2019/08/06 - 2019/08/07
6位(同エリア1489件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/08/06
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バスでの移動
コルドバ→ルケ(Nicols)
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バスでの移動
ルケ→グラナダ(Cervezas Alhambra)
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Cervezas Alhambra
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バスでの移動
レストラン→アルハンブラ宮殿
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バスでの移動
アルハンブラ宮殿→ホテル(アバデス・ホテル)
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アバデス・ホテル
2019/08/07
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バスでの移動
ホテル→ビルヘン通り
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徒歩での移動
ビルヘン通り→カンピリョ広場
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徒歩での移動
カンピリョ広場→グラナダ市庁舎
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徒歩での移動
グラナダ市庁舎→コラル・デル・カルボン
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徒歩での移動
コラル・デル・カルボン→イザベル・ラ・カトリカ広場
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徒歩での移動
イザベル・ラ・カトリカ広場→グラナダ大聖堂
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徒歩での移動
グラナダ大聖堂→アルカイセリア
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この旅行記スケジュールを元に
コルドバの観光を終えて、グラナダに向かいました。
グラナダはShierra Nevada(シエラ・ネバダ山脈)の麓に位置しています。シエラ・ネバダ山脈はイベリア半島の中で最高峰であるMulhacen(ムラセン山(3482m))、Veleta(ベレタ山(3398m))などを抱える山岳地帯です。富士山ほどの高さはありませんが、富士山クラスの山々です。そんな山脈の麓、Rio Daro(ダーロ川)と Rio Genil(ヘニル川)の合流地点にグラナダは発達しました。
これはグラナダのガイドブックで初めて知ったのですが、グラナダの町はノアの娘によって創られたと言い伝えられています。
もう1つの説はヘラクレスの娘グラナタが創生したとの説です。(スペイン観光局のガイドブックより)どちらも初耳です。
ただグラナダにはイベロ族やローマ人が定住していたことは間違いありません。
ちなみにグラナダという名前は、スペイン語で柘榴の意味です。
そして711年にイスラム教徒がジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に進出してきて、コルドバにウマイヤ朝を築きました。その後レコンキスタで弱体化してきた頃になってからグラナダは歴史の表舞台に登場してきます。ナスル王朝が、そしてアルハンブラが築かれました。
その後254年間このイスラム最後の王朝は続いたものの、1492年1月2日イスラム王のボアブディル王は、カトリック両王のイザベル女王とフェルナンドの前に屈することになりました。
【旅程】
8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)
↓
フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)
8月3日(土)
バルセロナ市内観光
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル
↓
タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋
↓
バレンシア
8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ
↓
ラ ・マンチャ地方
クエンカ市内観光
↓
ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ
↓
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月6日(火)
コルドバ観光
花の小径→メスキータ
↓
グラナダ●
アルハンブラ宮殿
8月7日(水)
グラナダ市内観光●
カテドラル●
↓
ミハス
↓
セビリア
フラメンコショー鑑賞
8月8日(木)
セビリア市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔
↓
エヴォラ歴史地区観光
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会
↓
リスボン
8月9日(金)
ロカ岬
↓
ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント
↓
シントラ観光
シントラ王宮
↓
リスボン
8月10日(土)
リスボン発7時15分→フランクフルト11時15分着
ルフトハンザ航空LH1173便(3時間)
↓
フランクフルト18時10分発→
8月11日(日)
羽田12時15分着
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
PR
-
サービスエリアのRestaurante Nicolsさん
COBOSとも書いてました。これがお店の名前なのでしょうか?
場所はLuque(ルケ)と言う所です。
コルドバとグラナダの中間地点あたりの場所です。
このお店の近くにはAlamillo(アラミーリョ)川が流れています。 -
こちらのお店の御主人は日本語をしゃべることができるのですが、
なぜか指示語だけ。
「これはこれ、それはそれ、あれはあれ・・・」という具合です。(笑) -
こちらですが、そのRestaurante(レストラン)というかComedor(食堂)です。
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お店の裏面にはこのような物がありました。
リヤカーのように見えます。 -
これはテーブルのように見えますが、下の部分は何でしょう?
車もついているので移動式テーブルでしょうか?
