正月明け湯河原・真鶴・小田原の旅(二日目)~真鶴半島は予想外の自然の宝庫。温暖な気候に育まれた原始林のような一帯から美しい港町の風景も堪能して。後半はベタな小田原城周辺で、北条五代のうたかたの夢を偲びます~
2018/01/07 - 2018/01/07
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たびたびさん
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真鶴半島は、豊かな原生林が素晴らしい。真鶴駅からバスで突端のケープ真鶴に向かいましたが、少し手前の岬入口のバス停で降りて、そこからは歩き。自動車も通れる道なんですが、空を覆う豊かな原生林が急に現れて、これにはびっくり。とても首都圏に近い神奈川のイメージではありませんよね。ちょっと感動もの。自動車道からはさらにいろんなところに遊歩道が延びていて、潮騒遊歩道、番場浦遊歩道、お林遊歩道など。じっくり攻めるにも事欠きません。
さて、ケープ真鶴の裏手から海に向かうと沖には三ツ石。その後は、真鶴町立中川一政美術館、お林展望公園へと歩いて。たぶん、これが真鶴半島のベストコースでしょうか。ケープ真鶴も、中川一政美術館もバス停がありますが、ここは歩かないと楽しくはないでしょう。
そして、お昼は真鶴港で刺身定食。後半はベタな小田原です。
小田原城は、天守閣もちっぽけで味わいがイマイチなんですが、それに目をつぶって、今回は北条氏五代のおさらいをしてみると。戦国時代の風雲児として名高い初代北条早雲ですが、その後も早雲に劣らない英傑を次々と輩出している。考えてみれば、斎藤道三や信玄に謙信。信長や秀吉にもこれはできなかったことなんですね。終わり方がよくないので、一格下のイメージになってしまう北条氏ですが、もう少し評価してもいいような気がしてきます。スケジュールの都合で入れた渋々の小田原でしたが、やはり、無駄な旅というのはないものです。
ということで、以下はおおよそのとりまとめ。
<北条早雲>
足利将軍のそばに仕える幕府申次衆・奉公衆。駿河守護、今川義忠が応仁の乱の東軍に参戦して上洛した際、姉が義忠に嫁いだことで今川氏との関係ができる。
義忠の嫡男、龍王丸(後の氏親)は早雲の甥。義忠の死によって、跡目争いが不利になった龍王丸を援け今川家の当主に据えるや氏親の有力な後ろ盾となる。
これを足掛かりに、後は鮮やかな展開。山内上杉家と扇谷上杉家の紛争に介入して小田原城を奪取。果ては相模三浦氏を滅ぼして、相模一国を平定してしまいます。
<北条氏綱>
扇谷上杉氏との攻防では、天文7年(1538年)の第一次国府台合戦で小弓公方・足利義明と安房の里見義堯らの連合軍と戦い、武蔵南部から下総にかけて勢力を拡大することに成功します。
<北条氏康>
関東から山内・扇谷両上杉氏を駆逐した戦さ上手。天文15年(1546年)、有名な河越夜戦で扇谷上杉氏を滅亡させ、上杉憲政を上野国平井に、足利晴氏も下総国に追いやります。
また、武田氏、今川氏との間に甲相駿三国同盟を結び、関東支配を安定させたのも大きな功績です。
<北条氏政>
永禄7年(1564年)の第2次国府台合戦では里見義弘に苦戦するものの、里見軍の背後を攻撃して勝利。上総国まで勢力を拡大し、北条氏の最大版図を築きます。
また、謙信からの攻撃に対しては小田原城籠城作戦でこれを撃退。その後の今川義元亡き後、駿河領有権を巡っての信玄との争いでも小田原城籠城の有効性は変わらず。三増峠の戦いで勝利した信玄も甲斐に撤退するしかありませんでした。しかし、この自信が秀吉への対応を誤らせる結果となったのかも。秀吉への臣従を拒否し、小田原征伐による北条氏の最期へと突き進むことになってしまいます。
<北条氏直>
父、氏政と叔、父氏照が切腹させられるも、家康の婿であったこともあり助命を受け、高野山へ。その後、赦免され、1万石の大名として復活。北条家は、河内国、狭山藩として江戸期を全うします。
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今日はいい天気。早朝から、まずは真鶴半島を散策します。
岩海水浴場は真鶴駅から歩きましたが、方向を示す道案内もあったりして、迷うことはありません。
海水浴場は岩場の奥に隠れるような砂浜で、これなら太平洋の波をまともにくらうことのないいい海水浴場になるでしょう。 -
イチオシ
沖合いに見える真鶴道路は、湯河原町から真鶴町を結ぶ有料道路。小田原方面からだと西湘バイパスに続く道路です。真鶴の岩海岸の沖の方に空に高く造られた高架が見えて、眺めとしてもとても美しい。それを計算したわけではないと思いますが、景観の立派なアクセントとなっています。
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これは正月明けの行事「左義長」の準備でしょう。これに火をつけて、団子を焼いて食べ、無病息災を祈ります。
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また、近くには石橋山合戦に敗れた源頼朝がここから安房へと船出したという石碑もありました。
以仁王の令旨を奉じて挙兵した頼朝ですが、緒戦である石山合戦では平氏方の武将、大庭景親に大敗。しかし、それにもかかわらず、安房に落ち延びる際には三浦氏と合流。安西氏、千葉氏、上総氏などにも迎えられて、ほどなく数万騎の大群に膨れ上がるのです。 -
再び、真鶴駅に戻って。真鶴町観光協会駅前案内所は、駅前の自転車置き場の建物の中。自転車置き場の管理人が兼務でやっています。
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ただ、近くの観光スポットを訪ねたら、窓口横に置いてあったパンフレットをくれただけ。特別何か説明をしてくれるということはありません。
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真鶴駅から真鶴半島の先まではバスで向かいます。
