2019/09/25 - 2019/09/25
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frau.himmelさん
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オルセー美術館、ほんとに楽しいですね~~!
教科書でみたあの絵もこの絵も、あの画家もこの画家の絵も・・・、惜しげもなく贅沢に並んでいます。
それが写真撮影可能ですから私のテンションもマックス状態に。
あきれ果てた夫は「先に行ってるよ!」、そして時々様子を見に引き返しては嫌な顔、あの調子ではきっとジリジリしていますね(笑)。
さて、前編では印象派のほんの一部分を紹介したにすぎません。
今回は新印象派とかポスト印象派とか、私にはその違いが理解できないジャンルに入ってまいります。
でもいいんです、何派であろうと楽しく鑑賞できればいいんですから。
ところで前編でオルセー美術館は今回が3度目、と書いておりましたが、実は4度目でした。
それに2014年に東京でオルセー美術館展が開催され、そこにもいっておりまして、旅行記までアップしている・・・。
だんだん記憶が曖昧になってきました~~。齢のせいかなそれともいよいよ・・・?
怖いです。
5年前、新国立美術館でオルセー美術館展が開催されました。その時の旅行記はこちら。
https://4travel.jp/travelogue/10911553
オルセー美術館展…印象派の誕生…を鑑賞
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ポスト印象派と検索すると、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャンとともにポール・セザンヌの名前もあがります。
ポール・セザンヌ(1839-1906)は、初期のころはモネやルノワールらと印象派として活動していましたが、1880年ごろから独自の画法を身につけ、ポスト印象派として分類されることが多くなりました。
ポール・セザンヌ「レスタックから見たマルセイユ湾の眺め」(1878-79)
まだ印象派のころの作品? -
ポール・セザンヌ 「かごのある静物」(1888-1890)
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ポール・セザンヌ 「水浴図」(1890)
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ポール・セザンヌ 「トランプに興ずる人々」(1890-1895頃)
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ポール・セザンヌ 「コーヒー沸かしの横にいる女」(1890-1895頃)
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ポール・セザンヌ 「静物画 りんごとオレンジ」(1899)
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ポール・セザンヌ 「シャトー=ノワールの洞窟の近くにある大きな岩」(1904)
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ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、激動の人生を送った画家ですね。
はるか昔、美大をでた友人から「印象派と後期印象派、どちらが好き?」って聞かれました。私の中で後期印象派と言ったらゴッホでしたからカッコつけて(笑)「後期印象派っていいわよね」って答えたことを思い出しました。
そういえば、ポスト印象派や新印象派のこと、昔は「後期印象派」って呼んでいませんでしたっけ?
ゴッホ、「モンマルトルレストラン ラ・ガンゲット」1886 -
今回モンマルトルに行った時、偶然この絵のモデルとなった「オーベルジュ・ド・ラ・ボンヌ・フランケット」の写真を撮っていました。
みんなが写真撮っているのでなんでだろう?と思って。
ゴッホはこのレストランの中庭を描いたのだそうです。
そういえば、近くにゴッホが弟のテオと住んだアパートもありました。 -
ゴッホ 「アニエールのレストラン ド・ラ・シレーヌ」1887。
さっきのレストランの中庭の絵とこの絵、ゴッホの絵と思えない優しい絵だと思いません?
弟テオに見守られて、心穏やかな生活をしていたころの絵だったからでしょうか?
