2020/07/25 - 2020/07/25
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新潟市の「新津鉄道資料館」を訪れました。
前編では南北2か所の屋外展示場に保存されている車輛を紹介しました。
後編では、「鉄道資料館」ならではの濃い展示内容を紹介します。
パンフレットに書かれたメッセージです。
「当館が展示する資料には、鉄道に携わった人々の想いが込められています。
それらを通して、鉄道の町に今も息づく鉄道文化を感じてください。」
展示内容だけでなく、受付や、ミニSLの運行に携わる人々からも
鉄道に向けた愛着がひしひしと感じられます。
巨大な鉄道博物館にはない、「鉄道員のふるさと」といった雰囲気がここにはあります。
似たような場所と言ったら、岡山の「津山まなびの鉄道館」かな?
小中学生は土日祝日無料なので、ご家族で訪れてください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「新津鉄道資料館」は、1998(平成10)年に
旧鉄道学園の跡地である現在地に移転しています。
そのため、本当にここが資料館なのかと心配になる程、
見た目は「学校」です。
コンクリート造の校舎が向かい合って2棟建っており、
その間を渡り廊下が結んでいます。
反対側の校舎(写真の右側)は「新津地域学園」になっています。 -
こちらが「新津鉄道資料館」です。
1階と2階の間のグリーンのラインが初代東北新幹線(200系)と
同じですね。 -
鉄道資料館のあらまし。
-
新津地域学園施設ご案内。
これで見ると、鉄道資料館も、その中に含まれているようです。 -
新津のマンホールです。「花とみどりと石油の里」。
意外ですが、昔、新津は石油が出たのだそうです。
秋葉区のHPによると、明治時代から油田採掘が行われ、1908
(明治41)年と1917(大正6)年に産油量日本一となりました。
しかし、1996(平成8)年に採掘を終了しました。
「新津石油」の創業者である新津恒吉は昭和シェル石油の礎を築いた人物として名が知られており、丸新グループの元となっています。
1900(明治33)年に新津油田帯に、丸新製油所を開業したのです。
昭和の石油王が外国人向けの迎賓館として建てた「旧新津恒吉邸」が
今でも残っています。
1938(昭和13)年に完成した新津邸は、
鉄筋コンクリート造りの地上3階建て(塔屋付き)地下1階で、
床面積は延べ約636平方メートルの欧風バロック調の洋館です。
地名の新津と新津恒吉は偶然同じ名称ですが、恒吉は新潟県三島郡出雲崎町の生まれで、後に新津にやって来ました。
また、日本の石油王といわれた中野貫一の邸宅も「中野邸記念館」と
して開放されており、日本庭園には2000本のもみじが圧巻です。 -
観覧料は300円です。小中学生は土日祝日は無料になります。
年間パスポート(1,000円)もあります。
料金を支払うと、これらの1枚に日付を印刷してくれるのですが、
写真にバリエーションがあります。私が他のチケットに興味津々
だったので、係の方がわざわざ、並べてくれました。恐れ入ります。 -
屋内常設展示
1.鉄道のまち新津ゾーンです。
このコーナーでは新津、そして現在の新潟市と鉄道の関わりを
紹介しています。 -
新津を通過する長距離列車のサボをはじめ、各駅名標、記念切符などが
掲示されています。
真ん中にある「帰還専用」のサボが気になりますね。
新潟は大陸からの引き揚げ船が多く帰港した地のため、
新潟から日本各地に鉄道で帰郷して行ったのでしょう。
こういう物があるのが、すごいですね。
横浜港に係留・展示されている氷川丸も、優美な客船でありながら、
戦時中は病院船、戦後は昭和22年まで引き揚げ船として
運用されました。 -
新潟県の鉄道地図
1960年代に新潟県内の鉄道では幹線の電化、複線化が進んだ。
支線では蒸気機関車がまだ活躍していた。
この後、他の交通機関の発達によって鉄道の役割は小さくなり、
1980年代には赤字ローカル路線の廃線が始まった。
地図上の「赤」は1970年代以降に新設された路線。