先端には森林の中を走る遊歩道が何本もあって、おおよその位置を確認します。 -
岬入口のバス停で降りて、ケープ真鶴目指します。
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それにしても、これは原生林のような林。最初に現れる遊歩道は、この森林浴遊歩道です。
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イチオシ
ただ、遊歩道じゃなくても、自動車の通れる道でも既に大木の枝が空を覆っていて、かなりすごい状況。真鶴半島にこんな豊かな自然が残っているとは思ってもいなかったので、かなりびっくりです。
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これなら遊歩道に入っても、そこのところはあまり変わらないでしょう。
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少し歩いてケープ真鶴に到着。ここは、もう真鶴半島の先端です。バスもここが終点。真鶴半島の観光だと、真鶴駅からバスでまずはここを目指すことになると思います。
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なお、施設自体は軽食とお土産物屋さんとかですが、ここを起点として、これから三ツ石を眺めたり、遊歩道を通って中川一政美術館や見晴らし公園を散策します。
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で、ここにはもう一つの見どころ、二階に遠藤貝類博物館というのがありまして、それを拝見します。
もともとは地元の収集家が集めたコレクションを引き継いだもののようですが、 -
そのおびただしい量にはちょっと舌を巻きます。
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始めは、真鶴周辺の貝からだったと思いますが、最後は世界にまでコレクションの対象が広がって行く。
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イチオシ
そして、それらがこうして体系的に整理されると自然の神秘さというか命の素晴らしさがまざまざと実感されるよう。
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そして、おのずと自然を大切にせねばという思いも湧いてきます。
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原生林に引き続いて、これもいい。
真鶴なかなかやるじゃないですか。 -
イチオシ
建物の裏に回るともう海を見渡せる展望所。
三ツ石はここを下って行くのですが、その前に。。 -
これは、与謝野晶子歌碑。全国あちこちにあって珍しいものではないような気もしますが、それはそれ。
歌は、「わが立てる真鶴崎が二つにす相模の海と伊豆のしら波」。ただ、達筆すぎて、ちょっと読みにくいかもしれません。 -
これは、幕末の台場の遺跡。潮騒遊歩道の入口付近の海を眼下に望む場所に、小さな目立たない碑があるだけ。ここに小田原藩の砲台が築かれていたということです。
ここから砲撃すれば海は下の方ですから有利なのは当然なのですが、技術の差は歴然としてあったので、実戦になって役に立つかどうかはかなり疑問だったと思います。むしろ、こんなところまで砲台を造らせた幕府の慌てぶりを想像すべきなのかなと思います。 -
ケープ真鶴の裏手から、三ツ石の方に降りて行くこの道が潮騒遊歩道です。
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そういうことで、真鶴半島にはいくつかの遊歩道がありますが、この遊歩道は真鶴半島に来たたいていの人が歩くコースでしょう。
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三ツ石を正面に見ながら下っていくと、正月明けのこの時期でも途中にはもう水仙が花を咲かせていました。
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イチオシ
あれが三ツ石ですね。真鶴半島の観光だとこれが一番の見どころとされています。
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ただ、眺めとして、どこまで素晴らしいかというとそこはまあまあ。私にっては、真鶴半島の原生林の方がずっとインパクトは大きかったと思います。
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海岸にまで降りてみましょう。
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ごろた石の浜辺の前は相模湾。相模湾は真鶴半島から三浦半島までとあまりにも広いので、ちょっと漠としてしまいますが。。
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この辺りは、沖合2~3kmで、水深はもう100m。いきなり深くなる地形だけに生物の多様性があるのだとか。さっきの貝類博物館でそんな知識を得て眺めると風景もちょっと違って見えてくるような気がしました。
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もう一度ケープ真鶴に戻って、中川一政美術館に向かいますが、その途中、もう少しほかの遊歩道も確認します。
これは、お林遊歩道。ケープ真鶴から西側の駐車場に降りて行って、そこからこの遊歩道に入りました。ポイントポイントには標識があるし、階段とかも安全です。 -
