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1967年5月3日<br />第4回日本グランプリで競う3台のポルシェ・カレラ6<br />No.8 生沢徹(1位)、No.6 滝進太郎(5位)、No.7 酒井正(8位)<br /><br />迫り来る勇姿と爆音は心を躍らせる麻薬のような・・・。<br />一度体験するとやめられず、日本グランプリが1970年に無くなるまで続いた。<br />青春時代の熱き思い出をSNSで発信できる喜び、しあわせー!<br />    ───────────────────────────<br />2020.8.23(米国 EDT  東部夏時間)<br />佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング/ホンダ)が2017年以来3年ぶりとなる2度目の優勝を達成した。<br />https://news.yahoo.co.jp/byline/tsujinohiroshi/20200824-00194817/<br />https://news.yahoo.co.jp/articles/f5388f0f94eb75b5e5b758446f3e190af65f628d?page=1<br />ホンダ出身者としてはこの上ない喜びで、この場を使って祝意を表します。<br />    ───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br />  ───────────────────────────<br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br /><br /> ───────────────────────────<br />シリーズ昭和の記録No.11 第4回日本グランプリ 1967.5.3<br /><br />富士スピードウェイでの2回目の日本グランプリは1967年5月3日に開催された。<br />前年優勝したプリンスR380はプリンス自動車が日産自動車と合併したためニッサンR380A2となって出場した。<br /><br />写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。<br />写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は編集せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。<br /><br />■1967年日本グランプリ (4輪)<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/1967%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)<br />概要<br />4回目となる日本GPは前回に続き富士スピードウェイで開催された。自動車メーカー系チームの中では、プリンス自動車と日産自動車の合併により再編された日産ワークスが注目された。マシンは前年優勝したプリンス・R380を改良した日産・R380II。ドライバーは旧プリンス系の砂子義一(前年の優勝者)、大石秀夫と、日産追浜ワークス系の北野元、高橋国光という合同編成になった。トヨタ自動車は今回は出場を見送り、極秘にトヨタ・7開発計画を進めた。ダイハツ工業は小排気量クラスのミッドシップマシン、ダイハツ・P-5を開発して参戦した。 <br /><br />プライベーターではポルシェ・906のエントリーが3台に増加し、前年活躍した滝進太郎に加えて、生沢徹と酒井正も906で参戦した。安田銀治とロドニー・クラーク[1]は北米Can-Amシリーズ用のローラ・T70Mk.IIをグループ6仕様に改修。また、シェルビー・デイトナのデザイナーとして知られるピート・ブロックが日野・コンテッサのエンジンを搭載したヒノ・サムライで参戦。斬新なボディデザインに加え、「サムライ」にちなんで俳優の三船敏郎がチーム監督を務めることも話題となった。<br /><br />■第4回日本グランプリ決勝結果<br />順位 No.  ドライバー    車名      エントラント   周回数 タイム<br />1  8   生沢徹  ポルシェ・カレラ6   三和自動車(株) 60  2:04&#39;39.22<br />2  10  高橋国光  ニッサン・R380A2 高橋国光     60 <br />3  12  砂子義一  ニッサン・R380A2   砂子義一    59  <br />4  9   北野元   ニッサン・R380A2  北野元      59 <br />5  6   滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 FISCOクラブ大槻昌 58 <br />6  11  大石秀夫  ニッサン・R380A2   大石秀夫     58  <br />7  14  ロドニー・クラーク  ローラ・T70  TEAM TORO  57 <br />8  7 酒井正  ポルシェ・カレラ6  日本オートクラブ小島常男 45 <br />Ret 15 安田銀治  大京チェンスペシャル 日本オートクラブ   15 <br />NS 1 GP-I 吉田隆郎 ダイハツ・P-5 ダイハツ・コンパーノ・クラブ寺尾慶弘  予選落ち  <br />NS 2 GP-I 久木留博之 ダイハツ・P-5 ダイハツ・コンパーノ・クラブ寺尾慶弘  予選落ち  <br />NS 5 GP-II 山口良夫 フェアレディ2000  山口良夫  予選落ち  <br />NS 3 GP-I ピート・ブロック HINO SAMURAI PETE BROCK  車検不合格<br />レース距離360Km(60周)<br /><br />■エピソード<br />優勝者の生沢徹は前年までプリンスワークスの所属ドライバーだった。今回はイギリスF3選手権挑戦から一時帰国して日産ワークスと契約しようとしたが、合併によりドライバーが余っている状態だったため、「契約はするが日本GPには出場させられない」と返答された。そこで三和自動車のショールームに展示されていたポルシェ・906を借り受け、式場壮吉らレース仲間の協力でペプシコーラ、STP、VAN、ブリヂストンなどのスポンサーを募り、プライベーターとして参戦することになった。「組織に背を向けた一匹狼の逆襲」は反響を呼び、優勝後の生沢はマスコミをにぎわす時の人となった。本人は「『レースに優勝した』ということより『オレを断ったニッサンに勝った』ということが嬉しかったねと振り返っている。 <br /><br />生沢自身はスポンサーとの契約金で海外活動の目途がついたことに安心しており、また、ワークスの実力を知る立場として、どうしても勝たなければならないとは考えていなかったという[4]。高橋国光に抜かれても2位で上々だったというが、致命的なシフトミス[2]で喫したスピンが逆に勝利を呼び込む結果となった。その日の夕方、生沢は日産チームの宿を訪れ、高橋国光にスピンに巻き込んだことを謝り、高橋も快くこれを許してくれたという。<br />        ─────────────────────────── <br />撮影・編集 <br />CANON FT FL50mm F1.4 FL200mm  F3.5 <br />フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200<br />FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円<br />https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html<br /><br />しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。<br /><br />掲載画像にはアルバム写真をスキャンしたものと、ネガフィルムをスキャンしたものがあり、画像データの大きさは前者が約2800×1800、後者が約3000×2100です。<br />いずれも提供可能で、希望があればメール等で連絡してください。<br />        ───────────────────────────  <br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br />素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)<br />https://4travel.jp/travelogue/10484193<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />yamada423<br /><br />投稿2020.8.25   10:10<br />