つまりは上越新幹線ですね。
「緑」は2014年時点で廃線となった路線。
これはわかりやすい! -
1970年代の国鉄路線
高度経済成長期の日本経済は鉄道による旅客・貨物輸送が支えていた。
全国に張り巡らされた鉄道網は膨大な量の旅客・貨物を輸送していた。
この地図をみるだけで、ワクワクする人がどれだけいるだろう。
なんだか、鉄道が元気だった頃が、一番日本も元気だった気がしますね。 -
北海道部分です。(「日本国有鉄道路線図」1972より作成)
黒・実線:国鉄
黒・点線:工事線
赤・実線:明治39年の鉄道国有法により買収した線
青・実線:大正8年の地方鉄道法その他により買収した線
緑・実線:昭和18・19年の戦時買収線
黄・点線:営業廃止路線
赤線の国鉄買収線に、先日北海道で見て来た幌内線や万字炭山線などが
あり、懐かしさが込み上げて来ます。 -
おお!涙が出るほど懐かしい券売機。
これは割と新しい方ですね。
昔は大人用の切符は上段に、子供用はカバーがされた下段にあり、
子供が触らない工夫をしていました。
私の一番古い記憶では、15円があった気がします。
また、よく使われる100円?切符専用券売機などもありました。
投入口には、10・50・100円玉しか入れられません。
そんなに高い切符が無かったのと、長距離は窓口で買うように
なっていたからです。
500円硬貨は存在しなかったし、紙幣は当然使えなかったです。
すべてが単純で、気持ちが良かったなあ。 -
SL全盛期の新津機関庫
「SLやまぐち号」のC571と、
「SLばんえつ物語号」のC57180は、
同じ時期に新津機関区に配属されていました。
「1913(大正2)年新津機関庫が新設された。
新潟県内では直江津・糸魚川に続く3番目の機関庫で、
設置当時には、長岡・新潟・新発田・日出谷に分庫が置かれた。
1936(昭和11)年に新津機関区と改称した後、
最盛期には、D51形やC57形などの蒸気機関車が多数在籍した。
新津機関区は、国鉄の分割・民営化後、名称変更と組織改編を経て、
現在は新津運輸区に引き継がれている。」 -
大正3年11月1日改正「新津驛汽車發着時刻表」
信越線・岩越線・村上線が乗り入れています。
「北越鉄道
1894(明治27)年、既に東京と鉄道で結ばれていた直江津と
新発田・新潟の間に鉄道を建設するため北越鉄道会社が設立された。
北越鉄道は1896(明治29)年から工事を始め、
翌年には沼垂と一ノ木戸の間が開通した。
1899(明治32)年には、直江津と沼垂の間が全通し新潟港と
東京は鉄道で結ばれた。
新潟の市街地に近い新潟駅は、1904(明治37)年に開業した。」 -
2.鉄道の技術と新潟・新津ゾーン
このコーナーでは日本の鉄道技術について新潟・新津の資料を中心に
紹介しています。
新潟県における蒸気機関車の全盛期は、1930年代から
1950年代までの約30年続いた。 -
この部屋の真ん中は、鉄道模型が占めています。
左から「485系電車3000番台特急いなほ」
「キハ80系気動車特急いなほ」
「181系電車特急とき」
「EF81形電気機関車24系25形客車・寝台特急トワイライトエクスプレス」
「EF64形電気機関車E231系電車500番台甲種輸送」 -
蒸気機関車から新幹線まで、鉄道車両を走らせる仕組みを
詳しく解説しています。
先ずは蒸気機関車。
「新潟・新津は、日本海側の鉄道にとって重要な地域であったが、
太平洋側の東海道本線や東北本線に比べると、
線路の整備や最新車輛の配置などが遅くなることが多かった。
日本最大の旅客用蒸気機関車であるC62は、
この地域を走ることはなかった。
この地域では、C57形やD51形などの大型機関車や、
中型の機関車が活躍していた。」 -
「シリンダ横式空気弁」
「機関車の蛇行運転中はピストンの往復運動により真空状態が生じ、
ピストンの動きが阻害される。この弁から空気を取り入れることで、
真空状態の発生を防ぐ。」
いつも機関車の横腹で目立つ存在だったけど、
その役割は知らなかったなあ。 -
「ボイラー安全弁」
「ボイラー内の蒸気圧力が規定の圧力以上になった時、
