本田社長  その5

  • 4代目社長になった右端の川本信彦さん(1936年3月3日? )はこの日はメカニックです。

    4代目社長になった右端の川本信彦さん(1936年3月3日? )はこの日はメカニックです。

  • 走行前の点検中

    走行前の点検中

  • F1 No.12<br /><br />4トラベル会員のchiaki-kさんhttp://4travel.jp/traveler/bf5a73/のご説明によると、<br /><br />記事の中で初期のF1マシンが登場していますが、<br />No12は1965年メキシコGPで優勝したRA272で、<br />ドライバーはリッチー・ギンサー<br /><br />

    F1 No.12

    4トラベル会員のchiaki-kさんhttp://4travel.jp/traveler/bf5a73/のご説明によると、

    記事の中で初期のF1マシンが登場していますが、
    No12は1965年メキシコGPで優勝したRA272で、
    ドライバーはリッチー・ギンサー

  • F1 No.14<br /><br /> chiaki-kさんhttp://4travel.jp/traveler/bf5a73/のご説明によると、<br /><br />No14は1967年イタリアGPで優勝したRA301で、ドライバーはジョン・サーティーズでした。<br /><br />Honda 挑戦の歴史: 第1期F1・F2活動<br />https://www.youtube.com/watch?v=ZHOG1LfrbvU

    F1 No.14

    chiaki-kさんhttp://4travel.jp/traveler/bf5a73/のご説明によると、

    No14は1967年イタリアGPで優勝したRA301で、ドライバーはジョン・サーティーズでした。

    Honda 挑戦の歴史: 第1期F1・F2活動
    https://www.youtube.com/watch?v=ZHOG1LfrbvU

  • F1 No.5<br /><br />この車体番号はNo.5ですが1968年F1世界選手権出場車 No.5 ジョン・サーティーではなさそうです。 <br /><br />http://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1968/01/<br /><br />

    F1 No.5

    この車体番号はNo.5ですが1968年F1世界選手権出場車 No.5 ジョン・サーティーではなさそうです。

    http://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1968/01/

  • ホンダ創立25周年記念イベントとして、荒川テストコースで工場レーサーを走らせました。<br /><br />左のライダーはブルーのスーツがトレードマークのM.Sumi(隅谷守男)

    ホンダ創立25周年記念イベントとして、荒川テストコースで工場レーサーを走らせました。

    左のライダーはブルーのスーツがトレードマークのM.Sumi(隅谷守男)

  • No.12,No.14,No.100<br /><br />エンジンの始動はいわゆる「押しがけ」です。

    No.12,No.14,No.100

    エンジンの始動はいわゆる「押しがけ」です。

  • No.12  故隅谷守男<br /><br />1975年, 隅谷守男, テスト, フランスのル・マン、ブガッティサーキットにおいて、ボルドール24時間耐久レースに向けた練習中、転倒して死亡。<br />出典:http://afw.fc2web.com/ziko/ziko2rin.htm<br /><br /><br />関連サイト<br />http://blogs.yahoo.co.jp/gordon_ferley/63746829.html<br /><br />

    No.12 故隅谷守男

    1975年, 隅谷守男, テスト, フランスのル・マン、ブガッティサーキットにおいて、ボルドール24時間耐久レースに向けた練習中、転倒して死亡。
    出典:http://afw.fc2web.com/ziko/ziko2rin.htm


    関連サイト
    http://blogs.yahoo.co.jp/gordon_ferley/63746829.html

  • No.12<br /><br />隅谷守男画像検索結果<br />https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9A%85%E8%B0%B7%E5%AE%88%E7%94%B7&amp;tbm=isch&amp;tbo=u&amp;source=univ&amp;sa=X&amp;ei=F6yVUuf7BITlkgWU24HYAw&amp;ved=0CCkQsAQ&amp;biw=1230&amp;bih=575<br /><br /><br />

    No.12

    隅谷守男画像検索結果
    https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9A%85%E8%B0%B7%E5%AE%88%E7%94%B7&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=F6yVUuf7BITlkgWU24HYAw&ved=0CCkQsAQ&biw=1230&bih=575


