2020/08/02 - 2020/08/02
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たびたびさん
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二日目の今日から三日間はレンタカーの旅です。そして、今日はなんと言っても今回の旅の主目的の一つである倶利伽羅峠が一番なんですが、調べると高岡市の郊外や小矢部市にもそこそこ見どころが点在していて、それも気になります。
例えば、二上山万葉ラインは、二上山の山並みを巡る約8kmのドライブコース。この二上山というのは万葉歌人大伴家持に愛された山。高岡市内から上っていくと守山城跡とその地に建つ平和観音像、大伴家持像、万葉植物園と続いていて、その後は国泰寺の方に抜けましたが、意外によく整備されている。高岡の観光コースとしてはそうメジャーではないですが、侮れない隠れた魅力を感じました。車であれば手軽なコースだし、やっぱりこちらに回ったのは無駄ではなかったと思います。
そして、倶利伽羅峠ですが、倶利伽羅峠と言えば、源平合戦の倶利伽羅峠の戦い。源義仲率いる5万の源氏軍が10万ともいわれる平家の追討軍を壊滅させ、一気に京へと攻め上る。平家の追討軍がみじめに敗走した富士川の戦いからほぼ2年後のことですが、平家に決定的な傷を負わせたという意味で、この戦いの衝撃度は比較にならないものだったと思います。その義仲も横暴な振る舞いで京都人の心が離れると、宇治川の戦いでは、源範頼、義経率いる頼朝軍に敗れ、討死。はかなく絶頂期は終わってしまいます。今だと京都時代祭の華となった巴御前とか芭蕉も眠る義仲寺くらいで少し爪痕を残すくらいかな。
その後、源氏軍は、戦いの天才、義経の大活躍で、一ノ谷の戦い、屋島の戦いから壇ノ浦の戦いと連戦連勝。ついに平家を滅亡へと追い込みます。保元・平治の乱から始まる源平合戦の長い物語ですが、いわゆる平家物語の諸行無常は日本人の人生観や心象風景に深く影響を与えたことは間違いない。そういう意味では、もののあわれの源氏物語と双璧ですが、ともにある種の美意識が貫かれているのもまた素晴らしいところだと思います。いずれにしても、今回の倶利伽羅峠で、抜けていた大事なピースが埋まった感じ。ここしばらくのもやもやがやっと晴れた気になりました。
保元1年(1156年) 保元の乱
平治1年(1159年) 平治の乱
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/11034915)
安元3年(1177年) 6月 鹿ケ谷の陰謀
治承3年(1179年)11月 治承三年の政変 後白河院政を停止
治承4年(1180年) 4月 以仁王の令旨 頼朝の元へも
8月 石橋山の戦い 頼朝の挙兵するも大敗
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/11319562)
9月 結城浜の戦い 千葉常胤の勝利で源氏方の勢力拡大
10月 富士川の戦い 平維盛の追討軍、頼朝の大軍から逃亡
治承5年(1181年 ) 2月 平清盛死去
寿永2年(1183年) 5月 倶利伽羅峠の戦い 平維盛の平家軍、源義仲軍に大敗
7月 平氏都落ち
寿永3年(1184年) 1月 宇治川の戦い 義仲、頼朝軍に敗れ討死
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/11043274)
2月 一ノ谷の戦い
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/10885149)
元暦2年(1185年) 2月 屋島の戦い
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/10841492)
3月 壇ノ浦の戦い
(旅行記:https://4travel.jp/travelogue/11004242、
https://4travel.jp/travelogue/10674305)
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今回泊まった角久旅館は、真ん前が高岡大仏。もう何度も見ていますが、レンタカー屋さんが開くまでにはまだまだ時間がある。まあ寄ってみますか。
ちなみに、高岡大仏は、銅器の街、高岡を象徴する仏像であり、日本三大仏の一つでもあります。
元々は、承久の乱を避けて、越中にやってきた源義勝が木造大仏を造ったことが始まり。それを高岡の銅器の技術でこのような形にしたもので、ライトブルーの色合いが特徴的ですが、こうした色付けも高岡の銅器の技術の成せる業。表を通る地元の人が少し足を止めて、拝んでいく姿も印象的ですよね。 -
ただ、中は入ったことがなかったなあと思います。
あれれ?きれいな仏画に -
こんなのも。
もっとあっさりしているかと思ってましたが、ちょっといい雰囲気です。 -
今度は駅の反対側。
八丁道は「はっちょうみち」です。国宝「瑞龍寺」への参道に当るのですが、JR高岡駅の裏口の方の改札を出てからは、大通りを15分くらい歩いてやっとこの道にたどり着きます。ただ、裏口の改札は通勤時間帯にだけ開いているようですし、これが利用できない時間だと、けっこう大変かもしれませんね。 -
石畳の道の途中には、両側に松の植木や前田利長の銅像もあって、遠くから訪ねてきた客を迎えようとする雰囲気があふれています。面白いのは、朝だったので分かりましたが、通学路にしている子供たちが多かったこと。ずいぶんにぎわっていました。
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瑞龍寺は、まだ開いていませんよね。
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で、向かったのは総持寺。瑞龍寺から少し離れた真言宗の寺ですが、なんとなんと。この寺の22世快雄和尚は、前田利長の求めに応じ、この地を「高岡」という地名にするよう提案したということ。高岡の名前の起源に関係する寺です。
