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世界の大都市には映画館がたくさんある。<br />中でも街の規模に比べ圧倒的に多かったのがパリ。<br />例えば僕が持っている一番古い 1974年の Pariscop No.305<br />(映画・演劇・音楽などの情報誌) ではパリ 20区内に<br />270館ある (スクリーン数はもっと多い)。<br />世界規模で見ると、当然アメリカが映画館数、スクリーン数<br />観客数すべて桁違いの 1位だが、フランスは2位を守り続けている。<br />今でこそパリでもシネコンが増えたが、それでも<br />2018年の統計ではフランスのシネコン 209、それ以外が 1,835館!<br />日本はシネコン 343、それ以外は 236館しかない。<br />つまり伝統的にパリ (フランス) には独立系 (単館系) の<br />映画館が多く上映される作品の幅が広いのも納得できる。<br /><br />前置きが長くなったが、すでに消えたり建て替えられた<br />映画館も多いが、カルティエ・ラタン中心に<br />当時の映画館のいくつかを紹介しよう。<br />(すでに旅行記に載せたものや、93年以前・以後の写真★も含む)<br />写真は残っていないが、カルティエ・ラタンには他にも、<br />さらに多くの映画館があり、そのほとんどに行っている。 <br />とは言え劇場名を見ても全然思い出せない映画館もある。<br />今回は (も?)、ややマニアックな旅行記になったが、<br />写真が増えすぎるので割愛したものも多い。<br />なお、この年はパリの2週間で 37本以上の映画を見た。<br /><br />写真は昔の映画のチケット。 <br />少なくとも、この年には日付も入った大きな<br />チケットになっているので、それ以前のものだが、<br />日時などの印字がないので、いつ何を見た時かは不明。<br />これらのチケットは長いロール紙になっていて<br />機械から 1枚ずつ出てくる。<br />ちなみに斜線の入っているのは、初回割引とか<br />何らかの割引料金 (Tarif Reduit) で入ったもの<br /><br />当時は Ouvreuse (モギリ、案内嬢) がいて<br />座席指定ではないのに適当に (?) 案内され<br />チップを渡す習慣だった。 シネコン時代では<br />同時間に多数上映するし、まさかスクリーンごとに<br />人員配置もできないし、基本的に座席指定だし<br />いつ頃からか姿を消した。<br />本文中に書くが、昔は上映時間の 10分ぐらい前しか<br />切符売り場を開けず、多くても 4スクリーンほどなので<br />上映時間をずらせば1人で対応できた。<br />誰かが入った直後に続いて入りチップを節約なんて<br />セコいこともやったが…<br /><br /><br />

1993年 パリところどころ 3/6 :パリの (昔の) 映画館

11いいね!

1993/09/07 - 1993/09/21

6537位(同エリア16384件中)

旅行記グループ 1993年 パリ・コペンハーゲン

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78

milouchat

milouchatさん

世界の大都市には映画館がたくさんある。
中でも街の規模に比べ圧倒的に多かったのがパリ。
例えば僕が持っている一番古い 1974年の Pariscop No.305
(映画・演劇・音楽などの情報誌) ではパリ 20区内に
270館ある (スクリーン数はもっと多い)。
世界規模で見ると、当然アメリカが映画館数、スクリーン数
観客数すべて桁違いの 1位だが、フランスは2位を守り続けている。
今でこそパリでもシネコンが増えたが、それでも
2018年の統計ではフランスのシネコン 209、それ以外が 1,835館!
日本はシネコン 343、それ以外は 236館しかない。
つまり伝統的にパリ (フランス) には独立系 (単館系) の
映画館が多く上映される作品の幅が広いのも納得できる。

前置きが長くなったが、すでに消えたり建て替えられた
映画館も多いが、カルティエ・ラタン中心に
当時の映画館のいくつかを紹介しよう。
(すでに旅行記に載せたものや、93年以前・以後の写真★も含む)
写真は残っていないが、カルティエ・ラタンには他にも、
さらに多くの映画館があり、そのほとんどに行っている。
とは言え劇場名を見ても全然思い出せない映画館もある。
今回は (も?)、ややマニアックな旅行記になったが、
写真が増えすぎるので割愛したものも多い。
なお、この年はパリの2週間で 37本以上の映画を見た。

写真は昔の映画のチケット。
少なくとも、この年には日付も入った大きな
チケットになっているので、それ以前のものだが、
日時などの印字がないので、いつ何を見た時かは不明。
これらのチケットは長いロール紙になっていて
機械から 1枚ずつ出てくる。
ちなみに斜線の入っているのは、初回割引とか
何らかの割引料金 (Tarif Reduit) で入ったもの

当時は Ouvreuse (モギリ、案内嬢) がいて
座席指定ではないのに適当に (?) 案内され
チップを渡す習慣だった。 シネコン時代では
同時間に多数上映するし、まさかスクリーンごとに
人員配置もできないし、基本的に座席指定だし
いつ頃からか姿を消した。
本文中に書くが、昔は上映時間の 10分ぐらい前しか
切符売り場を開けず、多くても 4スクリーンほどなので
上映時間をずらせば1人で対応できた。
誰かが入った直後に続いて入りチップを節約なんて
セコいこともやったが…


旅行の満足度
5.0
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • ★1枚目から古い 1986年7月の写真で申し訳ないが、<br />まずはホテルと同じ通り 6区 Rue Monsieur-le Prince の<br />67番地にあった Les 3 Luxembourg 。<br />ホテルに近いこともあり何度も行った映画館だが、<br />この年 93年には行っていないようだ。<br />ここでは『アメリカの夜』『春のソナタ』『桜の園 (99)』<br />『デーモンラヴァー』などを見ている

    ★1枚目から古い 1986年7月の写真で申し訳ないが、
    まずはホテルと同じ通り 6区 Rue Monsieur-le Prince の
    67番地にあった Les 3 Luxembourg 。
    ホテルに近いこともあり何度も行った映画館だが、
    この年 93年には行っていないようだ。
    ここでは『アメリカの夜』『春のソナタ』『桜の園 (99)』
    『デーモンラヴァー』などを見ている

  • ★オデオン駅前には映画館が3館ある。<br />写真は 79年1月の 6区 UGC Danton だが<br />93年は8日『ゴダールの決別』9日『ふたりのベロニカ』を、<br />他の年には『銀行』『アイズ』『仮面の中のアリア』<br />『ザ・フライ2二世誕生』『グッドナイト&amp;グッドラック』などを見た。<br />ここも古い小屋で 1920年に Danton-Palace としてオープン。<br />50年代まではオーケストラも入っていたらしい。<br />1977年から UGC 傘下になり 4スクリーンになった

    ★オデオン駅前には映画館が3館ある。
    写真は 79年1月の 6区 UGC Danton だが
    93年は8日『ゴダールの決別』9日『ふたりのベロニカ』を、
    他の年には『銀行』『アイズ』『仮面の中のアリア』
    『ザ・フライ2二世誕生』『グッドナイト&グッドラック』などを見た。
    ここも古い小屋で 1920年に Danton-Palace としてオープン。
    50年代まではオーケストラも入っていたらしい。
    1977年から UGC 傘下になり 4スクリーンになった

  • ★同じく 79年1月、UGC Danton の斜め向かいある<br />6区 UGC Odeon 。こちらは新しく (?) 1973年に<br />4スクリーンでオープン (現在は 5スクリーン)。<br />オデオン、サンジェルマンあたりは多くの観光客が来るから<br />映画は見なくても劇場に見覚えのある人は多いだろう。<br />ポスターは左から『シンデレラ』「Le cavaleur」<br />「Belfagor le magnifique」 「Le Pot de vin」<br />ここでは 12日『ギルティ 罪深き罪』を見た

    ★同じく 79年1月、UGC Danton の斜め向かいある
    6区 UGC Odeon 。こちらは新しく (?) 1973年に
    4スクリーンでオープン (現在は 5スクリーン)。
    オデオン、サンジェルマンあたりは多くの観光客が来るから
    映画は見なくても劇場に見覚えのある人は多いだろう。
    ポスターは左から『シンデレラ』「Le cavaleur」
    「Belfagor le magnifique」 「Le Pot de vin」
    ここでは 12日『ギルティ 罪深き罪』を見た

  • 次は9月8日に見たジェーン・カンピオンの<br />『ピアノ・レッスン』上映中の 5区 51 Rue des Ecoles にある<br />Cinema (Le) Champo (llion)だが<br />右隣に Reflet Medicis という映画館が見えている。<br />Champo は 1938年オープン、41年に火災に遭い改装し<br />2スクリーンに、2000年ぐらいからビルのオーナーが<br />立ち退きを要求したが市民の反対で今も営業中。<br />しかし いつ消えても不思議ではない状況らしい