  • 2輪 No.100<br />

    2輪 No.100

  • 2輪 No.100<br />

    2輪 No.100

  • 2輪 No.8, No.6, No.36<br />

    2輪 No.8, No.6, No.36

  • 2輪 No.36<br /><br />このようなレーサーが英国のマン島でのグランプリレースで数々の輝かしい歴史を作った「栄光のレーサー」です。

    2輪 No.36

    このようなレーサーが英国のマン島でのグランプリレースで数々の輝かしい歴史を作った「栄光のレーサー」です。

  • 2輪 No.36<br />

    2輪 No.36

  • モトクロス大会

    モトクロス大会

  • レースのスタートフラグが振られました。

    レースのスタートフラグが振られました。

  • ジャンプするモトクロッサー

    ジャンプするモトクロッサー

  • ウィリー走行のデモンストレーション

    ウィリー走行のデモンストレーション

  • ここで一休みしましょう。Coffee Break<br /><br />私が特に好きなクラリネットの曲を2曲紹介します。<br />クラリネット協奏曲イ長調 K622<br />Sabine Meyer Clarinet <br />http://www.youtube.com/watch?v=Ccl-_nneMPE<br />Clarinet Soloist: Sharon Kam<br />https://www.youtube.com/watch?v=o_gm0NCabPs<br /><br />クラリネット五重奏曲イ長調 K581<br />http://www.youtube.com/watch?v=pXnz5YgeSiA<br /><br />

    ここで一休みしましょう。Coffee Break

    私が特に好きなクラリネットの曲を2曲紹介します。
    クラリネット協奏曲イ長調 K622
    Sabine Meyer Clarinet
    http://www.youtube.com/watch?v=Ccl-_nneMPE
    Clarinet Soloist: Sharon Kam
    https://www.youtube.com/watch?v=o_gm0NCabPs

    クラリネット五重奏曲イ長調 K581
    http://www.youtube.com/watch?v=pXnz5YgeSiA

  • 1987年CIVIC,CRX発表会<br /><br />映像はNEW CIVIC<br /><br />都心のホテルでしたが、ニューオータニか赤坂プリンスか覚えていません。この宴会場を見覚えのある方はたくさんいると思います。

    1987年CIVIC,CRX発表会

    映像はNEW CIVIC

    都心のホテルでしたが、ニューオータニか赤坂プリンスか覚えていません。この宴会場を見覚えのある方はたくさんいると思います。

  • 新型車の解説をする開発責任者H.W.さん

    新型車の解説をする開発責任者H.W.さん

  • これはCRXのスケッチ(レンダリングrendering)<br /><br />renderingの意味(技術手法)はCGの進化により当時とすっかり変わってしまいました。

    これはCRXのスケッチ(レンダリングrendering)

    renderingの意味(技術手法)はCGの進化により当時とすっかり変わってしまいました。

  • 挨拶に立つ久米是志(クメタダシ)社長

    挨拶に立つ久米是志(クメタダシ)社長

  • 1987年9月 &#39;88モデルシビック発表会(東京都内)<br /><br /> 開発担当者と本田社長 <br /><br />

    1987年9月 '88モデルシビック発表会(東京都内)

     開発担当者と本田社長

  • 1987年 &#39;88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)<br /><br />中央後ろは開発責任者

    1987年 '88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)

    中央後ろは開発責任者

  • ☆この写真が本日(2014.7.2)配布されたPOLE POSITION SPECIAL EDITION 2014 JUNE特別号「河島喜好さんとその時代」に掲載されました。<br />先日本田技研広報部から掲載の問い合わせがあり快諾しました。<br />多くの皆様に見ていただく機会が得られて、とても嬉しく思います<br /><br /> ──────────────────<br /><br />1987年 &#39;88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)<br /><br />右より本田宗一郎、河島喜好、久米是志 3代社長(1) <br /><br />3代社長が揃う事自体が極めて稀なため、このような写真はほかに存在しないかもしれません。<br />私の財産ですが、(私が)生きているうちに公開したほうが良いと考えました。<br /><br />写真歴50年の編集者の手元にはたくさんのネガが慎重に保管されていますが、遺品として廃棄処分されるより生きているうちに公開するほうが「生きた証」となり、本田ファンにも喜んでいただけると考えています。<br />デジタル一眼レフの使用歴は2007.9以降しかありません。

    ☆この写真が本日(2014.7.2)配布されたPOLE POSITION SPECIAL EDITION 2014 JUNE特別号「河島喜好さんとその時代」に掲載されました。
    先日本田技研広報部から掲載の問い合わせがあり快諾しました。
    多くの皆様に見ていただく機会が得られて、とても嬉しく思います

     ──────────────────

    1987年 '88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)

    右より本田宗一郎、河島喜好、久米是志 3代社長(1) 

