2018/09/20 - 2018/09/23
455位(同エリア593件中)
三峯霧美さん
奈良の旅、法隆寺参拝してランチの後は、車で移動して 法輪寺、法起寺を参拝して、薬師寺に向かいます。
45年前の修学旅行時と一番変わっているのは薬師寺です。
当時は焼け残った東塔だけが観光ポイントで、金堂は再建中、食堂も古いものがあったようですが覚えていません。
ガランとした場所で塔を眺めて法話を聞いた記憶しかありません。
現在は金堂、西塔、中門と回廊等、立派なお寺の伽藍が揃って、見ごたえのあるお寺になりました。
塔二つ揃った薬師寺が見れると期待したのですが、東塔は解体修理中でした。
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12:59 妙見山 法輪寺
法隆寺の駐車場から、車で数分で到着。
お寺のはっきりとした創建の記録は無く、聖徳太子の病気平癒のためにとか、斑鳩寺(法隆寺)が焼失した後3人の人物によって創建されたとも伝わります。
昭和の発掘調査で伽藍配置が法隆寺式で七堂の伽藍があり、仏像の様式から7世紀末には寺が完成していたと思われます。大きなお寺だったようです。法輪寺 寺・神社・教会
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金堂
1645年に台風で三重塔を残して全ての建物が倒壊してしまいます。
江戸時代に取り入れた妙見信仰で中興され、金堂は1761年に再建されました。
今は老朽化が進み、中には入れません。
ご本尊をはじめ仏像は収蔵庫に安置されています。
はるか飛鳥時代の大きなお寺は、いまは小さくなって、静かに拝観者を迎えてくれます。 -
御朱印、いただきました。
金堂本尊 薬師如来
飛鳥時代の木造如来像では最大の大きさで、アルカイクスマイルじゃないところから、法隆寺の仏像より後に造られたと推定されています。
講堂本尊 十一面観音 4mある大きな観音様で平安時代前期の作 -
奈良のアチコチのお寺を廻る予定なので、「大和路 秀麗 八十八面観音巡礼」も始めちゃうぞと、御朱印帳を買い求めました。
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大和路秀麗八十八面観音巡礼は奈良の8カ寺の十一面観音を巡ります。なので、八十八面だね。
観音様の画像が印刷されている、素敵な御朱印帳です。
御朱印は散華の形をしていて、糊で貼ります。
綺麗でちょっと嬉しい御朱印です。 -
三重塔 7世紀末に建立された塔は、法隆寺と法起寺の塔で斑鳩三塔と呼ばれました。
中興された江戸時代に修復が行われ、明治に国宝指定されましたが、1944年落雷で焼失。あろうことか、避雷針は戦争の金属供出で無かったのだそうです。
焼失したため国宝指定が解除され国から補助金がなく、再建は大変だったようです。
1975年にやっと再建され、火災から救出された社魔如来座像と四天王像が安置されています(非公開)。法輪寺三重塔 名所・史跡
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旧講堂の場所に収蔵庫が造られました。貴重な仏像はこちらに納められています。
御朱印は収蔵庫の中で頂きます。
金堂の本尊 薬師如来坐像、十一面観音像、虚空蔵菩薩立像等、七つの仏像を見ることができます。 -
山背王誕生水 聖徳太子御遺跡 第十六番
出土した古瓦「鴟尾残闕」の印が押されています。
法輪寺は三井寺ともよばれます。「三井」はこのあたりの古い地名で、聖徳太子が造った三つの井戸にちなみます。
聖徳太子の子、山背大兄王は岡本宮(現、法起寺)で生まれ、この井戸の水を産湯に使ったと伝わります。
次は近くにある法起寺に向かいます。 -
13:23 岡本山 法起寺 ほうきじ・ほっきじ
法輪寺から600mほど東にあります。
