2019/10/19 - 2019/10/20
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たびたびさん
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上野天神祭は、平成28年、ユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」33件のうちの一つ。祭りの行列は、神輿行列、鬼行列、だんじり行列と続きますが、特徴的なのはなんといっても鬼行列かな。鬼行列は藤堂高虎が息子の目の病を治すために市街の一角にあった修験者の寺院に願掛けをしたのが始まりという説があって、そのためにその寺院があった三之町が鬼行列を担当する鬼町となる。だんじりは、それに対抗する形で本町・二之町の町衆が始めたのではないかといった話も聞きました。つまり、上野天神祭りの起源は鬼行列。そこからだんじりが加わって、現在の形ができてきたんですね。
そして、鬼行列の主役は、役行者と源為朝。いずれも鬼を退治したヒーローです。ただ、人気があるのは役行者列のしんがりを務めるひょろつき鬼。重い鐘を持った鬼がその重さにひょろつくという姿が面白い。観衆の方にもたれかかってきたりしての大サービスも大うけです。また、だんじりは京都の祇園祭と同じ。屋台の豪華さとお囃子で華麗な姿を誇ります。
そして、まつり見物の後は、地元の名物店、金谷本店のすき焼きでランチ。伊賀焼のお店もチェックして、上野市の仕上げといきました。初日に、祭が中止となるハプニングもありましたが、その分、例によっての市街の散策やB級グルメ探索は丁寧にできたし、全体としてはうまく収まったかなと思います。
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東京から上野市までの交通の最後は伊賀鉄道。この鉄道は伊賀上野駅から伊賀神戸駅を結ぶ路線。伊賀の市街は伊賀市駅になるので、南側から伊賀市を目指しても最後はこの路線を使うことになります。列車に忍者のデザインがしてあって、それがとってもおしゃれ。アイメークをばっちりしたくのいちのデザインは、独特のインパクトがあると思います。
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上野市駅を出てすぐの駅前ロータリーに面した場所にある鉄郎とメーテルの銅像。
伊賀市と銀河鉄道999の関係って? 実は、さっきの伊賀鉄道の電車の奇抜な忍者のデザインをしたのが松本零士。なので、それが縁となってのものらしいのですが、うーん。なかなか分かり辛いかなと思います。 -
伊賀はこれでたぶん三回目くらいかな。それなりに土地勘はあるので、上野公園の方から散策を始めます。
まずは、駅前の欣榮堂へ。にぎやかな感じのするお店なので、まあまあ目立っています。 -
いただいたのは、あん入りかたやきという「いがやき」。薄い煎餅のような形ですが、餡子と固めの生地の味わいはお饅頭かな。ごまが添えられているのと抹茶の色合いがアクセントです。
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上野市駅から伊賀上野城に向かう途中にあるのは、たいやきわらしべ。
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たい焼きなんてどこにでもあると思ったのですが、それでもと思ってここのを食べてみると。。
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ちょっと厚手のカリカリした皮が特徴的。この皮自体が香ばしくて味わい深い。餡子の甘さもシャキッとなるようなストレートなおいしさがありました。
このタイプは名古屋でもありましたが、中部地方の特徴なのかなあ。 -
伊賀くみひもセンター組匠の里は、だんじり会館のはす向かいです。
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伊賀組紐は、帯締などの和装小物として親しまれてきた伝統的工芸品。
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そういう意味だとこれを着物に使ったらきれいだろうなとか。和装に興味があるともっと違った見方ができるんだろうなあ。
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ざっと拝見しましたが、
その辺りの視点がないと十分には楽しめないかもしれません。 -
ここから上野公園へ。この公園は伊賀上野城の周辺を整備した公園ですが、北部の伊賀流忍者博物館や芭蕉の俳聖殿まで含めるとけっこう広いです。
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これが俳聖殿。少し開けた平地にぽつんと建っています。
松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年に、建築家伊東忠太の設計で建てられたもの。外観は、松尾芭蕉の旅姿を模したもので、上層の屋根が笠、下部が顔で、下層のひさしは蓑と衣姿なのだそうです。内部には、伊賀焼の等身大の芭蕉坐像が安置されていて、芭蕉の命日である10月12日の芭蕉祭で公開されます。国の重要文化財にも指定。ここも上野城と同じく、川崎克が私財を投じて建てました。 -
今回は北側からお堀越しに上野城を眺めましたが、ここからだと藤堂高虎の築いた実戦向きの石垣の険しさがまたよくわかりますね。
城は伊賀の国10万石・伊勢の一部10万石を治めた藤堂高虎が築城。関が原の戦い後の徳川家康の厚い信任による入封です。大坂との決戦に備え、高さ 約30mという高石垣などは実戦的な規模。現在の天守閣は、昭和10年に完成したもの。先ほども触れましたが衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建てた模擬天守です。前回拝見した時は、内部には豊臣秀吉から藤堂高虎に拝領され、藤堂家の家宝となった黒漆塗唐冠形兜など、藤堂家ゆかりの品々や伊賀焼、芭蕉の使用していた机もありました。かなり充実しています。 -
上野公園を離れて、これは旧小田小学校本館。明治14年(1881年)に建てられた三重県でも最古の小学校校舎です。
木造洋風二階建ての寄棟造り。正面ポーチとバルコニーのほか、最大の特徴は屋根中央の太鼓楼だと思いますが、 -
正面から建物を見上げる角度だとちょうど隠れてしまう。裏側から見ないとよくわかりません。
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内部は、小さな机の教室や
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このステンドグラスも見どころかな。
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当時の教科書とか教育関係の資料展示に、こんな当時の時事を扱った錦絵もちょっと面白いです。
