1990/02/07 - 1990/02/12
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itaruさん
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イスタンブールから空路向かったのはシリアのダマスカス。初の中東訪問です(トルコはイスラム圏といってもヨーロッパ、特にイスタンブールは)。まだまだ旅のビギナーだったこともあり、訪問前はかなりビクビクしてました、特に衛生面に関して。「生野菜は危険」とか、過敏に反応してしまい気持ちに余裕がありませんでした。おかげでシリア滞在中はお腹の調子が最悪で、早く「中東を抜けたい」なんて弱音も……。
当時のシリアは現アサド大統領の父親の時代。強権支配はその頃から変わっていなくて、街中には警官だけでなく兵士も多く見かけたものです。治安は保たれていたのだけれど、場所によってはどこかピリピリしたような緊張感を感じることもありました。その分、訪れる観光客はわずか。世界遺産のパルミラを訪れても、広い遺跡をほぼ独占状態で堪能したのを思い出します
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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シリアのダマスカス行きのトルコ航空502便は17時30分発。料金はシリア・アラブ航空の方が安かったのですが、ダマスカス到着時間が深夜になるシリア航空よりは19時45分着のトルコ航空の方が安心だろうってことで選択しました。この選択が大正解でした。出発を待つ間、友人が日本人らしき女性2人に「ご旅行ですか」と声をかけると、「シリアに住んでいるのよ」との答え。商社とか、と思いきや、実は日本大使館の関係者でした
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シリア入国にはビザが必要だったのは当時も変わりません。料金は1600円と高くはなかったのですが、旅行会社作成の推薦状が必要とのことでなかなか面倒でした。しかも、一度は旅行会社に推薦状を作ってもらったものの「旅行社の社印がありません」とまさかにダメ出し。こんなところで印鑑を求められるとは、とびっくりしたものです。ダメ出し食らったことで推薦状の作成料金は無料にしてもらいましたけど
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シリアに限らないのですが、この頃は入国に際して○○ドル両替しなければならない、なんてことを義務化している国が結構ありました。シリアの場合は100ドルの現金でした。で、当然のことながら、こんなことをしている場合、強制両替のレートは市場のレートよりだいぶ良くないわけで。この時は100ドルで1120シリアポンド(SP)でしたが、市中銀行ならその2000~3000SPですから大損です。
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当初は空港からバスでダマスカス市街に向かい、YHに宿泊するつもりでした。ところが、イスタンブールの空港で声をかけた2人から「泊まるところが決まっていないのなら、うちにいらっしゃい」とのお誘い。あれよあれよの展開にびっくりの私たち。迎えに来た車(ドライバー付き)に同乗させてもらい、高級住宅へ
(写真は当時のガイドブック、地球の歩き方フロンティア シリアヨルダン) -
思わぬ幸運でお世話になったのは駐レバノン日本大使館の臨時代理大使の家でした(もう一人の女性は駐シリア大使館の確か参事官の夫人)。当時はレバノン内戦の真っ最中。大使館もベイルートから撤収し、隣国のシリアで業務を行っていました。「レバノンだけはくれぐれも行かないで。対応できないから」なんてことも言われて……。でも「ウエルカム・シリア」と言われて夕食をご馳走になった上、その日は大使宅に宿泊。BP旅で安宿に泊まるはずが、快適な一夜を過ごすことができたのはラッキーとしかいいようがありません。
(写真はウマイヤドモスク前のスーク) -
快適な一夜を過ごした翌日はダマスカス市街を歩きます。まず向かったのは最古のモスクの一つ、ウマイヤドモスク。ただ、この日はシリア最大の観光地パルミラへのバスチケット確保と隣国ヨルダンへのAir ticket購入。大使宅にお世話になりっぱなしともいかないので、宿も決めなければいけません。やることはたくさんあります。まあ、それはともかく、モスク近くの店で腹ごしらえ。チキンのランチは65SP
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8世紀初頭に建てられたモスクはメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐイスラム第4の聖地です
ウマイヤド モスク 寺院・教会
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ですが、堅苦しい場所という感じは全然しない。シリアが世俗的な国というのもあるけれど、当時はイスラム圏も宗教が今と比べると強調されていなかったと思います
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大理石が敷き詰められたモスク内部には異教徒でも問題なくは入れます。喜捨というような形で拝観料?を払いましたが、旅日記を見てみると払ったのは2SPほど
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ローマの神殿、キリスト教の教会を経てモスクに改装されたという経緯を辿ったという現存する最古のモスク。無数のアーチを持つ建物が中庭をロの字形に囲む。だからだろうか。イスラムだけでなく、どこかキリスト教的なものも漂っているよう