こちらは車博物館にもなっているようです。
奥の方にも何やら車のような物が見えます。 -
女の子がお店の中で自転車に乗っています。
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さて、しばらく行くとアルハンブラ宮殿が見えてきました。
この丘の事を、アラビア人はサビカと呼んだそうです。
グラナダの当時の繁栄についてアラビア人はこのように記しています。
「グラナダは今日、海岸都市の要、全王国の輝かしい都、貿易商の間では名だたる帝国、船乗りたちの優しい母、世界中からの旅人たちの宿、花々が咲き誇る不滅の楽園、素晴らしい果樹園、女性たちの優しさ、畑と森に恵まれた麗しい町、麦や新鮮な野菜で埋った広大な海、絹と砂糖の豊かな泉・・・・・。」
地上の楽園のようにも思えるような感じですので、かなり誇張している面もあるでしょうが、当時の繁栄ぶりが窺われます。 -
まずアルハンブラを見る前に、ちょっと早い夕飯をいただいてから。
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その後アルハンブラ宮殿に夜間特別入場をしました。
(これは別の旅行記に投稿します。) -
Abades Hotel(アバデス・ホテル)に宿泊しました。
ロビーと室内の様子です。Hotel Abades Nevada Palace ホテル
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朝食はこちらでいただきました。
外でもいただく事ができます。 -
朝食です。
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朝からちょっとだけケーキも頂きました。
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今朝はちょっと時間に余裕があったので、ホテル内をブラブラ。
プールです。 -
プールサイドのバーです。
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これはホテルの全景です。
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ホテルのお隣にはドイツのスーパーLidl(リドル)がありました。
営業時間は9時から22時です。 -
今朝はこちらでガイドさんと待ち合わせてグラナダ市内の観光をします。
本来はヘネラリーフェ庭園の観光予定でしたが、それが出来なくなったための代替え観光です。
さて、こちらは大きな通りです。並木道になっています。Carrera de la Virgen (カレーラ デ ラ ビルヘン通り)で、中央にも歩行者専用の道がありました。
この通りの右上にはアルハンブラ宮殿があるのですが、大きな建物で見えません。
また左横には Rio Genil(ヘニル川)があります。
ヘニル川はグアダルキビル川の支流です。
古代ローマ時代は、Singilisと呼ばれていました。それが後にムーア人にはSinyilと呼ばれ、現在の呼び名に繋がっているようです。
この先にPlaza del Humiladero(ウミジャデロ広場)がありますが、その手前までのこのあたりはPaseo del Salon(サロン通り)だったと思います。 -
左手にはIgresia de la Virgen de la Angustias (聖母アングスティアス教会)
カトリック教会です。
こちらはCarrera de la Virgen(ビルヘン通り)です。
ところでスペインには面白い民話がたくさんあります。勿論日本はじめ他の国にもありますが。ここでグラナダの民話の中で私が好きな話を1つ。
「昔、小さな子供が三人いる貧しい夫婦がいました。夫は病気で働けないため、妻が物乞いをしながら養っていました。ある日、施しを求めて回っていると、1ペセタを貰いました。でも1ペセタだけでは皆の煮物を買えません。そこでミサでもあげてもらうことにしました。そして自分たちのためではなく、一番ミサを必要としている魂にミサをあげてほしいと1ペセタを払い司祭に頼みました。そして司祭はそれを聞き入れました。
その帰り道に一人の紳士に出会いました。その紳士からどこへ行かれるのかと尋ねられ、それまでの事を紳士に話しました。するとその紳士は一枚のメモを渡して、「こちらの家に行って、そこの女主人に働かせてくださいと頼んでみてください」と言いました。
その後、妻は別に不思議に思わずに書かれてあるメモの家に行きました。そして一人の紳士から勧められてきた事を女主人に話しました。どんな紳士に勧められたのか問われると、妻は「あの方です。あの絵の人がここを紹介してくれました」と言いました。それは応接間に掛かっていた肖像画の紳士でした。
すると女主人は「あれは、4年前に死んだ息子ですよ。」と答えました。
妻は自分が貧しい身分であること、また1ペセタをミサに捧げたこと等これまでの経緯を話しました。
すると女主人は仕事を与えてくれ、また沢山の食べ物もくれて、翌日もまた来るようにと言いました。
それから5日後、奥様の前に死んだ息子の亡霊が現れ、「お母さん、もう私のことで泣かないでください。もう私の冥福のためにお祈りを捧げなくても結構です。私はもう天国へ入り、神様の前にいるのですから」と。」
そうなんです。妻がミサをあげた1ペセタはこの息子のために祈られ、天国へと行くことが出来たのです。