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南に少し移動して
上野高校の明治校舎は、三重県指定文化財。通りからグランド越しに眺めます。
建てられたんものは、明治33年。中央の玄関ポーチと左右両端の和風入母屋屋根を組み合わせた美しい白亜の校舎。東西68mの長さも堂々としています。 -
同じ並びにある旧崇廣堂は、江戸時代、伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために建てられた藩校。赤い長屋門をくぐって中に入ります。
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堂々とした玄関に
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庭側から眺める建物は、均整の取れた美しい姿です。
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そして、内部の大広間へ。
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寺の内陣のような中央の畳敷を規則正しい柱が囲んで、
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その周囲をまた畳敷きの廊下が囲む。
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これまた精緻な構造がかなり印象的ですね。
ちょっと珍しい建物のような気もしますが、これは陣屋風かな。城を持つだけの規模のない小さな藩では、政務を担っていたのは陣屋。今ではほとんど残っていないのですが、柏原藩陣屋の印象を思い出しました。
https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008331 -
外には美しい日本庭園もあるし、控えの別棟もかなりゆったり。勉学に励む環境としてはとても優れた建物のように思います。
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ここから、ちょっと離れた場所ですが、伊賀市街の西の端。
鍵屋ノ辻へ。 -
鍵屋ノ辻史跡公園です。
こちらは、曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ、鍵屋の辻の決闘が行われた場所。事件は、岡山藩主、池田忠雄の寵臣渡辺源太夫を殺害し脱藩した河合又五郎が旗本安藤家に逃げ込み匿われたことから。これが外様大名と旗本の諍いとなり、こじれにこじれる。ちなみに、安藤家は、小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取ったという因縁でもあるんですが、これをもってしても河合又五郎の悪党ぶりが偲ばれます。
苦労の末、渡辺源太夫の兄、数馬が又五郎を討ったのですが、むしろ名を上げたのは数馬を助けた荒木又右エ門。鳥取市内にはゆかりの場所がいくつかあって、今でも大切にされています。
公園内は、桜の木が植わっていたり池があったりしますが、全体としてはジメっとした感じで気持ちよくはないような。歴史の場所というほかはないような公園です。
奥に伊賀越資料館。看板には、当分の間休館するとなっていましたが、特に理由も書いてないし、廃館に近いかもしれません。 鍵屋の辻の決闘関係の資料が展示されていたのだと思いますが、できれば別の場所で公開してもらいたいものだと思います。 -
さて、ここで一服。公園内の数馬茶屋に立ち寄りましょう。外観からして街道沿いのお茶屋さんという風情。渋い感じですよ~
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いただいたのは、わらび餅。時間をかけて丁寧に作りましたとおっしゃっていましたが、ここのわらび餅の特徴は口溶けの良さかな。軽い感じでスッと柔らかく。そして、それがきなこの淡い甘さにぴったりですよね。
わらび餅は延びのあるのが理想だと思っていましたが、あ~、こんなわらび餅も悪くないかも。少し新鮮な気持ちになりました。 -
ここまで来たら、平井組み紐展示館にも寄ってみます。伊賀くみひものメーカーがやっている展示場です。
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ただ、展示品は限られた感じかな。お土産品的な小物やアクセサリーの類が中心。あんまり期待したほどの迫力は感じられませんでした。わざわざ行くところではないように思います。
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市街に戻ってきて、これは養肝漬宮崎屋。
市街中心部に堂々とした店を構えるお漬物屋さんですが、 -
この養肝漬というは. 伊賀盆地特産の白瓜の芯を抜き、その中にしそ、生姜、 大根、胡瓜等を細かく刻んだ物を詰め、たまり醤油にて2年とか1年とか熟成させた漬物。
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祭りの期間中だったこともあって、おにぎりといろんな漬物をセットにした販売をやっていました。
大きく言えばちょっと奈良漬けみたいな感じもしなくはない。もう少し塩味が濃いかな。いずれにしても、スッとなじめて、あまり初めて食べたような違和感は感じません。 -
ここから、例によって、地元のスイーツチェック。
上野市街中心部。本町通沿いから始めます。 -
おおにしは、おばあちゃんが一人で応対してくれる小さな和菓子屋さん。
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上野だんじり祭りの日にもちなんで、ひょろつき鬼最中をいただきました。ひょろつき鬼はこうなんですよみたいにパネルを持ち出してきて、親切に解説してくれました。なるほどー、そうですかとか相槌を打ちつつ、心が和みます。
最中の方はしっかりした甘さがなかなかいい。キレのある最中です。 -
続いては湖月堂。ここも小さな和菓子屋さん。
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店内も限られたスペースにすべてをギュッと詰め込んだ感じかな。
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看板商品は高虎最中。正面奥にしっかり並んで目立っています。
柚餡もありましたが、ここは基本の粒餡で。意外に甘さは抑え目。じたばたしていない感に好感を持ちました。 -
かぎや餅店は、二人のおばちゃんが元気よく対応してくれました。隣りにイートインスペースもありますが、
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いがもちをテイクアウト。
ところで、いがもちって伊賀餅?いやいや、いがもちって能登半島なんかにもあるし、どうなんでしょうねえ。お店の人も分からないようでしたが、やっぱり伊賀だから伊賀餅という説はあるようです。