番場浦遊歩道は、お林遊歩道から分岐して、ケープ真鶴の方から真鶴半島の西側を中川一政美術館の方に抜けるルート。駐車場のところから入口があって、少し歩きましたが、海が見える景色が楽しめると思ったのに、そうでもない。かなり回り道になりそうだし、途中で引き返しました。あんまりお勧めではないような気がします。
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結局、自動車道に戻って、真鶴町立中川一政美術館に到着。なお、美術館前のバス停があるので、ケープ真鶴行きのバスに乗ればアクセスは容易です。
さて、美術館はいくつかの展示室があって、かなりの充実度。バラの花とか、華やかな中川一政の世界がたっぷりと楽しめます。中川一政は、単独で見るとなんでもないような作品に見えるのですが、画廊なんかで他の作品と並んでいたりすると輝きが全く違うんですよね。
一政はこの地を気にいってアトリエを開いたということ。真鶴の気候の良さもまたいっそう想像されました。 -
お林展望公園は、中川一政美術館と隣り合わせ。
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広い芝生の公園でパターゴルフのコースなども整備されていて、
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イチオシ
その奥には真鶴半島の西側の景色が楽しめる展望所も。
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この日は真鶴半島の駅伝大会が行われていましたが、広さがあるのでそのベース地となっていて、たくさんの人で賑わっていました。
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ここからは、バスで真鶴港の方に帰ります。
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真鶴港に戻る途中に見える琴ケ浜海岸。ここも正面に相模湾が見渡せる見晴らしのいい海岸です。近くにはうにの有名店、うに清。これもちょっと気になる存在です。
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真鶴港手前のバス停で降りて。
貴船神社は、真鶴市街の端っこ。海沿いに走るバス道路の脇に参道入口があるのですが、真鶴港を望む高台にあるので石段はけっこう長くて本格的です。
毎年、7月に真鶴貴船まつりが行われるのですが、この祭りのことは真鶴駅にも大きな看板があって、かなりアピールしている。今度は祭りの時に来てみたいと思います。 -
イチオシ
そこから少し歩くと真鶴港。
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港は静かな入り江の奥。
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周囲は家々が山の上まで立ち並んで、いかにも港町といった美しい光景です。
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さて、ここで昼飯。
宵は、真鶴港脇の食堂長屋の一角。若いご主人とお母さんといったアットホームなお店です。 -
イチオシ
いただいたのは、刺身定食。薄く切った見事なカンパチの刺身はハッとするような美しさ。アジのたたきとイカの刺身もおいしいです。ちょっとご飯とか量的には少なめかなあと思いますが、全体としてこの質ならまったく問題はないでしょう。
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昼飯を終えて。ここから真鶴駅までは歩いて帰ります。
鵐窟(シトドノイワヤ)は、真鶴港を望む漁協ビルすぐそばのバス道路脇。ちょっとした公園のようなところに、小さなお宮さんとこの洞窟らしき入口がありました。
ここは、石橋山合戦で平家に敗れた源頼朝が身を隠したという史跡。他にも身を隠したところはいくつかあるようですが、けっこう大事にされている。頼朝がその後平家を打ち破って幕府を開いたことで、この場所には一種のパワーがあると思われたのかもしれません。ところで、この辺りには青木という苗字が多い。こうした穴に隠れるのに、入り口を青い木で覆って隠してくれたお礼に、頼朝が与えた苗字なんだそうです。 -
品川台場礎石の碑は、同くしとどの窟の敷地内。バス通りに面して石碑が建っています。
江戸の街の海防のため、幕末に築かれた品川台場。その遺跡が失われることを嘆いた地元の危篤家が私財を投じてここに礎石の一部を移したのだそうです。江戸城の石も伊豆とかこの辺りから運ばれているし、それなりに縁がある地域なのかもしれません。 -
改めての真鶴港ですが、ヨットが並んでいたり、釣り船を利用する人たちがちらほらいたり。首都圏が近いし、ここはレジャーのメッカでもあるようです。
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ちょっとさっきの飯では足りないような。ということで、もう一軒、気になっていた真鶴ピザ食堂KENNYも訪ねてみましょうか。
真鶴駅から岩海岸の方に降りて行ったところ。真鶴港の方に行くルートが真鶴観光のメインになるのでその外れという感じはしなくもないのですが、むしろ、地元の人に人気のよう。この日も、地元の家族連れとかで賑わっていました。 -
いただいたのは、シンプルなマフゲリータ。素材の味わいを大事にしたというか、反面おとなしい味付け。しかし、それがリピーターを意識した飽きのこない味加減なのかと思います。ご主人が声を掛けてきたり、お客への気遣いもいいでしょう。
さて、これで真鶴観光は予定通り。終了です。 -
真鶴駅から小田原駅に到着。
今日はここに泊まって、明日にかけてゆっくり小田原市街を巡ります。 -
小田原駅前すぐのういろう 駅前調剤薬局は、ういろうを売るお菓子屋さんと薬局が一つになった店舗。