ボイラーの破損を防止するために蒸気を外に放出する。」
機関車が発車する前や停車中などに、蒸気が出ています。
なんだかこれ、欲しいなあ。 -
「分配弁」
「ブレーキ弁の操作によって元空気溜の圧力空気を
ブレーキシリンダーに供給してブレーキをかけたり、
ブレーキシリンダー内の圧力空気を大気に排出して
ブレーキを緩めたりするための弁」
機械部品に関しては、とんと無知な私ですが、これには唸りました。
わざわざ金属の部品を切開して、シリンダー内の構造を見られるようになっているのです。
これを造った人達の英知をこれだけ明確に見せてくれる展示が
あったでしょうか。
この部品一つ一つがすべて手作りだということに感動を覚えます。 -
「中間引っ張り棒」
「機関車と炭水車(テンダー)を連結している棒。
機関車側のピン穴は楕円形で、前後運動が出来るようになっている。」
機関車の部品って、創意工夫の塊を体現しているから
好きなんだろうなあ。 -
「水面計」
「ボイラー内の水位を確かめるために設けられ、
内火室天井板が露出しないように適当な水位を保持するためのもの」 -
せっかくの展示品ですが、捕捉したいです。
展示品は、水面計が割れて運転士がケガをするのを防ぐための
カバーの部分だけで、肝心の水面計はありません。
この写真は、北海道中頓別町の49648ですが、
ここには水面計(細いガラス管)自体と、目盛まで残っていました。 -
「自動ブレーキ弁」
「運転室内に設置され、蒸気機関車と車輛すべてのブレーキを
かけたり緩める時に用いる。」 -
「単独ブレーキ弁」
「運転室内に設置され、蒸気機関車のみに
ブレーキを掛けたり緩めたりする時に用いる。」
蒸気機関車には、機関車だけに掛かるブレーキと、
編成すべてに掛かるブレーキの2種類があるというのも、おもしろい。
これらをどういった時に使い分けるのか、説明が欲しい所。 -
「汽笛(5階音)DAIWA NAGAOKA」
「出発や警告、あるいは重連の場合に機関車同士の連絡合図などで
鳴らす。」
この部品は、よほど劣化していたのか、ペンキ塗りです。
本来なら「ボイラー安全弁」と同じように、ピッカピカの筈なんですが。
ああ、磨きたい。 -
機関車の車体に取り付けられている様々な銘板。
-
汽車製造株式會社東京支店。滅多に見ないプレートです。
普段は、せいぜい細長い小さなプレートに、「汽車〇年」と書かれているくらい。 -
「ディーゼル機関車・ディーゼルカーの歴史
ディーゼルエンジンは、1892(明治25)年にドイツの技術者
ルドルフ・ディーゼルが発明した内燃機関である。
このエンジンを鉄道車両に搭載したのが、ディーゼル機関車、
ディーゼルカーである。
動力の伝達方法に、機械式(クラッチと変速ギアを使用)、
電気式(ディーゼルカーエンジンで発電機を動かし、
その電気でモーターを動かす)、液体式(液体変速機を使用)がある。
海外の大型機関車では電気式が主流であり、
日本では液体式が長く主流であった。 -
「電気機関車の種類」
「碓氷峠用のアプト式電気機関車10000形(後のEC40形)は
ドイツ製の輸入機関車だった。
戦前からEF10形、EF12形、ED16形など国産の直流電気機関車が清水トンネルなどで実用化されていたが、戦後に電化の進展と
技術の進歩によって本格的に普及した。
まずEF58形、EF15形などの直流電気機関車が作られ、
次に交流電化の進展によりEF70形、ED75形など
交流電気機関車が製造された。
その後、両電化区間を直通運転できるEF80形、
EF81形などの交直流両用電気機関車が登場した。」 -
「新潟県内の電化」と「電車の歴史」
-
「ディーゼル機関・気動車とは」
つまりは動力を持っているのが、単独か、全(または複数)車両かの
違いかな?
SLと新幹線の違いと考えればわかりやすい。 -
「新幹線の仕組み」
「新幹線は、狭軌(1067mm)の在来線に対し、標準軌(1435mm)を採用した新しい規格の鉄道である。
時速200km以上で高速走行可能な線形とし、車輛は大型化され、
安全対策や信号システムなど多くの面で在来線とは一線を画する。」
新幹線は広軌と思っていたのに、あれ?