もっちりしたお餅に赤く色付けしたモチ米がのっていい感じ。餡子もしっかり甘いし、そういう意味ではこれで本場のいがもちを楽しめたような気がしました。 -
鎌田製菓店は、市街中心部からは少し離れて、ちょっとひっそりした一角。地元の名物、かたやきのお店です。
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伊賀忍者が携行食としていたというのが始まりだそうですが、小麦、砂糖に山芋を混ぜたりして栄養価が高い。私は前歯ではすんなり噛めなくて、けっこう悪戦苦闘。何度もチャレンジして噛み取りました。ただ、少し小さくなって、口に入れれば奥歯でくだけます。しっかり焼いた香ばしい小麦の香りが独特のおいしさです。
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小さな売り場の横には作業場。ここで粉を捏ね上げたり、かたやきを焼くんですね。かたやきは、たい焼きみたいな感じでこうして一枚一枚焼いていて。なかなかの迫力でした。
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さて、そろそろ昼飯にしましょうか。
駅前に戻って。。 -
九庵は、伊賀市駅前の新天地商店街入ってすぐ。行列ができる人気のうどん店です。私も待つことしばしで入店。
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うどんは、少し細めかな。ただ、ぶたのうどんをいただきましたが、洗練された出汁のうまさがちょっとすごい。種類も多いし、これならいろいろ試してみたい気持ちになるなと思いました。
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本町通りでは、露店がだんだん出始めて、まつりの気分が高まってますね。
ただ、実は今日は雨の予報。まつりは、無理はしないということで今日の屋台のだんじりは中止となってしまいました。残念ですが、それなら仕方ない。本当は、今日の祭りを見て明日は朝から名古屋まつりの予定だったのですが、明日もう一日を使って上野天神祭りの二日目を拝見することにしました。なので、今日はちょっと余裕。丁寧に市内散策を続けますよ~ -
ということで、今度は上野市駅から上野市街を南北に走る大通り沿いにある伊賀菓庵山本へ。
ここはかたやきの元祖とうたうお店で、かたやきの食べ方は小さなハンマーで割って食べるとかいろんな説明。まあ、かたやきって、あんまり、どこが元祖というほどのものではないと思うんですが、それはそれとして。 -
私はやっぱり固いのはあんまり得意じゃないのでちょっと引いていましたが、それならと薄く焼いた「うすやき」というのがあって、こちらをお土産にしました。しゃぶりながら食べるくらいかと予想していましたが、そこまで極端ではない。何とかかんとか普通にいただけました。小麦粉にごまの香りも悪くないです。
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先ほど今日の祭りは中止ということでしたが、晴れてきたので、個々の町内の判断で、屋台を出す町がありました。
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赤い染織幕が美しい。これは祇園祭の感じと同じです。
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屋台の中にはお囃子チーム。
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上野天満宮の門前で、今日は予行演習のようになったような感じでしょうか。
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さて、引き続き。
紅梅屋は、上野店神宮前に堂々とした店舗を構える老舗の和菓子屋さん。 -
店内も広いですよ~
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いろいろ種類も豊富ですが、祭りの日だったし、「だんじり囃子」をいただきました。ぼてっとした餡子の味わいを強調したお菓子。皮が薄くて、基本はきんつばかなと思います。
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上野天神宮の裏手は、いせやさん。 大和街道の鍵角に建っていて、いかにも老舗の雰囲気が漂います。
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こちらでは、名物の草ころをいただきました。小さな草餅にきなこがかかって、中は粒あん。小さなお餅なので、一口です。全体としては、意外に穏やかな味わい。この加減がやっぱり老舗の証なのかなと思います。
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ここから北に移動して。
入交家住宅って。。私の記憶では入交というと高知。地元の財閥で入交グループというのがあって、それなりに有名なんですよね。 -
そして、あれれ。入交家の説明を読むと元は土佐の長宗我部元親に仕える3000石の重臣だったとか。
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それが関ケ原の戦いで西軍についた長宗我部氏が没落して無禄になると、今治の藤堂高虎に拾われる。そこで津藩藤堂家の領地であるこの地に縁ができたというわけですね。しかし、大坂夏の陣では、藤堂軍は長宗我部盛親軍と激しい戦闘に。戦国の悲哀を感じます。
屋敷は藁ぶき屋根のしっかりした武家屋敷。長屋門、表屋、土蔵から庭などの雰囲気は風格あり。 -
先ほど触れた入交家の変遷等
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ちょっとした資料展示も楽しめます。
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ここから鬼行列を担う町。通称、鬼町の方へぶらぶら。
町内の集会所みたいなところがあって、それぞれ自慢のお面とかを披露しています。 -
うーん。
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なんでしょうねえ。
お面といえば、能が思い浮かびますが、これはもっと表情が表に出ているように思います。全く違うとも言えませんが、やっぱり祭に合わせた趣向かなあ。 -
これは、染織幕。刺繍も見事です。
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こちらの町は
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こんな感じ。ちょっと写真にするとはっきりしませんね。
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鬼町は、相生町・紺屋町・三之西町と徳居町。