シリーズ昭和の記録No.11 第4回日本グランプリ 4th JAPAN GRAND PRIX 1967

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1967/05/03 - 1967/05/03

262位(同エリア1099件中)

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yamada423

yamada423さん

1967年5月3日
第4回日本グランプリで競う3台のポルシェ・カレラ6
No.8 生沢徹(1位)、No.6 滝進太郎(5位)、No.7 酒井正(8位)

迫り来る勇姿と爆音は心を躍らせる麻薬のような・・・。
一度体験するとやめられず、日本グランプリが1970年に無くなるまで続いた。
青春時代の熱き思い出をSNSで発信できる喜び、しあわせー!
───────────────────────────
2020.8.23(米国 EDT 東部夏時間)
佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング/ホンダ)が2017年以来3年ぶりとなる2度目の優勝を達成した。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsujinohiroshi/20200824-00194817/
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5388f0f94eb75b5e5b758446f3e190af65f628d?page=1
ホンダ出身者としてはこの上ない喜びで、この場を使って祝意を表します。
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
  ───────────────────────────
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747

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シリーズ昭和の記録No.11 第4回日本グランプリ 1967.5.3

富士スピードウェイでの2回目の日本グランプリは1967年5月3日に開催された。
前年優勝したプリンスR380はプリンス自動車が日産自動車と合併したためニッサンR380A2となって出場した。

写真以外の資料は残っていないので、ウェブサイトの記事を紹介・転記する。
写真は鑑賞が主目的ではないので、不良品以外は編集せずにすべて掲載する。したがって同じ番号の車が何度も登場する。

■1967年日本グランプリ (4輪)
https://ja.wikipedia.org/wiki/1967%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_(4%E8%BC%AA)
概要
4回目となる日本GPは前回に続き富士スピードウェイで開催された。自動車メーカー系チームの中では、プリンス自動車と日産自動車の合併により再編された日産ワークスが注目された。マシンは前年優勝したプリンス・R380を改良した日産・R380II。ドライバーは旧プリンス系の砂子義一(前年の優勝者)、大石秀夫と、日産追浜ワークス系の北野元、高橋国光という合同編成になった。トヨタ自動車は今回は出場を見送り、極秘にトヨタ・7開発計画を進めた。ダイハツ工業は小排気量クラスのミッドシップマシン、ダイハツ・P-5を開発して参戦した。