調べてみると、
「軌間(ゲージ)は、標準軌である1435mmより広いものを広軌、
狭いものを狭軌と大きく分類し ます。」ということでした。 -
初代新幹線と「とき」の鼻面。
-
「通票閉塞・自動閉塞」
これを一発で理解できるような解説にはまだ出会ったことがないです。
たくさんの説明から、類推するしかないですね。
タブレットを持っていれば占有権があるという単純な解釈でも、
まあいいんだろうが。 -
通票(タブレット)と、通票を入れる皮のケース(キャリア)。
ケースには駅名が書かれています。
中の通票が装填時にも外から一目でわかるように、
中央の窓が大きく開けられています。
この輪の部分を機関車の運転室の窓の下にあるキャッチャーに
引っかけたり、駅のホームの端にあるキャッチャーに置いて行ったり。
駅員が肩に掛けているのも見ます。 -
閉塞区間の両側の駅同士で行う訳ですが、
連絡はこの機械に備え付けられている電話で、各駅長がします。
確か、上から入れて、下から出すのだと思います。
こういう仕組みはおもしろいので、
実際に模擬体験が出来るといいのにな。 -
「鉄道と食の楽しみ」
「航空機や自動車が発達する以前、
長距離旅行の手段は鉄道しかなかった。
長い乗車時間中に食事するために長距離列車には食堂車が連結され、
沿線の駅では駅弁や菓子などの名物が生まれた。
新津駅でも駅弁販売がはじまり、「三色団子」などの名物も生まれた。
列車の停車時間が短くなり窓が密閉式になると飲み物・菓子・弁当などの車内販売が行われるようになった。
長距離移動の時間が短縮された現在、食堂車が連結された列車は
数少なくなった。」
客車用小テーブルと灰皿が展示されていました。
この灰皿が臭くて嫌いでした。 -
長距離列車に使われていたプレート類。
かつては国鉄独自のロゴがあって、独特の書体がドアや廊下で
見られました。 -
2012年に「北斗星」に乗った時の写真です。
「寝」の文字が独特です。他にも「自動扉」なども特別な文字でした。
この頃は、富士はやぶさをはじめ、あけぼの・日本海などの
ブルートレインが次々に廃止され、
その度に九州や北海道、青森まで乗って行ったものです。 -
「鉄道のレールと車輪」
「鉄道は、鋼製のレールと車輪との間の摩擦力の小ささを利用した
交通機関である。
車輪がレールから外れ、列車が脱線することがないよう、
フランジが取り付けられ、車輪がレールに接する部分の形状も
工夫されている。」
背後にあるのは電車急行「佐渡」のグリーン車座席です。 -
今度は「200系新幹線電車の座席」です。
何故、「新幹線」の後に「電車」が付くんでしょうね?
標準軌(1435mm)のため、車体の幅もゆったりとしている。
200系新幹線電車の普通車では2席+3席の座席が配置されていた。
座席はリニューアル後のもの。 -
運転台。
目の前の黄色と赤のボタンで、パンタグラフを上下出来ます。 -
このパンタグラフが、赤いボタンを押すと、上がります。
-
かなり大きなガシャン!という音を立てて、
パンタグラフが上の架線に向かって開きます。
巻き込まれると危険なので、頑丈な柵の中に置かれています。 -
3.新潟・新津の人々と鉄道ゾーン
「このコーナーでは鉄道をめぐるエピソードを、
関連する展示物と一緒にご紹介します。」
お召列車牽引の栄光に浴したC571号蒸気機関車模型。
上段左は「お召列車運転機関士手袋」
車輛銘板(D511107)
D51形式1107号機は1947年の全国ご巡幸の際に
新潟でお召列車を牽引した。
新津機関所属。給水温め器がなく除煙板が木製の姿は
お召列車として異例の姿であった。
車輛銘板(C571)
C57形式1号機は1972年に新潟で開催された全国植樹祭の際に
新津~村上間でお召列車を牽引した。新津機関区所属。
C571は、「SLやまぐち号」として現在も活躍しています。 -
ヘッドマーク
お召列車に取り付けられた菊型の装飾。
「お召列車とは鉄道辞典(1958年)によれば「天皇・皇后両陛下の
御乗用として臨時に運転する列車」を言う。