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ここは、最後の徳居町。鎮西八郎為朝を中心とする鬼行列の町です。
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これが集会所。
町内の人が座敷に大勢集まっていました。しかし、ちょっと勇気を出して声をかけると、座敷に飾ってあるお面を快く見せてくれました。 -
これが主役、鎮西八郎為朝の面。
ちなみに、源為朝は、源為義の八男で、源頼朝、義経の叔父。身長2mを超える巨体で剛勇無双。
伊豆大島に流された時、鬼退治をしたという伝説があり、それをもとにして、鬼を従える鬼行列の趣向となったのだそうです。きかん気の強い顔つきがさすがですよね。 -
こちらは鬼たち。
古いものもあるし、 -
新しいものもあるんですが、
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イチオシ
まあ、それぞれがそれぞれ。
妖気漂う雰囲気が素晴らしいと思います。ありがとうございました。 -
そして、もうひと踏ん張りで、今度は蓑虫庵。もう伊賀上野市街の南端といったところでしょうか。
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ここは、芭蕉の門人だった服部土芳の庵で、敷地内には芭蕉翁五庵の中で唯一現存する蓑虫庵が保存されています。ちなみに、庵の名前は、庵の開きの祝いとして芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」から。
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全体にわびた感じがあって、そこかしこが茶室の雰囲気なんですが、茶室ととらえるとかなりの広さ。
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芭蕉の俳句にまつわる句碑やテーマに関係する井戸などもあれこれあって、それぞれ丹念に拝見すると味わい深い。徐々に整備されてきた歴史もあるような気がします。
観光的にはここまでですが、 -
B級グルメの方は、もう少し。
朝日餅もこの辺り。上野市街の南端なので、その分、観光客にとっては、少し縁遠くなるエリアでしょう。店舗は、まだ新しい感じで清潔感あり。 -
みたらし団子がおいしそうだったので、それにしてみました。甘辛い味わいは正統派。きめの細かい団子の伸びやかさもいいと思います。
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伊賀越 天然蔵店は、さらに南端。ちょっと頑張って足を延ばしました。
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ちなみに、伊賀越は伊賀の醸造元。無添加・天然醸造のしょうゆ・みそを製造販売しています。ただ、店内の商品はそんなに種類が多いというわけではないし、よく聞くと地元のスーパーでも置いているのだとか。しかし、せっかくここまで来たしと思って、味噌をお土産にしました。その後家で使っていますが、ちょっと濃いくらいで使うと味わいがいいように感じます。
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駅の方に戻ってきて。露店もいい感じになってます。若い子たちはお祭りより露店の方が楽しそうですね。
まあ、明日の祭りを楽しみにしましょう。 -
明日の朝飯の調達はぱん処 和水や。伊賀市駅近のビル、ハイトピア伊賀の二階。
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エレベータを上がってすぐの開放感あるパン屋さんです。特徴は、一律100円の低価格。この日はそれをさらに下げて、一律89円。しかし、買ってみると別に普通のパンなんですけどねえ。レジが混んでいると奥の厨房で働いていた人が応援しに来たり、サービスもちゃんとしています。
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で、晩飯は伊賀市駅近くの名物食堂、ニカク食堂。伊賀忍者をテーマにした工夫があちこちにあって。入口からして、忍者屋敷の返し戸になっています。最初はちょっと戸惑いましたが、店内も伊賀忍者一色。料理を待っている間、伊賀忍者のビデオを拝見したり。うーん、上野に来たら、このお店に寄ってみるのも無駄ではないですね。
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なお、いただいたのは、伊賀の地鶏の定食。いろいろ付け合わせもあるし、料理の方もちゃんとしています。
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さて、今夜の宿泊はオーエヌ。ここも安さで選んだのですが、中心部からかなり遠い。それは事前に地図で確かめていましたが、実感はもっとあった感じですね。建物はしっかりしていてそれはいいのですが、部屋も雑然としているし、ちょっと外れだったかもしれません。
まあ、それはそれとして明日に備えます。 -
朝の散策は故郷塚から。
塚は、芭蕉の生家、松尾家の菩提寺、愛染院の境内。 -
大阪の地で没した芭蕉は遺言により膳所の義忠寺に葬られますが、
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芭蕉の元に馳せつけた伊勢の門人、貝増卓袋、服部土芳は芭蕉の遺髪をもらう受け、ここに遺髪を収めたという故郷塚。
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別エリアに入った奥のこの藁ぶき屋根の建物に守られた塚が故郷塚ですが、
周囲にはあれこれいわれのありそうな句碑がたくさんあって、芭蕉を偲べる雰囲気が充満しています。
今は生家は閉鎖中ですが、いずれにしても昨日の蓑虫庵とセットで回るべき場所でしょう。 -
そして、上野天満宮から東に延びる伊賀街道をまっすぐ御旅所の方に向かいます。
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神輿のチームとか
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行列の準備がだんだんできていますね。
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あれ?お菓子屋さんももう開いてますね。
くらさか風月堂は、上野市街の東端。旧伊賀街道沿い。 -
生菓子の方も気になったのですが。朝も早いし、いただいたのは「伊賀忍者」。丁寧に説明書きがしてあって、きみ餡の焼き菓子には信州産のクルミがアクセント。洋風の感じもする華やかな味わいでした。
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その少し先にあるのは桃青庵ふじさき。