プライベーターではポルシェ・906のエントリーが3台に増加し、前年活躍した滝進太郎に加えて、生沢徹と酒井正も906で参戦した。安田銀治とロドニー・クラーク[1]は北米Can-Amシリーズ用のローラ・T70Mk.IIをグループ6仕様に改修。また、シェルビー・デイトナのデザイナーとして知られるピート・ブロックが日野・コンテッサのエンジンを搭載したヒノ・サムライで参戦。斬新なボディデザインに加え、「サムライ」にちなんで俳優の三船敏郎がチーム監督を務めることも話題となった。

■第4回日本グランプリ決勝結果
順位 No. ドライバー   車名     エントラント   周回数 タイム
1  8   生沢徹  ポルシェ・カレラ6   三和自動車(株) 60  2:04'39.22
2  10  高橋国光  ニッサン・R380A2 高橋国光     60
3  12  砂子義一  ニッサン・R380A2   砂子義一    59
4  9   北野元   ニッサン・R380A2  北野元      59
5  6   滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 FISCOクラブ大槻昌 58
6  11  大石秀夫  ニッサン・R380A2   大石秀夫     58
7  14  ロドニー・クラーク  ローラ・T70  TEAM TORO  57
8  7 酒井正  ポルシェ・カレラ6  日本オートクラブ小島常男 45
Ret 15 安田銀治  大京チェンスペシャル 日本オートクラブ   15
NS 1 GP-I 吉田隆郎 ダイハツ・P-5 ダイハツ・コンパーノ・クラブ寺尾慶弘 予選落ち
NS 2 GP-I 久木留博之 ダイハツ・P-5 ダイハツ・コンパーノ・クラブ寺尾慶弘 予選落ち
NS 5 GP-II 山口良夫 フェアレディ2000  山口良夫 予選落ち
NS 3 GP-I ピート・ブロック HINO SAMURAI PETE BROCK 車検不合格
レース距離360Km(60周)

■エピソード
優勝者の生沢徹は前年までプリンスワークスの所属ドライバーだった。今回はイギリスF3選手権挑戦から一時帰国して日産ワークスと契約しようとしたが、合併によりドライバーが余っている状態だったため、「契約はするが日本GPには出場させられない」と返答された。そこで三和自動車のショールームに展示されていたポルシェ・906を借り受け、式場壮吉らレース仲間の協力でペプシコーラ、STP、VAN、ブリヂストンなどのスポンサーを募り、プライベーターとして参戦することになった。「組織に背を向けた一匹狼の逆襲」は反響を呼び、優勝後の生沢はマスコミをにぎわす時の人となった。本人は「『レースに優勝した』ということより『オレを断ったニッサンに勝った』ということが嬉しかったねと振り返っている。

生沢自身はスポンサーとの契約金で海外活動の目途がついたことに安心しており、また、ワークスの実力を知る立場として、どうしても勝たなければならないとは考えていなかったという[4]。高橋国光に抜かれても2位で上々だったというが、致命的なシフトミス[2]で喫したスピンが逆に勝利を呼び込む結果となった。その日の夕方、生沢は日産チームの宿を訪れ、高橋国光にスピンに巻き込んだことを謝り、高橋も快くこれを許してくれたという。
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撮影・編集 
CANON FT FL50mm F1.4 FL200mm F3.5
フィルム NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA=ISO 200
FL200mmは前年(1966)5月に発売された明るい望遠レンズで、高速走行するレーシングカーの流し撮りには重宝した。重量680g、価格29,500円
https://global.canon/ja/c-museum/product/fl114.html

しかし当時のカメラはオートフォーカス(自動焦点)ではないため、あらかじめ車の通過位置を決めておき、タイミングを見計らってシャッターを切ることがテクニックとして必要であった。慣れると面白くなり、レースの撮影がやめられなくなってしまった。

掲載画像にはアルバム写真をスキャンしたものと、ネガフィルムをスキャンしたものがあり、画像データの大きさは前者が約2800×1800、後者が約3000×2100です。
いずれも提供可能で、希望があればメール等で連絡してください。
───────────────────────────  
編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。

