2020/07/18 - 2020/07/25
106位(同エリア132件中)
ミズ旅撮る人さん
- ミズ旅撮る人さんTOP
- 旅行記616冊
- クチコミ149件
- Q&A回答23件
- 794,349アクセス
- フォロワー42人
2020年夏、北海道を周遊しました。
鉄道編2回目は、「道の駅あびらD51ステーション」です。
ここには、D51320が、それはそれは大事に保管されています。
廃車以来、国鉄OBによる保存会が、ずっと整備しつつ、
屋内で保管し、尚且つ、定期的に戸外に出るようにしていたのです。
もちろん燃料を焚いて疾走する訳ではありませんが、
自分の動輪を使って、動くという状態を維持し続ける貴重な機関車でした。
2018年の「北海道胆振(いぶり)東部地震」で、
安平町はたいへんな被害を受けましたが、
翌年、道の駅が発足し、そこにD51も新しい安住の地を得たのです。
ここでも、D51は月に2回日向ぼっこをしています。
道の駅の一端に機関車庫はあり、その手前には追分機関区の展示品が
整然と展示されています。まるで小規模な「鉄博(てっぱく)」です。
写真を大量に撮ったので、「あびらD51ステーション」だけで1回とします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「道の駅あびらD51ステーション」です。
左端に「追分機関庫」が併設され、その前にキハ183がいます。道の駅 安平D51ステーション 道の駅
-
「追分機関庫」は、1892(明治25)年に
追分駅構内に設置されました。
北海道炭礦鉄道(北炭)の岩見沢~室蘭間の開業に伴ったものです。
1936(昭和11)年に国有化され、「追分機関区」に改称しました。
追分は室蘭本線と夕張線(現・石勝線)の合流点にあり、
今でも交通の要衝です。
やがて鉄道の無煙化により、1975年にD51が、翌年9600形が
廃車となり、多くの蒸気機関車が扇形機関庫の中で保管されました。
この扇形機関庫が1976(昭和51)年4月13日に発生した
火災により、新しく配備されたディーゼル機関車と共に、焼失しました。
この時失われた蒸気機関車は、D51241・D51465・D51603・D511086及び79602です。
このうち、D51603は、焼け残った先頭部分だけが、
京都・トロッコ嵯峨駅併設の「19世紀ホール」に展示されています。 -
北海道鉄道観光資源研究会は、全車廃車解体が予定されていた、
初の北海道専用特急気動車キハ183-0代を保存するため、
クラウドファンディングによる資金調達を試みました。
2018年1月1日~3月30日。支援総額13,860,000円。
支援者数887人。
1月29日にキハ183-214号が
「道の駅あびらD51ステーション」に保存決定。
3月20日にキハ183-220号が「安平町鉄道資料館」に保存決定。
2輌とも、JR苗穂工場で国鉄特急色に再塗装しての保存。
ただ、現在は車両に近付くことが出来ないので、このショットだけです。 -
道の駅の外の柱に、「はやきた」とあります。
これは、道の駅のそばの追分駅から石勝(せきしょう)線で南下すると、
次が安平駅で、その次が「早来(はやきた)」駅です。
安平町内の駅の名称が並んでいるのかと思ったのですが、
これだけでした。 -
「道の駅安平D51ステーション」の中です。
平成30(2018)年9月6日に起こった、
北海道胆振(いぶり)東部地震で、
マグニチュード6.7の地震が発生、安平町で震度6強を観測しました。
地震の影響を心配しましたが、
2019年4月19日に、道の駅は開業しました。 -
明るく開放的な道の駅の中です。
-
機関車庫はガラス張りの特別室になっていて、
その手前に資料展示があります。 -
「道の駅あびらD51(デゴイチ)ステーション」は
日本を代表するSL、D51の愛称「デゴイチ」からつけられました。
ここ「レガシーギャラリー」や改札口奥の「鉄道資料館」では
追分機関区所属だったD51320号機や
当時の貴重な鉄道資料などを展示しています。 -
安平町鉄道年表
1892(明治25)年に追分機関庫が設置された時から、
1976年の火災、1980年に追分駅改築、1987年の国鉄民営化、
2019年道の駅の開業までを書き記しています。 -
貴重なサボたち。
「夕張支線の記憶
2019(平成31)年3月31日を最後に廃線となった夕張支線。
かつては追分駅を起点に、紅葉山駅(新夕張駅)~夕張駅と、
紅葉山駅~登川駅(廃止)を合わせて夕張線と呼んでいました。