好きですね~ゴッホのこんな絵、見ていてこちらまで優しくなれるような気がします。 -
ゴッホ 「自画像」1887。
ダンディなゴッホの自画像。
弟テオのアパートに身を寄せていた時代ですね。 -
ゴッホ 「銅の花瓶のアミガサユリ」1887
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ゴッホ 「イタリアの女(アゴスティーン・セガトーリの肖像)」1887-1888
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ゴッホ 「アルルのダンスホール」1888。
1888年2月、ゴッホは新天地を求めて南フランスのアルルに移り住みました。
同年の10月には、画家の共同組合を開くことを夢見て、ポール・ゴーギャンを迎え、二人の共同生活が始まります。
そのころゴーギャンはポン・タヴァンでグループ活動をしていましたが、経済的に行き詰っていました。 -
ゴッホ 「ローヌ川の星月夜」1888。
しかしお互いに個性の強い二人のこと、画風の違いで次第に関係は悪化していきました。
そして共同生活を解消してゴーギャンがアルルを去ることになり、悲観したゴッホは自身の耳を切るという事件を引き起こします。
共同生活した期間はわずか9週間でした。
二人はその後二度と会うことはありませんでした。しかし手紙での交流はあったようです。 -
ゴッホ 「自画像」1889。
耳切り事件の後に描かれた自画像。
切断した耳が見えないように左向きに描かれている。 -
ゴッホ 「コルドヴィルのわらぶき屋根」1890。
その後たびたび発作に苦しめられたゴッホは精神病院に入院させられるも、その間にもいくつかの絵を描いています。 -
ゴッホ 「ガッシュ医師」 1890。
体調が幾分回復したゴッホは、彼の主治医となる医師ポール・ガシェを頼って、オーヴェル=シュル=オワーズに転地しました。ガシェ医師とは家族ぐるみでお付き合いしました。 -
ゴッホ 「庭のマルグリット・ガシェ」1890
マルグリッドはガシュ医師の娘。
ゴッホは彼女に思いを抱いていたが、ガシュ医師に反対されていたという説もあります。 -
ゴッホ 「ジプシーの野営」1890 。
オーヴェールの生活はゴッホに合っていたようで、ここで多くの絵を描いています。
しかし彼の心の平穏は長く続きませんでした。2か月後の1890年7月、彼は拳銃自殺を図ったのです。37歳でした。 -
ゴッホ 「オーヴェールの聖堂」1890。
ゴッホが死の数週間を過ごしたオーヴェールの教会。
*余談
ゴッホの絵は彼の生存中には1点しか売れなかったということです。
今や爆発的に高騰しておりますよね。
日本のバブル時代、「ひまわり」は約58億円(旧安田生命落札)で、また「医師ガシェの肖像」(オルセーのものとは別の物)は日本の齋藤了英氏が125億円で落札したことは有名です。 -
さて次は。
ゴーギャン(1848-1903) 「アリスカン」1888。
ポン・タヴァンでベルナール(後述)らとともにグループ活動をしていたゴーギャンでしたが、経済的に行き詰り、ゴッホの誘いを受けアルルへ移ります。しかしわずか9週間で破綻。
ゴッホと共同生活していたころの作品。 -
ポール・ゴーギャン(1848-1903)「美しきアンジェール」1889
この絵は浮世絵からヒントを得た構図だそう。
ゴッホと決別して再びブルターニュ地方のポン・タヴァンに移る。 -
ゴーギャン 「黄色い積みわら(黄金の収穫)」1889。
しかし、またもやポン・タヴァン派のもう一人の中心人物と言うべきエミール・ベルナールと諍いになり、二人は絶交します。
ゴーギャンってよほど我が強いのか、協調性が無いのか、ゴッホ、ベルナールの他の画家ともいろいろ軋轢があったようです。 -
ゴーギャン 「タヒチの女たち 浜辺にて」1891。
1891年4月、ゴーギャンはタヒチへ旅立ちます。 -
ゴーギャン 「アレアレア(笑い話)」1892。
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ゴーギャン 「ヴァイルマティ」1897
マオリ神話に登場するヴァイルマティとよばれる少女。 -
ゴーギャン 「黄金色の女たちの肉体 」1901
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エミール・ベルナール(1868-1941)「愛の森のマドレーヌ」1888。
1887年ごろからゴーギャンらのグループが活動していたポン・タヴァンに滞在し、制作を続ける。
この絵のモデルは妹のマドレーヌ。 -
エミール・ベルナール(1868-1941)
「草地のブルターニュの女たち」1888。 -
エミール・ベルナール 「水浴する女たちと赤い雌牛」1890
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エミール・ベルナール 「象徴的な自画像」1891。
背景の水浴する女性たちの中央にいるのはキリスト?