<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

yamada423

投稿2020.8.25 10:10

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 2020.8.23(米国 EDT  東部夏時間)<br />佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング/ホンダ)が2017年以来3年ぶりとなる2度目の優勝を達成した。<br />https://news.yahoo.co.jp/byline/tsujinohiroshi/20200824-00194817/<br />ホンダ出身者としてはこの上ない喜びで、この場を使って祝意を表します。<br /><br />横長の画像をクリックすると約2倍に拡大します。

    2020.8.23(米国 EDT 東部夏時間)
    佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング/ホンダ)が2017年以来3年ぶりとなる2度目の優勝を達成した。
    https://news.yahoo.co.jp/byline/tsujinohiroshi/20200824-00194817/
    ホンダ出身者としてはこの上ない喜びで、この場を使って祝意を表します。

    横長の画像をクリックすると約2倍に拡大します。

  • 富士スピードウェイ グランドスタンドとコントロールタワー<br /><br />ここから45番目の画像まではアルバムの写真をスキャンしたもので、50年以上前の若かりし私の好みで、コントラストが強めに現像してあります。<br />ビールなら辛口ですっきりした感じで見られますが、微妙な味わいである諧調のディテールには欠けています。<br />後半に同じ写真のフィルムをスキャンした画像を掲載しますので、興味のある方は比較してご覧ください。

    富士スピードウェイ グランドスタンドとコントロールタワー

    ここから45番目の画像まではアルバムの写真をスキャンしたもので、50年以上前の若かりし私の好みで、コントラストが強めに現像してあります。
    ビールなら辛口ですっきりした感じで見られますが、微妙な味わいである諧調のディテールには欠けています。
    後半に同じ写真のフィルムをスキャンした画像を掲載しますので、興味のある方は比較してご覧ください。

  • 富士スピードウェイ 場内マップ<br />https://www.fsw.tv/file/guide.pdf#search=%27%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4+%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%9B%B3%27

    富士スピードウェイ 場内マップ
    https://www.fsw.tv/file/guide.pdf#search=%27%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4+%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%9B%B3%27

  • レーシングコース

    レーシングコース

  • 第4回日本グランプリ<br /><br />No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6 <br />No.12 砂子義一  ニッサン・R380A2<br />No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

    第4回日本グランプリ

    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6
    No.12 砂子義一  ニッサン・R380A2
    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

  • No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6<br /><br />CANON FT FL200mm F3.5 <br />NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA 200<br /><br />オートフォーカスではないため、あらかじめ通過地点に焦点を合わせて、適当なフレーミングでシャッターを切ります。<br />現在はオートフォーカスのデジカメでISO=1600とかに設定すればはるかにきれいな写真が撮れます。

    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

    CANON FT FL200mm F3.5
    NEOPAN SSS(FUJI FILM) ASA 200

    オートフォーカスではないため、あらかじめ通過地点に焦点を合わせて、適当なフレーミングでシャッターを切ります。
    現在はオートフォーカスのデジカメでISO=1600とかに設定すればはるかにきれいな写真が撮れます。

  • No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2

    No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2

  • No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2<br /><br />1周6キロのコースを約2分で周回するため、狙った車を待ち伏せして撮るのは容易です。

    No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2

    1周6キロのコースを約2分で周回するため、狙った車を待ち伏せして撮るのは容易です。

  • No.12 砂子義一  ニッサン・R380A2   

    No.12 砂子義一  ニッサン・R380A2   

  • No.9 北野元   ニッサン・R380A2

    No.9 北野元   ニッサン・R380A2

  • No.9 北野元   ニッサン・R380A2

    No.9 北野元   ニッサン・R380A2

  • No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 <br /><br />被写体に合わせてカメラ(レンズ)を動かしながら撮る、いわゆる流し撮りの例です。背景が流れてスピード感が表現できます。

    No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 

    被写体に合わせてカメラ(レンズ)を動かしながら撮る、いわゆる流し撮りの例です。背景が流れてスピード感が表現できます。

  • No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 

    No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6 

  • No.11 大石秀夫  ニッサン・R380A2

    No.11 大石秀夫  ニッサン・R380A2

  • No.14 ロドニー・クラーク  ローラ・T70

    No.14 ロドニー・クラーク  ローラ・T70

  • No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

  • No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6<br />No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6
    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

  • No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6  <br />No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6  
    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

  • No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6 <br />No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6
    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