    3代社長が揃う事自体が極めて稀なため、このような写真はほかに存在しないかもしれません。
    私の財産ですが、(私が)生きているうちに公開したほうが良いと考えました。

    写真歴50年の編集者の手元にはたくさんのネガが慎重に保管されていますが、遺品として廃棄処分されるより生きているうちに公開するほうが「生きた証」となり、本田ファンにも喜んでいただけると考えています。
    デジタル一眼レフの使用歴は2007.9以降しかありません。

  •  本田、河島、久米3代社長(2) <br /><br />Three Tops of Honda.<br />Soichiro Honda(center),Kiyoshi Kawashima(right) and Tadashi Kume(left)<br /><br />河島喜好氏が2013.10.31に亡くなられたとの訃報が11月6日午後4時に報じられました。

     本田、河島、久米3代社長(2)

    Three Tops of Honda.
    Soichiro Honda(center),Kiyoshi Kawashima(right) and Tadashi Kume(left)

    河島喜好氏が2013.10.31に亡くなられたとの訃報が11月6日午後4時に報じられました。

  • 本田、河島、久米3代社長(3)<br />Three tops of Honda. <br />First president Soichiro Honda(center), 2nd president Kiyoshi Kawashima(right) ane 3rd president Tadashi Kume(left)<br /><br />3人とも技術屋出身であるため、技術の話になると尽きることがない様子です。<br />All of three were engineer and endless discussion of technical issue.<br /><br />2022年9月11日 三代目社長の久米是志氏が亡くなられました。<br /><br />

    本田、河島、久米3代社長(3)
    Three tops of Honda.
    First president Soichiro Honda(center), 2nd president Kiyoshi Kawashima(right) ane 3rd president Tadashi Kume(left)

    3人とも技術屋出身であるため、技術の話になると尽きることがない様子です。
    All of three were engineer and endless discussion of technical issue.

    2022年9月11日 三代目社長の久米是志氏が亡くなられました。

  • 1987年 ’88モデルCIVIC/CRX発表展示会で説明員を務めた開発チームメンバー

    1987年 ’88モデルCIVIC/CRX発表展示会で説明員を務めた開発チームメンバー

  • 1987年 &#39;88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)<br /><br />プロジェクト・メンバーとして発表会での説明員を務めました。<br /><br />左がyamada423ですが、1988年の本田創立40周年の取材に来たドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルトに下記の紹介記事に書かれたほど髪が白かったわけではありません。<br /><br />「山田洋二(このブログの編集者yamada423)氏の頭髪は、彼の20年にわたる勤務の集大成であるホンダマチックの開発で名誉の白髪となった。つねに独自のものを創造するという責務は、それが少し的をそれても、テーマを活性化した。」(後掲)

    1987年 '88モデル CIVIC新車発表会(東京都内)

    プロジェクト・メンバーとして発表会での説明員を務めました。

    左がyamada423ですが、1988年の本田創立40周年の取材に来たドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルトに下記の紹介記事に書かれたほど髪が白かったわけではありません。

    「山田洋二(このブログの編集者yamada423)氏の頭髪は、彼の20年にわたる勤務の集大成であるホンダマチックの開発で名誉の白髪となった。つねに独自のものを創造するという責務は、それが少し的をそれても、テーマを活性化した。」(後掲)

  • 新型CIVICのセダンとハッチバック

    新型CIVICのセダンとハッチバック

  • 新型DOHC16バルブエンジン

    新型DOHC16バルブエンジン

  • 4輪ダブル・ウィッシュボーンサスペンション<br /><br />「ウィッシュボーン」とは、A型のアームが鳥の叉骨 (Wishbone) の形に似ていることから命名された。現在はアームの形に関係なく、上下(アッパーアーム・ロワアーム)2本のアームでタイヤを支持するサスペンションの総称となっている。変形として、アームを追加したものがマルチリンク式サスペンションとなる。

    4輪ダブル・ウィッシュボーンサスペンション

    「ウィッシュボーン」とは、A型のアームが鳥の叉骨 (Wishbone) の形に似ていることから命名された。現在はアームの形に関係なく、上下(アッパーアーム・ロワアーム)2本のアームでタイヤを支持するサスペンションの総称となっている。変形として、アームを追加したものがマルチリンク式サスペンションとなる。