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祈りの時間は外れていたこともあって、モスクを訪れる人もそれほど多くはありません。観光客が大挙して押し寄せるわけでもなく、ゆったりした時間が過ぎていく
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この写真の欠損部分はカメラのカバーが写り込んでしまったところ。鳩が飛び交うところを撮ろうと思って慌てていたんだっけ。今のデジカメなら確認して取り直しとかしているんだろうけど、フィルム写真の時代はこんな失敗もよくありました
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モスク内部は絨毯が敷き詰められ、祈りを捧げる人や談笑する人など様々。どこか寛いだ雰囲気があり、異教徒である私たちもしばし絨毯に腰を下ろし、時を過ごしました
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ただモスク前の屋台?でコーランを見つけた友人が、お土産に買おうとしたところ、「ムスリムにしか売れない」という感じで断られたのも印象に残っています
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ウマイヤドモスクがあるのは城壁に囲まれたオールドタウン。地元の人たちで活気溢れるスークをのぞきながらの街歩きは中々楽しいもの。とはいえ、砂埃が舞い、排気ガスのにおいが立ちこめる中、アラブパンのピタを野積みで売っていたのにはびっくりした。えっ、大丈夫、ほこりまみれじゃない、って
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これはトゥーマの門だったっけかな。街中は警官、軍人が「目を光らせている」、こともあって、旅行者目線では治安は安定していた。その分、どこか息苦しさ、みたいなものも感じたものです。そして何より街中に溢れていたアサド大統領(今の大統領の父親)の肖像画が何ともいえない空気を醸し出していました
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さて一通り観光を終え、目星をつけていたYHに向かったのですが、なかなか宿を見つけられない。ガイドブックでは、この場所のはずなのに。英語があまり通じないシリア。道行く人に聞いてみても、要領を得ずに右往左往するばかり。ようやく見つけたと思ったら、人気はないし、閉まっている。仕方ないので市内に戻って、見つけたのが「ホテル・カサランダー」。一応、アルファベット表記があったので、ホテルと分かったのですが、観光客なんて1人もいない安宿です。シャワーなんて、アラブ式トイレと併設なっていて、当時の私には難度が高かったです。で、渡されたホテルカードはアラビア文字オンリー。電話番号もアラビア文字によるもの。さっぱり分かりません
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ところで宿は移ったものの、「夕食は食べにいらっしゃい」という大使夫人の言葉に甘え、この日を含めてダマスカス滞在中は大使宅でご飯をいただきました。荷物も預かってもらい、ホントに有り難かったです。が、この日の夕方からお腹の調子が……。今思えば、初の中近東の旅ということで精神的なものが大きかったと思います。何しろ、ヨルダンに入った途端に体調は回復、シリアよりも衛生面では問題があったのでは、というイスラエルの安宿やエジプトの安食堂でも体調を崩さなかったのですから。とはいえ、この時は全く余裕なし。翌9日は遅くまで寝て、体調回復に努めました。重い腰を上げて訪ねたのは国立博物館。貴重なものが展示されているはず、ですが、照明が壊れているのか、停電なのか、半分は明かりついていない。説明文もほぼアラビア語で一部フランス語なので、第2外国語でフランス語を選択していないので全く分かりませんでした
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博物館の見学を終え、昼ご飯を食べていたら日本人の旅行者がやってきて意気投合。カシオン山に行ってみよう、という話になりタクシーで向かうことに
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往路100SP、復路30SPで交渉成立となったカシオン山。ここは旧約聖書でカインとアベルによる人類最初の殺人事件が起きたとされる伝承が伝わっている場所。雲がかかっていたのは残念でしたが、山からはダマスカス市街が一望できました
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カシオン山から市内に戻り、再びウマイヤドモスクへ。ここで豆を売っているおじさんから英語で話しかけられて
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豆売りのおじさんの「正体」はProfessorとのこと。シリアでは大学教授の給料が安いから「バイト」で豆売りをやっているんだとか。店じまいをしたおじさんに招かれ、日本人4人と欧米のBP1人(どんな人だったか忘れちゃった)と自宅へ。確かに大学教授の家らしく、部屋は本でいっぱい。その時にシリアの話、日本の話をいろいろしたんですが、印象に残っているのが選挙の話をしたときのこと。ちょうど、日本では1990年2月18日に衆議院選挙が行われることになっていたので、その話題に触れたら「election」という言葉が怪訝な顔をした。辞書を持ってきて意味を確認して、彼が話したのは「シリアには選挙がない。選挙みたいなものはあるけど選挙はない」。今のシリアの混乱を見ると複雑な気持ちになります
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教授の家で話し込んでいたらオールドタウンはすっかり暗く
