1990/02/21 - 1990/02/25
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itaruさん
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5000年の悠久の歴史に彩られてきたエジプト。ギザやサッカラなどのピラミッド群にルクソールの王家の谷……。シリアを旅したときは体調を崩し、「エジプトに寄らずにイスラエルから欧州へ抜けよう」と弱気なことを言って、友人を困らせていたのですが、エジプトに触れてみれば、その魅力に引き込まれてしまいます。ファラオが統治していた古代エジプトの巨大な遺跡には圧倒されるばかり。先を急いでしまい、実質4日間しか観光の時間がなかったのは、本当に勿体なかった。カイロ、ルクソールだけでなく、アスワン、アブシンベルやアレキサンドリアなども巡れば良かった
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さてエジプトに入国するにはVISAの取得が不可欠です。当時も空路で入国する場合は簡単にアライバルビザを取得できました。しかし、陸路で入国する場合は事前に取っておかなければなりません。出発前に日本で取得しておくのも一つの手でしたが、手続きが面倒だったように記憶しています。歩き方にもイスラエルなら即日で簡単に取れると書いてあったし。なので私たちも現地取得を考えていたのですが、問題は大使館がエルサレムではなく、テルアビブにあること。なので旅行会社に28ドルで代行を頼むことに。即日だから2,3日あれば楽勝かな、と思ったのですが、それほど簡単にはいかず、申し込んでから届くまで6日かかりました。これなら観光がてらテルアビブに直接で向いた方が良かった? って状態でした。ビザにはくっきりTel Avivの文字。これがあるだけで当時はエジプト以外のアラブ諸国には入国できません。まあ、私たちの場合はヨルダンの出国印がないから、すでにアウトの状況なんですけどね。それに陸路で入れば当然のことながら、エジプトの入国スタンプが押されます。アラビア文字で読めませんが、そこにははっきりと「ラファ」という国境の街が記載されるので、イスラエルのスタンプがなくても分かっちゃうんですよね
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前夜は9時と早めに就寝しは朝5時30分に起床。バスステーションには6時半に到着してバスを待ちます。前日に見送りしたときは大型バスでしたが、この日はエルサレムからエジプトに向かう人が少なかったからか、やってきたのは小型バスでした。途中、ドライブインで休憩を挟んで国境へ
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このボーダーの出入国もホントに簡単でした。ほぼノーチェックに近く、紛争地帯の国境だよね、っていう感じでした。ただ、国境では思い切り待たされました。イスラエル側のバスからエジプト側のバスに乗り換えるということもありますが……。ここでテルアビブからやってきた乗客と合流し、一路カイロへ。砂漠というか、土漠をひたすら走り
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スエズ運河へ。ここはバスに乗ったままフェリーで運河を渡ります。バス旅もなかなか風情があっていいものです
スエズ運河と湾 自然・景勝地
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とはいえ、カイロまで約13時間のバス旅。この間に食べたのはビスケットだけ。さすがにお腹がすきました。安宿にチェックインしたら、すぐさま大衆食堂で夕食です。エジプト料理のコシャリにケバブで2Eポンド。無茶苦茶空腹だったせいか、あっという間に完食したんですが、友人は何だか今ひとつな様子。今思えば、衛生面とかもなかなか微妙な店だったっけ。多分、旅のはじめの頃だと拒否反応を起こしていたかも。中東になれたってことかな
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カイロ2日目、午前中はキプロス行きのチケットを探しにタハリール広場へ。まずまずの値段のチケットは探せたんだけど、TCやカードは使えない。米ドルかエジプトポンドの現金で買うしかないのだけれども、正規の両替レシートがないと購入できない。まだまだ闇両替があった時代、いろいろ面倒くさいことが多かった。持ち合わせのキャッシュが足りず、TCを宿に置いてきた(なかなか無防備でした^^;)こともあり、ドタバタしたのはご愛嬌。ラルナカ行きの航空券を確保したら、エジプトの至宝が眠る考古学博物館へ。入場料は国際学生証を持っていれば半額の1.5Eポンド(約150円)です
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考古学博物館ではエルサレムで同じ宿だったSさんと待ち合わせ。彼女はカイロの知り合いの家に滞在中していて、この後はルクソールに向かう。では、一緒に行こうかという話になり、翌日のルクソール行きの夜行バスのチケットを購入。26.2Eポンド(約1300円)。そうそう、考古学博物館ですが、ツタンカーメンは別として、前年に大英博物館でエジプト関連の展示を見たので新鮮な驚きはなかったかも。何しろ、大英帝国は集めまくってましたからねえ(^0^)
エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ちなみにカイロで泊まったのはラムセス駅に近い、当時の歩き方にも載っていたHotel Big Ben。一人旅のBPとトリプルの部屋をシェアして1人9Eポンド(約450円)。これで共同とはいえ、ホットシャワーが使えて朝食もついているのだからコスパは抜群。というか、当時エジプトの物価は本当に安かった。さてカイロ3日目、2月23日はエジプトのハイライトともいうべき、ギザのピラミッド観光です。学割で1.5Eポンド
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エジプトといえばギザの大ピラミッド。強大な権力を持ったファラオたちが奴隷たちを酷使して、巨大な墓を造り上げた。ってのが、当時は定説でした。今では奴隷が主な労働力というのは否定され、労働者にはビールが支給されていたなんて話も。それはともかく、古代エジプトの重厚なピラミッドを前にドキドキ感が高まります
ギザのピラミッド 建造物
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ギザには同宿でトリプルの部屋をシェアしていた4年生のHさんと3人でやってきた。カイロ1泊目はイスラエルからのバスで一緒になったOさんと部屋をシェアしていたのだけれど、彼ができれば「シングルに泊まりたい」と希望したところ、ちょうどシングルに泊まっていたHさんが「それなら代わろうか」ということでトレードが成立。大學の春休みだったこともあり、カイロに限らずこの頃は日本人のBPが世界中を旅していた気がする。まあ、歩き方に載っている安宿に日本人が集まりやすいから、ってこともあったんだろうけど
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クフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッド。巨石を積み重ねた建造物に古代の神秘を感じながら歩く……。なんてことはない、というかガイドがうるさい。「3人3ポンド、いや2ポンド」とか、いやいやいらないから。静かに見学させてよ
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喧噪を離れて奥へ。3大ピラミッドの中で一番小さなメンカウラー王のピラミッドまで来れば観光客も少なくなるし、ガイド攻勢もいなくなる。でも、ラクダに乗ったところを写真に撮ったら「バクシーシ」って言われてしまう。いや、これはたまたまラクダが写り込んだだけ
メンカウラー王のピラミッド 建造物
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高さ143mのカフラー王のピラミッド。上部に化粧席が残っていて保存状態は一番いい。これが4500年以上も前に立てられたかと思うと、ため息しか出てこない
カフラー王のピラミッド 建造物
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とにかく広大なギザのピラミッド群。せっかくなのでHさんと記念の1枚を撮ったら自由行動
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本来なら高さ146mあるはずのクフ王のピラミッド。今では頂上部がなくなって137m。この世界最大のピラミッドに登ってみたい人はいるもので、まだまだ規制が緩かったこの時代。歩き方にも禁止されていると明記しつつ「高所恐怖症の人には勧められない。~強風に吹き飛ばされて墜落死する人も多いという話だ」なんてことも書いている。この日も登った人がいて、係員に見つかって注意されたから反対側に降りていったなんて、のんきなことを言ってたり……
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そういえば、ギザのピラミッドって砂漠の中に忽然とそびえ立つというイメージだったけれど、実際には遺跡のすぐそばまで街が迫っている。それに砂漠とはいえ、この辺りは岩混じりの礫漠。砂漠に浮かぶ3つのピラミッドなんて写真を撮ろうと思ったら、かなり砂漠の中を歩いて行かなければならない。友人はそこまで歩いて行ったけれど、そこまでの気力がなかったので
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ゆるりとピラミッド巡りです。せっかくなのでクフ王のピラミッドは盗掘者たちが開けた通路から内部を見学。しかし、通路は狭くて蒸し暑いし、空気が淀んでいて妙に臭う。玄室にはただ石棺があるだけ。当時は係員にチップを払わなければ無料だったので入ったけれど、別料金だったら入りたいとは思えない
クフ王のピラミッド 建造物
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そんなわけでカフラー王のピラミッドの周りを歩いていたら
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現地の少年たちに囲まれた。こちらは「バクシーシ」攻撃ではなくてホッとひと息といったところで、記念に1枚を。どうしても貧富の差が激しい国だから、観光客相手に「バクシーシ」攻撃になってしまうのも仕方ない部分はあるのは分かるけど、地元の人と普通に接することができればうれしい
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実際にはエジプト人も多くギザを訪れているわけで、のんびりしている地元も人もそこそこいました