  • 2012.6.1 ホンダ創立40周年(1988)の記事を掲載したドイツの雑誌を紹介します。<br /><br />(写真)創立40周年の取材に来たドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルトの表紙<br /><br />auto motor und sport 23.September 1988 DM5,-(5ドイツマルク 約450円)<br />HONDAホンダ特集が掲載されています。<br />この雑誌は主要記事の翻訳文を含めて手元にありますので、見たい方はお問い合わせください。要望があればコピーを差し上げます。(ページ数が多いので実費にて)<br />概要はこのブログに転載します。<br /><br />画像をクリックすると大きく見られますので記事を読むのに活用ください。<br />拡大画像をご自分のファイルへコピーすれば更に拡大でき、記事が読めます。<br /><br />

    2012.6.1 ホンダ創立40周年(1988)の記事を掲載したドイツの雑誌を紹介します。

    (写真)創立40周年の取材に来たドイツの著名な自動車雑誌アウト・モトール・ウント・シュポルトの表紙

    auto motor und sport 23.September 1988 DM5,-(5ドイツマルク 約450円)
    HONDAホンダ特集が掲載されています。
    この雑誌は主要記事の翻訳文を含めて手元にありますので、見たい方はお問い合わせください。要望があればコピーを差し上げます。(ページ数が多いので実費にて)
    概要はこのブログに転載します。

    画像をクリックすると大きく見られますので記事を読むのに活用ください。
    拡大画像をご自分のファイルへコピーすれば更に拡大でき、記事が読めます。

  • 本田宗一郎氏にきく <br />クラウス・ペーター・ベッカー記<br /><br />本田宗一郎の名刺には役職は書かれていない。83歳の本田宗一郎氏は会社の指揮を若い世代にまかせた。しかし自分のオフィスにはほとんど毎日出社している。毎朝8時、以前本社のあったビルの一室にある机に座る。東京のライフ・スタイルを決める六本木エリアにあるエレガントな新本社ビルに、ボスは引っ越さなかった。<br /><br />ファッション感覚は新鮮だった。日本のサラリーマンの典型であるドブネズミ色のスーツではなく、明るい色の、シニア用というよりヤッピー用にデザインされたスーツと時代精神を発揮したデザイナーズ・タイという服装だった。無理して着飾っているとは映らず、若さを失わない人間の完成が息づいていた。<br /><br />訪問客である我々をもてなすために、本田氏は話題を西ドイツに向けた。「50年代初期、私は実質的に2ヶ月に1度はドイツへ行きました。まるでドイツ人になったような気がしました。なぜなら私達もドイツも戦争に負けたわけですから。しかし、それが理由でちょくちょくドイツへ行ったわけではありません。当時最高の工作機械を買い込むために行ったんですよ。」<br /><br />「成功」については「社員のやる気(モティベーション)だけが成功を呼び寄せるのです。先ず第一に自分のために働き、上司のためだけではないという自覚によって人は幸せを感じ、仕事に専念できるのです。」<br />(以下略)

    本田宗一郎氏にきく 
    クラウス・ペーター・ベッカー記

    本田宗一郎の名刺には役職は書かれていない。83歳の本田宗一郎氏は会社の指揮を若い世代にまかせた。しかし自分のオフィスにはほとんど毎日出社している。毎朝8時、以前本社のあったビルの一室にある机に座る。東京のライフ・スタイルを決める六本木エリアにあるエレガントな新本社ビルに、ボスは引っ越さなかった。

    ファッション感覚は新鮮だった。日本のサラリーマンの典型であるドブネズミ色のスーツではなく、明るい色の、シニア用というよりヤッピー用にデザインされたスーツと時代精神を発揮したデザイナーズ・タイという服装だった。無理して着飾っているとは映らず、若さを失わない人間の完成が息づいていた。

    訪問客である我々をもてなすために、本田氏は話題を西ドイツに向けた。「50年代初期、私は実質的に2ヶ月に1度はドイツへ行きました。まるでドイツ人になったような気がしました。なぜなら私達もドイツも戦争に負けたわけですから。しかし、それが理由でちょくちょくドイツへ行ったわけではありません。当時最高の工作機械を買い込むために行ったんですよ。」

    「成功」については「社員のやる気(モティベーション)だけが成功を呼び寄せるのです。先ず第一に自分のために働き、上司のためだけではないという自覚によって人は幸せを感じ、仕事に専念できるのです。」
    (以下略)