    次は9月8日に見たジェーン・カンピオンの
    『ピアノ・レッスン』上映中の 5区 51 Rue des Ecoles にある
    Cinema (Le) Champo (llion)だが
    右隣に Reflet Medicis という映画館が見えている。
    Champo は 1938年オープン、41年に火災に遭い改装し
    2スクリーンに、2000年ぐらいからビルのオーナーが
    立ち退きを要求したが市民の反対で今も営業中。
    しかし いつ消えても不思議ではない状況らしい

  • Champo の隣の Reflet Medicis は 3 Cinemas とあるように<br />3スクリーンだが、オープンした 60年代初頭は<br />5区 Rue Champollion の 3,5,7番地に並ぶ<br />Studio Medicis 、Studio Logos、Noctombules という<br />名前の違う独立した 3つの映画館だった。<br />ロビー内に小さい書店もあったが、一時は<br />向かいに独立した映画専門書店も持っていた。<br />ここでは 13日にブニュエルの『銀河』<br />17日にシャブロルの 「L&#39;œil de Vichy」 (寝た)。<br />ドキュメンタリーを字幕なしで見るのはつらい…

    Champo の隣の Reflet Medicis は 3 Cinemas とあるように
    3スクリーンだが、オープンした 60年代初頭は
    5区 Rue Champollion の 3,5,7番地に並ぶ
    Studio Medicis 、Studio Logos、Noctombules という
    名前の違う独立した 3つの映画館だった。
    ロビー内に小さい書店もあったが、一時は
    向かいに独立した映画専門書店も持っていた。
    ここでは 13日にブニュエルの『銀河』
    17日にシャブロルの 「L'œil de Vichy」 (寝た)。
    ドキュメンタリーを字幕なしで見るのはつらい…

  • そして、さらに Reflet Medicis の右隣には<br />何だか異様な (?) 飾り物が見える

    そして、さらに Reflet Medicis の右隣には
    何だか異様な (?) 飾り物が見える

  • こんなに特徴的なファサードの映画館なのに<br />なぜか画像検索で出てこない 9 番地にあった<br />変わった外観の Cinema Utopia 、つまり<br />3 (5?) 館のアート系映画館が同じ通りに並んでいる。<br />ここは 1951年にキャバレー・シアター<br />Théâtre du Quartier Latin としてオープンしたが<br />56年に閉店し、映画館 Quartier Latin Cinema になった。<br />85年から写真の Utopia Cinema だったが 2009 年からは<br />現在の Filmothèque du Quartier Latin になり、<br />この特徴的なファサードも消えてしまった。<br />ここで何を見たかは記録漏れ (チケットは写真の最後にある)

    こんなに特徴的なファサードの映画館なのに
    なぜか画像検索で出てこない 9 番地にあった
    変わった外観の Cinema Utopia 、つまり
    3 (5?) 館のアート系映画館が同じ通りに並んでいる。
    ここは 1951年にキャバレー・シアター
    Théâtre du Quartier Latin としてオープンしたが
    56年に閉店し、映画館 Quartier Latin Cinema になった。
    85年から写真の Utopia Cinema だったが 2009 年からは
    現在の Filmothèque du Quartier Latin になり、
    この特徴的なファサードも消えてしまった。
    ここで何を見たかは記録漏れ (チケットは写真の最後にある)

  • 劇場内の天井照明が星のようでキレイ。<br />上映前の音楽もクラシックを流していた。<br />ちなみにスクリーン両側の黒い線は、<br />以前にも書いたが映写サイズに合わせ左右に動く

    劇場内の天井照明が星のようでキレイ。
    上映前の音楽もクラシックを流していた。
    ちなみにスクリーン両側の黒い線は、
    以前にも書いたが映写サイズに合わせ左右に動く

  • ★これも 79年1月の 6区 12 Rue Gît-le-Cœur にあった<br />Studio Gît-le-Cœur (現 Cinema Saint-André-des-Arts)。<br />オープンは 1967年で フランスWIKI では 71年に<br />名前が替わったとあるのが不可解。<br />この時はポスター下の『フリッツ・ザ・キャット』を見た。<br />ちなみに大島渚の『愛のコリーダ』を上映したときは、<br />2週間で1万人の大ヒットとなったらしい<br />

    ★これも 79年1月の 6区 12 Rue Gît-le-Cœur にあった
    Studio Gît-le-Cœur (現 Cinema Saint-André-des-Arts)。
    オープンは 1967年で フランスWIKI では 71年に
    名前が替わったとあるのが不可解。
    この時はポスター下の『フリッツ・ザ・キャット』を見た。
    ちなみに大島渚の『愛のコリーダ』を上映したときは、
    2週間で1万人の大ヒットとなったらしい

  • 5区 5 Rue des Ecoles の Le Grand Action 。<br />前身は 1907年オープンのミュージック・ホール Mesange で<br />1950年に Celtic という映画館に、さらに 1970年には<br />Studio Jean Cocteau になり壁面にはコクトーの絵が、<br /> (当然 70年代にも来ているはずだが壁画の記憶はない)<br />そして 1983年から現在のアクション系列に<br />

    5区 5 Rue des Ecoles の Le Grand Action 。
    前身は 1907年オープンのミュージック・ホール Mesange で
    1950年に Celtic という映画館に、さらに 1970年には
    Studio Jean Cocteau になり壁面にはコクトーの絵が、
    (当然 70年代にも来ているはずだが壁画の記憶はない)
    そして 1983年から現在のアクション系列に

  • Grand Action 正面。<br />Action と言うのは興業チェーンの系列で<br />別にアクション映画専門館ではない。<br />上映中の作品 「Haute Pègre」 は<br />ルビッチの『極楽特急』(Trouble in Paradise) のこと。<br />主人公がここで働いている映画があったが<br />何だったか…

    Grand Action 正面。
    Action と言うのは興業チェーンの系列で
    別にアクション映画専門館ではない。
    上映中の作品 「Haute Pègre」 は
    ルビッチの『極楽特急』(Trouble in Paradise) のこと。
    主人公がここで働いている映画があったが
    何だったか…

  • スクリーンは2つで<br />上に上がると Salle Club Henri Ginet

    スクリーンは2つで
    上に上がると Salle Club Henri Ginet

  • 僕が見たのは Salle Panoramique Henri Langlois で<br />後ろからラングロワがでニラミを利かせている。<br />ここでは 20日に『アスファルト・ジャングル』を見た

    僕が見たのは Salle Panoramique Henri Langlois で
    後ろからラングロワがでニラミを利かせている。
    ここでは 20日に『アスファルト・ジャングル』を見た

  • サン・ミシェル大通り東側。<br />制服なのか同じコートの一団がいる。<br />渡ったところが 5区 7番地の Espace Saint-Michel 。<br />1912年にレストラン Bouillon Gandon から映画館に、<br />1988年に火事で内部が焼失、1991年に再開した。<br />ここでは 18日に 「Rabi」 と 「Denko」 を見ているが、<br />特に理由はないが好きではなく避けていた劇場

    サン・ミシェル大通り東側。
    制服なのか同じコートの一団がいる。
    渡ったところが 5区 7番地の Espace Saint-Michel 。
    1912年にレストラン Bouillon Gandon から映画館に、
    1988年に火事で内部が焼失、1991年に再開した。
    ここでは 18日に 「Rabi」 と 「Denko」 を見ているが、
    特に理由はないが好きではなく避けていた劇場

  • 5区 10 Rue des Ursulines にあった Studio des Ursulines 。<br />17世紀に建てられた古い建物で 1926年に映画館になった。<br />『突然炎のごとく』にも登場するが、当然昔はサイレントの<br />映画館、1978年に閉館したが 87年に再開、1996年からは<br />ARP という監督や製作者の団体が運営している。 <br />この年に何を見たかは不明だが 90年にはゴダールの<br />『ヌーヴェル・ヴァーグ』を見ている

    5区 10 Rue des Ursulines にあった Studio des Ursulines 。
    17世紀に建てられた古い建物で 1926年に映画館になった。
    『突然炎のごとく』にも登場するが、当然昔はサイレントの
    映画館、1978年に閉館したが 87年に再開、1996年からは
    ARP という監督や製作者の団体が運営している。
    この年に何を見たかは不明だが 90年にはゴダールの
    『ヌーヴェル・ヴァーグ』を見ている

