1990/02/01 - 1990/02/07
350位(同エリア4761件中)
itaruさん
- itaruさんTOP
- 旅行記367冊
- クチコミ25件
- Q&A回答21件
- 311,978アクセス
- フォロワー51人
海外に出るきっかけになった大学2年の時の欧州旅行。当時のソ連から東側諸国だったチェコスロバキア、ハンガリーを経由してオーストリア、西ドイツ、英国と巡る旅は新鮮だった。でも、この旅だけだったら、社会人になっても毎年世界中を旅しよう、なんて発想にはなっていないと思う。
インパクトが大きかったのは大学3年の時に巡った中近東の国々。トルコから入り、シリア、ヨルダン、イスラエル、エジプトと駆け回ったっけ。海外と行っても、先進国で便利な欧州の国々は日本を旅するような、予測ができる安心感がある。でも、日本とは宗教観など異なる価値観や社会常識があるこれらの国々は刺激的。実際、旅している時はいろいろなトラブルに戸惑い、体調も崩したりして、早く中東から脱出して後半戦に旅する予定の欧州に移動したい、なんて思っていたりもしていたのですが、思い出してみると一つ一つが貴重な学生時代の一ページ。現地で会う人やこの地を旅する人たちも、個性的で面白い人が多かった。いろいろ失敗もしたけれど、もう一度、あんな旅をしてみたい、そう思えるような51日間を振り返ってみます。
まずは中東への第一歩を踏み出したトルコのイスタンブールです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2月1日、南関東は珍しく雪。バスの運行も混乱する中で父が最寄りの駅まで送ってくれました。雪の日なんて運転したことないはずなのにタイヤにチェーンを巻いて(途中で1,2本外れたりもしましたが)。ホント、有り難かったです
-
思わぬ都心の雪のおかげで交通もかなり混乱。途中駅で待ち合わせしていた友人の到着が遅れ、それなりに余裕を持っていたはずなのに成田に着いたのは1時間前。まだまだ海外ビギナーだったこともあり、大丈夫かな、ってドキドキしたもんです。まあ、モスクワ行きのアエロフロート584便も1時間ほど遅れたので問題なしでしたけど
-
アエロフロートのモスクワ乗り継ぎ。当時は日をまたいだ乗り継ぎには無料のトランジットホテル付き、なんだけど、そこは効率的とはいえないソ連のお役所仕事。3時間ほど、空港内で待たされたっけ。で、ホテルの部屋は3人1組の相部屋。友人のほか、相部屋になったのはイラン人。この人、日本語ペラペラでやたら女の子を口説いていたのでイタリア人かと思っていたからイラン人と聞いてびっくり。空手をやっていてイランのチャンピオンで、日本のアクション俳優とも親しいんだって。イラン人って敬虔なイスラムが多いと思っていたので、こんな軟派なイラン人もいるんだって意外だった。でも旅をしていると、イスラム圏の男たちってやたら外国人の女の子に口説こうとしている(もちろん、国や個人により様々ですが)姿を目にして……。まあ、そんなもんなんだ、って妙に納得したりして
-
当時のモスクワ発の機内食の「まずさ」に呆れつつ、アンカラ経由のSU503便でイスタンブールへ。アンカラでは乗客全員が降りたのだけれど、そこでイラン人に口説かれていた女の子3人組と遭遇。イラン人のことを話したら、嫌そうな顔された。相当しつこかったらしい。さてイスタンブールでの入国はスタンプを押すだけ。あまりの簡単さに驚きました。確かに当時でも西欧間は出入国審査を省いたりしていたけど、これでいいのって感じ。さて空港から市内へは珍しくタクシーを使って料金は11000TL(約680円)。当時のトルコは安かった。
で、その日は宿の周辺をブラブラしただけで、本格的な観光を始めたのは3日から。最初に訪ねたのがブルーモスク。当時は今よりトルコ自体の宗教色が薄くて、かなり自由に入ることできた。その分、観光客相手に商売する人も多くて、「FREE! FREE!」とか、いいながら勝手に靴磨きして、料金を請求されたっけ。当時は免疫がなくて1ドル渡したのは苦い(笑)思い出ですスルタン アフメト モスク 寺院・教会
-
ブルーモスクの隣のアヤソフィア。当時の入場料は5000TL(約300円)。無茶インフレだった当時のトルコ、金額は大きいのだけれども日本円に直すと大したことない金額になったりします。それでも、当時の物価を考えると300円でもかなり高い印象はありました
アヤソフィア 寺院・教会
-
東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の聖堂からイスラムのモスクへ。その時に塗り込められていたモザイク画の想像以上に鮮やかさは印象的だった
-
この頃は有名観光地のアヤソフィアといっても観光客はそれほど多くなく、ゆっくり見て回ることができたものです。それが2014年に再訪した際は11月だというのにかなりの人だかり。あまりの人の多さに圧倒されたものです
-
ブルーモスク、アヤソフィアときたら、何のひねりもないですが次も定番のトプカプ宮殿へ。入場料は5000TL
トプカプ宮殿 城・宮殿
-
栄華を極めたオスマン帝国の宮殿も今は博物館。もっと煌びやかなものを想像していたんですが、何か古ぼけていて微妙、みたいなことを当時は感じたものです
-
ちょっと、ヨーロッパの宮殿の華やかさみたいなものを期待していたのかも
-
この宮殿で飛行機で一緒だった女の子3人組と再会。なんだかんだでイスタンブール滞在中は、彼女たちと一緒に行動することが多かったです
-
トプカプ宮殿を一巡りしたら海岸へ。シルケジ駅近くのフェリーターミナルの前にはたくさんのバスが集まり大盛況
-
金角湾越しにみえる塔はガラタ塔
金角湾 海岸・海
-
獲れたての海産物を即売?かな。観光客向けではなく、地元の人向け
-
よくありがちな「俺たちの写真撮って」。しかし、住所を交換するわけでないのに何で撮ってもらいたいんだろう?