小田原のういろうは、歴史的にも始めから二つの商売を兼ねてやっていたので、この姿が当たり前ではあるのですが、まあ、珍しいですよね。お店の中を覗いただけですが、お菓子の売り場の方は格式が感じられるし、一見の価値あり。写真撮影禁止と書いてあるのも、私のような観光客が少なくないからだと思います。 -
小田原城の方にやってきました。赤い欄干の学橋。
駅からだとここまで20分くらいですね。 -
さらにお堀沿いを進んで、
正面玄関の馬屋門に向います。 -
馬屋門を入ると
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馬屋曲輪。
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向こうに銅門が見えていますが、今は工事中なので迂回しなければなりません。
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で、迂回したおかげで、御感の藤へ立ち寄り。けっこうな藤棚です。
名前の由来は、大正天皇が皇太子の頃ここにいらした際に馬がここに駆け込んでしまい、しばらく馬を止めて感嘆されたため。冬では分かりませんでしたが、花房は1mにもなる見事な藤のようです。 -
続いて、小田原市郷土文化館へ。小田原城址公園に建つちょっと古びた建物です。
小田原城の縄張りや城下町の地図などの展示のほか、昔の生活道具類や古墳から出土した土器などまで幅広く展示しています。小田原は北条氏の城下街ですが、なぜここが北条氏の拠点となったのか。もっと基本的なところを知りたかったのですが、そこはあまりよく分かりませんでした。 -
イチオシ
さっき迂回した小田原城の銅門。本来は、馬屋曲輪から二の丸に通じる途中にあって、二の丸の正門。
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上部の公開が行われていて、がらんとした空間ですが木造りの堂々とした美しさが印象的。平時は武器を置いておく場所だったようです。
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そそて、こちらから覗くときれいな枡形門となっていることもよく分かります。
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銅門から天守閣の方を見たところ。
小田原城跡のイヌマキは、歴史見聞館の隣り。 -
小田原市の天然記念物だそうですが、幹の表面がねじ曲がって延びたような姿。その迫力は独特です。ただ、歴史的なものではないような。この城の中でよく育ちましたというだけのことかなと思います。
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さて、小田原城歴史見聞館は、今回の小田原城では一つのハイライト。
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北条早雲以降、氏綱、氏康、氏政、氏直と続く後北条氏五代の活躍をそれぞれに解説するパネル展示が見どころです。
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戦乱の世に彗星のごとく現れた北条早雲ですが、
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その後の二代目以降の活躍も里見氏を降した国府台合戦、関東の覇者を確かなものにした河越夜戦など、かなりの華々しさ。
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あまりの成功で、最後は秀吉を見る目を誤らせたのかも。
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戦国時代を切り抜けられなかったことで評価が低くなってしまう後北条氏ですが、ここで改めてその凄さが理解できたような気がしました。
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歴史見聞館から少し上がった常盤木門は本丸の正門にあたる門。
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この門を入ると天守閣が見えるのですが、その前に立ちふさぐ形の堅牢さを持つ門です。
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イチオシ
一方の天守閣はまあこんなもんかなという感じです。
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常盤木門の中は小田原城のグッズなどを取り扱うショップとその奥に有料の展示スペースがあって、それが小田原城ミューゼ。
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企画展は時々変わるようですが、
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この日は、「ザ・スピリッツ・オブ・サムライ」。北条氏五代の活躍をイメージして、甲冑の類が美しく飾られていました。
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展示品は歴史的なものではないと思いますが、それなりに楽しめました。
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ここらか報徳二宮神社の境内に降りて。
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二宮金次郎像は、本殿に向かう参道の左手脇。かつては小学校とかで、よく見かけた読書しながら薪を背負っている姿です。本当にこんな風だったのか。今だとスマホを見ながら歩くみたいなことですが、二宮金次郎に対するイメージとしてはまさにこれ。ここにある像が特別なものではないと思いますが、一応これが本家本元です。