  • 劇場内部。写真のように2階にバルコンがある

    劇場内部。写真のように2階にバルコンがある

  • ★この人だかりは 『ロッキー・ホラー・ショー』で有名な<br />5区 42 rue Galande にある 86年の Studio Galande 。<br />普段は普通の名画座で1日何本も上映するが<br />1978年から毎週末深夜に上映している『ロッキー・ホラー…』は<br />満員になり、事前にチケットを買わないと入れないことが多い。<br />悪趣味な映画なので一般的には勧められないが<br />是非 怖い物見たさで (?) 行くことを勧めます。<br />ただし上映中にペットボトルの水を<br />ぶっ掛けられるので (??) 準備は怠りなく…

    ★この人だかりは 『ロッキー・ホラー・ショー』で有名な
    5区 42 rue Galande にある 86年の Studio Galande 。
    普段は普通の名画座で1日何本も上映するが
    1978年から毎週末深夜に上映している『ロッキー・ホラー…』は
    満員になり、事前にチケットを買わないと入れないことが多い。
    悪趣味な映画なので一般的には勧められないが
    是非 怖い物見たさで (?) 行くことを勧めます。
    ただし上映中にペットボトルの水を
    ぶっ掛けられるので (??) 準備は怠りなく…

  • ★劇場入り口。 右のポスター持ってます。<br />ロンドン、パリ、ニューヨークで (もちろん日本でも)<br />何度も見ているが、多分 2004年に見たのが最後…

    ★劇場入り口。 右のポスター持ってます。
    ロンドン、パリ、ニューヨークで (もちろん日本でも)
    何度も見ているが、多分 2004年に見たのが最後…

  • これも 5区 13 Rue Victor-Cousin の Europe Panthéon<br />(現 Le Cinéma du Panthéon)<br />オープンは映画創世期の1907年。<br />『ディーバ』は1年以上のロングランだったらしい。<br />写真ではブニュエル特集だが、僕が見たのは右のポスター <br />「Les aprenteurs de Monmartre」 を15日に。<br />監督も出演者も知らないし、なぜ選んだかは不明

    これも 5区 13 Rue Victor-Cousin の Europe Panthéon
    (現 Le Cinéma du Panthéon)
    オープンは映画創世期の1907年。
    『ディーバ』は1年以上のロングランだったらしい。
    写真ではブニュエル特集だが、僕が見たのは右のポスター
    「Les aprenteurs de Monmartre」 を15日に。
    監督も出演者も知らないし、なぜ選んだかは不明

  • ★5区 10 Rue Frederic Sauton にあった 78年7月の<br />Le Seine Cinemas 同じ番地に Le Seine Studio もあった (廃館)。<br />かなり渋めのプログラムを組むが、このときは音楽映画特集で<br />『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』『インディア・ソング』<br />『ワン・プラス・ワン』を見た<br />

    ★5区 10 Rue Frederic Sauton にあった 78年7月の
    Le Seine Cinemas 同じ番地に Le Seine Studio もあった (廃館)。
    かなり渋めのプログラムを組むが、このときは音楽映画特集で
    『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』『インディア・ソング』
    『ワン・プラス・ワン』を見た

  • ★このモギリの女の子が可愛くて、よく雑談した。<br />窓口の女性がシツコイ男だと (?) 笑っている<br />

    ★このモギリの女の子が可愛くて、よく雑談した。
    窓口の女性がシツコイ男だと (?) 笑っている

  • ★多分 上の映画館だと思われるが<br />窓口が閉まっている。<br />しかし決して普通はシャッターを下ろす営業前ではない。<br />全部手書きなのが時代を感じるが、右上は料金表。<br />Tarif Plein 一般 37フラン、Tarif Reduit (学生とかの) 割引 27フラン。<br />左端を見て欲しい。 Ticket 10mn Avant とある。<br />つまり開場 (上映) 10分前からしか チケットを売らない。<br />10分前と言っても、多くは本編前に短編やニュースを見せたので<br />本編は 20分ぐらいして始まるのが一般的 (CM も少しある)<br />だから多くの劇場では時間表に Seance (本編) の開始時間も<br />併記してあった

    ★多分 上の映画館だと思われるが
    窓口が閉まっている。
    しかし決して普通はシャッターを下ろす営業前ではない。
    全部手書きなのが時代を感じるが、右上は料金表。
    Tarif Plein 一般 37フラン、Tarif Reduit (学生とかの) 割引 27フラン。
    左端を見て欲しい。 Ticket 10mn Avant とある。
    つまり開場 (上映) 10分前からしか チケットを売らない。
    10分前と言っても、多くは本編前に短編やニュースを見せたので
    本編は 20分ぐらいして始まるのが一般的 (CM も少しある)
    だから多くの劇場では時間表に Seance (本編) の開始時間も
    併記してあった

  • 先に載せた Champo 前だが (ロッキー・ホラー同様)<br />かなりの行列が出来ている。 <br />大ヒットかと思うかもしれないが、実は…<br />書いたように 10~20分前にしか切符を売らず、<br />しかもシネコンになる前のパリの<br />ほとんどの映画館にはロビーがない。<br />だから上映時間直前には外の道路に長い行列ができる

    先に載せた Champo 前だが (ロッキー・ホラー同様)
    かなりの行列が出来ている。
    大ヒットかと思うかもしれないが、実は…
    書いたように 10~20分前にしか切符を売らず、
    しかもシネコンになる前のパリの
    ほとんどの映画館にはロビーがない。
    だから上映時間直前には外の道路に長い行列ができる

  • ★Champo の 97年の案内だが、<br />12月31日から 1月6日の番組表が見つかった。<br />ベティーさんからウディ・アレン、デヴィッド・リンチ、ロブ・ライナー、<br />キューブリック、そして戦前のスクリューボール『ママのご帰還』まで…<br />全部見たくなるよね。<br />右から 2番目の下に &quot;FILMS 10 minutes après&quot;<br />とある。 つまり本編は 10分後からという意味<br />

    ★Champo の 97年の案内だが、
    12月31日から 1月6日の番組表が見つかった。
    ベティーさんからウディ・アレン、デヴィッド・リンチ、ロブ・ライナー、
    キューブリック、そして戦前のスクリューボール『ママのご帰還』まで…
    全部見たくなるよね。
    右から 2番目の下に "FILMS 10 minutes après"
    とある。 つまり本編は 10分後からという意味

  • 『マルコムX』の大看板が目立つ

    『マルコムX』の大看板が目立つ

  • 5区 21 rue de la Clef にあった La Clef。<br />オープンは 1990年でアフリカや南米の作品を<br />プログラムの中心にしていた映画館。<br />2009年に閉館したが、翌年アジア映画中心で再開。<br />しかし営業不振で 2015年に閉館が決まった (営業は 2018年まで)。<br />閉館反対運動が 15か月続いていたが、ついに<br />2019年7月正式に廃館が決まったようだ<br />僕が見たものは…記録漏れで不明だが、<br />(右にはポスターもないから、上映中作品は<br />『マルコム X』だけと思われるので、<br />それを見た可能性が高い。5区と言っても<br />端のほうで少し遠いこともあっての経営難のようだ、<br />2018年5月の SV では看板は残っているが<br />シャッターは下ろされ上映中ポスターもなく、<br />やはり閉館しているように見える)<br />この時、スコールのような大雨に遭ったことを思い出す…

    5区 21 rue de la Clef にあった La Clef。
    オープンは 1990年でアフリカや南米の作品を
    プログラムの中心にしていた映画館。
    2009年に閉館したが、翌年アジア映画中心で再開。
    しかし営業不振で 2015年に閉館が決まった (営業は 2018年まで)。
    閉館反対運動が 15か月続いていたが、ついに
    2019年7月正式に廃館が決まったようだ
    僕が見たものは…記録漏れで不明だが、
    (右にはポスターもないから、上映中作品は
    『マルコム X』だけと思われるので、
    それを見た可能性が高い。5区と言っても
    端のほうで少し遠いこともあっての経営難のようだ、
    2018年5月の SV では看板は残っているが
    シャッターは下ろされ上映中ポスターもなく、
    やはり閉館しているように見える)
    この時、スコールのような大雨に遭ったことを思い出す…

  • 5区 20 rue Cujas の Accatone<br />もちろんパゾリーニの映画から取られた名前で<br />下の番組表を見ても分かるが<br />パゾリーニ中心にアクの強い作品が多い。<br />(時間は朝6時になっているが、例によって<br />日本時間で実際は夜の12時頃)<br /><br />

    5区 20 rue Cujas の Accatone
    もちろんパゾリーニの映画から取られた名前で
    下の番組表を見ても分かるが
    パゾリーニ中心にアクの強い作品が多い。
    (時間は朝6時になっているが、例によって
    日本時間で実際は夜の12時頃)