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いただいたのは、「俳菓 桃青」。お店の名前を冠した自信作は、焼き菓子のお饅頭なんですが、中心部には成熟する前の桃の実を蜜漬けしたのが入っていて、それを白餡で包む。見た目の青も美しいし、桃の瑞々しさもそれなりに感じます。パッケージがツルツルでやや風情がないのが気にならなくもないですが、お菓子自体は悪くない仕上がりです。
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ちょっと寄り道をしましたが、これが御旅所です。
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子供の巫女、八乙女さん。
みんなうきうきしてますね。 -
たくさんの人が境内に集まってきましたよ~
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奥にあるのが、神幸祭の中心。上野天神宮の2基の神輿である天満宮神輿と九社宮神輿です。なるほどー
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そして、皆さん頭を垂れて。出発に先立っての祭礼です。
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伊賀街道沿いには、だんじりも揃ってきましたね。
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ところで、天神祭りの行列は、先ほどの2基の神輿の神輿行列に三之町筋、通称、鬼町率いる鬼行列と本町筋・二之町筋のだんじりの行列が続く三部構成。
しっかりしたパンフレット(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/img/file-leaflet-2018-omote.pdf#search=%27%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A5%AD+%E7%A5%9E%E8%BC%BF%E8%A1%8C%E5%88%97%27)があって、行列の内容を細かく記しているのですが、あまりにも細かい。突き合わせながら拝見するのはちょっと無理ですね。 -
とはいえ、まずは神輿行列です。神輿は、子供神輿、
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ギャル神輿、
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管青会神輿の三基。
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赤い装束は
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真榊(まさかき)。
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鉾から毛槍に
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供奉児童。
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今朝ほどの八乙女に
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これは荷太鼓かな。
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で、例の天満宮神輿に
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九社神輿。
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宮司
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禰宜の人力車が続きます。
これで神輿行列は終了。なかなか細かな配役でした。 -
ここからは、鬼行列ですが、鬼行列は、相生町・紺屋町・三之西町による役行者列と徳居町による鎮西八郎為朝列の二つがある。
まずは、役行者列からですよ~ -
先頭に控えるのは、悪鬼。
これは、真蛇とも呼ばれる鬼。 -
イチオシ
役行者列では唯一とがった角を持ち、かっと見開いた目と大きな歯が特徴です。ちなみに、悪というのは、悪いということではなく、強いとの意味なのだそうです。
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悪鬼の後に続く8体の鬼は、八天。
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子どもが扮する鬼で、面は「猩々(しょうじょう)」「泥眼(でいがん)」「童子(どうじ)」「怪士(あやかし)」「小飛出(ことびで)」と3面の「小面(こおもて)」です。
これは、怪士(あやかし)。 -
イチオシ
これは、童子(どうじ)。
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これは、小面(こおもて)ですが、いずれも何とも言えない妖気を感じる。やっぱり、似ているようでも能面とは違いますね。
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さて、これが鬼行列の主役のひとり、役行者(えんのぎょうじゃ)。
ちなみに、役行者は奈良時代の山岳修行者で修験道の祖。大和国葛城山で修行し、吉野の金峰山や大峰山などに霊場を開きました。仏教に通じ、祈祷・呪術などをよくし、文武天皇の時、讒言によって一時伊豆に流されました。伊賀流忍者の元祖ともいわれます。 -
前を固めるのは、
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行道面の鬼たち。
赤いのや -
イチオシ
青いのや
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こちらは、大人が扮します。
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赤い傘がやってきて、
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あ~、
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これは奴さんですね。
鬼との関係は不明です。 -
そして、役行者列のしんがりはひょろつき鬼。
ひょろつき鬼は「釣鐘(つりがね)」「笈持(おいもち)」と「斧山伏(よきまぶし)」2体の計4体の鬼。鐘や経典を入れた笈を担いで道いっぱいにひょろつくおどけたしぐさ。鬼行列全体の中でも、実は一番の見どころです。 -
釣鐘(つりがね)のひょろつきは、千鳥足のよう。
左右前後にオットットー。 -
重い釣鐘に足を取られて、ふらついていますよ~
-