  • ホンダ40周年、興隆への道<br />   ホンダ技術のマイル・ストーン<br /><br />(写真)ホンダの歴史を彩るマイル・ストーン

    ホンダ40周年、興隆への道
    ホンダ技術のマイル・ストーン

    (写真)ホンダの歴史を彩るマイル・ストーン

  • (写真)ホンダの歴史を彩るマイル・ストーン製品

    (写真)ホンダの歴史を彩るマイル・ストーン製品

  • 「他に類するものなし」<br />      ヘルムート・P・ルックナー記<br /><br />久米是志社長にホンダの現在と将来の戦略について尋ねてみた。<br /><br />Q:久米社長、ホンダ40周年は、伝統を大事にする日本人にとって、お祝いする立派な理由になるのではありませんか。<br /><br />久米:他にもそんなことを言う人がいましたが、全然意味はありません。<br /><br />Q:ホンダのルーツはモーター・サイクルでしょう。あなたが本田技研研究所の社長だった時期に、ホンダは世界最大のモーターサイクル・メーカーになりました。4輪はいわばバイプレーヤーでした。そして現在、ホンダは自動車メーカーであり、副次的になったモーターサイクル部門でも世界最大の生産台数を誇っていますね。<br /><br />久米:自動車部門における当社の成功の喜びは、モーターサイクルが以前ほど重要性を持たなくなったために感じている悲哀を、断然圧倒しています。<br /><br />Q:いつの日かホンダが自動車だけ生産するようになるとお考えですか。<br /><br />久米:考えられないことです。<br /><br />(以下略)<br />

    「他に類するものなし」
    ヘルムート・P・ルックナー記

    久米是志社長にホンダの現在と将来の戦略について尋ねてみた。

    Q:久米社長、ホンダ40周年は、伝統を大事にする日本人にとって、お祝いする立派な理由になるのではありませんか。

    久米:他にもそんなことを言う人がいましたが、全然意味はありません。

    Q:ホンダのルーツはモーター・サイクルでしょう。あなたが本田技研研究所の社長だった時期に、ホンダは世界最大のモーターサイクル・メーカーになりました。4輪はいわばバイプレーヤーでした。そして現在、ホンダは自動車メーカーであり、副次的になったモーターサイクル部門でも世界最大の生産台数を誇っていますね。

    久米:自動車部門における当社の成功の喜びは、モーターサイクルが以前ほど重要性を持たなくなったために感じている悲哀を、断然圧倒しています。

    Q:いつの日かホンダが自動車だけ生産するようになるとお考えですか。

    久米:考えられないことです。

    (以下略)

  • テクニック・カンパニー<br />ヘルムート・P・ルックナー/クラウス・ペーター・ベッカー記<br /><br />(写真)つねに進化するホンダ技術のバック・ボーン。1979年に開設された栃木研究所<br /><br />本誌編集部が進化の秘密を見出すために、東京の北方100Kmに位置する本田の栃木研究所を訪れたとき、秘密を守るカーテンの網目は現在かなり粗くなっていると実感した。新開発を隠そうとする努力は過去のものとなった。というのも、最近は紳士協定が確立されており、たとえ新製品の試乗が許されてもメーカー側の承認がなければ公開はしないのである。<br />(中略)<br />テスト・コースの全長は27Kmにおよぶ。そこには、F1マシン以外の全ホンダ車が走る高速周回コース、さらにダイナミック・エリア、ハンドリング・コース、横風設備、世界中のあらゆる悪路、といった通常の設備が加わる。フィールドには、4輪駆動用のテスト・プログラムやオフロード仕様の2輪、3輪、4輪を厳しくテストする非舗装路テスト・コースがある。さらには、汎用製品部門の農業機械用の実験農地もある。<br />(以下略)<br /><br />2012.6の栃木研究所ホームページ<br />Honda R&amp;D | 四輪R&amp;Dセンター(栃木)<br />http://www.honda.co.jp/RandD/tochigi/

    テクニック・カンパニー
    ヘルムート・P・ルックナー/クラウス・ペーター・ベッカー記

    (写真)つねに進化するホンダ技術のバック・ボーン。1979年に開設された栃木研究所

    本誌編集部が進化の秘密を見出すために、東京の北方100Kmに位置する本田の栃木研究所を訪れたとき、秘密を守るカーテンの網目は現在かなり粗くなっていると実感した。新開発を隠そうとする努力は過去のものとなった。というのも、最近は紳士協定が確立されており、たとえ新製品の試乗が許されてもメーカー側の承認がなければ公開はしないのである。
    (中略)
    テスト・コースの全長は27Kmにおよぶ。そこには、F1マシン以外の全ホンダ車が走る高速周回コース、さらにダイナミック・エリア、ハンドリング・コース、横風設備、世界中のあらゆる悪路、といった通常の設備が加わる。フィールドには、4輪駆動用のテスト・プログラムやオフロード仕様の2輪、3輪、4輪を厳しくテストする非舗装路テスト・コースがある。さらには、汎用製品部門の農業機械用の実験農地もある。
    (以下略)