  • ここで 9月14日に 「Dandy」 のプレミアがあり<br />監督とニック・ケイヴ、ニナ・ハーゲンが出席というので<br />行ったがニナ・ハーゲンは来なかった (2回あるので来てたかも)。<br />映画の内容は覚えていないが、一応ドキュメンタリーで<br />バラバラなシーンが連続し全然分からない (多分 寝てた)

    ここで 9月14日に 「Dandy」 のプレミアがあり
    監督とニック・ケイヴ、ニナ・ハーゲンが出席というので
    行ったがニナ・ハーゲンは来なかった (2回あるので来てたかも)。
    映画の内容は覚えていないが、一応ドキュメンタリーで
    バラバラなシーンが連続し全然分からない (多分 寝てた)

  • 客層は若者中心だが、かなりコアな客が来る。<br />(また人中でタバコ吸ってる)<br />ここも極めて小規模だが本屋と<br />カウンターだけのカフェを併設している。<br />一時経営難で寄付を募る貼り紙があったりもした

    客層は若者中心だが、かなりコアな客が来る。
    (また人中でタバコ吸ってる)
    ここも極めて小規模だが本屋と
    カウンターだけのカフェを併設している。
    一時経営難で寄付を募る貼り紙があったりもした

  • カルティエ・ラタンと言っても外れなので<br />あまり来なかった 5区ムフタール街 100番地の<br />L&#39;Epée de bois (人が入って行くところ)<br />[しかし、なぜか残っている切符は一番多い]<br />ここでは 15日に 「Je m&#39;appele Victor」 1本見ただけだが、<br />他の年には『永遠のマリア・カラス』<br />『ぼくの好きな先生』『ニノの空』などを見ている

    カルティエ・ラタンと言っても外れなので
    あまり来なかった 5区ムフタール街 100番地の
    L'Epée de bois (人が入って行くところ)
    [しかし、なぜか残っている切符は一番多い]
    ここでは 15日に 「Je m'appele Victor」 1本見ただけだが、
    他の年には『永遠のマリア・カラス』
    『ぼくの好きな先生』『ニノの空』などを見ている

  • 多分 L&#39;Epée de bois 入り口。<br />左のポスターは『野性の夜に』と『カフェ・オ・レ』

    多分 L'Epée de bois 入り口。
    左のポスターは『野性の夜に』と『カフェ・オ・レ』

  • 6区 53 rue Notre-Dame-des-Champs にある<br />Lucernaire Forum 。 ここは Centre National d&#39;art et essai<br /> (国立アート・シアター・センター?) の一部で<br />縦の看板には 2 Cinemas、Concerts 、Théâtres とある。<br />つまり大きくはないが 映画館・劇場・コンサートホールを備えた<br />国立文化センターで、もちろんレストランもある。<br />現在のSVでは Lucernaire という名前は一緒だが<br />国立ではない模様でレストランばかりが目立つ。<br />この年見た映画は不明だが、別の年には<br />アンナ・カリーナ主演の 「Pain et chocolat」、<br />『ボイス・オブ・ムーン』『チェイシング・エイミー』<br />『チェリビダッケの庭』などを見ている。<br />1回だけ芝居を見たこともある<br />

    6区 53 rue Notre-Dame-des-Champs にある
    Lucernaire Forum 。 ここは Centre National d'art et essai
    (国立アート・シアター・センター?) の一部で
    縦の看板には 2 Cinemas、Concerts 、Théâtres とある。
    つまり大きくはないが 映画館・劇場・コンサートホールを備えた
    国立文化センターで、もちろんレストランもある。
    現在のSVでは Lucernaire という名前は一緒だが
    国立ではない模様でレストランばかりが目立つ。
    この年見た映画は不明だが、別の年には
    アンナ・カリーナ主演の 「Pain et chocolat」、
    『ボイス・オブ・ムーン』『チェイシング・エイミー』
    『チェリビダッケの庭』などを見ている。
    1回だけ芝居を見たこともある

  • 6区 149 Bd.Saint-Germain にあった Publicis de St.Germain 。<br />廃館し現在は Emporio Armani になっている。<br />ここは記憶がなく行ったことがあるかも分からない…

    6区 149 Bd.Saint-Germain にあった Publicis de St.Germain 。
    廃館し現在は Emporio Armani になっている。
    ここは記憶がなく行ったことがあるかも分からない…

  • 次は 6区 76 Rue de Rennes にある Cinema L&#39;Arlequin 。<br />元は 1935年に出来た Lux 。 一時はロシア映画専門館で<br />名前も替わったが、その後 再び Arlequin に戻った。<br />ところで…

    次は 6区 76 Rue de Rennes にある Cinema L'Arlequin 。
    元は 1935年に出来た Lux 。 一時はロシア映画専門館で
    名前も替わったが、その後 再び Arlequin に戻った。
    ところで…

  • 左の看板ではヴェンダースの『時の翼にのって…』上映中で、<br />かなり盛況に見えるが、実はそうではなく<br />一般上映に先立つ朝の 9時前開始の、<br />(写真は終わった 12時頃だが…)<br />試写会ではなく一般公開前にゲストを呼んで<br />特別上映するシネクラブがあったので早起きして参加した

    左の看板ではヴェンダースの『時の翼にのって…』上映中で、
    かなり盛況に見えるが、実はそうではなく
    一般上映に先立つ朝の 9時前開始の、
    (写真は終わった 12時頃だが…)
    試写会ではなく一般公開前にゲストを呼んで
    特別上映するシネクラブがあったので早起きして参加した

  • その日の作品は<br />フィリップ・ガレルの『愛の誕生』

    その日の作品は
    フィリップ・ガレルの『愛の誕生』

  • これがシネクラブ主催者の…ゴメン、名前は忘れた。<br />右の肩越しに監督のガレルが見えている

    これがシネクラブ主催者の…ゴメン、名前は忘れた。
    右の肩越しに監督のガレルが見えている

  • 上映後の Q&amp;A は1時間近くあったが<br />質問は監督のガレルに集中し、ガレルは<br />ゆっくりボソボソと喋るので時間を取り、<br />同席したジャン=ピエール・レオは退屈で、<br />だんだん不機嫌になってくる

    上映後の Q&A は1時間近くあったが
    質問は監督のガレルに集中し、ガレルは
    ゆっくりボソボソと喋るので時間を取り、
    同席したジャン=ピエール・レオは退屈で、
    だんだん不機嫌になってくる

  • ついにレオは、一言も喋らないまま<br />無断で退席してしまった!<br />(客席に座った)

    ついにレオは、一言も喋らないまま
    無断で退席してしまった!
    (客席に座った)

  • ★ 7区 57 Rue de Babylone には何だか寺院のような建物があり、<br />まさに看板にもパゴダとある。 ここは 2015年以降閉館中の<br />映画館だが複雑な歴史を持っている。 そもそもは<br />世界最初の百貨店とされる老舗 Bon Marché の<br />支配人が奥さんへのプレゼントとして 1896年に<br />多くの材料を日本から取り寄せボールルームとして<br />造ったが、ほどなく離婚し貸しホールになっていた。<br />映画館になったのは 1931年からだが経営困難で<br />何度かオーナーが代わり 1979年にはレストランに<br />なる予定だった。 しかし建築物としての価値を認めた<br />文化省が認可せず映画館として存続することになった。<br />それでも経営は苦しく 2015年から休館中だったが<br />アメリカの富豪が買い取り 2019年から数年掛けて<br />映画館として再開させる予定になっている。<br />写真は 1986年のものだが上映中作品は<br />『ヒットラーなんか知らないよ』と<br />『ドンファン &#39;72』で後者を見た。<br />ベベでもバーキンでもなくアン・ザカリアス目当てで…

    ★ 7区 57 Rue de Babylone には何だか寺院のような建物があり、
    まさに看板にもパゴダとある。 ここは 2015年以降閉館中の
    映画館だが複雑な歴史を持っている。 そもそもは
    世界最初の百貨店とされる老舗 Bon Marché の
    支配人が奥さんへのプレゼントとして 1896年に
    多くの材料を日本から取り寄せボールルームとして
    造ったが、ほどなく離婚し貸しホールになっていた。
    映画館になったのは 1931年からだが経営困難で
    何度かオーナーが代わり 1979年にはレストランに
    なる予定だった。 しかし建築物としての価値を認めた
    文化省が認可せず映画館として存続することになった。
    それでも経営は苦しく 2015年から休館中だったが
    アメリカの富豪が買い取り 2019年から数年掛けて
    映画館として再開させる予定になっている。
    写真は 1986年のものだが上映中作品は
    『ヒットラーなんか知らないよ』と
    『ドンファン '72』で後者を見た。
    ベベでもバーキンでもなくアン・ザカリアス目当てで…