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2月10日は国営のカルナックバスでパルミラへ。チケット売り場では英語は通じず、アラビア語かフランス語ならOKの状況でした。友人の第2外国語選択がフランス語で助かりました。といっても、チケットはアラビア文字ばかりで分かりません
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当時は民営の高級バス、プルマンはなくて、庶民的なミクロバスだけ。まあ、頻繁に止まるミクロバスでは時間がかかるし、強制両替でSPも余っているので、この時はカルナックバス1択でしたね「
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ダマスカスからパルミラまではホムス経由で4時間
パルミラの遺跡 史跡・遺跡
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3世紀、ローマ帝国に反旗を翻した女王ゼノビアが君臨したパルミラです
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砂漠の道を疾走するアラビアン・ライダー。ふと「アラビアのロレンス」が頭をよぎります。映画の冒頭、田舎道をバイクで突っ走るロレンスが事故を避けようとして道路を飛び出し、あっけなく命を落としてしまう。有名なシーンなんですが、実は1962年の映画を当時は見たことありませんでした。単なるイメージとして、頭にあったものが「アラブ、砂漠、バイク」で妙に刺激されたようです
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砂漠も初めて、そしてローマというか、古代の遺跡を訪ねるのも初めて
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目の前にあるのは千数百年前に栄えた砂漠の交易都市
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ちょっと高揚感を感じながらの遺跡見学。あちらこちらに古代都市を支えた巨大な柱が転がっている。その中にそびえる記念門の威容。人類の貴重な遺産が見る人を引きつけます。残念ながらシリアの内戦でイスラム過激派のISISによって、2015年10月に記念門は爆破されてしまいました。ISISを駆逐したことで、遺跡の修復も行われているようですが、シリアは内戦状態を脱しているとはいえない不安定な状況なので心配です
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1世紀初頭に建設されたと推定されているローマ劇場
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広い範囲に広がっているパルミラの遺跡ですが
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当時はベル神殿と博物館以外は入場料もなく、自由に見学することができました。まあ、有料といっても1SPだったのでほぼ無料って感じでした
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この辺は砂漠といっても礫漠という感じ
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一通り遺跡を見学したら
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小高い丘の上にあるアラブ砦を目指します。6世紀に建てられたというこの砦。十字軍の時代にはキリスト教勢力とイスラム勢の攻防が繰り広げられたのでしょうか
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だだっ広い場所にくるとこんなこともしたくなったりして
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アラブ砦から見たパルミラ遺跡
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遺跡の周りに囲む緑はナツメヤシ
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東西の交易路として発展したパルミラも、ゼノビアがローマに敗れてからは衰退してしまう。砦が建てられた6世紀にはかつての栄華は……。今のパレルモの街(タドモル)はシリアの一地方都市
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ナツメヤシが生い茂るオアシスとは違い、不毛な土地が続いています
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当時は情報がなかったのですが、ここから見る夕日の美しさは格別だとのこと。知っていれば、砂漠の夕日なんてものを堪能できたんですが
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さてパルミラではゼノビアホテルに宿泊しました。ガイドブックによると、当時のパルミラのホテルは4件のみ。2つが市内の安宿で、もう一つがメリディアン。少ない選択肢の中で、そこそこまともそうで遺跡内にあるということで当初から目星をつけていました。ただ、ダマスカスの安宿と違ってドル払い(1人12ドル)。しかし、中級ホテルだから、シャワーを浴びられると思えば出てくるのは水ばかり。ホテルのマネジャー?に「お湯は出ないの?」と聞けば、「やかんにお湯を入れて持って行くよ」。体は埃だらけ。せめて暖かいタオルで体をふくか、と思ったものの、待てど暮らせどお湯は来ない。一応、暖房はあるものの隙間風で部屋は寒い。メリットは立地だけだな、なんて思いつつ、一夜が明けたので朝の遺跡をぶらり
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庶民の足ミクロバス。これに乗った方が旅は面白かったかも。なんて今は考えるのですが、当時は初のアラブ旅で体調を崩していたこともあって全く余裕なし。これに乗らなくて良かった、ってのが当時の気持ち