創建は638年、聖徳太子建立の七ヶ寺の一つですが、ここは聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地で、太子の遺言により山背大兄王が寺に改めたのが始まりとされます。法起寺 寺・神社・教会
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奈良時代から現存する建物は三重塔のみ、
奈良時代に栄えたお寺も、平安時代に衰微し、江戸時代には三重塔だけになってしまい、法隆寺の傘下に入ります。
1678年に三重塔を修復、その後、講堂の再建、聖天堂の建立が行われました。 -
頂いた御朱印
法華経講讃 岡本宮
聖徳太子御遺跡 第十七番 -
講堂
1694年に再建されたものです。
講堂の本尊は平安時代に造られた十一面観音菩薩立像 今は収蔵庫に安置されています。 -
国宝の三重塔
現存最古の三重塔で706年に建立されました。斑鳩三塔のひとつ。
何度も大修理が行われて、当初の形が分からずにいましたが、昭和の解体修理時に研究した結果、ほぼ当初の形に復元されました。 -
聖天堂 元の金堂跡に1863年に再建されました。
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収蔵庫 木造十一面観音立像はここに安置されています。
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御本尊の御朱印
御朱印は受付で頂きました。
車で薬師寺に移動します。
もう少し時間があれば、池越えの塔の写真を撮ったり、松尾寺も行ってみたかったなぁ。 -
14:00 薬師寺 駐車場
薬師寺は境内のワンブロック南側に舗装された大きな駐車場があります。
隣接した広いレストランは閉鎖していました。
法隆寺の前でランチしておいてよかった。 -
近鉄橿原線の踏切
線路の向こう側は休ヶ岡八幡宮の参道で桜並木。
線路は参道をぶった切るように走っています。 -
14:07 薬師寺休丘八幡宮 やすみがおかはちまんぐう
890年頃に大分の宇佐八幡を勧請して創建された薬師寺の鎮守社です。
明治の神仏分離後も、薬師寺が神社を管理しています。休ケ岡八幡宮 寺・神社・教会
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社殿は幾度か破壊や焼失があり、現在の社殿は1603年に豊臣秀頼によって造られました。
このほかに瑞垣門、楼門、中門などがあったそうですが、地震で崩壊したそうです。
社殿の西側の座小屋が残っているのは珍しいのだそうです。 -
祭神は僧形八幡神 神功皇后 仲津姫命
三体の神像は国宝で、奈良国立博物館に寄託されています。 -
授与所で御朱印を頂きました。
書置きに巫女さんが日付を入れてくださいます。 -
八幡宮を回り込んで薬師寺方向に進み、参道が曲がったところにお稲荷さんがあります。
孫太郎稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神
ルーツは平安時代の下野の国司、藤原秀郷の四代の孫が下野(佐野市)祀った稲荷社で、その末裔の佐野孫太郎義綱が再興したので孫太郎稲荷と言われるようになりました。 -
そのお稲荷さんが姫路城下に祀られます。佐野氏の主家榊原氏が姫路藩に移封され、それに伴いお稲荷さんも勧請されたとか。
姫路では飢饉で民が苦しみ、孫太郎稲荷が姫路城の蔵から米を持ち出して、人々に分け与え、それが城主の怒りを買って、城を追われることになります。 -
その時に、刀工の三条小鍛治が仲立ちをして、奈良の西ノ京に遷座したというのです。それが1800年頃。(う~話なげぇ)
というわけで、薬師寺との関係はほぼ無いようですが、今は八幡宮と一緒に管理されています。
御朱印は休ヶ岡八幡宮の社務所で頂けます。書置きで、日付を入れてくださいます。 -
14:13 薬師寺
680年に天武天皇の発願で藤原京に造営が開始され、都が平城京に移ったのでお寺も現在地に移転しました。
南門 門の左手が入口でございますが、右手の白いデカイ建物は?!