  • こちらは今回 1993年の写真で<br />上映中作品は『青いパパイヤの香り』と<br />『トリコロール 青の愛』で、後者を 10日に見ている。<br />(『…白の愛』は、翌年ニューオーリンズで見た)

    こちらは今回 1993年の写真で
    上映中作品は『青いパパイヤの香り』と
    『トリコロール 青の愛』で、後者を 10日に見ている。
    (『…白の愛』は、翌年ニューオーリンズで見た)

  • 「Blue」 と書いた立て看 (?) を持ってきた。<br />『…青の愛』を見る人は、ここに並べということ

    「Blue」 と書いた立て看 (?) を持ってきた。
    『…青の愛』を見る人は、ここに並べということ

  • 2スクリーンだが『…青の愛』は Salle Japonaise で上映。<br />記憶にないが、多分もう1つは Salle Chinoise だろう

    2スクリーンだが『…青の愛』は Salle Japonaise で上映。
    記憶にないが、多分もう1つは Salle Chinoise だろう

  • 写真では分からないが内装は非常に豪華絢爛。<br />やはりスクリーンには縦マスクがある

    写真では分からないが内装は非常に豪華絢爛。
    やはりスクリーンには縦マスクがある

  • 中の日本庭園 (?) には<br />カフェがあり鉄瓶でお茶を出す。<br />写真の女性達はかなり高齢のよう。<br />もちろん観客層はさまざまだが<br />一般的に日本より高齢者が多いようだ

    中の日本庭園 (?) には
    カフェがあり鉄瓶でお茶を出す。
    写真の女性達はかなり高齢のよう。
    もちろん観客層はさまざまだが
    一般的に日本より高齢者が多いようだ

  • どの映画館だったか覚えていないが<br />座席が番号ではなく監督名になっている。<br />真ん中はエルマンノ・オルミ 。<br />座席指定ではないが好きな監督を探すのは無理かも

    どの映画館だったか覚えていないが
    座席が番号ではなく監督名になっている。
    真ん中はエルマンノ・オルミ 。
    座席指定ではないが好きな監督を探すのは無理かも

  • 何となく記憶のある映画館…<br />だと思ったが、縦の黒い部分で<br />Garelie Sylvia Bourdon という字が読める。<br />調べると 6区 16 rue des Grands Augustins にあった<br />画廊で映画館ではなかった。 写真を撮っているから<br />多分 見に入った帰りだと思われる。<br />あまり美術館には行かないが<br />面白い催しの画廊は結構行っている<br />

    何となく記憶のある映画館…
    だと思ったが、縦の黒い部分で
    Garelie Sylvia Bourdon という字が読める。
    調べると 6区 16 rue des Grands Augustins にあった
    画廊で映画館ではなかった。 写真を撮っているから
    多分 見に入った帰りだと思われる。
    あまり美術館には行かないが
    面白い催しの画廊は結構行っている

  • ★これも、いわゆる映画館ではないが<br />6区 17 Rue des Grands-Augustins にあった<br />Videostone という小屋。 名前どおりフィルムではなく<br />ビデオでロック映画を上映していた。<br />当初は何台ものモニターテレビが各方向バラバラに設置され<br />それなりに面白い体験だったが、いつからかプロジェクターによる<br />スクリーン映写で普通の映画館と変わらず雰囲気が変わってしまった。<br />これは 1980年の写真だが、一番下はパティ・スミス で<br />78年に見た 「Cinema pas mort M.Godard」 <br />という映画は面白かった (買った 「WITT」 という本に写真が出ている) 。<br />内田裕也のフラワー・トラベリン・バンドの上映もあった

    ★これも、いわゆる映画館ではないが
    6区 17 Rue des Grands-Augustins にあった
    Videostone という小屋。 名前どおりフィルムではなく
    ビデオでロック映画を上映していた。
    当初は何台ものモニターテレビが各方向バラバラに設置され
    それなりに面白い体験だったが、いつからかプロジェクターによる
    スクリーン映写で普通の映画館と変わらず雰囲気が変わってしまった。
    これは 1980年の写真だが、一番下はパティ・スミス で
    78年に見た 「Cinema pas mort M.Godard」
    という映画は面白かった (買った 「WITT」 という本に写真が出ている) 。
    内田裕也のフラワー・トラベリン・バンドの上映もあった

  • ★少なくとも3回以上は行っているチケット。<br />どんどん値上がりしているが<br />右下のに 80.12.24 とメモがあるので<br />残り2枚はそれ以前のもの。<br />(いわゆる映画館ではないからか代表写真のような<br />公式に統一されたチケットではない)。<br />実は 1976年に家族で (?) 行った時、上の娘が<br />マフラーを落とした。 別に高価なものではないが<br />2,3年後に行った時に尋ねたら、何と保管していてくれて感激!

    ★少なくとも3回以上は行っているチケット。
    どんどん値上がりしているが
    右下のに 80.12.24 とメモがあるので
    残り2枚はそれ以前のもの。
    (いわゆる映画館ではないからか代表写真のような
    公式に統一されたチケットではない)。
    実は 1976年に家族で (?) 行った時、上の娘が
    マフラーを落とした。 別に高価なものではないが
    2,3年後に行った時に尋ねたら、何と保管していてくれて感激!

  • これも映画館ではなく芝居小屋だが<br />名前が Théâtre des 400 Coups<br />『大人は判ってくれない』の原題が<br />「Les quatre cents coups」 なので撮影。<br />住所は 74 rue du Cardinal Lemoine だが<br />80年代に終わったようだ。<br />同名の子供用品店もあった

    これも映画館ではなく芝居小屋だが
    名前が Théâtre des 400 Coups
    『大人は判ってくれない』の原題が
    「Les quatre cents coups」 なので撮影。
    住所は 74 rue du Cardinal Lemoine だが
    80年代に終わったようだ。
    同名の子供用品店もあった

  • 同じく映画館ではなく映画専門書店で、<br />リュクサンブール公園横にあった  La Fontaine 。<br />今は知らないが、パリには映画専門書店がたくさんあった

    同じく映画館ではなく映画専門書店で、
    リュクサンブール公園横にあった La Fontaine 。
    今は知らないが、パリには映画専門書店がたくさんあった

  • 写真は再掲になるが、この変わった建物は<br />丹下健三の設計で前年の 1992年にオープンした、<br />13区 30 Place d&#39;Italie の<br />Gaumont Grand Ecran Italie<br />基本的にはオフィスビルだが<br />(今から見れば小さいが) パリでは珍しかった<br />大きなモールやスーパーがある複合ビルだった。<br />中にある Grand Ecran Italie という、これもパリでは<br />新しいタイプの大画面、大迫力音が目玉の映画館で、<br />当時は建物全体が映画館の名前で呼ばれていた。<br />2006年の閉館後は名前と一致しないから (?)<br />単純に Italie 2 という名前で呼ばれ<br />現在はアパートメント・ホテルの<br />Citadines Place d&#39;Italie がメインのようだ<br /><br /><br />

    写真は再掲になるが、この変わった建物は
    丹下健三の設計で前年の 1992年にオープンした、
    13区 30 Place d'Italie の
    Gaumont Grand Ecran Italie
    基本的にはオフィスビルだが
    (今から見れば小さいが) パリでは珍しかった
    大きなモールやスーパーがある複合ビルだった。
    中にある Grand Ecran Italie という、これもパリでは
    新しいタイプの大画面、大迫力音が目玉の映画館で、
    当時は建物全体が映画館の名前で呼ばれていた。
    2006年の閉館後は名前と一致しないから (?)
    単純に Italie 2 という名前で呼ばれ
    現在はアパートメント・ホテルの
    Citadines Place d'Italie がメインのようだ


  • 建物内の通路 (?) も斬新なデザイン

    建物内の通路 (?) も斬新なデザイン

  •  劇場正面。 パリではカルチエ・ラタン中心に独立系の<br />ミニシアターが大半だった時代、ガラス張りの<br />巨大な映画館が出現したと噂になり、早速見に行った。<br />建物全体は丹下の設計だが映画館は Jean-Louis Renoux の設計。<br />劇場が大きいのでスクリーンは 2つだけ。<br />大きい方はスクリーンが 24メートルでパリ最大だった。 <br />キャパは 652席 (小さい方は100席)

    劇場正面。 パリではカルチエ・ラタン中心に独立系の
    ミニシアターが大半だった時代、ガラス張りの
    巨大な映画館が出現したと噂になり、早速見に行った。
    建物全体は丹下の設計だが映画館は Jean-Louis Renoux の設計。
    劇場が大きいのでスクリーンは 2つだけ。
    大きい方はスクリーンが 24メートルでパリ最大だった。
    キャパは 652席 (小さい方は100席)