    2012.6の栃木研究所ホームページ
    Honda R&D | 四輪R&Dセンター(栃木)
    http://www.honda.co.jp/RandD/tochigi/

  • (写真)auto motor und sport 23.September 1988 に掲載の研究所の各部門の取材対応メンバー(左から3人目がブログ編集者)<br /><br />現在栃木研究所の中核となっている8人のエンジニアは、60年代初期にホンダに入社した。まさに本田の最初のマイル・ストーンを築いた時期である。独創的なテクノロジーは磁石のようにこの若いエンジニアたちを引き寄せた。そして日本のしきたりに則って忠実に会社に残った。前進だけが成功を成し遂げる手段であるという認識を、現在50歳前後のこの8人は得たのである。<br /><br />つねにアグレッシブに設計するという情熱は、技術に人生を捧げる人々から絶対に消えない。山田洋二(このブログの編集者yamada423)氏の頭髪は、彼の20年にわたる勤務の集大成であるホンダマチックの開発で名誉の白髪となった。つねに独自のものを創造するという責務は、それが少し的をそれても、テーマを活性化した。<br />(他のエンジニアの紹介は写真の下に記載されているので省略します。)<br /><br />「それが少し的をそれても」が何を指すのか気になりますが、心当たりの発言はありません。ジョークでも言ったのかも知れません。ドイツ人は日本人に似て、イギリス人ほどジョークは得意でないのでね。<br /><br />取材での受け答え内容は全く覚えていませんが、歳不相応に白い髪が印象的だったのでしょう。それ以来白髪を染めない覚悟ができました。<br />取材後の宇都宮市内での夜の懇親会で、取材の記念に社内の誰かから貰ったというHONDAと書かれたヘルメットをかぶっておどける記者にむかってYou look like an oil digger in North Sea!(あんた 北海の原油採掘人みたいだね)と言ってやったのを覚えています。(大笑いでした)<br /><br />最後までご覧いただきありがとうございました。

    (写真)auto motor und sport 23.September 1988 に掲載の研究所の各部門の取材対応メンバー(左から3人目がブログ編集者)

    現在栃木研究所の中核となっている8人のエンジニアは、60年代初期にホンダに入社した。まさに本田の最初のマイル・ストーンを築いた時期である。独創的なテクノロジーは磁石のようにこの若いエンジニアたちを引き寄せた。そして日本のしきたりに則って忠実に会社に残った。前進だけが成功を成し遂げる手段であるという認識を、現在50歳前後のこの8人は得たのである。

    つねにアグレッシブに設計するという情熱は、技術に人生を捧げる人々から絶対に消えない。山田洋二(このブログの編集者yamada423)氏の頭髪は、彼の20年にわたる勤務の集大成であるホンダマチックの開発で名誉の白髪となった。つねに独自のものを創造するという責務は、それが少し的をそれても、テーマを活性化した。
    (他のエンジニアの紹介は写真の下に記載されているので省略します。)

    「それが少し的をそれても」が何を指すのか気になりますが、心当たりの発言はありません。ジョークでも言ったのかも知れません。ドイツ人は日本人に似て、イギリス人ほどジョークは得意でないのでね。

    取材での受け答え内容は全く覚えていませんが、歳不相応に白い髪が印象的だったのでしょう。それ以来白髪を染めない覚悟ができました。
    取材後の宇都宮市内での夜の懇親会で、取材の記念に社内の誰かから貰ったというHONDAと書かれたヘルメットをかぶっておどける記者にむかってYou look like an oil digger in North Sea!(あんた 北海の原油採掘人みたいだね)と言ってやったのを覚えています。(大笑いでした)

    最後までご覧いただきありがとうございました。

  • 2013.12.16(月)<br /><br />本田技研工業(株)二代目社長河島喜好お別れの会

    2013.12.16(月)