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さて砂漠に来たんだからベドウィンを訪ねないか。パルミラ到着後、そんなお誘いを受けたので
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料金は250SP、強制両替のレートでいえば、3200円程度とそれなりのお値段ですが、強制両替分は再両替できないので残していても仕方がない
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だから、面白そう、行ってみよう。てな感じののりで、11日はベドウィンのテントを訪問することに
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テントのお邪魔してお茶をいただいて、お土産を見せてもらう、という簡単なものですが
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子どもたちも、その後訪問したエジプトとは違ってシャイで印象に残る訪問となりました
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テント訪問後は前日は入場できなかったベル神殿へ
ベル神殿 史跡・遺跡
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wikiに「中東において紀元前1世紀の最も重要な宗教的建造物」とされるベル神殿
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豊穣の神「バール」を祀った神殿も
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残念ながら、この神殿もISISによって爆破されています
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当時は立ち入り禁止の場所とかも、ほとんどなく
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自由に遺跡内を歩くことができたので、こんな場所でも記念の1枚
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遺跡の見学を終え、帰りのバスを待つ間の地元の食堂で見かけたパルミラの猫
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体調を崩していたこともあって生水は厳禁。代表的なミネラルウオーター「ブケイン」を両手にハイポーズ
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長閑なシリアの田舎の光景。そうそう、食堂にやってきたおじさんたち、ごく普通にウイスキーを頼んで酒盛り。シリアが世俗的な国というのを実感したっけ
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ダマスカスに戻ったら再び大使の家へ。翌日朝早い飛行機でヨルダンに向かうので、好意に甘えて泊まらせてもらいます。美味しい料理にレバノン産のビールを飲みながら、夜遅くまで皆さんと談笑しました。(写真は大使の家で)
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この旅行記へのコメント (2)
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- hot chocolateさん 2021/03/01 16:55:47
- パルミラ遺跡
- itaruさま、初めまして。
ダマスカスでは大使のお宅でお世話になり、とても貴重な体験をなさいましたね。
私は、2008年の春に、ヨルダンとシリアを旅しました。
本当はレバノンにも行きたかったのですが、内戦後間もなくで旅行は出来ませんでした。
2014年にはヨルダンとイスタンブールにも行きました。
「アラビアのロレンス」は、合計7.8回は見ました。
ロレンスたちは、無謀とも思える灼熱の砂漠を越え、途中で列車を爆破する迫力あるシーンは印象的でした。
2008年当時もパルミラは観光客も少なく、私達の独占状態でした。
残念なことに、どこかの遺跡でカメラを石にぶつけて壊してしまい写真はありません。遺跡の売店でインスタントカメラを買いましたが、大陸メイドの偽コニカで、出来上がった写真は100年前の写真のようでした。(悲)
平山郁夫の絵画のような、パルミラの遺跡が印象に残っています。
ダマスカスではフォーシーズンズに2泊しましたが、そのホテルはISとの戦いの時、指令本部になったそうですし、アレッポは空爆で壊滅状態・・・
今、シリアはどうなっているのでしょうか。
hot chocolate
- itaruさん からの返信 2021/03/13 10:25:57
- Re: パルミラ遺跡
- hot chocolateさん、返信遅れすいません。コメントありがとうございます。
大使宅に泊めていただいたのは本当にラッキーでした。こういった国に赴任する大使は様々で評判の良い人もいる一方で、いろいろと問題ありとの噂を聞くこともあります。私たちが学生だったこともあり、より親切にしていただいたのかもしれませんが、貴重な体験となり助かりました。
当時のシリアも独裁国家でしたが、国は安定していました。現状を考えると、まだ以前の方がまし、とも思うのですが、モスクで出会った大学教授のように独裁に息苦しさを感じている人々が多い。大国に翻弄され、混乱が続くシリアが少しでも早く平和を取り戻し、人々が暮らしやすい国になってくれたら、と願うばかりです。
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