でも、たまにはファンサービスも忘れません。
みんなこれを待ってましたからね~ -
イチオシ
こちらは、笈持(おいもち)。
これもなかなか重そう。容易ではありません。 -
イチオシ
続いての斧山伏(よきまぶし)は2体です。長い柄の斧を持っていて、これもバランスをとるのに苦労して、
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あっちにヨタヨタ、こっちにヨタヨタ。危ない感じ。
うーん、これも芸達者ですねえ。 -
そして、ここからは鬼行列の後半、徳居町の鎮西八郎為朝列。
まずは、子供たちの小鬼。たくさんいますよ~ -
そして、四体の行道面。
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赤い顔に
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ザンバラ髪。
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雰囲気的にも
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まったくの鬼。
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さっきの行道面のような一瞬の神々しさはありません。
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イチオシ
そして、これが主役の鎮西八郎為朝。
手足を右左、右左。ロボットみたいにぎこちなく行進します。この不思議な動きはどういう意味なんでしょうねえ。 -
ちなみに、源為朝は、1139年生まれ。源為義の八男で、あの源頼朝、義経兄弟の叔父にあたります。 身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で剛勇無双を謳われました。
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伊豆大島に流された際の伝説があって。
鬼の子孫と言われ大男ばかりが住む島があり、為朝はその島に渡る。すると身長3mもある毛むくじゃらの大男たちが、太刀を右腰に差して現れました。普通なら震え上がるところですがそこは天下の猛将為朝、まったく怯まず強弓をちらつかせると鬼はあっさりと降参してしまったそうです。
その鬼つながりで、鬼行列の主役となったというわけです。 -
ここからは、だんじり行列の始まり。
向島町 鉄英剣鉾
魚町 紫鱗
東町 桐本
中町 其神山・葵鉾
小玉町 小簔山
新町 薙刀鉾
鍛冶町 二東・月鉾
福居町 三明
西町 花冠
の九つの屋台が登場します。
まずは、向島町 鉄英剣鉾
「鉄英剣鉾」の歴史は宝暦6年(1756)に作られた「花鉾」に始まります。それからおよそ100年後の安政6年(1859)に現在の「鉄英剣鉾」が長田に屋敷を構えた安場武右衛門によって建造されました。 -
屋根は切破風で古い鉾車の形を良く伝えています。前後の化粧梁には向島町に居住した藤堂藩の儒者兼兵法家高見照陽の書による「深溟(たんめい)」「剪莽(せんぼう)」の扁額が掛けられています。暗がりを探り生い茂る草を刈るという開拓の精神を表しています。
このだんじりの特色の1つは囃子座の欄縁の四隅にある黄金に輝く御幣で、他のだんじりには無いものです。四神(中国の神話で天の四方の方角を司る霊獣、東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)を鎮める為のもので鉾車の伝統的な様式です。
屋根上に立てる剣は、足揃えの儀には銀の剣。本祭には金色の剣を飾ります。
上野天神祭り公式サイト(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/)より -
魚町 紫鱗(しりん)
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「紫鱗」とは鮮魚の美称で魚町のだんじりに最もふさわしい表現です。又の名を「庶尹充諧(しょいんまことにやわらぐ・諸々の役人が一堂に会して調和する事)」とも言い、その文字が前後の妻梁の上部に書かれています。
「紫鱗」の特筆すべき見どころは囃子座の4本の化粧柱です。雲の間を飛翔する「龍」を文様化した、錺(かざり)金具で造られた雲龍文(うんりゅうもん)が巻かれています。胴幕も5枚に分かれて中国故事の英傑らが描かれており総金具の勾欄、天幕と合わさって重厚・豪華なだんじりです。
上野天神祭り公式サイト(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/)より -
しるし「逆熨斗(さかさのし)」
天保11年(1840)に発行された天神祭の版画「伊賀上野天満宮祭礼九月廿五日行列略記」に扇面に文字の「のし」を逆さに添えた図が残っており、これに基づき昭和53年(1978)に濱邊萬吉画伯の匠案設計により文字から鮑熨斗に改め復興しました。
上野天神祭り公式サイト(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/)より -
東町 桐本(きりもと)
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東町のだんじり「桐本」は文政10年(1827)伊賀の仏師筒井儀兵衛らにより作られました。その当時菅原神社の境内には桐の大木があり、そこから神社のおひざ元の地区である東町のだんじりは「桐本」と名付けられました。
上野天神祭の他の8基のだんじりと比べ大きく異なるのは胴幕です。水引幕が無く、正面の袖幕から3面を連続した蘭亭曲水の宴の柄の大幕で覆っています。
もう一つの特色は桐本のだんじり囃子です。上野天神祭の他の8基のだんじり囃子が祇園囃子の流れにあるのと異なり、二連摺鉦、太鼓、篠笛に鼓、三味線が加わった五楽奏です。曲の調子もゆったりとした雅やかなもので他とは趣を異にします。参考に桐本の曲を聴く位置は「桐本」の後方からが最適です。少し離れた後方から味わってください。
上野天神祭り公式サイト(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/)より -
中町 其神山・葵鉾(きしんざん・あおいぼこ)
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宝暦9年(1759)に其神山が造られました。その後改築等を経て現在に至っています。見どころは風格ある大型の屋根です。鬼瓦には頂部に雲と宝珠、両流れに精巧な竜の彫物を配しています。高さもあるためひときわ勇壮で大変素晴らしいだんじりです。
後の扁額に新古今和歌集の歌「いかなれば そのかみやま(其神山)の あふひぐさ としはふれども ふたばなるらん」が彫り込まれています。「其神山」は上賀茂神社枕詞で「葵草」は賀茂祭の葵蔓で「いかなれば」の起句を伊賀と結びつけ、だんじりの名を付けたといわれています。
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しるし「三社の託宣(さんしゃのたくせん)」