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本尊の木造千手観音坐像は国の重要文化財だそうで、境内は、きれいに整備されて凛とした雰囲気。規模はそこまでではないですが、さすがという感じです。
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イチオシ
さて、ここからレンタカーを借りて、車の旅ですよ~
まず向かったのは、清水町配水塔資料館。近代水道百選にも選ばれた配水塔が何と言っても素晴らしい。全高29.7m、5階建てという大きさもですが、窓や1階入り口を洋風のアーチ式にデザインし、正面には元内閣総理大臣の犬養毅氏の毛筆書き「恵澤萬年」。堂々たる存在感は見るものを感動させる力があると思います。 -
続いての前田年長公墓所は、八丁道を瑞龍寺の反対方向に行った先にあります。日本一の墓という案内板がありましたが、墓石の高さ11.9メートル、敷地1万坪(かつて)とくれば日本一ということもうなずけます。墓所に入るとこれも巨大な石灯籠が何基かあって、びっくりさせられます。参道のような先に小川を渡ると写真のような石塔が見えますが、遠くから眺める格好になるので、実際の高さほどの威圧感はありません。石塔の下に狩野探幽下絵とされる蓮華図があるのですが、これも遠くて見えにくい。双眼鏡でもないと分からないでしょう。
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その前田利長墓所の廟守の寺、繁久寺は、墓所のすぐ前に建つ堂々とした構えの曹洞宗の寺です。
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見どころは、
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回廊に置かれている五百羅漢。
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極彩色の羅漢は、
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それぞれが個性あふれる豊かな表情をしていて、
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一体一体眺めていても
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飽きない感じ。
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あまり知られていないようですが、
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前田利長墓所に来た際は、
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ここにもぜひ寄ってみてもらいたいと思います。
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イチオシ
どうですか。
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この感じ。
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なかなかいいと思いませんか。
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さて、ここからは高岡市の郊外へ。
向かったのは、二上山万葉ライン。その中ほどにあるのが守山城趾です。駐車場に停めて、少し歩くと展望台のような開けた場所。 -
イチオシ
平和観音像が建っていて、その辺りです。
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城の遺跡は特に認められませんが、越中守護の斯波氏の拠点であったり、越中守護を受け継いだ畠山氏もこの城が拠点。守護代の神保氏が越後国の長尾為景に対抗し、上杉謙信の攻撃も受けています。
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今はただただ穏やかな眺め。越中を抑える重要な城であった跡とはちょっと信じられないような感じです。
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ところで、万葉集の編者として知られる大伴家持は、746年から5年間、越中国主として赴任した期間に220余首もの歌を詠みました。これは、その家持が愛した二上山の頂上付近に建つ家持像。最初見た時は小さく感じましたが、
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イチオシ
近くに寄って見上げるとそれなりの大きさがあって迫力がある。傍らには、家持の二上山に託した思いを綴った文章も紹介されていました。
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二上山公園万葉植物園もそのすぐそば。大伴家持像のところから脇道を少し下ったところなので、大伴家持像のところに駐車して、そこから歩いていくといいと思います。
入口から、山の中に向かって遊歩道が整備されていて、 -
それを辿るのですが、正直言えばちょっと微妙かな。
万葉集に因む植物を植えてあるのは分かるんですが、どっちにしてもここは山の中。緑が豊かな中なので、そこで敢えて植物を見てもなんか気持ちは高まらないような気がします。 -
二上山公園と呼ばれる範囲は、二上山万葉ラインで周遊する二上山の頂上付近。大伴家持像とか万葉植物園も含めた全体のことでしょう。
カーナビで二上山公園を示すあたりにはこのコンクリートの展望台がありましたが、 -
周囲の木々が大きくなりすぎて眺めは全然よくない。守山城趾の平和観音の方とかがよほど眺めがいいと思います。