夕張支線の歴史は古く、1892(明治25)年に
北海道炭鉱鉄道室蘭線の支線として、
追分駅~夕張駅(夕張線)が開業したことに始まります。
1975(昭和50)年12月24日に国鉄最後の蒸気機関車牽引による
貨物列車が運行されたのも夕張線でした。
石炭採掘の一大拠点であった夕張と鉄道網の拠点であった追分は、
石炭、鉄道を通じて深く繋がっていたのです。」 -
安平町と鉄道
室蘭本線が開通してから100年以上「鉄道の街」として
歩んできたこの地は、夕張の炭鉱からの石炭を室蘭や小樽へ運ぶ
中継基地をして大切な役割を果たしていました。
北海道内でも屈指の機関区が置かれた追分では、最盛期には
住民の半数以上が鉄道関係者とその家族だったと伝えられています。 -
木製の蒸気機関車の模型も置かれています。
その壁には「安平町と石勝線」の歴史が書かれています。
長い間石炭輸送の拠点であり、国鉄SL最後の地となった追分は、
1981(昭和56)10月石勝線千歳空港(今の南千歳)~追分・
新夕張~新得間の開業により、一躍札幌と帯広・釧路を結ぶ
主要ルートとなります。
追分には特急も停車するようになり、札幌までの所要時間も
岩見沢や苫小牧経由と比べ大幅に短縮されました。
急曲線・急勾配の少ない高規格の石勝線を高速で走り抜ける
新しい特急用ディーゼル車キハ183系は、
追分の鉄道が生まれ変わったことを印象づけました。 -
追分機関区の扇形機関庫の模型。
ガラスに周囲が反射して、撮るのが困難です。 -
この信号機、よく見ると「なまらあつい」と書かれています。
本当に書いてあったなんてことはなかったと思うけど。
90度右側には「さわらない」と書いてありました。 -
うわ、マンホールまである。
ひょっとしてマンホールカードもあったのかな?
「炭鉄港カード」の安平町バージョンは、
私が訪れた後、配布終了となりました。
やはり絵柄がD51だったので「炭鉄港カード」の収集者ではなくとも、
欲しがったのでしょう。 -
では、奥のガラス張りの機関庫の中に入って行きましょう。
-
機関車庫に鎮座しているD51320です。
いい所に収まったねえ。こんな立派な保存環境は、
鉄道博物館以外にはないでしょう。 -
2013年に訪れた時の旅行記にも書きましたが、
このD51320は、数奇な運命をたどって、今ここにあります。
実は、最初に保存する予定だったのはD51241でした。
昭和50年12月24日、
D51として日本の線路を最後に走った車輛で、
保存状態も良く、追分町(2006年に市町村合併で安平町となる)の
シンボルとして保存する予定でした。
ところが昭和51(1976)年4月13日に起こった追分機関庫の
火災により焼失。
主動輪とナンバープレートが安平町文化財指定第2号となりました。
ここで急遽ピンチヒッターに抜擢されたのが、D51320です。
D51241に比べ保存状態が悪く、解体される予定でした。
火災さえなかったら、ここにいたのはD51241だったのだと思うと、
この320の運の強さを感じます。
展示されている写真の中に、D51241のプレートが目立つのは、
241号機に対する哀惜の念が強いからなのでしょう。 -
煙室のドアのコックがピカピカで、触ると指紋が付きそう。
-
ナンバープレートもオリジナルなんでしょうね。
-
後ろも、きっとオリジナル。
-
ものすごく状態のいいカンテラです。これには惚れました。
-
完品なんて、見たことが無いかも。
-
これらは、ちゃんと点灯するんです。
2013年に「鉄道資料館」で見た時に、点灯してくれました。 -
運転室もこの通り。当時の雰囲気に満ち溢れています。
-
運行表が挟まっているなんて、もう感涙ものです。
-
裸電球に照らされて、ぐぐっと味わい深くなった計器類。
「前」という漢字がすごく強い意志を感じさせて、
真剣に携わっていた人々の息吹が伝わります。 -
仄暗い中でも、くっきりと目立つ三菱のマーク。
三菱の炭鉱の石炭もたくさん運んだことでしょう。 -
D51320は、月に2回、機関庫から出てキハ183に並びます。
自走は出来ないものの、後ろから押されて、
自分の動輪を使って動くことが出来るのです。
そのための機関車が後ろに控えていて、
炭水車の上にもコンプレッサーが見えます。 -
以前の「安平町鉄道資料館」にいた時から、
この2輌はペアを組んでいました。 -
こちらが、前面にあるカンテラ。見事にいつも欠品していて、
ここにこのように付いているとはほぼ思っていませんでした。
取付金具だけはあるんだけど。 -
オリジナルだったらすごいけど、さすがに綺麗過ぎるから