-
イスタンブールといえば、この頃は絨毯屋によく声をかけられたものです。有名なグランバザールは観光客相手の店が多い。この頃はバブルの影響もあって、金持ち日本人てのが浸透しているので、東洋人とみれば日本語で話しかけてくる人の多いこと
グランド バザール 市場
-
この日もブルーモスクを出たときに絨毯屋の客引きに誘われお店へ。チャイをご馳走になりながら、商談した結果、友人は小さな絨毯を購入。相場が全然分からないから良い買い物をしたのか分からなかったけれど、後に絨毯に詳しい人に見てもらったら「いいものだ」との評価。粘り強く値切り交渉したおかげでいい買い物をしたようでした。トプカプを出たときにも日本語で声をかけられ、女の子3人と計5人で絨毯を見て、チャイを飲みながらいろいろ説明を受けたのはいい思い出。でも、中には睡眠薬入りのチャイを飲ませる悪質な絨毯屋もいたらしいから、無警戒は危ないんだけどね
-
翌日は10時半にアヤソフィアで待ち合わせ。その前に旅行会社に寄ってシリアのダマスカスまでのチケットを探してみた。当時は毎日航空便があるって訳ではなく、飛べる日も限られていたのでフライト情報を得ることも必要だったので。陸路でカッパドキア、もしくはエーゲ海沿いの街を巡りながらシリア入り。どちらにしようか、まだ決めていなかったのですが。(写真は泊まっていたホテルの前の通り)
-
3人と待ち合わせ後、向かったのは地下宮殿(イェレバタンサライ)
イスタンブル地下宮殿 城・宮殿
-
スポットライトも設置され、なかなか凝った演出が為されている地下宮殿。2014年に再訪した時には入り口に観光客が並ぶほど盛況でしたが、この頃はそれほどメジャーにはなっていなかったのかな。どこから入るんだろうと、入り口を探した記憶があります
-
薄暗い地下の空間でスポットライトを浴びた逆さまになったメデューサの頭は何とも印象的。何とも幻想的な空間は予想以上で面白かった。しかも当時は入場無料でした
-
地下宮殿で5人の記念写真。彼女たち3人はT美大の2年生でトルコからヨーロッパに渡って2ヶ月弱旅を続ける予定とのことでした
-
地下宮殿から次に向かったのが新市街のドルマパフチェ宮殿。19世紀半ばに建設された宮殿はオスマン帝国末期のスルタンの館として、また共和制下での大統領府として歴史の舞台になったところ
ドルマバフチェ宮殿 城・宮殿
-
チケット代は少し高くて10000TL(約600円)。宮殿は西欧の影響も受けてか、煌びやかで豪華。贅を尽くしたスルタンの住まい、と単純に驚いた。今でも迎賓館として使われているのも納得です
-
宮殿観光の後は新市街を散策。丘の上からモスク越しにボスポラス海峡を眺めたり
ボスポラス海峡 海岸・海
-
庶民的な下町の市場をぷらぷら
-
この辺りには観光客の姿はほとんどなし
-
市場でリンゴを購入して
-
夕暮れが迫る中
-
向かった先は
-
ガラタ塔。チケット代は1000TL(約60円)の安さでした
ガラタ塔 建造物
-
2014年の訪問時は長蛇の列で入場を諦めたのですが、当時は並ぶこともなく塔に登り
-
日が沈み、辺りが暗くなるまでガラタ橋など、イスタンブールの眺めを堪能しました。フィルムカメラの夜景モード、三脚ないとうまくいきません(苦笑)
-
ガラタ塔でイラン人のおじさんと意気投合。アエロフロートのトランジットホテルで一緒になった彼のこと知っているかと尋ねたら、「知っている。空手のチャンピオンだ」との答えにびっくり。ホントに有名人だったんだ。で、このおじさんと話をしていたら、「イランに遊びに来ないか?。歓迎するよ」。イラン!考えてもいなかったけれど……
-
イランへの誘いに友人が強く反応しました。当時、日本とイランの間にはビザ免除協定があって日本人はノービザで訪問できたから、未知の国イランへの想像が膨らんでいきます。イラン人のおじさんは「イランはビザの規定が難しい。聞いてみようか」ってな感じで、翌5日に一緒に領事館を訪問。ノービザを確認すると、「きょの夜の何時に待ち合わせよう、そこでどうするか決めようか」ってな具合で話を進めていくことに
-
イランに行くなら飛行機を確保しないと。旅行会社でチケット代を聞いてみると、イスタンブールから片道だと385ドルと高いけれど往復なら300ドル弱と許容範囲内。そうなると、ビザの有効期限の短いシリアは断念となりそうだけれども、「イランを訪ねる機会なんてない」ってことで2人の話はほぼまとまりました
-
あとはおじさんと調整をしてからチケットを買おう。ということで、旅行会社巡りの後は2度目のトプカプ宮殿探訪です