三社の託宣とは伊勢神宮、石清水八幡宮、春日大社の三社の神のお告げです。小玉町のしるしは町の紋形である分銅型の外郭の中に天照皇大神と八幡大菩薩、春日大明神を配置しています。
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小玉町 小簔山(こみのやま)
だんじり「小簔山」の見どころの一つは、見送幕です。本祭の巡行に掛ける刺繍の見送幕は、朝鮮通信使を描いています。鎖国体制の江戸時代にあって、日本にやって来る外国人は、非常に珍しいものでした。朝鮮通信使の行列は、伊賀地域を通行することこそありませんでしたが、この幕をながめながら、当時の人々は外国からの賓客に思いをはせたことでしょう。
もう一つは、曳方の法被です。曳綱を持つ曳方の法被には、楼車の名前の由来となった松尾芭蕉の名吟「初時雨さるも小蓑をほしげなり」が、小玉町の象徴である分銅紋とともに染め抜かれています。すでに登録されています上野天神祭同様に、登録に向けた動きのある「俳句」もユネスコ無形文化遺産に登録されると良いですね。
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新町 薙刀鉾(なぎなたぼこ)
見送幕墨書銘から天明3年(1783)の頃、創建されたと考えられており、唐破風屋根中央に、薙刀を立てた姿は豪華な幕と相まって壮観です。
だんじり「薙刀鉾」最大の見どころは豪華な幕です。上野天神祭の全てのだんじりとしるしに使われている最高級の織である刻糸6点の内5点が、その他の綴織12点の内6点が新町のだんじりとしるしの懸装品(幕)です。その中での圧巻は見送幕「蘭人巌上に遊ぶ図」です。平成28年(2016)に3年の年月をかけて現代日本の最高技術でもって1783年の新調当時のすばらしさを再現しました。一見の価値があります。是非ご高覧ください。
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しるし「白楽天(はくらくてん)」
中国の詩人、白楽天像の大作。嘉永4年(1851)9月、京都丸屋利兵衛の作。近年、松の木を添える白楽天像に形容を変え、衣裳も新調しました。
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鍛冶町 二東・月鉾(にとう・つきほこ)
「二東」は鍛冶町の古い町名の二之東町から名付けました。本来は三日月形の鉾を建て、「月鉾」と称します。新復興したしるしを「月鉾」としたため、それとの混同を避ける為新たに「二東」をだんじりの名称としました。(現在はどちらの名称も使っています。
「二東」の評価を上げたのは何といっても県の文化財に指定されている見送幕「雲竜文」です。明時代(1368~1644)の刻糸(中国のきわめて精巧な高級織物、綴織)で孔雀の羽毛を混ぜて織られています。
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福居町 三明(さんめい)
「日・月・星」「天・地・人」の世界観が江戸時代の表現のままで感じられるだんじり「三明」は、至って簡素な造りに極めて精巧で優美な幕や金具で飾られた、荘厳という言葉がぴったりの気品漂うだんじりです。
そんな「三明」の見所の一つに、巡行時に角を曲がる時の「辻廻し」があります。ちょっと大きめで重量感溢れるだんじりを操るのは至難の技、コース取りから停止位置決め「万力」を降ろし、一気に90度だんじりの向きを替える一瞬は、指揮・テコ方・万力方・曳き手の腕の見せ所、片時も目を離せません。囃子方も賑やかな曲で花を添えます。
また、そんな緊張感いっぱいの時でも、法被の背中では愛敬溢れる「お多福」が、その場を和ませてくれます。「福居町」の名前を表したデザインで、豪華なだんじりに圧倒されそうな時は、幸せを呼ぶ「お多福」に視線を移してみればいかがでしょうか。これも、我が町の見所です。
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しるし「羯鼓(かっこ・諫鼓)」
文久3年(1863)9月に再調した。漢詩「諫鼓苔深鳥不驚(かんここけふかく とりおどろかず)」云々の故事を引用した高木長雄の由来書とともに別文のいわれがあります。
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「諫鼓苔深鳥不驚」
昔、殿様の政治を諫しめる為住民が太鼓をたたいていました。殿様の政治がよければ諫しめることがなく、太鼓の上に鶏が止まって、苔がはえるさまは世の中が平穏である。
その故事を引用して、形どったもの。 -
西町 花冠(かかん)
鼓を身につけて踊る羯鼓舞の花冠にちなんで名づけられました。宮殿を擬した華麗な簾の間があるだんじりです。毛彫打出しに本鍍金された飾金具が多く使われています。特に欄縁・跳勾欄の金具は水引幕の細かな蘭亭曲水の宴の織と共に「花冠」の存在感を際立たせています。
なお、当町のしるし「羯鼓(かっこ・諫鼓)」も見どころの1つです。しるし台の勾欄を飾る金具も「花冠」同様本鍍金の毛彫打出し金具であり美術的価値の高いものです。
上野天神祭り公式サイト(https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/)より -
以上で終了です。
けっこう長かったですね~
一通り見たので、ここからは追っかけです。 -
上野天神宮の御旅所から伊賀街道をまっすぐ中心部に戻って、上野天神宮の裏手にぶち当たります。辻のところに伊賀街道の起点と書いた道標が建っています。この通りには老舗の金谷本店や和菓子屋さんなど、雰囲気のある街並みが続きます。
で、ここから北に向かうのが大和街道。大和街道は、関の西の追分で、東海道から分岐し伊賀上野の市街を抜けて、奈良に至る街道です。 -
上野天満宮の周辺では、行列の皆さん、一時休憩ですね。
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なるほど。
ここから市街に入ってくので、やっぱりこの辺で力をためておくのは理屈に合っています。 -
ひょろつき鬼の斧山伏(よきまぶし)さんも、こんなところに。
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では、その間に、上野天満宮の方にも顔を出しておきましょうか。
ところで、この神社は名前の通り菅原道真を祀る神社。「菅聖廟」の額を掲げた楼門がりっぱです。
芭蕉はここに処女作「貝おほひ」を奉納し、その後の俳諧師としての成功を祈願しますが、この時、芭蕉は29歳。ちなみに、「貝おほひ」は、三十番発句合の評価を綴ったもの。二つの発句を比べながら、どちらがどのように優れているか解説したもので、芭蕉の俳句に対する考え方が窺えるものとされています。 -
さて、また、行列が動き出しましたね。
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小鬼に
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行道面。