再作成したんだろうな。
北海道独特の2灯式。車体の両端に付けられていることもあります。
倶知安町の79615や、今では東武鉄道の「SL大樹」として
活躍しているC11207が両端の2灯式です。 -
以前は入れてもらえた運転室には手が届かなくなりました。
-
2013年には、こんな風に、タブレットキャリアーを受ける器具を、
使用時のままにセットしてもらいました。
キャリアーの輪の部分をこの器具の輪の中に受け止めます。
輪の前面側はバネ仕掛けで、引っ掛けたキャリアーが落ちないように
なっています。 -
D51320にもボックスが付いていました。
こちらのボックスには、配線もいろいろ付いています。 -
こういう小物が好きです。なんだか「和」を感じます。
-
ものすごく繊細な作りになっているのが、よくわかります。
ほとんどが鉄そのものなので、あちこちに油を注ぐ小さな容器が
付いています。 -
おお!無塗装の足回り。個体番号があっちにもこっちにも見える。
この動輪を動かして、D51320は外に出て行けるのです。 -
傷だらけの鉄の部品たち。カッコイイねえ。
実は、じっくり見てみたら、もらわれて来た部品を発見しました。 -
奥の円盤部分に「D514」と見えます。
手前の部品で途中までしか見えませんが、
これはD51320なので、明らかに違います。
現役の時から付いていたのか、機関庫の火災の際にもらったのか。
兄弟たちから部品を受け継ぎながら、走り続ける蒸気機関車。
ただの鉄の塊ではありません。 -
なんか感動するなあ。この車体はSLファンが感涙ものでしょう。
福岡県直方市には汽車倶楽部という蒸気機関車の保存にかけては、
右に出るものなしと言われる人々がいます。
北海道もがんばれ!!! -
金ピカの安全弁。まるで楽器みたい。
-
たまに矢印が残っているんだけど、
目盛と共に読み取れる状態のものなんて、まずないなあ。 -
滑り止めの布がまだ完全な状態で付いています。
端切れになったものは、たまにあるけど、
こんな完品なんて、信じられない。 -
機関室を覗き込みます。
コックにタブレット入れが吊り下げられています。
運転席の窓の下に専用のタブレット受け取り装置があるので、
それで受け取ったら、こんな風に掛けておいたのでしょうか。 -
展示品の中にあった「タブレットキャリアー」。
蒸気機関車の時代にこんな名称だったのかな?
革袋の中から顔を出している金属の円盤がタブレットです。 -
雪除けは「D51866」からもらったもの。
-
D51の置かれている機関庫の中にも展示があります。
D51320は、1D1過熱テンダー機関車です。
「D」は「D51」のDと同じ、動輪の数を表します。
先の1は前輪の数、後の1は従輪の数を表します。 -
日本遺産「炭鉄港」に認定された認定証。
-
追分駅の駅名看板。石勝線と室蘭本線が交差する駅なので、
行先に4つの駅名が表示されています。 -
夕張も手宮(小樽)も、今はない駅です。
-
失われた蒸気機関車たちのナンバープレート。
-
「歴史ライブラリー」のパネルが並んでいます。
「追分機関区で活躍したD51」 -
「安平町の鉄道のはじまり」
-
「室蘭本線・夕張線で活躍した蒸気機関車」
-
「蒸気機関車からディーゼル機関車へ」
-
「鉄道のある風景」
-
「国鉄最後の蒸気機関車のさよなら式(1976=昭和51年3月2日)
列車の運行や駅の業務には、今では考えられない程多くの
人の手が必要でした。
駅や機関区では大勢の鉄道員が誇りをもって働いていました。 -
「鉄道を支えていた職員」
蒸気機関車の上にも座っている鉄道員(ポッポや)たち。
冬が厳しい北海道では、ものすごくたいへんだったろうけど、
とてもやり甲斐のある、生きがいを感じる仕事だったんじゃないかな。 -
「燃え上がる追分機関庫」
1976(昭和51)年4月13日 -
1980(昭和55)年頃の焼失後再建された追分の扇形機関庫
-
記念切符も展示されています。
-
車庫落成記念 追分機関区 52.4.1
-
追分機関区車庫落成記念 昭和52年4月
同じ名目で、いろいろ作られたようですね。 -
機関士たちの制服や、道具類。
-
とてもよく整理されて、綺麗に陳列された資料の数々でした。
しかし、私は元の「鉄道資料館」を知っています。
あそこには、本当に手作りのたくさんの資料がありました。
狭くて、薄暗い倉庫の中で、埋もれるにはあまりにも惜しい資料が
たくさんありました。
以下は、「鉄道資料館」で見られた展示品です。 -
鉄道にも「大漁旗」のようなものがあったんですか?
