1990/02/26 - 2019/03/03
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itaruさん
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ルクソールの空港の滑走路閉鎖というアクシデントで、カイロ到着は深夜の3時過ぎ。キプロスのラルナカ行きは7時半だから、こうなっては空港で夜を明かすしかない。到着したのは国内線もしくはアフリカ・アラブ諸国便が主な旧ターミナルなので歩いて新ターミナルに移動。しかし、ターミナル間の移動だけというのにタクシーの勧誘がしつこい。まあ、これからヨーロッパに飛ぶので、アラブ流も最後だし、少し寂しいかも?
空港の椅子で2時間ほど仮眠。エジプトとはいえ、砂漠の夜はかなり冷え込みます。コートを着込んで一夜を明かし、チェックインをして出国審査に進んだら「エジプトは寒かった?」ってニヤニヤ聞いてくる。「えっ、ああ、夜はたまにね」と苦笑い。ともかく、中東の旅を終えて気持ちもだいぶ楽。あとはサクサクと旅を進めるだけ、と思っていたら、まだまだトラブルはあるもので
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- キプロス航空 エジプト航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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カイロからラルナカは1時間ちょっとの短距離フライト。位置的には中東だけれども、もうここからはヨーロッパ。楽に旅できるだろうと思っていたら、いきなり入国審査に手間取ってしまう。
目的は? 「観光」
滞在日数は? 「2~3日」まではよかったけれど、
どこに泊まる?には「ユースに泊まるつもり」でちょっと怪しげな方向へ
何しろ、キプロスの情報は東京でたまたま見つけたキプロス観光局のパンフレットだけ。分断国家だけど、リゾートの島という中途半端な情報を知っているだけ。しかも、チケットは? と問われて提出したのはカイロ→ラルナカのチケット。
日本へ帰国するチケットを見せればよかったのだけれども、この頃はそうした考えが巡らないので、戸惑ってしまう。それでも所持金は? と問われて「1500ドル」と申告して、TCの束を見せると何とか入国スタンプを押してくれた。実は少し実際より多めに言ったのだけれども、係員が細かく数えなかったし、金額の大きなTCを目立つように見せたので、何とかクリアってところでした。
一方で友人はTCが日本円だったのでさらに苦戦。所持金も実際より少なめの700ドルくらいと申告したので、銀行に連れて行かれて「本当に申告しているだけの所持金があるのか」確認する念の入れよう。1人先に入国が許可された私はハラハラドキドキ。ようやく友人が入国を許可され、ホッとしました -
さて情報の乏しいキプロス。とりあえず空港の観光案内所でパンフレットを手に入れます。さて街中へはどう行くのか。バスは出てしまったのか、この時間にはないみたい。仕方ないのでタクシー(1.5キプロスポンド中=約480円)で向かいます。YHがあるという話だったので、探したけれども見つからない。地元の人に聞いたら、「離れたところにあるから、フラットを借りたらどう」って。結局、1部屋1泊6CYP(約2000円)とフラットが安かったので、2泊することにしました。ということで、荷物を置いたらラルナカの街を散策。やってきたのは聖ラザロ教会
聖ラザロ教会 寺院・教会
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聖書でイエスが蘇らせたラザロが後にキプロスに渡り、主教を務めたという言い伝えのある聖ラザロ教会。由緒ある正教系の教会を訪ねたのは初めて。中東からキリスト教文化圏にやってきたなあ、って思いを強く感じました
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ところで、キプロスに到着した2月26日は月曜日だったのですが、街にはまるで人通りがない。商店なども閉まっている店がほとんど。どういうことって、不思議に思っていたけれど、どうやら祝日みたい。ネットで調べたらグリーンマンデーというギリシャ正教系の宗教行事にかかわる休みのようです
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ということで、聖ラザロ教会を訪ねた後はラルナカの海岸をブラブラ歩いて
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海辺でのんびり
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で、キプロスといえばクレオパトラも愛飲したといわれるほどのワインの名産地。もちろんワインも安い。この頃は輸入ワインの関税が高かったから、1本1~2CYPという値段にびっくり。ってことで、スーパーで買い出しをして友人とワインで乾杯
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翌日はインターシティバスでニコシア(レフコシア)へ。名前は立派だけれども、バスはオンボロのローカルバス。窓も汚れていて車窓の写真も今ひとつ
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さてレフコシアの街歩き。大主教の座がおかれている聖ヨハネ教会。今では内部の写真撮影禁止のようですが、この時は特に規制がなかった
聖ヨハネ教会 寺院・教会
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聖堂内に埋め尽くされたイコンはなかなか興味深い
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ヴェネツィア時代に築かれたファマグスタ門。レフコシアをぐるっと囲む城壁にある門の一つで幅45mほどの重厚な建物などを観たら
ファマグスタ門 史跡・遺跡