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二上山万葉ラインを抜けて、今度は国泰寺へ。
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こちらの寺院は、永仁2年(1296年)慈雲妙意が二上山に立てた草庵が始まりという古刹。
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この慈雲妙意というのは、後醍醐天皇からの諮問にこたえ、その功により、官寺としての勅額を賜ったというなかなかの人物。
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その歴史も受け継いで、今では臨済宗国泰寺派の本山です。
極彩色の仁王像を頂く山門から -
法堂、大方丈と一直線に並ぶ伽藍は見事。
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法堂と大方丈の間の
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大岩の枯山水の迫力も
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目を引くし、
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この大方丈の
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軽妙な獅子の襖絵など。
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意外なところで意外な楽しみもあったり。
格式だけじゃなくて、なにげに遊び心も感じるお寺だと思います。 -
そして、国泰寺を出るとその周辺にはたけのこ料理の店が何軒もあって、面白い。シーズンになると一気に賑わう感じかな。
この竹の子料理 山口家は、辺りの看板では一番目立っているかな。奥まったところにありますが、縁が広くとってあって、いかにも気持ちよさそうな感じ。たけのこ料理なら最右翼のお店かと思います。 -
こちらは、寺尾太助さ。国泰寺に向かう参道のすぐ脇なので、ここもまあまあ目立つ場所だと思います。二階が大広間になっていて、そこがメインの会場ですね。シーズンのためだけの建物ですが、しっかりそれを考えた設計です。
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国泰寺の参道のすぐ脇は、竹の子家。少し奥まった場所に隠れるように建物が建っています。たけのこ料理のシーズンは4~5月だけなんですが、この日もご夫婦で敷地内の掃除に余念がない。普段からそうしてお迎えをする気持ちがないと。その時だけというのではやっぱり駄目なんでしょうね。何か清々しい印象を持ちました。
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パン工房ブレッドは、国泰寺の帰り道のロードサイドにあって、なんとなく気になる店構えですよね。
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店内はおばちゃんが仕切ります。
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いただいたのは、ヨモギのあんパン。ヨモギの香りがけっこう強烈。まあ、色合いも緑が濃いので予想はしてたんですが。。餡子の甘さも沁みる感じだし、メリハリが効いたよいパンだと思います。
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国泰寺からは、いよいよ小矢部方面に向かいますよ~
これは、道の駅万葉の里。
富山の名物、ます寿司は県内の至るところにあるのですが、 -
ここでもたくさんの種類のます寿司が置いてありました。
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一方で、目に止まったのは、細工蒲鉾の「こふく鯛」。鮮やかな色合いが強烈な印象です。
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イチオシ
ただ、味の方はまあ普通のかまぼこかな。適当に食べて、お腹の足しにしました。
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ところで、富山は豪華な仏壇でも有名な地域。その醍醐味を味わおうと大越仏壇製造という仏壇屋さんを訪ねました。広い敷地にショールームを兼ねた大きな建物があって。
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イチオシ
声をかけると係の人が館内を案内してくれました。仏壇の修復関係も力を入れていて、作業場を工程ごとに拝見。製品の方も数百万円する豪華な仏壇がずらりとありまして、一番の高級品はこの金ぴかに輪島塗のもの。20百万円くらいだったかな。まあ、なんというか立派な美術品のような感覚かと思います。
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続いては、福岡町歴史民俗資料館。昨日歩いた福岡町の市街からは少し離れた山の上のちょっと辺鄙な場所。こちらは、地元の篤志家の寄贈による鉄筋コンクリート二階建の洋風建築。大正時代のもので、もともとは町役場だったのですが、今は資料館として活用されています。
縄文・弥生時代の土器や古い民具とかの展示もありましたが、やっぱりこの建物自体が見どころかな。外観は石造りですが、内部に入ると純粋な木造建築。 -
郵便局か銀行みたいに中でまた囲いがあるのが特徴的ですね。
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こちらは、明るいところで、三井アウトレットパーク 北陸小矢部。敷地の広さや建物の大きさ、観覧車もあるので圧倒的に目立っています。