これは「La misa de las animas(迷える魂に捧げるミサ)」(ボッグズ760*C)
煉獄を出て天国に入るために、ただ1度のミサが足りないところを、信仰深い他人がミサをあげてくれたため、天国へ入れ、そのお礼を言いにこの世に戻ってくる霊魂のことは、アビラの聖女テレサもその作品に書き留めています。これはカトリック的なスペインを非常によく表している美しい物語です。
そんなわけで、この民話は私も大好きです。
ただ、この写真の教会とは関係がありません。あくまで民話なので「むかし、むかしあるところ・・・」のお話です。
でもこれはグラナダ州グラナダの民話です。
【スペイン民話集 / エスピノーサ】より -
Plaza del Cammpillo(カンピリョ広場)
Fuente de las Batallas これは歴史のある噴水で真上に噴き出すのが特徴です。 -
ドームの奥にはIgresia de San Anton(聖アントン教会)があります。
-
Cosejo Consultivo de Andalucia (官公庁)グラナダ市庁舎です。
中には観光案内所があります。
また建物の上には騎馬像が見えます。
旗が掲げられていますが、
左からグラナダ市旗
2番目がスペイン国旗
3番目はアンダルシアの州旗
4番目はEU(ヨーロッパ連合)旗です。 -
この市庁舎のある場所は広場になっています。
ちなみに先ほどのスペインの国章には「ヘラクレスの柱」も描かれています。
この国章の両脇にあるサポーターは、ジブラルタル海峡の古い呼び名。そのモットーであるPlus Ultra(プラス・ウルトラ)です。
ラテン語で「さらに彼方へ」の意味があります。
これはアルハンブラ宮殿内でもいくつか見ました。 -
ヨーロッパではどこでも見られる石畳の路地です。
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Corral del Carbon(コラル・デル・カルボン)
アラブ人が残した最古の記念碑です。1336年以前のものです。
イベリア半島唯一のナスル朝の(アルホンディガ)です。
1918年に国指定歴史的建造物に指定されました。
*アルホンディガとは、公的に管理された施設で、色々な種類の穀物を貯蔵する場所であり、売買する場所でもありました。
日中オープンしていて、小麦、ライ麦、キビ、豆、トウモロコシ、ソラマメ、オオムギおよびオート麦などの扱いがありました。
これらのアルホンディガスは、アンダルシアとムルシアで、園芸製品など需要と供給を満たす場として農民はアルホンディガに物を持ち込み、手数料と引き換えに低価格でオークションにかけて売買されました。
これはバレンシア、カスティーリャレオン、アヴィラ、ビルバオ、クエンカ・・・などにもありました。 -
ファサードですが、目の前が狭い通りなので、こんな写真になってしまいました。
ユースフ1世によって建設されました。
アルバイシン地区(イスラム教徒の街)の南で、シルクマーケット、アルカイセリア、メディナのスーク、メインモスクに位置し、輸送、倉庫、卸売市場の商人の宿を務めていました。
3階部分が宿泊部分だったようです。
スペインで最も保存状態が良いのだそうです。
キャラバンサライ(隊商の宿)みたいなものでしょうか・・・。 -
ファサードの入口部分をズームしました。
よく見るとアルハンブラ宮殿でも見たように、鍾乳石飾りです。そしてその上には馬蹄形アーチが見られます。
ちなみに屋根の部分はムスリム建築の特徴であるムカルバスで覆われているのだそうです。 -
中はこのように3階建ての中庭回廊になっています。
ぶどう棚になっているので涼しくオアシスのようです。
中央には涙の泉と言って水を引き込むことができるようになっていました。
石柱もありました。(写真はなぜかブレてしまってました。(^_^;))
現在はエル・レガド・アンダルシア財団の本部が入っています。 -
ついでに足元はこんな感じです。
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Plaza Isabel la Catolica(イザベル・ラ・カトリカ広場)
イサベル・ラ・カトリカ広場 広場・公園
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こちらはイザベル女王とコロンブスが対面している銅像です。
コロンブスは最初スペインではなく、ポルトガルに西回りでアジアに行くことを提言しましたが、東回りに力を入れてたポルトガルには断られ、そこでスペインのイザベル女王に持ちかけました。
ただ当時はグラナダ攻防のため財政に余裕がなかったため断念しました。
後レコンキスタ完了後、再び女王に謁見しました。すぐに決まったわけではないのですが、結果的に1492年4月17日契約が決定されました。 -
広場の右側にある建物です。
レイジェス・カトリコス通り? -
広場の角にある建物です。
1階はお店になっていますが歴史ある建物のようです。 -
この上に見える物は日除けです。
暑いグラナダではありがたいです。 -
カテドラルの横の下から見上げた様子です。
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カテドラルの裏のようです。
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地面にはモザイク画が描かれています。