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南北のキプロスを分断するグリーンラインへ。当時は戦闘などの危険はほぼなかったものの、まだまだ緊張感があった時代。写真撮影はもちろん禁止なんですが、観光客は結構写真を撮っています。なので、私も目立たないようにして
グリーンライン (キプロス) 散歩・街歩き
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ところが、「国境線」を管理している兵士の姿を撮ろうとしたからか、友人が彼に問い詰められて大変なことに。「フィルムを出せ」「いや、撮ってないから」。まあ、実際に撮ってはいなかったので、フィルムの没収には至らなかったのですが……。「不自然、あんな国境、子どもが簡単に渡るよ」と友人。確かに理不尽なんですが……。平和に見えても「紛争地帯」と改めて感じたものです。ちなみにこちらの「国境」は特に文句は言われませんでした
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グリーンラインに近いファネロメニ教会に寄ってからラルナカへ。夜はフラットの近くで開催されていたギターの無料コンサートを鑑賞。私たち2人以外は地元の人たちばかりだったと思うけど、思いのほか楽しめました
ファネロメニ教会 寺院・教会
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キプロスも見どころはたくさんあるのですが、当時は情報がほとんどなかったこともあって「グリーンライン」を見れば十分だろう、って思っていたので翌28日にはギリシアに向かいます
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ギリシアのアテネに向かうのは今は無きキプロス航空。リーマンショック以降経営が悪化して倒産してしまいました。この頃は国営航空のフラッグキャリアが潰れるなんて思いもしませんでした
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ラルナカからアテネまでは37CYP(約12000円)とお手頃。1時間30分ほどのフライトも快適でした
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ギリシア入国はとてもスムーズ。市内に出たら、まずは腹ごしらえで大衆食堂風の店へ。ギリシアは安い、という話でしたが、思いのほか高くて日本の定食並み。夏にギリシアを訪れていた友人は「こんなに高いはずない」と納得いかない様子。それはともかく、観光に向かいましょう。ミトロポレオス大聖堂に寄ってから、パルテノンに向かうのですが、どうも様子がおかしい
ミトロポレオス大聖堂 寺院・教会
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何とパルテノンを含めてアテネの遺跡がストライキ中。どういうこと? ネットのない時代、しかも中東を長期で旅していたので全く情報がありません。パルテノンに近づけないか
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イロド アティコス音楽堂は何とか近づくことはできたものの
イロド アティコス音楽堂 劇場・ホール・ショー
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パルテノンは遠目に眺めるだけ
パルテノン神殿 史跡・遺跡
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仕方がないので
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アクロポリスの全景を見ることができるフィロパポスの丘へ
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残念ですが、アテネ観光の目玉のパルテノンは次の機会(2009年)となりました。さて、この後どうしようか
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このままアテネに滞在していても意味が無い。先に進むしかないのですが、ソフィアまでは鉄道で丸一日、バスだと30時間もかかる。経路としてはソフィア経由でベオグラードを考えていたので、旅行会社で割引チケットがないか何軒かで聞いてみる。残念ながらソフィア経由ブカレスト、ベオグラード経由ブダペストは買えるものの、ソフィア経由ベオグラードはないとのこと。なのでソフィア行きのチケットを購入。5565ドラクマ(約5500円)
パナティナイコ スタジアム スタジアム・スポーツ観戦
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丸一日の鉄道移動は避けたかったのでテッサロニキ辺りで途中下車して休みたかった。友人が夏に語学留学で知り合ったギリシア人がテッサロニキにいるというので、ちょっと頼ってみるのも一つの手では、なんて都合のいいことも考えたりしました。が、そううまくいかず、ほぼ24時間の移動でソフィアに向かいます。しかも、この列車には簡易寝台のクシェットがなかったので座席で24時間を過ごすことに。こんな長い時間列車に乗り続けたことなかったからホント疲れたわあ
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今ではノービザのブルガリアも東側だった1990年はビザが必要でした。この頃はソ連と近い関係だったので、ビザの管理は比較的厳しい方で予め取っておかないと追い返されます(ユーゴはビザなし、ルーマニアは国境で取得可、ハンガリーは陸路はダメだけど空港や港で取得可、東ドイツは通過ビザ取得可)。日本でのビザ代は3450円。ちなみに「歩き方」には強制両替はない、とのことでしたが、国境で乗り込んできた係員に両替を強制されました。まあ、いずれにしろ現地通貨は必要なので拒否する理由はなく、30ドル両替しました
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ソフィア到着は日も暮れようかという時間。西側のように経済的なものから高級ホテルまで宿を選べるなんてことは当時のブルガリアでは望めません。が、東西の壁が崩れつつあったので、private lodge なる民泊も一般的になっていました。といっても、国営のバルカンツーリスト経由で申し込む必要があるなど面倒ではあるのですが。それはともかく、1泊1人1500円ほどで宿を確保。翌2日はソフィアの街を歩きます