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続いて、尊徳つながりで訪ねた報徳博物館は、報徳神社から少し離れた場所。立派なビルの中にありました。
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館内は写真撮影禁止ですが、尊徳翁が実際に使っていた着物や筆記用具などかなりの量の遺品が展示されていて、改めて、生々しい尊徳の存在が感じられる。ちょっと伝説的な翁のイメージが改まったように思います。
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少し進んで、これは清閑亭。黒田長成侯爵の別邸です。
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ところで、この黒田長成侯爵というのは、筑前福岡藩主、黒田家の当主なんですが、小田原城の北条氏が降伏した時に秀吉方の交渉人となったのが黒田官兵衛だったという縁なんですね。
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玄関を入って、奥へ。
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この建物は、明治39年に建てられたものです。
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豪華さや威圧感とかは全くなくて、悠々とした暮らしぶりが想像されるもの。
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一部に喫茶スペースがあったりして、
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まさにピッタリな感じです。
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場所的に言えば、ここは、旧小田原城三の丸外郭土塁の上。二階の部屋からは相模湾から真鶴半島がはるかに見渡せて、こんなところからも、ここが一等地であることがわかります。
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清閑亭を出て、さらに西側のエリアに向かいます。
居神神社は、三浦荒次郎義意公を主祭神に祀る神社。 -
この三浦荒次郎義意公というのは、相模三浦氏最後の当主であり、北条氏によって滅ぼされた一族。早雲の最後のあたり。これにより、北条氏は相模国一国を手に入れることになりました。
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境内には二代目、北条氏綱の置文「勝って兜の緒を締めよ」と書かれた碑もありましたが、華々しい成功を重ねた北条氏であるがゆえに秀吉の実力を見誤り結局は滅亡した北条氏。ちょっと皮肉な言葉だとは思います。
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大久寺は、小田原城主大久保家の菩提寺。
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境内奥に大久保一族の墓という一角があって、小田原市教育委員会の説明板が建っていました。粗末な墓ではありませんが、囲いをした中に法華五輪塔がいくつか並んでいるだけ。大名の墓地としては質素かなと思います。
初代の大久保忠世は徳川家康の家臣。後北条氏の滅亡で小田原城に入りますが、石高は4万5千石。意外に小さな石高です。 -
早川口遺構は、周囲が9キロにも及ぶ旧小田原城の総構えの遺跡。南西部の虎口にあたる位置です。
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住宅地の中に突然現れる荒地のような場所。別に眺めても気持ちのいいものではないのですが、きれいに整備されていない分、ちょっと迫力も感じられるような気もします。
日も暮れてきて、今日の観光はここまででしょう。 -
駅の近くまで帰ってきて。
小田原錦通り商店街は、JR小田原駅から南側に向かってカーブする通りを進んだところ。小さな公園のようなスペースとともに商店街の入口があって、夜にはイルミネーションも華やか。その辺りはちょっとなんだろうと思うような場所です。
ただ、商店街の方に入ってしまうと、特になんということはない。地方都市の少し賑やかな通りというだけのものです。 -
その商店街のエリアでうろうろして、気になったのが洋食 葉椰子。晩飯はここにしてみましょう。
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錦通りから少し脇道を入ったところで、明るい店内は清潔感もあり。これは女性に好まれると思いましたが、案の定、私以外のお客さんは女性ばかりでした。
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いただいたのは、ハンバーグ。肉がしっかりしているし、デミグラスソースもいいですね。一方で、ご飯はお茶碗に入って出てきますので、いきおい、お箸で食べることになる。そこはちょっと変わっているかなとは思います。
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さて、宿はビジネス旅館田毎。小田原駅から近いし、賑やかなエリアなんですが、看板も出ていないので近くまで来ているはずなのに入口がなかなか分からない。けっこう苦労しました。
昔からあるリーズナブルな宿といった感じ。アパートみたいな外観の古びた和室でしたが、まあ、泊まるだけなら問題はないでしょう。
さて、明日は小田原市街観光の続きです。
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