    本田技研工業(株)二代目社長河島喜好お別れの会

  • お別れの会 献花台

    お別れの会 献花台

  • 河島喜好 お別れの会 リーフレット<br /><br />写真:ドリーム号E型に乗って 平成4年<br />文:伊東孝紳社長 挨拶

    河島喜好 お別れの会 リーフレット

    写真:ドリーム号E型に乗って 平成4年
    文:伊東孝紳社長 挨拶

  • リーフレット<br />河島喜好 略歴および記録写真<br /><br />

    リーフレット
    河島喜好 略歴および記録写真

  • ドリーム号E型<br /><br />このドリームの三角フレーム構造に少なからず影響を与えたと推測できるBMW1931年モデルを2011.10にミュンヘンのBMWミュージアムで見ました。<br /><br />BMWミュージアム2011/ミュンヘン⑫ BMW Museum/Munchen<br />http://4travel.jp/travelogue/10636518

    ドリーム号E型

    このドリームの三角フレーム構造に少なからず影響を与えたと推測できるBMW1931年モデルを2011.10にミュンヘンのBMWミュージアムで見ました。

    BMWミュージアム2011/ミュンヘン⑫ BMW Museum/Munchen
    http://4travel.jp/travelogue/10636518

  • 2輪レーサー RC162<br /><br />No.100は1973.9月に「栄光のレーサー記念走行」で荒川コースで走ったものと推測します。<br /><br />RC162は、1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り[31]、5周目まで先頭を走っていたボブ・マッキンタイヤのファーステストラップは今までのラップレコードを破った(ファーステストラップ 22&#39;44&quot;0、平均速度 160.22km/h)Wikipedia

    2輪レーサー RC162

    No.100は1973.9月に「栄光のレーサー記念走行」で荒川コースで走ったものと推測します。

    RC162は、1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り[31]、5周目まで先頭を走っていたボブ・マッキンタイヤのファーステストラップは今までのラップレコードを破った(ファーステストラップ 22'44"0、平均速度 160.22km/h)Wikipedia

  • お清め会場<br /><br />故人河島さんの活躍の歴史を紹介したパネルや写真などとともに、河島さんがホンダで初めて設計した4ストロークエンジンで自ら運転して箱根の山越えの快挙を達成した「ドリーム号E型」、マン島で活躍したレーサーRC162が展示されました。<br /><br />ここで河島さんの奥様をはじめ歴代の社長全員をお見かけしました。

    お清め会場

    故人河島さんの活躍の歴史を紹介したパネルや写真などとともに、河島さんがホンダで初めて設計した4ストロークエンジンで自ら運転して箱根の山越えの快挙を達成した「ドリーム号E型」、マン島で活躍したレーサーRC162が展示されました。

    ここで河島さんの奥様をはじめ歴代の社長全員をお見かけしました。

  • お別れの会の会場案内<br /><br /><br />参考サイト<br />http://www.newsyataimura.com/?p=1096#comment-7131

    お別れの会の会場案内


    参考サイト
    http://www.newsyataimura.com/?p=1096#comment-7131

  • お別れの会が行われた虎ノ門のホテル・オークラ<br /><br />建替え工事中です。<br />2019年新しい本館概要|ホテルオークラ東京<br />http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/toward2019/new_okura/

    お別れの会が行われた虎ノ門のホテル・オークラ

    建替え工事中です。
    2019年新しい本館概要|ホテルオークラ東京
    http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/toward2019/new_okura/

  • 1968.10.27<br />研究所グラウンドで開かれた運動会でゴーカートを運転する本田社長

    1968.10.27
    研究所グラウンドで開かれた運動会でゴーカートを運転する本田社長

  • 杉浦研究所所長

    杉浦研究所所長

  • S800同乗の本田社長と杉浦所長

    S800同乗の本田社長と杉浦所長

  • 上掲写真の一部拡大   1968.10.27<br /><br />本田宗一郎1906.11.17-1991.8.5<br />杉浦英男 1927-2007.4.14

    上掲写真の一部拡大   1968.10.27

    本田宗一郎1906.11.17-1991.8.5
    杉浦英男 1927-2007.4.14

  • ブログ作者自己紹介<br /><br />元本田技術研究所のトランスミッション設計技術者で写真歴60年の写真愛好家です。<br />HP「旅行写真展示室」http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/ 、<br /> 4Travelの旅行ブログhttp://4travel.jp/traveler/810766/を2010年に始めました。 <br />ヨーロッパの風景・街並や所沢周辺・都内の季節の移ろいを掲載。<br />出身は川越で現在は所沢市小手指町在住です。<br />写真は2002年ルーブル美術館が見えるカルーゼル広場にて。<br />私は父親と同様に旅先での写真を遺影にしてもいいと思っていますので準備完了です。<br />2020年からの新型コロナウィルスの流行以降は海外旅行ができないため、国内旅行や近隣のハイキングなどで引きこもり予防に努めています。