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ソフィアの中心に位置する聖ネデリヤ教会。由緒あるブルガリア正教会なんですが、この辺りをレーニン広場といっていたのはベルリンの壁崩壊前だからでしょうか
聖ネデリヤ教会 (ソフィア) 寺院・教会
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聖ペトカ地下教会や
聖ぺトカ地下教会 寺院・教会
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オスマントルコ統治時代の象徴だったバーニャ・バシ・ジャーミア
バーニャ バシ ジャーミア 寺院・教会
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ソフィア最古の聖ゲオルグ教会とソフィアの主立った見どころを巡ります
聖ゲオルグ教会 (ソフィア) 寺院・教会
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丸屋根のギリシア正教会のほか、いくつかのモスクも目につくソフィアはこれまで旅してきた国とはまた違った雰囲気が漂う。それにソ連型の社会主義を象徴するような巨大なコンクリートの建物もまた違った彩りを添えています
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ソフィアで圧倒的な存在感を誇るアレクサンダル・ネフスキー寺院や
アレクサンダル ネフスキー寺院 寺院・教会
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ソフィアという街の名の由来となった聖ソフィア教会。とはいうものの、今ひとつインパクトに欠けていますかね
聖ソフィア教会 寺院・教会
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で、ソフィア大学。東京の四谷にある某カトリック系の大学の英語名もソフィアですが、こちらは正真正銘のソフィア大学です(^0^)。
さて街歩きを一通り終えたところで、今後の方針を確認。ユーゴのベオグラードに向かうことは決定済みです。ということで、ソフィア駅でチケットを購入しようとしたのですが、ここで問題が発生。当時のブルガリアで国際列車のチケットを買うには公定レートで両替をした証明書が必要でした。私たちは入国時に両替していたのですが、駅の窓口では「これは使えない。チケット用に新たに両替して」とつれない返事。ただ窓口とは別に国際乗車券センター「Rila」というのが駅構内にあり、ここでは「この証明書も使えますよ」。
ただ手持ちのブルガリア・レバはチョット足りない。ここで不足分だけ両替すればよかったのですが、友人が「それなら闇両替して不足分を補おう」と。これが大失敗でした。闇両替ってどこでやる? とりあえず街に出て声がかかるのを待つ、なんてのやってたんですが、ちっとも声がかからない。それでも、時間を区切ればよかったんですが、粘っちゃたんですよね。何とか交渉成立の闇のレートは公定レートの倍ってとこ。ですが、駅に戻ったときには既にRilaは閉店してました。翌日は一日がかりでリラの僧院に行くのでRilaによる時間は無い。
結局、闇両替で手に入れたレバは無駄となり、窓口でチケットを買うために新たに両替しなければならなくなりました。しかも、Rilaで聞いたときには空席があるという話だった簡易寝台クシェットのチケットは買えず、「空きがあるかどうか、車掌に直接聞いて」ってなことになり、がっくりでしたソフィア大学 現代・近代建築
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リラの僧院にはバスで向かいました。ただ、直行便は朝6時30分発と無茶苦茶早いので、時間はかかるけれどSt Dimitorov乗り継ぎでリラを目指します。これならソフィア8時50分発でOK。ただ、St Dimitrovで約1時間の待ち時間があるのがなかなか厳しい。ほんと何もないところで、寒いし(バスも暖房がかかっているのか、分からないくらい弱かった)
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深い山間に忽然と現れるリラの僧院。その歴史は10世紀にまで遡るそうで14世紀には時の王の庇護の元に僧院文化が花開いたとのこと
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雪がしんしんと降る中での僧院訪問。人里離れた信仰の場所です
リラ修道院 寺院・教会
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記念の一枚をと思ったけど、フラッシュを使わなかったので真っ暗になってしまって誰だか分からない
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そしてこちらはストラップがレンズを遮ってしまったご覧の通り
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しかし、とてつもなく寒かった。サクッと観光し、僧院隣接のレストランでお昼をいただいたら引き上げます。が、何をぼけたのかこの寒いのに手袋をなくしてしまう失態! いやいや、なにボケているんでしょうか
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さて宿に戻って荷物をピックアップ。ところで宿のおばちゃん、ブルガリア語しか分かりません。出発まで荷物を置かせて欲しい、と伝えるのだけでも一苦労。何か伝えようとすると「バルカンツーリスト(に聞け)」って感じなもんで。何とか、身振り手振りで伝えたけど疲れたなあ。ってことで、ソフィアから夜行列車でベオグラードに向かうのですが、なかなか大変な旅となるのでした
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