列車運転や保安、並びに線路その他の警備上で特別の取り扱いを
必要とするため鉄道員には特別の体験となった。」
「新津機関区とお召列車用機関車
新津機関区で初めてお召列車用の機関車を整備したのは1928年で、
機関車はC51186であった。
戦後は1947年に貨物用機関車であったD511107が
お召列車用の機関車となった。
1961年の秋田国体の際にはC5714が、
1964年の新潟国体の際にはC57172が、
1972年黒川村(現胎内市)で開かれた全国植樹祭の時はC571が
お召列車用の機関車に指定された。」 -
「とき」と「佐渡」
上越線経由で新潟と上野を結ぶ急行列車は
1931(昭和6)年上越線全通時に運転を開始した。
戦後、客車急行「越路」「佐渡」などが上越線経由で新潟と上野を
結んだ。1962(昭和37)年新潟~上野間の電化が完成すると
上越線用に開発された161系電車で特急「とき」、
勾配や寒冷地用に開発された165系電車で急行「弥彦」「佐渡」
「越路」「ゆきぐに」「越後」が運行を開始した。
「白鳥」「と「日本海」
1924年に村上~鼠ヶ関間が開通し、関西圏と東北・北海道を結ぶ
日本海側の鉄道路線、いわゆる日本海縦貫線が全通した。
開通後は神戸~青森間や新潟~青森間の急行列車が新設された。
戦後も日本海縦貫線は長距離を走る優等列車が多数運行された。
キハ80系気動車から始まって全線電化後は交直流両用の
485系電車となった特急「白鳥」や、急行から特急へ格上げされた
夜行「日本海」は、2000年代に入っても存続していた。 -
新潟を基点とした特急・急行列車図(1972~73年)
これは新津ならではの展示ですね。 -
新潟~東京間の所要時間の推移
1905(明治38)年に15時間50分。
1931(昭和6)年に清水トンネル経由で7時間10分に大幅短縮。
1962(昭和37)年、電化完成により4時間40分。
1982(昭和57)年、上越新幹線(大宮まで)で2時間32分。
1985(昭和60)年、上越新幹線、上野まで延伸で1時間43分。
1991(平成3)年、上越新幹線、東京まで延伸で1時間40分。 -
走行試験記念メダル。上越新幹線開業記念メダル。
-
ラッセル車模型キ39(形式キ1)
形式キ1は木製単線用ラッセル雪かき車の形式である。
V字型前頭部と左右の翼で雪をかく。
1911年にアメリカから1輌を輸入した後、国内でも製造された。 -
様々な除雪車が勢揃い。
「雪との戦い
1936(昭和11)年発足した新潟鉄道局は、雪のために設置されたと言われるほど雪対策を重視していた。
新潟鉄道局では戦前から雪の性質や防雪・除雪の調査研究を行っていた。
これらの研究や実際の積雪被害の教訓を生かして、なだれ対策や雪庇
(雪がひさし状になって崩れる危険)対策、防雪林、防雪柵などの
防雪設備や、流雪溝などの除雪設備が設けられた。
ラッセル車、ロータリー車などの除雪車も積雪地帯に配備された。」 -
「雪捨列車」
「駅構内の積雪を貨車に積み込み、構外へ運び出して河川等に捨てる。
1車輛で15立方くらい運ぶことが出来る。
「新潟の雪」
「シベリア上空からの北西の季節風は日本海を通過する際に
温かい対馬海流から水分を吸収する。
大量の水分を含んだ季節風は日本列島の山地にぶつかって上昇し、
山間部に大量の雪を降らせる。これを山雪という。
山間部ほど雪の降らない平野部でも、
季節風と内陸からの南風が上空でぶつかると大量の雪が降る。
これを里雪という。1963(昭和38)年に大きな被害を出した
「三八豪雪」は里雪であった。」
「1963年1月23日夕方からの三八豪雪は、
鉄道の運行に大きな影響を与えた。
この日、新津~長岡間は降雪・強風のため運行不能に陥った。
雪はその後も降り続き、除雪車、雪捨て列車の運行すら困難となった。
新潟発上野行の急行「越路」が100時間以上遅れて上野に到着した
という遅延記録は、この時に作られた。
除雪作業は鉄道員の他、自衛隊まで出動して行われ、
2月中旬以降ようやく優等列車の運行が再開された。 -