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ギザからはタクシーをチャーターしてサッカラとメンフィスへ。40Eポンドの言い値を30Eポンドに値切って1人10Eポンド(約500円)。しかし、値段交渉は疲れます。もっぱら友人頼みだったりして
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サッカラといえば、独特な形の階段ピラミッド。ギザの3大ピラミッドを建てた第4王朝より古い第3王朝のジョセル王によって建てられたもの
ジョセル王のピラミッドコンプレックス 建造物
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高さ60m6段のピラミッドが建設されたのは紀元前2680年頃でギザのピラミッドより100年以上も前のこと。約4700年前、そのころの日本はって考えるとびっくりです
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周りは何もない砂漠。こんなところに古くから文明が栄えていたと考えると感慨深い
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ふと北に目を向けると、視線の先にギザのピラミッドが見える。霞んで見えるのは砂埃のせい?
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階段ピラミッドのほかにも貴重な遺跡があるサッカラ。ただの土塊の丘のように見えるのはウナス王のピラミッド。これがピラミッドって感じですが、考古学的にはいろいろ貴重なものが発見されています。ウナスは第5王朝最後の王、このころのエジプトは斜陽傾向で予算が十分になかったのでしょう。規模も小さく、数千年の時の流れに逆らうことはできなかったようです
ウナス王のピラミッド 建造物
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サッカラの次に訪れたのは古王国時代には首都として栄えたメンフィス。当時の歩き方のは無料とあったけれど、しっかり1Eポンド(約50円)徴収されました(^0^)
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メンフィスといえば、巨大なラムセス2世の像が横たわっていることで有名です。なのですが、大きすぎて、その時に持っていたカメラでは全体像を納まらない。今思えば、それでも撮っておけばよかったのですが、入らないならフィルムが勿体ないとケチってしまいました。ということで、残っているのはこちらのラムセス2世像。こちらも十分でかいんですけど
メンフィスとその墓地遺跡 建造物
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そして少し小ぶりなスフィンクス。ギザでスフィンクスの写真を撮っておらず、この旅で撮ったスフィンクスの写真はこれだけ。あれ、何でギザで写真撮ってないんだろう。てなことで、サッカラ、メンフィスと巡って、あとはギザに戻るだけと思っていたら、途中でタクシーのドライバーが「体調が悪くなったので、ここで降りてくれないか」。「こんなところで降りても、どうやって戻ればいい」。「ここを通るバスに乗ればギザに行けるから。料金は1人9Eポンドでいいから」。値引きするとは、ホントに体調が悪くなったんだ。実際、彼の言葉通り、バスはすぐき来たけど、ぎゅうぎゅう詰めの上にドアが開いている。怖いわあ
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さて宿に戻って荷物をピックアップしたら夜行バスでルクソールに向かいます。いやあ、このバスはなかなかキツかった。旅行者用のバスって訳ではないから、リクライニングとかは期待していなかったんだけど、一晩中アラブ音楽を大音響で流していたのには参った。ぐっすりは無理にしても、仮眠ぐらいはという甘い期待は崩れ去り、完全な寝不足状態でルクソール到着となったのです
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ルクソールに到着したら客引きがわらわら。特にあてもないし、寝不足で思考能力が落ちていたので、まあいいか,って感じで誘いに応じたのだけれども、なんとこの客引き、欧米の旅行者と私たちに提示した料金が違っていた。彼らには7Eポンドと言いながら、我々には10Eポンドという.日本人、なめられていました。これにSさんが激怒、すったもんだのあげく、彼らと同じ料金ということになったんだけど
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ともかく時間がないので観光に繰り出そう。ルクソール滞在はわずか1泊2日なので、時間を無駄にはできません。初日は王家の谷を含めた西岸を巡りましょう。ナイル川を渡る船に乗るとします
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ナイル川を横断する船は観光用と庶民用?があって、乗り込んだのはもちろん庶民用(^0^) 何でも観光客用の船着場最寄りのチケット売り場は国際学生証による割引がないんだって(歩き方情報)