東塔は十数年かけた大修理中でした。薬師寺 寺・神社・教会
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門の向かい側に世界遺産に登録されたよ~って石碑。
天武天皇は皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたと日本書紀に書かれています。 -
境内図 広いなぁ。
この日は、食堂と玄奘三蔵院伽藍も拝観できました。
残念ながら天武天皇はお寺が完成する前の686年に亡くなります。
698年にはお寺の伽藍が完成したそうです。 -
受付を済ませて すぐ後ろにある手水舎へ 六根清浄って書いてあるね。
710年(和銅3年)平城京に遷都が行われ、薬師寺も716年頃に現在地に移転。
東塔の完成が730年なので、その頃まで造営が続いていたようです。 -
中門
この鮮やかな赤い柱の門はまったく記憶にないのは当然。
1984年の再建 回廊も併せて再建されました。薬師寺 寺・神社・教会
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修学旅行時に法話を聞きました。
青空法話で有名な管主の高田好胤さんだったのでしょうか・・・。
その当時は320人の生徒を収容するお堂は無く、東塔の横で、小さな台に乗ったお坊さんの話を聞きました。その画は記憶に残っているのです。 -
門の左右の二天王像は1991年に復元されたもの、17年経ち、風雨にさらされて、彩色が落ち始めている。
法話の中で和銅の元号について日本で銅が発見されたから改元したとおっしゃって、京都へ帰るバスの中で先生が「ちがいます」って訂正してました。高田さんじゃなかったのかも。 -
金堂 1976年再建
青空法話の高田好胤さんは、白鳳伽藍復興を行います。
写経による勧進、出張開帳など、全国を回り、最初に再建されたのが金堂。
修学旅行時には建設中だったかすかな記憶があります。薬師寺 寺・神社・教会
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金堂の本尊は薬師三尊像
飛鳥時代後期から奈良時代の作の国宝です。
薬師如来座像の脇に日光菩薩と月光菩薩の立像で、薬師如来像は男性的な雰囲気、日光、月光菩薩はインドの仏像の影響を感じる姿をした中世的なイメージ。 -
薬師如来 御本尊の御朱印
修学旅行時に購入した古い絵ハガキも実家から出てきました。お母さんありがとう。
45年前の絵ハガキには、中門と回廊がなく、現在と比べると、木が多い境内が写っています。 -
東塔
薬師寺の建物の中で唯一奈良時代に建てられたものです。
三重塔にそれぞれ裳階がついて六重塔のように見えるのが特徴。見えないけどね。
今回は二つの塔が揃った姿を見られると思ったんだけどね。
2020年5月落慶予定です。 落慶したら再訪します。(言い切る)薬師寺 寺・神社・教会
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西塔
1528年に兵火で焼失し、ずっと再建されず、修学旅行当時は礎石が残るのみでした。昔はあっちに西塔があったんだって聞いた。
1981年に再建。
創建当時のデザインで再建されました。薬師寺 寺・神社・教会
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初層内陣を拝観。
柱を中心とした四面に釈迦四相像、レリーフと群像が安置されています。
2015年に造られたもので、お釈迦様が悟りを開いた後の四つの場面です。
創建当時は東塔にもお釈迦様が悟りを開くまでの四面があったのだそうです。 -
西塔拝観のあとは、大講堂へ。
金堂の奥に大講堂 昭和と平成が並びます。 -
金堂の奥にあるのが大講堂
2003年再建 お寺の中で一番大きな建物です。
御本尊の他に、国宝の仏足石が安置されています。唐の仏足石の写しを持ち帰り、753年に造られました。薬師寺 寺・神社・教会
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御本尊は 弥勒三尊像 中央に弥勒如来 左右に法苑林菩薩と大妙相菩薩。