ラッセル車模型キ583(形式キ500)
複専用のラッセル雪かき車である。
進行方向左側に雪を寄せるので単線用ラッセル雪かき車と異なり、
前頭部の左側のみ角度が付いている。 -
マックレー式雪かき車模型キ908(形式キ900)
車輛後部にラッセル式雪かき車の翼がついた形式。
雪を線路中央にかき寄せ、後に続くロータリー式雪かき車が線路外に
飛ばす。1929(昭和4)年から1951年間に製造。 -
スノーローダーキ950(形式キ950)
人力で行っていた除雪作業を、ベルトコンベアなどを利用して
機械化しようとした雪かき車。 -
ジョルダン式雪かき車模型キ711(形式キ700)
駅構内や操車場などで除雪を行う形式である。
左右側面の主翼を広げ広範囲の除雪が可能。1926(大正15)年に
2輌が輸入され、1928(昭和3)年から1952年の間に製造。 -
ロータリー式雪かき車模型キ610(形式キ600)
蒸気機関の駆動により前頭の羽根車を回転させ、マックレー雪かき車が
かき寄せた雪を掻き込み遠心力で後方へ飛ばす。 -
いきなりクリスマスになりました。
「SLばんえつ物語」が、X’masトレイン2000になった時の
C57-180のヘッドマークです。
1969(昭和44)年、新津第一小学校校庭で静態保存。
「新津市蒸気機関車保存協力会」を中心とした人々が清掃と手入れを
続けていました。
「SLC57180号を走らせる会」(代表新津商工会議所会頭)や
東蒲原郡町村会からの熱心なSL復活の要望と協力支援の申し出が実り、
JR東日本新潟支社は約2億円の費用をかけて復元しました。
1999(平成11)年、4月29日、
磐越西線「SLばんえつ物語号」定期運行開始。 -
「SLばんえつ物語」のグッズがいっぱい。
-
2020年も12月5・6日にクリスマストレインの予定に
なっています。 -
「役割を終えた路線」の展示。
頸城(くびき)鉄道、越後交通長岡線・栃尾線、新潟交通電車線、
蒲原鉄道などを紹介しています。 -
携帯電話機。正に電話機を携帯していたんですね。
-
4.コレクション展示ゾーン
このコーナーでは、収蔵庫の一部を見せる収蔵展示の形式で
ご紹介します。
「双信閉塞機」
複線区間において、列車を双信閉塞式によって運転させる場合に
使用される閉塞装置。
閉塞区間の両端の停車場に上下線共用として1個ずつ設置される。 -
保線用モーターカー
保線作業に用いる軌道モーターカーである。
線路上での作業員の移動や資材の運搬などに用いられ、
戦後の保線動力の近代化に伴って国鉄に導入された。 -
その前に置かれているのが「軌道自動自転車」。
保線作業員が線路上で使用する自転車である。
線路上の移動はモーターカー導入以前はこれを用いていた。 -
マニアには「貴重品」、素人には「ガラクタ」の類の展示で、
私にもどれをどう撮っていいかわからず、
このコーナーの写真は少ないです。
屋外にあるこれらの部品や備品も、コレクションの一部でしょう。 -
「鉄道資料館」には2階もあるのですが、
コロナ対策のため、活用されていませんでした。
「新津で活躍した機関車たち」という写真がわずかにあるくらいです。
しかし、2020年10月24日(土)~2020年11月23日(月)の予定で、
「鉄×フォトギャラリー2020」という写真展を開催します。
誰もが自由に応募することが出来ます。
詳しくは、HPの「イベント・企画情報」欄をご覧ください。 -
パノラマ展示室には、ジオラマが設置されています。
また、鉄道資料館のオリジナルデザインの自動販売機が
設置されています。
多岐に亘る展示品が目白押しなので、疲れると思いますが、
2階の自動販売機でドリンクを買って、
ジオラマを見ながら一休みしましょう。 -
資料館入り口にある案内板です。
あまりに見事な出来栄えなので、撮らせてもらいました。
今回の北海道からの旅はこれで終わります。
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