  • コーナーで競う3台のポルシェ・カレラ6<br />No.8 生沢徹(1位)、No.6 滝進太郎(5位)、No.7 酒井正(8位)<br /><br />ポルシェのワンメイクレースでもないのに、この地点を3台そろって通過したのは、最終順位から推測して、おそらくこのときだけと思います。<br />珍しいと思い、表紙に掲載しました。<br /><br />デジカメであれば通過時刻の記録で検証できますが、この時代は8ミリフィルムで撮影しておかないと無理ですね。<br /><br />表紙写真の説明に「迫り来る勇姿と爆音は心を躍らせる麻薬のような・・・。」と書きましたが、ブルーインパルスの編隊が迫ってくるのと似ています。<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/51/24/69/src_51246926.jpg?1510313363<br />https://4travel.jp/travelogue/11299271<br />ブルーインパルスの飛行速度はとても速いため、迫り来る機体は見えても音は届かないので見ていないと気づきません。<br /><br />ブルーインパルスの飛行速度は時速約1040km(マッハ0.9)。<br />出典:https://performance-event.info/self-defense-forces/<br />

    コーナーで競う3台のポルシェ・カレラ6
    No.8 生沢徹(1位)、No.6 滝進太郎(5位)、No.7 酒井正(8位)

    ポルシェのワンメイクレースでもないのに、この地点を3台そろって通過したのは、最終順位から推測して、おそらくこのときだけと思います。
    珍しいと思い、表紙に掲載しました。

    デジカメであれば通過時刻の記録で検証できますが、この時代は8ミリフィルムで撮影しておかないと無理ですね。

    表紙写真の説明に「迫り来る勇姿と爆音は心を躍らせる麻薬のような・・・。」と書きましたが、ブルーインパルスの編隊が迫ってくるのと似ています。
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/51/24/69/src_51246926.jpg?1510313363
    https://4travel.jp/travelogue/11299271
    ブルーインパルスの飛行速度はとても速いため、迫り来る機体は見えても音は届かないので見ていないと気づきません。

    ブルーインパルスの飛行速度は時速約1040km(マッハ0.9)。
    出典:https://performance-event.info/self-defense-forces/

  • No.9 北野元   ニッサン・R380A2

    No.9 北野元   ニッサン・R380A2

  • No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6<br />No.11 大石秀夫  ニッサン・R380A2

    No.6 滝進太郎  ポルシェ・カレラ6
    No.11 大石秀夫  ニッサン・R380A2

  • No.14 ロドニー・クラーク  ローラ・T70<br />No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2

    No.14 ロドニー・クラーク  ローラ・T70
    No.10 高橋国光  ニッサン・R380A2

  • No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

    No.7 酒井正  ポルシェ・カレラ6

  • No.8  生沢徹  ポルシェ・カレラ6

    No.8 生沢徹  ポルシェ・カレラ6

  • 優勝した生沢徹(ポルシェ・カレラ6)のウィニング走行<br /><br />優勝タイム 2:04&#39;39.22 (360Km)<br />平均時速 173.280Km/h

    優勝した生沢徹(ポルシェ・カレラ6)のウィニング走行

    優勝タイム 2:04'39.22 (360Km)
    平均時速 173.280Km/h

  • 46番目の画像<br /><br />これ以降はネガフィルムをスキャンしたもので、コントラスト補正などはしていないので諧調のディテールはオリジナルです。

    46番目の画像

    これ以降はネガフィルムをスキャンしたもので、コントラスト補正などはしていないので諧調のディテールはオリジナルです。

  • 日本グランプリの優勝走行の生沢徹

    日本グランプリの優勝走行の生沢徹

  • 日本グランプリの優勝走行の生沢徹

    日本グランプリの優勝走行の生沢徹

  • 撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4<br /><br />ボディ本体重量750g<br />価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

    撮影に使用した一眼レフカメラ CANON FT FL50mm F1.4

    ボディ本体重量750g
    価格(レンズ付)(1966年発売時)54,800円

  • レースの撮影に使用した望遠レンズ<br /><br />CANON FL 200mm F3.5<br />口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。<br />価格 1966年5月発売時 29,500円

    レースの撮影に使用した望遠レンズ

    CANON FL 200mm F3.5
    口径が大きく明るいレンズでしたが、重量が680gあり、かなり重かったです。
    価格 1966年5月発売時 29,500円

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