ゴーギャンも同じような絵を描いています。たしか「黄色いキリストのある自画像」。
またお互いを背景とした自画像なども描いています。
ベルナールとゴーギャンはポン・タヴァンで意気投合し、制作面でも影響し合う仲でした。
しかし、1891年二人は意見の食い違いで絶交します。
ベルナールの顔の表情からすると、ゴーギャンとうまく行ってなかったころの自画像でしょうか。 -
エミール・ベルナール 「日傘を持つブルターニュの女たち」1892
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ここからは新印象派と言われる画家たちです。
ジョルジュ・スラー(1859-1891)新印象派
「ポール・アン・ベッサンの外港」1888 -
ジョルジュ・スーラ 「サーカス」1891
スーラの最後の作。
彼はこの代表作を未完のまま逝去しました。 -
ジョルジュ・スーラ 右:上・下 「グランド・ジャット島の日曜日の午後グランド 習作」、絵画はシカゴ美術館蔵
左:下 「アニエールの水浴 習作」 絵画はナショナルギャラリー蔵 -
ポール・シニヤック(1863-1935) 「赤いブイ」1895
点描法を確立したジョルジュ・スーラと並ぶ新印象派の画家 -
ポール・シニャック 「パラソルをさす女性」1893
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ポール・シニャック「ラ・ロシェン港への入港」1921
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ポール・シニャック
「井戸端の女たち 井戸端のプロヴァンス嬢」1893。
1883年、地中海地方に旅行している最中にポール・シニャックはアンリ・エドモン・クロスと運命的な出会いをしました。
二人はその後、生涯にわたって親友となります -
アンリ・エドモン・クロス(1856-1916)新印象派
「午後の空気」1893。 -
そのエドモン・クロスの肖像はこれ。
マクシミリアン・リュス(1858-1941)。新印象派
「アンリ・エドモンド・クロス」1898 -
マクシミアン・リュス(1858-1941)
「ノートルダム サン・ミッシェル川岸からの眺め」1901 -
マクシミアン・リュス(1858-1941)
「1871年5月パリコミューンの犠牲者」1903-1905
彼は13歳の時に、政府軍によるパリコミューン革命家たちの虐殺を目撃しています。
その光景が生涯忘れられなかったのでしょうね、30年以上経ってからこの絵を描き上げました。 -
ポール・セリュジェ(1864-1927)ポスト印象派・ナビ派
「春の女性たち」1899 -
オディロン・ルドン(1840-1916)象徴主義
何が描かれているのかさっぱりわからない不気味な絵。
水木しげるの「目玉おやじ」をもっと気味悪くしたような絵もありました。
これが象徴主義? -
オディロン・ルドン
次に聖人が描かれている宗教画っぽいものに移行して・・・。 -
と思ったら、一転して明るい色彩の花々が・・・。
テキスタイルのように見えます。
印象派、新印象派、ポスト印象派まではなんとかわかるけど、象徴主義になると、全くお手上げです。 -
オディロン・ルドン 「黄色い背景の樹」15枚組。
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いったんお昼ごはんでも食べて頭を休めましょう。
5階のカフェ「ル・カフェ・カンパナ」。
お昼時で大混雑です。入るのを諦めました。 -
オルセー美術館のシンボル、時計台。
昔のオルセー駅の駅舎を感じさせる。 -
お昼ご飯は後回しにして別の階の展示物を先に鑑賞します。
でも、疲れて足は棒のよう。
彫刻展示テラスの空いている席で足休め。 -
天井部分の花のモチーフをぼーっと眺めます。素晴らしい装飾です。
この天井もオルセー駅からそのまま継承されたもの。 -
ジャン・パティスト・カルボー(1827-1875)
「地球を支える四つの世界」(1872) -
2階に展示してあったものを何気なく撮っておりました。
ジャン・パティスト・カルボーさんとはこんな人。
ジャン・レオン・ジェローム(1824-1904)作 -
ジャン・パティスト・カルボー「ダンス」(1863-1869)。
同じくカルボーの作です。
これはパリのオペラガルニエ宮の1875年落成時にファサードに飾られたものです。
現在ガルニエ宮には同じものがありますが、あちらは1964年にポール・ベルモントによって造られた複製です。
実はその複製を造った人物こそが、あのフランスの大俳優ジャン・ポール・ベルモント氏の父親なのです。
私も若いころ、彼の映画をよく見ました。まだご健在なのかしら?