  • スタッフも映画館らしくない (?) 制服で高級感を出している。<br />[六本木のシネ・ヴィヴァンが 83年にオープンしたときも<br />スタッフは盛装で (?) 高級感を出していた…]<br />ここでは 9日 「Le Tronc」、<br />16日 「Le Batard de Dieu.ou Justinien Trouve」 を見たが、<br />上映前に現在の4Dのように座席が振動するほど大迫力の<br />デモ映像 (?) を流すが、上映される映画は普通の映画で、<br />そんな効果に対応していないので拍子抜けした<br /><br />

    スタッフも映画館らしくない (?) 制服で高級感を出している。
    [六本木のシネ・ヴィヴァンが 83年にオープンしたときも
    スタッフは盛装で (?) 高級感を出していた…]
    ここでは 9日 「Le Tronc」、
    16日 「Le Batard de Dieu.ou Justinien Trouve」 を見たが、
    上映前に現在の4Dのように座席が振動するほど大迫力の
    デモ映像 (?) を流すが、上映される映画は普通の映画で、
    そんな効果に対応していないので拍子抜けした

  • ★11区 4 Bd.Richard-Lenoir にあった<br />81年3月の Bastille-Palace 。 <br />1933年にオープンしたが 80年代には<br />ポルノ映画館になり廃館、1995年に<br />Le Majestic Bastille として再開した。<br />(ということは、時期が合わない??<br />ストーンズの映画を見た記憶があるが…)

    ★11区 4 Bd.Richard-Lenoir にあった
    81年3月の Bastille-Palace 。
    1933年にオープンしたが 80年代には
    ポルノ映画館になり廃館、1995年に
    Le Majestic Bastille として再開した。
    (ということは、時期が合わない??
    ストーンズの映画を見た記憶があるが…)

  • 14区は ライオンで有名なダンフェール・ロシュロー広場の<br />24番地にあった Denfert  (2014年から Chaplin Denfert)。<br />11日右端の『ハイヒール』13日『アンティゴネー』<br />17日と18日に左端のロメールの短編 3本を見ている。<br />どうでもいいが真ん中は『バンビ』、アルモドバルと<br />並べるとは…いい趣味 (?)。 オープンは 1930年と<br />古く 70年代までは昔の雰囲気があったが、1987年に<br />オーナーが代わり改築されたようだ

    14区は ライオンで有名なダンフェール・ロシュロー広場の
    24番地にあった Denfert (2014年から Chaplin Denfert)。
    11日右端の『ハイヒール』13日『アンティゴネー』
    17日と18日に左端のロメールの短編 3本を見ている。
    どうでもいいが真ん中は『バンビ』、アルモドバルと
    並べるとは…いい趣味 (?)。 オープンは 1930年と
    古く 70年代までは昔の雰囲気があったが、1987年に
    オーナーが代わり改築されたようだ

  • ★14区 73 Av. du Général Leclerc の<br />Gaumont Sud (現 Gaumont Alésia)。 写真でも何となく<br />豪華そうだが 1921年に 2,800席の豪華映画館としてオープン。<br />1974年には4スクリーンに分割 (写真は その後)。 しかし<br />2014年に完全に建て替えられ 2015年に8スクリーンの<br />シネコンとして再開した。<br />撮影年は不明だが看板の作品から見て 76年か 77年だろう。<br />左端は 「Un flic sur le toi」 1つおいて<br />『デビッド・クローネンバーグのシーバース』<br />右端が『殺し屋とセールスマン』<br />(2000年にロンドンで見た。 ワイルダーの<br />『新・おかしな二人』は これのリメイクだが<br />圧倒的にオリジナルが面白い。<br />何と言っても、コメディとは言え、リノ・ヴァンチュラの<br />殺し屋役がウォルター・マッソーに替わるなんて…<br />ちなみに、この映画、ワイルダーの遺作なのに<br />日本では劇場公開されなかった<br /><br />

    ★14区 73 Av. du Général Leclerc の
    Gaumont Sud (現 Gaumont Alésia)。 写真でも何となく
    豪華そうだが 1921年に 2,800席の豪華映画館としてオープン。
    1974年には4スクリーンに分割 (写真は その後)。 しかし
    2014年に完全に建て替えられ 2015年に8スクリーンの
    シネコンとして再開した。
    撮影年は不明だが看板の作品から見て 76年か 77年だろう。
    左端は 「Un flic sur le toi」 1つおいて
    『デビッド・クローネンバーグのシーバース』
    右端が『殺し屋とセールスマン』
    (2000年にロンドンで見た。 ワイルダーの
    『新・おかしな二人』は これのリメイクだが
    圧倒的にオリジナルが面白い。
    何と言っても、コメディとは言え、リノ・ヴァンチュラの
    殺し屋役がウォルター・マッソーに替わるなんて…
    ちなみに、この映画、ワイルダーの遺作なのに
    日本では劇場公開されなかった

  • ★14区 16 Rue de Odessa の Les Montparnos (1990年9月)。<br />1981年オープンだが 2018年以後は Gaumont Parnasse に。<br />ここでポスター右端の『ニキータ』を見た時は衝撃を受けた。<br />(関係ないがベッソンのヨーロッパ・コープも破産した)<br />左端は嫌いな『ダニエルばあちゃん』

    ★14区 16 Rue de Odessa の Les Montparnos (1990年9月)。
    1981年オープンだが 2018年以後は Gaumont Parnasse に。
    ここでポスター右端の『ニキータ』を見た時は衝撃を受けた。
    (関係ないがベッソンのヨーロッパ・コープも破産した)
    左端は嫌いな『ダニエルばあちゃん』

  • ★15区 74 Bd.du Monparnasse の<br />79年の Monparnasse Pathé 。<br />その時はポスター左から2つ目の 「La carapate」 を見た。<br />(昔 好きだったピエール・リシャール主演のコメディ)。<br />ここでは『真夜中の恋愛論』なども見ている

    ★15区 74 Bd.du Monparnasse の
    79年の Monparnasse Pathé 。
    その時はポスター左から2つ目の 「La carapate」 を見た。
    (昔 好きだったピエール・リシャール主演のコメディ)。
    ここでは『真夜中の恋愛論』なども見ている

  • ★多分 Les Montparnos だと思うが、昔はパリでも<br /> &quot;おせんにキャラメル&quot; じゃないが場内販売があり、<br />普通は Miko のアイスクリームを売っていた。<br />(画面にも Miko の CM が映される)

    ★多分 Les Montparnos だと思うが、昔はパリでも
    "おせんにキャラメル" じゃないが場内販売があり、
    普通は Miko のアイスクリームを売っていた。
    (画面にも Miko の CM が映される)

  • これは 6区 Bd.St-Michel が Rue de Ecole と交差する<br />Les Ecoles というバス停だが<br />バックに Cinema  le *** という映画館が見える。<br />上のポスターを見て違和感を持つ人いるかな?<br />ちょっと読めないが 3枚とも &quot;文字だけ&quot; 。<br />その理由は…<br />フランスでは 1975年にポルノが解禁になり、<br />そのものズバリのハードな Sex 映画も公開できるようになった。<br />(ソフト・ポルノ『エマニュエル夫人』の大ヒットは 74年)<br />しかし教育上の配慮からか 表に裸の写真を出すことができず<br />ポスターは文字だけになっている。<br />カルチエ・ラタンだから当然としても<br />ポルノ映画館前のバス停名が &quot;学校&quot;  って<br />何の勉強?<br />[調べると恐らく 34 bd.Saint Michel にあった<br />Latin と言う映画館のようで、SVを見ると<br />現在は学校に相応しい書店 Gibert Joseph になっている。<br />ただ写真ではバス停 Les Ecoles の真ん前にあるが、<br />現在はバス停が少し南に移動し 38番地の前にある]<br />もちろん、ここでは見ていないが、<br />1978年に映画を間違いハード・コアのゲイ映画館<br />Le Dragon に入ってしまった。<br />詳細は書けないが映画そのものではなく、<br />館内の様子が異様で、さすがに 30分ほどで退散…<br />(いわゆる &quot;発展場&quot; です)