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ショッピングエリアだけでなく、
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レストランゾーンも充実。東京でも人気の金子半之助の天丼の店があったのにはちょっと驚きました。
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三井アウトレットパークほどの規模ではありませんが、隣りは、道の駅メルヘンおやべ。
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源平合戦で有名な倶利伽羅古戦場も近いので、入り口に木曽義仲と巴御前の看板も。
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生鮮品の売り場がなかなか充実していて、少しおいていた地元の桃をいただいてみました。新鮮なことは間違いないのですが、まあまあかなと思います。
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桜町JOMONパークも同じエリアの中です。規模はさほどでもないのですが、桜町遺跡は約12千年前の縄文時代草創期から、約2,300年前の縄文時代晩期まで。縄文時代全期間にわたる遺跡なんだそうです。
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縄文時代はまだ米作りは始まっていないのですが、狩猟採集生活であってもちゃんと定住していて、その辺りは正しい認識をしないといけないところ。出土品展示室では、ドングリを保存していた貯蔵穴の模型とかが目に止まりました。
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さて、ここからいよいよ倶利伽羅峠を目指しますが、途中、ちょとしたアクシデント。工事中の道があって、う回路を辿ることに。それでもカーナビがあるので安心と思っていたのですが、源平倶利伽羅古戦場はカーナビでうまく出ない。なんとか倶利迦羅不動寺を目指して訪ねました。
駐車場があって、境内へ。 -
この寺の始まりは養老2年(718年)。元正天皇の勅願により倶利迦羅不動明王を奉安されたことから。
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倶利伽羅源平合戦の際は、兵火に遭いましたが、その後、源頼朝によって再興されました。現在は、高野山真言宗の別格本山であり、山岳仏教の雰囲気が漂います。なお、境内にうどん屋さんがあって、それもちょっと気になりました。
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倶利迦羅不動寺で、古戦場の場所を聞いて改めてそっちに向かいます。
これは、倶利伽羅県定公園の案内図。一帯は、木曽義仲と平維盛が対戦した源平倶利伽羅合戦の舞台です。自動車道で峠を越えていく景色のいい場所なんですが、シンボルである火牛の像の辺りはやっぱり分かりにくいですね。 -
これは源平倶利伽羅古戦場の碑ですが、ちょっと弱弱しいかな。
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イチオシ
やっぱり、シンボルは、この火牛の像ですよね。
角に松明を付けた牛のモニュメント。ちょっと傷んではいますが、火牛の計の姿をよく表していると思います。まあ、実際にこうしたことが行われたかどうかは不明ですが、それくらい義仲軍の勢いがあったこと。それは間違いがないことだと思います。 -
寿永2年(1183年)の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦。平維盛率いる木曽義仲追討軍は10万余騎。うち、7万余騎の軍勢が倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣を敷いて、源氏軍を待ち構えていましたが、これを火牛の計の奇襲で打ち破り、平家軍は壊滅する。
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ちなみに、倶利伽羅源平合戦は5月ですが、7月にはもう平家の都落ち。いかに決定的な戦いであったかが分かると思います。
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倶利伽羅峠から、また石動の方に戻ってきて。
この木曽義仲像は、埴生護国八幡宮の石段下。見上げるような大きい像は、昭和58年、源平倶利伽羅合戦800年祭を記念して建立された日本一の源義仲像だとか。義仲といえば、粗野で山猿みたいなイメージですが、この像では騎馬のりりしい姿。英雄の雰囲気があって、堂々としています。 -
埴生護国八幡宮は、木曾義仲ゆかりの神社。埴生は、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が本陣を置いた場所であり、源平盛衰記にも木曽義仲がこの神社に倶利伽羅峠の戦いの際、戦勝祈願を行ったとされています。
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急な石段の手前にはさっきの木曽義仲の巨大な騎馬像と源氏軍が鳩の案内で得たという名水、鳩清水。
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石段を上がった先には国の重要文化財に指定されたという神社の本殿。これから向かう倶利伽羅源平の郷埴生口という資料館もこの神社の境内続きだし、いろんなものがぎゅっと集まっている神社です。
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倶利伽羅源平の郷埴生口は、埴生護国八幡宮の境内続きにある倶利伽羅峠の資料館。