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月曜ー土曜は10時15分ー18時30分
日曜祝日は11時ー18時
水曜は14時30分ー18時30分 -
Capilla Real de los Reyes Catolicos(カトリック王のロイヤルチャペル)
Sepulcros、Cripta Museo(お墓、クリプトの博物館)
王室礼拝堂は1505年に建設が始められました。
巨匠バルトロメが手がけた鉄柵の内側には大理石のお墓が並んでいます。
そして地下には遺骸が安置されてます。
イザベル女王、フェルナンド、フアナ女王(カスティーリャの)、フェリッペ美公などです。 -
入口には警備員がいました。
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Catedral de Granada(グラナダ大聖堂)
Santa Iglesia Catedral Metropolitana de la Encarnacion de Granadaが正式名称です。
イスラム寺院の跡に建てられました。当初はゴシック様式として建てられました。
ただ彫刻家のAlonso Cano(アロンソ・カーノ(グラナダ出身の建築家))の設計によるファサードは、バロック様式です。
カテドラルの工事は1523年に始まりましたが、完成したのは1704年です。約180年もかかったことになります。そのため最初はゴシック様式だったのが、後にプラテレスコ様式(スペインのルネサンス様式)に変更になりました。
左横には鐘楼があります。グラナダ大聖堂 (カテドラル) 寺院・教会
-
メイン・ファサードです。
このカテドラルは聖母マリアに捧げられたものです。
この大聖堂はスペインのほとんどの大聖堂と異なり、1492年にイスラム教徒の支配者からグラナダのナスル朝王国を開城させた後、16世紀まで建設を開始しませんでした。 -
このピンクの建物は。司教学校になっています。
メイン・ファサードの右横にある建物です。 -
ファサードの右にはパウロ
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白百合があり、AVE MARIAとあります。
これは聖母マリアに捧げられている事を意味しています。 -
左はペテロ
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こちらは大聖堂に入ってすぐ左にある宝物室です。
キリストの磔刑図です。 -
王冠のような物が上部にあります。笏のような王剣のような物もありました。
-
洗礼者ヨハネの首です。
ヨハネは領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難し捕らえられました。
そしてサロメ(義理の父はヘロデ・アンティパス)は祝宴の褒美として
洗礼者ヨハネの首を求めました。
これがそのヨハネの首です。
サロメに差し出される際に、銀の皿に載せていましたので、これも同じ状態のようです。
あまり気持ちのいいものではありませんが、これは医学的に見てもかなり正確に精巧にできているらしいです。 -
聖杯と羊と子どもですが、どうも何かに指を突っ込んでいるように見えます。
そして傍らには羊がいます。
何を暗示しているのでしょう。
子羊はキリスト(ヨハネの福音書)を指していると思うのですが。
注釈が記されているのですが画質が悪くて読めません。
・・・・・・・・・
Primer Cuarto del St. KVii
Madera tallada y plolicromada
ヨハネの黙示録によると、小羊はイエス・キリスト自身です。
小羊のようにキリストは、「世界の罪を取り除く神の小羊」となったのです -
祭服のようです。
ミサなどの際に首にかけるストラでしょうか。
細長い帯状のように見えます。
絵も描かれています。 -
「聖母マリアと眠る子ども(イエス・キリスト)」の絵
Virgen de Brlrn
Alonso Cano(1601-1667) -
こちらも聖母子像です。
やはり聖母マリアに捧げられた大聖堂なので多いです。 -
中に入ると真っ白な世界が繰り広げられます。
これは側廊部分から反対側方向を見た様子です。 -
中央身廊
白く大きな円柱が目立ちます。 -
手前の両脇にはパイプオルガンがあります。
オルガンは羽のように突き出しているスペイン独特のbattle trumpeterです。
しかも左右両方にありますので、音響効果は抜群でしょう。 -
この大聖堂は5つの身廊があり、それぞれ高さがずらされています。
メインの礼拝堂はコリント式の柱で構成されています。
また2つの塔があり、左はSan Miguel(サン・ミゲル)の塔と呼ばれています。 -
白と金色と薄緑色の祭壇付近はバランスよく美しいです。
アダムとイブの胸像もありますが、Alonso Cano(アロンソ・カーノ)によって作られました。
また三位一体の礼拝堂には、El Greco(エルグレコ)、 Jusepe de Riber( フセペ・デ・リベラ)、Alonso Cano(アロンソ・カーノ)の絵画が飾られています。 -
側廊部分
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Lactacion de San Bernardo(聖ベルナルドと聖母の授乳?)