-
宮殿からマルマラ海を眺めたり
-
ガラタ橋方面を見渡したり
-
そうそうイスラムの宮殿といえば、後宮=ハレムが有名。今回は別料金のハレムも5000TL払って見学です
-
女性たちだけが暮らしていたハレム。何だか艶めかしいイメージをかき立てられます。確かに宮殿のほかの場所に比べると煌びやか
-
グランバザール近くにあるイスタンブール大学。トプカプ宮殿訪問の後は旧市街をぶらつき、おじさんとの待ち合わせ場所に向かったのですが……
-
「彼はチェックアウトしたよ。アンカラに行くんだって」。待ち合わせ場所のホテルに行くと、ホテルのフロントからまさかの返答。「えっ」とショックを受ける友人、私もまさかのドタキャンに力が抜けました。多分、簡単にイランには入国できないからリップサービスで誘ったってところでしょう。本当に訪ねられたら困ったんでしょうねえ、「実は~」と言い出すことができなくて……
-
英語のガイドを購入すれば何とかなったかもしれませんが、まだまだ旅の初心者だったこの頃。ガイドブックもなしにイランを旅しようなんて発想は浮かびません。予定を元に戻して、ダマスカスに飛ぶこととしましょう。翌6日は朝からシリア行きのチケット探し。前日とは異なる旅行会社に聞いてみると、安い上にドルではなくTL払いOKとのこと。しかもカードで。当時のトルコのインフレを考えれば、カードでのTL払いが一番お得かなということで即決
国立考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
フライトは翌日17時30分発のトルコ航空。近郊の街を訪ねるという手もありますが、ここはおとなしくイスタンブールをぶらつきましょう。雨が降りしきる中、博物館巡りでイスラム美術博物館や国立考古学博物館へ。考古学博物館は改修中でいくつか有名な展示品を見ることができなかったけれど、アレキサンダー大王の石棺が見られたのでひとまず満足
-
博物館巡りの後はマルマラ海を行き交う船を見ながら
-
海岸線をゆっくり散歩
-
こんなところでハイポーズ(笑)
-
ヨーロッパとイスタンブールを結ぶシルケジ駅。ここからオリエント急行に乗って優雅に豪華列車の旅……、というには寂れていて……。今では長距離列車の離発着はないようですが
シルケジ駅 駅
-
イスタンブール最終日の7日、船に乗ってアジア側へ
-
チョットした船旅は往復で1000TLと格安
-
これで天気が良ければ言うことなしなんですが
-
この日は無茶苦茶寒かった
-
程なくしてアジア側のユスキュダールに到着
-
オープンマーケット?を冷やかしながら
-
さてイスタンブールのYH(1泊9500TL)で荷物をピックアップしてシリアに向かいましょう。バスターミナルまでタクシー利用もドライバーがメーター倒さず一騒動。でも、最終的には妥当な金額4500TLで収ったから、そんな悪質という感じでもなかった。ちなみに空港バスの値段は1000TLと格安でした
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
1990年中東・中欧の旅
-
観光地化されたといっても、まだ観光客で溢れていなかったイスタンブール=1990年中東・中欧の旅1
1990/02/01~
イスタンブール
-
話しかけた人は大使夫人! ダマスカスでの大使宅宿泊と世界遺産パルミラ=1990年中東・中欧の旅2
1990/02/07~
パルミラ
-
インディ・ジョーンズの舞台を訪ねてヨルダン・ペトラへ=1990年中東・中欧の旅3
1990/02/12~
ペトラ
-
3つの宗教に彩られた混沌の街、エルサレム=1990年中東・中欧の旅4
1990/02/15~
エルサレム
-
ピラミッド、王家の谷などエジプトを実質4日で駆け抜ける=1990年中東・中欧の旅5
1990/02/21~
ギザ
-
あわや入国拒否のキプロス、ストライキのギリシア、闇両替のブルガリア=1990年中東・中欧の旅6
1990/02/26~
ソフィア
-
一人旅はゆっくりと、まずは旧ユーゴスラビアとハンガリーへ=1990年中東・中欧の旅7
1990/03/04~
ベオグラード
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
イスタンブール(トルコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 1990年中東・中欧の旅
0
56