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倶利伽羅峠の戦いほか峠を巡る参勤交代や越中への交通路といった広い視野からの解説もチャレンジしていましたが、ちょっと散漫。
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倶利伽羅峠の戦いにきちんと焦点を当ててとことん詳しく解説した方がいいんじゃないかと思いますけどね。
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改めてですが、倶利伽羅峠の戦いは、平維盛率いる平家7万と木曽義仲率いる源氏3万の戦い。しかし、この進軍図を見ると、峠一帯の戦いではむしろ源氏軍が平家軍を包み込むように追いつめていく。圧倒的な少数で勝利を収めたイメージでしたが、そういうことでもないような。周囲から続々と迫る源氏軍は相当の大軍に見えたのではないかと思います。
いずれにしても、これに先立つ富士川の戦いでは大きな損害はなかったのですが、この戦いでは1万を超える死者を出し、10万の大軍だった平家軍は壊滅。一気に都落ちへと進むことになる。その後の源氏優勢を決定づけたもっとも重要な戦いだったのは間違いないことだと思います。 -
さて、お昼はこちら。
石動の市街にある小さな洋食屋さんのよもぎ坂。建物がそれこそヨモギの緑色で、かわいらしい外観です。 -
いただいたのは、オムライス。自分で取ってくるサラダバーも付いてます。オムライスはデミグラスソースがたっぷりですが、ちゃんとトマトケチャップの味もしていて、私としてはグッド。きちんとしたお店だと思います。
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で、ここからは例によって石動市街のスイーツチェック。
はとやは、石動駅の南側。よもぎ坂のほんの向かい側です。 -
「今石動城」という最中をいただきました。
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餡子は食べる前に自分で詰めるタイプ。ビニールパックに入ったたっぷりの餡子を盛って挟みます。
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餡子の素直な甘さとパリッとした皮の組み合わせが期待通り。とってもさわやか。最中はこうして食べると間違いなくおいしい。理に適った最中です。
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若林屋総本家は、これも石動駅の南側。駐車場も広いし建物も悠々の大きなお菓子屋さん。
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「峠の餅」をいただきました。
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包みをほどくときなこ餅が現れて、そのままそれに黒蜜をたっぷりかけていただきます。味わいは甲府の信玄餅みたいなんですが、もっとボリュームがあって食べ応えあり。包みをそのまま使うので食べやすいのもなにげにいいところです。
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石動駅の西側に出て。国道沿いの小さなせんべい屋さんのかなやです。
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金沢でよく見かけますが、芝舟をいただきました。ハッカがけっこう利いてるし、砂糖の甘さもけっこう強烈です。始めはちょっと抵抗がなくもなかったんですが、だんだん慣れてくるといい感じ。
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あまびえのせんべいもサービスでいただきました。
ちょっと地味なお店ですけど、地元で愛されているお店だと思います。 -
そして、このきばや食品は、石動の名物店。魚の糀漬けという珍しいものを扱うお店です。老舗の魚屋さんだったようですが、今はこれ一本なのかな。けっこう新しいお店ですね。
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糀漬けは、西京漬けみたいにこれを焼くのかなと思ったら、そのまま生でいただくのだとか。言ってみれば魚の漬物ですという説明にはちょっと驚きました。常連さんが次々やってきては買っていきます。かなりの人気であることがうかがわれました。
ただ、これは要冷蔵。旅のお土産でちょいと買って帰るにはハードルが高いのが難点です。 -
続いての西村屋は、石動の中心市街。ビルの構えのお菓子屋さんです。
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いただいたのは、きんつば。この辺りのきんつばは、餡子を挟んでいてそれは同じなんですが、煎餅みたいに平たい形が特徴。種類がたくさんあって、
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基本のクルミきんつばにしてみました。味はやっぱり微妙にきんつばですね。香ばしい小麦の部分も味わいのミソかなと思います。
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変わったところで、これはMarioのパン屋さん。地図で確認していたのですがなかなか見つからない。近所の人に聞いてやっと見つけましたが、外観からするとパン屋とはとても思えない構え。これじゃお店かどうかも分からないです。
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入ると散らかし放題みたいな部屋があって、そこは売り場なのかな。誰もいない中でそこのところだけを確認して終わりました。お店を開けるのも気まぐれ?そんな感じですが、パンの方は評判はいいようです。
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薄氷本舗 五郎丸屋は、石動の中心市街に立派な店を構える老舗和菓子屋さん。