Pedro Atanasio Bocunegra(1638-1689)
祭壇の宗教画です。 -
カトリックの王と女王、イザベルとフェルディナンドの2人のひざまずいた肖像もあります。
これはペドロ・デ・メナ・イ・メドラーノによるものです。
祭壇画だけでもかなり見る価値はあります。
残念ながら時間があまりありませんでした。 -
主祭壇にある聖体顕示台だったかと思うのですが・・・。
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たしかこのこちらは、かつての正門だったかと思います。
それかローマ法王?だったか聖体顕示台用だったかの入口だったかもしれません。
タイルの床は以前は道路だったということです。 -
ドーム下の中央礼拝堂の主祭壇です。
まさに黄金に輝いています。さすがに16世紀のスペインの黄金時代に造られてだけあります。
数々の宗教画も飾られています。
そしてその上のステンドグラスも見事に、そこから光がさしてきます。 -
側廊にあった礼拝堂。
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Nuestra senora de las Angustias(苦悩の聖母)
礼拝堂 -
聖母の上にはハート型
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聖歌隊席の譜面台のようです。
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聖歌隊の楽譜です。
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バックグラウンド部分だったかと思います。
聖人の像が飾られています。 -
このように礼拝堂がたくさんあります。
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Triunfo de Santiago(サンティアゴの勝利)でしょうか。
礼拝堂 -
大聖堂観光を終えて出てきました。
これは大聖堂の目の前の建物です。
実はこの青いアスレホが見たかったんです。
ポルトガルでは見られると思っていましたが、ここグラナダでお目にかかれて嬉しいです。 -
こちらも同じく目の前のお店です。
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これは近くにあるお店です。
イザベル1世でしょうか。 -
Alcaiceria(アルカイセリア)
大聖堂のファサードの前に、このような路地があります。アルカイセリア 市場
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狭いアーチをくぐると、イスラム王国時代、絹織物の市場だった所です。
大火があったのですが、その後再建されて、今は宝飾品や銀細工、陶器、寄せ木細工のお店などが連なっています。 -
お店の様子です。こちらでは一生懸命お掃除をしていました。
スペインでこんな姿をみるなんて、ちょっと意外でした。(失礼しました。) -
テラス席でチュロス・コン・チョコラーテを食べている坊やです。
美味しそうです。
Plaza de Bib-Rambla(ビブ・ランブラ広場)に面したお店です。
実際にはこの後、グラナダに別れを告げて、ミハスへ向かうのですが、アルハンブラ宮殿の旅行記をその前に投稿します。ビブランブラ広場 広場・公園
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この旅行記へのコメント (4)
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- sanaboさん 2020/02/23 22:22:03
- 地上の楽園グラナダ☆彡
- noelさん、こんばんは~
グラナダはスペイン旅行の中でも特に強いインパクトを受けた街で
出来ればまた再訪したいくらいです。
今回もグラナダの辿った歴史や民話などを織り交ぜた興味深い内容で
noelさんらしい力作を楽しませていただきました。
アラビア人が記した当時のグラナダの繁栄ぶりは
まさにこの世の楽園というべきものですね。
「女性たちの優しさ」との記述にはちょっとフフッとしました^^
アルハンブラ宮殿はnoelさんたちは夜間特別入場をされたのですね。
こちらはまた次回の旅行記を楽しみにしています。
ヘネラリーフェ庭園は改修工事か何かで入れなかったのでしょうか?
代わりに市内観光をなさったのですね。
実はグラナダ大聖堂に行かなかった私は後でとても後悔したのでした。
カトリック両王が眠る場所ですものね。
noelさんのお写真で見どころを詳しく拝見できて嬉しかったです。
sanabo
- noelさん からの返信 2020/02/23 23:16:41
- RE: 地上の楽園グラナダ☆彡
- sanaboさん、こんばんは!