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船を降りたらチケット売り場で、この日巡る遺跡のチケットを購入して観光開始。移動手段は船に乗る前に借りた自転車。レンタル代は2.25Eポンド(約120円)。エジプトとはいえ、冬なのでそれほど暑くはない。のですが、日射しは強烈です。乾燥しているのですぐに喉が渇く。真夏だったら、自転車なんて乗っていられません
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途中、地元の人とすれ違いながら進むと
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メムノンの巨像が目の前に。第18王朝アメンヘテプ3世の像で高さは18m(wiki)。元々は葬祭殿の入口の巨像で背後には壮大な建物があったはず。ただ、後の第19王朝のファラオの葬祭殿を建てるための石材調達の場となって崩壊して、何も残っていません。これ当時の歩き方には写真は載っているけど説明はなし。それでも、なかなかの迫力にしばし見入ってしまいます
メムノンの巨像 建造物
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途中で見かけたこの家。カラフルな絵に彩られていてる
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暑い中、自転車をこいで進んだ先にあるのは王家の谷。チケット代は学割で2.5Eポンド。ここは当時も撮影禁止です。もちろん、ツタンカーメンの王墓をはじめ、いくつかの墓を訪れましたが、入口とか写真撮ってもしょうがないかな、と思っていたので写真はなし
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なので、撮っているのは谷を見下ろした写真だけ。死者の都のネクロポリス。歴代のファラオが眠っていると思うと、古代のロマンを感じたりして
王家の谷 史跡・遺跡
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しかし、遮るものは何もないので強い日射しに体力を消耗します
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王家の谷を訪ねた後で汗だくになりながらハトシェプスト葬祭殿に向かっていると、おっちゃんから声をかけられる。地元民としか思えない姿に「バクシーシ求めているのかな」、なんて話していたら「チケット」って声。失礼しました、係員の方でした
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男性社会の古代エジプトで権力を握った女王の葬祭殿、ハトシェプスト女王葬祭殿(1Eポンド)。1997年、ここで観光客を狙ったテロ事件が起きて、新婚旅行でエジプトを訪れていた日本人など多くの人々が犠牲になりました。ここって三方を崖に囲まれています。武装勢力に襲われたら逃げ道はありません。事件を知ったとき、こんな場所で狙われては……、と衝撃を受けたのを覚えています
ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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王家の谷とハトシェプスト葬祭殿という西岸のメーンのほかに寄ったのはラメセウムとナクトの墓。ともに0.5Eポンドと格安です
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貴族の墓の一つ、ナクトの墓も内部は撮影できないので写真はありません。で、ラメセウムは第19王朝のファラオ、ラメセス2世の葬祭殿。アブシンベル神殿やカルナック神殿など、今でも残る多くの建築物をエジプト各地に建設した強大な権力を誇った偉大なファラオの遺跡です
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4つのオシリス柱はいずれも顔がなく
ラメセウム(ラムセス2世葬祭殿) 建造物
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修復作業もしているのでしょうが、かつて権勢を誇った王の葬祭殿も残っているものはわずか。時の流れを感じさせます
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さて西岸での観光を終えてホテルに戻ってみると、トリプルを用意すると言っていたのにシングルとツインの2部屋で料金は先ほどの値段と違う。またまた言い争いになり、他の宿はないかと探しに街にでた。ちょっと目の焦点が合ってない(もしかして、ハッシッシとかやってる?)、おじさんの1人4Eポンドでいいという宿に大丈夫かな、と思いつつも、最悪の場合はここでと決めてホテルで再度交渉してみる。この時はホテルのオーナーらしき人も同席してたんだけど、こちらの言い分を聞いたら「分かった1人6Eポンドでいいだろう」と裁定を下してくれた。一件落着とはなったけれど、無駄な交渉時間に疲れた~
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ルクソール2日目の2月25日。この日はSさんは午後のバスでアスワンへ、我々は夜の国内線でカイロに戻ル予定。ということで、午前中にナイルの東岸のカルナック神殿などを巡りましょう。神殿までは観光用の馬車に乗ってみる。3人で行きが3Eポンドで戻りはルクソール神殿までで2Eポンド。これはぼられてないよね