懐かしい名前に一喜一憂するのもやはり齢のせいですね。
*ジャン・ポール・ベルモント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89
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この旅行記へのコメント (6)
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- sanaboさん 2019/12/18 17:05:35
- 再訪したいオルセー美術館
- frau.himmmelさん、こんにちは
オルセー美術館は大昔に「オルセー美術館」だからという理由で
訪れました(笑)
昨年の南仏旅行でゴッホゆかりの地であるアルルやサン・レミを訪れ
ゴッホへの思い入れが強くなり、再びゴッホの作品を観に
世界各地の美術館を訪れてみたいと思うようになりました。
中でも、「ローヌ川の星月夜」は一番好きな作品です。
frau.himmmelさんの解説とともに他の作品も
興味深く拝見させていただきました。
オルセーの再訪が楽しみです♪
今年も残すところ、あと半月となりましたね。
どうぞお元気でお過ごし下さいませ☆
sanabo
- frau.himmelさん からの返信 2019/12/19 22:05:16
- Re: 再訪したいオルセー美術館
- sanaboさん、こんばんは。お久しぶりです。
返信遅くなってごめんなさい。
>オルセー美術館は大昔に「オルセー美術館」だからという理由で訪れました(笑)
そうなんですね。
実は私もパリにオルセーがあるから今回パリを訪れたのかもしれません。
ゴッホの絵ってほんとにいいですね~。情熱が渦巻いている絵ももちろん素敵ですが、初期のころのモンマルトルのレストランなどの絵は、ゴッホにもこんな平穏な時期があってよかった・・、とホッとする気持ちになりました。
sanaboさんは南仏に行かれてゴッホの足跡を辿っていらっしたから、思い入れは殊の外深いものがおありになるのでしょうね。
この齢になりますと、あちこち動き回る旅よりも、美術館でゆっくり名画を鑑賞する旅の方が、私にはしっくりくるようになりました。
ほんと、今年も残すところあとわずか。いろいろお世話になりました。
また来年もよろしくお願いいたします。
himmel
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- ハッピーねこさん 2019/12/07 18:38:33
- 素敵ですね~♪
- himmelさん、こんばんは。
オルセー美術館、やはり素晴らしいですね~♪
私が訪ねたのはもう15年も前に一度きりで、デジカメ時代になってはいましたが、himmelさんの足元にも及ばないほどの撮影数ですし、たとえ数多く撮っていたとしてもhimmelさんのように作品やそれを描いた画家の詳細な背景やエピソードまで調べたり把握することはまずできませんので、感激・感嘆しながら拝見しました。
収蔵の作品群もさることながら、元駅舎のあの建物や壁や天井の内装がまた素晴らしいですよね!
そして外を流れるセーヌ川。
そういう全体の雰囲気は、はるか昔のことであっても薄れることなく記憶の中にしっかりと残っています。
素敵なご旅行記を拝見でき、ジリジリしながらもお付き合いされた旦那様にも感謝です。^^
- frau.himmelさん からの返信 2019/12/08 00:09:18
- RE: 素敵ですね?♪
- ハッピーねこさん、こんばんは。
コメントいつもありがとうございます。
オルセー美術館、本当にいい絵が揃っていますね。
蔵書もさることながら環境も建物も素晴らしいですね。
何度訪れても飽きないというか、その度毎に新たなる感動が味わえるというか。
私は画家たちの絵画の技法だとか画風についてはさっぱりわかりませんので、エピソード、背景などに焦点をあてて旅行記を書きたいと思っています。今風に言うとゴシップ記事ですか(笑)。
はい、夫もかなりジリジリしていたと思いますよ。
この後の旅行記にも書きますが、そのお蔭で弊害もありましたから(笑)。
パリもいいけど、私にはドイツの方が水が合っているように思います。
一段落しましたら、ハッピーねこさんのドイツにお伺いさせてください。
himmel
-
- ベームさん 2019/12/07 13:16:46
- いよいよオルセーですね。
- なつかしいです。私も見て写真に撮った絵が次々に出てきて。
でも絵の名前が訳し方で少しずつ違っていたりして面白いです。
絵の描かれた背景とかエピソードが述べられていて、とても興味深く拝見しました。
ベルナールの「愛の森のマドレーヌ」に描かれている女性はとても気に入っていたのですが、作者の妹だったのですか。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2019/12/07 23:47:02
- RE: いよいよオルセーですね。
- ベームさん、こんばんは。
はい、オルセーやっと始まったというか、私にしたらいつまで続くのだろうの心配のほうが・・・。
ベームさんのオルセーが素晴らしいので、恥ずかしいです。
ご存じのようにフランス語は全くダメなので、必死に日本語の題名をネットで探して当てはめています。苦労しています(笑)。
>絵の描かれた背景とかエピソードが述べられていて・・・
はい、その背景とかエピソードがとても面白いのです。
1人1人は超有名な画家たちなのに、縦のつながり、横のつながりの中で人間臭さが見え隠れしたりして・・・。
「愛の森のマドレーヌ」、あの絵いいですね。私も気に入りました。
ベルナールの妹マドレーヌ、17歳のころの絵だそうです。
あの美しい妹にベルナールと当時一緒に活動していたゴーギャンが恋をしたとかしなかったとか。ゴーギャンもマドレーヌをモデルに絵を描いています。
でもゴーギャンの絵は、17歳の清純な乙女とはかけ離れたとても嫌な表情(私の主観です)に描かれていて、「愛の森・・・」が素敵なだけに、見なければ良かったと思いました。
検索してご覧になってください。ベームさんもきっと同じ意見かと。
そうか、絵の題名、ベームさんのオルセーを参考にさせていただくって手がありました。(独り言です・・・笑)。
himmel
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