    これは 6区 Bd.St-Michel が Rue de Ecole と交差する
    Les Ecoles というバス停だが
    バックに Cinema le *** という映画館が見える。
    上のポスターを見て違和感を持つ人いるかな?
    ちょっと読めないが 3枚とも "文字だけ" 。
    その理由は…
    フランスでは 1975年にポルノが解禁になり、
    そのものズバリのハードな Sex 映画も公開できるようになった。
    (ソフト・ポルノ『エマニュエル夫人』の大ヒットは 74年)
    しかし教育上の配慮からか 表に裸の写真を出すことができず
    ポスターは文字だけになっている。
    カルチエ・ラタンだから当然としても
    ポルノ映画館前のバス停名が "学校" って
    何の勉強?
    [調べると恐らく 34 bd.Saint Michel にあった
    Latin と言う映画館のようで、SVを見ると
    現在は学校に相応しい書店 Gibert Joseph になっている。
    ただ写真ではバス停 Les Ecoles の真ん前にあるが、
    現在はバス停が少し南に移動し 38番地の前にある]
    もちろん、ここでは見ていないが、
    1978年に映画を間違いハード・コアのゲイ映画館
    Le Dragon に入ってしまった。
    詳細は書けないが映画そのものではなく、
    館内の様子が異様で、さすがに 30分ほどで退散…
    (いわゆる "発展場" です)

  • 12区 モンパルナス 有名な<br />キャバレー・シアター Bobino の並びにあった<br />Cinevog Montparnasse こちらも<br />掲示の看板が文字だけであるように<br />ポルノ映画館だったが 1993年、つまりこの年に<br />写真を見ても分かるが閉館している

    12区 モンパルナス 有名な
    キャバレー・シアター Bobino の並びにあった
    Cinevog Montparnasse こちらも
    掲示の看板が文字だけであるように
    ポルノ映画館だったが 1993年、つまりこの年に
    写真を見ても分かるが閉館している

  • ★右岸に移って 1区 19 Av.Victoria にあった<br />1979年1月の Châtelet Victoria (廃館)。<br />『キャバレー』『市民ケーン』『タクシー・ドライバー』 などの<br />ポスターが見えるが入ったことがあるか不明。<br />移動が嫌いな怠け者なのでカルティエ・ラタン以外で<br />映画を見ることは多くなかった

    ★右岸に移って 1区 19 Av.Victoria にあった
    1979年1月の Châtelet Victoria (廃館)。
    『キャバレー』『市民ケーン』『タクシー・ドライバー』 などの
    ポスターが見えるが入ったことがあるか不明。
    移動が嫌いな怠け者なのでカルティエ・ラタン以外で
    映画を見ることは多くなかった

  • 1区 レ・アール Forum 地下3階にあった<br />Gaumont Les Halles 内。<br />上に見える掲示の左端、ヴェンダースの<br />『時の翼にのって…』を 12日に見ている

    1区 レ・アール Forum 地下3階にあった
    Gaumont Les Halles 内。
    上に見える掲示の左端、ヴェンダースの
    『時の翼にのって…』を 12日に見ている

  • ★同じく Forum 内の地下4階にあった 90年1月の<br />Les Forum cinemas Orient Express (現 UGC ORIENT-EXPRESS) 。<br />11時頃の 1回目の上映は料金が安いので結構 見に来た。<br />この時は右端のアラン・ルドルフの 「Love At Large」 を見ている。<br />左は『シラノ・ド・ベルジュラック』。<br />別の年には『アリゾナ・ドリーム』『ライオンと呼ばれた男』などを見た

    ★同じく Forum 内の地下4階にあった 90年1月の
    Les Forum cinemas Orient Express (現 UGC ORIENT-EXPRESS) 。
    11時頃の 1回目の上映は料金が安いので結構 見に来た。
    この時は右端のアラン・ルドルフの 「Love At Large」 を見ている。
    左は『シラノ・ド・ベルジュラック』。
    別の年には『アリゾナ・ドリーム』『ライオンと呼ばれた男』などを見た

  • 3区 50 Rue Rambuteau にあった Cine Beaubourg 。<br />名前の通りポンピドゥー・センターの北向かいにあった。<br />オープンは 70年代終わりで 5スクリーン。<br />上の3枚の看板は左から『アブラハム渓谷』『ふたりのベロニカ』<br />「Le Tronc」 だが劇場前に行列のプラカードが5つあり、<br />真ん中は判別出来ないが左端が『ゴダールの決別』<br />右端が 「Le Tronc」 になっている。<br />つまり行列は作品ごとに並ぶのだが、切符売り場は1つで<br />先に書いたように上映時間はバラバラで上映の<br />各10分ぐらい前にしか開かない。<br />ここでは 11日『木と市長と文化会館…』14日『スターダスト』<br />15日『傷ついた男』20日『青いパパイヤの香り』「Antonia et Jane」<br />を見た。 左の大看板は『ゴダールの決別』だが<br />彼らしい (?) 言葉遊びで GODard deparDIEU とゴダールと<br />ドパルデューの名前に含まれる神 (英語とフランス語) を強調。<br />現在この劇場は大手チェーン MK2 Beaubourg になっている。<br />SVでは入口が半分になったがスクリーン数は6つに増えている

    3区 50 Rue Rambuteau にあった Cine Beaubourg 。
    名前の通りポンピドゥー・センターの北向かいにあった。
    オープンは 70年代終わりで 5スクリーン。
    上の3枚の看板は左から『アブラハム渓谷』『ふたりのベロニカ』
    「Le Tronc」 だが劇場前に行列のプラカードが5つあり、
    真ん中は判別出来ないが左端が『ゴダールの決別』
    右端が 「Le Tronc」 になっている。
    つまり行列は作品ごとに並ぶのだが、切符売り場は1つで
    先に書いたように上映時間はバラバラで上映の
    各10分ぐらい前にしか開かない。
    ここでは 11日『木と市長と文化会館…』14日『スターダスト』
    15日『傷ついた男』20日『青いパパイヤの香り』「Antonia et Jane」
    を見た。 左の大看板は『ゴダールの決別』だが
    彼らしい (?) 言葉遊びで GODard deparDIEU とゴダールと
    ドパルデューの名前に含まれる神 (英語とフランス語) を強調。
    現在この劇場は大手チェーン MK2 Beaubourg になっている。
    SVでは入口が半分になったがスクリーン数は6つに増えている

  • ★サン・シュルピス教会前の噴水が凍っているのが分かる?<br />1979年1月の写真だが、とても寒い年だった。<br />ああ、映画館の話でした。 突き当たりに見えるのが<br />9区 74 Rue Bonaparte にあった Bonaparte で<br />1931年にオープン、この写真の後<br />1987年に閉館、ここも入ったはずだが不明。<br />この時 上映中の作品は『木靴の樹』

    ★サン・シュルピス教会前の噴水が凍っているのが分かる?
    1979年1月の写真だが、とても寒い年だった。
    ああ、映画館の話でした。 突き当たりに見えるのが
    9区 74 Rue Bonaparte にあった Bonaparte で
    1931年にオープン、この写真の後
    1987年に閉館、ここも入ったはずだが不明。
    この時 上映中の作品は『木靴の樹』

  • ★あとは、あまり行かないシャンゼリゼ、 8区 27-33番地の<br />Gaumont Marignon (現 Gaumont  Champs Elysées)<br />1933年 Marignon Pathé としてオープンの豪華映画館。<br />1992年から Gaumont 傘下になった

    ★あとは、あまり行かないシャンゼリゼ、 8区 27-33番地の
    Gaumont Marignon (現 Gaumont Champs Elysées)
    1933年 Marignon Pathé としてオープンの豪華映画館。
    1992年から Gaumont 傘下になった

  • ★同じく 8区 50番地の Gaumont Ambassade 。<br />1959年オープンで1階 800。2階 300の<br />大劇場だったが 2016年に閉館。<br />ここでは 89年に 「Patti Rocks」 を見ている

    ★同じく 8区 50番地の Gaumont Ambassade 。
    1959年オープンで1階 800。2階 300の
    大劇場だったが 2016年に閉館。
    ここでは 89年に 「Patti Rocks」 を見ている

  • これも 8区 92番地にあった  UGC Triomphe だが<br />2007年に閉館。 ここも入ったことがあるかは不明。<br />上の大看板は『カフェ・オ・レ』、<br />下は左から『野生の夜に』『フライド・グリーン・トマト』<br />『氷の微笑』『から騒ぎ』だが、一番下 右に見える<br />『氷の微笑』に注目! ロングランで 2年目だって…<br />日本では岩波ホール『宗家の三姉妹』の延べ 314日が記録らしい

    これも 8区 92番地にあった UGC Triomphe だが
    2007年に閉館。 ここも入ったことがあるかは不明。
    上の大看板は『カフェ・オ・レ』、
    下は左から『野生の夜に』『フライド・グリーン・トマト』
    『氷の微笑』『から騒ぎ』だが、一番下 右に見える
    『氷の微笑』に注目! ロングランで 2年目だって…
    日本では岩波ホール『宗家の三姉妹』の延べ 314日が記録らしい