-
運転室の中の見取り図。
これが全部、頭に入れば鬼に金棒なんだけどな。 -
蒸気機関車の構造(D51標準型)
-
SL右側(断)面図
板に書かれた手書きの図です。
今では違う名称で呼ばれている部品もあるでしょうが、
当時の鉄道員たちが慣れ親しんでいたのはこちらです。 -
こうした精巧な手書きの資料は、
パソコンで作られた綺麗なパネルに劣るのでしょうか。 -
汽笛の鳴らし方までありました。今でも、この方式なのかな。
-
「鉄道資料館」です。ここは、かつての追分機関庫のあった場所です。
以前はこの中にD51320が保管されていました。
今は、クラウドファンディングで保存が決定した
2台目のキハ183-220が入っています。
おそらく資料などは、かなり残っているものと思われますので、
道の駅に来たなら、すぐ近くなので、お立ち寄りください。
現在の名称は「鉄道資料保管庫」となっています。
かつては定例開館日が5~10月の
第2・第4日曜の13~15時でした。
定例開館日以外の土・日曜、祝日には隣接する鹿公園管理人に
案内してもらえました。
道の駅が出来て、鉄道資料館が移転したので、
こちらがいつどのように見学できるのかはわかりません。鉄道資料館 美術館・博物館
-
D51320が移設されて来た時の映像を流していました。
まだキハ183はいなかったようですね。
展示がとてもいいので、道東道の追分ICから降りてすぐですから
新千歳空港からも近いです。
是非、立ち寄って見てください。道の駅 安平D51ステーション 道の駅
-
道の駅では、D51320にちなんだ商品も用意されています。
道の駅 安平D51ステーション 道の駅
-
お土産には、夕張が近いので夕張メロンでもいいですが、
この道の駅では、白いメロンを売っていました。こちらもどうぞ。
次回は、三笠鉄道記念館にします。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2020年夏 北海道
-
前の旅行記
2020年北海道鉄道編(1)美唄・岩見沢・紋別・中頓別・名寄SL等
2020/07/18~
北海道
-
次の旅行記
2020年北海道鉄道編(3) 三笠鉄道村の走るSLと機関車たち
2020/07/18~
三笠・南幌
-
北海道滝上町の陽殖園 山そのものが秘密の花園
2020/07/18~
網走・知床・紋別
-
北海道空知総合振興局がやってる「炭鉄港カード」を集めてみた
2020/07/18~
旭川・滝川・留萌・岩見沢
-
2020年北海道鉄道編(1)美唄・岩見沢・紋別・中頓別・名寄SL等
2020/07/18~
北海道
-
2020年北海道鉄道編(2) 道の駅あびらD51ステーション
2020/07/18~
追分・穂別・長沼
-
2020年北海道鉄道編(3) 三笠鉄道村の走るSLと機関車たち
2020/07/18~
三笠・南幌
-
2020年北海道鉄道編(4) 小樽市総合博物館のアイアンホース号
2020/07/18~
小樽
-
新潟市新津鉄道資料館と県立自然科学館のSL 前編
2020/07/25~
新津・白根
-
新潟市新津鉄道資料館と県立自然科学館のSL(後編)
2020/07/25~
新津・白根
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
追分・穂別・長沼(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2020年夏 北海道
0
76