    ブログ作者自己紹介

    元本田技術研究所のトランスミッション設計技術者で写真歴60年の写真愛好家です。
    HP「旅行写真展示室」http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
    4Travelの旅行ブログhttp://4travel.jp/traveler/810766/を2010年に始めました。
    ヨーロッパの風景・街並や所沢周辺・都内の季節の移ろいを掲載。
    出身は川越で現在は所沢市小手指町在住です。
    写真は2002年ルーブル美術館が見えるカルーゼル広場にて。
    私は父親と同様に旅先での写真を遺影にしてもいいと思っていますので準備完了です。
    2020年からの新型コロナウィルスの流行以降は海外旅行ができないため、国内旅行や近隣のハイキングなどで引きこもり予防に努めています。

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  • みつひとさん 2012/05/25 00:19:56
    はじめまして
    はじめまして

    感動しながら拝見しました。
    僕にとって本田宗一郎は歴史上の人物でこのような素顔を拝見したのは初めてです。
    僕が中学生のころまではご存命でしたが、バイクや車に興味をもった学生のころには既にお亡くなりになっており、書物でしか知りません。
    そして本田宗一郎さんという人が好きで、本田技研も好きになり、バイクや車でお世話になりました。

    またお邪魔させていただきたいと思います。
    ありがとうございました。

    みつひと

    yamada423

    yamada423さん からの返信 2012/05/25 09:33:40
    本田宗一郎のこと
    みつひと  おはようございます

    お便り有り難うございます。
    > 感動しながら拝見しました。
    > 僕にとって本田宗一郎は歴史上の人物でこのような素顔を拝見したのは初めてです。

    みつひとさんのような年代の人がこれから増えてくると思っていたので一昨年の本田さんの命日8月5日の前に編集公開しました。参考になってよかったです。
    私はたくさんのネガとプリントを良い状態で保存しているので、面白そうな写真が見つかったら随時公開したいと思っています。

    これからもよろしくお願いいたします。
      yamada423

    PS 台北の金環食拝見しました。
      結構よく見られたのですね。
      撮影条件が分かると私にとっては一層興味がわくのですが。
      分かる範囲で教えていただけますか。






    みつひと

    みつひとさん からの返信 2012/05/25 12:15:46
    RE: はじめまして
    ご返信ありがとうございます。

    また新しい写真が追加されますことを楽しみにしております。

    金環日食ですが
    カシオ Exlim EX-H10 
    という普通のデジタルカメラで
    一番倍率の高い写真で光学10倍で撮影しました。
    特に遮光レンズなどは使用していません。

    写真を撮ることは好きですがカメラ自体に
    あまり拘りがなく、ちゃんとしたお答えが
    できず申し訳ありません。
    もう少し勉強いたします。

    みつひと

    yamada423

    yamada423さん からの返信 2012/06/02 13:24:28
    本田宗一郎関連記事
    みつひとさん こんにちは

    先日は金環日食の撮影カメラについて教えていただきありがとうございました。けっこう良く撮れるものですね。

    ところで標記について、本日下記のブログの最後にホンダ創立40周年の特集記事を載せたドイツの自動車専門誌の記事を転載しましたのでご案内します。私も取材を受けたので「生きた証し」として実名で載せました。
    誌面をスキャンして編集するので一部ですが、ホンダ倶楽部の総会・懇親会http://4travel.jp/traveler/810766/album/10674678/の閲覧者が多いため、リンクするブログをリニューアルした機会に追加しました。

    素顔の本田宗一郎と 3代社長の3ショット
    http://4travel.jp/traveler/810766/album/10484193/
       yamada423

    みつひと

    みつひとさん からの返信 2012/06/02 21:04:49
    RE: 本田宗一郎関連記事
    yamada423様

    こんにちは

    ありがとうございます。早速拝見しました。
    現役の伊東社長も参加されるOBのホンダ倶楽部
    の楽しそうな雰囲気がよかったです。
    社員、元社員を大事にする社風は
    私が言うのもおこがましいですが、すばらしいと
    いつも思います。
    また、追加で掲載されたホンダ40周年の
    記事も拝見しました。
    ありがとうございました。

    みつひと


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