制作時期は不明で、元はどこにあった像なのか分からないんだそうです。
阿弥陀三尊、薬師三尊とされていましたが、大講堂再建時に弥勒三尊として安置されました。 -
納経所は大講堂にあります。
薬師寺のオリジナル御朱印帳を買いました。
東塔の水煙の模様を切り取った素敵なデザインです。
最初の頁に「薬師如来」の御朱印があらかじめ書かれています。
持っていた御朱印帳が終わってしまい、急遽購入。 -
大講堂の本尊 弥勒佛
御朱印は一人につき一つだけ書くという。
購入したオリジナル御朱印帳に薬師如来の御朱印が書いてあるので、もう一つ書けるそうで、もらったのが大講堂の御朱印。
仏足石の御朱印もありました。 -
大講堂の北側に食堂 2017年再建
730年に建てられた食堂は973年に焼失、その後再建されたそうですが、いつのころか失われたそうです。
創建当時の規模で再建されました。秋季特別公開中でした。 -
食堂は外観のイメージと違い、内部は照明が落とされて、大きな仏画が際立つ照明がされた現代建築。
御本尊の阿弥陀三尊浄土図を中心に「仏教伝来の道と薬師寺」の14面の壁画が並びます。
御朱印を頂きました。無量光 -
ジオラマがありました。
こう見えるはずだったのね。
やっぱり、東塔が落慶したら、この景色を見に来よう。 -
14:55 白鳳伽藍の北側に玄奘三蔵院伽藍があります。
道路を渡った向こう側です。
ここも期間限定で公開中でした。 -
門を入って塀の内側は壁の表面が落ちて、曼殊沙華が咲いていました。
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参道を進むと右手に本坊
玄奘三蔵伽藍は1991年に建立された玄奘三蔵院を中心にした新しい境内。 -
本坊
お写経道場があり、予約なしで写経ができます。
お道具完備、毛筆と鉛筆も選べて、椅子席で、年中無休で納経料が2千円。
納めたお経は復興されたお堂の中で永代供養されるそうです。 -
さらに進むと玄奘三蔵院の門が見えてきました。
玄奘三蔵は唐の僧侶で、インドへお経を求めて旅に出て、17年後に帰国し、持ち帰ったお経の翻訳をしました。
般若心経は玄奘三蔵の翻訳です。 -
1942年、南京で玄奘三蔵の墓から頭蓋骨が発見され、一部が日本に分骨されました。
またその一部が1981年に薬師寺へ分骨され、そのお骨を納めるために伽藍が造られました。 -
玄奘塔
お骨が納められ、須弥壇には玄奘三蔵像が安置されています。
天竺から戻ってお経を翻訳する姿で、右手に筆を持っています。
玄奘三蔵は言わずと知れた、西遊記の三蔵法師のモデルです。 -
玄奘塔の奥には大唐西域壁画殿があり、平山郁夫の大唐西域壁画が納められています。
玄奘三蔵のインドへの旅を朝・昼・夕・夜の7場面で描かれた超大作。
タリバンによって破壊されたバーミヤンの大仏像を見ることができます。 -
頂いた御朱印は不東
玄奘三蔵のがインドに向けて旅立つときに、インドに着くまでは決して東に戻らないと誓いました。
どんな困難に直面してもたじろぐことのない「不東」の決意と精神力を表します。 -
15:14 白鷗伽藍に戻って、東院堂に移動。
回廊の外側なので、危うくお参りせずに帰りそうになりました。 -
東院堂
720年頃、元明天皇のために皇女の吉備内親王が建立した東禅院が前身で、現在の建物は1285年(鎌倉時代)の建立で国宝です。薬師寺 寺・神社・教会
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御本尊は聖観音立像(銅造観音菩薩立像)飛鳥時代後期奈良時代のもので国宝です。
この観音様は中世以前の記録がなく、元から東院堂の御本尊だったのか、不明なのだそうです。
堂内は暖かい陽射しの照り返しが届き、ほんわかと居心地の良い空間でした。いつまでも観音様を見つめていたかった。 -
御朱印は 聖観世音
時間も押しているし、唐招提寺に行かなければならないので、そろそろ駐車場に戻らなければ。 -
南門を出る前に、振り返る。
唐の美しさに見惚れる、東塔が落慶したら、必ず来ます。
それまで元気でいなくちゃなって、思うのでした。
駐車場に戻って、唐招提寺に移動です。
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