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古代エジプト新王国の首都テーベが栄えたルクソール。カルナック神殿は巨大な神殿のコンプレックスで、ゆっくり廻ったらいくら時間があっても足りないくらい。特に細かな見どころとか、逃さず観ようとしたら大変です。とはいえ、それほど知識もないので、その巨大さに驚いているだけ。スフィンクス参道で記念の1枚を撮ったのはいいけれど、スフィンクスは申し訳程度にしか写っていないのはご愛敬
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遺跡に腰掛けてガイドブックをチェック。いや、腰掛けちゃいけません。大らかな時代でしたが、反省です。まあ、この頃の歩き方には大雑把な説明しかないので、どれだけ情報を確認できたかというと……
カルナック神殿 城・宮殿
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とはいえ、大列柱室とか、その巨大さには圧倒されました。これだけの巨石を数千年前の人々が運んで、神殿を建てていたなんて驚き以外にありません
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カルナック神殿の観光を終えたら、再び馬車でルクソール神殿へ。のはずが、馬車のおっちゃん、神殿の前ではなくて近くの港までやってきて「ここまでだよ」。ルクソール神殿で客を待つより、港の方が客が来るってこと? まあ、それほど離れていないからいいけどね。ナイル川では優雅にヨットでクルージングしている人も
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Sさんは午後のバスでアスワンに向かうので、ナイル川で一緒に記念の1枚
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カルナック神殿とスフィンクス参道で結ばれていたルクソール神殿はカルナック神殿の副神殿的な位置づけ。といっても、3km離れています
ルクソール神殿 城・宮殿
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正直なところ、カルナック神殿のあとで訪れるとインパクトに欠けるかも
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ルクソール神殿の観光を終えたら街中でお昼ご飯。その際、水たばこを吸っている地元のおじちゃんたちに声をかけられ、友人は水たばこに挑戦(普段はたばこ吸いません)。でも、なかなかうまくく吸えない。何でも、思い切り吸わないとダメらしい
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そうこうしている間にSさんのアスワン行きのバスの時間です。ちょっとオンボロですが、エジプトでは普通かな。所要時間は4、5時間。よい旅を
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Sさんを見送った後は街中散策。大通りを外れれば、牛がいたりでなかなか田舎のルクソール。お土産を物色したりしつつ、夜になったら空港に向かったのですが
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ルクソール発カイロ行きは21時30分発。当時のエジプトの国内線はドル表示の定価販売だったようで、どこの代理店でも51ドルと同じ値段でした。それじゃあ、航空会社で買った方が安心だと、カイロのエジプト航空のオフィスで購入しています。
さて、余裕を持って空港に到着したはずが、どうも様子がおかしい。チェックインが始まっていないというか、人々でごった返している。人づてに聞いた話では離陸するはずだった飛行機が滑走路で止まってしまい、次の便がいつ飛ぶのか分からないということ。えっ、明日朝7時30分の飛行機でキプロスに飛ぶのに……ルクソール国際空港 (LXR) 空港
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いつ飛べるのか、航空会社からアナウンスはなく、どんどん時が過ぎていく。「先進国なら食事とか、ホテルとか用意してくれるはずなのに」とご立腹の欧米の旅行者たち。パックできているらしき、日本の学生の団体は添乗員頼みの様相。といって、我々も状況が把握できずに苛立ちが……。
と、思っていたら友人が軽食を手に入れて持ってきた。どうやら航空会社が用意したみたいだけれども、人数分ないのか気づいた人だけの早い者勝ちみたい。そんなこんなで日をまたいで「疲れた~」となっていた頃、何とか飛行機が用意できたみたい。なんだけど、チェックイン手続きがカオス。一応、カイロで乗り継ぎ便がある人優先ですが、カウンターに人が殺到して収拾がつかない。必死でカイロ行きとラルナカ行きの2枚の航空券を差し出して、何とか手にしたのが「TRANSIT CARD」で、これが搭乗券代わり。普段は預けるバックパックも機内に持ち込んで、飛行機が飛んだのは4時間40分遅れの午前2時10分。ともかく、キプロス行きには間に合う。思いがけないトラブルだけれども、大変なことにならなくてよかった
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