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ほら貝を吹いて、奴さんのチームです。
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そして、人気者のひょろつき鬼、釣鐘(つりがね)。
よたよたしながらも、 -
ちょっと余裕を見せて見たり、
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愛嬌たっぷりの演技力が憎いですね。
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一方の斧山伏(よきまぶし)は、もっと大胆。
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大きくよろめいて、危ない危ない。
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あっちへよろめいたと思ったら、
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こっちへよろめく。
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よろよろよろ~、よろよろよろ~。
近づいてくるとこっちに突っ込んでくるんじゃないかというくらい。演技と分かっていてもけっこうな怖さを感じます。 -
沿道の子供たちは、いでたちに怖がって、泣き叫ぶ。あっちでもこっちでも、子供の泣き声が響いてました。
大人は面白くても、子供はそういうわけにはいかないみたいですね。真剣に怖がってますよ~ -
イチオシ
役行者は静かに立って、全体を締める存在かな。
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さて、列の先頭は、この大御幣(おおごへい)。
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文字通り高さ6.3メートル重さ120キログラムを超える日本最大級の巨大な御幣で、役行者列の「しるし」です。中央の心柱を4本の柱で支える形で5人の男衆で担ぎます。密教哲学にもとづき心柱に白、四方の柱には東方に青、南方に赤、西方に黄、北方に黒を彩色し、それぞれに五大明王が宿るとされています。
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あ~、悪鬼ですね。
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子供の鬼が
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続いて
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その後に行道面から
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役行者。
ここは広い通りなので、ここで後続を待ちましょう。 -
はいはい、釣鐘がやってきました。
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観客は多いし、スペースも広い。
ここは一番の見せ所ですよ~ -
よたよた、よたよた~
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笈持(おいもち)も、なかなかに渋い演技が光ります。
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そして、またしても斧山伏(よきまぶし)。
足を踏ん張るオーバーアクションには目を見張る。重い斧を担いで、足がブルブル震えているんですね。 -
それでも、無理やりがんばって。ウッオー、ウッオー
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イチオシ
ウーン、負けてたまるかあみたいに暴れまわります。
いやあ、予想以上の熱演です。
これで、もう十分に拝見しました。鬼行列、満足いたしましたよ~ -
ということで、祭り見物を終わって、ここからは地元の名物店の金谷本店で昼飯です。
こちらは、地元のブランド牛、伊賀牛を使ったすき焼き屋さん。地元で知らない人はいない上野市を代表するお店でしょう。 -
一人でしたが、二階の大広間の先の個室に通されて、仲居さんが段取りをしてくれました。
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お肉の鮮やかな赤がいい感じ。
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で、ここの特徴は、割り下ではなく砂糖と醤油を使うこと。
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見事なサシの入った牛肉に白い砂糖をパパッとかけて。。これを見るとちょっと美しくてほ~って感じですね。
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改めて、すべてを乗っけてっと。。
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イチオシ
ただ、砂糖だけの味が割り下とどれくらい違いが出るかというとそこまではっきりはしないような。
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そして、さらに肝心のすき焼きの味の方ですが、すき焼きの中で抜群というレベルにあるかといわれると、私には残念ながらそこまでの経験もないかもしれませんが、普通においしいという感想以上にはならなかったような。
ランクもあるのでそれがこの店の評価ではないと思いますが、少なくとも、私の経験してきたうまいものからするとそういう評価です。 -
金谷本店で気持ちを収めるつもりだったのですが、そうはならなかったので、伊賀焼で気持ちを収めることにします。
上野公園の側の池のほとり。伊賀焼の店 土味を訪ねました。 -
伊賀焼は、いわゆる六古窯ではないですが、古窯の一つ。そして、安土桃山時代辺りから、茶の湯の道具としての道を歩み始める。きれいさびの小堀遠州の影響で、遠州伊賀と呼ばれる伊賀焼が焼かれたのは象徴的なことでしょう。
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いくつかの作品がありましたが、私の目に止まったのはこの作品。ひっかき跡とかの力強い造形に明るい釉薬の美しさが秀逸。買っといてもよかったのかな。そんなに後悔はしていませんが、気になった作品があったことで、最後の締めにはなったような気がします。
さて、ここから、名古屋まつりの方に向かいます。
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