グラナダ旅行記、ありがとうございます。
> グラナダはスペイン旅行の中でも特に強いインパクトを受けた街で
> 出来ればまた再訪したいくらいです。
やはりそうでしたか・・。
私も子どもの頃から、「アルハンブラの思い出」のギター曲の影響もあって、行きたい場所でした。
> 今回もグラナダの辿った歴史や民話などを織り交ぜた興味深い内容で
> noelさんらしい力作を楽しませていただきました。
ありがとうございます。
本当はグラナダは1つにまとめるつもりだったのですが、何だかしつこい感じになりそうで、しかも自分も息切れしながら書いてましたので、別にすることにしました。
> アラビア人が記した当時のグラナダの繁栄ぶりは
> まさにこの世の楽園というべきものですね。
> 「女性たちの優しさ」との記述にはちょっとフフッとしました^^
ちょっと私も抵抗ありました・・・。
あくまもアラビア人の観点ですが(笑)
> アルハンブラ宮殿はnoelさんたちは夜間特別入場をされたのですね。
> こちらはまた次回の旅行記を楽しみにしています。
でも日が暮れるのが遅いので、全然夜間入場という感じがしませんでした。(-_-;)
> ヘネラリーフェ庭園は改修工事か何かで入れなかったのでしょうか?
それが旅行前に、ツアー会社からの連絡で、イベントがある関係上入場できなくなったとのことでした。
ショックでした。
> 代わりに市内観光をなさったのですね。
> 実はグラナダ大聖堂に行かなかった私は後でとても後悔したのでした。
> カトリック両王が眠る場所ですものね。
確かに。結果的にはグラナダ観光は思ったより楽しかったです。
ただ残念ながらクリプトは見てないのですが・・・。
でもアルハンブラ宮殿内のサンフランシスコ修道院だったパラドールに泊まられたんですよね〜。
ライトアップした姿も見られて羨ましかったです。
ではsanaboさんの次の旅行記も、楽しみにしてますね!
noel
-
- jijidarumaさん 2020/02/23 16:03:33
- 民話は素晴らしい!
- noelさん、
こんにちは。
【スペイン民話集 / エスピノーサ】よりの民話を楽しく拝読しました。
伝説・民話大好きな私はドイツ以外の伝説・民話として採録したくなりました。
カトリック教国のスペインならではの民話ながら、日本的な民話にも
通じる話のように思いました。
スペインは1976年8月に行ったきり、再訪しておりません。当時の旅で
最も印象が残ったグラナダ、次回のアルハンブラ宮殿の旅行記を楽しみに
しております。
jijidaruma
- noelさん からの返信 2020/02/23 22:26:55
- ありがとうございます。
- jijidarumaさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
> 【スペイン民話集 / エスピノーサ】よりの民話を楽しく拝読しました。
ありがとうざいます。
他にもたくさんの民話があるのですが、いいお話だったので、つい書いてしましました。
> 伝説・民話大好きな私はドイツ以外の伝説・民話として採録したくなりました。
> カトリック教国のスペインならではの民話ながら、日本的な民話にも
> 通じる話のように思いました。
それは嬉しいです。
jijidarumaさんもお好きなんですね〜。
確かに日本の民話もかなりたくさんありますから、似たような民話もあるかもしれません。
> スペインは1976年8月に行ったきり、再訪しておりません。当時の旅で
> 最も印象が残ったグラナダ、次回のアルハンブラ宮殿の旅行記を楽しみに
> しております。
随分昔のグラナダですから、だいぶ変わったでしょうね。
でも今よりもゆっくり観光できたのではないでしょうか・・・。
今は色々と整備されたりして観光しやすくなったとは思いますが、昔の方が観光客の数も少なく観光しやすかったのかもしれません。
1976年頃と言えば、海外旅行に憧れていた頃です。
そんなに簡単に行ける時代ではなかったので、やはり駐在されていたから、できたことかもしれませんね。
本当にたくさんの知識と情報を持っていらっしゃるので、羨ましいです。
特にドイツについては。jijidarumaさんの旅行記はバイブルです。
ではアルハンブラ宮殿、頑張って書きたいと思います。
ありがとうございました。
noel
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