  • ★9区 43 rue du Faubourg-Montmartre にあった Studio 43 。<br />1936年にミュージック・ホール  Le Perchoir としてオープン、<br />1940年に映画館になった。<br />名前は Le Studio du Faubourg-Montmartre 、 Le Floride、<br />Le New-Yorker とか何度も替わったが 1980年からは<br />Studio 43 に、いつ閉館したか不明だが現存しない。<br />ここでは 86年7月11日に 「L&#39;amant Magnifique」 を見ている

    ★9区 43 rue du Faubourg-Montmartre にあった Studio 43 。
    1936年にミュージック・ホール Le Perchoir としてオープン、
    1940年に映画館になった。
    名前は Le Studio du Faubourg-Montmartre 、 Le Floride、
    Le New-Yorker とか何度も替わったが 1980年からは
    Studio 43 に、いつ閉館したか不明だが現存しない。
    ここでは 86年7月11日に 「L'amant Magnifique」 を見ている

  •  「L&#39;amant Magnifique」 を見た 86年のチラシ。<br />コクトーの『美女と野獣』とかが並び料金は 25フラン。<br />裏面 (右) はメリエス特集で毎日 20:30から<br />Eric Leguen のピアノ伴奏付き<br /><br />

    「L'amant Magnifique」 を見た 86年のチラシ。
    コクトーの『美女と野獣』とかが並び料金は 25フラン。
    裏面 (右) はメリエス特集で毎日 20:30から
    Eric Leguen のピアノ伴奏付き

  • この年見た (というか出てきた) チケットの一部。<br />代表写真と大きく異なるが、日付や作品が分かるのはいいね。<br />(しばしば感熱式で記憶とともに文字も消えていく)<br />一番下左がシネクラブ、ど真ん中の『アンティゴネー』が<br />無料になっているが例えば、5本見たら1本無料だったとか…<br />写真にはないが、この年ほかには<br />9日 Hautefeuille で『カリフォルニア』<br />10日 UGC Horizon で『エーゲ海の天使』<br />11日 Images d&#39;ailleurs で『レッド・ロック 裏切りの銃弾』<br />18日 14 Juillet Parnasse で『デカローグ (7,8)』<br />同じく20日 にも 「Moi Ivan toi Abraham」 を、 <br />21日 UGC Horizon で 『シクロ』などを見ている<br />

    この年見た (というか出てきた) チケットの一部。
    代表写真と大きく異なるが、日付や作品が分かるのはいいね。
    (しばしば感熱式で記憶とともに文字も消えていく)
    一番下左がシネクラブ、ど真ん中の『アンティゴネー』が
    無料になっているが例えば、5本見たら1本無料だったとか…
    写真にはないが、この年ほかには
    9日 Hautefeuille で『カリフォルニア』
    10日 UGC Horizon で『エーゲ海の天使』
    11日 Images d'ailleurs で『レッド・ロック 裏切りの銃弾』
    18日 14 Juillet Parnasse で『デカローグ (7,8)』
    同じく20日 にも 「Moi Ivan toi Abraham」 を、
    21日 UGC Horizon で 『シクロ』などを見ている

  • ★2000年の再掲になるが、極めて特殊な形態の映画館の写真も一応。<br />1985年ラ・ヴィレット公園内の科学産業博物館にオープンした<br />オムニマックスという方式の全天映画館です<br />(写真はクレジットカードのようなチケット)

    ★2000年の再掲になるが、極めて特殊な形態の映画館の写真も一応。
    1985年ラ・ヴィレット公園内の科学産業博物館にオープンした
    オムニマックスという方式の全天映画館です
    (写真はクレジットカードのようなチケット)

  • ★こちらはベルシーに移ったシネマテーク・フランセーズだが<br />過去の旅行記に一度もシネマテークで見たと書いていない。<br />パリ好きで相当のシネフィルである僕なら、<br />何度も行ったと思うかもしれない。<br />しかし、意外やシャイヨーのシネマテークには行ったことがない。<br />理由の1つはカルティエ・ラタンから遠い (?) こともあるが<br />パリで見た映画のタイトルを見れば分かるように<br />普通に街の映画館でシネフィル向けの映画が大量にあり、<br />特別な特集でもなければ、わざわざ行く必要もないし、<br />自意識過剰でシネフィルらしい行動をしたくない。<br />ボーブールにあったシネマテークでは、この年1度だけ<br />19日にサローヤンの 「The Good Job」 と「Aplause」 を見たが…

    ★こちらはベルシーに移ったシネマテーク・フランセーズだが
    過去の旅行記に一度もシネマテークで見たと書いていない。
    パリ好きで相当のシネフィルである僕なら、
    何度も行ったと思うかもしれない。
    しかし、意外やシャイヨーのシネマテークには行ったことがない。
    理由の1つはカルティエ・ラタンから遠い (?) こともあるが
    パリで見た映画のタイトルを見れば分かるように
    普通に街の映画館でシネフィル向けの映画が大量にあり、
    特別な特集でもなければ、わざわざ行く必要もないし、
    自意識過剰でシネフィルらしい行動をしたくない。
    ボーブールにあったシネマテークでは、この年1度だけ
    19日にサローヤンの 「The Good Job」 と「Aplause」 を見たが…

  • 86年のシネマテークのプログラムだが<br />上はシャイヨー、下はポンピドゥーセンターと<br />同時に2つのシネマテークでやっていたようだ。<br />一般映画館と同じで水曜が番組の変わり目、<br />料金はどちらも 16フラン

    86年のシネマテークのプログラムだが
    上はシャイヨー、下はポンピドゥーセンターと
    同時に2つのシネマテークでやっていたようだ。
    一般映画館と同じで水曜が番組の変わり目、
    料金はどちらも 16フラン

  • いつ、どこで入手したか分からないが資料価値の高い (?)<br />貴重なチラシが出てきた。 消えかかって読みにくいが、一番上には<br />COMITE DE DEFENSE DE LA CINEMATHEQUE FRANCAISE <br />とある。 つまり &quot;シネマテーク擁護委員会&quot; !!<br />周知のように 1968年 2月にシネマテークのアンリ・ラングロワが<br />更迭されたことに抗議し映画人たちが擁護委員会を結成、<br />3月からの学生運動に始まる 5月革命の流れの中でカンヌ映画祭も粉砕。<br />当然シネマテークは閉鎖される (『ドリーマーズ』参照)。 その間も<br />擁護委員会は、14区の映画館 Cinema Saint Lambert を使い<br />(チラシでは 14区だが実際は 15区のチョンボ?)<br />毎晩上映をしていたようで、チラシは 4月16日から 23日までの<br />プログラムだが、ラングロワの復職が 22日なので、まさに一番<br />ヒートアップしていた時のもの。<br />16日にはトリュフォーが登壇、18日はロメールやゴダール、シャブロル、<br />19日はドニオル=ヴァルクローズ、23日ピエール・カスト登場と、<br />さぞ盛り上がったことだろう。 上映作品は<br />ヒチコックやフラー、ラング、ロッセリーニ、ヴィゴ、メルヴィルなど<br />いかにもの監督が並ぶが、<br />溝口『楊貴妃』黒澤『羅生門』小林『人間の条件』<br />と日本映画も 3本含まれている

    イチオシ

    いつ、どこで入手したか分からないが資料価値の高い (?)
    貴重なチラシが出てきた。 消えかかって読みにくいが、一番上には
    COMITE DE DEFENSE DE LA CINEMATHEQUE FRANCAISE
    とある。 つまり "シネマテーク擁護委員会" !!
    周知のように 1968年 2月にシネマテークのアンリ・ラングロワが
    更迭されたことに抗議し映画人たちが擁護委員会を結成、
    3月からの学生運動に始まる 5月革命の流れの中でカンヌ映画祭も粉砕。
    当然シネマテークは閉鎖される (『ドリーマーズ』参照)。 その間も
    擁護委員会は、14区の映画館 Cinema Saint Lambert を使い
    (チラシでは 14区だが実際は 15区のチョンボ?)
    毎晩上映をしていたようで、チラシは 4月16日から 23日までの
    プログラムだが、ラングロワの復職が 22日なので、まさに一番
    ヒートアップしていた時のもの。
    16日にはトリュフォーが登壇、18日はロメールやゴダール、シャブロル、
    19日はドニオル=ヴァルクローズ、23日ピエール・カスト登場と、
    さぞ盛り上がったことだろう。 上映作品は
    ヒチコックやフラー、ラング、ロッセリーニ、ヴィゴ、メルヴィルなど
    いかにもの監督が並ぶが、
    溝口『楊貴妃』黒澤『羅生門』小林『人間の条件』
    と日本映画も 3本含まれている

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