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店内も太い木材を使った豪壮な雰囲気。創業は宝暦2年とありました。
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いただいたのは、白桃大福。しっとりしたお餅に包まれた白桃と白餡。瑞々しさがあって、上品な甘さ。見た目も美しいし、こうしたスキのない仕上がりはやっぱり老舗ならではなのかなと思います。
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続いては、クロスランドおやべへ。
まずは、ダ ビンチテクノミュージアムですが、これは、クロスランドおやべの一角にある有料施設。 -
レオナルドダビンチの発明品を再現して、その仕組みや機能を紹介しています。
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空を飛んだり、水をかいたり。
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どこかで見たことのある形なので、それ自体は突飛なものではないのですが、なんでこんなところにダビンチなのかなという違和感だけが大きくなる感じでした。
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クロスランドおやべは、この広々とした美しい芝生の広場と
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このクロスランドタワー。遠くからでも見えるので、これを目指していけば安心です。
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イチオシ
高さは118m。地上100mに展望フロアがあって、有料で上がれます。ただ、シースルーのエレべーターなので、高所恐怖症の私としてはパス。周囲からいろんな角度で眺めて楽しみました。福岡タワーにちょっと似ていて、かっこいいタワーです。
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イチオシ
そして、小矢部にはもうひとつの自慢で、メルヘン建築というのがあります。
これは、その一つの大谷中学校。本体の塔屋は東大安田講堂、正面は東大教養学部、オックスフォード大学の学生寮、大阪中之島の中央公会堂、フィレンツェの大聖堂とな名だたる建物をあれこれパクったデザイン。メルヘン建築という言葉は知らなくても、こんな建物が田んぼの真ん中に建っているだけでちょっと感動してしまいます。 -
続いての小矢部市大谷博物館は、小矢部市名誉市民である実業家、大谷米太郎が生誕の地に建てた住宅。大谷米太郎は、戦前は「鉄鋼王」と称され、戦後も「日本の三大億万長者」と呼ばれた人物だったとか。
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建物は、昭和10年の住宅で、瓦屋根切妻妻入り。
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豪壮な建物ではありますが、
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イチオシ
度肝を抜くというほどではないかな。
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係の人がひと通り案内してくれるので、予備知識はなくても楽しめます。
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小矢部が生んだ日本の三大億万長者ですか。
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ただ、ちょっと気分が。。なかなか重なりませんけどね。
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マイナーなところで、これは御館山の館跡。田んぼの真ん中にぽつんと石碑があるだけ。碑文には、御館山の館についての説明がこまごま書かれていて、つまり、ここに上杉景勝配下の木舟城の出城があり、木舟城が織田方に攻められ落城した際、その直後に焼き払われたとか。明治期までは大樹の茂る小高い丘があったようですが、今はその面影はまったくありません。まあ、地元の小さな歴史です。
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最後は佐伯家住宅。立派な門があって、その脇に住宅の説明がありました。
建物は、明和4年(1767年)に工事に着手。翌年、少し離れた旧川崎村の「三之助」の住宅を買い取って移築されたもの。 -
三之助は加賀藩の十村役(庄屋)を務めるほどの家柄だったそう。藁ぶき屋根の家屋は確かに堂々とした趣があります。敷地の中に入って、外観をあちこちから眺めましたが、内部の公開はしていないようです。
以上で、今日の予定は終了です。 -
今日の泊りはかしや旅館。井波市街の端っこ。
近くで晩飯を食うつもりでしたが、井波の市街には食堂がなくて、結局手持ちの食料で済ませました。夕方着いて近くの食堂のことを聞こうと思ったのですが、出迎えてくれたおばあちゃんが奥に引っ込んで呼んでも出てこない。情報が取れなくて困りました。ないのが分かっていたら、車でどこか探せたんですが、結局、井波の市街をさまようことになってしまったんですよね。 -
娘さんが帰ってきて、やっとそのことを伝えましたが、私はいつもぎりぎりまで頑張る旅をしているので、こうしたちょっとのことがすごくダメージになるんですよね。まあ、娘さんは詫びてくれて、私の残念だったことが通じたのはよかったです。
さて、明日は、世界遺産の五箇山。少し遠いのですが、どうなりますか。
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